2016年2月26日金曜日

TGIF 花金!

オレンジ郡での巨大プロジェクトを獲得し、マネジメントチームに入ることになりました。上下水道部門の重鎮、キースがPMを務めます。彼とは6年近く前、顧客へのプレゼンのためにサクラメントへ行った時に会ったきりで、それ以来同じチームで働く機会は一度もありませんでした。

去年の秋、プロポーザルチームがオレンジ支社に集結した際、キースと久しぶりの再会を果たしました。ここで、ずっと温めていた質問をぶつけます。

「噂で聞いたんだけど、3年くらい前、大変な事件に巻き込まれたんですって?」

スキンヘッドにベビーフェイスのキースは、人懐っこい笑顔でこれに答えてくれました。

フレズノの自宅を拠点に全米を飛び回って活躍する彼(おそらく50代後半)は、ある晩ロスに降り立ってホテルへ向かう途中、夕食を取ろうと全米チェーンのファミレス、「T.G.I. Fridays」に立ち寄ります。これはThank God It’s Fridayの略を使った店名。「TGIF(ティージーアイエフ)」と四文字に縮めるのも一般的です。和訳すると、「やった~、今日は金曜日だ」ですね。サラリーマンがメールの挨拶などに使える、軽いノリのフレーズです。日本語だと「花金」くらいがちょうど同じトーンかもしれません。

さて晩飯を済ませ、駐車場へと向かうキース。車のドアを開けて運転席に腰を下した途端、後部ドアが開いて若い黒人が乗り込んで来ました。振り向くと、男はドアを閉めて銃を突きつけ、「財布を出せ」と凄みます。普通ならここで大人しく財布を渡して立ち去ってもらうべきなのですが、キースは反射的にこう言ったというのです。

“Get out of my car!”
「車から降りろ!」

しかもこのセリフを、三回繰り返したのだと。

「後から考えると、なんでそういう反応になったのか自分でもよく分からないんだ。」

この間、若者はキースに銃口を向けたまま沈黙を守っていましたが、三回目のセリフを聞いた後、静かに拳銃の引き金を引きました。カチリ、と撃鉄が落ちましたが、何故か弾丸は発射されません。おや?と思うキース。もう一度カチリ。不発。しかし三度目、轟音とともに激痛が走ります。弾丸が、鎖骨の当たりに命中したのです。

自分がたてた銃声に動揺したのか、何も盗らずに猛然と走り去る若者。どうにかこうにか運転席からもがき出たキースは、ばったりと路上に倒れます。

「気が付いたら病院だよ。その辺にいた人が救急車を呼んでくれたんだな。」

幸い命に別条は無く、数か月後に無事職場復帰を果たしたキース。犯人は捕まって、今は刑務所にいるそうです。

「この事件の前後で、何か大きな心境変化はありましたか?」

と私。

「いや、それは特に無いね。少しだけ用心深くなったかもしれないけど。」

もしもそんな大事件が自分の身に降りかかったらガラリと人生観が変わるだろうと確信する私には、彼のこのあっさりした受け答えが何か呑み込めず、微妙な違和感を残して仕事に取り掛かったのでした。そしてそれから金曜日を迎えるたびに(TGIFとの連想から)、この事件のエピソードが蘇るようになってしまったのです。

さて今週、二週間後に迫ったクライアントとのキックオフミーティング用に提出を要求されている実施計画書を仕上げなければならなくなったキースが、やおら動き始めました。水曜の朝、プロジェクトのスケジュールを仕上げてくれないか?という依頼メールが来たので、プロポーザルの際に作ってあったバージョンに一日かけて修正を施し、夕方送信して帰宅したところ、夜の10時近くになって大量の修正指示が届きました。明日クライアントとの打ち合わせがあるから、それまでに全部盛り込んで欲しい、とのこと。え?本気で言ってんの?

半信半疑のまま、

「じゃあ早朝に出勤して取り組むことにしますね。」

iPhoneで返信すると、すぐに返事が届きます。

「ミーティングは朝7時だから、俺は6時に出発しなきゃならない。何が何でもそれまでに修正版を送ってくれ。」

そしてこんな一節。

“I appreciate you burning the midnight oil to get this done.”
「深夜のオイルを燃やして仕上げてくれ。」

なんじゃそれ?意味分からんが、彼が大真面目に「夜通し働け」と迫っていることだけは伝わりました。

あんたちょっと計画性に欠けるんじゃないの?何でこっちが尻拭いしなきゃならないんだよ!と言ってやりたいところですが、ここは挑戦を受けることにした私。日本にいた頃はこんなことしょっちゅうだったし、久しぶりに無茶してみるのも面白いか、と思ったのです。

午前2時、新居のダイニングテーブルにラップトップを開いて作業開始。4時ごろ仕上がったスケジュールをキースに送ったところ、彼もどこかで働いているようで、すぐに修正依頼コメントを送り付けて来ます。しかも、別の資料作成指示もどんどん追加して。こうしたやり取りを何度も繰り返し、5時半近くになった時、

「俺はあと30分で出発しなきゃいけない。最終版を大至急送ってくれ。」

と追い込んで来ます。そして朝5時50分、空が白みかけて来た頃、最終版を送信。睡眠不足と達成感とで若干ハイになっていた私は、キースからの確認メールを半ば楽しみに待っていました。

「お蔭でミーティングに間に合うよ。よくやってくれた。有難う。ぐっすり寝てくれよ。」

なんて感じのほんわかトーンを期待していた私は、届いたメールの文面に目を疑いました。

“That works.  Please continue working on the other tasks and I’ll circle back after my meeting with the client.”
「まあこんなもんだろう。引き続き他の作業に取り組んでくれ。クライアントの会議が終わったらまた連絡するから。」


反射的に、大声で笑いだしてしまった私。徹夜させといて、更にまだやれってか?信じられない思いでしたが、ここで負けるのは嫌だったので、そのまま普通に出勤しました。睡魔と戦いつつ作業を続けながら、他人に夜通し働かせて何とも思わないキースの「ハートの強さ」に対するオドロキが、じわじわと増して来ました。そして、T.G.I. Fridays で彼を撃ってしまった若者の心境に、少しだけ共感を覚えたのでした。

2016年2月23日火曜日

In the name of love 愛という名のもとに

高校の水球部に所属する14歳の息子は、冬の間、週に二、三回は学外のチームに入って特訓を受けています。シーズン中は試合の予定が立て込んでいてほとんど練習に時間が割けないため、こうしてオフの間に力をつけておかないと試合に出れないし、出ても勝てないのだそうです。これはとても良いことなのですが、夜7時からの練習にチームが借りているプールは室内でも温水でも無いのです。ナイター照明の下で白い息を吐きながら、キンキンに冷えたプールにパンツ一丁で(当たり前だけど)飛び込み、泳ぎまくる少年たち。寒がりでカナヅチな私は、「おいおい君達、二月だぞ。ちょっと頭おかしいんじゃない?」と呆れつつも、冬でも温暖なサンディエゴだからこそこんなことが可能なんだよな、と今の生活環境に対する感謝の気持ちを新たにしています。

さて先日、大ボスのテリーが送信した一斉メールを読んでいて、手が止まりました。近いうちに複数名の社員が会社を去るという噂は聞いていましたが、リストの中に意外な人物の名を発見したのです。

ここ数年、珍しい英単語やイディオムの解説をお願いするのに最も信頼を置いて来た同僚ステヴが、シアトルの会社に転職する、と書いてあるじゃありませんか!前の週に世間話を交わした際には匂わせもしなかったので、これはショックでした。さっそく彼をランチに誘い、NA Pizzaという激ウマのピザ屋へ出かけます。

彼の専門はAnthropology(アンソロポロジー)、日本語では「人類学」です。インディアンやらアラスカ原住民の生活などに詳しく、彼が出張から持ち帰って来る伝説交じりの土産話は、どれも嘘くさいほど刺激的な奇譚ばかり。インディ・ジョーンズもどきの仕事が出来て本当にラッキーだと語ってくれたこともあるのですが、近年、会社が凄まじい勢いで膨張を続ける中、彼の職種は組織の中でみるみる存在感を失って行きました。大都市の巨大建設プロジェクトなどが広告塔としてもてはやされる中、消滅の危機にさらされている少数民族の民話の伝承がどうたらこうたら、などというテーマは日陰者なのです。様々な分野のPM達をサポートしている私にはその様子がよく見えていて、いつかはこういう日が来ることを危惧していました。でも、なぜシアトル?

「このまま会社に残れば、たとえ同じ仕事を続けることは出来たとしても、キャリア形成という点では全く先が見えないんだよね。社長がメディアに向けて話をする時、俺のプロジェクトに脚光を当てるチャンスなんてほぼゼロだろ。人類学の専門家が昇進したり要職に抜擢されたりなんてことも、まず無いと思うし。」

と、ステヴ。そんなことないよ、と元気づけたいところですが、スキンヘッドに伊藤博文風の口ひげを蓄えた彼は、もはや若者とは呼べない年齢です。彼の将来を思えば、いい加減な慰めはかえって迷惑でしょう。ピザを頬張って黙るしかない私。

「でもさ、転職はしょうがないとして、何もサンディエゴを離れなくたっていいんじゃないの?」

数秒の沈黙の後、ようやく反論する私。同じエリアに同業者がいるかどうかも知らないので、無責任な発言であることは自覚していました。でも、彼が遠くへ引っ越すのはやはり残念だったのです。

「俺だってサンディエゴが嫌なわけじゃないんだよ。でもローレンがね。」

ローレンというのは彼の奥さんです。

「実はそもそも、彼女がずっとサンディエゴを離れたがっていたことが今回の転職のきっかけなんだよ。」

四季を楽しめる土地に住みたい。特別暑かったり寒かったりしなくていいから、サンディエゴみたいに一年中青空じゃない場所がいい、と。その第一希望がシアトルだというのです。

「こんな能天気な土地で子供を育てたくないって人は大勢いるもんね。」

と私が笑うと、実はそれが彼女の口癖だというステヴ(私に気を遣ってこのエピソードは隠していたみたい)。いずれ子供を産むのなら、文化の香りのする街で育てたい、というローレン。

「だからいつかはシアトル、っていうのがベースにあったんだ。俺が転職を考え始めるずっと前からね。」

幸い、アラスカのプロジェクトに共同で取り組んだことにある小さな会社の社長がステヴを誘ってくれて、シアトル支社にポジションを作ってくれたのだそうです。

「彼女、この転職をすごく喜んでるんだ。」

そうか、奥さんへの愛が転職を後押ししたのか。すげえなステヴ。それに対して我が妻は、これまでずっと私の留学や仕事の都合で移動を余儀なくされています。彼女が住みたい場所で仕事を探す、というアイディアは、ついぞ思いつきませんでした。

数日後、彼からの送別メールが支社の社員全員に届きました。「この10年間、おつきあい有難う。」から始まり、毛むくじゃらのアシカと肩を並べて海上に顔を出している写真が添付されています。その下にはプロジェクト番号が記されていて、キャプションにはこうあります。

“I’m the slightly less hairy one on the right.”
「右側の、やや毛深くない方が俺です。」

アラスカの漁業関連のプロジェクトで現地へ行った時に撮ったものでしょう。

“I still can’t believe a place actually paid me to do things like this,”
「まだ信じられないよ。こんなことするのに金を払ってくれる会社があるなんてね。」

そしてこうまとめます。

“all in the name of anthropology”
「それもこれも、人類学の名のもとにね。」

この “in the name of” というフレーズ、冷静に考えるとちょっと腑に落ちません。ステヴのメールだけを取れば、「人類学の名を借りて」、つまり、実態はともかくその名の威光を使って、という風に解釈できます。でも、これが“in the name of love”「愛という名のもとに」という使い方だったらどうか。「愛してるんだからいいだろ?」みたいな口先だけの愛情表現を指すのか、それともニュートラルな意味合いで使えるフレーズなのか。

さっそく、受付のヴィッキーに質問してみました。すると彼女はいきなり立ち上がって右手を私の方へ真っ直ぐ差出し、

“Stop! In the name of love!”

と歌い始めました。

The Supremesっていうグループの歌でしょ!」

そうして出だしからサビまでを、振り付けつきで歌ってくれました。いや、聞きたいのはあなたの歌じゃないんだけど…。

翌日、久しぶりにオレンジ支社へ出張した際、同僚フィルに質問。

「これだろ?」

私が質問を終える前に、右手をさっと伸ばして「ストップ!」の部分のジェスチャーを見せるフィル。通路を隔てて向かいのキュービクルで働くサル(という男性社員)まで同調して手を伸ばします。いや、だから、知りたいのはそこじゃなくて…。

なんかこの歌、アメリカ人にとっては、メロディーを聴くと反射的に身体が動いてしまうタイプの曲みたいです。日本語の歌に、そんなのあるかな?思いつくのは金井克子の「他人の関係」くらいだな(かなり古いが)。

結局フレーズの意味はあやふやなまま、会話終了。もやもやしたまま立ち去る私でした。こんな時ステヴだったら、こちらの疑問を正確に理解してから「痒い頃に手が届く」的確さで解答してくれるんだけどなあ…。

妙な形で味わう喪失感でした。


2016年2月8日月曜日

ハッピーライフ

11月中旬、アパートの管理会社から一通の手紙が届きました。

「いつもご愛顧有難うございます。1月末の契約更新時に家賃が一割上がりますので、どうぞよろしく。」

おいおい、何だその極端な値上げは?何かの間違いじゃないだろうな。これまでも毎年じわじわ値上げはありましたが、その度に何とか耐え忍びました。それが突然一割も上がる?

さっそくオフィスを訪ねてみましたが、管理会社側はガンとして退きません。ここのところ賃貸市場は好調で、彼らからすればまたとない稼ぎ時なのでしょう。かなり大目に見てやっての一割アップなんだぞ、と言わんばかりの態度。環境や治安の良さに惚れ込んで13年も住み続けた場所ですが、今後この調子で毎年ポンポン家賃を上げられたらたまったもんじゃない。この国では賃貸者の権利が弱く、アパートに住み続ける限りこの仕打ちからは逃れられないのです。

「もうあったまきた!」

この暴挙に、憤然と立ちあがる妻。

「家、買おう!」

我々夫婦は日本にいた頃からアパート暮らしの経験しかないので、住宅購入に関してはズブの素人。おまけにここは外国です。何から始めて良いのやら、皆目見当がつかない。しかし怒りをエネルギーに変えた妻は、ここから八面六臂の大活躍を展開します。ちょうど出張が多く不在がちだった私に文句の一つも言わず、毎日深夜までリサーチに没頭。昼間は知り合いに紹介された不動産エージェント(ベトナム人女性)と何十もの物件ツアーをこなし、同時に複数の銀行とローンの交渉を繰り返し、不動産鑑定士、エスクロー(不動産取引代行)業者との打ち合わせなどをほぼ一人でやり遂げました。

そして遂に1月中旬、南に15分下った場所に、一軒家を購入したのです。アパートの契約が切れる直前の月末、滑り込みで引っ越しを完了。とんでもない早業でした。私は一連のプロセス中、妻の爆発的な行動力に圧倒されっぱなしでした。この人、ほんとすげえなあ、と。

ところが、これで万事解決とは行きませんでした。

今回、住宅選びに当たっての私の希望は、

「お客さんが来ても駐車スペースに困らない家で、斜面上に無いこと。」

これに対して妻は、

「洗濯室が室内にある、眺めの良い家。」

米国では洗濯機と乾燥機をガレージに置くのが一般的なようで、内部に洗濯室を設けている物件は非常に限られていました。

「ガレージって基本的に家の外でしょ。外で洗濯するなんて嫌なのよ。」

しかし残念ながら、彼女の希望に適う適正価格の住宅は見つからず、最終的に購入を決定した物件も、寒々としたオンボロガレージの隅に洗濯機と乾燥機を押し込むタイプでした。おまけに、家からの眺めも決して良くはない。結果的に、大して働かなかった私の希望の方を通した形になり、散々苦労してここまで漕ぎつけた妻に申し訳ない気持ちで一杯でした。

そんな時、不動産エージェントに紹介してもらったベトナム人の大工さんに改装を頼めることになり、二週間でガレージを完全リフォーム。古い温水ヒーターや巨大な空調パイプ、その周りを覆っていた黄色い綿のような断熱材、天井の木材などが全てむき出しだったのが、見事に白い壁で覆われ、すっきりとした洗濯室に仕上がったのです。

「室内と同じレベルとは言えないけど、見違えるくらい綺麗になったわよね。」

と喜ぶ妻。

先日、職場で同僚のジョナサンと昼飯を食べながら、今回の顛末を話して聞かせました。彼は我々の新居の近所に十数年も住んでいて、コミュニティへの仲間入りを喜んでくれました。そしてガレージ改装のくだりを話した時、「こんなフレーズ知ってるか?」と微笑みました。

“Happy wife, happy life.”
「ハッピーワイフでハッピーライフ。」

ドンピシャの表現を頂きました。



2016年2月3日水曜日

Run, Hide, Fight 逃げろ。隠れろ。そして闘え。

昨日のランチタイムには、ダイニングスペースに社員が60人ほど集合しました。本社に新設された部署からクリスという男性社員がやって来て、スペシャル・プレゼンがあったのです。テーマは、「侵入者による銃乱射など、絶体絶命のピンチにどう対処するか。」

その銀髪から察するに、恐らく50代後半でしょう。ネイビーシールズ(海軍特殊部隊)やFBIでの勤務経験を買われて今の職に就いたという彼は、折り目のはっきりした紺のスラックスを履き、白いシャツを素肌に纏っています。異常に発達した大胸筋がそのうちボタンを弾き飛ばすんじゃないかと思えるくらい、シャツの生地が激しく横に引っ張られています。まるでイギリス訛りの抜けたダニエル・クレイグ(最近の007映画で主役を張ってる俳優)。両脇に水着の美女を数人侍らせても違和感は無いでしょう。穏やかな物腰ながら、誰がいつ飛びかかってもためらい無く秒殺するぞ、という凄みを発散しています。

「銃乱射事件の69%は、5分以内に殺戮が終わっています。それほどの短時間に警察の到着を期待するのはまず無理でしょう。だから、個人個人がどう対処するかが大変重要になってくるのです。」

二コリともせず、陰惨なプレゼンを淡々と進めるクリス。解雇された社員がじわじわと転落の人生を歩み、何年も経ってから「そもそもは俺をクビにしたあの会社が悪い」と職場に舞い戻って無差別銃撃をする、という実話にはぞっとしました。そういう「防ぎようがない」と思える事態をどう防ぐか、という話から、万が一そういう事件に巻き込まれた際にどうするか、というテーマに移った時、クリスがこう言いました。

「一番大事なのは、まずは自分の身を護る(Save yourself first)ことです。仲間を助けたければ、まずは逃げてプロの救助を求めることが最良の方法なのです。」

次に、こんなフレーズを紹介しました。

“Run, Hide, Fight”
「まずはとにかく頑張って逃げる。逃げられなければ隠れる。隠れる場所が見つからなければ、後は闘うしかない。」

質疑応答の時間を設けてくれたので、さっそく手を挙げ、プレゼン中ずっと心にひっかかっていた質問をしてみました。

「あくまでも仮定の話ですよ。たとえば一人の男性が、うちのオフィスを訪ねて来たとします。受付で、ここにいるシャノンの知り合いだ、と告げて職場に入って来たとします。」

隣に座っていた、部下のシャノンを指さします。

「実はそれが、彼女のEx boyfriend (昔の彼氏)だったんですね。」

そう言った時、皆がどっと沸きました。

24年も経ってるのに!」

と調子を合わせて笑うシャノン。

「ふられたことをずっと恨みに思っていたこの男が、彼女を片手で抱えて銃を頭に突き付けたとします。私の目の前で、ですよ。そういうケースでも、私はとっとと逃げるべきなんでしょうか?」

クリスは表情を少しも崩さず、三秒ほど私の目を見つめてからこう答えました。

「あなたが普段から厳しいコンバット・トレーニングを受けていて、しかも丁度その時充分な武装をしていた、というのなら話は別です。しかしそうでないならやはり逃げるべきです。」

「でも、仲間が殺されるかもしれないんですよ!」

「あなたがそこで抵抗する様子を見せて犯人を下手に刺激すれば、彼女が殺される確率が増すかもしれない。それに第一その場に留まれば、あなたの命も無くなる可能性が高い。どう考えても、逃げるより良い手段は無いでしょう。」

「う~ん、なるほど…。」

大きな拍手とともに、プレゼン終了。席に戻って仕事を始めたところ、少し遅れて向かいの席についたシャノンが、ケラケラ笑ってこう言いました。

「昔の彼氏ネタで皆にからかわれちゃったわよ。気をつけろよ、ちゃんと関係を清算しておけよ、だって。」

「ごめんごめん、変なたとえ話をしちゃったね。」

「いいのよ。すごく楽しかった!」

少し経って、別件で総務のトレイシーと話した時、

「あれはすごく良い質問だったわよね。」

と褒めてくれました。

「実はさ、まだ納得出来てないんだ。頭では理解出来ても、本当にそういう事態になった時、仲間を見捨てて逃げるなんて出来るのかなあって。」

「そうよね。難しいわよね。」

「たとえばそれが自分の奥さんや子供だったら、絶対助けようとして暴れちゃうと思うんだよね。」

「そりゃそうよ!」

それから少し考え、冗談めかしてこう言いました。

「大体さ、もしも犯人が捕まってシャノンが無傷のまま助け出された場合、どうしてあの時私を見捨てて逃げたのよ!って怒りたくなるだろうし、他の皆だって、シンスケはひどい奴だって責めたくなるんじゃないのかな。」

するとトレイシーが、

「それは絶対大丈夫よ。」

と、心配無用という表情で言いました。

「とにかく逃げろってクリスから指導されるのを、全員が聞いてたじゃない。」

う~ん、その「仮定の」事件に限定した話じゃないんだけど…。