2019年8月24日土曜日

Sweet Send-Off 甘いお別れ


先週火曜の晩、肌に夜風をひんやりと感じ始めた頃、愛車トヨタRav4の助手席に妻を載せ、空港方面へ飛ばします。行き先は、滑走路脇でゴージャスにライトアップされた新設の立体レンタカーセンター。予約していた中型車が全て出払ってしまったということで、フォルクスワーゲン社の白いAtlasという大型SUVに無料でアップグレードしてもらいました。ドアがどっしりと重く、窓を閉めると車外のノイズがほとんど入って来ません。これは快適!Rav4は妻に任せ、まるでクルーザーで夜の海原を疾走するように家路を戻ります。

翌朝は家族全員で早起きし、17歳の息子は衣装ケース二つとデカめのスーツケースひとつ、そして段ボール箱数個にありったけの物資を詰め込みます。我々夫婦は小さめのスーツケースをそれぞれ一つずつ携えることにしました。ガレージのシャッターを開け、前の晩ドライブウェイに停めておいたレンタカーの後部ドアを上に開きます。三列目のシートを前に倒して作っただだっ広い荷台に、押し寿司弁当のように隙間なく荷物を積み込むのでした。

いよいよ週末から息子の大学生活がスタートするということで、引っ越し荷物を積んでコロラドスプリングスまでの約1,800キロをひた走ろう、という企画。まずは、朝一番で近くの病院へ。入寮の条件とされている予防接種を、ギリギリで出発当日の朝に予約出来たのです。入学前にやっておかなければいけないことをまとめてチェックリストを作れ、とか学校から届いたメールは隅々まで読んでおけ、とか毎日口を酸っぱくして説いて来た我々ですが、そこは天下無双ののんびり屋。こちらがやいやい言えば言うほど耳が遠くなるようで、平凡なゴロをじゃんじゃんトンネルして行きます。悲しいかな、エラーを予測していた親の我々(特に妻)がすかさずカバーに入る、というパターンがすっかり定常化してしまいました。

しょっぱなのプログラムで議論するので夏休み中に読了しておくように、と二ヶ月前に送られて来た課題図書のペーパーバックも、当然読み終わっていない。そればかりか、バックパックに水筒と一緒に入れておいたら蓋が開いてびちゃびちゃに濡れちゃったよ、と笑う息子。まるで、誰かが原っぱに捨てて何日も風雨に晒された末に乾ききったエロ本みたい。もっさりとボリュームアップしています。これを両手で押さえつけながら後部座席に座り、「読み終わるまでiPhone取り上げ」の刑に処された息子。こればっかりはさすがにまずいと思ったのか真剣な表情で読み始めるものの、数分して振り返るともう口を開けて眠っている…。

病院を出て次に訪れたのは、親友二コラの家。前夜遅く、一ヶ月間に及ぶヨーロッパ一人旅から戻って来たばかりの彼でしたが、時差ボケをものともせず送別ブランチに同行することになったのです。高校の水球部で作った紺のポロシャツを着て運転席の真後ろに座った二コラの口から、ヨーロッパ各地でのオモシロ冒険談がとめどなく溢れます。

「あっちで親戚の人にスキンケア・サロンに連れてってもらったんだけど、何か薬品を使ってたみたいで、信じられないほど痛かったよ。でも滅茶苦茶スベスベになったけどな。」

ルームミラーを覗くと、息子が手を伸ばして「ほんとだ」とか言いながら二コラの頬っぺたをぺたぺた触っています。思わず隣の妻と顔を見合わせて無言で笑います。

予約した9時ぴったりに、お気に入りのレストランGreat Mapleへ到着。我々夫婦はいつものケールサラダと特製フレンチトーストを注文することに決めたのですが、息子と二コラは食べたい物がカブッたとかで、突然じゃんけんを始めます。いいじゃん同じ物頼めば、と諭す妻を振り切り、何度か「あいこ」を続けた後、決着がつきました。

身体は大きいけど、中身はまだまだ子供なんだよな、と微笑ましく思いながら二人を眺めていたのですが、食事が終わってそろそろ出発、という段になり、二コラの両目が急激に赤くなって行きました。あれあれ、どうした?と尋ねると、

「この二年間ほぼ毎日一緒に過ごして来た親友といよいよお別れなんだって思ったら、やっぱりたまらないよ。」

と、メガネの奥の涙を両手の人差指で拭います。一方我が家の愚息はケロッとして、どうしたんだよ、やめろよ、などと笑いながら茶化しています。

「僕の国じゃ、親友ってのは本当に特別な存在なんだ。たとえば結婚式で付き添い役を務めた親友は、法的に家族の一員になるんだよ。生まれた子供の準保護者にも認定されるしね。そんな大事な存在だから、離ればなれになるのはとっても辛いんだ。」

家まで送り届けると、歩道に降りた二コラは息子に車から出るよう促し、長く熱い抱擁を交わします。そして我々の車がどんどん遠ざかり、遂に角を曲がるまで、ずっと手を振っていました。

「ほら、後ろ見てちゃんと手を振り返せよ!」

と「親友」に気を遣う私。

その日はラスベガスのプラネット・ハリウッド・ホテルにチェックインし、クリス・エンジェルの空中浮遊マジックショーを鑑賞。木曜は、映画「マッドマックス」を思わせる岩と砂の荒野を何時間もひた走り、ブライス・キャニオン国立公園に近い安ホテルに宿泊。金曜はアーチズ国立公園に寄った後、さらに果てしない荒野を爆走します。その間息子は後部座席で課題図書を読みふけり、「このお話、すっごく面白いよ。」と無邪気に感想を述べます。「遅いんだよ!」と前席からすかさず突っ込む我々夫婦。

読書に疲れると、子供の頃の思い出話などでドライブ・タイムを楽しみます。

「パパって、僕のうんこの写真よく撮ってたよね。」

と笑う息子。「切れずの一本」が体調良好の何よりの証拠と信じる私は、彼が立派なお通じをすると力いっぱい褒め、記念写真を撮影したものでした。色々抜けていて問題はあるけど、大きな病気も怪我も無く朗らかに暮らして来られたのは本当にラッキーだ、それもこれもすべて周囲の支えのお蔭だぜ、と「父親モード」で語ります。そしてフィッツジェラルドの名作「グレート・ギャツビー」の冒頭の一節を遠い記憶から手繰り寄せ、彼に「贈る言葉」として与える私でした。

「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」(野崎孝訳)

同じフレーズを過去に何十回も聞かされている息子からは大したリアクションも無く、静かな時間が流れて行きます。実はこの後、もうちょっと文章が続くのです。そして、この部分こそが私の大好きな一節なのですが、さすがに端折りました。

父はこれ以上多くを語らなかった。しかし、父とぼくとは、多くを語らずして人なみ以上に意を通じ合うのが常だったから、この父のことばにもいろいろ言外の意味がこめられていることがぼくにはわかっていた。

砂漠地帯の一本道に入ると、息子はお気に入りであるジョー・ローガンのポドキャストを、カーステレオを通して流し始めました。大統領候補バーニー・サンダースへのロング・インタビューで、地球温暖化が喫緊の課題であること、今すぐ動かなければ取り返しのつかない事態になることなどが熱く語られました。それが終わると彼は、小遣いから課金してまで購読しているポドキャスト「ハードコア・ヒストリー」で最も好きな「ジンギスカン」の回を流します(ジンギスカンがいかに凄い人物だったかを常々興奮状態で語って来た彼は、どうしてもそのオリジナル音源を我々に聞かせたかったようでした)。両親が感心しつつ聞き終わるのを確認すると、今度は最近ハマっている「ジョジョの奇妙な冒険」ミーム(インターネット上で伝染していくコンセプト)の話をガンガン語ります。なんのことやらさっぱり分からない妻は、そのうち助手席で寝入ってしまいました。

コロラド・スプリングス入りしたのは出発から三日後の金曜夜。入学初日に着る綺麗な服が無いことに気付いてアウトレットモールに飛び込み、閉店ぎりぎりにポロシャツを買いました。翌朝ホテルを出て、4月に見学した際に見つけておいたLoyal Caféというモダンなコーヒーショップで朝食をとってから学校に向かいます。

係員の誘導に従って寮の駐車場にゆっくり進入して行くと、既に沢山の車が停まって荷物を降ろしていました。建物から黄色いTシャツとカーキ色の短パン姿の若い男女が、四隅の足元に車輪をつけた巨大な四角い布袋を押しながら大勢現れ、弾ける笑顔と大声で歓待します。在校生たちが寄ってたかって、新入生の引っ越しを手伝ってくれるのですね。

息子の新居は、四階一番奥の三人部屋。先に到着していたルームメイト二人はそれぞれ家族の手伝いもあったようで、ほぼ荷解きを終えていました。二つしかないクローゼットには既に彼等の服や荷物がおさまっており、「ほらね、言わんこっちゃない」と思わず小言が口を突いて出かかりました。前の晩ホテルで「明日は一番乗りしよう」と話していたのに、予想通りしっかり寝坊した息子。早目の行動を心掛けるようになるための良い学習機会だと、ひとり頷く私。ところが二人のルームメイトは気の毒に思ったのか、息子に「半分使ってよ」とそれぞれオファー。結果的に、合わせて一つ分のクローゼット・スペースをせしめてしまったのでした。う~ん、「残り物には福がある」みたいな展開になってしまったじゃないか。ますます「懲りない奴」になっちまう…。

部屋での荷解きを終えると、キャンパスの芝生広場に設営されたキャノピー群の陰でビュッフェランチを楽しみます。その後、黄色いビニール製の棒を打ち鳴らしながら歓声を上げ続ける何百人もの在校生たちに挟まれた細い道を、新入生とその保護者がゆっくりと進み、石造りの立派なチャペルへ入ります。すし詰め状態で着席し、学長の挨拶を聞きます。この学校での四年間が若者たちの人生の立派な礎になるであろうこと、多額の学費を払うことになる保護者に、それが価値ある投資だったと確信して頂けるよう教職員は全力を尽くすこと…。途中で思わずじわっと目頭が熱くなり、この情熱的なメッセージが息子の心にも響いてるといいが、とチラッと横を見ます。すると彼は首をうなだれてガッツリ居眠りしており、隣の妻から激しく小突かれていました。

この後、再び芝生の広場へ出ます。新入生はここで数十組のグループに分かれ、水曜に出発が予定されているキャンプ・ツアーの打合せをする手筈なのですが、浮かない顔で執行委員の座る中央テーブルに向かってまっすぐ歩く息子。実はこの日の朝、配布された書類を読んでいた妻が、重大な発見をしてしまったのです。

「前々からお伝えしてある通り、新入生は最初の週に四日間のキャンプを体験します。それには以下のツールが必要です。」

寒冷地対応の寝袋、おでこにつけるタイプのライト、テント内に敷く防寒マット、などなど…。

「ど~すんのよ!今すぐ買いに行かなきゃ間に合わないじゃない!」

とキレる妻。またしても、「届いたメールをちゃんと読まない」ために起きた失策です。何回同じミスを繰り返せば気がすむのよ?と妻が首を振ります。暗い顔で、「キャンプへの参加をパス出来るかどうか聞いて来る。」と答える息子。

そうして彼がトラブルの収拾に動いている間、我々は保護者対象のセッションに出席。この時、「キャンプ用具は学校にたっぷり在庫があるので借りられる」との説明を聞き、ほっと胸を撫でおろします。後で息子と合流してこれを伝えたところ、まるでそうなることは初めから分かっていたとでも言うように、「でしょ!」と笑ったのでした。てめー、いい加減にしろよ!

夕食は近くのピザ屋ですませ、その後再びLoyal Caféへ行きくつろぐことにしました。皆で絶品コーヒーを味わっていたところ、息子の携帯に二コラから電話が入ります。彼もつい先ほどアリゾナの大学寮に入ったらしく、フェイスタイムで部屋の様子を映しながら息子と話しています。「そっちの大学が嫌になったら編入して来いよ!」…まだ言ってる。

すっかり夜の帳が落ち、この日最後のオリエンテーション・セッションに出席するため8時半までに戻らなければならないという息子を、寮の駐車場で降ろします。保護者の参加はここでお終い。正式にさよならです。学校側から渡されたプログラムには、この時間帯の活動にこんなタイトルがついていました。

The Sweet Send-Off

直訳すれば、「甘美な送別」ですね。これはウマいな、とそのワードセンスに唸りました。別離の切なさに胸を痛めつつも、子供の独り立ちを誇らしく思う。そんな特別な一幕を表現するのに、これ以上しっくり来るフレーズは無いだろう…。

「じゃあね。元気でね。」

助手席から降りた妻は、隣に停めてある車との隙間で息子を抱きしめます。そのうちしゃくりあげ始めた妻に、「ちょっとママ!」、と元気づけようとしているともたしなめているとも取れる強い口調で声をかけながら、身体を離す息子。私とは軽くハイファイブした後短いハグを交わし、「ジョジョのミーム、送るからね。」と笑います。妻を横に載せてエンジンをかけ、駐車場内を走り始めた時は、寮の入り口で手を振る息子がルームミラーに映っていましたが、コーナーをぐるりと回って正面を向くと、既に踵を返してスタスタと歩き始めていました。

「ほんと、あいつらしいな。」

と笑う私の横で、激しく泣き続ける妻。ホテルに戻ってもまだ泣き止まず、暫くタオルで顔を覆っていました。

翌朝はゆっくり寝坊した後、昼前になってようやくホテルを後にします。レンタカーのだだっ広い荷台には、我々の小型スーツケース二個のみ。スペースが無駄なので、倒していた三列目のシートを起こそうかなと一瞬考えましたが、二列目に座る者もいないのにもう一列座席を作る必要も無いか、とすぐに思い直しました。デンバー方面へ北上する途中のレストランTill Kitchenでブランチしよう、と車を走らせていると、

「あれ?おかしいな。周りの物が良く見えないんだけど。泣きすぎて目がどうかしちゃったみたい。」

と、助手席から身を乗り出して懸命に目を凝らす妻。

「え?そんなことってあるの?」     

と驚きつつ、この分だと回復にあと数日はかかりそうだな、と妻のメンタルを心配する私でした。実はちょっと前に息子からテキストメッセージが届いていたのですが、彼女に見せようかどうかだいぶ迷った末、見合わせることにしました。

そこには便器の写真が添付されていて、おいおいこんなところでオオサンショウウオ発見かよ?とツッコミたくなるような特大サイズの便が映っていたのです。

“Absolutely shelled the bathroom”

とコメントが添えてあります。すっかり英語モードになってやがる…。よく分からないけど、きっと「便器を完璧にやっつけたった」くらいの意味でしょう。すかさす

「食事前だぞ!」

と日本語で返信すると、

“Hahahahaha”

と笑い返して来ます。そしてもう一度しげしげと写真を眺め、驚嘆する私。これほどデカい大便は生まれて初めて見たぞ。あいつ、ホントに健康優良児だな…。

“Great job though”
「すごいなしかし」

と、素直に感心を伝えます。すると数秒後、こんな返信が届いたのでした。

“Thanks Dad it means a lot”
「ありがとパパ。嬉しいよ。」


2019年8月10日土曜日

Bucket List 生きてるうちにしておきたいこと


先週木曜のアフター5、窓からサンディエゴ湾を望む開放型会議室に三十人程の社員が集まって、月例プレゼンイベントが開催されました。今回のスピーカーは、元大ボスのテリー。旦那のトレイス(社員じゃないけど)も駆けつけ、30年前に二人が体験した南米バックパック・ツアーのエピソードをスライドショー形式で披露してくれました。

大学院を出たばかりで仕事も金も無く、結婚もしていなかった二人ですが、貧乏旅行マニアの知人に感化され、「やるなら今しかない」と断行したのだと。携帯電話もインターネットもATMも無い中、チリのサンティアゴからアルゼンチンの南端まで三カ月かけて踏破した若いカップル。スライドショーの写真の中には、活火山の山頂で黄色く煙る噴火口の縁に腰かけ、数百メートル下でオレンジの光を放つマグマを見下ろしているところとか、巨大な氷山の急斜面にさりげなく立っている姿などもありました。

「命を落とした人もいるからやめた方がいいって周りの旅行者が忠告したのに、トレイスったらまるで公園で子供が遊ぶみたいに、氷の斜面を背中で滑り降りたのよ。」

とテリー。

「いや、上から見たら大したことなさそうだったんだよ。ピッケルを両手で握って、胸の前に抱える格好で足から滑るんだ。で、スピードが制御できなくなって来たら上体を素早く回転させ、ピッケルを脇腹の横辺りの氷に突き刺してブレーキをかける。ガイドからそう教えられて、やってみたらうまく行ったんだ。結構楽しかったよ。」

そもそもこの二人は相当な冒険好きカップルのようで、一昨年もメキシコでジップライン(山奥に張られたワイヤーロープを滑車を使って滑り降りる遊び)を楽しんで来たと話してました。

実は彼等のプレゼンに聞き入るうち、じわじわと居心地が悪くなっている自分に気付いていた私。すごいなあと感心する一方で、一ミリも羨ましくないのです。触発されて然るべき類の話題なんだろうけど、正直、さっぱり興味が湧かない。この時突然、数か月前の記憶が蘇って来ました。

長年親しくして来た同僚マリアのシカゴ転勤が決まり、古い仲間とダウンタウンのTaka Sushiで壮行会を催した晩のこと。マリアと特に親しかったリチャード、日系アメリカ人の元同僚ジャック、そして元ボスのエドのその奥さんジョリーンとでおまかせ寿司コースに舌鼓を打っていた時、間もなく90歳になろうというジャックがこんなことを言ったのです。

「まだまだ老け込むわけにはいかないよ。Bucket Listを空にしてないからね。」

え?なんだって?バケット・リスト?間髪入れず、発言の意味を質問する私。

「生きてるうちにしておきたいことのリストだよ。」

と、すかさずエドが解説します。ふ~ん、そうなの。でもなんでそこでバケツが出て来るの?と尋ねると、みなで天を見上げて固まります。それからおもむろにスマホを取り出し、それぞれ調査開始。そして審議の結果、「首を吊ろうという人が足元のバケツを蹴飛ばして人生を終える」ところから来ているらしい、という説明で一応全員が納得しました。ここでエドが笑顔になり、こちらを向いて言ったのです。

“Shinsuke, what’s on your bucket list?”
「シンスケ、君のバケツ・リストには何が入ってるんだ?」

一斉に顔を上げてこちらの解答を待つ仲間の前で、ぐっと詰まる私。え?急にそんなこと聞かれても…。何かあったっけ?

「う~ん、なんだろ。全然思いつかないや…。」

結局食事会中には答えが出ず、それからというもの、ことあるごとにこの質問が蘇るのでした。テリーのプレゼンを聞いている間も、何度もふっと意識が飛んでバケツ・リストのことを考え始めていた私。どんなに頑張っても何ひとつ浮かばないじゃないか。どうしちゃったんだろう?若い頃は色々あったと思うんだけど…。後日、若い部下のテイラーに聞いてみました。

「え~?いっぱいあるなあ。行ってみたいところがものすごい数あるもん。アラスカでしょ、ハワイでしょ、それからギリシャとアイスランドも行きたいし。」

そっか、アメリカ人なのにまだハワイにも行ってないのか。大学出て三年目くらいだから、当然だよな。若い時って、したいことが山ほどあるんだな…。実際の年齢はどうあれ、それこそが「若さ」というものなのかもなあ。

若いと言えば、我が家の17歳の息子。いよいよ来週末からコロラドの大学で寮生活をスタートします。荷物が多いため、サンディエゴから三日かけて車で送って行くことにしました。折角だから、ラスベカスに寄ってマジックショーを観たりユタ州の国立公園で絶景を楽しんだりしよう、とロードトリップ計画を立てた我々夫婦。これが最後の家族旅行になるかもしれないね、としんみりする妻。男親の私は「四年間しっかり頑張って来いや」くらいのあっさりした心持ですが、母親にとって一人息子との別離は、そう簡単なものじゃなさそうです。準備の段階で、いろいろ想像して何度も目を潤ませる彼女。

今週テリーとランチルームであった時、息子の大学のことを尋ねられたので、来週末にスタートすること、家族でコロラドまでドライブした末にさよならする予定であることなどを話しました。

「奥さんが心配よね。」

とテリー。彼女のところの長男は既に大学生で、このマイルストーンは直近で経験済みなのですね。

17年とか18年、ずっと子供の予定を中心に生活を組み立てて来たじゃない。その中心がいきなりどこかへ飛んで行っちゃうんだから、動揺は大きいわ。自分中心の人生を取り戻すまで、精神的に不安定な時期が続くの。これは辛いわよ。」

なるほどね。妻ほどじゃないけど、僕だって過去十数年間、だいぶ子供の都合に左右されて来たもんな。楽しい思いをさせてもらった反面、今後軌道修正に苦しむのかもしれない、という不安がやって来ました。

「家に帰った時、空っぽになった息子さんの部屋を見るのは辛いと思うの。帰る道中とか帰宅してすぐとかに、何か楽しいイベントを企画しておくといいわ。奥さんがずっと前からしたかったことは何?そういうのを今から予定に組み込んでおくのよ。」

それは素晴らしいアイディアだね。有難う、と私。

よく考えてみれば、妻が前々からしたかったことなんて知らないな。さっそく家に帰って、キッチンで夕食の支度をしていた彼女に背後から尋ねてみました。

「ねえ、Bucket Listって何か知ってる?」

知らないというので解説をし、さりげなく質問を重ねます。

「君のBucket Listには何が入ってる?」

数秒ほど考えた後、彼女が空を見つめてこう答えました。

「な~んにも思いつかない。」

二人そろって、重症です。