2016年5月29日日曜日

Turnaround Guy 再建請負人

数週間前から、ドラマ「24」のシーズン5を見直しています。今回のジャック・バウアーは、一年半に及ぶ潜伏に終止符を打ち、正式にCTUに復帰したわけでもないのに、細菌兵器を入手したテロ組織に立ち向かって大活躍、という役回り。一刻の猶予も許されない緊迫状態の中、組織内部の裏切りや仲間の死、情愛のもつれ、大統領の企みなどが複雑に絡まって物語を盛り上げるのですが、今回久々に見返してみて感心したのは、トップ人事が組織の行動にどういう影響を及ぼすかが巧みに描かれている点。シーズン5が異彩を放っているのは、地域本部から送り込まれたリンという若きエリートの存在によるところが大きいと思います。

周囲から厚い信頼を受けていたビル・ブキャナンの指揮権をいきなり奪い取り、自分のやり方に従わない者は権威を振りかざしてねじ伏せ、時には冷酷に排除する。部下たちの忠告には耳を貸さず、彼らが命令に背いたのではと疑えば厳しく監視する。統制を図ろうと居丈高になればなるほど、部下たちは彼から離れて行く。頭に血が上ったリンは遂に、細菌兵器のありかを掴むために現場で決死の侵攻作戦に取り組んでいたジャックですら、「自分の命令を聞かないから」という理由でCTUへ連行させようとします。憤然としながらもこれに従うしかない職員たち。さあどうするジャック?

十年前に鑑賞した時は気づかなかったけど、これって大きな組織で働く人にとっては「あるある」な状況なのですね。現場を知らない上層部と最前線との間に生まれる不信感。組織が大きくなればなるほど縦方向の距離が増し、情報や意思の交換が難しくなるのは当然です。

さて、我らがジャック・バウアー。テロ行為の阻止を最優先課題に置く彼は、リンの権威に臆することなく、彼の指示をあっさりと無視。色々無茶を重ねながら信念に基づいて行動し、起死回生の成果を上げて戻って来ます。彼以上に現場を知っている人間はいないのだから、初めから邪魔せず任せておけばいいのに、と視聴者がイライラを募らせる仕組みになっているのですが、組織で動いている以上、こういう摩擦は避けられません。今回私は、登場人物間に働く力関係の入念な作り込みに惚れ惚れしながら、ドラマを再鑑賞したのでした。

実は私(決して自惚れているわけではなく)、常にジャック・バウアーに似た立場で仕事に取り組んで来たという自負があります。PMたちがサポートを求めているのに、会社にはその体制が無い。組織図のどこにも、「プロジェクト・コントロール部門」が存在しないのです。だったら勝手に動くしかない。トレーニングを企画し、自前のプレゼンスライドを携えてゲリラ的に支社巡りをして来ました。そこで相談を受けたPM達からサポート要請を取り付け、じわじわと仕事の基盤を広げて行き、これに平行してチームを拡大。各支社にネットワークを広げ、南カリフォルニア地区に非公式のプロジェクト・コントロール・チーム(総勢14名)を構築したのです。5月後半には大ボス・テリーの後押しで、南カリフォルニアの支社を巡ってPMトレーニングを展開。部下のシャノンにサンタバーバラ支社とサンタマリア支社を任せ、私はベーカーズフィールド支社、カマリヨ支社、それからサンディエゴの二支社でトレーニングを開催しました。
ところがこのさ中、状況が大きく揺らぎます。

数カ月前、南カリフォルニア地域のトップに就任したP氏が、彼の右腕としてR氏をデンバーから呼び寄せました。彼はプロジェクト・コントロール担当副社長と名乗り、就任直後から猛然と改革をスタートします。ウェブ会議を度々開催し、これまで会社に欠けていたPMサポート体制を構築して行く、と発表。ガイドラインやテンプレートの提供、各種トレーニングの開催など、様々な角度からプロジェクト・マネジャー達を支援して行きます、と。

私が草の根運動としてコツコツ積み上げて来たことを、トップダウンで開始したのです。やれやれようやく会社が重い腰を上げてくれたか、と安堵したのも束の間、R氏がPM達に一斉送信した最近のEメールを読んで愕然としました。私が「これだけはやっちゃ駄目だよ」とトレーニングで強調している悪しき慣習を、手放しで奨励する内容が盛り込まれていたのです。彼はこの会社に来て日が浅いから、問題の大きさに気付いていないのかもしれない。さてどうする?彼に連絡して率直にミスを指摘するべきか

そんな時、大ボスのテリーからEメールが届きます。

R氏がうちの支社を訪問することになったの。シンスケのトレーニングの日程を教えたら、サンディエゴでの最終回に出席したいっていうのよ。」

R氏の面前で、大勢の受講者に「先日の彼の指示は間違いだ」と指摘して顔を潰すことだけは避けたい。しかしだからと言って、重要なメッセージを伝えずに済ますことも出来ない。そもそも既にトレーニング・ツアーは始まってるし、過去の受講者の口からいずれ彼の耳に入るかもしれない。ここはまずトレーニングの前日に会って、彼と直接話をするしかない、と決心。早速一時間のミーティングを申し入れました。きちんと説明を聞いてもらった上で、自ら対処してもらうのが最良の解決法です。しかしそれにはまず、彼が現場の忠告を受け入れるタイプの人物なのかどうかを見極める必要がある。

「君の評判は沢山の人から聞いているよ。」

人懐っこい笑顔で握手するR氏は、拍子抜けするほど気さくな人物でした。おそらく五十代後半でしょう。でっぷりとした腹部を左右に揺らしながらゆったり歩く姿とは対照的に、漲るエネルギーがその目に溢れています。

「これからどんどん君の力を借りることになると思う。心の準備を頼むぞ。」

和やかな雰囲気でスタートした初会合。この分だとすんなり事が済みそうだな、と気を緩める私。まずは、彼の現職就任に至る経緯を尋ねてみました。するとR氏は、これまでに携わったプロジェクトの数々について語り、去年はカナダ全土でピンチに陥っていた多数のプロジェクトを回ってその再建に貢献したこと、その手腕を買われて南カリフォルニアに引っ張られ、既にいくつかの巨大プロジェクトを窮地から救っていることを語りました。そして彼の口から飛び出したのが、このセリフ。

“I’m a turnaround guy.”
「僕はターナラウンド・ガイなんだよ。」

Turnaround とは、事業経営などを再生、再建する、という意味の単語。Turnaround guy とは、再建のプロ、ということですね。私の和訳は、これ。

“I’m a turnaround guy.”
「僕は再建請負人なんだよ。」

この後彼は、プロジェクト・マネジメントに関する論文をいくつも書いていること、間もなく本の出版もすること、この分野の全米組織で役員のトップを務めていることも語りました。

どこからどう見ても大物です。すごいですねえ!と素直に感心しながらも、この後の展開がややこしくなって来たことを感じる私でした。

「疑いも無く優秀な方にこういうことを言うのもなんですが、あなたがPM達に一斉メールした指示は間違いですよ。」

なんて、とてもじゃないけど口に出来ません。R氏はこの後、彼の立案した革新的なプロジェクト・コントロールの方法論を紹介してくれました。そして別れ際、彼の論文をいくつかメールしてもらうようお願いしてミーティングが終了。結局本題を切り出すきっかけは訪れなかったのでした。

その晩、今は別部門で働いているかつての部下、ヴィヴィアンから携帯にメッセージが入ります。「私の携帯に電話ちょうだい。」とあります。なんだろう?珍しいな

R氏が木曜日のトレーニングに出席するって聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ。」

「良かった。シンスケに知らせておけってボスから言われたの。彼がどういう人物か知ってるの?」

「今日、直接会って話したよ。すごく優秀みたいだね。ピンチに陥ったプロジェクトを沢山再建して来たんだって。」

「そこなのよ。沢山再建する一方で、人も大勢切って来たらしいの。凄腕なのは間違い無いけど、油断は禁物よ。気を付けてね。」

なんか、ITエキスパートのクロエがジャックにこっそり忠告する場面みたいだな…。

「そういえば彼、自分のことをTurnaround Guyって呼んでたよ。僕らプロジェクト・コントロールの仕事は裏方としてPMを支えるスタイルだから、正直、この発言には違和感を覚えたんだ。周りからそう呼ばれるのならまだしも、自分から名乗るのは、おこがましい感じがするもんね。」

翌日、トレーニング会場である会議室に現れたR氏は、「一番近くで見たいから」と微笑み、隣の席にどかっと腰を下しました。私のスライドは、彼がPM達に一斉メールで指示したのと同じ内容から始まります。そして二ページ目から、「何故それをやったら大失敗が待っているのか」を説明する段取り。さあどうする?

二十人を超える受講者が着席し、セーフティーモーメントの後、R氏に自己紹介をお願いします。彼はここでも再び、自分がいかに大物であるかを柔らかな口調で誇示しました。

「今日はシンスケのトレーニングを監視するために来たんだよ。」

と、冗談とも本気とも取れるコメントで挨拶を締め括り、いよいよ本番がスタートしました。私は慎重に言葉を選び、ゆっくりとパワーポイントのスライドを捲ります。

「多くの人は、このように進めていますね。この手順自体は正しいのですが、大きな落とし穴の存在を知っておく必要があります。まずはベースとなる情報が正確であることを確認してから進めないと、毎月提出するレポートは常に間違いということになるのです。このPMツールは詳細データを内蔵しているので、これをまずダウンロードして精査して下さい。」

R氏の指示を真っ向から否定するのではなく、「落とし穴の存在」を知らしめることに重きを置く、という変化球を投げたのですが、多くの受講者の顔が困惑で歪みます。私の隣でR氏は、さらさらとメモを取っています。ちらりと顔を見ましたが、その表情からは動揺が読み取れません。トレーニング中盤になり、女性社員がさっと手を挙げました。

「結局のところ、私たちが受けて来たこれまでの指示が間違ってたってことじゃないの?」

うわあ、そんなストレートな反応するか?すかさずR氏がこれを受け、「あの指示を送ったのは自分で、基本路線は正しい。大事なことは…。」と、論点を変えてはぐらかすような受け答えをします。完全な納得が得られたとは思えませんが、皆それ以上騒がなかったので、私は何事も無かったかのように先へ進み、無事トレーニングを終了しました。

R氏が立ち際に、Good Job!と微笑みます。う~ん、この言葉と顔色からじゃ内心が読めないぞ…。そしてそのまま、会場を後にしたのでした。

ところで私は、トレーニングの後半から自分の身体に何か異変が起こっているのに気づいていました。みぞおちの当たりが猛烈に痛むのです。触ってみると、カッチカチ。これって胃痛だよな?そしてそれはストレスを意味するのか?うまく立ち回ってたつもりだけど、実はものすごく緊張していたのかもしれない…。吐き気まで催して来たので、慌ててトイレに駆け込みます。便座の上で、両膝の間に顎を埋めるように上体を倒した格好になった私は、ちょっと笑えて来ました。

これしきの逆境、ジャック・バウアーだったら軽々と乗り越えることでしょう。ハライタになんか絶対ならないよな…。

帰宅して一部始終を妻に告げたところ、

「まだまだだねえ。」

と冷やかされました。

「でも、念のためにレジュメ(履歴書)のアップデートはしといた方がいいかもね。」

おいおい、また胃がキュッとなったじゃないか。


2016年5月22日日曜日

Everything is squared away 何もかもがきちんとしている

金曜日、ランチルームで同僚ダグに声を掛けられました。彼は出張で成田乗り継ぎがあった場合、わざわざ成田山に足を運ぶほど日本が好きで、カプセルホテルに泊まってその清潔さに驚嘆したり、出会った人々の親切さに感動したりした話をよく語ってくれます。

先日、彼の友達(アメリカ人)が成田乗り継ぎの機会があるというので、

「どこへ行ったらいい?」

とダグにアドバイスを求めて来たのだそうです。

「よくよく聞いたら、2時間しかないっていうんだよ。それじゃ外へ行くのは無理だ、ということで、空港内部で楽しむことになったんだけどね。」

「そんなの、僕でもアドバイス出来ないよ。」

と私。

「帰国したそいつに感想を聞いてみたら、やっぱりすごく驚いてたよ。すっかり日本のファンになったって。」

この時ダグが使った表現が、これ。

“Everything is squared away.”

Square というのは、四角く区切る、つまりきちんと整理整頓する、という意味ですね。Away をつけて、きちんとしておく、という感じでしょうか。私の和訳は、

“Everything is squared away.”
「何もかもがきちんとしている。」

「それって、お店や空港施設みたいな空間がってこと?」

と私。

「いや、人間もだよ。誰に話しかけても、みんな礼儀正しくて親切だろ。これはすごいことだよ。アメリカじゃあり得ないことだからね。」

そして彼が表情を曇らせ、

「でもね、そういうのを聞く度に、いつも必ずちょっと混乱するんだな。」

と付け加えます。歴史通でもあるダグには、これが大きな未解決テーマだというのです。

「一般市民の温かな国民性と、かつて日本軍が中国大陸で見せた残虐性とが、どうしても噛み合わないんだよね(incompatible)。」

これを聞いて、その日の朝息子と交わした会話が蘇りました。彼は今、日本語補習校の中学三年生なのですが、ちょうど土曜日に中間試験があるというので、その準備を前の晩に手伝っていたのです。社会のテスト範囲は「第一次世界大戦から日中戦争まで」。教科書には客観的な史実しか記載されていないので、これでは「何故日本が大陸に突入して行ったのか」が読み取れない。これを補足するため、彼を高校へ送る道すがら、解説を試みたのです。

とはいえ私がオリジナルな見解を持ち合わせているわけではなく、「昭和史」の著者である半藤一利氏が繰り返し語っている、「日本人の性質」をちょいとアレンジさせて頂きました。

権威や規律に対して従順で、列に並んで順番を待ったり交通信号をちゃんと守ったりすることに長けている我々日本人は、ひとたび目標が定まると、一丸となって熱狂的に突き進むことが出来る。戦後の復興やオイルショック後の省エネ運動などを見ても、その団結力は驚異的である。民主主義を謳ってはいるけれども、アメリカのように「個人が自由意思を主張し続け、常に混とんとしている」社会とは違う。ぶつかり合って摩擦を生むよりは、妥協して調和の中で生きる方を選択する傾向が強く、「分をわきまえる」「身の程を知る」ことが美徳とされている。そういう国民だからこそ、「五族協和」などというスローガンで大陸進出の正当性を「お上から」与えられれば、それ行け!と一斉に行動開始出来る。礼儀正しく親切な国民性は、主体性を失い妄信的な行動に駆り立てられやすいという、「脆さ」と背中合わせなのだ。

息子からもダグからも一定の共感を得られましたが、これはやっぱり「ストンと腑に落ちる」説明ではありません。私自身も戦争体験があるわけではないので、どこか遠い国の話をしているような気分。出来れば触れずにやり過ごしたい難しいテーマですが、こういう本質的な議論を避けていれば、本当の意味で歴史から何かを学ぶ経験は出来ないと思います。私はアメリカに来てから、一層強くそのことを感じるようになりました。だからあえて息子に、そんな補足説明をしたのです。

ダグは先日まで何度か、ティニアン島への環境関連プロジェクトの出張を続けていました。これは、広島、長崎に投下された原爆を搭載した爆撃機が飛び立った重要拠点。このちっぽけな島が日本の歴史を大きく変える重要な役割を負ったということを、私は数年前まで知らずにいました。

彼は帰国途上、経由地グアム島にある太平洋戦争記念館(Pacific War Museum)に寄ってみたのだそうです。ここには原爆に限らず、あの戦争に関するありとあらゆることが学べる展示物が陳列されているのだとか。

「中で説明していた係員に、ちょっと聞いてみたんだ。観覧者からどういう感想が聞けるのかってね。そしたら、出身国によってはっきり分かれるって言うんだな。」

アメリカ人:「やったね、俺たち戦争に勝ったんだぜ!イェイ!」

韓国人:「知れば知るほど、日本ってやっぱりひどい国だよね。」

中国人:「日本人に会ったら顔を思いっきりぶん殴ってやりたい。」

日本人:「全然知らなかった!勉強になりました!有難うございます!」


2016年5月15日日曜日

Diversity 多様性

中間期実績評価(Midyear Performance Review)の締め切りが迫って来ました。上半期(10月から3月まで)の実績を自己評価し、ゴール設定を見直すという活動。イントラネットサイトに行き質問に答える形でこれを行うのですが、いつも引っかかるのがこの設問。

Diversityをどれだけ尊重しているか?」

ダイバーシティ(多様性)を尊重するというのは、年齢や性別、性的指向、人種、宗教、文化的背景などの違いを認めた上で個々人と公正平等に接しつつ、その「違い」を積極的に活かすことだと私は理解しているのですが、5段階評価で何点をつけるべきかでいつも悩むのです。多様性尊重に関する不満をこれまで誰からもぶつけられたことが無いというだけの根拠から、毎回5点(満点)を自分に与えているのですが、そもそもうちの組織は一応の基準を超えて採用されて来たプロフェッショナルの集団です。「多様性の幅」が決して大きいとは言えない「下駄を履いた」環境で、自分に満点をつけるのもどうかなあ、と

さて、実績評価と言えば、二週間に一度の割合で、14歳の息子が通う高校から彼の成績の実況報告がメールで届きます。会社経営者が株価のアップダウンをチェックするみたいに、ほぼリアルタイムで子供の行状が分かるのです。学期末に通知表を渡されるドキドキはもちろんゼロでやや興醒めではあるのですが、この方法の利点は、問題の改善に向けたアクションが取り易い、ということでしょう。

ある科目の成績が突然悪化したのに気付いて息子に尋ねたところ、

「宿題ちゃんと出したのに先生が記録し忘れてたんだよ。明日直しておくってさ。」

と釈明するので半信半疑でいたところ、二週間後のレポートで本当に訂正されていたこともありました。

彼の学校はチャータースクールといって、公立高校でありながらユニークな教育方法が採用されています。教科書は一切使わないし、学科もたった三科目。

Math/Physics 数学および物理
Multimedia マルチメディア
English/World Culture/Geo 英語、世界の文化、地理

最後のは、社会問題についてグループで調査し、討論したり論文を書いたりという、総合格闘技みたいな科目。息子の得意分野のはずなのに成績がイマイチの時があり、どうしたのか聞くと、「ディベートになると手持ちのネタが少なくて不利だ」というのです。意味がよく分からないので更に尋ねると、

Rough neighborhoodに住んでる奴はキツイ実体験に基づいた発言が出来るから、ディベートに有利なんだよ。」

とのこと。Rough Neighborhood(ラフ・ネイバーフッド)とは、荒れた地域のことですね。ギャングが街を徘徊し、麻薬の売買が横行するような街に住んでいる生徒たちは、社会の不正や差別がテーマになると俄然勢いづき、クラス討論での存在感を圧倒的なものにするのだそうです。例えばお題が「銃規制」だと、実際に銃弾の犠牲になった親戚の子の話などを持ち出すものだから、議論のパンチは強烈。うちの息子は、ただただガードポジションで耐えるしかない。

クラスの隅で、彼が級友のノアに、

“I’ve never heard a gunshot.”
「銃声を聞いたことなんて一度も無いよ。」

と言うと、ノアも「僕も無いよ!」と激しく同意したそうです。その会話を耳にしたマーレーンという女子生徒が、辺りをキョロキョロうかがいながら、

“Me, too!”(私も!)

とひそひそ声で打ち明けたのだと。まるで特権階級と見なされるのを恐れ、少数派の仲間を見つけて安堵するかのように。


ダイバーシティの幅が小さい環境で実績評価に悩んでた私ですが、大きいは大きいで大変なんだなあ、と思ったのでした。

2016年5月8日日曜日

Too many cooks in the kitchen 料理人が多すぎる

カマリヨ支社への出張から戻った翌週の月曜、デンバー支社エネルギー部門のメンバー達とのカンファレンス・コールがありました。彼等はつい最近我が社に買収された部隊なのですが、のっけから予想外に高飛車な物言いが炸裂します。

「今回のプロジェクトは疑いも無く我々の得意分野だ。うちのメンバーでPMチームを編成する。おたくたち環境部門には我々と下請け契約を結んでもらうことになるだろう。うちで開発したプロジェクト・コントロールのツールを使う予定だ。使ったことがない?いや、心配ご無用。他の下請け会社たちも集めてトレーニングをするから。そのうちメールでインビテーションを送る。マイクと、それから何とか言う名前のプロジェクト・コントロールの人(私のことです)宛てでいいよな。」

デンバー支社には正式なプロジェクト・コントロール部門があり、そこのディレクターという肩書の人物を押し出しています。我が環境部門にはそういう組織が存在せず、私が勝手に「プロジェクト・コントロール・マネジャー」と名乗っているだけ。これじゃさすがに分が悪い。

そんなこんなで、我が部隊の誰ひとりとして彼等の独壇場に水を差すこともないまま電話会議が終了しました。先週の会議で「このプロジェクトは何が何でも獲りに行くぞ!」と気炎を上げていたリーダーのポールですら異議を唱えなかったのは妙でした。あの場では私がプロジェクト・コントロールの責任者だと持ち上げてくれてたのに。釈然としないまま別の仕事に取り掛かろうとした時、コンピュータ画面の右隅にインスタント・メッセンジャーのウィンドウが開きました。カマリヨ支社のマイクです。

「面白いことになってきたね。」

いやいや、何を呑気な反応してんだよ。全然面白くなんかないぞ。なんでカリフォルニアのプロジェクトの主導権をコロラドの部隊に奪われなきゃいけないんだよ!

後で大ボスのテリーに報告したところ、

「あっちのトップはクライアント企業の出身者なのよ。しかも退職当時、かなりの大物だったらしいのよね。」

なるほど。地勢的な観点からは我々が主導権を握るのが当然だけど、政治的な力関係では向こうに分がある、ということか。

「更に一段上層部でもこれから話合いが持たれるみたいよ。まだどっちが主導権を握るか最終決定したわけじゃないと思うわ。」

プロジェクトのスコープが複数の専門分野に跨っている今回のような場合、それを狙う我が社のような巨大企業の内部で熾烈なつば迫り合いが演じられることもあるんだなあ。だけど同じ組織内で反目しあっていては、仕事の効率に差し障ります。この後、よほど責任分担を明確にしておかないと、メンバー達が余計な緊張感の中で働かなきゃいけなくなるでしょう。

さて今週木曜は、同僚ディックとの打ち合わせがありました。私は彼のプロジェクト8件の財務管理を担当していて、このミーティングは月一回の健康診断みたいなもの。その中の一本に、広大な土地の周囲に張り巡らすフェンスをデザインする、というやや地味な仕事があったのですが、彼のコンピュータに映し出された提出前のプランを見て、おや、と思いました。コンクリート製の基礎構造物に、幅20センチほどの鋼板をわずかな隙間を開けて互い違いに差し込んだ格好。板同士はお互いに接触していません。まるで植木鉢から伸びる植物のようなフォルム。彼のコンセプトは、「風に揺れるフェンス」。おお、これは新しい!感嘆の声を漏らす私に、

「多分これはボツになるよ。」

と苦笑いするディック。

「クライアントのトップが、何か思い切ったことをしろ、と部下たちに常々言ってるのは知ってるんだ。だけどその部下たちってのが揃いもそろって官僚的で、冒険を嫌うんだな。しかも部門間の意見のすり合わせを全然してくれないから、こういうアイディアを出しても、大抵たらい回しにあった挙句、コストがどうだ、住民の反発がどうだ、とかでやり直しを繰り返させられる。そしてようやく無難で凡庸なデザインにおさまったところでトップに上げると、何でこんな退屈なプランを持って来るんだ?って怒られる。で、やり直せ、と俺に突き返してくる。そういう展開が今から全部見えてるんだよ。」

その時、彼が使ったフレーズがこれ。

“Too many cooks in the kitchen.”

直訳すれば、「厨房に立つ料理人が多すぎる」ですね。日本語で一番近いのが「船頭多くして船山に上る」でしょう。

Too many cooks spoil the broth.
「料理人が多すぎるとスープが台無し」

というイディオムが元らしいですが、キッチンを含めた表現の方をよく耳にします。私の意訳は、これ。

「意思決定者が多いとろくなことにならない。」


巨大プロジェクトが大失敗に終わる要因のひとつが、実はこういうことなのかもしれません。

2016年5月5日木曜日

Unintended Consequences 予期せぬ展開

YouTubeの映像を気の向くままに鑑賞していたら、こんなタイトルの番組にたどり着きました。

“Unintended Consequences”

直訳すれば、「意図していなかった結果(影響)」ですね。私の訳は、「予期せぬ展開」。

自転車に乗る際はヘルメットを被ることを義務付ける公共団体が増えている中、意外な調査結果が発表された、という話。ヘルメットを着用して自転車に乗る人は、非着用者よりも走行車の接近を許す傾向にある、というのです。つまり事故に遭う確率が高い、と。

身を護るためにヘルメットを被っている人からすれば、納得のいかない話です。だったらノーヘルの方がましじゃないか、と。なんでも自動車のドライバーの目にはヘルメット着用者の方が運転技術が高いように映り、気が緩んでしまう傾向があるのだと。おばちゃんがノーヘルでふらふらママチャリを漕いでる道の方が、運転手の気が引き締まる。言われてみれば頷ける結論です。

プロジェクトマネジメントの世界でもこんな現象は山ほどあって、良かれと思ってしたことが思わぬ結果を招いてしまうケースは日常茶飯事。例えば生物環境部門のスコットから聞いた話では、保護対象種のBurrowing Owl(アナホリフクロウ)のために住処を作ってやろうと砂漠にコルゲートパイプを埋め込んでおいたら、代わりに野ネズミが住み着いちゃったのだと。慌てて追い出して、今度はコルゲートパイプの開口部を地面から30センチほど高い場所に持ち上げておいたのですが、野ネズミたちは落ちていた木の枝で器用に梯子を組み立て、易々とよじ登って見事に住居を奪回。自然が相手では、人間様の予期しない展開がいくらでもあるのですね。

さて、私の新居の庭はGopher(ホリネズミ)が縦横にトンネルを張り巡らし、一面芝生だったエリアの地下空間はほぼ占拠されてしまった格好。生物学チームのエリックに撃退法を尋ねたところ、コヨーテの尿をトンネルの入り口に注いでおくといいかも、と教示されました。コヨーテはゴーファーの天敵らしく、その臭いで逃げ出すらしい。ネットで調査したところ、瓶入りの尿が普通に販売されています。しかし購入一歩手前で別の人から、こんな忠告を頂きました。

「そりゃやめといた方がいいぞ。コヨーテの存在を示せば、ここに獲物がいるぞというサインになって、別の肉食動物を惹きつけちゃうかもしれないから。」

自宅の庭で動物たちの大捕り物が演じられるのも嫌なので、とりあえずコヨーテの尿は購入を控えました。かくなる上は、金属製のワナで仕留めるしかない…。

他にも、花壇に植えたキュウリやナスの葉っぱが、夜のうちに何者かに食われまくって穴だらけになっているという問題があります。調査の結果、容疑者に浮かび上がって来たのがハサミムシ。夜になると土中から姿を現し、濡れた葉っぱを食う、と書かれている記事を発見したのです。撃退法をネットで調べ、さっそくひとつ試してみました。

翌日のランチタイム、サンディエゴ支社の環境部門を束ねるテリーに会ったので、この試みについて話し始めたところ、

「ビールでしょ!」

と早押しクイズの回答者みたいに小さく叫びました。

そう、空き缶にビールを注いで夜のうちに花壇の隅に置いておくと、酵母菌の匂いに引き寄せられたハサミムシたちが次々に入水し、溺れ死んでしまうのです。翌朝起き抜けにチェックしてみて、思わずおお~っと声を上げてしまいました。本当に十数匹のハサミムシたちが、ビールで満たされたプールの底で、折り重なるようにして息絶えているのです。これでうちの野菜たちが護られるぞ、とひと安心する一方、何だか気の毒にもなりました。これを聞いていたテリーが、

「うちでも試してみたんだけど、夜中に野ネズミたちが大集合してパーティしたみたいで、朝起きたら庭の植木鉢やら植物やらが倒されて滅茶苦茶になってたわ。明らかに、彼等もビール好きなのね。」

う~む、これまた予期せぬ展開。