2017年8月13日日曜日

プロジェクト成功の秘訣

月曜の3時半。私がリーダーを務めるプロジェクトコントロール・チームの、6人目のメンバーを選ぶ二次面接がありました。私とシャノン、若い部下のカンチーとアンドリュー、そして大ボスのテリーが、小会議室で候補者を出迎えます。と言っても今回一次面接を突破したのは、現在地元の銀行に勤める大卒二年目のテイラーただ一人。驚くべきことに、ポジション獲得にかける真摯な熱意を感じさせてくれたのは彼女だけでした。大抵の候補者は自分自身の売り込みに忙しく、肝心の業務や役割に対する興味をアピールしそこなっていたのです。

「職務内容を読んでものすごく興奮したんです。これこそずっと自分のしたかったことだって!」

と、一次面接で彼女が見せた目の輝きは、強く印象に残りました。

実は既に彼女の採用は決定していたのですが、メールで通知するという味気ないプロセスを避け、チーム全員に会わせた上で直接オファーレターを手渡そうという目論見で招いたのです。もちろん皆にはダンマリを通してもらい、彼女には本当に二次面接だと思いこませてのこと。

「今度の面接には上層部からも面接官が参加するから、質問を沢山持って来てね。」

と予めメールしておいたのですが、彼女が手書きの質問で二頁を埋め尽くしたノートを手に現れたのには、再び感心。

他のメンバー達に質疑応答を任せ、私はテイラーの受け答えの様子をつぶさに観察していました。まるで大人になった「長靴下のピッピ」という感じの、好奇心みなぎるそばかす顔。ひとつひとつの質問に全身の神経を集中させて聞き入った後、消防ホースのような勢いで回答を浴びせ返す。聞き手に回っている間はやや心細げに見える彼女のおちょぼ口は、その大量のエネルギーを放出するにはいささか小さすぎる、といった格好。

「私たちからの質問は以上だけど、シンスケから最後に何かある?」

とシャノン。ひとつだけあるよ、と私が応じます。

「前回も似た質問をしたけど、プロジェクトの成功のために一番大切なことって何だと思う?コミュニケーション以外で答えてね。」

トリッキーな質問ですが、これには理由があったのです。一次面接の定番だったこの「プロジェクト成功の秘訣」クエスチョン。なんと全ての候補者が、判で押したように「コミュニケーション」と答えていたのです。これにすっかり飽き飽きしていた私は、捻りを加えた上でもう一度投げ込んでみた、というわけ。さあどう打ち返す、テイラー?

「それは良い質問ね、シンスケ。私も一番大事なのはコミュニケーションだと思うけど、二番目って何かしら。」

と、左隣で大ボスのテリーが、天井を見つめて黙りこみます。当のテイラーは、小さな口を一秒ほど堅く結んだ後、

「スコープとバジェット(予算)とスケジュールの管理だと思います。」

と答え、それからエネルギッシュに補足説明を開始しました。

“No, that’s a wrong answer.”
「いや、その解答は間違いだね。」

ここで静かに彼女を制する私。ギョッとして振り向くテリーの顔を視界の端に左端におさめつつ、テイラーの様子を窺います。あからさまに当惑して発言に急ブレーキをかけた彼女でしたが、ようやく気を取り直してこう問いかけました。

「すみません。正しい答えを教えて頂けますか?」

この素直な切り返しに満足しつつ、私が答えます。

「プロジェクトの成功にとって本当に大事なのはね、強力なプロジェクトコントロール・チームの存在なんだよ。」

ここで笑いが起こる予定だったのですが、テイラーの緊張が部屋の空気を張りつめさせていたのか、リアクションは薄いまま。

「君は今、プロジェクトコントロール・チームに入ろうとして面接を受けているんだろ。だったらここは、そう解答しておくのが妥当ってもんじゃないか。」

ああなんだ、そういうオチね、と一同の緊張が若干和らぎましたが、それでもまだ完全には意図が伝わり切っていない模様。

“I was just kidding. Your answer was fine.”
「冗談だよ。君の答えは良かったよ。」

やっと手の内をさらしたところ、

“Shinsuke does this."
「シンスケってこういうことするのよね。」

と苦笑いでフォローするシャノン。


調子こいてウケを狙った結果、コミュニケーションをしくじっちまいました…。


2017年8月5日土曜日

Xanadu ザナドゥ

ここのところ、15歳の息子はテレビドラマ・シリーズ「Game of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)」に がっつりハマっていて、こちらがちょっと油断すると、この作品がどれだけ面白いかを興奮して語り始めます。

「何度も言ってると思うけど、その話やめてくれる?」

その度にうんざりして制止する私。ひと月ほど前、彼にクライマックスシーンの抜粋をYouTubeで見せられ、そのあまりの残虐性に辟易してしまったのです。架空の大陸を舞台に、戦いに明け暮れる人々を描くドラマ。王位を巡る内紛や外敵の脅威などが何百何千という登場人物を動かし、夥しい数の人々が死んでいく。愛する肉親、兄弟、妊娠中の若妻など、たとえどんなに視聴者からの支持が厚いキャラクターでも、とんでもなく理不尽で残忍な殺され方をする。

「それだけじゃないんだよ、このドラマのすごいところは。プロットが抜群に面白いんだってば。」

「分かった分かった。でもパパはこの手の作品、当分遠慮させて頂くよ。惨たらしいシーンの連続を楽しむだけの心の余裕が無いんだ。」

そうなんです。過去二週間、この国で働き始めて以来最高の多忙さを味わって来た私。上下水道部門、環境部門、建築部門がそれぞれ獲得を目論む三つの巨大プロジェクトがほぼ同時期に計画されており、それら全てのプロポーザル・チームに参加を要請された私は、次々と雪崩れ込む膨大な短期集中作業に日々忙殺されます。平日の長時間残業はもちろんのこと、土日もぶっ通しで働きまくる。

今週火曜は、オレンジ支社へ出張しました。四階の役員会議室で環境部門の重鎮たちと戦略を練りつつ、時々抜け出して二階の小会議室に顔を出します。ここでは建築部隊の作戦会議が進行中。次に一階のジャックを訪ね、上下水道部門のプロポーザルについて打合せ。そして再び四階へ。以下、繰り返し。

建築部門のPMジョニーは、一年半ほど前に彼のプロジェクトのサポートを始めて以来の付き合い。実際に顔を合わせたのは過去三回ほどですが、毎週の電話会議で築き上げて来た信頼感からか、

「今回のプロポーザル話が持ち上がってチームメンバー選びを始めた時、真っ先に名前が浮かんだのがシンスケだったんだ。」

と嬉しい言葉をくれました。我々が今回獲得を目指すのは、クライアント名も業務内容も他言無用の極秘プロジェクト。オレンジ支社に設置された作戦会議室の扉には、「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙。作業開始から間もなく、サンディエゴで働く私の元に、ジョニーからメールが入ります。

「プロジェクトのコードネームはXanaduに決まったから、今後の交信ではこの名前を使ってね。」

おお、Xanadu(ザナドゥ)!この単語を目にした瞬間、自動的に頭の中でカラフルなジュークボックスが起動。キラキラしたシンセ・サウンドに彩られた、心浮き立つイントロがスタートします。

1980年公開の同名映画で主題歌として使われたこの曲は、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のジェフ・リン作、オリビア・ニュートン・ジョンのボーカルで知られています。学生時代に大流行した際、そのずっと以前からELOのファンだった私は、「みんな何を騒いでるんだね。ジェフ・リン節のスゴさに今頃気が付いたのか?」と、人知れず得意顔。同時に、Xanaduを「ザナドゥ」と発音することに驚きを感じていました。X(エックス)で始まる単語をザって読むのか、知らなかったぜぇ!

「建築部門のプロポーザル・チームに参加することが決まった。コードネームはザナドゥって言うんだ。内容はまだ話せないんだけどね。」

と、もったいぶって部下たちに打ち明けたところ、皆キョトンとしています。

「え?ザナドゥって言葉知らない?」

首を横に振る部下たち。

「エレクトリック・ライト・オーケストラは?オリビア・ニュートン・ジョンは知ってるよね。」

まだ二十代のカンチーとアンドリューは、このおっさん急に何をわけの分からないことを喋り出したんだ?と当惑気味に私の顔を見つめています。オリビア・ニュートン・ジョンは知ってるわ、と救いの手を差し伸べる、やや年齢の近いシャノン。「フィジカル」って曲がヒットしたのよね、と。

昼休み、ランチルームで近くに座っていた古参社員のビルにこの話題を振ってみました。すると彼は間髪入れず、

「コールリッジの詩に使われてたあれだよな。」

と、早口に朗詠を始めました。

In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome decree
Where Alph, the sacred river, ran
Through caverns measureless to man
Down to a sunless sea.
ザナドゥにクーブラ・カーンは
壮麗な歓楽宮の建設を命じた
そこから聖なる河アルフが流れ
測り知れぬ数々の洞窟を抜け
日の当たらぬ海へと注いでいた

「え?そんな急に暗誦出来るほど有名な詩なの?」

白髪頭のビルは、その歳に似合わぬはにかみ笑いを見せてから、

「いや、高校の授業で習った時に丸暗記して以来だよ。」

と肩をすくめます(きっと、日本で言えば平家物語「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」みたいな、「皆さんお馴染みの」一節なのでしょう)。大いに感心する私を見て気を良くしたのか、更にその博識ぶりを披露するビル。

「ザナドゥってのは、チンギス・ハンの孫フビライ・ハン(kubla khan)が、モンゴル帝国を統治していた頃に作った壮大な都のことなんだよ。13世紀にここを訪れたマルコポーロがそのきらびやかな宮殿の様子を旅行記に描いたことで、ヨーロッパ中にその名が轟いたんだ。帝国の衰退とともに人がいなくなってただの草原に戻っちまうんだが、19世紀にコールリッジが書いたこの詩で、再び有名になる。今じゃ、夢とか幻とか伝説上の都市っていうイメージで使われる言葉になってるね。」

殺戮戦争の果てに巨大化した帝国の栄華を象徴する、絢爛豪華な都。それが姿を消した今でもなお、亡国の記憶を辿るよすがになっている。虚しくも美しいマボロシの都市…。私が訳すとすれば、こうなります。

Xanadu
ザナドゥ、伝説の都

それにしても、若い部下たちが同名のヒット曲どころかその単語すら知らないというのは、ちょっとショックでした。まさに「伝説」だなあ…。

翌週、オレンジ支社へ出向いて作戦会議室でジョニーに質問を浴びせかけていたところ、彼の返答が時折、不自然に淀むことに気付きました。そのまま構わず会話を続けたところ、遂に決心がついたようで、シンスケ、今なんて言ったの?と尋ねるジョニー。

「え?ザナドゥっていうのが今回のプロジェクト名なんじゃないの?」

すると彼はパッと顔を輝かせ、

「あ、そう発音するのか!どう読めばいいのかなあってずっと考えてたんだよね~。」

と笑います。思い切りズッコケる私。

さて、このザナドゥというプロジェクト、私が担当したのは積算です。ジョニーが技術チームリーダー達から集めて来た見積もりを私が集約し、感度分析などを繰り返してまとめあげるという役回り。エクセルを使ってコツコツ数字を積み上げていた時、彼が転送して来たメールにショックを受けます。

「○○ドル以上の入札に際しては、会社指定の特別ソフトを使って見積もりを行う決まりになった。今後はその様式で提出するように。」

去年の春に流された、上層部からの通達です。スクロールしていくと、幾度もの転送を経てジョニーの元に前日届いた様子が見て取れます。通達がPMレベルまで到達するのに一体どうして一年以上もかかるのか?これは、トップがコロコロ変わって来たことに起因すると言っても過言ではないでしょう。我が社は過去十年、毎年数社のペースで買収を重ねて行き、巨大企業に膨れ上がりました。その過程で各部門のトップ人事は混迷を続け、時々、今は誰が親分なの?と大真面目に質問しなければならない有様。情報が組織内で滞ったって、何の不思議もありません。

「入札日まであと一週間というタイミングで新ソフトの使用を義務付けるなんて、ムゴ過ぎるでしょ。今から使用法を学ぶ余裕なんか無いよ。」

とジョニー。これに対し、

「そうだね。でも会社の決まりなら仕方ないじゃん。」

と日本的な諦観を示す私。ところが、

「いや、なんとか特例措置をお願いしてみる。」

と、思いつめた様子のジョニー。そしてその日の深夜、彼が上層部にこんな一斉メールを投げ込みました。

「今回は何とか勘弁して下さい。もう時間が無いんです。昨日まで、通達の存在すら知らなかったんですよ。今シンスケがエクセルを使って積算を手伝ってくれてます。内容は同じですから、こっちのファイルを使わせて下さい。」

これに対して副社長のR氏が、五分と間を置かずにカウンターをお見舞いします。

「おたくの管理職が情報伝達を怠ったことは誠に遺憾だが、だからといって特例は認められない。通達通り遂行するように。」

あらら、自分の上司たちの顔まで潰しちゃったよ。大丈夫かな…。翌朝、ジョニーからテキストが入ります。

“Sorry Shinsuke, I tried.”
「ごめんシンスケ、粘ったんだけどね。」

この人、心臓強いなあ、と感心しきりの私。こんなメールを書く度胸、自分にはありません。ところがその日、オレンジ支社へ出向いて彼と打合せをしたところ、

「随分色んな人の神経を逆撫でしちゃった。この会社での僕の将来は危ういね。」

と、意外にも弱気な発言。

「いやいや、君のように優秀なPMを切るなんて有り得ないでしょ。大体、もしもこのプロジェクトを他の会社が獲ったら、そこに引っ張られればいいだけの話じゃない。」

「う~ん、そこまで楽観的にはなれないなあ。」

さて、入札を二日後に控え、プロポーザル作成も佳境に入った月曜の午後。彼が突然、車で外出します。なんと、これからPMP試験を受けて来るというのです。

「実は十年前に取得したんだけど、前回のプロジェクトで5年上海に行ってる間に失効しちゃってさ。今回のプロポーザルに名前を載せる前に資格を取り戻したいと思って、ギリギリで試験の予定を突っ込んじゃったんだ。」

ここのところほとんど寝ていない上に、忙し過ぎて受験勉強が出来なかったという彼でしたが、夕方電話が入ります。「受かったよ!」そしてオフィスに戻り、何事も無かったようにプロポーザル作業を再開するジョニー。こういう、知力も体力も抜群な人間がPMを務めるプロジェクトのサポートを任されるというのは、本当にラッキーなことだなあ、と嬉しくなりました。

ところが翌日、オレンジ支社二階の作戦会議室を訪ねたところ、彼を含めた中核メンバー達がそろって椅子の背にもたれかかり、悄然としています。皆どうしたの?と尋ねると、滅茶苦茶だよ、もうどうでも良くなった、と力なく笑う面々。

彼等の話によれば、去年転職して来て建築部門のトップに座ったB氏がいきなり乱入し、入札予定額を大幅に下げるよう命じた、というのです。プロジェクトの詳細内容やクライアントの性格を知りもしないのに。チームが二週間かけて念入りに積み上げた上、既にギリギリまで無駄を削ぎ落していた額を更に何十パーセントも落とせ、というのですから、皆の腹立ちも理解出来ます。

「でも、何かそれなりの理由があってのことなんでしょ。」

と私。

「いやいや、確実に競り落としたいというだけの単純な動機だよ。万一そんな額で落札しちゃったら赤字は間違いないし、それ以前に、我々がプロジェクトの内容をきちんと理解していないからこそそんな低価格を提示して来たんじゃないかと、逆にクライアントを不安にさせる危険も大きいんだよ。」

トップの指示に従って入札額を下げれば、落札してもしなくても地獄。かと言ってB氏の命に背けば、組織の統制を乱すだろうし自分の首も危なくなる。さてどうする?入札は明日の正午。もう時間が無い。皆が静まり返ったところに、ジョニーの直属の上司リチャードが入って来ました。私がそもそも建築部門に関わるようになったのは、三年前にこのリチャードからサポート要請を受けたのがきっかけ。おおシンスケ、元気か?君はいつもニコニコしてるな!と握手の手を差し伸べます。人当たりが良く、常に部下たちを護り励まそうと心を砕いている人望の厚い彼に、待ってましたとばかりにプロポーザル・チームの一同が窮状を吐露し始めます。うんうん、そうかそうか、と真剣に耳を傾けるリチャード。そのまま会話に参加していたかったのですが、急いで次の会議へ移動しなければならなず、サヨナラを言って静かにドアを閉める私でした。

翌朝6時半、お偉方を集めた特別電話会議が開かれました。私もサンディエゴのオフィスから参加。その二時間前、チームが夜を徹して修正したとみられる書類が一斉に送信されていたのですが、それを開けてみて愕然とする私でした。なんと入札予定額が、B氏の指示した額から大幅に上方修正されていたのです。一体どういうことだ?と気色ばむエグゼクティブ達。これに対し、何故この額でなければならないのかを落ち着いた声で説明し始めたジョニー。夜の内に何があったのかは分かりませんが、すっかり肝が据わった様子。苛立ちを露わにするB氏でしたが、入札時刻まであと数時間しかありません。

「分かった。個人的には極めて不愉快だが、クライアントも市場も研究し尽くしているチームの総意で決めたことなら仕方無い。もう議論を重ねる猶予も無いしな。この額で行こう。」

オレンジ支社まで車を飛ばし、ジョニーの肩をバシッと叩いて労をねぎらってやりたい気分でした。その後、無事入札を終えた彼が、早々に帰宅して爆睡したことは言うまでもありません。

さて、一日おいて金曜の朝。環境部門のプロポーザル作業にのめり込んでいたところ、ジョニーから携帯にテキストが入りました。

「早く知らせておいた方がいいと思ってね。今朝リチャードが解雇されたよ。」

呆然。暫く返事が書けませんでした。

夕方帰宅すると、息子が目を輝かせて部屋から出て来ました。つい今しがた見終わったばかりだったのでしょう。

「ねえ、ゲーム・オブ・スローンズの話していい?」

と食いつきます。

「ごめん。今はほんとに勘弁して。残酷な話は聞きたくないんだ。」

「ええ~?もうパパ、金玉縮んじゃってんじゃないの?」

ご明察…。


2017年7月22日土曜日

You guys ユーガイズは無害か?

昨日のランチタイムは、海辺のカジュアル・レストラン「クレーム・ジャンパー」へ。かれこれ5年の付き合いになる29歳の同僚キャロリンの送別会に、古くからの仲間が8人ほど集まりました。彼女は東海岸の某一流工科大学院で物理学と土木工学を修めた秀才ですが、その賢さを一切ひけらかすことなく、物腰柔らかな白人女性。クライアントへの満足度調査では常にパーフェクト・スコアを叩き出す(異例中の異例)、押しも押されぬスター選手でした。

「シンスケからは沢山のことを学んだわ。今まで本当に有難う!」

眼鏡のレンズを通し、真摯な眼差しで別れを惜しむ彼女。そうだ、この目だ。相手の言葉が含有する栄養素を一滴漏らさず吸い取ろうという、静かな集中力が嫌でも伝わって来ます。こういう人って、きっと転職の勧誘が後を絶たないんだろうな。

「今度の会社では、自分の部屋をもらえるの?」

と総務のヘザー。照れながらこくりと頷くキャロリンを見て、

「あたし達だって部屋はあるのよね。同居人が何十人もいるけどさ。」

と怒ったような表情でジョークを飛ばすヘザー。この日の送別会に出席したメンバーのほとんどが、4年前に現在のオープンオフィスへ引っ越して来るまでは、それぞれ個室を与えられていたのでした。この発言で、昔話に火が付きます。ベテラン受付嬢ヴィッキーが、前のオフィスの一角をシェアしていた建設会社の男たちとのやり取りを懐かしそうに語ります。中に一人、電話だろうが対面だろうが、四六時中大声を張り上げて喋る男がいて、廊下の端まで汚い声が響いていた、と。

「僕も一度、予約してた会議室を使おうと思って入ったら前のミーティングがまだ終わってなくて、彼等の議論を聞いちゃったことがあるんだ。ものすごいカスワード(Curse Word)の応酬で、思わず吹き出しちゃったよ。」

と私。カスワードとは、FやBで始まるいわゆる放送禁止用語のこと。文章の要所要所に組み込むと、びっくりするほど彩豊かな仕上がりになるので、工事屋の荒くれ野郎どもが好んで使うのですね。

「あたしも建設畑が長かったから、そっちの方が楽になっちゃったクチよ。」

とヘザー。この時、今日の主役のはずなのにただただ聞き役に徹していたキャロリンに気付いた私。

「あのさキャロリン、君はカスワードを使ったことってあるの?」

この不意打ちに、さっと顔を赤らめるキャロリン。皆が注目する中、俯き加減で微笑みながら、無言で首を振ります。

「え~っ?一度も無いの?生まれてこの方?」

と皆に追い込まれ、更に紅潮する彼女。

ランチが終わり、皆でぞろぞろと職場に戻る道すがら、キャロリンから近況を聞かれました。うちのグループは日に日に忙しさが増していて、また新たに人を雇おうとしてるんだよ、と私。そう、過去三週間で既に五人と面接をして来たのですが、未だに採用決定者が出ていません。

「そういえば、水曜日に一人面接した時、ちょっと気になったことがあるんだ。君にも意見を聞きたいな。」

面接の相手は、特大つけ睫毛が印象的な、大学を出て二年の痩せた東洋系女性。

「彼女、終始リラックスした様子でさ、我々面接官に向かって、五回くらいYou guysって言ったんだ。それってちょっとカジュアル過ぎやしないか?と思ってね。」

これから上司になるかもしれない相手に対し、「ユーガイズ(あなたたち)は」ってのはどうなのよ?と。日本人の常識に照らせば一発不合格レベルの不適切さであることに疑いは無いんだけど(「御社は」が正解だと思います)、もちろんここは、敬語不要の国。日本育ちである私の常識を適用すべきかどうか、悩ましいところです。さっそく、うちのグループメンバー達の意見を聞いてみることにしました。

一緒に面接官を務めたシャノンは、

「う~ん、私は聞き流しちゃったな。娘の友達とかで慣れちゃってるのかも。」

ベトナム出身のカンチーは、

「私達アジア出身者に共通する価値観かもしれませんが、私もちょっと不快感を覚えますね。相手に対する敬意が感じられないですもん。」

今年の初めに採用した、白人青年のアンドリュー。

「ユーガイズなんて、今の若者だったら誰でも普通に使いますよ。世代によって受け止め方が違うんじゃないですか。うちの親父もシンスケと同じ反応するかも。」

まあ確かに、単に「ジジイが若者言葉に目くじら立てている図」とも呼べる状況。特に最近は、若いアンドリューからオヤジ扱いされてる気がします。こないだもある会議で、大ボスのテリーがMe, too(ミー・トゥー)と誰かの発言に同意し、これにヘザーがMe, three(ミー・スリー)とおちゃらけたのがツボにはまり、いつまでもクスクス笑っていたら、そんな古臭い掛け合いで喜んでるなんてつくづくオヤジだなあ、というやや蔑んだ目で見られました。そんなこともあって、今回の出来事に対する自分の判断を強く押し出す自信が無かったのです。

とにかく、2対2の引き分けではどうにもキモチワルイので、もう一人陪審員を加えないと、と思っていました。そこへ、若きエースのキャロリン登場となったのです。

「君はどう思う?このカジュアルさをポジティブに受け止める?」

歩きながら暫く真剣に考えた後、見解を述べるキャロリン。

「その人、緊張を隠そうとしてわざと自然に振る舞おうとしていたのかもしれない。」

「なるほど。その可能性は捨てきれないな。すると、君は気にならないってこと?」

「いえ、やっぱり気になりますね。」

「え?そうなの?なんで?」

「だって、採用面接というフォーマルな場でそれだけ砕けた態度を取る人が、クライアントと会った時にちゃんとスイッチを切り替えられるかどうか不安ですから。」

おお~っ!それそれ!そういうスッキリした解答を待ってたんだよ!見慣れぬ雑草を、根っこのひげまで残さず引っこ抜けた時のような快感。

「これで自信持って採用判断が下せるよ。どうも有難う。」

「どういたしまして。」

はにかみながら赤面するキャロリン。固いハグで、最後のお別れをしました。

そんなわけで、これからアメリカで就職面接を受けようと考えている皆さん、「ユーガイズ」はやはり有害です。


2017年7月15日土曜日

Have you no sense of decency? 良識というものはないのかね?

二日前、15歳の息子と話していた時のこと。彼は先週、ナイキ社主催の夏休み水球教室に三日間参加しました。地元出身の元オリンピック選手から実践的テクニックを学べるという触れ込みに、10歳から18歳までの少年たちが約60名集合。最終日、コーチが選手たちを連れてメキシカン・ファストフード店Chipotleへ押しかけます。「俺のオゴリでひとり一本ずつブリトー注文していいぞ」と、意表を突いた大盤振る舞い。ガラス越しにトッピングなどを注文しつつレジへと進む方式のこの店、息子の前に並んでいた同い年くらいの少年が、

「コーチが払うんだよな。さっきそう言ったよな。」

とキョロキョロしてから、

「シュリンプとグァカモーレ(アボカド)を増量(Extra)して下さい。」

と店員に告げました。思わず眉をひそめる息子の冷たい視線を浴びながらも、「してやったり」と得意顔で列を進む少年。するとレジのおばさんが、

「あんたのコーチは、普通のブリトーを一本ずつ買ってやるって言ったのよ。追加分はあんたが払うんだからね。」

とぴしゃり。

「その子、すっかり青ざめちゃってさ。すんごく面白かった!」

どうして息子がこんな話をしたかというと、実は最近、彼なりにある教訓を学んでいたからなのです。

数週間前、ラグナビーチという海辺の観光地へ家族で二泊三日の小旅行をしました。この辺りのホテルは、一泊数百ドルと気絶しそうなレベルのインフレ状態なので、Airbnb(エアビーアンドビー)というウェブを活用した民宿サービスを初めて利用してみました。ラグナビーチから車で30分ほど北上し、レイクフォレストという小さな街の、60歳前後とみられる白人夫婦が暮らす閑静な戸建て住宅街の一軒家に宿泊。過去の利用者たちからの評価が五つ星と極めて高いわりに、値段がリーズナブルだったのが決め手になりました。予約後さっそく、奥さんのワンダからテキストメッセージが立て続けに入ります。

「息子さんは何歳?好きな飲み物は何?」
「到着30分くらい前に連絡してくれる?」
「質問があったら何でも言ってね。」

夜9時頃到着してみると、まるで離れて暮らしていた親戚の子達を出迎えるようにしてワンダが笑顔で招き入れ、家の中を案内してくれます。茶色のでかい犬が二匹、勢いよく飛び出して来て我々侵入者の匂いをひとしきり嗅ぎまくりましたが、その後それぞれの寝場所に戻ってへたり込み、動かなくなりました。ベッドルームのクローゼットにはミニ冷蔵庫があり、ペットボトルのジュースや水がぎっしり。棚には底の浅い器が置いてあり、袋入りのリッツ・チーズサンドや、光沢のあるブルーやゴールドの袋に包まれたGhirardelli(ギラデリ)のミニ板チョコなどが、整然と並んでいます。

「飲み物やスナックはComplementary(無料)よ。足りなくなったらいつでも言ってね。」

とワンダ。「他と較べて宿泊代が安い上にこれだけ余分な持ち出ししてたら割りが合わないだろうにね」と妻に懸念を打ち明けたのですが、聞けばこの先一年、予約でほぼ一杯だとのこと。顧客満足度を高めることで回転も上がり、結局トータルの収支が向上するということか、と納得する私でした。

最終日、大満足でワンダの家を後にする我々でしたが、ふと息子の手に何か握られているのに気づきました。確認してみると、ミニ板チョコ数枚。え?そんなに沢山もらって来ちゃったの?と驚愕する我々夫婦。

「だって僕、ギラデリ大好きなんだもん。」

「好きなのは知ってるよ。だけどいくら何でも品が無いでしょ。」

「だって無料じゃん。」

思わず顔を見合わせる妻と私。

確かに相手が無料と言ってるんだし、法的には何の問題もありません。部屋で食べるのと持って帰るのとでは何がどう違うのか?一枚だけもらって来た場合はどうか?何枚目から「品が無い」と言えるのか?冷静に考えれば、これは線引きが難しいテーマです。哲学的な論争に発展し兼ねない場面ですが、この時思わず私の口を突いて出たのが次の英語フレーズ。

“Have you no sense of decency?”
Decencyの意識は無いのか?」

これ、大抵のアメリカ人なら知っている有名なセリフです。1950年から始まった共産主義者掃討運動(いわゆる「赤狩り」)の狂乱に事実上の終止符を打ったフレーズで、アメリカ人の根っこにある古い価値観と強く響き合うようなのです。

1954年、赤狩りのリーダーだった当時45歳の上院議員マッカーシーが公聴会で陸軍を吊し上げようとします。ここに、74歳の敏腕弁護士ウェルチが立ち塞がります。軍組織に鋭くメスを入れると思いきや、マッカーシーの矛先はウェルチに向かいます。彼の事務所に所属する若い弁護士フィッシャーと共産主義者たちとの微妙な繋がりの証拠を掴み、厳しい追及を開始するマッカーシー。テレビで生中継される中、これ以上優秀な若者の将来を奪うような執拗な言いがかりは止めて欲しい、と要求するウェルチ。しかしここを先途と更に攻撃の手を強めるマッカーシー。遂にベテラン弁護士がキレます。

“Senator, may we not drop this? We know he belonged to the Lawyer's Guild ... Let us not assassinate this lad further, Senator; you've done enough.”
「もうやめませんか先生?彼が弁護士組合に所属していたことはお互い分かっているじゃないですか。これ以上彼をなぶり殺しにするのは止めましょう。もう充分でしょう先生。」

そして登場するのが、例のキメ台詞。

 “Have you no sense of decency, sir?”

Decencyというのは「品性、慎み、良識」などと訳される単語。Sense of decency となると、decency の感覚とか意識、という意味になりますね。そんなわけで、私の試訳はこれ。

“Have you no sense of decency, sir?”
「良識というものはお持ちじゃないのですか?」

ウェルチのセリフは国民の胸にズドンと突き刺さり、この日を境に赤狩り運動は収束に向かいます。マッカーシーは数々の狼藉の責を問われて評判を落とし、三年後、失意のうちに48年の生涯を終えます。

さて、板チョコを何枚もお持ち帰りした息子に対して私が放ったこのフレーズの意味を、言われた彼の方はもちろん理解していました。しかし反射的に猛然と自己弁護を始めたので、こう畳みかけます。

「パパが今ここで車にはねられたとしようよ。近所の人がわっと集まって来て、ワンダも飛び出して来る。その時、助け起こされたパパのポケットから板チョコがごっそり出て来たら、君、どう思う?」

「それは恥ずかしいね。」

「でしょ。」

この時の会話が心に残っていたのでしょう。どうせ人のオゴリなんだからとブリトーの中身を増量する行為をハシタナイと思うに至った、15歳の息子でした。

話変わって、昨日は久しぶりに同僚ディックとランチ。Localという、ビールで有名なレストランへ行きました。ここは料理も評判らしく、12時過ぎには入り口に席待ちの客がごった返していました。着席まで10分ほど待たされます。

「英文法の質問していい?」

注文もそこそこに切り出す私。こんなセリフ聞いたことあるでしょ?と。

“Have you no sense of decency?”
「良識と言うものは持ち合わせてないのかね?」

ここですかさず、

“No, I do not.”
「いや、無いね。」

とひとまずボケるディック。

「これって文法的に合ってるの?僕が学校で習った英語だとこうなるんだけど。」

“Don’t you have any sense of decency?”

敢えてHave youで疑問文を始めることで、何かニュアンスの違いみたいなものが生まれるのか?というのが私の疑問。

「古いイギリス英語だよ。今じゃ女王くらいしか使わないかもしれないけどね。Don’t you で始めた場合に較べて、多少厳しく感じるね。相手を責めるトーンが強まるんじゃないかな。」

なるほどね。

「じゃあさ、日常生活で使った場合、糾弾する感じになって当たりがキツ過ぎるかな?」

「親しい間柄だったら、冗談ぽく言えば大丈夫だよ。あ、あの人もしかして本気で責めてたのかな、と後からじわっと不安になるくらいの含みを残すから、効果もバッチリだし。」

続いて、このフレーズが多くのアメリカ人の記憶に長く残っている理由について、ディックがひとりしきり語りました。そもそもアメリカ人は他人の作ったルールに縛られるのが嫌い。俺たちは善悪の区別くらい言われずとも分かるし、法律なんか無くたってきちんと社会を作って行ける。勤勉で独立心が強いことを誇りに思う国民性があるのだ、と。ところが昨今、平気で嘘をついたり確たる証拠も無いのに他人に罪をなすり付けたり、という風潮を是認する傾向がある。大統領がそのトップを切って実例をばら撒いているのだから救いようが無い、と嘆くディック。どこかで揺り戻しが来て国民がDecencyを取り戻すことを切に願う、と。

文字数の多い難解な単語を各所に散りばめた、堂々たる名演説。ボイスメモに記録したいくらいだなあ、としみじみ感心しながら耳を傾ける私。そんな陶酔感のせいで、いつの間にか別の話題に変わっていたことに気付くのに、少し時間がかかりました。

「ある年のハロウィンの晩、友達一家に招かれて家を留守にするから、チョコやキャンディをボウルに入れて玄関先に置いておこうって言うんだな。」

仮装した近所の子供たちが、ドアをノックして「トリックオアトリート(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)」と唱え、これに応えてお菓子をあげる、というのがしきたりのハロウィン。留守にしてたら対応出来ないから、せめてみんながお菓子を持っていけるように外に置いておこう、という話ですね。

「そんなもん、最初に来た奴がひとりで全部かっさらって行っちゃうよって忠告したんだ。そしたら、そんなわけない、ちゃんと一人二、三個ずつ取って行くわよって言い張るんだ。で、そのまま外出して暫くして帰ってみたら、ボウルごと消えてた。ほらね、言わんこっちゃないって言ってやったんだ。」

「それっておばあちゃんか誰かの話?」

「いやいや、うちの嫁さんだよ。」

「え?そうなの?」

彼の奥さんは、今時珍しい性善説の権化なのだと言います。車を点検に出したら要修理パーツの長いリストを受け取り、プロがそう言ってくれてるんだから全部お願いしましょうよ、と真顔で提案して来るのだと。

「おいおい、俺たちには修理工場を栄えさせる義務なんか無いんだぞ。吹っ掛けられてるのが分からないのか?というと、あなたは人に対する疑いが強すぎる、と悲しそうに言うんだよ。」

翌年のハロウィンでは、「今年はちゃんとしたボウルに入れてみましょう。去年のは安物だったから。」とお気に入りの容器にチョコやキャンディを入れて玄関先に置くので、

「まさか一番気に入ってるやつじゃないよな。」

「そうよ。まさかあんな良いボウルを盗んでいく子供はいないわよ。」

言い争いになるのを嫌って口を閉ざし、そのまま家族で出かけます。帰ってみたら案の定、ボウルごと跡形も無く消失していました。

「嘘でしょ!」

と純粋に驚く奥さん。

「いやいや、それはすごいね。さすがにそこまで世間を信じるのはヤバいと思うよ。」

と私も唸ります。

「だろ。今度会ったらそう言ってやってくれよ。我が家では、俺がまるで変わり者の厭世家みたいに扱われてるんだから。」

この奥さん、去年も高級なボウルにチョコやキャンディを入れて出しておき、全く同じ目に遭ったのだそうです。すっかり呆れたディックが、何故こんなことを繰り返すのかと尋ねたところ、過去二年間はきっと運が悪かっただけと思った、とのこと。

自分が良識を持つのは大事だけど、世間にそれを期待するのは危険だね、というお話でした。


2017年7月8日土曜日

Unbeknownst アンビノウンスト

月曜日、私のサポートする巨大プロジェクトの定例電話会議でのこと。PMのアンジェラが、プロジェクト・ディレクターのティムに先週の報告を始めました。一週間の休暇を終えて復帰したばかりの彼は、彼女の話にうんうん、と聞き入ります。ロスのR氏が彼の右腕のSを唐突にデンバーから送り込んで来た、というくだりで、よく知らない単語を上の句にぶちこむアンジェラ。

“Unbeknownst to me,”
「アンビノウンスト・トゥー・ミー」

耳の記憶を頼りに急いでカタカナで書き取って後で調べたところ、これはUnknown(知られていない、知らされていない)の古い言い回しで、かなりかしこまった表現だとのこと。

“Unbeknownst to me, R sent S out for helping my project.”
「私のあずかり知らぬところでRがSを送り込んで、私のプロジェクトを手伝おうとなさったの。」

わざわざ古風なフレーズを使うことで、腹立ちを慇懃に表明した、というわけ。

これに対してティムは、R氏がそういう行動に出ることは想定済みだったよね、と答えます。去年この巨大プロジェクトを獲得したばかりの頃、彼が自分の部下をプロジェクトチームの一員に食い込ませようと圧力をかけて来たことに始まり、己の影響力を行使しようという動きはこれまでに何度かあった。アンジェラと二人でその申し出をやんわりとはぐらかし続けて来たが、「俺のお蔭でプロジェクトが回っている」という実績を作ろうと躍起になっているのは明らか。彼の助けは不要だと納得させるため、早い段階でリスクレジスターを作ったり、チェンジ・ログを作ったり、と先手を打って来たのは正解だったね、というティム。

向こう数年以内の引退を匂わせている彼は、押しも押されぬ環境部門の大ベテラン。数年前、彼が仕切るサンタバーバラのオフィスをトレーニングの講師として初めて訪ねた時、出迎えた彼が私の手を優しく握り締め、こんな言葉をくれました。

「君の評判は沢山の人から聞いている。誰もが君のことをベストだと言っている。こんな遠くまでわざわざ足を運んでくれて、感謝の言葉も無い。うちの連中が君から多くを学ぶことを心から望んでる。よろしく頼む。」

出会いからわずか十秒で彼を崇拝してしまったことは、言うまでもありません。そして今回のプロジェクトでマネジメント・チームの一角を任されて以来、彼から多くを学びました。打合せ中、彼の発言に「そこまでは考えもしなかったぜ!」と思わず息を呑む瞬間が、度々あったのです。彼の頭には「まだ見ぬ未来」のシナリオが、まるで一流の将棋指しのように何十手先まで詰まっているようで、普通なら「そんな先のこと分かりっこないよ」と片付けるところを、「今の状況だとこうなる可能性が高いから、この対策を講じておこう。来週またチェックして、必要なら方向修正をしよう。」と冷静に提案します。しかも、その予言が面白いように当たるのです。まるでサイキックの予知能力みたいですが、それこそが「経験」なのだと思います。

アメリカの会社には年功序列という概念が無く、政治力や交渉力や運みたいなもので地位が決まってしまう、というのが私の印象です。時に高齢社員を単なる年寄りみたいに扱い、長い経験で蓄積された知見の価値を軽視する傾向があるというのは、日本社会で育った私の偏見かもしれません。でも今回の経験を通して、組織はティムのような人こそ大事にしなきゃいけないぞ、とあらためて思ったのでした。

さて、「長老」とか「マスター」的なイメージのティムですが、気の利いた軽いジョークも時々飛び出します。

“We, the three musketeers can handle this.”
「僕たち三銃士なら何とか出来るさ。」

とか、電話会議に遅刻して来ていきなり、

“Well, what’s the verdict?”
「で、評決は出た?」

とか。そういうセリフをいちいち書き取っては悦に入る私。

今週の電話会議の終盤、契約書の表現について若干引っかかる点があるんだけど、とアンジェラが漏らしました。何が問題なのかはっきりとは分からないのだけど、超能力者のマスター・ティムなら解明出来るかもしれない。ヘルプをお願い出来ない?と。これに対して、彼がゆったりとこう答えます。

“Review the contract I will.”
「見直します契約書、私は。」

へ?今の何?と戸惑う私。すると間髪入れず、彼がこう付け加えました。

“That was my Yoda imitation.”
「ヨーダのまねでした。」


2017年7月1日土曜日

Complete waste of time 完全な時間の無駄

水曜の朝、PMのアンジェラからメールが入ります。今朝は話せるから携帯に電話ちょうだい、と。前日に私が何通も送りつけたメールには、終日ミーティングなので明日まで待ってくれ、という返事をもらっていたのです。一夜明けてようやく身体が空いた、というわけ。

「Sからのテキスト、読んだでしょ。どうする?」

と私。火曜日にデンバーのSから、

「P氏とR氏から、アンジェラのプロジェクトのヘルプに行くように頼まれたんだけど、今週話す時間ある?」

とメッセージが入ったので、

「前半はスケジュールびっしりだけど後半はまだ空きがある。」

と答えました。このやりとりをメールに貼りつけて、アンジェラに送ってあったのです。

先週金曜に彼女の巨大プロジェクトのレビューがあり、西海岸トップのP氏とその右腕R氏から、アーンドバリュー・マネジメントをしっかりやれ、というお達しを頂きました。実際その件は私がしっかり片付けてあって、事前に送ってあった資料にも含まれていました。多忙なトップ二人はそれに気づかなかったのでしょう。その件はシンスケがちゃんとやってますよ、とアンジェラが答えたのですが、R氏はP氏に対し、自分のチームがヘルプ出来る、と主張。そのまま電話会議が終了したのです。

R氏のこういう言動には、もう驚かなくなりました。自分のチームから誰かを送り込んで手柄を立てたい、というのは理解出来る心理です。問題は、私が過去六カ月もサポートしているという事実を知りながら、「このプロジェクトは俺のチームの指導を受ける必要がある」と決めてかかる態度。白羽の矢が立ったSはその背景をあまり知らず、ただ「サンディエゴに行って来い」と頼まれたようなのです。

「まったく失礼しちゃうわよね。資料をろくに読みもせず、お前たちには助けが必要だなんて。Sには来る必要ないって私から言うわ。PとRにも電話入れておく。」

今どこにいるの?と尋ねる私に、今日は家で仕事することにしたの、とアンジェラ。電話を切って十分後、彼女からメールが入ります。

“That guy is in your parking lot! Don’t talk with him till I get there. I’ll get there in 40 minutes.”
「その人、もうそこの駐車場にいるんだって!私が到着するまで口きかないで。40分で行くから。」

デンバーのSは、「シンスケは週の後半に空きがある」という情報だけをベースに、具体的なアポも取らずに乗り込んで来たのです。ショルダーバッグを肩に提げ、遠くのビジター用オフィスに入っていく彼を視界の隅におさめつつ、私は仕事に没頭。暫くしてやってきたアンジェラ。

「まったく、無礼極まりないわ。大体、なんでPMの私じゃなくてシンスケにコンタクトするのよ!」

と憤りも露わな彼女をなだめてから、Sのところに連れて行って引き合わせます。自己紹介とプロジェクト概要の説明が終わるのを見届け、二人を残して席に戻る私。一時間後、アンジェラとSとの三者会議になりました。そして、アーンドバリューマネジメントは既に私が作ったツールで充分まかなえていて、彼の助けは一切不要である、ということを確認。

“It’s a complete waste of time!”
「完全な時間の無駄よね!」

Sが退室してビジターオフィスに戻るのを見送ってから、アンジェラが溜息をつきます。

「ま、これでさすがにトップの二人も安心するでしょ。専門家にわざわざお出まし願って確認したんだからさ。我々がきちんと仕事してるって納得してもらうためには、きっと避けて通れないプロセスだったんだよ。」

世の中に、無駄な経験などひとつも無い。これが私の持論です。その時には分からなくても、いつか、「ああ、あの時ああいうことがあって本当に良かった!」と膝を打つ日がきっとやって来る。Sから報告を聞いたP氏とR氏は、今後は干渉を控えるだろう。我々もこれでようやくプロジェクトに集中出来る。Sだって、この出張のお蔭で快適なサンディエゴの夏を楽しめるじゃないか、と。

翌朝、シャノンが首を振り振り現れました。前日はJury Duty(陪審員のお勤め)で、一日オフィスを空けていたのです。お帰り、早かったね、と労うと、

“It was a complete waste of time!”
「完全な時間の無駄だったわ!」

と忌々し気に唸ります。朝からかなりの長時間待たされた挙句、検察側と弁護側が40人の陪審員候補者から12名を選抜するのに四時間もかかった。裁判自体は三十分も続かず、証拠不十分で告訴取り下げ、というお粗末なエンディング。

「賃貸物件のオーナーが、器物破損の疑いで住民の一人を訴えた事件なんだけど、そもそも目撃証人すらいないの。」

シャノンはご主人と一緒に賃貸ビジネスを営んでいるので、この種の事件には私情を挟む余地があります。だからそもそも陪審員席に名を連ねるべきではないのですが、

「選抜の時に質問されなかったのよ。そこ、一番大事なポイントのはずでしょ!」

検察側の担当者はいかにも新米の若い女性で、ふるいにかけられた陪審員の番号がどんどん更新されていくのに手元のメモが追い付かず、もたもたし通しだった。おまけに、選ばれた陪審員のひとりがやぶからぼうに娘との深刻な諍いについて話し始め、法廷が彼女の悩み相談会みたいになっちゃったのだと。

「途中でふと我に返って、なんで私ここにいるのよぉ!?って叫びたくなっちゃった。」

「ま、早く済んで良かったじゃん。」

一週間程度釘付けになるのが常だという、陪審員のお勤め。たった一日でお役御免になったのですから、これはもっけの幸いと言っても良いんじゃないか。しかも、これで当分お鉢が回って来ないでしょ、と私。そうね、そう考えれば確かにラッキーかもね、と納得するシャノンでした。

金曜の午後2時頃、Sが私の席にやって来ました。これから空港へ向かい、デンバー行きの飛行機に乗ると言います。そう、結局三日間サンディエゴに滞在したにもかかわらず、ビジター用オフィスで当初の目的以外の仕事をして過ごした彼。

「ビーチとかダウンタウンに行く時間あった?」

せめて何か今回の出張で得るものがあったら、と思って尋ねると、いや、仕事以外はずっとホテルにいたよ、と彼。えっ、そうなの?勿体ない。天気も良かったのに…。ところが当のSには、私のそんな気遣いが全く伝わっていない様子。そしてちょっと躊躇った後、彼がこんなことを打ち明けました。

「実は最近、プレシャス・メタルの投資にハマっててね。世間ではあまり注目されてないんだけど、かなり将来性があると踏んでるんだ。膨大な量のリサーチが必要で、それで今回もホテルに缶詰めさ。でもそのお蔭ですごく集中出来たよ。過去数千ドルの投資が、昨日の時点で6桁(十万ドル単位という意味)のリターンになってる。悪くないよね。」

「世の中に無駄な経験など無い」などというレベルを、遥かに超えて来たS。さすがにそこまでは予想してなかったぜ~。