2010年5月29日土曜日

アメリカで武者修行 第7話 使い物にならないわね。

二日目の朝、ケヴィンの部屋に机が運び込まれました。やっと自分専用の机がもらえるのかと思いきや、シンスケのじゃないよと言われました。
「PBから契約担当の人間が来るそうだ。」
とケヴィン。私は少し離れた場所に用意されたキュービクルに移ることになりました。キュービクルというのは、周囲の三辺を薄い壁で仕切っただけの簡易オフィスです。
「契約担当って、それは僕の仕事じゃなかったの?」
「シンスケは下請けの担当。今日来る人は、元請けと我々との間の契約を担当するんだよ。」
「元請けとの契約って、もう成立してたんじゃないの?」
「ああ、契約締結はもう済んでるから、これからは契約変更が主な仕事になると思うよ。」

午後になって現れたのは、白人の中年女性。エンジ色の細縁眼鏡をかけ、肩にかかる金髪はあまりまとまりがなく、顔に覆いかぶさろうとする前髪を眼鏡で押さえている、といった格好。
「リンダよ。よろしく。」
ソフトな握手をすると彼女はすぐにマイクの部屋に消えました。
「彼女、弁護士資格を持っているんだって。それに、これは確かな情報じゃないんだけど、マイクの奥さんらしいぞ。」
とケヴィンが言いました。

三日目の朝、私はケヴィンの助けを借りて、最初の下請け契約書の原案と、先方のサインを促す手紙を完成させました。
「で、これをどうすればいいの?」
「マイクにサインしてもらうんだよ。」
「え?それで終わり?誰か他にチェックしないの?」
「いや、マイクだけだ。俺達はマイクの直属の部下だからな。」
確かに組織上はそうだし、経験豊富なケヴィンが手伝ってくれたとはいえ、こんな素人が作った契約書にプロジェクトマネジャーがサインして一丁上がり、なんてことでいいのかな、と不安になりました。しかし私の心配をよそに、マイクはざっと全体を見渡しただけで躊躇なくサインしました。
「早く奴等にもサインさせて、さっさと仕事を始めさせろよ。」
と吐き捨てるように言いながら。

翌週月曜の朝、私が二本目の下請け契約書原案を持っていくと、ざっと目を通して頷いた後、マイクが、
「これからは俺がサインする前に、リンダに内容をチェックしてもらってくれ。」
との指示。リンダは法律の専門家。彼女の目を通っていれば何の懸念もなく外に出せるだろう、と内心ほっとしていました。

「使い物にならないわね。」
私の原案は、満身創痍ともいうべき態で突き返されました。赤ペンの刀傷が縦横に走っていて、見るも無残な姿です。
「耳障りのいいフレーズを使ってみたかったのかもしれないけど、絶対にこんな甘いことを書いちゃ駄目よ。」
一応ケヴィンもマイクも目を通した文書なんですけど、と言いたい気持ちを抑え、そのまま指導を仰ぎます。
「いい?これだけは覚えておいて。契約というのは、我が身を守る戦いに他ならないの。CYAという言葉を知ってる?」
「CIAですか?」
「シー・ワイ・エイよ。Cover Your Ass(自分のケツを守れ)ってこと。契約はCYAそのものなの。何を伝えるにしても、細心の注意を払いなさい。少しでも曖昧さを残しちゃ駄目。一語一語、どう書くかをしっかり考えるのよ。これは契約書に限ったことじゃないの。Eメールもファックスも同じこと。通信内容はすべて契約の一部と見なされるんだから。口頭だったら多少ソフトなことを言ってもいいの。でも文書にする時は隙を作らないよう気をつけなさい。」

午後一番で、マイクが私のキュービクルにぶらりとやって来て言いました。
「おいシンスケ、今からミーティングがあるんだ。会議室まで来てくれ。」
私が着席するのを待って、会議が始まりました。出席者は10人ほど。そのほとんどが、今日初めて会うか初日に自己紹介しあっただけの人です。今週すべきことについて話し始めたようなのですが、具体的に何を喋っているのかさっぱり分かりません。専門用語の洪水に呑みこまれ、メモを取ることもままならない。あまりにもチンプンカンプンで、そのうち猛烈な睡魔が襲ってきました。太ももをつねって懸命にこらえていたところ、
「で、その件は今どうなってるの、シンスケ?」
という声が聞こえた気がしました。

ハッと顔を上げると、全員が私を凝視しています。完全に虚をつかれました。何を尋ねられたのか分からないのだから、どう答えれば良いかなど分かるわけがない。頭が真っ白になり、自分の顔がみるみる紅潮していくのを感じました。しかしこれは、ビジネススクール時代に何度も経験したこと。腹をくくって開き直るしかない。
「ごめんなさい。聞いてなかった。もう一度質問を繰り返してくれる?」
「土質調査の結果が出なければ仕事が先に進まないのよ。スケジュールはどうなってるの?」
埋設管調査担当のニキータでした。
「先週末、下請け業者に契約書を送ったばかりだから、実際の調査計画はまだ分からないよ。まだ彼らのサインももらってないし。」
「分からないじゃ困るのよ。調査スケジュールが決まらないと、私達の仕事の計画が立たないんだから。」

この時初めて、自分の仕事が既にプロジェクト全体の遅れの原因になっていることを悟ったのでした。会議出席者全員の挑むような視線を浴び、背筋が凍る思いでした。土質調査や測量の結果は設計の前提条件になるため、それを実施する下請け業者との契約締結が遅れれば当然全体のスケジュールがズレこむ訳です。考えてみれば当たり前の話なのですが、まったくそこに思いが至りませんでした。そもそも、契約書に出てくる単語をいちいち辞書で引いているような状態では、仕事が順調に進むはずがありません。こんな立場に長いこと置かれたら、マイクに実力を見せ付けるどころか、首が危ない…。

その晩から、契約書のファイルをモーテルに持ち帰って猛勉強する日々がスタートしたのでした。

2010年5月27日木曜日

What have I got to lose? 失うものなど無いじゃないか。

昨日の午後、上司のリックと話していた際、ふと彼を最初に見た日のことを思い出しました。

私の勤務していた会社は2年前に買収され、従業員数がそれまでの約10倍に膨れ上がりました。ほどなくして、新CEOが旧CEOに連れられて旧本社を訪れ、短いスピーチをしました。我々の元の会社自体がそもそも大手だったのに、これをそっくり飲み込んだ組織の親分とは一体どんな人物なのか、みな興味津々ながらやや緊張し、遠巻きにして眺めていました。スピーチそのものは意外と月並みな内容で、最後に
「以上で私の挨拶を終わりますが、何か皆さんから質問はありますか?」
と新CEOが我々を見渡しました。旧CEOがタイミングを逃さず締めくくりの言葉を述べようとしたその時、後ろの方で手を挙げた紳士がひとり。穏やかな声で名乗り、スピーチへの謝辞を述べた後、自分は2週間前にこの会社に転職してきたばかりでまだ状況を把握しているわけではないのだけれど、あなたは〇〇〇についてどうお考えですか?と的を射た質問を投げかけたのです。

質問の内容こそ覚えていませんが、2週間前に転職してきたような人がよくこの緊迫した状況で発言できるなあ、とその勇気に驚嘆したものでした。それが今の上司リックだったわけです。
「ああ、そのことなら色々な人から同じような感想をもらったよ。」
とリック。
「転職して間もない人が、よくあの場面で手を挙げて話ができるなあ、と本当にびっくりしたんですよ。」
と私。
「僕だってそりゃ緊張はしたよ。でもね、ずっと昔にある人から教えられた言葉があって、そういうチャンスが訪れる度に思い出すんだ。」
「どんな言葉ですか?」
「80歳になった自分が今この場面を振り返ったらどう思うか想像してごらん、ってね。」
「80歳になった自分、ですか。」
「酸いも甘いも経験して来た人生の達人からすれば、そんなのはほんの些細な出来事で、緊張する価値もないんだ。知らない人たちの中で発言するなんて、どうってことないってわけさ。」
「なるほど。」
「君はおそらく観たことないと思うけど、 "18 Again" っていう古いコメディ映画があってね。81歳のじいさんと18歳の孫息子が、交通事故をきっかけに魂だけ入れ替わっちゃうんだ。81歳のじいさんが18歳の肉体を持って学生生活をするんだけど、好きな女の子にずっと声をかけられなかったはずの男の子が、ためらいもなくバンバン口説き始めるんだな。失うものなんか何も無いじゃないか(What have I got to lose?)ってね。」

この have got というのは、日本で習わない英語表現のひとつだと思います。所有を表す have と同じように使われる口語表現なのですが、なぜわざわざ got を加えるのかピンと来ないので、ずっと使えずにいました。しかしこのリックの教えを反芻しているうちに、突然謎が解けたのです。もしもこの場合 have を使っていたら、

What do I have to lose?

となり、「何を手放さなきゃならないんだ?」と、全く別の意味になってしまうのです。

ああすっきりした。この表現はセリフとしてちょっとかっこいいので、どんどん使っていこうと思います。

2010年5月25日火曜日

アメリカで武者修行 第6話 なんだ、スーツ着てきたのか。

朝六時、自然に目覚めた私はスーツに着替えてモーテルを出ました。空はからりと晴れ上がり、11月だというのに通行人は半袖ばかり。南カリフォルニアにいるんだなあ、という実感が再び沸いてきます。朝食にありつくため、隣の敷地にあるマクドナルドまで歩きました。国境近くにあるためか、店員も客もほとんどがメキシコ人です。スペイン語で注文を聞かれましたが、英語の「エッグマフィン」と「コーヒー」は問題なく通じました。

そして午前七時、一時間早い初出勤。オフィスにはまだほとんど人影がありません。マイクのオフィスの隣がケヴィンの部屋で、当面はそこで彼の手伝いをしながら仕事を覚えることになりました。まだ私の机は支給されていないため、椅子に座ったり部屋の中を歩き回ったりして時間を潰しました。少し遅れて現れたケヴィンが笑いながら私の姿を眺めました。
「なんだ、スーツ着てきたのか。昨日言っておけばよかったな。すぐに分かると思うけど、このビルでスーツ姿なのはおそらくシンスケだけだぞ。ポロシャツでいいんだよ。ここは現場事務所なんだから。」

さっそく、会議室でケヴィンからプロジェクトについて解説してもらいました。彼はホワイトボードに青い太字ペンで図を描きながら、組織体制、それから仕事全体について語りました。

これはカリフォルニア最南端、メキシコ国境付近に整備が計画されているハイウェイ建設プロジェクトで、我々は設計を担当するジョイントベンチャー(JV)の一員として働きます。二十年ほど前、サンディエゴ郡最南部に大規模宅地開発と合わせて高速道路を建設しようという話が開発業者と行政との間で盛り上がったのがそもそもの始まりだそうで、連邦政府と州政府から資金が出ることになったものの、それだけでは追いつかず、ほとんどの区間を有料道路として運営し、35年間で資金を回収した後に州に引き渡す計画となりました。

契約形態はデサイン・ビルド(設計施工一体型)。この方式の特徴は、設計が半分も終わらない時点で工事をスタートさせてしまう点です。もちろん、途中で設計に変更が発生しても大きな手戻りにならないよう、慎重にではありますが。工事期間を短縮すればそれだけ儲けになるため、あえてリスクをとるという訳です。
「当然、そんなことは設計屋と工事屋とが絶妙なチームワークを演じなければ出来ない芸当だ。これからどうやってそのチームワークを演出していくのかが見ものと言いたいところだけど、短期間での俺の観察によると、かなり危ういな。」
「仲が良くないってこと?」
「毎週工事屋JV集団とのミーティングがあって、俺も数回参加しただけなんだけど、奴らは一方的に俺達の尻を叩くばかりで、チーム一丸となって進めようなんて気は毛頭ないようだ。ま、そのうちシンスケにも分かるよ。」

「開発事業者のCTBは、外国の投資会社が中心になって作った組織。この事業者から設計施工を一括して請け負った工事屋JVがORG。我々設計JVはORGの下請けということになる。JVはうちの会社ETと、PBという会社とで組んでる。ETは主に橋と上下水道、PBは道路の設計を担当している。今俺がボードに書いた全組織の人間が、この建物に集まって働いてるんだ。名札つけてるわけじゃないから見分けはつかないけどな。」
「こんな小さな建物に?」
「ああ、しかもまだオフィスの内装が全部済んでないから、皆限られたスペースを分け合って働いてるんだよ。」

次にケヴィンは、CTBとORG、そしてORGと設計JVの間に矢印を書き入れました。
「工事屋JVのORGは開発事業者のCTBから設計施工を一括で請負ってる。で、俺達設計JVもORGから設計業務を一括請負してるんだ。」
「一括請負ってどういうこと?」
「合意した額で仕事を終わらせろってことだよ。」
「そうじゃない契約方法もあるの?」
「ああ、成果品を作るにのかかった分だけ金を請求する方法もある。一括請負はリスクも高いけど、効率的に仕事をやれば儲けも大きくなる。」
「それで?僕の肩書きはコントラクト・アドミニストレーターって書いてあったけど、具体的には何をするのかな?」
「当面は下請け業者との契約業務だ。道路設計には測量や土質調査が必要なんだけど、うちのJV会社にはそのセクションがないんだよ。で、そういう仕事は下請けに出すんだ。」
「分かってると思うけど、アメリカで契約に関わった経験なんて全然ないんだ。助けてくれるよね。」
「もちろんだ。下請け契約書の例文が手元にあるから、それを使って一本目の発注を一緒にやろう。」
「で、君の担当は何なの?」
「正式には用地確定だな。高速道路の設計が進むにつれて、どこからどこまで用地が必要になるか分かってくるから、それを正式に決定して書類にするんだ。ただし、今はまだチームメンバーが揃ってなくて人手が足りないから、何でも屋ってとこだな。マイクに頼まれたら何だってやる。君も俺もマイクもET社の社員だけど、実はPBの社員もこのチームに沢山いるんだよ。JVの合意書によれば、損も儲けもPBと6対4の割合で山分けすることになってる。」
「僕達が6?」
「いや、俺達ETは4、PBが6だ。ま、俺達は少数派ってことだな。」
ケヴィンは組織図の下の方に「4:6」と書き足しました。
「少数派ってことが、どう仕事に影響するのかな。」
「いい質問だな。俺にもそれはまだよく分からない。そうだ、多数派の親分のグレッグに挨拶しておいた方がいいな。昨日シンスケがここに来た時には不在だったから。彼はマイクと同じ部屋で働いてるんだ。副マネジャーとしてね。」

「ようこそ。俺がグレッグだ。仲良くやろう。」
昨日はそこに彼の机があることに気がつきませんでした。ラテン系の顔立ち、つやのある黒髪。セールスマンのように爽やかな笑顔。意外に若い外見で驚きました。ケヴィンとともに部屋に戻ると、彼が声を低くして言いました。
「マイクとグレッグはあまりうまく行ってないみたいなんだ。この部屋にいると、話し声が筒抜けでね。二人の言い争いがしょっちゅう聞こえるんだよ。」
「少数派のトップがプロジェクト・マネジャーで、多数派のトップが副マネジャーってとこが複雑だよね。」
「ああ、バランスを取ろうとしてのことなんだろうが、こんなに不仲でこの先大丈夫なのかな、と思うよ。」

午後になってノートパソコンが支給されたので、ケヴィンの机の片隅を使って仕事することになりました。彼からもらった下請け契約書のサンプルをもとに、土質調査会社との契約書作成開始です。英語で契約書を作るのはもちろん、まともに読むのも初めてのことで、知らない単語満載です。電子辞書でひとつひとつ調べながら、何が書いてあるのかを理解しようと努めました。こんなにスローな仕事ぶりで大丈夫なのかな?そもそも何で僕をこのポジションに充てたのかな?と今更ながら不思議に思いながら。

そんな風にして、記念すべき一日目は過ぎて行ったのでした。

2010年5月24日月曜日

リチャードを探せ!

サンディエゴで仕事を始めてまだ二週間も経たぬ頃、ボスのマイクがあわただしく私のところへやって来て、
「俺は今からミーティングに行くんだが、大至急NM社のリチャードに電話して、明日ここで会えないかどうか聞いてみてくれ。」
と頼んで来ました。NM社というのは初耳です。
「リチャード・誰ですか?」
「ロバーツだ。頼むぞ。」

名刺くらい置いていってくれればいいのに、と思いながらまずネットでNM社を探す。見つけた代表番号に電話して、フル・ネームを尋ねます。しかしそんな人はいない、との答え。南カリフォルニア中のオフィスを探してもらいましたが、見つからない。サンフランシスコにもひとつ支社があります。と受付嬢が言うので、一応調べてもらったのですが、やっぱりいない。
「すみませんが、もう一度調べてもらえませんか?」
と重ねて頼むも、リチャードなる人物は名簿に載っていないそうなのです。

さてはボスのマイクが何か勘違いをしてるんだな、とミーティングから戻って来た彼に首尾を報告したところ、
「おかしいな、ディックの奴、突然辞めたのかな。一週間前に話したばかりなのに。」
と呟きながら自分の名刺入れをごそごそ探し始めたのです。
「ちょっと待って下さい。今ディックっておっしゃいました?探してたのはリチャードじゃないんですか?」
と私。マイクは一瞬ポカンとした後、「この外国人めが」という苦笑いを浮かべ、
「ディックはリチャードのニックネームだよ。」
と説明しました。そういえばNM社の受付嬢、しつこく
「ディック・ロバーツのことですか?ディックならサンディエゴ支社におりますが。」
と念押ししてたなあ。
「いいえ、違います。探しているのはリチャードです。」
と、きっぱり否定し続けた私。

マイケルをマイクと呼んだりジョナサンをジョンと呼んだりするのはまだいいとしても、リチャードをディックに変えるのはいくらなんでも反則だろ、と恨めしく思ったのでした。それ以前の問題として、会社の名簿に正式にニックネームを載せるってのはどういう神経なんだ?と激しく違和感を抱いたものでした。

しかしその後、NM社のみならず自分の会社でも更なる反則技を多数目にするようになり、ディックなんて甘い方だということが分かりました。後年の大ボス、スキーは「〇〇〇〇スキー」という苗字からそんな愛称になったそうだし、現在の同僚スキップなんて、まるで手がかりなし。「ただそう呼ばれたいから」つけたニックネームだそうで、さらにややこしいことに、Eメールのアドレスは正式名をもとに設定されているため、メールの送信先が見つからなくて捜索に長時間を費やしたことがありました。社員名簿にはニックネームで登録され、Eメールアドレスと財務データベース上の名前は本名が使われているのです。みんなよく混乱しないよなあ。

そういえば、入社早々提出を促された書類は、氏名・生年月日などのすぐ横に愛称を書くようになっていて、ここはひとつ笑えるニックネーム(サムライとかショーグンとか)を記入してみようかなと暫く迷ったのですが、やめといて良かった~。

2010年5月22日土曜日

たわごとって単数なの?

よく知らない単語をきちんと調べずに使用すると怪我をすることが多いのですが、中でも「複数形のない名詞」というのはやっかいな代物です。苦手としているのが、News。
“That is news to me!” (それは知らなかったな。)
“No news is good news” (便りのないのは良い便り。)

これまで何度も間違えて複数扱いしてしまいました。だって最後にSがついてるじゃん!紛らわしいんだよ!

さて数年前、同僚ケヴィンが私のオフィスにやってきて、我々のクライアントの横暴についてひとしきり不満をぶちまけたことがありました。それも、毒気の強い単語満載で。長時間黙って聞いているだけだった私は、段々居心地が悪くなってきました。
「ここで何も同調しないと、聖人君子ぶってるみたいで感じ悪いよなあ。」
そこで、前々から試してみたかった「crap(クラップ)」を、思い切って使ってみることにしました。
“Yeah, we don’t want to keep hearing such craps!”
クラップとは、「たわごと」という意味。
「なあ、そんなたわごと、もう聞きたくないよな!」
てな調子で吐き捨てたのです。この単語は状況にドンピシャだろ!と、内心手ごたえを感じていました。するとケヴィンが急に真顔になって、
「邪魔したな。じゃ、また。」
と踵を返し、ドアのところで立ち止まって振り返り、
「シンスケ、クラップは単数だよ。(Crap is singular.)」
と一言述べて消えました。ひとり残されたオフィスで、私の顔はどんどん赤くなっていきました。

2010年5月21日金曜日

アメリカで武者修行 第5話 困難な挑戦から逃げようとしている。

「ま、かたい話はこれくらいにして、卒業後どうしてたのか聞かせてくれよ。」
とケヴィンがまたビールを口に運びました。私は退屈な仕事探しの日々について軽く触れた後、彼へのお礼をあらためて表明しました。
「君には本当に感謝してるよ。義理の両親の家で長々と居候を続けるのは、はっきり言って屈辱だった。窮地を救われたって感じだ。それにしてもビジネススクールに入った時、卒業後こんなことになるとは想像もしなかったよ。」
「こっちも同じだよ。この不況は誰にとっても打撃だ。俺も正直、この業界に戻りたくはなかったんだ。自分から辞めた会社に雇ってもらうくらいなら、どうして二年も費やして学校へ行ったのか、と悩んだよ。でも、永遠に無職のままでいるわけにもいかないからな。古巣で働きながら職探しを続ければいいじゃないかって、自分に言い聞かせたんだ。」

ケヴィンの顔を見ながら、彼との長い付き合いを思い返しました。
「憶えてるかな。僕らが最初に話をした日のことを。」
「最初に?」
「うん、統計学の授業が終わった時こっちに近づいて来て、いきなり、君は土木工学科出身だろうって言っただろう。」
「そうだったかな。」
「この男は何を言い出すんだろう、と思ったよ。学校のイントラネットで履歴書を閲覧出来るとはいえ、土木出身なんてことに興味を持つ人がいるなんて思わなかったからね。」
「で、俺がバイトしないか、と持ちかけた。」

そう、彼は大学内の土木工学科で三年生対象の補習授業のアルバイトをしていて、人手が足りないからと土木工学科出身者を探していたのです。
「あの時、誇張抜きで、大学院の勉強で手一杯だったんだよ。教授の英語は聞き取れないし、クラスメートとの議論にもついて行けないし、とにかく毎日もがき苦しんでた。とてもアルバイトする余裕なんてない、と断り続ける僕を、君は何と言って説得したか覚えてる?」
「さあ、なんて言ったっけ?」
「学生たちと話をする必要はない、ただ回答集を見ながら週に三時間くらい宿題の採点をするだけだってね。それで小遣い稼ぎが出来るんだ、こんなうまい話はないじゃないかってね。」
「そうだっけ?まあ、俺の言いそうなことだな。」
「蓋を開けてみると、回答集なんてなかった。正答は自分で考えなきゃいけなかった。週二十時間は費やすことになった。採点中にやってくる学生達の質問にも答えなければならなかった。いや、恨み言を言ってるんじゃないんだ。誤解しないでくれ。むしろ感謝してるんだ。正直、僅かばかりとは言えあの臨時収入は有り難かったし、勉強にもなった。」
「そりゃよかった。」
「しかし、だ。次の学期になって、今度は学生達に教える仕事をしてくれと言われた時は仰天した。日常会話がやっとという僕に、英語で人を教える仕事が出来るとどうして思うのか、不思議でしょうがなかった。それだけは絶対無理だ、と断り続ける僕をどうやって説得したか、憶えてるか?」
「なんて言ったっけ?」
「君ははるばるアメリカまでやって来てMBAを取ろうとしている。何のためだ?将来楽な仕事に就くためか?そうじゃないだろう、難しい仕事をやり遂げられるようになりたいんじゃないのか?なのに今、困難な挑戦から逃げようとしている。それでいいのか?そう言ったんだぜ。」

彼は無言で微笑んでいます。さすがにその発言は憶えているようでした。
「そこまで言われちゃ、男として退けないだろう。勢いで引き受けたものの、あのバイトは本当にきつかった。何を教えればいいのか前日の夜まで聞かせてもらえない、というんだからな。」
「うん、あのバイトはひどかった。それは認めるよ。補習授業だとはいえ、もう少しましなプログラムを組んで欲しかったよな。」
「で、最初の授業のテーマが、何と、ビジネス・イングリッシュだった。ビジネス文書をどう書けばいいのか学生たちに教えてくれってね。しかも、それを告げられたわずか十二時間後に、だ。ゴングと同時にアッパーカットを食らった気分だったよ。そんな授業なら自分が金払って出席したいよ、と本当に泣きたくなった。」
「それでも何とか乗り切った、そうだよな。」
「うん、たまたま買ってあったライティングの教科書から抜粋を作ってね。前の晩は眠れなかった。意外にも、生徒達は集中して聞いてたなあ。」
「そんなもんだよ。」
「正直、君を恨んだことは何度もあった。どうしてこんなことに引きずり込んだんだってね。」
「それでも無事に一学期間やり抜いた。」
「最後に彼らの論文発表を聞いて採点したよね。終了後、講堂の外に立ってたら、学生のひとりが駆け寄ってきたんだよ。彼女、僕の目を見て丁寧にお礼を言ってくれたんだ。あれには感動したな。このバイトやってて本当に良かったって、そう思った。」

ケヴィンとの付き合いはそれで終わりにはなりませんでした。補習授業のアルバイトから足を洗ってわずか半年後、今度は別のアルバイトを一緒にやろうと持ちかけて来たのです。当時オレンジ郡で話題となっていた路面電車導入計画を受け、地元の非営利団体がその経済効果予測プロジェクトを立ち上げることになり、安い労働力であるMBAの学生を使おうと、学生課にバイトの話を持ち込んで来たのです。これに飛びついたケヴィンが是非一緒にやろうと誘って来たというわけです。その二ヶ月前に息子が生まれたばかりだったし、卒業前の一学期は就職活動に専念しようと思っていた私は、今回ばかりはとても無理だと断りました。しかしまたしても、彼の粘りに屈服することになったのです。

「この経験は履歴書に書けるんだぞ。バイトではあるけど、アメリカで仕事をしましたと言えるようになる、またとない機会じゃないか。それに、この仕事を通じて地元での人脈を拡げられるかもしれない。それが就職に繋がるかもしれない。願ったり叶ったりだ。そうだ、君にプロジェクトマネジャーになってもらおう。そうすれば履歴書上も見栄えがいいだろう。」
そうして我々は卒業と同時にレポートを仕上げ、地元企業の人たちにプレゼンテーションをし、有終の美を飾りました。

「思い返すと、君から仕事を紹介されるのはこれが三回目になるんだね。不思議な縁だ。」
「そうだな。全くだ。」
「学生時代の思い出話はこれくらいにしよう。で?君とエリザベスはその後どうなった?」
「うん、この夏婚約したよ。」
「何だって?どうして早く言わないんだよ。僕の思い出話なんか途中で止めてくれれば良かったのに。それはおめでとう!良かったな。」
「有難う。仕事探しをしながらプロポーズする羽目になるとは思わなかったけど、とにかく婚約できた。」
「卒業後に東南アジアを二人で旅行するって言ってたけど、その時プロポーズしたわけ?」
「いや、ニューヨークのテロ事件があったばかりだろう。結局大袈裟なことはやめようって国内旅行に変更したんだ。この旅行でプロポーズを受けるってことは彼女の方でも薄々勘付いてたようだった。」
「どんなプロポーズをしたの?参考までに聞かせてもらえるかな。」
「うん、毎晩ムードのあるレストランで食事したのに、そこではほのめかしもしなかった。そのうち彼女、どんどん不機嫌になってきてね。ちょっと心配になったよ。最終日に山登りに行ったんだ。道中ずっと無言でね。で、山頂に到着した時、記念写真を撮ろうって言ったんだ。彼女がむっつりしたまま、カメラはどこにあるの、と聞くんで、君の上着のポケットに入れといたよ、と答えた。で、彼女がポケットを探る。取り出したのが指輪の箱だった。そういう仕掛けだ。」
「うわっ、それはすごい演出だな。ちょっと涙が出てきたぞ。で、彼女、どうした?」
「その場で泣き崩れたよ。」

「へえ、ケヴィンってそういうロマンチックな人だったんだ。」
妻が電話の向こうで感心しています。モーテルのベッドにあお向けに寝そべり、彼女に一日の報告をしました。
「うん、僕も正直言って驚いた。堅物のイメージが強かったからね。今まで知らなかった一面を見たね。さ、今日はもう寝るよ。初日から眠そうな顔してられないからね。」
「お休み。頑張ってね。」
「うん。早く君たちをこっちに呼べるよう頑張るよ。」

2010年5月20日木曜日

これぞクールな英単語

マリアに「何か、クールな英単語知らない?」と聞いたところ、
「あるある。RADっていうの。」
と、聞いたこちらがビックリするほどの即答が返って来ました。後で分かったのですが、クールな言葉を使いたがる友達がごく身近にいるらしいです。
「何それ?どういう意味?」
「クールとかカッコいいって意味よ。That’s RAD!って感じで使うの。RADICAL(革新的)から来てると思うけど、あまり自信ないわ。」

そういえば、家電量販店のシアーズが、最近TVコマーシャルでこの言葉をシャレとして採用してるのを見ました。

シアーズの社員たちが、ある一軒家に新品の冷蔵庫を搬入して古い方を運び出している。キッチンテーブルに座っている二人の若い兄弟の片割れが、
「で、あれはどこかの海にでも投げ捨てるんでしょ。」
と冷く笑う。するとシアーズの男が、
「いや、シアーズは責任持ってリサイクルしますよ。」
と答える。黙って携帯電話でテキストメッセージを打ってた方の若者が、顔も上げずに
「That’s RAD (そいつはクールだな。)」
と呟く。するとシアーズの男が、
「その通り。これはRAD(Responsible Appliance Disposal)プログラムです。」
とはきはき答える。
「すると、文字通りRADってことだね。」
と最初の若者。
「はい、文字通り。」

RADの意味を知らなければ、面白くもなんともない会話です。これがテレビCMに使われているということは、一般的に流通している言葉なのでしょう。

でも、これ使うチャンスないだろうなあ。いかにも若者言葉って雰囲気だもんな。

Whatnot セリフの最後にワッナ?

上司のリックは、笑顔の優しいナイス・ガイです。最近彼と話していてずっと気になっていたのが、発言の締めくくりにしょっちゅう耳慣れない単語が出てくること。何とか聞き取ろうと気をつけていたところ、どうやら
「ワッナ」
と言ってることが分かりました。WATNAかな?と思って調べると、これはよく交渉術で使われる、Worst Alternatives to a Negotiated Agreementの短縮形。まさかくだけた会話の端々にこんな専門用語は差し挟まないよなぁ。

リックひとりが気に入って使ってる特殊な言葉かもしれないと思い、そのまま追求せずに放っておいたのですが、水曜の電話会議中、複数の人がこの単語を使っているのを耳にしました。あわてて同僚のエリカのオフィスへ行って尋ねてみると、彼女、質問が飲み込めない様子。私が何度発音しても、そんな言葉はない、と言うのです。
「AとかBとかCとか、それからワッナ。そんな感じで使われてたんだよ。」
と説明して初めて、
「ああ、分かった。それ、Whatnot だと思う。」
と答えました。なになに?WHAT NOT?

色々と物の名前を並べた後、最後に「とかね。」って感じで終わらせたい時使う言葉らしいのです。たとえば、
「スーパーに行って、たくさん買わなきゃいけないの。ビールでしょ、枝豆でしょ、塩辛でしょ、それにWhatnot。」

でもさあ、What と Not を繋げるって文法的にどうなのよ?そこへマリアが通りかかったので、
「Whatnotって、使う?私は使うけど。」
とエリカ。
「使うわね。」
とマリア。
「これって、もしかしてクールな英単語?」
と私。ちょっぴり期待して。すると二人が同時に、
「全然。」
と答えました。

そういうわけで、これは「クールじゃないけど知ってた方が良い単語」みたいです。

2010年5月18日火曜日

アメリカで武者修行 第4話 名前、どう発音すりゃいいんだ?

2002年11月1日、初雪舞う朝。義母に持たされたおにぎりを助手席に置き、厚手のコートに身を包んでトヨタ4ランナーのエンジンをかけました。合計約五千キロに及ぶ大陸横断の旅です。激安モーテルで宿泊しながら、雪のちらつくインディアナを抜け、紅葉のオクラホマを越え、土砂降りのテキサスを抜け、アリゾナの灼熱砂漠をまっすぐ貫くハイウェイをひたすら走り続け、椰子の木揺れる緑のサンディエゴに到着したのは11月5日の午後でした。晩秋のミシガンを出発した私は、Tシャツ短パン姿で歩く人たちを見て、とうとう南カリフォルニアに戻ってきたぞ、という実感を噛み締めました。午後三時、予約していた職場近くの安モーテルにチェックインすると、翌日から働き始めることになるオフィスを見に行くことにしました。

メキシコとの国境近くにあるその事務所は、荒涼とした空地にぽつりぽつりと建っている凡庸な平屋建てオフィスビルの一つでした。宅地造成が終わったばかりで建物のない光景は日本で見慣れていましたが、東に向かって三十分も走ればすぐ砂漠、という乾燥地帯だけに、土の白さがやけに眩しく映りました。オフィスに入るつもりはなかったのですが、せっかくだからと受付に行ってケヴィンを呼び出しました。驚いた顔で登場した彼は、右手を差し出して握手を求めました。
「一日早い到着だな。ようこそ。少し待っててくれないか?もうすぐ仕事終わるから、夕飯一緒にどうだ?」
「いいね、これから食べに行こうと思ってたところだから。」
「そうだ、せっかくだからマイクに挨拶して行けよ。明日の朝いきなり会うより気が楽だろ。」
「あ、でも、こんな格好で大丈夫かな。」
オレンジ色のポロシャツとジーンズ姿の私は、第一印象を悪くすることに少し不安を感じていました。
「何言ってるんだ。全然構わないよ。」

「俺がマイクだ。よろしくな。」
デスクの向こうから手を差し出したボスのマイクは、山のような大男でした。厚ぼったいブロンドの口髭をたくわえる一方、頭頂部は少しまばら。50代前半でしょうか。こんな巨体になる遺伝子を受け継いだことを始終呪っているとでもいうような不機嫌面。グレーの特大ポロシャツと綿のスラックスに身を包んだ彼は、どことなく横浜の水族館で見たセイウチを連想させました。彼はまるでしかめ面を続けるゲームの最中なのだというように、一瞬だけぎこちない笑顔を作ってからすぐまた椅子に腰を下ろしました。
「あんたの名前だけど。」
「は、名前、ですか?」
「名前、どう発音すりゃいいんだ?」
「あ、シンスケ、です。」
「ふん、シンスケ、か。綴りからは想像がつかんな。」
「そうですか。よく言われます。」
私の返答から会話を広げようという素振りは微塵も見せず、彼は目の前の書類に目を落としました。何か考えているような表情を浮かべ、それから暫くして私がまだ自分のオフィスの真ん中に突っ立っていることにようやく気付いたとでもいうように、
「それじゃ、明日から頼むぞ。」
と再びぎこちない笑顔を作りました。

「そうか、そういう挨拶だったか。マイクらしいな。」
海に面したレストランバー。ケヴィンが苦笑いを浮かべて言いました。水平線の向こうに夕日が沈みかけています。
「彼は人と話すのがあまり得意じゃないみたいなんだ。」
私は不審に思って尋ねました。
「でも、彼がプロジェクトマネジャーなんだろ。話すのが苦手じゃ済まされないんじゃないのか。」
「その通り。でも、経緯はともかく、彼がプロジェクトマネジャーなんだ。橋の設計を長くやってた経歴を買われたんだろうな。このプロジェクトを始める前は州政府の交通局で役人やってたんだって。橋梁部門の大物だったそうで、これから俺達の設計審査をする人たちに顔が利くからって理由で引き抜かれたと俺は踏んでるんだ。」

ビールを一口すすった後、ケヴィンが真顔になってこう言いました。
「実はな、シンスケの給料の話だけど、俺、悪いけど額を知ってるんだよ。馬鹿げた給料で申し訳ないと思ってる。マイクにかなり強く掛け合ったんだけど、結局押し切られた。」
みるみる顔が赤くなるのを感じました。まさか彼に給与額を知られているとは思ってもみませんでした。
「実力を見極めてからまともな給料を払うっていうんだよ。俺がこの男は優秀だから大丈夫だって言ってるのにさ。」
「有難う。気苦労かけて悪いな。」
「だって俺が紹介した男が安月給だなんて、情けないじゃないか。」
「いや、マイクの言う通りだよ。働きで実力を見せ付けなきゃ。頑張るよ。君に恥をかかせないためにもな。」
「そんな心配は全然してないよ。シンスケならすぐに能力を認められるって。とにかく、給料アップの交渉をする時には俺が絶対力になるから。」
心強い笑顔。彼はどうしてここまで良くしてくれるんだろう?胸が熱くなりました。

2010年5月17日月曜日

恐るべし、ベアリング

漢字の「生」には、訓だけでも11通りの読み方があります。日本語学習者には酷だよね、という話を、先日息子の同級生のお母さんとしました。
「英語って、色々意味はあっても読み方はひとつだから楽よね。」
と言う彼女。確かに。

でもね。「簡単な単語に意味が色々」ってのも、それはそれでキツい場合があるんですよ。私にとってそのチャンピオンが、

Bear

です。子供を「産む」、利子を「生む」、実を「結ぶ」、などは感覚的に何となく分かるけど、憎しみを「抱く」、関係を「持つ」、と抽象性を増して来ると、併走していたランナーにじわじわと距離を離されていくような焦りを感じます。さらに姿勢を「保つ」、態度を「とる」、かばんを「運ぶ」、重さを「支える」、責任を「負う」まで来ると、
「もうやめてくれ~!」
と悲鳴をあげたくなります。しかしそれでも容赦なく畳み掛けてくるこの悪魔の単語。「圧迫する」、「影響がある」、痛みに「耐える」、「我慢する」、などなど。

実は、仕事の現場でよく耳にするのが、この「我慢する」です。電話の相手に、「今調べるからちょっと待ってて。」と断る場合に使えるのが、

“Bear with me.”

これは私も愛用しているフレーズで、とても便利。ちょっと待たせちゃうけどごめんね、辛抱してね、という意味。この単語を他の用法で使った記憶はまだありませんが、これからじっくりと腰を据えてひとつひとつ試して行くつもりです。

実は、このBearがBearingに変化すると、さらに話がややこしくなります。「態度」、「ふるまい」、「関係」、「方面・方角」、「出産」、そして「軸受け(ベアリング)」とてんでばらばらな意味になってしまう。恐るべし、ベアリング!

去年の今頃だったか、長い休暇から戻って来た同僚のシェリルに、
「久しぶり。どうしてる?」
と声をかけたところ、

I’m still trying to find my bearings.

という答えが返って来ました。思わず二度も聞き返してしまいました。この場合のBearingsは、「自分の置かれている状況」という意味で、つまり彼女は、「休み明けでまだ仕事に追いついてないのよ。」と言いたかったのですね。これは「クールな英語表現」に認定していいフレーズだと思います。いつか使ってみたいなあ。

2010年5月16日日曜日

アメリカで武者修行 第3話 その給料、そんなにひどいかね?

「やあ。ケヴィンから聞いたよ。うちのプロジェクトで働く気があるんだって?」
マイクは口をあまり大きく開かずに話すタイプのようで、声が明瞭に届きません。私は一言も聞き漏らすまいと携帯電話の音量を最大にし、耳にぴったりつけました。
「それはもう。」
「専門は土木?」
「ええ、土木工学科を出ました。」
「ケヴィンとはビジネススクールで一緒だったんだって?」
「ええ、そうです。」
「高速道路の設計プロジェクトなんだが、興味あるかな。」
「はい、大いに興味あります。一般道路の設計なら関わったことがあります。是非プロジェクトに参加させて下さい。」
「そうか…。じゃ、そのうち正式に連絡が行くから。」

ほとんど私から喋ることもなく、電話面接はあっけなく終わりました。脇の下にも、携帯電話を握っていた手のひらにも、びっしょりと汗をかいていたことにその時初めて気がつきました。階下のダイニングルームで待っていた妻のところへ行って椅子に腰を下ろし、大きく息をつきました。
「え?もう電話終わったの?随分短かったじゃない。」
「うん、何だか分からないけど、終わったよ。採用されたみたいだ。」
「ほんと?採用するって本当に言ってたの?お給料はいくらだって?」
「それがさぁ、そういう話まで行かなかったんだ。おかしいよね。書類を送るって言ってた。ちょっと待てよ、給料の話をしなかったということは、不採用なのかな?」
「給料交渉なしで採用されるなんてこと、あるかしら?」
「向こうでまた検討して、採用したいということになれば給料交渉に入る、ってことなのかもしれない。ちょっと待ってみよう。」

二週間後、ET社から薄っぺらい封筒が届きました。コントラクト・アドミニストレータという肩書と時給額、給料は二週間毎に支払われるということ、それに有給休暇の日数だけ書かれた契約書が入っています。仕事の終了予定日など、ポジションの安定性を推し量れるような情報は何一つ見当たりません。一方的に条件を提示されたというわけです。こちらの希望する勤務開始日を書きこんでサインし、返送すれば商談成立、不満なら交渉決裂、ということのようです。
「どうしたの?年収はいくらになるの?」
と妻。
「それがね、時給しか提示されてないんだ。」
「時給?何それ、バイトみたい。だけど、それをもとに年収が計算できるわけでしょ。」
「そういうことだよね。でも、有給休暇の分はどう考えればいいのかな?一年に五日あるみたいなんだけど、これ、差し引くのかな。」
急いで二つのパターンを計算し、食卓に集まっていた義理の両親と妻に結果を発表しました。一同無言です。
「で、どうするの?」
妻に促され、私は本心を話すことにしました。
「いくら何でもこの年収はひどいな。日本で十年前に貰ってたのと同じレベルだよ。正直、これじゃ何のために苦労してMBAを取ったのか分からない。飛びつきたくなるような話じゃないのは確かだよ。仕事の内容も契約関係みたいだし。契約なんて一番苦手な分野だもんな。」
みな無言です。
「でも、今この話を断ったり強気の給料交渉に出たりしたら、千載一遇のチャンスを逃すことになるかもしれない。この先どれだけ待てばこれより条件の良いオファーが飛び込んでくるかは分からないし、ひょっとしたら何年も来ないかもしれない。その間ずっとここで居候を続けさせて頂くというのはあまりにも申し訳ないし、第一、一家の主として情けない。まずはこの仕事について実績を積み、もっと条件の良い仕事が現れたらそちらへ移るということにしたいんだけど、どうかな。」
妻がしばらく考えてから口を開きました。
「そうね。確かにあてもなくこのまま仕事を待ち続けるよりもいいかもね。」

その時、ずっと沈黙を守っていた義父が口を開きました。
「その給料、そんなにひどいかね?」
アメリカで十数年も働いてきた彼がこの提示額に冷淡な評価を下すのは明らかだと思っていたので、その反応は意外でした。
「君はこの国で人を唸らせるような実績も強力な人脈もない。英語だってネイティブ並みに流暢だとは言えない。会社側の立場に立って考えてごらん。高い給料を払って君を雇う根拠がどこにあるのかな?友達からの推薦があったというだけで、他のMBAと同じ水準の給料を払うという結論にはならんだろう。それに、これはアメリカで初めて働く人の初任給としては悪くない額だと思うよ。」
自分の思い上がりにこのとき初めて気付き、恥じ入りました。確かに義父の言う通りです。これはまたとないチャンスなのかもしれません。すぐ契約書にサインして会社に送り返しました。そしてその二週間後、正式な採用通知が届いたのです。

就職関連のセミナーや雑誌などで、米国のMBA取得者の七割以上が知り合いのコネで仕事を得ているという話を頻繁に見聞きしましたが、私のケースがそれを裏付けることになりました。企業にしてみれば、時間をかけてどこの馬の骨か分からない輩の身上調査をするより、自社の社員が推薦する人間を雇った方がよほど効率的かつ経済的だということなのでしょう。とにもかくにも、苦しかった就職活動が終了したのです。手放しで喜びたいところですが、このポジションがいつまで維持出来るのか分からない以上、油断は出来ません。様子が分かるまで妻子をミシガンに残し、とりあえず単身赴任することに決めました。

バリバリやってますよ~!

アメリカで働き始めた頃は、朝が苦手でした。寝起きが悪いというのじゃなく、挨拶がしんどかったのです。日本だったら「おはようございます。」と投げかけ、「おはようございます。」と返って来る。あまり考えずに口をついて出るフレーズだし、目や手ぶりで答えてもOKな場面だってある。ですが、こっちだと
“Hey, Shinsuke! How are you?”
と名前つきで、しかも疑問形でやってくるのです。質問されてるんだから答えなきゃならないし、相手の名前を憶えていない場合はそうと感づかれないように振舞わなきゃいけない。

中学時代の英語教科書で、
“How are you?”
“I’m fine, thank you. And you?”
という会話文が出てきたように思うのですが、現実には、こんな一本調子のリアクションばかりじゃ、段々気詰まりになってしまいます。
“Doing great! How are YOU?”
とか
“Excellent! Happy Friday!”
などと数種類の返答を用意しておくことで、何とか苦手意識を克服したのですが、最近すごい新手が登場してきました。

“What are you up to?”

最初に同僚のマークからこれを言われた時はその意図が分からず、何度も聞き返して意味を教えてもらいました。これは、「今何やってんの?」とか「何に取り組んでるの?」という挨拶らしい。

これには弱りました。私は大抵4,5件のプロジェクト分析を同時並行で進めていて、それをいちいち全部説明すると長くなるし、相手が朝っぱらからそんな話をだらだら聞きたいとは到底思えない。もごもご言っている間にうやむやに終わる、というケースが続くうち、何とか短くバシッと切り返せないもんだろうか、と悩み始めました。でも「喉もと過ぎれば」というやつで、答えの無いまま何ヶ月も過ごして来ました。

先週の木曜、朝8時過ぎ。南カリフォルニア地区の上下水道部門長であるクリス(この名前、多いです)が、会議のためにロサンゼルスからやって来ました。私のオフィスを一旦通り過ぎてから戻ってきて、
“Good morning, Shinsuke! What are you up to?”
と笑顔で握手を求めました。

あちゃ~!こんなことならもっと前に模範解答を本気で探っておけばよかったな、と思いながら、またもや口をもごもご。するとクリスが、
“Working hard? (バリバリやってる?)”
と有難い二の矢を放ってくれたので、
“Yeah! Working hard! (バリバリやってますよ~!)”
と答えて難を逃れました。彼は機嫌良く私のオフィスを後にしました。

なんだ、そんなんでいいのか。便利なフレーズをアリガト、クリス。

2010年5月13日木曜日

アメリカで武者修行 第2話 是非紹介してよ、何だってやるよ。

街路樹が秋色に染まった九月のミシガンで、私達は居候生活をスタートしました。大部分の家財道具は荷解きせぬまま地下室に置かせて頂き、一日の大半は二階の部屋に閉じこもってインターネットの採用情報を検索しつつ、履歴書の送り先からの連絡が入るのをひたすら待ち続けました。一週間ほどしたある日、携帯電話が鳴りました。ビジネススクールで同級だったケヴィンでした。
「シンスケ、どうしてる?久しぶりだな。元気だったか?」
「ああ、元気だよ。有難う。相変わらず毎日仕事探しだけどね。そっちはどう?仕事見つかった?」
「ああ、二週間前にようやくね。」
「そりゃ良かった。我々の仲間のほとんどは未だに無職みたいだよ。そうか、君でも苦労したのか。」

バンド活動、サーフィン、アルバイト、起業クラブの活動、そして彼女とのデート。それらをすべてこなしながらも、卒業式では成績優秀者だけが授与される首飾りをガウンの上にかけてもらっていたこの男。彼ほどのスーパーマンでも職探しに苦労したのだと思うと、暗澹たる気分になりました。
「ああ、楽じゃなかったよ。いろいろ回ったけどどこでも断られてね。とうとう最後の手段に出たんだ。」
「最後の手段?」
「うん、元の上司に会いに行ったんだ。」
「ということは、君が前に勤めてたっていう…。」
「そう、ET社の上司だよ。自分から辞めた会社を訪ねて、仕事ないですかって聞くのはあまり愉快な経験じゃなかったね。」
「うん、それは楽しくなさそうだ。」
「でもまあ、当面食い繋ぐための仕事は見つかったんだ。よしとしなきゃ。」
「そりゃそうだよ。無職とは雲泥の差だ。で、職場はどこなの?」
「サンディエゴだよ。メキシコ国境の近く。高速道路の設計プロジェクトなんだけど、興味ある?」
一瞬、耳を疑いました。
「え?興味あるって、どういうこと?。」
「人手が足りなくてね。今のボスが人を探しているんだ。で、シンスケの話をしたら彼が興味を持ってね。それで電話してるんだよ。」

降って湧いた吉報。しかし意外にもこの時、私は自分が怖気づいているのに気付きました。負け戦の連続で自信が萎えていたのか、そんなプロジェクトに参加したとしても一体こんな自分に何が出来るんだろう、とネガティブな思考回路が働き始めたのです。そんな弱気に慌ててブレーキをかけ、張りのある声で答えました。
「是非紹介してよ、何だってやるよ。」
「そうか、良かった。それじゃボスとの面接をセットするよ。まだアーバインに住んでるんだよな?うちの職場までは多分車で2時間以上かかると思うけど…。」
「いや、今、ミシガンなんだ。」
「え?ミシガン?一体全体どうしてミシガンにいるんだよ?」
「義理の両親の家に居候してるんだよ。アーバインでこれ以上あの高い家賃を払いながらあてもなく仕事探しは続けられないと思ったんだ。」
「うん、分かる。そりゃ分かるよ。無理もない。アーバインの家賃は法外だもんな。そうか、それじゃ電話面接をセットするよ。来週の水曜か木曜になると思う。念のため、最新の履歴書を俺のところにメールしてよ。」
「ちょっと待ってくれ。電話での面接は苦手なんだ。相手の表情が見えないってのは何ともやりにくくてね。飛行機でそっちへ行くってのはどうかな。」
飛行機代は痛いけど、顔の見えない相手との面接なんてハードルが高すぎる。この際出費はやむを得ない、と感じていました。
「いや、こういうのは通常電話で済ますんだよ。高い飛行機代を払ったのに不採用になったら最悪だろ。彼が気に入って、実際に会って話したいってことになったら飛んで来てもらうかもしれないけどね。」
「そうか、そりゃそうだな。当然だ。分かったよ。で、そのボスってどんな人なの?」
「彼の名前はマイクって言うんだ。ちょっと変わった男だよ。ラフなタイプっていうか。」
「え?ラフ?そりゃどういうこと?」
「ほら、長いこと工事の仕事をしてきた男に共通する荒っぽさってあるだろう?彼がそういう経歴かどうかは知らないけどさ。人間性がどうっていうのじゃなく、態度や言葉遣いが少しラフっていうことだよ。心配するほどのことじゃない。大丈夫。シンスケはきっと気に入られるよ。」

その晩さっそく英語の想定問答集を作成し、繰り返し繰り返し声に出して面接の練習をしました。「ちょっと変わったラフな男」が、頭の中でもやもやと輪郭を作っては消えて行きました。

2010年5月11日火曜日

ほんとの要因は、枠の外にあったりする。

若手プロジェクトマネジャーのクリスが今日の午後、汗だくのTシャツ姿でオフィスに現れました。
「おお、久しぶり。どうしてた?」
と声をかけると、ちょうど話し相手を探していたところだったようで、
「それが、プロジェクトを止められちゃってさ。」
とため息をつきながら私の隣の仕事机に腰を下ろしました。

彼の担当しているのは、軍の跡地で不発弾を見つけ出して処理するという、危険と隣り合わせのプロジェクト。誰か死んだのか?と一瞬背筋に寒気を覚えながら、何があったのか尋ねると、
「Poison Ivy (つた漆)だよ。」
と一言。はぁ?触れるとかぶれるっていうあの雑草?
「現場でポイズン・アイヴィに触っちゃって、かぶれて痒くなってた社員がいたんだけど、そいつが2週間も黙ってたんだよ。それが今朝になって白状してさ。痒みが消えないどころかひどくなって。」
「あらら。でも、何でそれでプロジェクトをストップしなきゃならないの?」

規則上、現場で作業員の安全や健康を損なう事件や事故があった場合、直ちに報告しなければならないのは鉄則で、これが破られた場合は一旦全ての作業をストップさせられるのですね。
「でもどうしてその人は黙ってたのかな。」
「毎朝のミーティングで、この現場はポイズン・アイヴィが多いから、触ったかもしれない、と思ったらこすらずに水でよく流して、すぐに僕のところまで報告するようにって口をすっぱくして言い聞かせてたんだよ。毎朝、だよ!」

漆にかぶれたくらいの話を秘密にするというその心情が理解できず、さらにクリスの話に耳を傾けました。
「文句タレだと思われたくなかったのと、僕に余計な書類手続きをさせたくなかったから、というのがその理由らしいんだ。」
これには仰天しました。そんな理由で内緒にしてたって?
「それに、彼のお母さんが看護婦やってるから、治療法を教えてもらえると思ったんだって。結局教えられた通りの処置をしても一向によくならなかったんで、白状することになったんだけどね。」

十数人の社員が一日を棒に振ったわけだから、その損害額は馬鹿に出来ません。さらにPMのクリスは、会社の安全管理部門のトップから電話でこんこんと叱られたらしい。私には、「文句タレだと思われたくない」というのが真の動機だという説明はどうしても受け入れられませんでした。するとクリスがこう続けました。
「彼は前の現場がイラクだったんだって。その時相棒がクビにされたらしいんだ。現場での小さな怪我を報告したら上司に怒られてね。文句タレにやる仕事なんかねえって。俺がどれだけ書類手続きに時間を費やさなきゃならないか分かんねえのか!ってね。これがすごいショックだったらしいよ。」

これで初めて腑に落ちました。往々にして、事件の要因というのはプロジェクトの外側にあったりするんだよな。
「全く参るよ。プロジェクト・チームを組む際に、個人個人にどんなトラウマがあるかまでは聞かないしなあ。大体その仕事、うちの会社のプロジェクトでもなかったのにさ!」
反射的に(よくない癖だとは思いますが)、
「で、教訓(Lesson Learned)は?」
と質問してしまいました。彼はちょっと困ったような顔で、
「それがさ、ずっと考えてるんだけど、分からないんだよ。PMとしてやるべきことはやって来たと思うんだ。」

確かに彼は、PMとしての責務はしっかり果たして来たと思います。彼の立場にあったら何が自分に出来たのかを考えても、答えが出ません。今から出来ることはといえば、今回の騒動について皆で繰り返し議論して、再発防止に努めることくらいかな。

イラクでの上司とやら、あんたのせいでクリスが大迷惑を被ったんだぞ。出来ることならば、その男に反省文を書かせたい。

んじゃな!Late!

先日、一年以上前にレイオフされた元同僚のデイヴと久しぶりにタイ料理屋で食事しました。彼は未だに仕事が見つかっていないとのこと。景気が上向いてると言われている一方で、失業率はなかなか下がりません。

自分があの席でどんな発言をしたのか思い出せないのですが、彼が
“Now you’re talking!”
と微笑むのを見た時、そういえばこれ、彼の好きなフレーズだったな、と懐かしく思い出しました。彼とオフィス・スペースを分け合って働いてた頃、幾度となく聞いた言葉なのです。直訳すると、
「ようやく君、話し始めたね!」
かな?自然な日本語にすると、
「そうこなくっちゃ!」
なのですね、これが。おぼろげには理解できるんだけど、このセリフ、とっさに口をついて出るほどには消化出来ていません。

今朝職場で、爽やかサーファー青年のマット(20代)と話す機会があり、彼がこのフレーズを使うことがあるかどうか尋ねてみました。
「大昔に使ったかもしれないけど…。今は使わないかな。」
よく考えてみると、当のデイヴはもう60歳くらいなんだよな。
「クールじゃないってこと?」
「う~ん。僕はクールだと思わないな。」
この一言で、デイヴのフレーズを借用しようという意欲が失せました。

「じゃさ、最近のクールなフレーズ、教えてよ。」
なんだかうだつの上がらないオヤジが居酒屋で若者にからんでるみたいで恥ずかしかったけど、思い切って聞いてみました。
「ええ?クールなフレーズ?あ、あるよ。ひとつだけ。」
「何々?教えて。」

“Late!”

はぁ?ナニソレ。

「サヨナラってこと。See you later とか Good bye. の代わりに使うんだ。」
日本語に置き換えたら、「んじゃな!」って感じかな?

左隣のキュービクルから、同じく20代のリナが
「うん、あたしも使うよ。」
と会話に参加して来ました。右隣のキュービクルで黙々と仕事に打ち込んでいた最年少のクリスに、
「君も使う?」
と声をかけると、マットがふざけた調子で、
「いやいや、彼はウィスコンシンから出てきたばかりだから…。」
とからかいました。かわいそうに、新人社員のクリスは田舎者扱いされて顔を赤らめてしまいました。

う~ん、このフレーズはどうなんだろ。クールなのかもしれないけど、短すぎてしっくり来ないんだよな。それに、いきなり誰かに “Late!” と言われたら、「遅いぞ!」と叱られたようにも取れると思うんだけど…。あまりにリスクが高いので、当面は若者に対象を絞って使うようにしてみます。

それにしても、仕事中に突然赤面させられたクリスには、気の毒なことをしました。

2010年5月9日日曜日

「同じく」って英語で何?

低予算ながら興行的に大成功をおさめた映画「ゴースト/ニューヨークの幻」の中で、とても重要な役割を持つ「決めゼリフ」があります。

恋人役のデミ・ムーアが「好きよ」と言うたび、「同じく」と答える今は亡きパトリック・スウェイジ。この「同じく」が決めゼリフの “Ditto” なんだけど、私はアメリカに来て以来一度もこの言葉を耳にしたことがありません。ほんとに現実社会で使われてる単語なんだろうか?まあアメリカ人女性とそういう仲になることもないから全く同じ状況は訪れないと思うんだけど、「同じく」と言いたい場面ならいくらでもあります。そんな時、 “Me, too.” とか “Same here.” くらいしか手持ちカードのない私は、無理やり文章を作って答えようとするため、本来美しく締め括れるはずの会話を台無しにしてしまうことしばしば。何かクールな単語を仕入れて一発で決められないもんかな、と考えていました。

そこへある日、幸運が飛び込んで来ました。熟練PMのジムと一対一の打ち合わせをした後、別れ際に私がこう言いました。
「あなたと仕事をすることで、毎日何かを学んでいます。あなたのような人とチームを組めるというのは本当にラッキーだと思ってます。」
すると彼がひとこと、こう答えたんです。

“Likewise.”

これ!これなんだよ、ずっと探してた単語は!ジムに抱きつきたくなりました。

そのうち誰かに「君と働けてラッキーだ」とほめられたら、この言葉でクールに返してやろうと思います。

2010年5月8日土曜日

You don't know jack. あんたらなんも分かっとらん

HBOというケーブルテレビ局が製作した “You Don’t Know Jack”という映画を観ました。思わず「うそだろ」とつぶやいてしまうくらいアル・パチーノが老け込んでいて、役のためとはいえ随分思い切った老化だなあ、と感心してしまいました。

パチーノ演ずるJack Kevorkian は実在の医師で、彼が自殺装置を開発し不治の病に苦しむ患者130人以上を安楽死させたかどで投獄されるというお話。医師である彼が何故安楽死を幇助するのか、その真相をむき出しにして観客に叩きつける、という極めて真面目な作品。これを「レインマン」のバリー・レビンソンが作ってるのです。字幕がなかったのでよく分からないところもあったけど、さすがパチーノ、彼のスピーチの迫力ったらもうたまりませんね。

さて、このタイトル「あんたらジャックのことを分かってない」というのは実は「あんたらなんも分かっとらん」との洒落で(と私は理解してます)、「ジャック」には「まるで何にも(nothing at all)」という意味もあるのです。ビジネススクール時代、
“He doesn’t know jack.”
という表現を頻繁に耳にし、そのたびに
「ジャックって何?」
と尋ねていたのですが、誰ひとりとして答えられませんでした。ほんと、俗語を多用する奴に限って語源を知らないんだよなあ。

で、さきほどネットで調べました。もともとは70年代にアメリカ南部の若者の間で流行っていた言葉「jack shit (ノータリンとか大馬鹿とかいう意味)」
から派生したようで、最近では
「jack ass (同じく、間抜けとかばかという意味)」
の方がよく使われてるみたい。少なくとも私はたびたび聞いています。

意表をつかれたのは、この場合のジャックが「Jack」じゃなくて「jack」だということ。男の名前のJackが使われてるのだと思い込んでいて、心の中でずっと「ジャックのうんこ」「ジャックのけつ」と訳してたんです(気の毒なジャック…)。名前のジャックじゃなければ一体何なんだ?

結局、どこを探しても満足のいく解説は見つかりませんでした。南部の若者が何故そう言うようになったかなんて、きっと永遠に解明できないでしょうが、私は二つの説を唱えることにしました。
1. ジャックアップ(jack up)などといわれるように、jack(ジャッキ)には起重機という意味があります。重たいものを持ち上げるような仕事をする、肉体労働者を馬鹿にしてjack と呼ぶようになった。
2. コンセントを差し込む穴もjackです。それ自体では何もできないうつろな空洞を、「脳みそゼロ」という風に置き替えた。

どちらかと言えば二番目の説が好きです。これ、南カリフォルニアでひろめようかな。

2010年5月7日金曜日

アメリカで武者修行 第1話 あなた、何が出来るの?

2002年6月、晴れてカリフォルニア大学アーバインのビジネススクールを卒業しました。これでようやくMBA取得です。受験勉強に明け暮れた日々を含め約四年間の苦労が、この日ようやく報われたのです。房のついた黒い角帽とガウンを纏って講堂の壇上へ進み、学長から修了証書を渡されると、級友達が一斉に口笛と拍手、それから怒号のような足踏みで祝福してくれました。壇から降り、冗談を飛ばしながら仲間の一人一人と握手を交わしていると、教授の英語が一言も聞き取れないことに気付き愕然とした初日の記憶が蘇ってきました。そして、我ながら二年でよくここまで成長したもんだと誇らしい気分になりました。会場には、受験生時代から私を支え続けた妻が生後七ヶ月の息子を胸に抱き、彼女の両親とビデオカメラを回したりカメラのシャッターを切ったりしています。講堂を出ると、抜けるような青空に目がくらみました。今度は私が息子を抱いて妻と三人、記念撮影です。

しかしそんな晴れがましい日にあってさえ鉛のように私の心を曇らせていたのは、就職先が未だに見つからないという現実でした。14年勤めた会社を辞して日本を飛び出した私は、間もなく40歳の声を聞こうとしていました。たとえ帰国したとしても再就職が容易でないことは分かっています。留学生活スタート時点では太平洋を挟んでの別居生活だった妻にも結局仕事を辞めてもらい、東京のアパートを引き払って生活拠点を米国に移しました。二年目の秋には息子も生まれ、家族三人の南カリフォルニア生活が始まったばかり。年間を通して温暖で海が近く、子供を遊ばせるスペースには事欠かないこの生活環境を捨てるのは何とも忍びがたい思いでした。そんな時、運良く永住権を取得し、米国で就職するための最大の障害は取り除かれました。しかし何と言っても、日本にいた頃から抱いていた「組織に依存して生きるのではなく、組織から求められる存在にならなければ」という強い意思が、この挑戦を後押ししたのです。

しかし現実は甘くありませんでした。折からの不況で米国は未曾有の就職難。級友達も、卒業時点で就職が決まっていたのは三割程度でした。前年の秋に就職活動を始動した私は、卒業に至るまで来る日も来る日も履歴書を書き直し、送りつけた先は百箇所を超えました。土木工学科出身、都市開発事業に十四年間従事、という経歴は誰の目にも魅力的には映らないようで、たまに届く返事は「コンピュータで図面が描けますか。描けるなら連絡下さい。」という質問ばかり。製図をするためにMBAを取ったわけじゃない、と妻にぼやくことしきり。履歴書発送以外にも、ネットワーキングのため初対面の人だらけのランチパーティーに飛び込んだり、日系企業の交流会に乗り込んだり、いくつもの人材派遣会社に登録したり、ヘッドハンティングのプロに売り込みの極意についてご教示を仰いだり、地元市役所におしかけて仕事がないか尋ねたり、とあらゆる手段を試しました。しかし正式な面接まで漕ぎ付けたのはわずか二件。ひとつ目は地元オレンジ郡の交通局。三人の面接官から次々と質問を浴びせられ、十問目くらいまでは無難に進んだのですが、
「高速道路設計の経験はありますか?」
という問いに
「ありません。一般道路の設計になら関わったことがありますが。」
と答えると、彼らは互いに目配せを交わしました。誰がこんな奴を面接に呼んだんだ?とでも言いたげな表情で。

二件目は、環境保全技術に力点を置いた設計コンサルティング会社。
「あなた、何が出来るの?」
という問に対し、
「利害の異なる様々な人々の意見を調整し、プロジェクトを進めることです。」
と答えると、面接官は、この男は質問を聞いていなかったのかな?という面持ちで、
「で、何が出来るんですか?」
と同じ質問を繰り返しました。

せっかく電話をもらっても、面接まで至らず破談になったケースは無数にありました。受話器の向こうから飛んでくる「何が出来るんですか?」の質問に、説得力ある返答ができず、そのまま電話を切られるというパターンです。日本で14年間やってきた仕事を一言で表現するとすれば、「コーディネート業務」。大規模な都市開発プロジェクトをいくつか担当し、地元の自治体や代議士、進出企業、地域住民や新しく住む人、環境保護団体のメンバー、その他大勢の関係者と意見のすり合わせをしながら仕事を進めました。組織を辞めるその日まで、自分の仕事に誇りを持っていたし、この経験はきっと自分の強みになると信じていました。ところがアメリカでの職探しの過程で思い知らされたのは、「自分には得意技がない」ということでした。企業がコーディネート業務の経験を強みと思っていないのは明らかで、それを評価してくれる可能性のあった唯一の候補、地元市役所からは、
「アメリカの役所で働いた経験のない外国人をぽんと雇うわけにはいかないよ。アルバイトから始めるというのなら別だがね。」
というコメント。言われてみれば彼らの言う通りです。しかし私も妻子ある身。二束三文のアルバイトからスタートするなんて出来るわけがありません。

卒業から三ヶ月過ぎた時点で何のあてもなく、これ以上無職のまま家賃を払い続けるわけにはいかない、と夫婦で話し合った結果、ミシガンにある妻の実家で居候をさせてもらうことになりました。彼女の父親はもともと駐在員としてデトロイトで勤務していた商社マン。退社後も地元でコンサルティングをやっている人です。英語の達人で、私はビジネススクール受験時代から論文の添削等でお世話になっていました。まさか働き口がなくて居候させて頂くことになるとは予想もしていませんでした。

アメリカで武者修行 序章

アメリカでMBAを取ったら、日本に帰ってどこかの組織で知識を活かそうとぼんやり考えていました。しかし留学二年目に一念発起し、まずはしばらく居残って武者修行してみようと方向転換。米企業に就職して既に7年半が経過しました。この間、言葉の壁は言わずもがな、カルチャーギャップ、仕事の進め方の違いなどを乗り越えながら、多くのことを学びました。特に、「プロジェクトマネジメントとは何か」というテーマを深く考えるようになりました。

このお話「アメリカで武者修行」は、当時ごく近しい人宛てに送っていた手紙を大幅に加筆修正したものです。加筆部分は記憶をたぐり寄せて書いたものだし、組織名なども変えているため、「事実をもとにした創作」と考えていただくのが良いかもしれません。

加筆を始めたばかりで見切り発車するので、途中息切れするかもしれませんが、焦らずゆったり書き進めて行こうと思います。では始めます。

Push the envelope. 限界超えてもうひとふんばり!

10年以上前からよく耳にしてきた表現に、

Push the envelope.

というものがあります。直訳すると「封筒を押す」となるのですが、正直、ナンノコッチャ、です。で、具体的にはどういう場合に用いられるかというと、
「うちの部門の業績は良好だ。皆よくやってくれている。しかしこの厳しい競争環境では一時も安心は出来ない。残業続きでいっぱいいっぱいなのは承知の上だが、ここが正念場だ。We have to push the envelope!」

ま、限界だと言われているラインを越えてもうひと踏ん張りせよ、ということですね。しかしまたなぜ「封筒」なのか。いや、もっと深刻な疑問は、「どうして定冠詞のThe がここに来るのか」です。だって定冠詞を使うってことは「特定の」封筒を差しているわけで、突然こんなこと言われても「どの封筒の話をしてるんだ?」となるでしょ。Push an envelope ならまだ文法的に納得できる。意味は分かんないままだけど…。

で、ようやく本日、腰を据えて調べてみました。おかげで十年来の疑問が氷解しました。

このenvelope は、封筒のことじゃなかったのですね。もともとは航空技術用語で、安全航行を確保するためにスピードやエンジン出力などの多様な要素の組み合わせをグラフにすると、どうしても超えられない曲線が描かれる。この線と座標軸とで囲まれた部分をenvelope と呼ぶのだそうです。1979年発表の小説「ライト・スタッフ」の中で、飛行訓練に関してよく使われる表現に“pushing outside of the envelope” というものがある、という記述があり、これが一般の会話に浸透していく中でいつのまにか “outside of” が落ちてしまった、というのが本当の語源らしい。

腑に落ちました。もう使えるぞ、このフレーズ。

月夜にもうひと頑張り Moonlighting

夫婦でファイナンシャル・プランナーの資格でも取ろうか、と話してます。あるプログラムに参加して猛勉強すれば数ヶ月で取れそうだというので、昨日申込書に必要事項を記入していたところ、
「現在のお勤め先」
という項目が出てきました。会社名を記入した後、ふと不安が胸をよぎりました。
「あれ、うちの会社、兼業規制とかあったかな?もしあったらやばいな。サインする前にちょっと聞いてくるわ。」
このプログラムに参加するということは、ある意味雇用される身分になるらしいので、今勤めている会社が兼業を許さなければ問題になります。

さっそく昨日、総務のステイシーを訪ねました。
「教えて欲しいんだけど、もうひとつ別の仕事を持ってもいいかどうかって、会社にルールあったっけ?」
心得たもので、彼女は質問の動機に深く立ち入ろうともせず、
「あ、Moonlightingのことね。」
と自分の本棚からルールブックを取り出しました。

そうそう、確かにそういう表現あったな。聞いたことはあるけど使ったことのない単語のひとつ。ムーンライティング(「月光」から出来た動名詞)とは副業のこと。本業が終わった後、つまり夜間に働くことからそう呼ばれるようになったらしい。
「ああ、あったあった、ここ。」
該当ページを差し出して、
「今やってる仕事と利害関係が生じるとか、この会社の情報を外に漏らすとかしなければ大丈夫よ。」

というわけで、Moonlightingオッケーです。

2010年5月5日水曜日

それがわたしの牛肉ね。That's my beef.

同僚のエリカが、数年前にひどく嫌な思いをさせられた男性社員の話をしてくれました。妹を紹介してくれとしつこく迫られたり、君の使ってる化粧品はどこで売ってるの?と聞かれたり(この質問はとても気持ち悪かったらしい)。極めつけは、職場の空調施設を改善してほしいよね、と話しかけられたので同意したら、勝手に連名で上司宛の一斉苦情メールを出したとか。
「いろいろあったけど、その事件が私のメイン・ビーフ(main beef)ね。」
とエリカ。
「え?ビーフ?メインの牛肉?どういうこと?」
「ううん、いいの。なんでもない。」
「教えてよ。何でビーフなの?」
あまりしつこく聞くと嫌われそうなので、自分のオフィスに戻ってインターネットで調べました。

ビーフとは俗語で、文句とか不満とか不平という意味だそうです。語源を調べたんだけど見つかりません。牛肉がどうしてそういうネガティブな意味合いで使われてるのかは全く謎です。ビーフ・アップ(beef up)という時は「増やす」とか「強化する」というポジティブな意味なんだけど。

こういう、陰陽両方に使われる語源不明な単語って、試しにくいんだよなあ。いつかさらっと使える日がくるのかしら。

2010年5月4日火曜日

ヒデキ、感激!

先週、二年前一緒に仕事した仲間で集まって食事する、という会がありました。私の左隣に座ったのは熟練エンジニアのボブで、彼が近況報告のひとつとして娘さんの進学のニュースを披露しました。
“She's decided to go to the University of XXX.”

最後のところが聞き取れなかったので、「え?なんていう大学?」と尋ねました。もう一度言ってくれたのですが、やっぱり聞き取れない。あと2回だけ繰り返してもらって、とうとう諦めました。こんなにしつこく聞くのは、「そんな学校知らないなあ」と言ってることになって失礼かも、とか思いながら。

で、右隣に座っていた熟練マネジャーのジムに、
「ボブは何大学って言ったの?スペル教えてくれる?」
とこっそり尋ねました。
「V E R M O N Tだよ。」
え?バーモントって言ってたの?あのハウスバーモントカレーの?
発音全然違うじゃん。カタカナで書くと

ヴマン

何回聞いても「ラマン」にしか聞こえなかった。そう、「愛人ラマン」の。

日本のコマーシャルで忠実に発音してたら、カレー売れてなかったと思います。

2010年5月3日月曜日

分子美食学 Molecular Gastronomy

今朝、同僚のマリアが開口一番、「昨日の 60 minutes 観た?」と興奮を抑えきれない様子。これはアメリカ人なら誰でも知ってるCBS局の報道番組で、こないだ観た “The Insider” という(アル・パチーノとラッセル・クロウ出演の)映画にも出てきました。

我が家はケーブル加入してないので、ここ何年もまともにテレビを見ていません。でもさすがに興味をそそられたので、さっそくCBS局のウェブサイトへ。20年前にスペインから渡米したシェフがレストランを開き、これまでに誰も作ったことのないような奇跡的な料理を出しているという話でした。

彼の料理はどれも小ぶりで美しく、口に入れた人が皆「ワオ!」と目を見開いて暫く黙ってしまうとか。番組コメンテーターのアンダーソン・クーパーに、「これ食べると人生変わりますよ。」と微笑みながら小皿を差し出し挑むシェフ。すごい自信だ。

この自信を裏打ちするのが、たゆみない研究の積み重ね。Molecular Gastronomy という分野を切り拓いた人だそうで、直訳すると分子美食学。味、温度、触感、様々な感覚を突き詰め、至高の組み合わせを設計する。料理はサイエンスだ、と彼は言うのですが、そんな能書きよりもとにかく一口ちょうだい、と言いたくなる。

この人のレストランは現在全米に8店あるのですが、どこも予約を取るのが極めて困難だそうです。生きてるうちにありつけるだろうか…。Gastronomy という単語は初めて聞いたんだけど、調べてみたらGastro- は「胃の」という意味だそうです。そういえば以前胃カメラ呑んだ時にGastro Camera って言ってたかもな。

Gastronomy。そのうち使うチャンスがあるといいな、と思った単語でした。

2010年5月1日土曜日

Feather In

工事監理部門のエースである同僚のトムは、堂々たる体躯に似合わず、うっとりするくらい繊細な言葉遣いをします。彼と話していると、いつの間にか仕事の内容よりもその英語表現に注意が向いてしまいます。水曜の午後、工事のスケジュールを更新していた際、
「今朝、エリックと俺とで工事終結フェーズだけのスケジュールを作っておいたぞ。奴がそれを今から持ってくるから、君のマスター・スケジュールにfeather in してくれる?」
「Feather In? その表現、初めて聞いたよ。どういうこと?」
「Feather (羽根)がどんな感じか思い浮かべてみてよ。柔らかくメッシュ状に組み入れるって感じかな。」
「いいねえ。クールな表現だなぁ。」
「ありがと。」

さっそく電子辞書で調べたけど、そんな表現は見つからない。
「辞書に載ってないんだけど。」
「え?そう?じゃ、アメリカ英語なんだろうな。この国じゃ、色んなカルチャーを取り入れて言葉がどんどん出来てるから。言っとくけど、俺だけが使ってる表現じゃないぞ。」
そこへPMのエリックが書類を手にやってきたので、
「エリック、それが工事終結フェーズのスケジュール?このマスタースケジュールにfeather in するわけ?」
と聞いてみたところ、戸惑いもなくちゃんと通じました。この二人だけに通じる表現だとは思えないので、きっと一般にも通用するのでしょう。これからちょくちょく使おう。

ブログをスタートします

アメリカに渡ったのが2000年の8月1日。もうすぐ10年が経過します。最初は日常会話もおぼつかず、ただただ必死に毎日を送っていましたが、今では米企業の一社員として普通に働いてます。人間、10年先に何をやってるかなんて本当に分からないもんだな、と思います。

さて、このブログをスタートしようと考えたのは、次の三つの理由からです。
1.米国で長く仕事してみて、現在PMI(プロジェクト・マネジメント協会)が世界に広めようとしている知識体系が、実はアメリカ人の働き方を前提にしているのだということが分かってきました。PMPの試験勉強をしていた時どうもしっくり来なかったのはそういうわけか、と。で、日本で受験を控えている人たちに私の体験を知ってもらうことで、少しでもお役に立てたらいいな、と思うのです。
2.毎日のように、結構クールな英語表現や単語に出くわします。自分の備忘録がわりにそれを書きとめておきながら、同時に英語に興味がある人の役に立てれば、と思っています。
3.私の毎日の体験を紹介することで、将来アメリカで働いてみたいと考えている人の参考になるかも、と考えたわけです。

ということで、ブログのスタートです。あまり焦らず、自分のペースで楽しく進めて行きたいと思います。