2020年8月30日日曜日

夏の終り


サンディエゴ一帯にしぶとく停滞していた重たい熱気団はいつの間にか姿を消し、朝夕に窓から忍び込んで来る風の冷たさにハッとするようになりました。裏庭で日々陣地を拡大し続けていたかぼちゃの蔓はその成長をパタリと止め、少し前まで十個以上鮮やかに咲き狂っていた黄色いこぶし大の花も、その痕跡さえ遠目に確認出来ないほど茶色くしぼんでしまいました。

かれこれ五ヶ月間ほぼ自宅を離れず生活して来たため、日々変化する外界の様子に関心を向けていなかった私。これまで数え切れないほど経験して来たことだけど、またひとつの夏が終わってしまったのだという気づきに不意打ちを食らい、じんわりと動揺しています。しかも今回は、いつか思い出して微笑んだり涙腺が緩んだりするようなイベントが何ひとつ無かったということに、あらためてコロナの影響の大きさを考えさせられるのでした。

私にとって夏というのは、たとえ他の三つの季節が束になってかかろうとびくともしないほど重要な位置を占めていて、印象的な人生の記憶は概ねこの時期に集中しています。子供時代のキャンプに始まり、学生時代のエネルギーに満ちた活動の数々、そして職を辞して南カリフォルニアに渡ったのも、ちょうど夏真っ盛りでした。

海の家で食べる蛍光色のかき氷、海水浴場の喧騒、閉じた瞼を通してもなお眩い青空、日焼けした頬、祭りの屋台のアセチレンライト、キャンプファイヤーの周囲を舞い儚く消える火の粉、激しい夕立、濡れた髪、浴衣、花火を見上げる瞳に映る鮮やかな色彩。こうした様々なシーンが緻密に織り込まれたきらびやかな絹織物のように、夏は私の心を踊らせる大切な人生の背景画になっているのです。

学生時代、9月の新学期が始まって間もなく、当時住んでいた港南台から根岸線で桜木町へ向かっていた朝のことです。吊革につかまって車窓の外をぼんやり眺めていた時、確か磯子を過ぎ、電車が高架部分に入った辺りだったでしょうか。急に視界が開け、大きなプール・センターが現れました。高校時代に何度か友達と連れ立って遊びに行ったことのある場所で、広大な敷地を周回する「流れるプール」が売りでした。

車窓を横切るほんの一瞬でしたが、全てのプールはすっかり水を落としてあり、清掃人があちこちでデッキブラシを動かしているのが見えました。そのうち一人はブラシの柄を胸の前に立て、重ねた両手に顎を載せて支えながら、ぼんやり遠くを眺めています。

景色が変わって数秒後には、どうにも落ち着かない気分に包まれていました。否定しようもないほど明確な夏の終りのイメージをたった今、目の前に突きつけられた。水しぶきの中ではしゃぐ何千という若者や子どもたちの笑い声や叫び声。想像の中でその轟音が鼓膜を打ち、瞬時にかき消えます。耳の奥でいつまでも消えない残響。生命が最も躍動する大好きな季節が今はっきりと過ぎ去ってしまったのだということを全身で感じ、どっと涙が湧いて来たのでした。もちろん、すんでのところで堪えましたが。

数週間前、夫婦でネットフリックスのオリジナル・ドキュメンタリー “David Foster – Off the Record”を鑑賞しました。デイビッド・フォスターと言えば、映画「セント・エレモス・ファイヤー」のテーマ・ミュージックやChicagoの「素直になれなくて」をプロデュースした超売れっ子の音楽家。彼は何度も離婚を繰り返し、ヒット作を連発し、時に各賞を総なめにし、ド派手な私生活を送って来た自由人です。鼻持ちならない自惚れ屋ではあるものの、常に最高の仕事をすることで批評家の口をつぐませている。映画の中盤で彼が、「俺はよくこう自分に問いかけるんだ」と語っていました。

“How many summers do you have left?”
「あといくつ夏が残ってるんだ?」

これは私だけでなく、妻にも刺さった一言でした。そうだ、ひとつの夏も無駄には出来ない。僕らには無限に夏が残されているわけじゃないんだ…。大いに元気づけられた我々二人でした。

そんな思いがどう働いたのか謎ですが、先週後半になって急に思い立ち、早朝ウォーキングを始めた私。マスクをつけて五時半にスタートし、暗闇の中、ガランとした巨大ショッピングモールの外周を早足で三十分以上歩きます。六時半頃まで夜が明けないので、家に戻るまでずっと暗いまま。車の通りはまばらで、歩いているのは私ひとり。いつ建物の陰から不審者が現れてもおかしくない状況。考えてみれば、会社に通っていた頃は毎日この手のスリルにさらされてたんだよな。それが無くなったことで、精神が弛み切っている…。そうか!と心の中で膝を打ちます。

僕が夏を好きなのは、ドキドキするチャンスが沢山あるからなんだ。あちこち出歩くこと、人と会うこと、夜更しすること、陽焼けすること、水に入ること。みんなリスクと隣合わせです。しかしその見返りに、新しい何かを体験出来るかもしれない。その期待感がたまらないのですね。

よし、怪しい輩が物陰から飛び出して来たら、ポケットに忍ばせた家の鍵を拳から少しだけ出し、武器として使おう。怯んだ相手の手首を素早く取り、合気道技で関節を決めて…と護身シミュレーションを重ねながら歩くことにしたら、ウォーキングが格段に楽しくなって来たのでした。

さて、昨日の晩は妻が、急にNHK紅白歌合戦を観始めました。DVRに録画しておいたものの、八ヶ月間も放っておいて、何故今頃?と思ったのですが、九時半を過ぎていたので、私は先に消灯(最近はすっかりジジイのスケジュール)することに。寝室のドアの隙間からテレビの音量が微かに届いていたのですが、気にせず眠ることにしました。ところが十数分後、大きな悲鳴で目が覚めます。確かに今、彼女の声が聞こえたよな…。耳を澄ますと、男性歌手が元気よく演歌を歌っている声がしている。う~ん、気のせいだったかな?そう思い直して目を閉じたのですが、その僅か数秒後に再び、「キャッ!」と叫ぶ声。そして相変わらず演歌。

おかしい。演歌を聴きながら二度も悲鳴を上げる理由なんて、どう考えても思いつかない。もしかして、強盗がこっそり侵入して来たのではないか?息子は部屋に籠もってイヤホンで何か聴いていて、気づいてないのかもしれない。これは私が助けに行かないと、彼女の身が危ないぞ…。

そうっとリビングに近づいて行って顔を出すと、妻がカウチにのけぞって左手で口を抑え、右手でリモコンを握りしめています。

「どうしたの?大丈夫?」

と問いかけると、

「ごめんなさい。聞こえた?」

と妻。テレビ画面を振り返ると、三山ひろしがマイクを握って一時停止しています。その背後には、番号の書かれたホワイトTシャツを来た若者たちが大勢立っている。これで合点が行きました。

「あ、けん玉でしょ。」
「知ってたの?」

三山ひろしが「男の流儀」を歌唱する間に、彼を合わせた124人がけん玉連続成功ギネス記録にチャレンジする、という企画。

「もうどんどんどんどん緊張して来てちゃって、見てられなくて…。」

それで思わず悲鳴を上げてしまった、という妻。

夏の終りの「ドキドキ」は、こんな意外な形で我々夫婦の元に訪れたのでした。

2020年8月16日日曜日

I’ve been around, you know. なめんなよ


お気に入り映画ベスト10を決めるとしたら五位以内には必ずランクインすると思う作品に、Scent of A Woman(邦題:セント・オブ・ウーマン/夢の香り)があります。一年に三回以上は観直していますが、毎回必ずクライマックスで涙腺ダムが決壊し、1,000キロカロリー以上は消費したんじゃないかと思うほど大量の涙を放流させられます。アル・パチーノ演ずる盲目の退役軍人フランクは人生に絶望していて、感謝祭の休みにニューヨークで贅の限りを尽くした末に自決しようと計画している。その付添人として雇ったバイトの高校生チャーリー(クリス・オドネル)は、田舎の貧しい家庭からやって来た実直な青年。高級売春婦を買い、超一流ホテルのレストランで食事をし、と想像を絶する放蕩ぶりに呆れながらもフランクに付き合っているうち、彼の企みを知ることになります。あろうことかこの青年は、自らの命も顧みずに老人を死の淵から救うのです。この後の展開は本当に毎度毎度唸らされるのだけど、今度は老フランクが若きチャーリーを大ピンチから助け出すのですね。それも、たった一本のスピーチで

先日ふとこのシーンを再生してみたのですが、やはり非の打ち所の無い大団円でした。全校生徒の前でチャーリーが校長のトラスク氏から退学を言い渡される場面で、フランクが「真のリーダーシップとは何か」という演説をぶつのです。後ろ暗いところのある校長はフランクを黙らせようとするのですが、ここで彼が声を荒げます。

“Who the hell do you think you’re talking to?”
「一体誰に口をきいてると思ってるんだ?」

そして微かに顎を上げ、背筋を伸ばしてこう続けるのです。

“I’ve been around, you know.”

字義通りに訳せば、

「あちこちで色んな経験を積んで来たんだぞ。」

となりますが、意訳すればこんなところでしょう。

「なめんなよ。」

厳しい軍人生活、そして視力を失い、「自分のような人間が生き続けて良い理由」を問い続ける後半生。苦しみながら人生と向き合ってきたフランクが、無闇に権威を振りかざす校長の戯言に耐えかねて発したセリフでした。こういうの、リアルな場面で使えたらさぞかし溜飲を下げるだろうなあ、と思う私。

さて、話変わって先月末の木曜の午後のこと。仕事中、一通のメールが届きます。スクロールしてみると、受取人の数はざっと百を超えています。上司のカレンや、その上司リックの名前も含まれている。タイトルはVoluntary Separation Planで、翌週月曜のお昼に催される電話会議に参加して下さい、とのこと。差出人は我が環境部門のトップ・エグゼクティブ。ん?何のことだ?Voluntary(自らの意思による)Separation(お別れ)のプラン?十秒ほど考えて、ようやく事態が飲み込めました。これは、「自主退社希望者募集」の御触れだったのです。とうとう来るべき物が来たか…。コロナの影響で4月から全社員給料一割削減を展開していたのを、今月になって元に戻したばかり。しかしその一方で、近いうちに抜本的な経営改善の一手が打たれるだろうという噂は流れていました。だからそれほど驚くに値しないニュースとは言えるでしょう。今から数週間内に希望を出せば通常より幾分か手厚い解雇手当が受けられますよ、という甘い文句で誘惑し、この機会を逃せば後日あらためてレイオフを言い渡された時に後悔するぞ、と脅すのがプランの主旨。

後で思い返してみると、この時の私は妙に落ち着いていました。アメリカで働き始めて約18年。とうとう自分も自主退社希望候補者リストに名を連ねるようなステージに辿り着いたのだという感慨を、薄っすら笑いながら味わっていたのです。そして、「切るなら切れや。すがり付くつもりは毛頭無いが、甘い誘いに乗る気も無いぜ。」と胸を張っていました。だって、どう考えたって今の私を辞めさせるのは得策じゃないのです。進行中の巨大プロジェクト数件の中枢にいるし、十数人の部下を育てている最中だし、しかもutilization(稼働率)だってかなり高い。辞めた方が良い理由はひとつも見当たらないのです。

「それは勝手に自分で思ってるだけでしょ。」

と、この説明を聞いた妻が心配げに眉をひそめました。

「そうだよ。もちろん上層部の誰かがお構いなしに切ってくる可能性はある。でもそんなこと心配し始めたらきりがないでしょ。」

と私。理不尽な解雇劇の犠牲にならないために、打つべき手はすべて打ってある。それでも理屈抜きで解雇して来るなら、「お前らホントにアホだなあ」と笑いながら辞めてやるよ、という覚悟はあるのです。

週が開けて月曜のランチタイム。いよいよ問題の電話会議に参加します。始まって数分して、どうやら自分が呼ばれたのは自主退社希望候補者としてではなく、「リストに載っている社員の上司として」であることが分かりました。今年2月に私のチームに加わった勤続30年のベテラン社員アリーシャが候補に挙がっていたのです。え?なんで?合点がいかない私は、早速翌日の早朝に彼女との電話会議をセットしました。

予想通り、がっつり落ち込んだトーンのアリーシャ。

「人事が言ってたように、これはあくまでも希望者を募集してるってだけの話だよ。君が確実にターゲットにされてるわけじゃない。いくつかの経営指標で篩にかけてみたら名前が残ったってだけのことだと思う。そのフィルターにしたってどれだけ意味があるか謎なんだ。今辞めることは無いよ。仕事は山ほどあるんだから。」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、今回はさすがに堪えたわ。あなたのチームに入る以前にも色々あったでしょ。辛い経験の数々を思い出して、もう潮時かな、と思ってるの。これは何かのお告げかもってね。」

昨夜、ご主人ともじっくり話し合ってみたとのこと。

「それに今ここで延命してもらったところで、数ヶ月後にあっさりレイオフされる可能性は否めないでしょ。」

これには私も、正直にならざるを得ませんでした。

「うん、それについちゃ何の保証も出来ない。でもさ、僕だってカレンだってリックだって全員そうなんだぜ。いつでも誰にでも首切りは起こり得るんだ。」

「そうね。でもやっぱりちょっと考えさせて。」

アリーシャは去年、プロジェクトコントロールから離れレコードマネジメント部門に配属されました。実はこの異動、コンサルティング・ファームで働く者にとっては危険な賭けだったのです。プロジェクトに参加しないため「稼働率ゼロ」の状況が続き、細かい事情を知らない上層部の人間は過去の統計数字だけ見て、彼女を「お荷物」と評価してしまう可能性が高くなります。今回まさに、そういう誤解が起こってしまったのですね。

さらに、年末プロジェクトコントロールに戻ったアリーシャは、散々もがいた末に大きなプロジェクト・チームにおさまります。ところがその僅か四ヶ月後、プロジェクトの経営状態が振るわないため、彼女の仕事を賃金の安いルーマニアのチームに任せることを上層部が決定。自分の仕事を奪うことになる地球の裏側の社員を、早朝や夜間を使って指導することになったアリーシャ。さぞかし悔しかったことでしょう。そんな不運な出来事が立て続けに起こったため、すっかり士気を失ってしまっていたのです。

そしてこの電話の二日後、彼女から正式に退社希望を知らされた私。こういうことは本人の意思を尊重するのが一番なんだと自分に言い聞かせつつ、何ともやりきれない気分でした。

金曜の朝、約十ヶ月ぶりに副社長のパットと近況報告のための電話会議をしました。当然、私からはアリーシャの一件を話すことになります。

「何ですって?」

といきり立つパット。

「そういうの、一番頭に来るのよね!」

慰留できなかった私を責めるわけではなく、官僚的で血の通わないメッセージを無差別に送ることで社員の士気を削ぐ愚かさに対して憤慨する彼女。

「社員を人間扱いしていない証拠でしょ。数字だけ見て、お前は役立たずだと決めつけてるわけだから。」

会社の図体が大きくなるに従い、上層部は効率的な意思決定のため細かい配慮を省くようになる。自分が番号札を首から掛けられた家畜のような存在であることに気づかされた社員は、組織への帰属意識を捨て去ることになる…。

「そもそも会社のトップは、プロジェクトマネジメント経験も無い財務畑の人間ばかりだからね。現場の苦労など分かるはずもない。」

と私。

「そうなの。勘定の得意な者ばかりが幅を利かせてるのは問題よ。どんなに優秀か知らないけど、アカウンティング・ファームから転職して来たばかりの若造が、物知り顔でプロジェクトマネジメントについて得々と語ったりするのよ。この私に、よ。」

プロジェクトコントロール畑を四十年近く歩んで来たパットにとっては、許されざる無礼。この時、やや間を置いて彼女が放ったのが、このフレーズでした。

“I’ve been around, you know.”
「なめんじゃないわよ。」

こちとら伊達や酔狂で長年この仕事やってんじゃねえんだ。見くびんなよ。いつかこういうドスの利いたセリフを、思い上がった秀才野郎に向かって叩きつけてやりたいものだと思う私でした。


2020年8月2日日曜日

Go haywire メチャクチャになる


火曜の午後のこと。同僚ディックがマイクロソフト・ティームズでテキストを送って来ました。自分がPMを務める新プロジェクトのキックオフ・ミーティングが来週あるんだが、クライアントが藪から棒にCost loaded schedule(コスト・ローデッド・スケジュール)を提出しろと言って来た。突然の依頼に一同大慌て。そもそも事前に提出したスケジュールだってチームの誰かの急ごしらえであり、大幅な手直しが必要だ。スケジューリングソフトをまともに使えるメンバーがいなので、まずはそのステップに不安がある。オリジナルのファイルが紛失してしまいPDFバージョンしか残っていないので、一からやり直さないといけない。たとえ無事複製出来たとしても、スケジュールに「コストを載せる」手順を知る者がいない。仕方なく自ら取り組もうとしたところ、ソフト(MSプロジェクト)自体がコンピューターから消えていた(我が社のITグループはコスト削減のため、ユーザーが一定期間以上使用していないソフトを警告抜きで消去していくのです)。八方塞がりのままクライアントとのミーティングが急速に近づいて来る…。助けを頼めないか?

「持ってる情報を送ってよ。詳しくは電話で聞くから。」

木曜の午後に電話会議をセット。さっそくミーティング前に、彼から送られた資料を元にコスト・ローデッド・スケジュールを作成しておきました。

「これこれ!素晴らしい、有難う。もう完成品が出来てるじゃないか。これで来週のミーティングは安心だ!」

コンピュータ画面に映し出されたコストプラン表に、歓喜の声を上げるディック。電話会議の後で私の作業がスタートするものと予想していたであろう彼には、思いがけないイリュージョンだったのでしょう。しかし種明かしをすれば、この手の仕事は私にとって珍しくもなんともなく、一時間もかけずに仕上げられる程度の初歩的なお題なのです。「一応これで飯食ってますんでね」と肩をすくめるレベル。ある個人にとっては極めて難解な問題でも、その道の専門家に頼めばあっという間に解決する。これは至極当然なお話なのですが、問題の渦中にいる者にとってはマジシャンに魔法を見せられるようなものなのだ、ということをあらためて感じたのでした。

ところで電話の冒頭で、彼がこんなフレーズを使ったことに気づいていました。

“Things went haywire.”
「物事がヘイワイヤーになっちゃった。」

この表現、実はたまたま前日に他の同僚の口から飛び出して、意味を調べておいたところでした。Haywireというのは丸めた干し草を縛っておく金属のワイヤーで、かつてはそこかしこに捨ててあるようなものだったそうです。工作物の補修などに再利用されがちだったにもかかわらず、簡単に絡み合ってほどけなくなってしまうため、”Go haywire”が「事態がこんがらがって収拾がつかなくなる」という意味になった、とのこと。

ディックが言いたかったのは、こういうことですね。

“Things went haywire.”
「メチャクチャになっちゃってね。」

サウスダコタの農村地帯から来た彼にとっては、干し草もそれを止める金具も珍しくないかもしれません。しかし都会育ちの私には、いまひとつイメージが湧かない言い回し。そもそも目にしたことが無いので何とも言えないけど、ワイヤーが絡みついたからってそんなに困るか?と首をかしげてしまうのですね。

さて話は変わり、我が家の裏庭にある約6メートル四方の農園に、一週間ほど前から異変が起き始めました。木片(マルチ)を被せた周囲のエリアも含め、体長五ミリにも満たない虫の大群が地表面を覆い始めたのです。近づいてみるとこの虫、蟻とは見た目の特徴が異なるものの、そのサイズや振る舞いは酷似しています。群れを成し、おまけに羽が生えている。一匹一匹はまるでランダムなブラウン運動を繰り返しているようにも見えますが、少し引いて見るとまるで魚群のように大きなうねりを形成している。その一帯に足を踏み入れると、まるでこちらの動きを見越していたかのように群れが同心円状に退却し、逃げ遅れた何匹かは私の靴に這い登ります。捕まえようと手を伸ばすと羽を使って飛び去り、その俊敏さには何か高い知能のようなものを感じて背筋がゾクリとします。

反射的に、数年前に入手した「アリの巣コロリ」を出して来て、特に交通量の多そうなスポットに設置してみました。一昼夜経過観察をしたのですが、罠にかかる気配が全く無い。敵が蟻では無いことがこれでほぼ決定したのですが、さてどうしたものか。よくよく考えれば、土の上で植物を育てているんだから虫が出るなんてことは自然な現象じゃないか、まあ騒ぎ立てることもあるまい、と暫く様子を見ることにしたのですが、彼らの集団規模はみるみる拡大して行き、農園を囲う低いフェンスを乗り越えてじわじわと住居に迫って来ました。遂にベッドルームのガラス窓を何十匹も這い回り始めたのです。あろうことか、隙間から一匹、また一匹と侵入を始めたではありませんか。虫嫌いの妻にとって、これ以上の恐怖体験は無く、何とかして!と悲鳴をあげます。

これはさすがに放置出来ないな、と液状石鹸を水で薄め、ビシャビシャと上から浴びせかけます。住居内への侵入を図っていた先鋒部隊を、とりあえず壊滅に追いやりました。夥しい数の死骸が銀色のアルミサッシの上で、盆にばら撒かれた黒胡麻のように拡がります。やれやれ、と一息ついたものの、振り返れば後続部隊がじわじわと陣形を整えています。かくなる上は、と数ヶ月前に害虫駆除をお願いしたペストコントロール会社のオスカーにお出まし頂いたところ、

「これは我々の専門分野じゃないですね。残念ながら何も出来ません。」

と申し訳無さそうに言うじゃありませんか。

彼らのライセンスは構造物に湧く害虫が対象で、庭に現れる「ランドスケープ・ペスト」と呼ばれる虫については手が出せないとのこと。なんと、害虫駆除業界にそんな線引が存在したとは…。さっそくネットでランドスケープ・ペストの駆除ライセンスを持つ近所の会社に問い合わせたところ、若い男性を派遣してくれました。

「いやあこんな虫、今まで一度もお目にかかったことが無いですねえ。」

首をひねる担当者。会社が駆除対象としている害虫リストに含まれていない以上、何も手出しが出来ないと言うのです。おいおい、ほんとかよ。害虫駆除業者がお手上げなんて…。

害虫でないというなら普通の虫だよな、それでは、と写真を撮り、同僚の昆虫博士エリックにテキストします。すると数時間後、サンディエゴ支社の生物学チームが誇る重鎮フレッドから電話が入りました。

「エリックから写真見せてもらったよ。彼も僕も、初めて見る種なんだ。残念ながら僕らには特定出来ないけど、是非これが何という虫か知りたい。今から言うアドレスに連絡して問い合わせてみてくれないか?」

なんと、我が社を代表する専門家二人でも断定出来ないような珍種の虫が、うちの裏庭で暴れまわっているようなのです。彼らが興味津々なのも頷けます。う~ん、でもね、僕はそれが何であるかを突き止めたいわけじゃなく、いなくなってくれりゃそれでいいんだよね。段々話がこじれて来ちゃったなあ…。

フレッドに教えてもらったアドレスは、サンディエゴ郡に住むガーデニング・マスター達が組織する非営利団体。あくまでもボランティア集団ですが、生物学の大家達が結集したグループみたいなのです。ここに質問を投げ込んで何が返ってくるか見てみよう、というのが彼のアイディア。

写真と状況説明をメールで送り、待つこと数時間。返って来たのは、こんな返事でした。

「これは恐らくLarder Beetlesに近い種ですね。添付リンクを見て下さい。」

ハイパーリンクをクリックすると、ミネソタ大学のサイトに飛びました。ところが、そこに掲載された写真はどう見てもコガネムシとかカメムシの一種。いやいや、これは絶対違うぞ。アリくらいのサイズだってちゃんと書いたのに…。なんだよ、期待して損したじゃないか。これでとうとう迷宮入りか…。

ここまでの顛末を18歳の息子に話したところ、彼が去年インターンシップを経験したサンディエゴ自然歴史博物館の昆虫部門のトップを務めるジムに聞いてみようか、と申し出ます。うん、それはいいね、是非頼むよ、と答えてから妻にここまでの経緯を伝えたところ、その予想外の展開に感心するかと思いきや、

「どーゆー人脈?」

と我々男子二人の持つネットワークの奥行きに驚嘆していたのでした。

「え?そこ?」

とウケながらも、確かに僕らの知り合いには凄い人たちがいっぱいいるんだなあ、と静かに感動していました。結果的に解決には至らなかったけど、いざとなれば頼れる専門家が自分の周りには沢山いるのだというのは、なかなか嬉しい気づきです。

実を言うとこんなドタバタの最中、この新種の虫の勢いが段々と衰えているのに気づいていました。二人目の害虫駆除業者が来た時も、大騒ぎしていた割には数が少なくて拍子抜けしていたみたい。あれ?何もしていないのにどうしたのかな?と訝っていたところ、息子がこう言ったのでした。

「ちょっと前だけど、でっかいトンボが四匹飛び回っているのを見たよ。」

両手の人差し指を立ててその大きさを示した彼ですが、それが本当だとすれば体長10センチを超えるサイズです。

「あの四匹が虫を退治してくれたんじゃないかな。」

トンボの他にもアブのような昆虫がブンブン飛び回っていたとのこと。そうか、きっとエコシステムがきちんと機能して、過剰に発生した種の繁殖に気づいた天敵種が現れて食べまくったのでしょう。う~ん素晴らしい。専門家達が大勢で首をひねっている間に、自然の方で勝手にバランスを取り戻してくれていた。

気づいた時には、すっかり元の静けさを取り戻していた我が家の裏庭。

我々の生きるこの世界は、カオスと秩序が入れ替わり立ち代わり現れ、その都度落ち着くところに落ち着いているんだなあ、という深い感動を噛み締めた週末でした。