2017年7月15日土曜日

Have you no sense of decency? 良識というものはないのかね?

二日前、15歳の息子と話していた時のこと。彼は先週、ナイキ社主催の夏休み水球教室に三日間参加しました。地元出身の元オリンピック選手から実践的テクニックを学べるという触れ込みに、10歳から18歳までの少年たちが約60名集合。最終日、コーチが選手たちを連れてメキシカン・ファストフード店Chipotleへ押しかけます。「俺のオゴリでひとり一本ずつブリトー注文していいぞ」と、意表を突いた大盤振る舞い。ガラス越しにトッピングなどを注文しつつレジへと進む方式のこの店、息子の前に並んでいた同い年くらいの少年が、

「コーチが払うんだよな。さっきそう言ったよな。」

とキョロキョロしてから、

「シュリンプとグァカモーレ(アボカド)を増量(Extra)して下さい。」

と店員に告げました。思わず眉をひそめる息子の冷たい視線を浴びながらも、「してやったり」と得意顔で列を進む少年。するとレジのおばさんが、

「あんたのコーチは、普通のブリトーを一本ずつ買ってやるって言ったのよ。追加分はあんたが払うんだからね。」

とぴしゃり。

「その子、すっかり青ざめちゃってさ。すんごく面白かった!」

どうして息子がこんな話をしたかというと、実は最近、彼なりにある教訓を学んでいたからなのです。

数週間前、ラグナビーチという海辺の観光地へ家族で二泊三日の小旅行をしました。この辺りのホテルは、一泊数百ドルと気絶しそうなレベルのインフレ状態なので、Airbnb(エアビーアンドビー)というウェブを活用した民宿サービスを初めて利用してみました。ラグナビーチから車で30分ほど北上し、レイクフォレストという小さな街の、60歳前後とみられる白人夫婦が暮らす閑静な戸建て住宅街の一軒家に宿泊。過去の利用者たちからの評価が五つ星と極めて高いわりに、値段がリーズナブルだったのが決め手になりました。予約後さっそく、奥さんのワンダからテキストメッセージが立て続けに入ります。

「息子さんは何歳?好きな飲み物は何?」
「到着30分くらい前に連絡してくれる?」
「質問があったら何でも言ってね。」

夜9時頃到着してみると、まるで離れて暮らしていた親戚の子達を出迎えるようにしてワンダが笑顔で招き入れ、家の中を案内してくれます。茶色のでかい犬が二匹、勢いよく飛び出して来て我々侵入者の匂いをひとしきり嗅ぎまくりましたが、その後それぞれの寝場所に戻ってへたり込み、動かなくなりました。ベッドルームのクローゼットにはミニ冷蔵庫があり、ペットボトルのジュースや水がぎっしり。棚には底の浅い器が置いてあり、袋入りのリッツ・チーズサンドや、光沢のあるブルーやゴールドの袋に包まれたGhirardelli(ギラデリ)のミニ板チョコなどが、整然と並んでいます。

「飲み物やスナックはComplementary(無料)よ。足りなくなったらいつでも言ってね。」

とワンダ。「他と較べて宿泊代が安い上にこれだけ余分な持ち出ししてたら割りが合わないだろうにね」と妻に懸念を打ち明けたのですが、聞けばこの先一年、予約でほぼ一杯だとのこと。顧客満足度を高めることで回転も上がり、結局トータルの収支が向上するということか、と納得する私でした。

最終日、大満足でワンダの家を後にする我々でしたが、ふと息子の手に何か握られているのに気づきました。確認してみると、ミニ板チョコ数枚。え?そんなに沢山もらって来ちゃったの?と驚愕する我々夫婦。

「だって僕、ギラデリ大好きなんだもん。」

「好きなのは知ってるよ。だけどいくら何でも品が無いでしょ。」

「だって無料じゃん。」

思わず顔を見合わせる妻と私。

確かに相手が無料と言ってるんだし、法的には何の問題もありません。部屋で食べるのと持って帰るのとでは何がどう違うのか?一枚だけもらって来た場合はどうか?何枚目から「品が無い」と言えるのか?冷静に考えれば、これは線引きが難しいテーマです。哲学的な論争に発展し兼ねない場面ですが、この時思わず私の口を突いて出たのが次の英語フレーズ。

“Have you no sense of decency?”
Decencyの意識は無いのか?」

これ、大抵のアメリカ人なら知っている有名なセリフです。1950年から始まった共産主義者掃討運動(いわゆる「赤狩り」)の狂乱に事実上の終止符を打ったフレーズで、アメリカ人の根っこにある古い価値観と強く響き合うようなのです。

1954年、赤狩りのリーダーだった当時45歳の上院議員マッカーシーが公聴会で陸軍を吊し上げようとします。ここに、74歳の敏腕弁護士ウェルチが立ち塞がります。軍組織に鋭くメスを入れると思いきや、マッカーシーの矛先はウェルチに向かいます。彼の事務所に所属する若い弁護士フィッシャーと共産主義者たちとの微妙な繋がりの証拠を掴み、厳しい追及を開始するマッカーシー。テレビで生中継される中、これ以上優秀な若者の将来を奪うような執拗な言いがかりは止めて欲しい、と要求するウェルチ。しかしここを先途と更に攻撃の手を強めるマッカーシー。遂にベテラン弁護士がキレます。

“Senator, may we not drop this? We know he belonged to the Lawyer's Guild ... Let us not assassinate this lad further, Senator; you've done enough.”
「もうやめませんか先生?彼が弁護士組合に所属していたことはお互い分かっているじゃないですか。これ以上彼をなぶり殺しにするのは止めましょう。もう充分でしょう先生。」

そして登場するのが、例のキメ台詞。

 “Have you no sense of decency, sir?”

Decencyというのは「品性、慎み、良識」などと訳される単語。Sense of decency となると、decency の感覚とか意識、という意味になりますね。そんなわけで、私の試訳はこれ。

“Have you no sense of decency, sir?”
「良識というものはお持ちじゃないのですか?」

ウェルチのセリフは国民の胸にズドンと突き刺さり、この日を境に赤狩り運動は収束に向かいます。マッカーシーは数々の狼藉の責を問われて評判を落とし、三年後、失意のうちに48年の生涯を終えます。

さて、板チョコを何枚もお持ち帰りした息子に対して私が放ったこのフレーズの意味を、言われた彼の方はもちろん理解していました。しかし反射的に猛然と自己弁護を始めたので、こう畳みかけます。

「パパが今ここで車にはねられたとしようよ。近所の人がわっと集まって来て、ワンダも飛び出して来る。その時、助け起こされたパパのポケットから板チョコがごっそり出て来たら、君、どう思う?」

「それは恥ずかしいね。」

「でしょ。」

この時の会話が心に残っていたのでしょう。どうせ人のオゴリなんだからとブリトーの中身を増量する行為をハシタナイと思うに至った、15歳の息子でした。

話変わって、昨日は久しぶりに同僚ディックとランチ。Localという、ビールで有名なレストランへ行きました。ここは料理も評判らしく、12時過ぎには入り口に席待ちの客がごった返していました。着席まで10分ほど待たされます。

「英文法の質問していい?」

注文もそこそこに切り出す私。こんなセリフ聞いたことあるでしょ?と。

“Have you no sense of decency?”
「良識と言うものは持ち合わせてないのかね?」

ここですかさず、

“No, I do not.”
「いや、無いね。」

とひとまずボケるディック。

「これって文法的に合ってるの?僕が学校で習った英語だとこうなるんだけど。」

“Don’t you have any sense of decency?”

敢えてHave youで疑問文を始めることで、何かニュアンスの違いみたいなものが生まれるのか?というのが私の疑問。

「古いイギリス英語だよ。今じゃ女王くらいしか使わないかもしれないけどね。Don’t you で始めた場合に較べて、多少厳しく感じるね。相手を責めるトーンが強まるんじゃないかな。」

なるほどね。

「じゃあさ、日常生活で使った場合、糾弾する感じになって当たりがキツ過ぎるかな?」

「親しい間柄だったら、冗談ぽく言えば大丈夫だよ。あ、あの人もしかして本気で責めてたのかな、と後からじわっと不安になるくらいの含みを残すから、効果もバッチリだし。」

続いて、このフレーズが多くのアメリカ人の記憶に長く残っている理由について、ディックがひとりしきり語りました。そもそもアメリカ人は他人の作ったルールに縛られるのが嫌い。俺たちは善悪の区別くらい言われずとも分かるし、法律なんか無くたってきちんと社会を作って行ける。勤勉で独立心が強いことを誇りに思う国民性があるのだ、と。ところが昨今、平気で嘘をついたり確たる証拠も無いのに他人に罪をなすり付けたり、という風潮を是認する傾向がある。大統領がそのトップを切って実例をばら撒いているのだから救いようが無い、と嘆くディック。どこかで揺り戻しが来て国民がDecencyを取り戻すことを切に願う、と。

文字数の多い難解な単語を各所に散りばめた、堂々たる名演説。ボイスメモに記録したいくらいだなあ、としみじみ感心しながら耳を傾ける私。そんな陶酔感のせいで、いつの間にか別の話題に変わっていたことに気付くのに、少し時間がかかりました。

「ある年のハロウィンの晩、友達一家に招かれて家を留守にするから、チョコやキャンディをボウルに入れて玄関先に置いておこうって言うんだな。」

仮装した近所の子供たちが、ドアをノックして「トリックオアトリート(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)」と唱え、これに応えてお菓子をあげる、というのがしきたりのハロウィン。留守にしてたら対応出来ないから、せめてみんながお菓子を持っていけるように外に置いておこう、という話ですね。

「そんなもん、最初に来た奴がひとりで全部かっさらって行っちゃうよって忠告したんだ。そしたら、そんなわけない、ちゃんと一人二、三個ずつ取って行くわよって言い張るんだ。で、そのまま外出して暫くして帰ってみたら、ボウルごと消えてた。ほらね、言わんこっちゃないって言ってやったんだ。」

「それっておばあちゃんか誰かの話?」

「いやいや、うちの嫁さんだよ。」

「え?そうなの?」

彼の奥さんは、今時珍しい性善説の権化なのだと言います。車を点検に出したら要修理パーツの長いリストを受け取り、プロがそう言ってくれてるんだから全部お願いしましょうよ、と真顔で提案して来るのだと。

「おいおい、俺たちには修理工場を栄えさせる義務なんか無いんだぞ。吹っ掛けられてるのが分からないのか?というと、あなたは人に対する疑いが強すぎる、と悲しそうに言うんだよ。」

翌年のハロウィンでは、「今年はちゃんとしたボウルに入れてみましょう。去年のは安物だったから。」とお気に入りの容器にチョコやキャンディを入れて玄関先に置くので、

「まさか一番気に入ってるやつじゃないよな。」

「そうよ。まさかあんな良いボウルを盗んでいく子供はいないわよ。」

言い争いになるのを嫌って口を閉ざし、そのまま家族で出かけます。帰ってみたら案の定、ボウルごと跡形も無く消失していました。

「嘘でしょ!」

と純粋に驚く奥さん。

「いやいや、それはすごいね。さすがにそこまで世間を信じるのはヤバいと思うよ。」

と私も唸ります。

「だろ。今度会ったらそう言ってやってくれよ。我が家では、俺がまるで変わり者の厭世家みたいに扱われてるんだから。」

この奥さん、去年も高級なボウルにチョコやキャンディを入れて出しておき、全く同じ目に遭ったのだそうです。すっかり呆れたディックが、何故こんなことを繰り返すのかと尋ねたところ、過去二年間はきっと運が悪かっただけと思った、とのこと。

自分が良識を持つのは大事だけど、世間にそれを期待するのは危険だね、というお話でした。


2017年7月8日土曜日

Unbeknownst アンビノウンスト

月曜日、私のサポートする巨大プロジェクトの定例電話会議でのこと。PMのアンジェラが、プロジェクト・ディレクターのティムに先週の報告を始めました。一週間の休暇を終えて復帰したばかりの彼は、彼女の話にうんうん、と聞き入ります。ロスのR氏が彼の右腕のSを唐突にデンバーから送り込んで来た、というくだりで、よく知らない単語を上の句にぶちこむアンジェラ。

“Unbeknownst to me,”
「アンビノウンスト・トゥー・ミー」

耳の記憶を頼りに急いでカタカナで書き取って後で調べたところ、これはUnknown(知られていない、知らされていない)の古い言い回しで、かなりかしこまった表現だとのこと。

“Unbeknownst to me, R sent S out for helping my project.”
「私のあずかり知らぬところでRがSを送り込んで、私のプロジェクトを手伝おうとなさったの。」

わざわざ古風なフレーズを使うことで、腹立ちを慇懃に表明した、というわけ。

これに対してティムは、R氏がそういう行動に出ることは想定済みだったよね、と答えます。去年この巨大プロジェクトを獲得したばかりの頃、彼が自分の部下をプロジェクトチームの一員に食い込ませようと圧力をかけて来たことに始まり、己の影響力を行使しようという動きはこれまでに何度かあった。アンジェラと二人でその申し出をやんわりとはぐらかし続けて来たが、「俺のお蔭でプロジェクトが回っている」という実績を作ろうと躍起になっているのは明らか。彼の助けは不要だと納得させるため、早い段階でリスクレジスターを作ったり、チェンジ・ログを作ったり、と先手を打って来たのは正解だったね、というティム。

向こう数年以内の引退を匂わせている彼は、押しも押されぬ環境部門の大ベテラン。数年前、彼が仕切るサンタバーバラのオフィスをトレーニングの講師として初めて訪ねた時、出迎えた彼が私の手を優しく握り締め、こんな言葉をくれました。

「君の評判は沢山の人から聞いている。誰もが君のことをベストだと言っている。こんな遠くまでわざわざ足を運んでくれて、感謝の言葉も無い。うちの連中が君から多くを学ぶことを心から望んでる。よろしく頼む。」

出会いからわずか十秒で彼を崇拝してしまったことは、言うまでもありません。そして今回のプロジェクトでマネジメント・チームの一角を任されて以来、彼から多くを学びました。打合せ中、彼の発言に「そこまでは考えもしなかったぜ!」と思わず息を呑む瞬間が、度々あったのです。彼の頭には「まだ見ぬ未来」のシナリオが、まるで一流の将棋指しのように何十手先まで詰まっているようで、普通なら「そんな先のこと分かりっこないよ」と片付けるところを、「今の状況だとこうなる可能性が高いから、この対策を講じておこう。来週またチェックして、必要なら方向修正をしよう。」と冷静に提案します。しかも、その予言が面白いように当たるのです。まるでサイキックの予知能力みたいですが、それこそが「経験」なのだと思います。

アメリカの会社には年功序列という概念が無く、政治力や交渉力や運みたいなもので地位が決まってしまう、というのが私の印象です。時に高齢社員を単なる年寄りみたいに扱い、長い経験で蓄積された知見の価値を軽視する傾向があるというのは、日本社会で育った私の偏見かもしれません。でも今回の経験を通して、組織はティムのような人こそ大事にしなきゃいけないぞ、とあらためて思ったのでした。

さて、「長老」とか「マスター」的なイメージのティムですが、気の利いた軽いジョークも時々飛び出します。

“We, the three musketeers can handle this.”
「僕たち三銃士なら何とか出来るさ。」

とか、電話会議に遅刻して来ていきなり、

“Well, what’s the verdict?”
「で、評決は出た?」

とか。そういうセリフをいちいち書き取っては悦に入る私。

今週の電話会議の終盤、契約書の表現について若干引っかかる点があるんだけど、とアンジェラが漏らしました。何が問題なのかはっきりとは分からないのだけど、超能力者のマスター・ティムなら解明出来るかもしれない。ヘルプをお願い出来ない?と。これに対して、彼がゆったりとこう答えます。

“Review the contract I will.”
「見直します契約書、私は。」

へ?今の何?と戸惑う私。すると間髪入れず、彼がこう付け加えました。

“That was my Yoda imitation.”
「ヨーダのまねでした。」


2017年7月1日土曜日

Complete waste of time 完全な時間の無駄

水曜の朝、PMのアンジェラからメールが入ります。今朝は話せるから携帯に電話ちょうだい、と。前日に私が何通も送りつけたメールには、終日ミーティングなので明日まで待ってくれ、という返事をもらっていたのです。一夜明けてようやく身体が空いた、というわけ。

「Sからのテキスト、読んだでしょ。どうする?」

と私。火曜日にデンバーのSから、

「P氏とR氏から、アンジェラのプロジェクトのヘルプに行くように頼まれたんだけど、今週話す時間ある?」

とメッセージが入ったので、

「前半はスケジュールびっしりだけど後半はまだ空きがある。」

と答えました。このやりとりをメールに貼りつけて、アンジェラに送ってあったのです。

先週金曜に彼女の巨大プロジェクトのレビューがあり、西海岸トップのP氏とその右腕R氏から、アーンドバリュー・マネジメントをしっかりやれ、というお達しを頂きました。実際その件は私がしっかり片付けてあって、事前に送ってあった資料にも含まれていました。多忙なトップ二人はそれに気づかなかったのでしょう。その件はシンスケがちゃんとやってますよ、とアンジェラが答えたのですが、R氏はP氏に対し、自分のチームがヘルプ出来る、と主張。そのまま電話会議が終了したのです。

R氏のこういう言動には、もう驚かなくなりました。自分のチームから誰かを送り込んで手柄を立てたい、というのは理解出来る心理です。問題は、私が過去六カ月もサポートしているという事実を知りながら、「このプロジェクトは俺のチームの指導を受ける必要がある」と決めてかかる態度。白羽の矢が立ったSはその背景をあまり知らず、ただ「サンディエゴに行って来い」と頼まれたようなのです。

「まったく失礼しちゃうわよね。資料をろくに読みもせず、お前たちには助けが必要だなんて。Sには来る必要ないって私から言うわ。PとRにも電話入れておく。」

今どこにいるの?と尋ねる私に、今日は家で仕事することにしたの、とアンジェラ。電話を切って十分後、彼女からメールが入ります。

“That guy is in your parking lot! Don’t talk with him till I get there. I’ll get there in 40 minutes.”
「その人、もうそこの駐車場にいるんだって!私が到着するまで口きかないで。40分で行くから。」

デンバーのSは、「シンスケは週の後半に空きがある」という情報だけをベースに、具体的なアポも取らずに乗り込んで来たのです。ショルダーバッグを肩に提げ、遠くのビジター用オフィスに入っていく彼を視界の隅におさめつつ、私は仕事に没頭。暫くしてやってきたアンジェラ。

「まったく、無礼極まりないわ。大体、なんでPMの私じゃなくてシンスケにコンタクトするのよ!」

と憤りも露わな彼女をなだめてから、Sのところに連れて行って引き合わせます。自己紹介とプロジェクト概要の説明が終わるのを見届け、二人を残して席に戻る私。一時間後、アンジェラとSとの三者会議になりました。そして、アーンドバリューマネジメントは既に私が作ったツールで充分まかなえていて、彼の助けは一切不要である、ということを確認。

“It’s a complete waste of time!”
「完全な時間の無駄よね!」

Sが退室してビジターオフィスに戻るのを見送ってから、アンジェラが溜息をつきます。

「ま、これでさすがにトップの二人も安心するでしょ。専門家にわざわざお出まし願って確認したんだからさ。我々がきちんと仕事してるって納得してもらうためには、きっと避けて通れないプロセスだったんだよ。」

世の中に、無駄な経験などひとつも無い。これが私の持論です。その時には分からなくても、いつか、「ああ、あの時ああいうことがあって本当に良かった!」と膝を打つ日がきっとやって来る。Sから報告を聞いたP氏とR氏は、今後は干渉を控えるだろう。我々もこれでようやくプロジェクトに集中出来る。Sだって、この出張のお蔭で快適なサンディエゴの夏を楽しめるじゃないか、と。

翌朝、シャノンが首を振り振り現れました。前日はJury Duty(陪審員のお勤め)で、一日オフィスを空けていたのです。お帰り、早かったね、と労うと、

“It was a complete waste of time!”
「完全な時間の無駄だったわ!」

と忌々し気に唸ります。朝からかなりの長時間待たされた挙句、検察側と弁護側が40人の陪審員候補者から12名を選抜するのに四時間もかかった。裁判自体は三十分も続かず、証拠不十分で告訴取り下げ、というお粗末なエンディング。

「賃貸物件のオーナーが、器物破損の疑いで住民の一人を訴えた事件なんだけど、そもそも目撃証人すらいないの。」

シャノンはご主人と一緒に賃貸ビジネスを営んでいるので、この種の事件には私情を挟む余地があります。だからそもそも陪審員席に名を連ねるべきではないのですが、

「選抜の時に質問されなかったのよ。そこ、一番大事なポイントのはずでしょ!」

検察側の担当者はいかにも新米の若い女性で、ふるいにかけられた陪審員の番号がどんどん更新されていくのに手元のメモが追い付かず、もたもたし通しだった。おまけに、選ばれた陪審員のひとりがやぶからぼうに娘との深刻な諍いについて話し始め、法廷が彼女の悩み相談会みたいになっちゃったのだと。

「途中でふと我に返って、なんで私ここにいるのよぉ!?って叫びたくなっちゃった。」

「ま、早く済んで良かったじゃん。」

一週間程度釘付けになるのが常だという、陪審員のお勤め。たった一日でお役御免になったのですから、これはもっけの幸いと言っても良いんじゃないか。しかも、これで当分お鉢が回って来ないでしょ、と私。そうね、そう考えれば確かにラッキーかもね、と納得するシャノンでした。

金曜の午後2時頃、Sが私の席にやって来ました。これから空港へ向かい、デンバー行きの飛行機に乗ると言います。そう、結局三日間サンディエゴに滞在したにもかかわらず、ビジター用オフィスで当初の目的以外の仕事をして過ごした彼。

「ビーチとかダウンタウンに行く時間あった?」

せめて何か今回の出張で得るものがあったら、と思って尋ねると、いや、仕事以外はずっとホテルにいたよ、と彼。えっ、そうなの?勿体ない。天気も良かったのに…。ところが当のSには、私のそんな気遣いが全く伝わっていない様子。そしてちょっと躊躇った後、彼がこんなことを打ち明けました。

「実は最近、プレシャス・メタルの投資にハマっててね。世間ではあまり注目されてないんだけど、かなり将来性があると踏んでるんだ。膨大な量のリサーチが必要で、それで今回もホテルに缶詰めさ。でもそのお蔭ですごく集中出来たよ。過去数千ドルの投資が、昨日の時点で6桁(十万ドル単位という意味)のリターンになってる。悪くないよね。」

「世の中に無駄な経験など無い」などというレベルを、遥かに超えて来たS。さすがにそこまでは予想してなかったぜ~。


2017年6月26日月曜日

Wind you up あなたをワインドアップ

金曜の午後、久しぶりに生物学チームのジョナサンと会ったので、ひとしきり世間話をしました。三カ月前、大工仕事の得意な彼にお出まし願って一緒に作った我が家の花壇。今ではミニトマトが腰高まで生い茂り、今週から一日五個ペースで収穫出来るようになりました。

「甘くて美味しいんだけど、市販の物より皮が厚くて固いんだ。口の中に残る皮の感じがどうも後味を悪くして残念なんだよね。どうしたら皮の薄いソフトなトマトが出来るのかな。」

と質問する私に、即答するジョナサン。

「まずは品種を確かめた方がいいね。元々皮の厚い種類もあるから。でも一番の鍵は、水分量の調節だな。」

多すぎても少なすぎてもいけない、これはどうやら経験が物を言う世界らしいです。

「そうか、どんな環境条件を与えるかで皮の厚さが変わるってことだね。微妙だなあ…。人間にも、そういうとこあるよね。あ、そういえば、皮の厚さで思い出した!」

先週オンラインで受けたStandOut Assessment(スタンドアウト・アセスメント)という性格テストの結果、「プロバイダー」であり「ティーチャー」である、というカテゴリーにおさまった私。それ自体はふむふむな内容だったのですが、軽く引っかかったのが診断書の後半に付記されたアドバイスの一節。

“Because you are thin-skinned, other people can wind you up quite easily.”
「面の皮が薄いせいで、簡単にワインドアップされがちです。」

ん?ワインドアップ?野茂英雄や松坂大輔が走者を背にしていない時に見せるかっこいい投球フォームのことか?でもこれは他動詞だから、「巻き上げる」となるよな。「簡単に巻き上げられがち」、と。気弱な中学生が校舎の陰でカツアゲの餌食になるシーンが想像されますが、それだとこの文脈と合わないし…。

「おちょくられる、とかカチンと来る扱いを受けるって意味の言い回しだよ。」

とジョナサン。「気分」というものが、まるで多方向からの風に煽られてぐらぐらバタバタする感じでしょうか。要は「なめられてイラつかされる」ってことですね。

“Because you are thin-skinned, other people can wind you up quite easily.”
「面の皮が薄いせいで、人から簡単になめられてイラつかされがちです。」

「シンスケの面の皮が特別薄いとは思わないよ。そのアドバイスはぴんと来ないな。ただ、常に周囲を助けようとするタイプの人が他人から軽く見られる傾向があるってのには賛成かな。」

実はこの前日、実際に周りから「Thin-skinned(シンスキンド)なシンスケ」と思われているのかどうか急に気になり出し、部下たちに性格テストの結果をぶっちゃけてみました。

「私はその解説、納得いかないな。5年半の付き合いだけど、シンスケがシンスキンだと思ったことは一度も無いもの。」

と首を傾げるシャノン。

「じゃ、Thick-skinned(面の皮が厚い)ってこと?」

とふざける私。

「違う違う!そうじゃないってば。」

と、大真面目に慌てるシャノン。この時、若い新人のアンドリューがニヤリと笑って言いました。

“I think you are medium-skinned.”
「ミディアム・スキンだと思う。」

このオリジナルな言い回しがツボに入った私はゲラゲラ笑い出し、シャノンもカンチーも、少し離れて座っていたべスまで一緒になって暫く爆笑が続きました。

でもその数分後、なんだかちょっと引っかかる私。

もしかして、ちょっぴりなめられてる?


2017年6月18日日曜日

I got your back 僕がついてるぞ

ここのところ、仕事の需要はうなぎのぼりです。猛スピードで目の前の仕事を片付けても、その倍量の要請が飛び込んで来る。激流のど真ん中、上流目指して筏を漕ぐものの、中々進まないどころか河口に向かってじわじわと押し流されている格好。そんな金曜日の午後、一週間手つかずだった宿題をようやく済ませて一息ついた時、建築部門の副社長リチャードから電話が入りました。忙しいかと聞かれ、飽和状態を遥かに超えている、と正直に答える私。

「オレンジ支社のデレックをサポートしてくれないか?優秀な奴なんだが、既に八件のプロジェクトを抱えている上に来週から巨大プログラムの一員に加わることになってるんだ。」

「それは近い将来、燃え尽きちゃいそうですね。」

「まさにそれを心配してるんだよ!何とか頼めないかな。」

こんな時、居酒屋店員さながらに「はい、よろこんで!」と条件反射してしまう私。頑張っている人は見捨てない。これが私のモットーなのです。リチャードとの会話を終えた後、さっそくデレックに電話してサポートを申し出ました。まさに地獄に仏、という調子で彼が唸ります。

「ああ、本当に有り難う!助かった!」

さて昨日は土曜日。15歳の息子が毎週通う日本語補習校で、運動会が開催されました。小学一年生から高校三年生までが一堂に会しての大イベント。地元の高校から借りている緑の芝のグラウンドに白線が引かれ、トラックをぐるりと囲むようにしてヨットの帆みたいな生地のキャノピーが軒を連ねます。早朝特有の薄曇りでスタートしたものの、じわじわと晴れ始め、十時過ぎにはまるで演劇の舞台背景のようにのっぺりとした青空が広がっていました。見上げると空のてっぺんに、昼の三日月が居心地悪そうに貼りついています。

高校生になった息子たち。今年からは、審判員を務めたりかき氷を売ったりという裏方仕事を任されています。気が付けば保護者の我々も、「子供たちの競技に歓声を上げる」立場を若い親御さんたちに譲る年齢になっていました。キャノピー下の日陰で赤や青の折り畳み式レジャーチェアに身体を沈め、ゆったり談笑しつつ低学年児童のお遊戯などに目を細めます。

すっかり顔馴染みになった保護者仲間たちですが、こういう風にまとまった時間同じ場所に腰を据えることは滅多にありません。今回は、何人かに近況を聞いてみることにしました。有名寿司店で十数年間修業して来たM氏は最近独立を決め、来月末にラホヤに自分の店を出すべく準備中だと言います。「折角アメリカに来たのに、あと十年このままでいたらきっと後悔するんじゃないかと思って。」去年有名企業を辞職した別の友人は、日本に帰ってビジネスを立ち上げようとしていたものの多くの障害に阻まれ計画が滞っており、とりあえず食い繋ぐために就職面接を受けていると言います。別の友人は、自分の会社を大企業の傘下に組み込む商談を最近成功させ、今後の生活に大きな変化が訪れようとしているのだそうです。

おいおい、みんな頑張ってるじゃないか。ちょっと前の私ならここで浮足立ち、「自分も何か変えなくちゃ。このままじゃいけないぞ。」と焦ったところでしょうが、昨日は落ち着いていました。というのも、前日デレックとの電話を切った後、StandOut Assessment(スタンドアウト・アセスメント)というオンラインの性格テストを受け、自分が起業家タイプで無いことを確認していたから。

だいぶ前、大ボスのテリーが「次回(来週水曜)のチームリーダー会議での話題にしたいから、全員このテストを受けて結果を印刷して持って来てね」という一斉メールを発信。ずっと宿題になっていた性格診断です。「友人のパーティーに出席したら、欠席していた自分の親友の悪口で皆が盛り上がり始めました。どうしますか?」「部下のひとりが、昇給額が不当だと憤って直談判に来ました。さてどうする?」というタイプの四択問題が画面に現れ、クイズ・タイムショックみたいな360度扇型電光パネル時計が横でカウントダウンを始めます。規定時間が過ぎるとたとえ未解答でも次の問題へと自動的に進み、20分程かけて終了すると自分の性格診断が発表されます。カテゴリーは次の九種類。

Adviser     アドバイザー
Connector   コネクター
Creator     クリエイター
Equalizer   イクオライザー
Influencer  インフルエンサー
Pioneer     パイオニア
Provider    プロバイダー
Stimulator  スティミュレイター
Teacher     ティーチャー

九つのうちトップ2を挙げ、あなたの強みはこうですよ。更にこんな面を強めると良いですね、注意すべきはこういう点です、という助言もつけての詳細な診断発表。因みに私は、
一位 プロバイダー
二位 ティーチャー
でした。職場で度々トレーニングの講師を務めているので、二位は納得です。でもプロバイダーって何だ?インターネット・プロバイダーなどという言葉に使われるのは、「物やサービスを提供・供給する者」という意味ですが、なんかぴんと来ない。解説を読み進めてみると、プロバイダーと呼ばれる人はこんな性格だと言います。

Their first question is, “are you okay?”
この人たちが最初に発する質問は、「大丈夫ですか?」です。
This is the “I got your back” group.
これこそが「I got your back」というグループなのです。

I got your back というのはI have got your back、つまりI have your back(あなたの背後についている)という意味。要するに、

This is the “I got your back” group.
これこそ「僕がついてるぞ」というグループなのです。

なるほどね。自分がプロジェクトコントロールという裏方仕事を長く続けていられるのも頷けます。独立して会社を立ち上げたりするタイプじゃないのは明らか。この日会話したリスクテイカーたちが眩しく見えたからと言って、そのエネルギーに煽られ無鉄砲な行動に出ることはまず無いでしょう。このテストを受けてみて、世の中には本当に色んな性格の人がいて、それぞれのキャラが上手く組み合わさった時に強いチームが出来上がるんだな、ということをあらためて実感していたのです。

運動会の午後の部が始まって暫くした時、もうちょっと誰かの近況を聞きたいな、という好奇心が湧いて来ました。そうだ、会場をぐるっと一周してみよう、もしかしたら別の知り合いに偶然会えるかも、と思い立ちます。保護者席でざわつく人たちをチラチラ見つつ、ゆったりとしたテンポで歩きます。四分の三周して本部席に差し掛かった時、学校事務局のVさんが大慌てで近づいて来ました。

「ちょうどいいところに現れた!騎馬戦の審判員やってもらえます?」

担当するはずだった父兄の一人がドタキャンし、間もなく競技がスタートするので今すぐ補充が必要だ、というのです。ルール知らないけど大丈夫ですかね、と言いつつ引き受け、オヤジ審判団のミーティングに飛び入りする私。校長先生が真剣な表情でこう言います。

「騎馬戦は特に怪我が心配です。最近も日本の学校で、落馬して半身不随になったケースがあります。危険行為は直ちに止めさせて下さい。そして、担当するチームの後方にぴったりついて転落を防いで下さい。」

赤組、白組それぞれ七つの中高男子混合チームがグラウンド両端に分かれ、号砲とともに怒声を挙げて中央へ雪崩れ込みます。三人の生徒が馬を作り、小柄な生徒が跨って敵チームの帽子を奪おうと手を伸ばす。これに合わせて土台の三人が声を掛け合い、右へ左へと動き回る。背後から忍び寄る敵方に気付いた一人が他のチームメンバーに急転回を指示し、脱出を試みる…。これは高いコミュニケーション技術と身体能力が要求される団体競技なのですね。

私が担当したチームは赤組で、一戦目は見事白組の帽子を剝ぎ取ったのですが、その隙にいつの間にか後方から伸びていた別の騎手の手に自分の帽子を奪われました。私はその間、まるで小兵力士同士の目まぐるしい相撲を仕切る行司さながらのフットワークで動き回り、怪我の無いよう援護姿勢を維持しました。そして二戦目の直前、何やらごちょごちょ相談していたこのチーム、スタートと同時に手近な白組騎馬の背後につき、別の敵が接近するとひたすら逃げる、という戦法に出ました。そして見事制限時間を生き延び、やったぜ!とガッツポーズ。

う~ん、いいんだけどさ...。なんかそういうスタイルの闘い方、心から応援出来ないんだよね。


2017年6月11日日曜日

アメリカで武者修行 第38話 九割がコミュニケーション

ある朝出勤してエドと会った際、私が苦労の末にプリマベーラで作り上げたスケジュールを搭載した最初のプロポーザルが、競合四社と較べても最低の成績で落選したというニュースを聞かされました。不思議に悔しさは感じませんでした。深夜残業と週末出勤を繰り返した末のこととは言え、駆け出しのスケジューラーである私の出した成果が顧客を唸らせるほどの出来だとは到底思えなかったので。ただ、このプロポーザルのためにわざわざウィスコンシンから転勤してきたPMのジムや、私がもたもたする間じっと辛抱して付き合ってくれたサディアに対しては、申し訳ない気持ちで一杯でした。

ケヴィンの部屋を訪ねてプロポーザルの惨敗を伝えます。技術提案ページの一部を担当していた彼もさぞかしがっかりするだろうと思いきや、あっけらかんとこう答えました。
「気に病むことはないよ。今回のは新規の顧客開拓だからな。一発目でモノに出来ることなんてほとんど無いんだ。こういうのは積み重ねが大事で、会社だって二回までの負けは想定済みだよ。」
落ち着き払った友の態度に、微かな嫉妬を覚える私でした。既にいくつかプロジェクトを担当している彼は、当面の食い扶持に不安がありません。一方私は折角つかんだ新しいポジションで結果が出せなければ、またも失職の憂き目に会うかもしれないのです。

夏も近づき、二件目のプロポーザルも選に漏れたことを知らされた時は、更に緊張が加わりました。この数か月前から、社内では統廃合の果ての首切りが始まっていました。一年に一社のペースで他社を買収して来た結果、良く似た技能を持つ人が仕事を奪い合うケースが増え、本当に実力のある者だけが生き残る、まさに労働市場における自然淘汰が社内で進行していたのです。三件目のプロポーザルに取り掛かりながら、「三度目の正直」という言葉を頭の中で繰り返し唱える私でした。

そんなある日、ケヴィンがネットで見つけた情報を転送してくれました。PMP(プロジェクト・マネジメント・プロフェッショナル)の試験対策講習会がサンディエゴで開かれる、というもの。三日間の集中講座で、費用は約1500ドルです。暫くして、彼が私のキュービクルにやって来ました。
「リンク有難う。これ申し込むの?」
「俺は今回見送るよ。シンスケにどうかなと思ったんだ。」
「いやいや、1500ドルは大金だよ。こんなの出せないって。」
「会社の補助が受けられるかどうか聞いてみればいいじゃないか。」
「え?そんな制度あるの?」
「確か、まだあったと思うぞ。社員の資格は会社にとっての武器でもあるんだ。理に適った投資だと判断できれば、きっと払ってくれるだろう。もちろん却下される可能性も充分あるから期待し過ぎは禁物だけどな。」

毎週末の早朝、スターバックスの片隅でこつこつ独学を続けていた私。自分の理解度を客観的に測る術が無く、このまま試験日を迎えて果たして大丈夫なのだろうか、と不安を抱えていました。何か大事なポイントを見逃していないか?いわゆる「受験のコツ」も学ばぬまま本番に臨もうとしているんじゃないのか?「試験対策講座」みたいなものがあったらいいのに、とずっと思っていたのです。だからこの社外トレーニングは、喉から手が出るほど貴重なチャンス。けれど、その代金を払って欲しいと願い出るのは気が進みませんでした。金額の多寡はもちろんのこと、実はエドの心証を害することが心配だったのです。

PMPというのは、プロジェクトマネジメントに携わる者の能力を証明する資格だと言われています。私の所属するプロジェクトコントロール・グループは、全社のPM達をリードしたりサポートしたりする役割を担っているので、社内でこの資格を持つべきは誰かと問われれば、真っ先にこのグループ名が挙がるはず。それなのにエドも、彼の上司のスキーもクリスも、そして大ボスのアルですらPMPを持っていないのです。一体何故なのか。そんな資格など役に立たないと思っているのか。あるいは逆に、彼らほどのベテランですら手が出ない高みなのか。ひょっとすると、新参者の私が受験しようとしていること自体、面白く思っていないかもしれない。担当業務も満足にこなせていないくせに何を思い上がっているんだ、と。トレーニングと称して三日も仕事に穴を開ける?更に1500ドルもの大金を出せだと?どこまで調子に乗るつもりなんだ?
「考え過ぎだよ。駄目でもともとじゃないか。聞くだけ聞いてみたらいいだろ。」
苦笑するケヴィン。

その日の夕方、慎重に言葉を選び、エドに宛ててお願いメールを書きました。すると、
「分かった。会社のサポートがもらえるかどうか、さっそく上に掛け合ってみる。」
と短い返事が届きます。その翌日、彼が私のキュービクルに現れました。そして、
「絶対一発で合格するなら、という条件で全額補助の許しが出たぞ。」
とウィンクします。
「有難うございます!」
エドが特段気分を害している様子は見受けられません。安堵する私でしたが、心の隅に一抹の不安は残りました。顔に出さないだけで、本当は苦々しく思ってるかもしれないじゃないか、と。

七月中旬、ヨットハーバーを望むシェラトンホテルの会議室で席につきました。見ず知らずの社会人たち約十名と机を並べ、中年女性講師の講義を受けます。かつてある有名企業で長年プロジェクトマネジャーを務めました、と笑顔で自己紹介する彼女。授業が進むにつれ、私は強烈な衝撃を感じ始めていました。彼女が淡々と差し挟むヴィヴィッドな挿話の数々が、それまで掴みどころのなかった抽象的概念を、次々と生々しい疑似体験に変えて行くのです。

「あるレポートの作成に十日間かかるとスケジュールに描かれているとします。これ自体に疑問を持つ人はあまりいませんね。でも、プロジェクトマネジャーの立場でよく考えてみて下さい。締切に遅れた場合、責任を取るのはあなたですよ。このレポートが、来月予定されているおたくの社長演説の元ネタになるとしましょう。どうです?。急に不安になりますね。十日間で本当に大丈夫だろうか?問題は、どうやってこのタスクの所要時間を見積もったのか、です。見積もりに必要な情報は何でしょう?過去の経験?それもいいでしょう。しかし一番大事なことは、現実にその仕事を誰がするのか、です。隣の部のジョンが担当者だとして、期限内に仕上げる技量が彼にあるのか。そもそもその期間中、彼自身のスケジュールは空いているのか?ひょっとして休暇とぶつかってはいないか?ちょっと待てよ、ジョンの得意分野はフィールドワークで、確か以前、レポート作成作業を嫌がってたな。そうだ、若手のエミリーならちょうど別のプロジェクトを終えたところで都合がつくかもしれないし、レポート書きの経験が豊富でスピードも速い。今からチームにエミリーを投入しておいたらどうか?これまでにあの二人が一緒に働いたことは無いかもしれない。よし、すぐに二人を引き合わせ、それぞれの上司とも話して了解を得ておこう…。」

「このように、チームメンバーやその関係者から事前に出来るだけコミットメントを引き出しておく作業が、実効的なスケジュールを作成するための決め手なんです。PMの仕事は九割がコミュニケーションだという話は、皆さんご存知ですね。あなたがチームメンバーと話もせず、自分一人で作り上げたスケジュールを一方的に送りつけて静かに成果を待つPMだとしたら、プロジェクトは成功するでしょうか?チームの人たちは、熱意をもって仕事に取り組むでしょうか?どんなに付き合いの長い相手であっても、所詮は他人。コミュニケーションの量や質が乏しければ、疎外感や猜疑心が芽生えるものです。プロジェクト期間中ずっと、コミュニケーションを絶やさないこと。出来るだけ顔を合わせて話す。それが無理なら電話をかける。それぞれの性格や能力、刻々と変化するワークロードなどを理解し、相手にも自分という人間を知ってもらい、信頼関係を築き続ける努力を怠ってはいけません。プロジェクトのスケジュールというのは、チームメンバーとのたゆまぬコミュニケーションの上に作られるべきものなのです。」

それはまるで、手品師が目の前で鮮やかなカードマジックを繰り広げていくのを、口をぽかんと開けて見とれるような陶酔体験でした。教える行為のクオリティって、ここまで高めることが出来るのか、という驚きに震えつつ、三日間の集中コースを終えたのでした。

そしていよいよ十月半ばの土曜、受験日の朝。テストセンターは、家から車で20分の距離にある、ユーカリの大木に囲まれたショッピングモールの中でした。受付けを済ませ、鞄とポケットの中身とを残らずロッカーにしまい、コンピュータが数十個設置された窓のない部屋へ足を踏み入れました。既に何人か、静かに受験を開始しています。指定されたブースに腰を下ろし、モニターと向きあう私。天井の監視カメラがこちらを睨んでいます。画面の注意事項をざっと一読した後、スタートボタンをクリック。静寂の中、モニター右肩のデジタル時計が、04:00:00から一秒、また一秒とカウントダウンを開始します。深呼吸をひとつした後、四択問題に取り組み始めました。

スタートから約三時間半。最後の問題を解き終わったところで、
「合否の結果を見ますか?」
という文字が現れます。Noボタンを押せば、この日の試験は無かったことになります。つまり、出来が悪かったかもしれないと不安であれば、その記録を抹消し、後日再挑戦も可、ということ。

大きく深呼吸をした後、Yesボタンをクリック。

「ハロー?
携帯電話の向こうで、ボスのエドが応えます。手が震えていました。
「シンスケです。お休みのところすみません。」
「うん、構わないよ。どうした?」
「受かりました、PMP。」
「おおそうか!やったな!」

週が明けて月曜日の朝、出勤したその足で、彼のオフィスを訪ねます。すっくと立ち上がって歩み寄り、私の手を力強く握るエド。
「良かったな。本当におめでとう。」
満面に笑みを浮かべます。
「プロジェクト・コントロールの仕事に就いてたった半年でPMPを取っちまうんだからな、たいした奴だよ。俺もそのうち取らなきゃと思いながら、ずっと先延ばしにしてたんだ。でもこれで決心がついた。半年以内に受験することにする。いい刺激をくれて有難うな。」

自分のキュービクルへ行って腰を下ろし、コンピュータが立ち上がるのを待ちながら、ボスの言葉を静かに噛みしめる私でした。

なんてでっかい人なんだろう。あそこまで手放しで称えてくれるなんて…。彼の反応を色々予想してビクついていたことが、どうしようもなく恥ずかしくなりました。そうだ、自分には相手の気持ちを想像し過ぎて物が言えなくなる傾向がある。これからは、心を開いて話をしよう。黙ってメールを送り付けるより、立ち上がってドアをノックしよう。


2017年6月10日土曜日

I have issues with him 彼とはイシューがある

木曜の昼前、生物学チームの同僚ジョナサンを訪ねました。巨大なデスクトップモニターを前のめりで睨みつけ、業務に打ち込んでいる様子。眼鏡の左の弦には名刺が縦長に貼り付けてあり、まるで塀のように彼の目の辺りを覆い隠しています。そっと向かい側に回って上体をゆっくりと左右に揺らしてみたところ、ようやく私に気付きました。

「なんで名刺貼ってんの?」

そう問われて初めて真面目に名刺本来の役割を考え始めた、とでも言いたげな様子で眼鏡を外し、しげしげと見入るジョナサン。

「廊下を通行する人が視界に入るのが嫌なんだ。こうしてないと気が散ってね。」

緊急の仕事に追われているわけではないということを確認した後、iPhoneを取り出し、その朝撮った家庭菜園の写真を彼に見せます。

「ちっちゃい苗木だったトマトが、こんなに生い茂っちゃったよ!まるでジャングルでしょ。」

二ヶ月前の週末、半日かけて我が家の裏庭に素敵な花壇を作ってくれたジョナサン。彼の力作がどのような成果をもたらしているか中間報告しなきゃ、と思ったのです。水遣りは早朝が良いこと、枝が土に着かないよう添木を足すことを忘れないように、などと基礎的な注意事項を述べた後、彼がこう補足しました。

「根元が鬱蒼としているようだったら、低い位置の葉っぱを少し摘んでおくといいな。地面付近の空気の通りを良くしておけば、病気の元になる菌類の繁殖を防げるからね。鳥も出入り出来るようになって、害虫を食べてくれるし。」

ジョナサンの博識ぶりに、あらためて感心する私。

「なるほど、生態系を利用するってことか。ほんとに何でも知ってるねえ!」

すると、それまで隣のデスクで仕事しつつ我々の会話を聞いていた同じく生物学者のジョンが、

“He’s a smarty pants.”
「彼はスマーティパンツだよ。」

と笑いました。そして、

「いや、むしろsmarty plants(スマーティプランツ)と言うべきかな。」

とふざけます。パンツとプランツ(植物)で韻を踏んだのですね。

昼休み、ランチルームで部下のカンチーと並んで弁当を広げていた時、突然この「スマーティパンツ」が気になり始めました。「スマート」は「賢い」だから、スマーティパンツがそういう意味であることは大体想像がつきます。しかしそれがポジティブに使われるのか、それともネガティブな含みがあるのかが分からなかったのです。

「うちの可愛い甥っ子は幼いわりに物知りだから、彼を評してスマーティパンツって言う時があるけど…。」

「てことは、褒め言葉なんだね。でも、なんでそもそもパンツなのかな?」

「さあ、何故かしら?」

そこへちょうどジョナサンが通りかかったので、

「ほら、あそこにスマーティパンツがいるよ。」

と指さします。彼がニヤニヤしながらやって来て、ランチルームの真ん中に置き捨てられていた椅子の背をつかみ、それに抱きつくようにして腰かけます。

「スマーティが賢いっていうのは分かるけど、なんでパンツなの?」

という私の質問に、眉間に皺を寄せて固まるジョナサン。ちょうどそこへ生物学チームの大ベテランであるビルが弁当を手にやって来て私の左斜め横の席に腰を下ろしたので、同じ疑問をぶつけます。気が付くと、カンチー、ジョナサン、そしてビルの三人が左手にそれぞれスマホを持ち、顎を引いて一心不乱に検索を開始していました。

「語源はどこにも出ていないな。」

とジョナサン。

「おそらくだけど、パンツ(ズボンのこと)ってのは男性の総称なんじゃないかな。Fancy pants(気取った男)って言う言葉もあるからね。 」

「誰が対象でも使えるの?失礼にはならない?」

「基本的にはからかうトーンだから誰でもってことは無いけど、冗談が通じる相手だったらオーケーだよ。テリー(我らの大ボス)ならきっと大丈夫だろうな。でも社長に対して使うのは危険かもな。頭の良さをひけらかす奴、という嫌味にも使われるから。」

とビル。う~ん、これは用法の線引きがなかなかに難しいフレーズだぞ…。

“He’s a smarty pants.”
「彼は物知り博士なんだよ。」

てなとこがこの場合の妥当な和訳でしょうか。

そこへ、品質管理部門のベテランで私との付き合いが長いクリスが現れたので、「スマーティパンツ?」と彼を指さして皆の反応を見ます。面喰った表情で「え?僕のこと?」と周りをキョロキョロ見回すクリス。近づいて来た彼に、ここまでの我々の討論について説明すると、

NPR(公共放送局)のA Way with Wordsって番組知ってる?あそこに電話して聞いてみたらいいんじゃない?」

と提案します。それは「英語に関する何でも相談室」で、リスナーからの質問に二人の専門家が答えてくれる、というスタイル。イディオムの語源や耳慣れない英単語の意味を丁寧に解説してくれるのですが、そもそもネイティヴ・スピーカーからの疑問に答える番組なので、出て来る表現のほとんどが初耳。私のような英語学習者にはややハードルが高いのです。

「十年くらい前、電話してみたことがあるよ。」

とビル。え~っ?こんな身近に出演経験者がいたんだ!と驚き、

「なんて質問したの?」

と尋ねます。

「質問じゃなくて確認だったんだけど、俺の主張にあいつら結局最後まで同意しなかったんだよ。十年経った今なら、きっと納得すると思うがな。」

彼の主張というのは、「Issue(イシュー)はProblem(プロブレム)から対決の要素を排除して丸くした言葉だ」というもの。

“There is a problem,”問題があります。
「問題」と言ってしまえば、そこに意見の対立や衝突が想定される。

“There is an issue.”イシューがあります。
「問題点、争点」とも訳されるこのIssue。一歩引いて客観的に事態を眺めた感じになる、というビル。なるほどね、と感心する私でしたが、ジョナサンとクリスは賛成も反対もせず、この話題はそのまま潮が引くように消えて行きました。

「僕がここに来た本当の理由なんだけど、」

とクリスがあらためてビルの近くに立ち、声を潜めて話し始めました。

「○○プロジェクトのリスク・レビューをしている最中なんだけど、何か聞いてないかと思って…。」

プロジェクト・スコープの一部に、現場へ出かけて行ってある種のカエルを空気銃で撃ち殺す、という仕事があるんだが、それが議論になっている、とクリス。

「奴等は外来種で、ありとあらゆる生物を食べるんだ。小型のカエルまで食っちまう。放っておけば、そこら一帯の生態系はあっという間に壊滅だ。だから奴等の個体数を減らしていくしかないんだよ。」

とビル。

「でも、業務内容がハンティングっていうのは前代未聞でね…。」

「おいおい、銃と言ったって本物じゃないんだぜ。人間に対する殺傷能力は無いんだ。問題ないだろう。」

「いや、本社のリスクマネジメント・チームが、我が社の加入している保険は狩猟を対象としていないから、ということで問題視してるんだよね。」

苛立ちを露わにしたビルが、クリスに対して吐き捨てるように言いました。

“I have issues with those smarty pants.”
「そのスマーティパンツ達とはイシューがある。」

後で調べたところ、I have issues with someone とはムカつきを帯びた表現で、「誰々の意見や考えには反対だ」という意味だと分かりました。私の訳は、これ。

“I have issues with those smarty pants.”
「その知識人どもには賛同しかねるな。」

昨日の昼、同僚ディックとランチに行った際、issueproblemの違いについて尋ねてみました。Problem をオブラートに包んだのがIssueという解釈は合ってるか?というと、それは違う、と真っ向から否定するディック。

Issueは何かに深く内在する事柄で、それがProblemとして認識されるとは限らない。Issue の一部がProblemとして表面化して初めて解決を検討すべき対象になるけど、Issueは大抵Issueのままで存在し続ける。」

なるほどね。

「そもそも誰がそんな説を唱えてたの?」

と尋ねるディックに、これはビルの主張なんだよと答えました。十年前にビルがこの自説を引っ提げてA Way with Wordsというラジオ番組に出演し、専門家に嚙みついたというエピソードを話したところ、

「いかにもビルのやりそうなことだな。」

とディック。過去に彼との間で起きた様々な事件が脳裏に蘇って来たようで、暫く思い出し笑いを浮かべていたディック。ぼそりとこう締め括りました。

“I have issues with him because of that.”
「彼と反りが合わない理由はそれなんだよ。」