2020年12月20日日曜日

Throw your hat in the ring リングに帽子を投げ入れる


先週日曜、久しぶりに夫婦でオレンジ郡まで遠出しました。日本人が経営するお気に入りパン屋二軒のはしご。途中給油のために高速を降りた時、コロラドの大学寮にいる19歳の息子から電話が入ります。大体予測はついていたのですが、またしても「どうしようもなく他愛のない」用件でした。

「あのさ、キョウジって何?」

「は?」

彼が最近ハマっている漫画のひとつに「呪術廻戦」という作品があるのですが、呪いだとか霊だとかの異世界が舞台なせいか、レアで古風な漢字や四字熟語がセリフの中で乱発されるのです。難解なワードが出てくる度に、自分で調べもせず電話して来る息子。

「ホコっていう偏にイマっていう字なんだけど。」

「ああ、その矜持ね。」

「何それ?わたし知らない。」

と横からスピーカーフォンに答える妻。

「現代人が使わなくなってる単語だよ。武士の世界で好まれた表現だと思うな。自分自身の能力に対する強い信念のことだと記憶してるけど。」

「へえ、いいねえ。僕、この言葉これから使って行こうっと!ありがと!」

スッキリした声で軽快に会話を締めくくる息子。

矜持か…。確かにクールなワードだなあ。きっと漫画のクライマックスで主人公の吹き出しの中、特大フォントで使われていたのでしょう。「ここ、恐らくグッと来るはずのシーンなんだよな。ああ、でも意味が分かんない!」とフラストレーションをためての電話だったんだな、と可笑しくなりました。

「こういうのって、英語の会話でもしょっちゅうあるよね。」

給油を終えて高速道路のランプに向かいながら、妻と頷きあう私でした。

キメのセリフの終盤に初耳の単語やフレーズをぶち込んできて、こちらの反応を待つアメリカ人。え?今言われたこと、全然理解出来ないんだけど。一体何を伝えたかったんだろう?いかん、考えているうちに沈黙の時間が長引いているぞ。このまま黙っていると、まるでどう答えようか悩んでいるんだと勘違いされちゃうじゃんか。いやいや、こっちはそもそも聞かれたことの意味が分かってないんだよ。やばい、そうこうしているうちに、質問の意味を聞き直すタイミングも逃しちまった。相手は辛抱強くリアクションを待ってるぞ。まずいぞ、どうしよう?ってな感じです。

つい数週間前も、こんな経験がありました。

9月に大規模な組織改編があり、上司だったカレンを含む中間管理層の多くが解雇された他、首を傾げたくなるような無差別殺戮が繰り広げられました。私が所属していた環境部門の西海岸地区は北米大陸全域に吸収され、トップの座は東海岸のリーダー達が占めることに。まるで戦国時代のように、仁義なきパワーゲームの展開です。

カレンの下、一度は正式に組織化されたプロジェクトコントロール・グループは二分され、私のチームはセシリアの指揮する南カリフォルニア部に吸収されました。新組織のトップ達はプロジェクトコントロールという専門性の価値を理解しているとは思えず、組織図にはその名称すら挙がる気配がありません。そんな中、東海岸の新リーダーからこんな発表がありました。

Project Delivery Lead(プロジェクト・デリバリー・リード)というポジションを作ります。このPDLは地域ごとに選出され、数百のプロジェクトのApprover(承認者)となって組織のリスクマネジメントを担います。プロジェクトマネジメントに精通していて、財務部門にも明るい人が最適です。希望者は応募して下さい。」

最初のリアクションは、「はあ?」でした。そんな役職が必要なら、そもそもなんであれほど優秀な管理職達をごっそり解雇したんだよ?ふざけんな!と。ところが日を追うごとに周囲の人々が、この件に対する私のリアクションに関心を示し始めたのです。シンスケが適任だろう、なんで彼は手を挙げないんだ?と。上司のセシリアには包み隠さず打ち明けました。

「こんな役職についたら、うちのチームメンバー達はがっかりすると思うよ。これまで体制の圧力に与することなくプロジェクトマネジャー達のサポートに徹して来たのに、リーダーの僕が体制側に回るとなれば、裏切りと取られるでしょ。それにこのポジションは間違いなく解雇対象予備軍だから、数年後の組織改編であっけなく首切られるのがオチだね。」

「わかるけど、あなた以外にこの仕事が務まる人はいないでしょ。よく考えて欲しいの。」

そして一ヶ月、二ヶ月と経過していくうち、どうやら南カリフォルニア地域ではまだPDLのポジションが埋まっていないことが分かって来ました。ところが何故か、PDLが対象と思われる電話会議に招待され始めたのです。くそ、外堀から埋めて行こうという作戦だな…。その手に乗るか!

そんな中、セシリアから電話がありました。大ボスのテリーが心配している、というのです。もしもシンスケがこのまま沈黙を続ければ、全くの「よそ者」社員がうちのエリアのPDLに収まり兼ねない。そうなれば、厳しい運営を迫られる可能性が高い、と。プロジェクトコントロール・チームの生殺与奪権すら、その「よそ者」に委ねることになる。それでいいのか?ここは腹を括って踏み出す時じゃないのか?と。

あとでテリーからも直接電話がありました。チームを守りたい気持ちがあるのなら、承認する側に立つ必要がある。反体制を気取って戦っていれば気分は良いかも知れないけど、所詮、野党は野党。与党でいなければコントロール権は無い。チームを守ろうともがいても、その力があなたには与えられていないのだから…。

セシリアの決め台詞は、そんな文脈で飛び出したのでした。

“So, are you throwing your hat in the ring?”

「で、帽子をリングに投げ入れるつもり?」

ぐっと詰まる私。判断に迷ってではなく、質問の意味が分からず途方に暮れて。リング?輪っかのことか?指輪か?それともボクシングのリングか?帽子を投げ入れる?これってタオルを投げ入れるのと同じかな?だとすると、負けを認めるって話だよな。つまり、これだけヤイヤイ言われても戦う気にならないのか、と詰られているのかも…。いかん、このまま電話の相手を待たせれば、こちらの意図が疑われる!意を決して尋ねる私。

「ごめんセシリア。今のフレーズ、初耳なんだ。どういう意味なの?」

アハハ、と笑い出したセシリアでしたが、

「あ、そうなの?ごめんなさいね。」

と解説を始めてくれました。後で詳しく調べた結果と合わせると、こういういうことになります。

かつてボクシングの試合の後、観客の中から次の挑戦者が名乗りを上げる場合、被っていた帽子をリングに投げ入れる習慣があった。これが転じて、「立候補する」とか「出馬する」という意味で使われるようになった。

“So, are you throwing your hat in the ring?”

「で、立候補する気になった?」

ちょっと考えさせて欲しい、と時間をもらった後、妻にも意見を聞いてみました。

「もしも日本でお勤めしてたら、そういう役職についていてもおかしくない年齢でしょ。やってみたら?」

先週半ば、正式に新役職の発表があり、私は南カリフォルニアの280件を超えるプロジェクトのリスクマネジメントを任されることになったのでした。意外にもチームメンバー達はこの件について皆ポジティブに捉えてくれたようで、

「プロジェクトマネジャー達だって皆シンスケのこと信頼してるから、きっとすごくうまく行くわ!」

と応援してくれるのでした。

新しい仕事に移る際には必ず経験することですが、現職の引き継ぎをしながら新たな職務をスタートするため、数週間は激務に苦しむことになります。今週もそうでした。猛スピードで襲いかかってくる敵をバッタバッタと切り倒している(気分の)うちに目眩までして来ました。

火曜日の夕方、プロジェクトコントロール仲間で別部門の北米西部地区を担当していたモリーと数カ月ぶりに近況連絡会をしました。なんと、彼女の周りでは環境部門のそれを遥かに超える大鉈が振るわれたのだそうです。部門長に就任したばかりの人物が解雇宣告を受け、プロジェクトコントロール部門は木っ端微塵に解体されてメンバーたちはそれぞれ移籍先を探す羽目になったのだと。モリーも古巣のプログラムマネジメント部門に舞い戻ることを決めたのですが、今も最終的な落ち着き先は決まっていないとのこと。

暫く後になってみないと私の決断が正しかったのかどうかは分からないでしょうが、とりあえずチームともども生き延びたことを、モリーは喜んでくれました。

さて木曜日には、冬休みに入った息子がサンディエゴに戻って来ました。帰宅していきなり、

「進撃の巨人アニメのシーズン2を一緒に観ようよ!」

と誘ってきます。いやいや、こっちは激務でクタクタだよ。無理無理。え~?せっかく一人息子が帰ってきたっていうのに?と責める19歳。

「進撃の巨人ってさ、無表情な巨人たちに人間がムシャムシャ食べられちゃうでしょ。うちの会社でも、周りで優秀な人達がリアルに大勢消えて行ってるんだよ。これ以上残酷な話を聞かされたくないんだよね。」

と力無くベッドに横たわる父親に、「いいから一緒に観ようよ、面白いよ。」となおもすがる、180センチ超えの筋肉男。

「こっちは君の学費を稼ぐために、日々労働に明け暮れてんだ。少しはいたわってくれてもいいんじゃないか?」

Stop the guilt trip(罪悪感を植え付けようとするのはやめてよ)!」

そう言い返した後、なんとこの巨人、私の右脚の膝小僧の下あたりにガブリと噛み付いたのです。

「イテテテ!何してんだよ、おい!」

と半ば本気で怒る私。すると彼は笑いながら上体を起こし、こう言い放ったのです。

「スネ、かじってんの!」

おお、なかなかの日本語力じゃんか。ちょっと感心したぞ。