2017年2月19日日曜日

アメリカで武者修行 第37話 タフにならなきゃな

オレンジ郡のプロジェクト獲得に向けて始動した、我が社のプロポーザルチーム。上司のエドから「千尋の谷に」突き落とされてスケジュール作成担当に納まった私ですが、まだまだヨチヨチ歩きです。記念すべき第一号のプロポーザルは何とか無事に提出しましたが、その疲れを癒す間も無く、二件目のプロポーザル作業がスタートしました。まるで私が引き続きチーム入りするのが当然であるかのように、印刷されたRFP(リクエスト・フォー・プロポーザル)を手渡すエド。

「来週月曜にロングビーチ支社へ行ってくれ。支社長のエリックが君に会いたいそうだ。彼は今回の新規顧客開拓にかなり本腰で、その辺の背景を今の内に知っておくのもいいだろう。この機会に、他のチームメンバーとも顔を合わせておくといい。」

エドのオフィスを出た後、建物の丁度反対側に位置するランチルームへと向かいます。水場の脇の壁に据え付けられた救急棚の扉を開け、Extra Strength(超強力)と銘打たれた鎮痛剤の小袋を取り出します。過去数週間というもの、強烈な頭痛が慢性化していて、この時も十秒と目を開けていられない状態でした。マグカップの水で二錠を喉に流し込んだ後、ランチテーブルの隅で両腕を交差させ、額を載せた格好で薬効が現れるのを待ちます。

ふと足音に気が付いて顔を上げると、ぼやけた視界の向こうに現れたのはケヴィンでした。
「どうした?具合悪いのか?」
「うん、頭がひどく痛んでね。睡眠不足が続いてるんだ。」

机に両肘をついて掌の土手の部分で目頭を押さえつつ、厳しい現状を説明しました。高速道路設計プロジェクトの残務処理に加え、未だに馴れないハイリスク・プロジェクトのレビュー。更にはスケジューリングを独学しつつ、プロポーザルの締め切りと闘う日々。そして週末はPMPの受験勉強。「初めてづくし」で死にもの狂いだった前職に較べても、負荷は増している。頭痛が恒常化し、鳴りを潜めていた持病の腰痛も戻って来た…。

気が付くと私は、ケヴィンをそこに立たせたまま延々と弱音を吐き続けていたのでした。暫くしてようやく沈黙に気付き、はっと我に返って顔を上げます。彼は、同情とも侮蔑とも取れる微妙な表情を浮かべて私を見つめています。それから、意を決したように口を開きました。

「シンスケ、色々重なって大変なのは理解出来る。でも、散々な思いをした末にやっと手に入れた仕事じゃないか。キツイのは分かるけど、ここはタフにならなきゃな。」

幾多の苦境をともに切り抜けて来た、いわば戦友のケヴィン。中途半端に慰めるのではなく、あえて叱咤で私を救おうとする彼の気持ちに、胸が熱くなりました。マグカップの水を勢いよく飲みほして立ち上がり、仕事に戻る私でした。

翌月曜。ロングビーチは支社とは言え、同じビルに本社機能も入っており、いわば我が社の総本山です。サンディエゴから車で約2時間と教えられましたが、安全のため朝5時にアパートを出発。途中三度、高速道路のレストエリアやスターバックスの駐車場で仮眠し、結局三時間かけて8時10分前に到着しました。港湾地域の再開発エリアにそびえ立つ、銀色のツインタワー。その片側の最上階から三つくらいのフロアが、我が社のスペースだと聞かされていました。ビルの谷間からは、海を背景に立つカラフルな観覧車が望めます。牧場の脇に佇むちっぽけな平屋オフィスに勤務する私には、ややショッキングな職場環境のギャップでした。

女性秘書に促され、支社長室の応接セットで待つこと15分。早朝のミーティングが長引いちゃったよ、と謝りながら入って来たエリックは、予想を大きく裏切る容姿でした。

身長およそ185センチ、濃い緑色のボタンダウン・シャツにノーネクタイ。若木の幹を思わせる長い脚に、ぴったりフィットしたブルージーンズ。骨董品のような艶消しゴールドのベルトバックルは、ちょうど私のみぞおちの高さ。踵に拍車こそ付いていませんが、カウボーイ御用達とも思える本格的レザーブーツを履いています。微かに腰をかがめて差し出す握手の手は力強く、しかし優しい。日焼けした顔をほころばせ、今回のプロポーザルへの貢献に対する感謝を述べます。そのハスキーボイスは深く甘く、大抵の女性ならたちどころに彼のファンになってしまうでしょう。エルビス・プレスリー風のもみあげに僅かながら白い物が混じってはいるものの、どう見てもまだ40代。彼はこの要職をこなしながら、週末になるとバスケットボールや水泳を楽しみ、子供のサッカーチームのコーチもしていると言います。その血色良い笑顔を見ているうちに、ゾンビのような自分が急に恥ずかしくなって来ました。

「オレンジ郡は、ここロサンゼルス郡と隣り合わせだろ。いわば我々の地元なのに、これまで全く仕事の手がかりが無かったんだ。数か月前、うちのジャックが大学時代の同級生とばったり会ってね。その男がオレンジ郡でPMを勤めているということから、この話が始まったんだ。とにかくプロジェクトをひとつ獲って成果を上げれば、クライアントに我々の実力を分かってもらえる。そして第二、第三のプロジェクト獲得に繋げて行く。最初の一本が鍵なんだ。ここは何としても突破口を開きたい。君達の頑張りにかかってるんだ。頼んだぞ。」

スケジューラーとしては駆け出しもいいところの私には、どう考えても過剰な期待。いっそのこと今の内に力不足を告白して辞退しちゃった方が会社のためかもしれないぞ、と弱気がよぎった時、彼がこう付け加えたのです。

「プリマベーラでスケジュールが作れる社員は、南カリフォルニアに今、エドと君しかいないんだ。エドは多忙過ぎてプロポーザルに参加する余裕が無いだろ。今回のクライアントは、プリマベーラ・スケジューラーの参加を必要条件に挙げている。ということは、君無しではこの戦いに勝ち目は無いってことだ。疑いも無く、君は最重要メンバーのひとりなんだよ。」

これで逃げ道は閉ざされました。エリックは私を隣の部屋に導き、窓際のデスクで仕事していた男性に紹介しました。

「今回のプロジェクト獲得作戦の中心人物だ。わざわざウィスコンシンから転勤してもらったんだよ。」

それまでに電話では何度か喋っていたものの、これがプロジェクト・マネジャーのジムとの初顔合わせでした。おそらく五十半ば。むき卵のように光沢のある禿頭とは対照的に、豪邸の生垣みたいに整然と刈り込まれた厚みのある口ひげと顎鬚とで、顔の下半分が覆われています。眼鏡の奥の目尻に刻まれた深い笑い皺は人柄の良さを物語っていて、まるで有名なお寺の人気和尚だなあ、と心の中で袈裟を着せていました。

次のミーティングがあるから、と足早に立ち去るエリックの背中を見送った後、ジムに尋ねてみました。
「ウィスコンシンから転勤って、本当ですか?お一人で?」
「いや、夫婦で引っ越して来たんだよ。娘二人はほぼ手を離れていて、身軽なんだ。」
「でも、はるばるカリフォルニアに住まいを移したのに、この先いつまでも新規プロジェクトが獲れなかったらどうするんです?」
ついさっき初めて会ったばかりの相手に対して、この質問はいくらなんでも不躾だったな、と後悔がよぎったその時、
「そりゃさぞかし居心地が悪いだろうね。クビにされるか、尻尾を巻いてウィスコンシンへ逃げ帰るかだな。」
と軽く一笑するジム。
「じゃあ絶対に勝たなきゃいけませんね。」
失言を挽回しようと、思わず過剰に意気込む私。
「そうだね。頼りにしてるよ。」

この後、ジムと机を並べてラップトップを出し、スケジュール作成に取り掛かりました。今回のプロジェクトの内容を噛んで含めるように説明する彼の声には、一言一言を心から楽しんでいるかのような長調の旋律があって、技術的な固い内容でも脳が喜んで吸収して行きます。
「細部まで注意の行き届いたスケジュールが示せれば、我々がプロジェクトの進め方を完全に把握しているってことをクライアントにアピール出来る。前回の君のスケジュールはすごく良かった。今回も同じ緻密さで頼むよ。」
「もちろんです。」
「そうそう、そういえばエリックから聞いたんだが、PMP試験を受けるんだって?」
「あ、きっとボスのエドから伝わったんですね。」
「クライアント側のキーメンバーは全員PMP保持者なんだ。うちのチームが誰もこの資格を持ってないというのは、我が社の深刻な弱点だ。君が合格すれば、プロポーザルの組織図上、君の名前の横でPMPの三文字が輝くことになる。我々の勝率は大幅に上がるだろう。テストはいつ?」
「十月です。毎週末、試験勉強してます。」
「そうか、頼んだぞ。」

それから数時間、ジムに確認を求めつつ、しこしことスケジュール作成を続けました。何度も睡魔に襲われ、とうとうコンピュータ画面がぼやけて来た夕刻、もうそろそろ体力の限界だな、と感じます。さっさと切り上げて帰宅の途に着かないと、高速で事故を起こしかねないぞ、と。窓の外は急速に暗さを増しています。

その時ジムが不意に立ち上がり、部屋を後にしました。間もなく戻って来た彼がジャージ姿なのに驚いていたら、ニッコリ微笑んでこう言いました。
「道が混むだろうから、君はそろそろ帰った方がいいんじゃないか?この続きは電話でやろう。」
そしてこう続けます。
「僕は疲れたから、ちょっと走って来るよ。」
笑顔でサヨナラを言い、エレベーターホールへと向かうジム。

疲れたから、走る?

このフレーズが、暫く私の頭蓋骨の内側をゆったりと回遊していました。「疲れたらから帰って寝る」ではなく、「走る」。そんなセリフ、自分の口からは絶対に出ません。和尚さんみたいだなんて勝手にイメージしていたけど、とんでもない勘違いだった。それに、「ちょっと走って来る」ということは、戻ったら仕事を続けるという意味だよな。一体どういう体力してるんだ、あの人?

夜の高速。サンディエゴに向かって車を走らせながら、自分に言い聞かせていました。身体が辛いのは仕方ない。慣れない仕事をしてりゃ当然だ。でも気持ちで負けてたら駄目だ。どんな困難な挑戦も、笑って乗り越えるんだ。こんなところで弱音を吐いてはいられない。タフにならなきゃいけないぞ、と。


2017年2月18日土曜日

Inundated イナンデイテッド

このところ、カリフォルニアは異例の大雨に見舞われ、各地で道路や家屋の浸水被害が報告されています。先日は、全米一の高さを誇るオロヴィルダムがまさかの越水、という未曽有の事態にまで発展。実は我が家も、寝室のカーペットがフレンチドアからの浸水でビチョビチョです。昨夜は、古いTシャツをドア下の隙間に詰めるという応急の洪水対策を講じて就寝しました。

さて、今週月曜は記念すべき日でした。我が社の新PMツールが、全米で一斉に使用開始されたのです。南カリフォルニアのエンドユーザー達は、質問があれば所属する支社のスーパーユーザー達に尋ね、彼等が答えられない場合は地域のスーパーユーザーである私にこれを上げる。私が答えられない場合は更にアメリカ・チームへ上げる、という段取りになっています。月曜、火曜は不気味なほど静かだったのですが、水曜日の朝から想定外の事態が急増し、各地のスーパーユーザー達からの質問は毎分一件くらいのペースに跳ね上がりました。既に通常業務で目一杯の私に、これはなかなかシビれる試練でした。

口頭、電話、Eメールに加え、今年に入って我が社が導入したシスコ社のジャバー(Jabber)というテキスト・ツールを通した質問が、一斉に襲い掛かって来ます。これを一件ずつ、丁寧に、そして確実に解決していく。圧倒的多数の敵を相手にカンフー技で奮闘するジャッキー・チェンさながらです。今回痛感したのが、ジャバーというツールの恐るべき破壊力でした。画面上、質問者の数がどんどん増えて行くのが見えるのです。ようやく一人倒しても、新たな敵が二人、三人、と加わっていく。このビジュアルから受ける心理的ダメージはなかなかのものでした。なんだか苦しいなあと思ってよくよく考えたら、暫く呼吸を止めていたなんてこともしばしば。

木曜の午後、給湯室へコーヒー補給に行き、大きな深呼吸をしていたら、同僚クリスティーがやって来ました。そしてこう尋ねたのです。

“Are you inundated with questions?”
「質問でinundatedになってる?」

これ、最近になって電話会議などで頻繁に聞くようになった英単語です。発音は「イナンデイテッド」ですが、最後のドはほぼ無音なので、「以南泥て?」みたいに聞こえます(アクセントは以南に)。ラテン語由来だそうで、undaが波、inundareで「波の中へ」となり、inundatが「洪水になって」という意味になるのだと。“Inundated with ○○で、何かに圧倒されている状態を指すのですね。

“Are you inundated with questions?”
「質問殺到してる?」


語感と語意が全く繋がらないパターンで、憶えにくいことこの上ないのですが、ここのところの大雨や洪水情報とも重なって、きっちり頭に刻まれました。

2017年2月16日木曜日

Excuse my French フランス語で失礼

先週末は、一家泊りがけでオレンジ・カウンティーへ出かけました。息子の所属する水球クラブチームがトーナメントに出場するということで、送り迎えプラス応援が我々夫婦の任務。日本語補習校のクラスメートでもある彼のチームメートK君も加えての四人旅。広域に点在する複数の競技用プールを使っての大会でした。前の試合の勝敗次第では何マイルも離れたプールまで移動しなければいけないので、保護者による送迎サービスは不可欠なのです。

午後一番、最初の会場の車寄せに停車すると、30メートルほど離れたフェンスの向こう側、乾いた冬空をバックに、ホイッスルと歓声と激しい水音がこだましています。

「二コラ!」

後部座席の窓を開けて叫ぶ息子に、濡れた髪を撫でつけながら会場を出て来た仲間が拳を突き上げて、「勝ったぜ!」と応えます。息子のクラブには百人を超えるメンバーがいて、今回は4、5チームに分かれて参加しているようなのです。

少年たちを路肩で降ろしてから駐車場に車を停め、妻とプールまで歩きます。三つの階段席(ブリーチャー)は既に保護者で一杯。次の試合が始まるまで、その谷間に立って席が空くのを待つことにしました。激しい水しぶきの中で荒々しく肉体を跳ね躍らせる若者たちの姿を眺めながら、羨望に似た感動を覚えます。まるで縄張りを争って死闘を繰り広げるシャチの群れ。出張中に誰かから頂いた風邪をこじらせ、土曜の朝まで三日間寝込んでいた病み上がりの中年には、真冬に屋外冷水プールで闘う選手たちの爆発的なエネルギーが眩しかったのですね。

さて、息子の出る二つ前の試合が終了し、保護者がどっと立ち上がりました。それっ!とばかりに妻と観覧席を陣取ります。二人の座席を確保してからプールサイドのトイレで用を足して戻ると、何故か水面が静まり返っています。

「悪い言葉を使った選手がいたから、審判が一旦試合を止めて注意してたの。」

と妻。

“Are you fxxkin’ blind?”
「てめえ今のが見えてなかったのかよ?」

審判にそんな暴言を吐けば、そりゃお目玉食らって当然でしょう。でも、この種目は格闘技すれすれの接触プレー連発なので、ただでさえ血の気の多い年代の男子たちが試合中に熱くなるのは、充分理解出来ます。

そういえば先日、帰宅した息子が水球仲間の級友フランキーの話をしてくれました。彼が担任の女性教師のことをFxxking(Fワード)付きで表現したというエピソードを笑いながら話す息子を、すかさずたしなめる私。

「友達同士ならともかく、親と喋る時にはそういう言葉遣いを慎んでくれるかな。何でも話せる間柄であっても、節度は大事だと思うぞ。」

「ごめんなさい。」

さてこの「Fワード」ですが、実は先日、本社副社長のパットと電話している時にも飛び出しました。想定外の障害が次から次へと現れ、仕事が思うように進まない現状に苛立つ彼女が、ある事件をとらえてこう言ったのです。

「あのファッキンXXXXが!」

そして間髪入れずにこう付け足すパット。

“Excuse my French.”
「フランス語で失礼。」

これは面白い表現だと思い、すかさずノートに書き留める私。思わずFワードを口走った際に、「聞き手に馴染みのない単語を使ってしまったことを謝る」態でふざけて使うフレーズのようです。

でも、どうしてフランス?

ネットでちょっと調べたところ、かつてイギリス人が無作法の罪をフランス人になすりつけたことから来ているのではないか、という説を発見。たとえばTake French leave(フランス式のさよならをする)というのは、主催者に挨拶もせずパーティーや集会を去ることを指すし、French Kiss(フレンチキス)は舌を使ったディープキスの意味。French Disease(フランス病)は梅毒のこと。この流れからすれば、Fワードをフランス語だと言ってとぼける態度も納得です。フランス側からすれば迷惑な話ですが、よくよく考えてみればプラスにも受け取れる偏見だと思います。だって、性やマナーに関して自由で奔放なお国柄だという決めつけは、ある意味羨望とも取れるのですから。お行儀の良さを取り柄としている日本人の私は、ひどい言葉を口走ったり気の向くままに行動したりする人に、ある種の憧れすら抱いてしまうのです。冬のプールで暴れまわる、若い水球選手たちに見惚れるように。

とにもかくにも、卑猥な英単語が思わず口をついて出てしまった時は、このフレーズで締めるのが良いでしょう。

“Excuse my French.”
「フランス語で失礼。」

さて今日のランチタイム、新人のアンドリューにこの話をしたところ、彼の第一声がこれ。

「本気でかっとなってFワードを口走った人に、そんな落ち着いたフォローは思いつかないんじゃないかな。」

おいおい、若いのに随分冷静だな。


2017年2月5日日曜日

Loaner Computer ロウナー・コンピュータ

オレンジ支社へ出張しての、PMツール・トレーニング二週目が終わりました。

今回パートナーになったのは、シドニー支社出身のメイ。彼女は中国系マレーシア人。大学卒業後オーストラリアで暫く働いた後、アメリカでのポジションを与えられて移住して来ました。幼少の頃から常に学年トップの秀才だったと臆せず自己紹介する、活力あふれる小柄な彼女。30代半ばでしょうか。小さい頃は水泳の競技選手で、最近はロック・クライミングに励んでいるのだそうです。トレーニング初日を翌日に控えた日曜の晩、ホテルのレストランで打ち合わせ。

「本社の指示に従ってたら、有効なトレーニングにならないと思うの。スライドの文字を8時間読み聞かされたって、どうせ次の日にはほとんど忘れてるでしょ。ツールの使い方を学ぶんだったら、実際に使うのが一番。参加者に実践させましょうよ。」

と、彼女が大胆な変更を提案して来ます。先週と同じことをもう一週繰り返すことを思ってやや憂鬱になっていた矢先のこと。本社で取りまとめをしているシャロンが繰り返していた「全社員が同じ内容のトレーニングを等しく受けることが重要」という主張もちらりと脳裏をかすめたのですが、思わず「いいね、それやってみようよ。」と乗っかる私。

蓋を開けてみると、これが大正解。眠そうな顔の受講者などひとりもいないし、あるステップを早く終えた人が隣の社員を助けたりして、活気に満ちたトレーニングになりました。前の週に参加できなかった人が事前連絡も無く飛び入りするとか、ラップトップ・コンピュータを持っていない人が現れたりとか、予想外の事態が頻発したため、全てをスムーズに進められたわけではありません。しかしそれでも参加者はほぼ全員、

「スライドを見せられる形式の百倍以上は学んだよ。」

と、このHands-On Training(実践的トレーニング)を絶賛してクラスを後にしました。

前の週に本社からの指示通り旧態依然のトレーニングを展開したばかりの私の目に、学習効果の違いはえげつないくらい歴然としていました。

「最初からみなこういうトレーニングをするべきなのよ。受講者が眠くなるような形式を押し付ける方がおかしいわ。」

と主張するメイに、

「全ての会場にWi-Fi環境が整っているわけじゃないと思うよ。公平を期するための指示だったんじゃないかな。」

と本社の擁護を試みる私。この弁明を一瞬吞み込んだように見えましたが、

「だったらちゃんとした会場を確保することを条件にすべきだと思うの。」

と退かないメイ。正論です。

彼女と一週間過ごすうち、その強烈なキャラにじわじわと押されていくのを感じていた私。自分が群を抜いて優秀なことを自覚している人に共通する、

「誰からどんなに難しいお題を出されても鮮やかに回答してみせる」

という前のめりな姿勢がビンビン伝わって来て、何か人生に関するアドバイスでも求めなきゃいけないような気にさせられるのですね。

クラスを終える際には必ず、20人を超える受講者のフルネームと所属部署名を次々に言い当てて拍手喝采を浴びるメイ。全員初対面なのに…。

「どうやって覚えてるの?僕にはとても真似できない芸当だよ。」

と感心する私に、

「意識を集中させれば、学びの深さは無限になるの。要はフォーカスよ。」

と笑う彼女。トレーニング中も絶え間なく際どいジョークを織り交ぜ、回転の速さを印象付けます。

「それじゃ、プロジェクト名をタイプしましょう。何でもいいですよ。Build Wall(壁の建設)とか。あら、これはちょっとPolitically Correct(適切な発言)じゃなかったわね。」

もちろんトランプ新大統領の政策を揶揄しての冗談ですが、職場でさすがにこれはまずいでしょう。すると彼女はすかさずこうフォローするのです。

「オーストラリアから来たばかりで、よく分からないの。失礼。」

最終日の最終クラスを終え、さすがに疲労を隠せないメイと一緒に部屋の片づけをする私。この一週間、まるでゲスト・コメンテーターのような立場でひっそりと彼女のワンマンショーを傍観していた私。前の週にはメイン講師としてジョーク混じりにトレーニングを展開していたのに、とうとう一人も笑わせることなく終わってしまった。予想もしていなかった不完全燃焼に、ちょっとした孤独感を味わっていた私。

「あ、そうだ。ナンシーから借りてたLoaner Computer(ロウナー・コンピュータ)を返さなきゃね。」

というメイに、僕がやっておくよ、と答えます。Loanerというのは「借り物」とか「代用」という意味。ラップトップを持参しなかった参加者のために貸し出したコンピュータを棚に戻す作業を終え、ナンシーにiPhoneメールで報告した後、トレーニング会場に戻ります。

暫くして、メールをチェックしていたメイが突然笑い出しました。

「シンスケ、これどういうこと?ロウナー・コンピュータって!」

ナンシーへのメールccに彼女を含めておいたのですが、どうしてそれを読んでウケているのか分かりません。よくよく見ると、私はLoanerとすべきところをLonerと間違って書いていたのですね。

Loaner Computer レンタル用コンピュータ
Loner Compute 孤独を愛するコンピュータ

ケタケタ笑うメイに、「いや、単なるスペルミスだよ」と言い訳しつつ、最後の最後にようやく笑いを取れたことを素直に喜ぶべきかどうか、ちょっぴり悩む私でした。


2017年1月29日日曜日

Groundhog Day グラウンドホッグ・デイ

間もなく2月です。我が社の新PMツール全米使用開始まであと半月。この一週間はオレンジ支社へ出張してエンドユーザーのトレーニングに時間を費やしました。アカウンタントのアンドレアとペアを組み、朝8時から夕方5時半まで教え続ける毎日。トレーニングは四つのモジュールに分かれており、それぞれ二時間、30分の休憩を挟んで行います。受講者は都合の良い時間帯を選んでモジュール1から4まで順に受けて行く。一週間のスケジュールがこれです。

月曜  1,2,1,2
火曜 3,4,3,4
水曜 1,2,1,2
木曜 3,4,3,4
金曜 1,2,3,4

一月九日の週を皮切りに四週間、各支社で繰り広げられているこのトレーニング。講師の数が少ないため、各員が支社間を飛び回って幾週も教える運びとなりました。部下のシャノンはパートナーを変えつつ、第一週にサンディエゴ支社、第二週はオレンジ、そして第三週は再びサンディエゴで教えるという、過酷な巡業。今週私の相方を務めたアンドレアは、先週シャノンと二人で同じことを繰り返したばかり。同じ週に全く同じモジュールを5回ずつ教えるため、途中で頭がクラクラして来る、と言います。

「ようこそエンドユーザートレーニングへ。今回講師を務めるのはサンディエゴ支社から来た私シンスケとアンドレアです。それではまず、…。」

受講する社員は入れ替わるのですが、講義内容は全く同じ。喋る対象や道筋をクラスによって変えることは御法度なのです。限られた時間内に本社から提供されたスライドを順番通りに進めなければならないため、オフザケもほとんど無し。トレーニング慣れしている私ですが、構成に自分のテイストが盛り込めないという今回の縛りには結構苦しみました。総合格闘技の選手がK-1ルールでフルラウンド闘うようなものですね。

実際、早くも初日の晩には飽き飽きしていた私。相棒のアンドレアに告白すると、彼女も同じ感想を述べた後、こう言いました。

“It’s Groundhog Day!”
「まるでグラウンドホッグ・デイよ!」

グラウンドホッグというのは、俗にウッドチャックと呼ばれる巨大なリス。2月2日の「グラウンドホッグ・デイ」にフィラデルフィア州パンクサトーニー(Punxsutawney)で開かれるイベントでは、フィルという名のグランドホッグが主役。檻から出されたフィルに、イベント司会者が耳を傾ける。フィルが「自分の影が見えるよ」と囁けば、冬の終わりは遠い。「影は見えない」と言えば春は目の前、という公開占いみたいなイベントなのですね。

「まるでグラウンドホッグ・デイみたい!」というのは、ビル・マレー主演のコメディー映画が元になった表現です。2月2日にパンクサトーニーへ取材に出かけた自惚れ屋のテレビ・レポーター、フィルが、吹雪のために街から出られなくなる。翌朝ホテルで目覚めると、前日と全く同じ出来事が繰り返される。同じ人が同じタイミング、同じフレーズで話しかけて来る。そして日付が前日と変わっていないことを知る。それ以降、毎日どんなにあがいても翌朝になるとやっぱり2月2日に戻っているので、頭がおかしくなってくる。しかし途中で、「だったら好き放題暴れてやれ」と無茶をしたり、前から好きだったレポーター仲間の女性リタを落とそうと無理にアタックして振られたり、と色々もがいているうち、段々と自分自身の生き方を見つめ直すことになる。

映画の後半、それまでエゴの塊で皮肉屋だったフィルが、他人を思いやることの大切さに気付き、次第に周囲と調和して行きます。すると全てがうまく回り始め、リタの方から彼に近づいて来る…。フィルの発言内容や態度にも余裕が出て来て、途中こんな会話まで…。

リタ “Do you ever have déjà vu?”
      「デジャ・ブを経験したことってある?」

フィル “Didn’t you just ask me that?”
      「さっき同じことを僕に聞かなかった?」

ルーティーンの繰り返しから何とか脱しようと闇雲にもがいた挙句、「今この時を幸せに生きよう、出会う人々を心から愛そう」という境地に達したフィル。その瞬間、彼を取り巻く世界に大きな変化が…。

無理のある設定なのに不思議に納得してしまえる、よく出来たプロット。「アメリカ人なら誰でも知ってる」レベルの人気作品です。この映画が有名になってからというもの、「何度も繰り返されるイベントや日々」を指して「グラウンドホッグ・デイみたい」という表現が使われるようになったのですね。

この週末、たっぷりと英気を養った私。月曜にはオレンジ支社に戻り、別のパートナーと再び5日間のトレーニングを展開します。また同じ内容を5回ずつ!う~む。やっぱりちょっと気が重いぞ。

最終日にはフィルのような境地に達していると良いのですが…。


2017年1月20日金曜日

キャッシュ!

超大型新規プロジェクトのサポートを頼まれ、一昨日は財務分析に時間を費やしました。規模が規模なので、お偉方の注目が集まります。このプロジェクトの失策が支社の屋台骨を揺るがす可能性もあるのですから、慎重に取り組まなければいけません。昨日は上層部がぞろぞろとウェブ会議に集まって、私の計算結果をレビューしました。最大の関心の的はキャッシュフロー計画。組織にとってキャッシュフローは血流だ、というのはビジネス・スクール時代に何度も聞かされた話です。血が止まったら肉体は活動を停止するしかない、と。

さて土曜の夜6時過ぎ、久しぶりにChipotle(チポトレ)というブリトーの美味しいメキシカン・ファストフード店へ立ち寄りました。週末の晩飯時だというのに、50人は収まろうかという広い店内に客は二人くらい。ちょっと前までは常に活況、長蛇の列。週一くらいのペースで通うほどお気に入りのチェーン店でした。気が付けば、最近はこんな風に閑古鳥の鳴く様子をよく目撃します。

帰宅後に調べたところ、チポトレは2015年にE.coliウィルス感染事件を起こし、数十人の患者を出したのだそうです。以降経営が厳しく、従業員の賃金が上げられないため質の良い働き手がどんどん店を去っている。劇的に悪化した接客サービスを一度でも経験した客を呼び戻すのは困難で、去年は創設以来の株価下落を経験したのだとか。コストカットすればサービスレベルが低下し、それが更なる経営悪化を煽る。まさに負のスパイラル。

そんなこととは露知らず、一体どうしちゃったんだろう?と怪訝に思いつつ入店した私。調理済み食材を並べたショーケースを挟んで、若い女性店員が二人立っています。黒人女性の方は背を向けてしきりに何か片付けている。ラテン系の若い白人女性は、鼻に大きなリングピアス。つまらなそうに下を向いています。微妙な動きながら、奥歯で静かにガムを噛んでいる様子が見て取れます。レジのポジションはからっぽ。繁忙極める時間帯のはずなのに、奥のキッチンは綺麗に片付いていて、調理スタッフもいません。

私が近づくと、鼻ピアスの女性が顔を上げます。

「チキン・ファヒータ・サラダを持ち帰りで。」

と言うと、面倒くさそうに容器を手に取りレタスを盛ります。そして過去に何度も繰り返して来たであろう紋切型の質問を、機械的に発します。

「ここで食べます?それとも持ち帰り?」

「あ、持ち帰りで。」

「ブラック・ビーン?それともピント・ビーン?」

「いえ、豆は結構です。」

「肉はポーク、ビーフ、それともチキン?」

「あの、だからチキンサラダを…。」

冒頭で結構歯切れよく注文を告げたはずなのですが、全く耳に入っていなかったようです。

「他に何入れます?」

「ファヒータを。」

プライベートで何かムカつく事件があったのかもしれないし、ご機嫌斜めなのは明らかなのですが、職場でここまであからさまにしちゃいかんでしょ。アメリカに来てから16年余、こういう低レベルの接客サービスというのはいやというほど見て来ましたが、ずっと好きだったお店だけに、残念でした。

「サルサはホット?マイルド?」

「マイルドでお願いします。」

すると彼女は藪から棒に、まるで周りに当たり散らすかのような大声になり、

「キャ~ッシュ?」

と叫びました。うわあ、なんか訳分からんが、突然怒り始めたぞ。ちょっと前にキャッシュで支払った客の中に、嫌な人でもいたのかな?慌てて財布からクレジット・カードを取り出し、

「いえ、カードで払います。」

と差し出す私。すると一瞬の間をあけ、鼻ピアス女性が私の目を見て言いました。

「彼を呼んだだけよ。」

指さす方向を見ると、厨房の奥から若い黒人男性が現れ、足早にレジへと向かいます。あ、この人の名前がキャッシュだったのね。早くレジ打ちに来てよ、という意図で大声出して呼んだ、というわけか。

「カードで払えますよ。」

くすりと笑う、鼻ピアス。

キャッシュが滞ると経営が大変、というお話でした。


2017年1月14日土曜日

Gotta love it! 最高!

妻が秋口からずっと患っていた右肩の痛みが悪化の一途を辿っていて、右腕がほとんど使えない、横になって眠れない、車の運転なんてとんでもない、という状態。診断は、「腱板断裂」。治療には暫くかかりそうで、病院や買い物へ行くのにお友達の助けを借りることが増えています。彼女は過去数年、地元の大学で日本語コースのTA(ティーチング・アシスタント)を続けていたのですが、今シーズンは断念。数年前までこのバイトの上司みたいな存在だった先生(既に引退されている)が近所に住んでいて、彼女にも運転手を頼むことになりました。

一昨日、その先生とメールのやり取りをしていた妻が、さも感心したという面持ちで私に言いました。先生の家には車が二台あり、乗り降りの楽そうな方で迎えに来て下さるとおっしゃっている。車種の説明をされたがその分野に詳しくないので分からず、ドアの開け閉めが軽く出来る方でお願いします、と答えた。車の扉の重量など考えたことも無かった先生は、暫く戸惑った挙句、こう返事を書いて来られた、と。

「適当に見つくろって行きます。」

日本語教師としての経験豊富な先生ならではのユーモラスな表現。妻と二人でクスクス笑ったのですが、彼女がふとこう言ったのです。

「これ、日本語を勉強してる外国人が読んだら、どう解釈していいのか悩むわよね。」

見つくろって行きます、などという折り目正しいフレーズを微妙にひねって使った先生のセンスにただただ感心していた私は、妻の言葉でハッと我に返りました。

そうなんです。私も英語を学ぶ外国人として、相手の高度な言葉遊びについて行けず、茫然と立ちすくむ場面にたびたび置かれるのです。先週も、こんなことがありました。

現在、本社副社長のパットを中心に、プロジェクト・コントロール部門の全社的立ち上げが進められています。職務の明文化、キャリアパスの確立、肩書の統一、トレーニング・プログラムの充実などなど、課題は山積です。私はパットと月二回くらい連絡を取り合い、意見交換をしている仲。しかしややこしいことに、私の所属する南カリフォルニア地域を仕切っているR氏は、本社の方針に従おうとせず、彼独自のやり方でどんどん仕事を進めています。パットとR氏は何度か話し合ったのですが、未だに和解点を見出せていない様子。年明け早々、R氏の腹心の部下であるステファンが送信したメールに、私の手が止まります。R氏の指示で作成中だという「プロジェクト・コントロール部門のキャリアパス・モデル」を図解して複数の人に送ったものなのですが、どう見ても本社とすり合わせたとは思えません。即座にこれをパットへ転送する私。数秒後、コンピュータ・モニター上に彼女のテキスト・メッセージが現れます。その第一声が、これ。

“gotta love it...!”

ん?なんだこれ?高速で脳を回転させ、文章を丁寧に解きほぐしながら分析を試みる私。

“Gotta love it!”
“You’ve got to love it!”
“You have got to love it!”
“You must love it!”
「あなたもきっと気に入るわ!」

う~ん、ここまで解析しても皆目見当がつかない…。

一分近く考えたけど、沈黙を続けるのも失礼なので、とりあえず返事を書きました。

“Happy New Year!”

するとすかさず、

“lol”

とパット。え?なんで?ウケてるぞ…?

LOLというのは、Laugh Out Loud の略で、「爆笑」という意味ですね。

「あなたもきっと気に入るわ。」
「明けましておめでとう!」
「爆笑」

全くもって理解に苦しむやりとりですが、パットの方はそこそこ楽しんでいる様子。後でシャノンやディックに説明してもらったところ、どうやらパットはひねった表現を使ったようなのです。

“Gotta love it!”
「あたたもきっと気に入るわ。」

という言葉の裏には、

「最高!実に傑作で、自分はいたく気に入っている。」

という前提がある。しかし文脈によっては皮肉に使われるフレーズでもあり、

「出たよ。やってくれるよ。ったく、頭に来るぜ。」

という意味にもなる、というのです。つまりパットと私の会話は、こう訳せますね。

“gotta love it…!”
「やらかしてくれちゃったわね…!」

“Happy New Year!”
「明けましておめでとう!」

“lol”
「爆笑」

新年早々、英語上級者への道のりの長さを思い知らされたのでした。


2017年1月8日日曜日

Damn the torpedoes! 構わず突っ込め!

年が明けました。年末年始に悪い風邪が蔓延したようで、職場はまだ人影まばら。やつれ切った顔で出勤したカンチーが「まだ本調子じゃない」と言いながら咳込むので、「今すぐ帰りなさい」と追い返しました。そんな体調で良い仕事が出来るわけないだろ、百パーセントまで充電してから出直すように、と厳しくたしなめます。「辛いけど精一杯頑張ってますよ」というアピールは本人にとって気持ちいいかもしれないけど、大抵は病気が長引いたり仕事にミスが多発したりして、ろくなことにならないものです。冷静にリスクを管理すべし!

そんな中、いきなり全速航行状態の私。来月いよいよ全米で使用開始するPMツール。そのエンドユーザートレーニングが来週から全支社で一斉展開するので、その準備におおわらわなのです。

さらに火曜の朝、建設部門のPMキースが疲れた表情でやって来ました。二週間後に迫ったプロジェクトの再始動を前に会社としての進退を決めなければならず、一刻の猶予も許されない。この難局を切り抜けるには君の助けが必要なんだ、とあらためて訴えます。大赤字の見込みを知らされて一斉にそっぽを向く南カリフォルニア地域の上層部。クライアントを怒らせるわけにはいかないので何とか続ける方策を絞り出せ、と迫る全米レベルの副社長たち。そんなまとまりのない意思決定者たちを、総員納得させるための書類づくりに追われるキース。データの積み上げや分析は私の得意分野なので助けたいのは山々なのですが、こちらも限界ギリギリの出力で航行しているのです。なかなか痺れる展開。その時キースが、こんなセリフを口走りました。

“Damn the torpedoes!”

直訳すれば、

「くそったれ魚雷砲!

ですが、何のことやら分かりません。彼との会話を終えた後、トイレに立ったついでに同僚ディックを訪ねます。

「ああ、それは歴史の一場面で使われたセリフだと思うよ。」

そう、これは南北戦争の海戦中、David Farrugut(デイヴィッド・ファラガット)という艦長が発した名言らしいのです。

「リスクに構わず突き進め、という意味だね。」

本当に言ったかどうかはともかく、現在に伝わる全文は、こんなのだそうです。

“Damn the torpedoes, full speed ahead!”
「くそったれ魚雷砲、全速前進!」

Torpedo(トルピード)とは魚雷のこと。魚雷にやられる心配をする乗組員の忠告に、そんなこと構うな、突き進め!と指示し、結局この戦いに勝った、というエピソードが元だとのこと。ふ~ん、そうなの、と一旦納得したものの、南北戦争時代に魚雷なんてあったのかな?という疑問が浮上します。ちょっと調べたところ、torpedoというのはかつて地雷や機雷(Naval Mines)の呼称だったようで、やはりこの時代に今でいう「魚雷」は存在しなかったようです。そんなわけで、デイヴィッド館長のセリフはこう訳すのが正しいでしょう。

“Damn the torpedoes, full speed ahead!”
「機雷がどうした、突っ込め!」

前方の海中に機雷が多数仕掛けられている可能性はあるが、構わず進め、という指示。疲労困憊状態のキースは、討ち死に覚悟で不完全な文書を上層部に投げ込もうかと思っていたわけですね。おいおい、そこまで破れかぶれになっちゃ駄目だろ、と慌てて彼のサポートを最優先する私。数時間後、彼の書類中に重大なミスを発見!あらためて積算し直したところ、これなら何とか機雷に触れずに和解点へ辿り着けそうだ、という見通しが立ちました。

「どんなに高くてもいい、好きな食べ物ご馳走するよ!」

と顔をほころばせるキース。

威勢よく突っ込まなくてホントに良かった、というお話でした。

2016年12月31日土曜日

Move the needle 針を動かす

12月最終週。クリスマス前から周りの社員は休みがちで、オフィスは閑散としていました。木曜日も出勤率は一割にも満たず、朝から電話一本鳴りません。実に穏やか。早めに切り上げて帰り支度をしようかな、と思っていたお昼前、建設部門のベテランPM、キースから電話が入ります。彼の担当するテキサスのプロジェクトについてでした。

これは、我が社が二年前に買収した会社がその四年前にスタートしていた仕事。買収前にクライアントから一時休止の指示が出ていたため、凍結状態のまま新組織の在庫の一部に組み込まれ、暫く埃を被っていたのです。それが今年の夏、「2017年の1月に再始動して欲しい」との要請を受けたのですが、当時のメンバーが既に総員辞職していたので、上層部がキースにPMを任せた、というわけ。そのキースに財務分析を頼まれた私の答えが、

「こりゃとんでもない大出血プロジェクトだよ。」

一見順調そうでも、丹念に契約書を読み込んで注意深くコスト予測をすると、全く違う未来予想図が見えて来ることが多々あります。これもその好例でした。これにはキースも衝撃を受けたようで、自分がPMとして仕事を始める前に教えてくれて良かった、どうも有難う、と何度もお礼を言われました。

ところが、最悪の財務分析結果を知らされた上層部は、「こんな大赤字プロジェクトは到底受け入れられない。即刻契約を解除すべきだ。」とか「これはそもそもテキサス管轄のはずじゃないのか、今からでもあっちに所管を移すべきだ。」などと見苦しいまでの大騒ぎ。どうするんだ、再スタートの日が迫ってるぞ、誰が面倒見るんだ?俺んとこじゃないぞ、と責任のなすり合いが続きます。先週後半、いよいよあと3週間でキックオフ・ミーティング、というタイミングで、ちょうどキースがクリスマス休暇に入ってつかまらなかったため、私が上層部からの度々の質問に答えることになりました。

「僕が留守の間、君を矢面に立たせてしまって済まなかったね。」

と電話の向こうのキース。

「いえいえ、こういうの慣れてますから。」

「全く呆れるよ。結局、年の暮れになるまで誰も何もしないんだからな。今日の12時に、この件の最高責任者を交えた電話会議があるんだ。今日こそ決断が下されることを祈ってるよ。」

もしもこのままプロジェクトを続行するのであれば、キースは一家でテキサスへ引っ越すつもりなのです。14歳の娘さんは転校しなきゃいけなくなるし、これは会社にとってだけでなく、彼の家族にとっても非常に大きな転換点になるのです。

電話会議に出席するメンバーのこと、変更要求に対するクライアントの反応、赤字額を巡る各方面からのプレッシャーなどを語るキースが、セリフの合間にこんなフレーズを挿入したことを聞き逃さなかった私。

“We are moving the needle.”

直訳すればこうです。

「我々はニードル(針)を動かそうとしている。」

ん?何のこと?

彼がそのまま話を続けたので質問のチャンスを逃し、急いでノートに書き取ります。でも、このフレーズが気になってしまい、会話に身が入りません。針を動かすというのだから、きっと「慎重に」とか「注意して」という意味だろう、と予測したのですが、それだと微妙に文脈からずれてる気もします。頭の中には、「急速に衰弱して行く王様を救うため、外せば命に関わる極めて微妙なツボにハリを打ち込もうと構える宮廷鍼灸師」の姿が浮かんでいました。

午後になって、Tシャツ、ブルージーンズにビーチサンダル姿(完全に休日モード)で出勤していた同僚ディックに質問をぶつけてみました。

「いや、そういう針のことじゃないよ。」

彼によると、これは体重計などの計測器についている、数値を示すために振れる針を意味しているのだそうです。

「ビジネスでは、組織の財務に大きな影響を及ぼすような行動を起こす時に使う言い回しなんだ。要するに、経営状況を計測する機械の針が大きく振れるような何かをするってことだね。ポジティブにもネガティブにも。俺が担当してるような小粒プロジェクトだと、俺が何をしようと針はピクリとも動かないから、使うチャンス無さそうなフレーズだけど。」

と自嘲気味に笑うディック。なるほど、これで分かりました。キースが言いたかったのはこういうことですね。

“We are moving the needle.”
「この件はインパクトでかいんだ。」

考えてみると私は、担当業務の性格上、こんな風に「針が大きく振れる」情報を提供する立場に立つことが多いのです。他の誰も気付かないような病の種を見つけ出して分析し、真の病状を分かり易く表現する。聞かされる方は大抵、衝撃のあまり拒絶反応を起こしたり悲嘆に暮れたりするけれど、早く知るに越したことは無いのです。実際、早めに手を打つことで被害の拡大を食い止めたケースも多々あります。だからこそこの仕事はやりがいがあるのだけど、時々は誤診の可能性を考えて恐ろしくなります。もしも私の計算ミスで経営幹部を右往左往させたりしたらと想像すると、背筋が凍りつくのです。それこそ鍼灸師のように、細心の注意を払ってプロジェクトに向き合わないといけないな、と自分に言い聞かせた歳の瀬でした。


2016年12月23日金曜日

Pleasantly Surprised 嬉しいサプライズ

オーストラリア出張から戻った翌日の月曜。オフィス内は壁やカウンターや窓にイルミネーションが張り巡らされ、赤や緑の飾り付けでクリスマスを迎えるワクワク感が演出されていました。

例年通り、机の上には大ボスのテリーからのギフトが置いてあります。ホワイトチョコでコーティングされた棒状のプレッツェルが、セロハン紙の袋に包まれ赤いリボンで閉じられています。部下が百数十人はいるっていうのに、一人一人にこういう気遣いをしてたらさぞかし大変だろうな、とあらためて感心していました。一月に私が新居を購入したことを話した翌朝などは、出勤してみたらHome Depot(ホームセンター)のギフトカードが机の上にありました。カードにはテリーの手書きで、「少額だけど、ガーデニングやリモデルに用立ててね。」としたためてあります。ハートを鷲掴みにされたことは、言うまでもありません。

さて、出張明けの月曜日。実はこの日、時差ボケ調整のために休むつもりでした。しかし、どうしても出勤しなければいけない理由があったのです。朝一番で、新人の面接が決まっていたのですね。私がまだシドニーにいた前週金曜日(オーストラリア時間の土曜早朝)、シャノンとカンチーに面接を任せたところ、二人ともが太鼓判を押したのです。「まるで自分の男性バージョンと話してるみたいだったわよ。」とシャノン。サンディエゴの会議室とシドニーのホテルとを結ぶ電話で二人からの大絶賛を聞きながら、そこまで言うならもう採用決めちゃおうか、と笑っていたら、

「あら、テリーが入って来たわ。」

とシャノン。一応上司になる私が会ってから決断すべきだろうというテリーの意見で、第二次面接をセットすることにしたのです。

「私もその子に会ってみたいから、面接に参加させてね。」

とテリー。

さっそくリクルーターのメレディスを通し、日程を調整します。火曜日はどうか、と打診したところ、先方がクリスマスから新年にかけての休暇をコロラドで過ごす予定で、月曜午後の航空券を購入済みだとのこと。それなら月曜朝一番しかない、という話になったのです。

そして迎えた月曜午前8時。テリー、私の直属の上司レイ、それにシャノンと四人で新規採用候補者のアンドリューを迎えます。スーツにネクタイ、短めの髪を綺麗に撫で付け、清潔な印象の白人の若者。笑った時に、上下の歯の矯正が露出します。

「来てくれて有難う。これは第二次面接なんだ。今日は僕とそのボスたちと話をしてもらうよ。」

コロラドで苦学して会計の学位を取ったこと、一旦は会計士の道を目指したが、キャリアについてはまだ模索していること、今はサンディエゴの北の街でスタートアップの会社を助けているが、先行きが不透明なこと、年取った祖母を助けて暮らしていること、など彼のバックグラウンドを話してもらった後、会社やサンディエゴの職場に関する質問を受ける流れになりました。そんなやりとりの中で、彼が信頼に足る人物であることがじわじわと分かって来ました。

プロジェクト・コントロールの職務に一番大切なのは、人を助けることを心から楽しめる性格です。そのためには、エゴを捨て去り、全神経を集中して相手の話を聞き、短時間に可能な限りの情報収集をし、猛然と問題解決に取り組む集中力を育てなければならない。大抵の候補者は面接中、自分の知識や経験を印象付けようと誇張したり、こちらが話している間にもう次の発言内容を考え始めていたり、という「綻び」が見えるものです。でもこの若者からは、その兆しすら感じませんでした。

「ちょっとここで待っててもらえるかな。」

一時間経過したところで彼を会議室に残し、一同退室します。

「どう?いいでしょ?」

と微笑むシャノン。私が気に入ることは最初から分かってたわ、と言わんばかりのしたり顔です。

「うん、本当に大当たりだね。テリーは?」

「矯正がキュートよね。」

と冗談めかしつつ同意するテリー。レイも大きく頷いています。

「お待たせ。」

会議室に戻って席に着き、アンドリューに書類を手渡しました。

「これは我々からのオファーレター。内容をよく読んでね。同意した場合、オンラインでサインして欲しい。一応来月16日が初出勤となってるけど、それは変更可能だから。」

一瞬、何が起こっているのか分からない、という表情になったアンドリュー。それもそのはず、通常は面接の後、数週間待たされてからメールで採用・不採用の通知を受け取るものなのです。書類を郵便でやり取りしていた頃ならともかく、今の時代にこうして採用決定と共にハードコピーを手渡しするというのは、異例中の異例。

「有難うございます。すごく嬉しいです!」

頬を僅かに紅潮させ、その目に興奮を滲ませる若者を見ながら、テリーのスゴさにあらためて感心していた私でした。

そう、実はこれ、テリーのアイディアだったのです。

「シャノンとカンチーがそこまで気に入ってるんだから、採用はほぼ確実でしょ。シンスケが最終確認したら即決定じゃない。だったら、それを本物の書類として手渡ししてあげるのがベストでしょ。採用書類を手にクリスマス休暇へ旅立つなんて、すごくハッピーな話じゃない!その子にとって、きっと忘れられないクリスマスになるわよ。」

そんな彼女の提案を受け、シドニーからメールでメレディスと調整を重ね、何とか書類を間に合わせてもらったのです。確かに職の見通しが不確かなままクリスマスを過ごした末にメールで通知を受け取るのと較べれば、天と地ほどの差がありますね。

いまだ興奮から醒めない様子の若者をエレベーターホールまで見送った後、テリーのデスクへと向かいました。

“Was he pleasantly surprised?”

こちらを振り返ってニッコリ笑うテリー。Pleasantというのは「嬉しい」という意味ですが、Present(プレゼント)と音がそっくり。特に日本人である私には、エルとアールの発音差が微妙なため、今でもしばしば聞き間違えます。でも、どっちも幸せな単語なので、混同したところで大した問題は生じません。テリーの質問は、こういうことですね。

“Was he pleasantly surprised?”
「嬉しいサプライズになったかしら?」

もちろん、期待通りの大感動ぶりでしたよ、と私。アンドリューにとっては、この上ないクリスマス・プレゼントになったことでしょう。正直、彼よりも私の方がハートをがっしりつかまれちゃったかもしれないけど…。

翌朝、メレディスからメールが届きました。

「おめでどう!アンドリューがオファーにサインしましたよ!」