2019年1月27日日曜日

That’s just the way it is. とにかくそういうものなのよ。


「あのさ、お願いがあるんだけど。」

先日の朝、妻にこう言いました。

「起き抜けに夢の話するの、やめてくれる?」

寝ぼけまなこで彼女が語る「たった今見た夢」というのは大抵、何十匹ものネコにどこまでも追いかけられるとか、狭い洞窟にはまって身動きできないとか、聞いてもただ気分が悪くなるだけの支離滅裂なストーリーなのです。

「だってコワかったんだもん。聞いてくれてもいいじゃない!」

ま、気持ちは分かるんだけど、さあこれから新たな一日のスタートを切ろうというタイミングで、思い切り出鼻を挫かれるのはあまり愉快じゃないのです。

嫌な夢を見るというのは、恐らく体調の悪さに起因しているのでしょう。妻は過去数年、慢性的な肩の痛みや突然の激しい腹痛に手こずらされており、医者やマッサージに通って何とか凌いでいます。家具や車と同様、人間にも耐用年数があるようで、いつまでもピンピンしているのは難しい。これは男女問わず、避けて通れない関門なのですね。

先日の一時帰国中、かれこれ四半世紀の付き合いになる遊び仲間のN氏と渋谷で食事した際、

「小便の切れが悪くなるなんてことが自分の身に起こるなんて想像もしていなかった。」

という話題で意気投合してしまいました。知り合いの中でも図抜けた「遊び人」だった彼と、まさか肉体の衰えの話で盛り上がることになるなんて…。トホホな気分で笑い合ったのでした。

さて、先週水曜日の昼は大会議室で、サンディエゴ支社全員(百人以上)の集まるミーティングがありました。司会進行を務める元大ボスのテリーが、中盤でこんな話題を出します。

「オフィスの室温設定だけど、これまであちこちで諍いの種になってたでしょ。ある人は寒過ぎるから温度を上げてくれと言い、今度はこっちで暑すぎるから下げろって具合にね。で、色々議論した結果、71度(摂氏21.7度)から一度たりとも動かさないことに決めたから。」

「え?じゃあ俺の席のそばの壁にあるコントロールパネルで温度を変えたらどうなるの?」

と、男性社員の一人が手を挙げます。

「好きなだけ上げ下げしていいわよ。何も変わらないから。ビル管理センターの方で制御しちゃってるの。」

出席者たちが、微かにざわつきます。71度という数字が妥当かどうか、受け止め方は人それぞれでしょう。

「寒過ぎると感じる人は、上着を羽織って調節してちょうだい。私も常に一枚余分に持って来てるわ。」

とテリーが続けます。そして、こんな風に締めくくったのです。

“That’s just how it is, like dealing with menopause.”
「とにかくそういうものなの。更年期障害と向き合うみたいにね。」

思わず爆笑する私。数秒して周りを見渡し、笑い続けているのが自分だけなのに気が付き、慌てて黙ります。

職場に戻ってマグカップに珈琲を注ぎ足そうと給湯コーナーに向かっていた時、席に戻っていたテリーと目が合いました。

「更年期を冗談にするのって、まずかったかしら?」

と笑うテリー。私が大ウケしてたのに気付いていたのですね。あなたのキャラだからこそ許されるジョークなのだ、と答える私。すると彼女は少し真面目な表情になり、きっぱりとこう言いました。

“Every husband has to learn about menopause.”
「世の旦那は全員、更年期障害のことを学ぶべきなのよ。」

なるほど、きっと彼女は思うところあってそんなジョークを持ち出したのですね。年齢に伴う体調の変化というのは、個人の意思でどうこう出来るものじゃない。現実と向き合い、淡々と対処していくしかないのだ。伴侶はそのことに理解を示し、協力するべきなのだ、と。

私も妻の夢の話、ちゃんと聞いてあげないといけないのかな、と密かに思い直すのでした。

さて先週末のこと。一念発起し、スマホに二つのアプリをダウンロードしました。ひとつはPush Ups(腕立て伏せ)。もうひとつはSix Pack in 30 Days30日でシックスパック)。どちらのアプリも、まずは少しずつエクササイズを始め、徐々に負荷を上げて行って筋肉を仕上げる、というデザインになっています。

実は昨年末まで数カ月間、風邪を引いたり忙しかったりですっかり運動量が落ちてしまい、腹の回りでだぶついた脂肪は、自己嫌悪に陥るほどの醜さでした。これはヤバいぞ、何とかしなければ、と焦りはするものの、ずるずると惰性で日々を過ごしていた私。そんな中、日本行きの飛行機で観た映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」に、とてつもない衝撃を受けたのです。

盗まれたプルトニウムを奪回しようと八面六臂の大活躍をするIMFのエージェント、イーサン・ハント。飛び発つヘリコプターから垂らされた縄に飛びついてよじのぼったり、乗っていたバイクが横から車に体当たりされ車道に吹っ飛ばされたり、若いマッチョマンと互角の殴り合いをしたりと、ど派手なシーン満載のエンターテインメント作品なのですが、私にとっての圧巻は、広大な高層ビルの屋上を延々とひた走る場面。その圧倒的なスピードと持久力に、思わず感動の唸り声を上げてしまった私でした。イーサン・ハント役のトム・クルーズは、ハリウッドのアクション俳優で唯一スタントマンをつけないことで知られているそうなのですが(映画関係者の知人から教えてもらいました)、なんと私と同年代。おいおい、この歳であんなに走れるかよ普通?!

あの衝撃以来、私は彼の「年齢不相応な」動きを何とかして自分の身体でも実現出来ないもんだろうか、と日々考えて来ました。そして「千里の道も一歩から」ということで、無料アプリで肉体改造を目指すことにした、というわけ。

さて、三日目のエクササイズ・メニューを終えてシャワーを浴び、眠りについた私。翌朝起床して洗面所の鏡で自分の上半身を目にした途端、思わずあっと声が出ます。腹筋が「割れてる」とまでは言わないが、ウエストはキュッと締まり、二の腕も太くなったし大胸筋もかなり盛り上がっている。おお!僅か三日でこれほどまでの成果が出るとは!じゃあ30日も続ければ、本当にバッキバキのシックスパックが出来上がるじゃないか!と大興奮の私。

と、ここで目が覚めました。あれ?と思って洗面所へ。そして鏡の中、初日からほとんど変化の見られない自分の裸身をまじまじと眺め、

「そりゃそうだよね。」

と呟く私。

さっそく妻にこの夢の話をしようと思って寝室に戻りましたが、すんでのところで思い留まったのでした。


2019年1月20日日曜日

チップと貧富


先週の水曜日は今年初出勤でした。午前11時には、数週間ぶりのチーム・ミーティング。部下たちと業務進捗の確認をします。

「長い間留守を守ってくれて、みんな本当に有難う!」

そう、年末から二週間弱、家族で一時帰国していた私。もうすぐ大学に進学し親元を離れる息子に、一度は初詣というものを体験させよう、と妻と話し合って決めた企画。あまり欲張って予定を詰め込まないよう努めた結果、景色やご馳走をゆったり楽しむことが出来た二週間でした。

滞在中のある日、妻が彼女の両親を連れて鎌倉霊園まで墓参りに行って来たのですが、しみじみと私にこう語りました。

「鎌倉駅前で拾ったタクシーなんだけど、運転手の接客態度の素晴らしさに感動しちゃったわよ。霊園ゲートで墓参が終わるまで待機しておいた方が良いかどうか先に聞いてくれたし、買って行った花束がぐちゃぐちゃにならないように、助手席の足元に立てて他の荷物で挟んで固定してくれたし。帰りも、鎌倉駅周辺は混雑がひどいから逗子駅に行きましょう、少し遠回りだけどって抜け道を走ってくれたの。ほんと、日本のサービスってすごいなあって実感したわ。」

長く住んでいる人にはピンと来ないかもしれませんが、暫く離れてからあらためて観察するとクリアに見えて来る日本の良いところというのは沢山あって、とりわけ接客態度のきめ細かさには感心させられます。アメリカで長く生活していると、カスタマー・サービスに対する期待値はどうしても低くなるので。特に今回は帰国直前に極端な体験をしていたため、妻の感動はひとしおだったようです。

ロサンゼルスからサンフランシスコ経由で成田へ飛ぶ便を入手していた我々は、地元サンディエゴでレンタカーを借りてロスまで走り、空港で乗り捨てることに決めていました。ところが出発前日になり、レンタカー会社のHertzから電話が入ります。

「予約を受けてた車だけど、用意出来そうもないんだ。空いてる車両が見つからないんだよ。あちこち問い合わせしてみたけど、駄目だった。」

謝罪は無し、代替案も無し。むしろ「俺は頑張って探したんだぜ、有り難いと思えよ」と言わんばかりの態度。さてどうするか。色々検討した結果、レンタカーより割高ながらハイヤーよりは安いウーバー(アプリ・ベースの白タク)を使うことにしました。朝8時の出発便に間に合うためには6時前にはロスに到着しないといけない。余裕を見て、午前三時半のお迎えをスマホで予約します。

一家で深夜に起床して身支度を整え、霧の立ち込める真っ暗な玄関先にスーツケースを四つ出して車の到着を待ちます。すると予定時刻ぴったりに、白いトヨタ・プリウスが到着。おおやるじゃないか、ウーバー!中東か北アフリカ系の外見をした、三十代くらいの細身の男性ドライバーがにこやかに降りて来て、上手に荷物をトランクに積み込みます。名前はアリ。最後のスーツケースはトランクにおさまらなかったので、シートベルトで助手席に縛り付けるようにして支えます。我と妻と17歳の息子は、後部座席で身体の側面を押し付け合いながらシートベルトを装着。ところがいざ出発という段になって、アリが小さく叫びました。

「え?ちょっと待ってくれよ。行き先はLAX(ロサンゼルス空港)だって?」

「そうだよ、予約した時にその情報入れといたでしょ?」

と私。

「いやいや、全然知らなかったぜ。」

彼によると、ウーバーの運転手というのは出発時刻になるまで目的地を知らされないそうなのです。行き先を知った途端ドライバーが乗車拒否するのを避けるためだ、とのこと。

「まいっちゃうなあ。俺、この近所に住んでるんだけど、昨日の晩8時から働いてるんだぜ。この一本で今日は上がるつもりでいたんだ。なのにこれから往復5時間コースだなんてさ!割に合わないよ。」

貧乏くじ扱いされた我々は、後部座席に固まったまま彼の癇癪がおさまるのを待ちます。いくら遠距離運転に気乗りしないからと言って、まさか国際便に乗らなきゃいけない客を明け方に路上へ放り出すなんてことしないよね…。

「しょうがねえや。行くには行くけど、たっぷりはずんでくれよな。」

車を発進させ、冗談ぽくではあるものの、あからさまに多額のチップを要求するアリ。思わず妻と顔を見合わせる私。

「ロスからどこまで飛ぶんだい?」

とアリ。

「日本だよ。」

「どのくらい行ってるの?」

「十日間くらいかな。」

夜中のドライブだったので渋滞も無く、予定より早く空港に到着。我々と荷物を降ろした後、アリが念を押すように叫びました。

“You’re gonna treat me well, right?”
「ちゃんとはずんでくれるよな?」

プリウスを見送った後、妻と息子が一斉に私を責め始めました。

「なんで十日間も日本に行ってるなんて教えちゃったの?留守中、空き巣に入られるかもしれないじゃない!こっちの住所はバレてるんだし。」

あ、そうか、しまった、迂闊だった!

「たっぷりチップをあげとかないと、腹立ちまぎれに放火されちゃうかもしれないわよ。」

と妻。う~む。そんなことってあるかな…。確かに少し記憶を巻き戻してみると、去り際の彼の目つきには、やや本気な「脅し」の色が感じられました。相談の結果、スマホのアプリを開いて請求額の20パーセントを超える「大盤振る舞いチップ」を支払います。帰宅するまでどうか自宅が無事でありますように、と祈りながら(有り難いことに、無傷でした)。

さて一昨日の土曜日は、久しぶりに同僚ディックとランチ。さっそく今回のウーバーの件と、日本のタクシーの上質な接客態度について話しました。

「日本の接客サービスのクオリティって、世界的に有名みたいだよね。」

とディック。

「僕はアメリカに来てから、上質なサービスを受けた記憶って無いんだ。ディックは?」

と私。

「逆の立場でならあるよ。」

「え?逆?」

サウスダコタで過ごした高校時代、近くの高級カントリークラブでキャディーのバイトをしていたディック。とんでもない大金持ちが大勢やって来てゴルフや会食を楽しむ、特別な社交場です。キャディーやウェイターたちに対する要求レベルは高く、ぼーっとしている奴等はたちまち職を失った、とディック。

「その代り、一旦気に入られれば尋常じゃない額のチップがもらえるんだ。」

ぴか一のウェイターは、その存在に客が全く気付かないほど見事に気配を消すことが出来た。客がどんなに飲んでもテーブル上のコップの水は、食事が終わるまで常に一定の水位を保っていた(いつ注ぎ足されたのかは謎なまま)。客の話の腰を折らないタイミングで注文を取り、素早く気配を消す。しかし何か必要が生じれば、即座にそばへ歩み寄る。

「俺たちは、極上のサービスを提供してたと自負してるよ。」

とディック。

「なるほど。高級カントリークラブのメンバーになれば上質なサービスを受けられる、と。つまり全ては金次第、ということだね。僕だってウーバー代金の二、三倍払ってハイヤー雇っとけばあんな思いはしなかったんだもんな。」

「その通り。」

カントリークラブの客の中には、同じ高校生ながら大金持ちの父親に連れられてゴルフにやってくる者もいたそうで、ディック達キャディにいろいろ指図をした後、「やっぱりやめろ」「いや、やれ」とかコロコロ指示を変え、彼らが右往左往する様を眺めて楽しんでいたエリックというくそ野郎のことは今でも忘れられない、と笑います。

「見てろよ、いつかはそちら側に立ってやるからなっていう反骨精神が養われた気がする?」

「無くはないだろうな。少なくとも早くから人生計画を考えるきっかけにはなったと思うよ。」

「そもそもさ、日本にはそこまで激しい貧富の差って無いんだよ。金持ちがチップをはずんで下々の者にサービスさせる、という習慣が生まれる土壌も無かったと思う。ま、その代り、一発当ててやろうっていうアメリカン・ドリーム的な野心も無い。単純にどっちがいいかって、比較するのは難しいよね。」

ランチを終えてオフィスに戻る途中、何か強烈な異臭が漂っているのに気付きました。まるで簡易トイレが倒れ、中身が路上に溢れ出したかのような臭いです。

「うわっ、なんだこれ?」

ディックとふたり、しかめ顔を見合わせます。角を曲がった途端、目の前に現れたのは一人の浮浪者。もう何年も身体を洗ったことがないのでしょう。全身、墨を塗りたくったように真っ黒です。まるでお花畑のミツバチのように、ごみ箱からゴミ箱へとお宝を探してさまよっている。周囲に臭いをぷんぷん振りまきながら…。

まともなサービスが受けたきゃリッチになって金を使え、という格差国家アメリカ。どこへ行っても万遍なく上質なサービスが受けられ、貧富の差は小さいが大金持ちになるチャンスも少ない日本。どっちが良いのか、分かりません。ちょうど中間あたりって無いのかな?