2018年4月15日日曜日

Connected コネクテッド


金曜の早朝、朝日の上る前に自宅を出発し、一時間半ほど車を飛ばしてオレンジ支社へ。10時半のミーティングに備え、まずは四階のビジター用オフィスを確保。コンピュータを立ち上げました。振り向くと窓の外で、澄み切った空気の向こうに青い空が広がっています。

「元気?どうしてる?」

8時半、東海岸のパットから携帯に電話が入ります。本社副社長の彼女とは、月一回くらいのペースで連絡を取り合うようになっているのです。

「週明けにサンディエゴへ戻ったんだ。時差ボケが抜けなくて、予想外に苦しんでるよ。」

二週間の一時帰国を終え、帰宅したのは月曜の昼。体調を整えるため火曜日も有給を取っておいたのですが、体内時計が一日では補正できず、頭痛や眠気と闘いつつ復帰三日目を迎えたのでした。

「桜は見られたの?」

とパット。今回は、息子に人生初の花見をさせるために帰国日程の調整をしたのだ、と出発前に話してあったのです。

「ドンピシャで開花日に間に合ったんだ。どこへ行っても何億という薄ピンクの小さな花が視界一杯に咲き乱れていてね。まるで桃源郷だよ。」

「まあそれは素敵ね!」

「おかげで、いまだに気分は半分夢の中ってわけさ。」

「そうでしょうね!友達にも会えたの?」

「うん、大勢の人に会えたよ。何年もご無沙汰していた友達や元同僚たちに会えたのは良かったな。若い頃一緒に馬鹿やって騒いでた仲間が、今ではそれぞれの居場所で重責を担って活躍してるんだ。なのにみんな、あの頃のままの無邪気な笑顔で迎えてくれてね。何人かはわざわざ平日に有給まで取って付き合ってくれたんだ。思い出すだけでちょっと泣けて来るよ。なんて言ったらいいかな、この感じ…。う~ん、」

ぴったりした英語表現が思いつかずに言い淀んでいると、パットが助け舟を出してくれました。

“You felt connected.”
「コネクテッドって感じたのね。」

「そう、それだよ!」

コネクテッドは「繋がっている」という意味なので、彼女の使ったフレーズはこう訳せると思います。

“You felt connected.”
「絆を実感したのね。」

渡米して18年になるけど、やっぱり自分の根っこは日本にある。沢山の仲間が、まだ忘れずにいてくれる。このことを自覚した途端、激しく動揺している自分がいました。あれ?もしかして僕は日本に帰りたいのかな?

実は時差調整日の火曜、東京で買い漁った十冊の日本語書籍をベッドサイドに積み上げ、人知れずちょっぴり沈んでいた私。翌日からの職場復帰に対し、イマイチ士気が湧いて来ないことに気付いていたのです。ここに積んだ日本語の本、一気に読んじゃいたいけど、そんな時間無いよなあ。明日からまた英語で仕事するのか。しんどいなあ。かなりの期間、英語使ってないしなあ。ちゃんと喋れるかな。長年かけて培った日本の仲間たちとの絆を再確認した後だけに、「勤務時間内だけの付き合い」に終わりがちなアメリカの同僚達との関係が妙に薄っぺらく思えて来たことも、浮かない気分の一因でした。

そして水曜日の早朝、18日ぶりの出社。12階でエレベーターを降り、キーカードをスワイプしてオフィスに入ります。

「シンスケ!」

私の姿を見るやいなや、既に出勤していた部下のカンチーが飛び上がるようにして席を離れ、島机をぐるりと回って小走りに近寄り、伸び上がってギュッとハグしてくれました。

“Welcome back! It’s so nice to see you again!”
「お帰りなさい!また会えてホントに嬉しい!」

え、そう来るの?いいじゃん、これ。ここまでの歓待は予想外だぞ…。それからティファニー、テイラー、と順々に現れ、まるで地球防衛の任務を完遂して帰還したヒーローを迎えるかのように、私との再会を喜びます。普段あまり会話しない人事部のアシーナまでわざわざやって来て、お帰りなさい!と目を輝かせます。何これ?ドッキリ?

木曜には長年の同僚マリアから、

「ちょっと話せる?近況報告会をしましょうよ。」

とメールが入ります。オッケー、今度一緒にランチ行こう、と返信します。

金曜の12時過ぎ、会議室から戻ってコンピュータを見ると、サンディエゴの同僚ディックから日本語でテキストメッセージが入っています。

「今日の昼食?」

英日翻訳ソフトにかけてから貼り付けているために、ややぎこちない文体ですが、Lunch today?というディックの英語原文を機械が訳すとこうなるのでしょう(「昼飯行かない?」あたりが妥当な和訳だと思います)。すかさず英語で返信します。

“may i take a rain check? i’m in orange.”
「また今度ってことでいい?今オレンジにいるんだ。」

すると暫くして、彼が再び日本語で返して来ました。

「私は大きな悲しみで待たなければなりません。」

ひとしきり笑った後、しみじみ思うのでした。そうだ、ここアメリカにも大勢仲間がいるじゃないか。彼等との絆も日々固まって来ているのに、そのことに今日まで気付かなかった。久しぶりの再会で日本の仲間たちとの絆を意識したように、こうしてちょっと離れたことで、アメリカの仲間たちとの繋がりも確認出来た。今回の旅の最大の収穫はこれだな!

“I felt connected!”
「絆を実感したぜ!」 

2018年3月24日土曜日

OCD オーシーディー


妻が一足先に日本入りしたので、ここ三週間近く16歳の息子と二人暮らしです。これほどの長期間、彼と二人だけで過ごすのは初めてかもしれません。あらためてじっくり付き合ってみると新たな発見も多く、特に驚かされるのは、その並外れてお気楽な性格。単なる父方の遺伝と片付けるにはいささか度を超しており(私もかなりの楽天家ですが、一定のリスク・マネジメントは心掛けています)、それはむしろ「進化」とも呼ぶべき領域。

過去の失敗をいつまでも悔やみ続けるとか、これから起こるかもしれない災いを想像して気を揉むとか、そんな繊細さは一切持ち合わせていない。ろくに準備もせずにテストを受け、「すごく良く出来たよ!」と笑顔で帰って来る。後日予想外にひどい結果を受け取っても、「あれ?変だなあ」くらいの薄いリアクション。気に病む様子は見受けられません。試験前であろうと、放っておくとパソコンで何時間もゲームに興じ、宿題の提出はしょっちゅう失念する。任せた家事の遂行率は三割以下。洗い物を頼んでも大抵は先延ばしにするので、皿は汚れでカピカピになってしまいます。

ある朝、いつものように好物の納豆ご飯を楽しもうと炊飯器の蓋を開けところ、全く炊けていません。なんと、前の晩息子にセットを頼んでおいたタイマーが、夕方6時になっていたのです。水の底で静かにダンスパーティーの開始を待つ白米たちを見つめながら、こんな単純な家事までしくじってくれるのかよ!と溜息。熟睡中の息子を揺り起こして彼の失敗を指摘すると、一応謝りながらもケラケラ笑い出します。「おい、全然笑うところじゃないぞ!」と叱りますが、事態が深刻であればあるほど笑ってしまう性格なので、怖い顔をしても全く意味が無い。彼みたいな超能天気人間は、「にっちもさっちも行かない苦境に陥る」経験をしこたま重ねないと改善は望めないのかもしれないなあ、と思ったのでした。

さて、水曜の昼前。隔週で実施しているチームミーティングの出だしに、シャノンがセーフティーモーメントを披露しました。

春休みを利用して女友達とヨーロッパ旅行に行った二十歳の娘ジュリアが、帰宅してシャノンに打ち明けた体験談。アムステルダムのバーで深夜まで飲み、ホテルに帰ろうとバスに乗ったのだが、ふと窓の外を見ると全然見覚えの無い街を走っている。運転手に尋ねてようやく、間違った便をつかまえてしまったことに気付きます。慌ててバスを止めてもらいますが、連れの友達は泥酔状態。フラフラの彼女を抱きかかえるようにして街灯もまばらなさびれたエリアに降り立ち、これはまずいことになった、と一気に酔いが醒めるジュリア。急いで携帯電話を取り出し、ウーバーのアプリを試します。すると一台、そう遠くないところを走っているのを発見。何とかこれをつかまえて予約を入れ、ほっと胸を撫でおろします。ところが、電話のバッテリーは既に宵の口からレッドゾーンに突入しており、間もなく画面が完全に暗くなります(一日歩き回っていたので、充電する機会が無かったのですね)。客の携帯電話がシャットダウンすると自動的に予約をキャンセルするのがウーバーの決まりなので、これで万事休すとなりました。

「なんで予備のバッテリーを持って行かなかったのよ。旅行の前に買ってあげたじゃない!」

と、不吉な展開に激しく動揺する母親。そもそもジュリアは非常に用心深い子で、シャノンは更にその上を行く慎重な性格。

「持ってったわよ。バーで店の人にチャージしてって頼んでおいたのに、コンセントが奥まで刺さってなかったみたいで、気が付いたら全然充電出来てないのよ!」

悪いことは重なるものです。これはいよいよのっぴきならぬ事態。千鳥足の友達から携帯を奪い取り、スイッチをオンにさせますが、ウーバーのアプリが入っていない上、その電池残量もわずか十数パーセント。一か八か、友達の目を覚まさせてアプリをダウンロードさせ、電池切れ寸前でウーバーに乗り込むことが出来たのでした。

「教訓。携帯は、常に充分な電池残量を保つこと。」

とシャノン。

その日の午後、ふと自分が仕事に没頭出来ていないことに気付きました。何でだろう、と暫く考えてから、上体を斜めに伸ばしてコンピュータモニター越しに向かいのシャノンに尋ねました。

「あのさ、午前中のチームミーティングで、オーシーディーとか何とか言わなかった?」

「言ったわよ。」

何で即座に意味を尋ねなかったのかをその時から訝っていたようで、待ってましたとばかりにクスクス笑うシャノン。

「さっきからその言葉が何度も蘇って来て、仕事に集中出来ないんだ。意味教えてくれる?」

チームミーティングの場面に戻ります。

ジュリアのアムステルダム体験談を聞いた後、前よりも一層用心深くなった、と続けるシャノン。

「シンスケからちょくちょく言われてたでしょ。パソコンや携帯の電池残量が50パーセントを切ったらすぐにプラグインしろ、ガソリンメーターが半分を指したら直ちに燃料補給せよって。」

「典型的なRisk Averse(リスク・アヴァース = 危機回避型)人間だからね、僕は。」

「正直、いくら何でもそこまで慎重にならなくても、て思ってたのよ。でも娘があれほど危険な体験をしたと聞かされた後は、シンスケの忠告が私のOCD(オーシーディー)に組み込まれちゃったの。」

ここで、チームメンバー達が一斉に笑います。つられて笑う私。おーしーでぃー?なんだそれ。まあいいか。そんな感じでスルーしてしまった単語だったのです。

「で、どういう意味なの?」

と、あらためて質問する私。

Obsessive Compulsive Disorder (強迫性障害)よ。」

「あ、それは聞いたことある!」

Obsessive(とりつかれたように異常な)Compulsive(強迫観念にとらわれる)Disorder(障害)。つまりシャノンは娘ジュリアの恐怖体験をきっかけに、私が常々唱えていた「電池や燃料の残量が半分を切ったら直ちに補給開始せよ」という忠告が身に染み、実行せずにはいられなくなった、と言いたかったのですね。

「初耳の英単語やイディオムは意味を調べて理解しないと気が済まない、っていうシンスケの性格もオーシーディーかもね。」

と笑うシャノン。

さて金曜日は、同僚ディックとピザ屋でランチ。OCDの話をしたところ、最近濫用されている単語だと彼が言います。

「本来はその行為自体に大した意味は無いのに、何かをきっちり五回続けないと先へ進めない、なんていう異常行動が伴わないと当てはまらない医療用語なんだよ。それをみんな面白がって、わざとずらして使い始めちゃってね。例えば俺は、後で皿洗いが楽なように、食事が終わるや否や食器の汚れを大まかに拭き取って種類別に重ねておかないと気が済まないんだけど、それを見る度に、ホントにOCDねってワイフが笑うんだ。」

なるほど、それは確かに大胆な「ずらし」かも。面白いけど。

「ほとんどの人は何かしらOCDっぽい要素を持ってるでしょ。要はバランスの問題なんだよね。OCDと極端な能天気との間の、どのあたりが最も健全なのか。難しいテーマだよね。」

とディック。

帰宅して、息子と買い物に行く道中、

「OCDって聞いたことある?」

と聞いてみました。

「知ってるよ。ボクと正反対だよね。」

なんだ、ちゃんと自覚してるのか。

「君の場合、どんな病名が当てはまるのかな。異常にのんき(ケアフリー)な病気。」

すると、間髪入れずにこんな返しが来ました。

「それもオーシーディーだね。ほら、Obsessive Carefree Disorder(異常のんき障害)。」

機転が利いてるなあ。ちょっと感心したぞ。意外と健全なのかも…。


2018年3月20日火曜日

Whippersnapper ホイッパースナッパー


先週、ランチルームでベテラン社員のビルが隣に座ったので、彼の陸軍勤務時代の体験談をひとしきり聞かせてもらいました。そして気が付くと、いつの間にかトランプ大統領の話題になっていました。己の言動の一貫性など知った事か、と言わんばかりに突然銃規制の強化を訴え始めたので、副大統領や共和党員はもちろん、民主党の人々も度肝を抜かれたという最近のニュース。

「前々から予測不能な人物だとは思ってたけど、側近たちをも簡単に裏切っちゃうんだから、スケールが違うよね。」

と私。するとビルは首を大きく振りつつ、

「あの野郎はホントに大っ嫌いだよ。毎朝起きる度に、あんな奴が大統領やってるんだと思い出して、滅茶苦茶気分が落ち込むんだ。」

と溜息をつきます。

「このままだと二期目も有りだよね。誰か有望な対抗馬はいないの?」

と疑問を投げかけたところ、ビルが更に浮かない顔。

「今のところ、勝てる見込みのある奴は見当たらんな。」

「ポール・ライアンなんかはどうなの?」

48歳で下院議長を務めるライアン氏はなかなかのルックスで、そこそこ人気もあるのです。

「ダメだよあんな奴。」

と一蹴するビル。

“He’s just a whippersnapper.”
「単なるホイッパースナッパーだからな。」

え?何それ?と思わぬ新単語の登場に食いつく私。

「え?ああ、若くて元気が良いだけだってことさ。」

「何でそう言うの?」

「う~ん、それは知らんな。」

翌日、部下で大卒二年目のテイラーと食後の会話を楽しんでいた際、急に思い出してこう尋ねました。

「ねえ、ホイッパースナッパーって知ってる?」

すると、聞いたことあるけど意味は知らないわ、答える彼女。あ、そうなの?じゃああんまり流通していない単語なのかな、と追及を諦めかけたのですが、テイラーは素早くスマホを取り出し、三秒もしないうちに検索結果を読み上げ始めたのでした。

「若い世代の人に対して使われる、Insulting(侮辱的)な言葉だって。」

エラそうな口のきき方をする若者、つまり「生意気な若造」という意味の単語だとのこと。でもなんでホイッパーとかスナッパーとか出て来るのか?「ホイッパー」は鞭をピシピシ打つ人、「スナッパー」は紙クラッカーをパンパン鳴らす人、という意味で、これがつまり、「重みの無い話を調子良く喋る小賢しい若者」のイメージに繋がるのですね。へえ、こんな言葉、アメリカにもあるのか。

「年寄りが好んで使う単語なんだって。」

とテイラーが補足説明を読み上げ、クスクス笑いながらこちらを見ます。

「おいおい、年寄りを侮辱する気か?」

と一応おどける私。

この国に来てからもうすぐ18年が経とうとしていますが、私は未だにアメリカ人の「年長者に対する敬意の欠如」に慣れることが出来ません。日本でたっぷり刷り込まれた「相手の年齢や社歴が上ならとりあえず敬語」という条件反射が抜けないので、親子ほども年の離れた若者がまるで友達みたいな気さくさを振りまいて話しかけて来た時など、思わず一瞬うろたえてしまうのですね。「ど、どういうつもりだ?」と。

権威に対して怖じる必要が無いのだから、誰でも自由に意見を言える。それが社会や組織の風通しを良くし、革新的なアイディアが生まれる土壌になる。この点ではアメリカと言う国を高く評価している私です。しかしその一方で、大した知識も経験も無い奴が臆面も無くいっちょ前な口のきき方をする場面に出くわす度に、どうリアクションを取ったら良いか分からず落ち着かないのですね。

「何を偉そうにとんちんかんな事を言ってやがんでえ。すっこんでろ!」

と怒鳴りたくなるケースも少なからずあり、これってきっと日本人ならではの特殊な感覚なんだろうな、と自分に言い聞かせて来ました。そんな時このWhippersnapperという単語をバリバリのアメリカ人であるビルの口から聞いたことで、若者の傍若無人な態度を内心面白く思っていない年長者もこの国に結構いるのかも知れないな、と思い直したのでした。

その日の午後、コンピュータ画面を睨んで仕事に没頭していたら、視界の左隅で部下のアンドリューがこちらをじっと見つめているのに気が付きました。どうしたのかと彼の方へ顔を向けると、

「電話鳴ってるけど。」

と指さします。マナーモードになっていた私の携帯電話が、控え目な振動を繰り返しているのです。

「あ、ほんとだ。有難う。」

慌てて電話に出て会話を終えたところ、アンドリューがクスクス笑いながら、「若者にしか聞こえないリングトーン」って知ってるかと聞きます。いや、初耳だけど?

彼の学生時代、ある周波数を超えると高齢者に聞こえなくなるという特徴を活かし、授業中に携帯電話が鳴っても先生にバレない種類のリングトーンを皆で使っていた、と。

「ええ?そんなのあんの?」

と驚いてから、おいおい、何でそんな話をしてるんだよ?と我に返る私。

「いや、さっきので思い出しちゃって。」

とニヤニヤし続けるアンドリュー。ううむ。なんかナメられてる感じ...。

さて一昨日の昼飯時、植物学チームのジョンが隣に座ったので、前々から聞こうと思っていた彼の副業について質問してみました。彼は地元のコミュニティーカレッジで、週何回か講師をしているのです。コミュニティーカレッジというのは、州政府や市が経営する格安の短大。ここで二年学んでアソシエート・ディグリーと呼ばれる学位を取得し、これを持って四年制大学に編入しようと目論む学生が大勢います。

「学生さんってどのくらいの熱心さで授業取ってるの?」

「いや、それはもう千差万別だよ。必要な単位数を稼ぐだけのために来てるような奴は、当然ほとんどやる気ないし。」

ある年、学期の半分が終わる頃、男子学生がひとりジョンを訪ねて来たそうです。

「四年制大学に編入したいので推薦状を書いて欲しいって言うんだ。ところが彼は、僕の出した宿題を、学期前半に一回も提出してなかったんだよ。」

「うわあ、そんな状況でよく推薦状頼んで来るねえ。で、どうしたの?」

「さすがに断ったね。」

と笑うジョン。

「そしたらその後にさ、学生課から連絡が来たんだ。中間試験前のストレス発散イベントに参加して欲しいって。学生からの推薦があったんだと。」

「何のイベントだって?」

「テスト勉強で溜まったストレスを発散しようっていう行事なんだ。内容を聞いたら、板にくり抜かれた穴に顔を突っ込んで立っててくれって言うんだよ。学生たちがパイを投げつけるからって。」

「ええ?何それ?で、行ったの?」

「いや、たまたま先約があったから辞退したよ。」

「先約が無くても断るだろ、普通!」

いつの間にか、昼飯を食べ終えていた同僚のリンドンやビルもジョンと私の会話に聞き入っていて、一斉に突っ込みます。しかし当のジョンは、静かにニコニコ笑っています。

「学生課には一応聞いてみたんだ。」

「何を?」

「誰が僕を推薦したの?ってね。」

当然ながら、匿名の推薦だったとのこと。

「学生がパイを投げる寸前まで顔出しといて、推薦人が誰なのかを突き止めるって手もあったよな!」

とビル。

それから皆でゲラゲラ笑いつつ、ランチルームを去ったのでした。
う~ん、これってジョークとして済ませていい種類の話なの?

…何だかまた良く分からなくなりました。


2018年3月11日日曜日

働き方改革


「4月第一週を最後に引退することを、正式に申し出たよ。」

スキンヘッドを光らせて、レイが会議机の向こうで微笑んでいます。まるで中央アジアの山奥に建つ名高い寺院で悟りを開いた高僧のような、深い落ち着きを漂わせた人物。サンディエゴ支社環境部門のナンバー2として長年活躍して来た彼は、この一年間私の直属の上司でした。「プロジェクト・コントロールのことは何も分からないけど、代わりに君のチームを精一杯サポートするよ。」と、まるで守護神のように私達を庇護してくれました。

「コミュニケーションを深めるためにチームで時々ランチへ行くといい。費用は僕が承認するから。」

と提案してくれたのも彼でした。これまでの感謝を込めて、彼にこう言いました。

“Happy retirement!”
「引退おめでとうございます!」

退職後の計画について尋ねると、小児専門病院でボランティアをするとのこと。病気やケガで運ばれて来た幼い患者の親に対し必要な情報を適時提供するのが主な任務。英語の出来ない人には素早く通訳者の派遣を手配したりもするのだと。

「子供が入院するような事態になると、親は本当に心細いんだよ。言葉が通じなかったりすれば、なおさら辛い。そんな時、誰かが付き添って質問に答えてくれるだけで、ストレスはだいぶ軽減されるんだ。実はもう何年も前からやっていることでね。これまで週二日ペースだったんだが、そろそろ本腰入れようってわけさ。」

ベテランとは言え、おそらくレイは私とさほど変わらぬ年齢です。収入ゼロになってまでボランティア活動に重心を百パーセント移すというのは、今の私にはちょっと考えられない選択肢。なんでそこまで思い切れるんですか?と尋ねたところ、

「うちの娘がね、生後数週間経っても体重がなかなか増えなかったんだ。検査の結果、食道がきちんと胃に繋がっていないことが分かったんだな。このままだと生存は難しいということで、かなり難しい手術をして助けてもらったんだ。いつかはその恩返しをしたいとずっと思っていて、ようやく数年前に病院でのボランティア活動を始めたんだ。今では娘も社会に出て一人前だし、我々夫婦が何とか食っていくだけの余裕はあるから、もうそんなにガツガツ働かなくてもいいかな、とね。それに、僕みたいのがいつまでも会社でのさばってたら、次の世代の優秀な人達に悪いだろ。」

こんな人が病院にいてくれれば、患者もその家族もきっと随分助かることでしょう。

「今の仕事はそれなりに好きだけど、一日を振り返ってみて、ひどく虚しくなる時も多いんだよ。一体自分は今日、この世にどんな価値を生み出したんだろうってね。特に、それ自体に何の意味も無いと分かっている数字の操作や作文を、単に目標を達成しましたと言うだけのためにやらされる時なんかはね。それに対してボランティアのいいところは、ストレスと無縁で、自分がするひとつひとつのことに意味を感じられる点なんだ。」

現場で実業に携わる者は、たとえ給料が低くても、毎日何かしら満足感を覚える瞬間があるものです。しかし、組織内での地位が上がるにつれ虚業の割合が増えて行き、高い報酬と引き換えに「やりたくない仕事」から来るストレスを抱えることになる。我が社で一旦マネジメントレベルに到達すると、もう一度実業に戻ろうとしても単価が高過ぎて、プロジェクト・チームにとっては使いにくい存在になっている。

中間管理職の私は、まだレイのいる領域に足を踏み入れたことはありません。優秀な部下たちに囲まれ、PM達からは度々感謝の言葉を浴び、大満足で家路につく毎日。「報酬付きボランティア」と言っても過言ではないこんなお気楽ポジションにいたら、いつまで経っても高収入は望めない気がします。

「今よりぐっと報酬を増やしたければ、経営者側の立場に身を置くしかないと思うよ。プロジェクト・コントロールの仕事を片手間にして、僕みたいなポジションに移る気はあるかい?」

と問いかけるレイ。う~ん、「真にやりがいのある仕事をフルに楽しみつつ高収入」ってのが理想なんだけど、そんな都合のいい話って無いんだろうなあ…。

ここ数週間、今月末に予定している一時帰国中にかつての同僚や先輩達に会いたいなと思い連絡を取っているのですが、誰もがそれぞれの所属組織で責任ある職務に就いていることが分かって来ました。その多くは、定年退職という大きなマイルストーンも視野に入って来ている年齢。気が付けば、年相応の重責を避けてフラフラ生きているのは、私くらいなのです。さすがに若干、焦りを感じ始めたのでした。このままでいいんだろうか?やりたくない仕事でも進んで請けないといけない時期に来ているのだろうか?と。

さて先日、ミーティングから戻って席についたところ、向かいから上体を斜めに伸ばし、シャノンが話しかけて来ました。

「ねえ、ジャックが来てるの知ってた?さっきシンスケのこと探してたわよ。」

「え?ジャック?なんで?」

数か月前にレイオフされた日系アメリカ人エンジニアのジャック(88歳)が現れたのは、それから数分後のことでした。再会を喜んで立ち上がり、固い握手を交わします。

「引退生活楽しんでますか?」

と尋ねる私に、

「いやそれがね、再就職が決まったところなんだよ。」

と笑顔で答えるジャックの手を握ったまま、その場で大きくのけぞる私。

「先週面接があってね、即採用決定さ。ここよりずっと小さい会社だけど、また同じような仕事を任されそうなんだ。」

あと二ヶ月で89歳になるジャック。能力と体力と気力さえあれば、いくらでも仕事はあるということでしょう。

「いやあ皆に驚かれるんだけどさ、全然大したことじゃないよ。こないだはうちの姉貴の誕生会に行って来たけど、102歳でピンピンしてるんだぜ。僕のことなんかいまだにガキ扱いだよ。」

このお姉さんは、90歳で新車を買った際、十年保証をつけたことで家族に呆れられたというのですが、ジャックもこの分だとまだまだ行けそうです。

「ゴルフも続けてるんですか?」

と私。

「いや、ゴルフはちょっとお休み中なんだ。心臓にちょっと不具合が見つかってね。先週ペースメーカーを埋め込んで貰ったんだ。ほら、触ってみて。」

彼の左胸に手を当てると、ライターサイズのでっぱりを感じます。なんと、ペースメーカーの手術をした同じ週に再就職とは!

「今度のオフィスは、日本食スーパーやレストランの密集してる通り沿いにあるんだ。また近いうちに夕食会をしよう!」

さっと右手を挙げ、変わらぬ笑顔を見せて立ち去るジャックを見送りつつ、心の中で静かに呟いていました。

よし決めた。人生の限られた時間をやりたくない仕事に費やしてストレスをためながら高給を食むより、そこそこの報酬でもやりがいのある仕事に力を注ごう。とことん楽しんで生きて行こう、と。 

2018年3月8日木曜日

Me Too Movement  ミー・トゥー運動


ランチルームで弁当を広げていたら、ベテラン社員のビルがやって来て左隣に座りました。食事しながらひとしきり世間話を交わした後、

「この世界に入ってから経験した中で、一番大きな変化って何だった?」

と聞いてみました。引退を考え始めているという噂を最近耳にしたので、一緒にいられる内にこの優秀な年長者から何か知恵を授かりたいな、と期待しての質問でした。

「そうだなあ…。俺がコンサル業を始めた頃は、レポートでも何でも全て手で書いてたってことかな。」

おっと、拍子抜けするほど平凡な回答。ま、ランチ食いながらの軽い会話だもんな。しょうがないか。

「手書きの書類が完成したら、女性タイピストのところへ持って行く。あの頃はタイピングの専門家とか、郵便物の整理や配達をする女性が大勢いたんだよ。」

「そう言われてみれば、僕が日本で働き始めた頃も似たような感じだったな。」

私が最初に配属されたのは、ニュータウン開発事務所の工事部でした。当時は百パーセント男性社員。まるで男子校の合宿です。そこに地元採用のバイト主婦たちが数人通って来ていて、コピーとかお茶くみ等の単純作業を任されていました。飲み会の準備とか片付けもやってくれてたな…。本採用の技術系女性社員が初めて職場に登場したのは、その一年後でした。

「インターネットもEメールも無かったから、書類やら図面やらは、郵送するか誰かが電車や車で移動して届けるしかなかったんだよね。設計コンサルタント会社から図筒を抱えてバイトの若い女性が来たりなんかすると、若い男どもが何人も寄ってたかってちょっかいかけてたな。この後、直帰?一緒に飲みに行かない?なんてね。」

“Do you have plans?”
「何か予定ある?」

と、悪戯っぽい顔で合いの手を入れるビル。Plan(プラン)には「予定」の他に「設計図面」という意味があるので、

「図面持って来た?」

とも解釈出来るセリフ。ビルお得意のおやじギャグです。彼が引退したら、こういうのも聞けなくなっちゃうんだなあ…。

「今そんなことやったら、皆から眉をひそめられるよね。あの頃と較べて一番変わったのは、女性の働き方かもなあ。」

と私。そこへ受付兼総務のミリアムが、キャスター付き配膳台に何やら沢山載せてやって来ました。ベテラン総務社員のベスとヴィッキーが解雇された後、派遣会社からやって来た彼女。ナオミ・キャンベルを彷彿とさせる、クールな佇まいです。

「何運んでるの?」

と声をかけると、

「カップケーキよ。ほら、今日はお祝いでしょ。」

「あ、そうか。」

そうなのです。この日はInternational Women’s Day(国際女性デー)。女性の平等な社会参加の環境整備を推進する運動の記念日です。これを祝い、皆でカップケーキを食べようという企画。大ボスのテリーと環境部門のベテラン社員リタが合計120個以上も買い込んで来たのです。先週から予告されていたのですが、すっかり忘れていました。

「みんなパープルの服を着て来てね!」

というお触れが回っていたため、女性社員はみな紫色のセーターとかスカーフを身に着けて出社。そんな服は持ってないという人のために、パープルのリボンも用意されました。ミリアムがカウンターの上に並べたカップケーキには、全て紫色のクリームがトッピングされています。パープルは女性を象徴する色だという、国際的な共通認識がベースになっているとのこと。後で私もこの運動に敬意を払い、シャツの胸ポケットに紫リボンをつけました。

今の職場は半分以上が女性だし、私の率いるプロジェクト・コントロール・グループも、4対2で女性が優勢。過去30年で、女性の地位は間違いなく向上しているというのが私の実感です。

「最近さ、過去のセクシャルハラスメントを暴かれて社会的な信用を落とす男性の話が後を絶たないよね。」

と私が言うと、ビルがうんざりしたような表情になって頷きます。昨日私が聞いていたポドキャストでも、五人の女性からの告発によって数十年越しに悪行が露呈し、社会的制裁を食らっている白人男性が話題になっていました。

「有名な映画スターや政治家が、どんどん抹殺されてるな。きっとまだまだ出て来るよ。もういい加減聞きたくないけどな。」

とビル。揺るぎない地位や名声を手にしていた白人男性有名人が、次々に新聞やテレビで血祭りにあげられている。アメリカでは、男女差別の他に人種差別の問題もあるので、日本に比べて話がやや複雑です。これまで誰にも言えなかった辛いセクハラ体験を、他の被害者の告白に勇気づけられ、「私もよ!」と語り始めた女性たち。地下で沸々と煮えたぎっていたマグマが、突如全国各地で次々に噴火し始めたような格好です。これをMe Too Movement(ミー・トゥー運動)と呼ぶようで、この連鎖反応は暫く続きそうです。後で息子とこの話をしたところ、「ミー・トゥー運動」は悪用される例もあるのだと言います。「女を武器に」さんざん美味しい思いをして来たことを棚に上げ、いい加減な作り話で男性に汚名を着せようとする心無い女性もいるのだ、と16歳とは思えない発言。それはコワいねえ、とにかく下手に女性の恨みを買わないことだね、と二人で話し合ったのでした。

「誰も食べに来ないな、あのカップケーキ。」

と、昼食を終えてちょっぴり顎を上げ、カウンターの方に目をやるビル。ミリアムが受付席に戻ったので、ランチルームには我々しかいません。

「そのうち集合のアナウンスがあるんじゃない?でも、今のうちにひとつぐらい頂いちゃっても、きっとバレないよ。食べちゃえば?」

と私。するとビルが、間髪入れずにこう返しました。

「俺みたいな白人中年男性が、女性のために用意したカップケーキをつまみ食いしたなんてことがバレてみろ。たちまちMe Too Movementが始まって袋叩きにされるだろ!」

こういうオヤジ的発言、私は大好きです。でもきっと女性陣からは嫌がられるんだろうな、気をつけなきゃな、と思ったのでした。