2018年12月19日水曜日

It’ll all work out. 結局なんとかなるものよ。


金曜の晩は7時から、Dave & Buster’s というレストラン付き巨大ゲームセンターで会社のクリスマス・パーティーがありました。百名前後で貸し切りにした大部屋で、まずはディナー。食後はデザートの前に一旦部屋を出て腹ごなしにゲームをどうぞ、という段取り。我々夫婦はオートバイレースや標的などの古典ゲームで早々にエネルギーを使い果たし、エアホッケーの順番待ちにも耐えきれなくなって大部屋に戻ります。中央付近のテーブルに着くと、同僚シェインとその奥さんが合流。その後間もなく、ゲームに飽きたのか元大ボスのテリーとご主人トレイスがやって来ます。

「息子さんの大学受験はどんな様子?」

にこやかに尋ねるテリー。感謝祭のホームパーティーでその話題は出ていたので、ごく自然な流れでしょう。しかしこれに思わずため息をつき、首を振りながら妻と顔を見合わせる私でした。

実は遡ること数時間前の夕方五時が、第一志望校の合否発表予定時刻だったのです。私と早目に帰宅し、ダイニングテーブルでコンピュータを立ち上げる17歳の息子。大学のポータルサイトにアクセスし、自分のアカウントを開いた途端、あれ?と不審な表情を浮かべます。そのままいつまでも固まっているので、おい、どうなったんだ?とせっつくと、

「必要書類の提出が済んでいません、だって。」

とようやく答える息子。はぁ?どういうことだ?と画面を覗くと、リストアップされた十件以上の提出書類の横に緑の丸印が並ぶ中、一件だけ赤いバツ印。どうやら息子の通う高校の学生課が直接大学に提出してくれるはずだった書類が、締め切りに間に合わなかったらしいのです。

「ポータルサイトを今の今までチェックしてなかったのか?」

「うん。」

「こういう事態に対処出来るよう小まめにチェックしとけって何度も言ったよな。」

「ごめんなさい。」

まただよ。一体どれだけ失敗すれば学ぶんだこの男は?のんびりした性格も、ここまで来ると致命的欠陥だぞ。第一志望校だというのに、こんなバカげた失態で不合格とは情けないにもほどがあるだろ…。ところがよくよく見ると、「この書類を火曜までに提出しないと受験申込は無効になります」との文章。は?じゃあ不合格じゃないの?

息子が申請したのはEarly Decision(合格したら必ず行くという約束付きの受験)枠でしたが、大学側は二巡目の合否判定枠に彼を回してくれる、というのです。なんじゃそりゃ?日本だったら間違いなくゲームオーバーだぞ。つくづくアメリカって気前よくチャンスを与える国だよなあと感心しつつも、溜息の止まらない私でした。

「結局それで合格しちゃったりするんじゃない?」

私の話を聞き終わり、テリーが慰めを言います。

「他もいくつか受けてるんでしょ。きっとどこか受かるよ、大丈夫。」

とシェイン。

「その大学に受からなかったら、そこはきっとそもそも自分が行くべきところじゃなかったんだって思えばいいのよ。次の選択肢にさっさと頭を切り替えるだけのこと。」

テリーが大きく笑ってこう総括しました。

“It’ll all work out.”
「結局なんとかなるものよ。」

これ、子育て関連の会話で実によく聞くフレーズです。どんなにアホな失敗を繰り返しても、親や友達、あるいは赤の他人から不思議と救いの手が伸びて来て、それなりに幸せな状況に落ち着くものだ、と。アメリカという豊かな国が育てた楽観主義なのかもしれませんが、息子に「慎重さ」や「弛まぬ努力」を学ばせたい我々夫婦にとっては、簡単に受け入れられない助言です。己の怠慢が招いた結果は重く受け止め、二度と同じ過ちを犯さぬよう胸に刻め!と叱る方が性に合ってるのですね。
この後、テリーもトレイスもシェインも、まるで懐かしい流行語を掘り返して楽しむかのように、何度もこのフレーズを繰り返しました。

“It’ll all work out!”
「結局何とかなるものよ!」

不思議なこともあるもので、ちょうどこの日のランチタイムにも、このフレーズが飛び出していたのでした。同僚ディックとお気に入りのピザ・レストランNA Pizzaに出かけた際のこと。何の脈絡からか、映画の話題になったのです。

「何年か前にこんなの観たんだ。確かスウェーデンの古い白黒作品だったと思うけど…、」

と私。全国的不況の中付き合い始めた十代の男女が、息苦しく先の見えない毎日を送っている。男は深刻に物を考える性質だが、娘は気まぐれで楽観的。こんな生活を抜け出して島で一緒に暮らしましょうよ、と突拍子も無い提案をする。男はこんな恋人の奔放さが愛おしく、計画に賛同。島での原始的な二人暮らしが始まる。ひと夏の楽園。それは若い二人にとって永遠に続く幸福な暮らしに思えたが、やがて厳しい現実がやって来る。そして娘は、未練気も無く恋人を捨てる…。

物語の背景をうろ覚えで語り始めた私ですが、ディックに伝えたかったのは、「自由奔放な若い女に振り回される真面目な男」の図式が実にリアルで、青春時代に負った古傷のかさぶたが剥がされるような痛みを感じたこと。そして映画鑑賞後も長い事引きずった、という話。

「俺はその映画、きっと辛くて耐えられないな。」

とディックが笑います。え?どして?と私。

「最初の結婚相手が、まさにそういう女だったんだ。」

あ、そういえばディックはバツイチだったんだ。すっかり忘れてたぞ。

「彼女も本当に予測不能な行動をする人だったんだよ。」

新婚早々「二人でPeace Corps(ボランティアの平和部隊)に入りましょうよ」と言い出したり、「そうだ。オーストラリアに移住しない?」と目を輝かせたり。

「仕事はどうするんだ?と聞くと、行ってから探せばいいじゃないって言うんだ。貯金も無いのにだぜ。彼女の口癖が、これだ。」

It’ll all work out.”
「結局なんとかなるものよ。」

特別裕福な家庭では無かったが、実家ではお父さんが常に娘のやりたいようにさせていた。その繰り返しが彼女の気まぐれな性格を助長したのだろう、と分析するディック。

「気の向くままに進めばきっと何でも上手く行くって、本気で信じてるんだぜ。ピンチに陥る度に周りの人間が救いの手を差し伸べていたことに、気づいてもいないんだ。慎重に計画を練って辛抱強く問題解決を続けてこそ夢は現実になる、そう信じてる俺みたいに窮屈な男は、こういう女の無軌道な言動に呆れながらも、ついつい惚れてしまうんだよな、困ったことに。」

しかし「楽観主義者のサポーター」は遂に我慢の限界に達し、結婚は破綻することに相成ったわけですね。そんなキツイ体験してれば、この映画はハードル高いかも…。

「それ、何ていう映画なの?」

とディックが尋ねます。

「う~ん、何だっけ?確か、Summer with 誰々、って感じのタイトルだったな。」

携帯で早速調べたところ、これは ”Summer with Monika”という作品でした(邦題は「不良少女モニカ」とされているようですが、「モニカとの夏」の方が内容に即している気がします)。

ディックも同時にネットで作品情報を探し当て、暫くあらすじを読んでいたのですが、ヒロインのモニカが胸をぎりぎりまではだけて横を向いたポスター写真を見つけた途端、彼が尋ねます。

「これがモニカ?」

そうだよ、と答えると、彼がニヤついてこう言いました。

“I would be happy to spend summer with Monika!”
「モニカとなら喜んで、一緒に夏を過ごしたいね!」


2018年12月9日日曜日

My M.O. 私のエム・オー


金曜の昼前。数カ月ぶりに、プロジェクトコントロール部門北米本社副社長のパットと電話で話しました。格下だったロス支社のR氏が上層部への売り込みに成功し、あれよあれよという間に彼女のボスにおさまってしまった後、暫くくすぶっていたパット。どうしてるかなと気にはなっていたのですが、こちらも多忙を極めていたため近況を聞く機会を逸していたのでした。

「私はなんとかやってるわ。大きな達成感は無いけど、毎日一歩ずつ前進してる感じかな。」

北米トップの座をパットから奪い、軍隊的な「上意下達」方式でプロジェクトコントロール部門の全国組織化を目指したR氏。各地域支社に子会社のような部署を作り、それを自分の指揮下に置いて戦国絵図を塗り替えようとしていたのですね。彼の野望の「その後」をパットに尋ねたところ、いくつかの地域支社から猛反発を受け、計画は頓挫しているとのこと。

「そりゃそうでしょ!」

と思わず快哉を叫ぶ私。地域支社といえども、それぞれが一般企業と同じかそれを超える規模の組織です。突然よそ者が現れ「俺のやり方でやれば必ずうまく行く。俺に従え。」と凄んだって、そう簡単に耳を貸すわけがない。きっと前の会社で「俺流の成功方程式」を編み出し成果を上げて来たんだろうけど、これほど巨大な組織で試したことは無かったのでしょう。

「でもね、私が任されたカナダではちゃんと成果を上げてるのよ。」

最近カナダの各支社を何度も訪問し、プロジェクトコントロール部門の組織化を手伝っている、というパット。

「それぞれ皆すごく前向きで、素晴らしい人達なの。じっくり話して、彼等が一番いい形で貢献出来るような組織づくりを目指してるの。まずはそこで働くひとりひとりを大事にする、それがスタートだと私は信じてるのよ。」

この時パットが使ったフレーズが、これ。

“That’s my M.O.”
「それが私のエムオーよ。」

ん?今なんて言った?急いでノートに書き取り、会話を続けたのでした。

ランチタイムになり、同僚ディックと連れ立ってラウンジバーガーへ。落武者のように長髪を乱し、肩や胸に泥汚れのついたTシャツ姿のディック。現場から今戻ったばかりだと言います。四人掛けのテーブルで斜めに対面して座り、激ウマのバーガーを頬張りつつ尋ねます。

「どうなのその後?」

社内でも注目度の高いホテル・プロジェクトに関わり始めてから、どっぷりストレス漬けのディック。建設サイトに茂っている600本を超えるユーカリの木を伐採し土着種に植え替える作業にかかってるのだが、仕事のひとつひとつが極度に難しい。

「歩行者が多過ぎて完全な通行止めが出来ないエリアとか、路面電車の線路脇とかで作業しないといけないんだ。薄氷を踏むようだよ。住処を奪われたホームレス達が大挙して襲いかかって来たこともあったな。」

「ちょっと待った。なんでそもそもユーカリを切らなきゃいけないの?」

と疑問をぶつける私。

「ユーカリには色々と害があってね。一番厄介なのは火災が起きた時に延焼を助長することだな。樹皮の内側に油が含まれてて、外気の温度が上がって来ると幹の内部がどんどん膨張して行く。そして臨界点でドカンと爆発するんだよ。葉っぱにも油分があるから、簡単に引火して風に乗って飛び回り、どんどん火災を拡げて行くんだ。あと、根が弱くて地盤が緩むとすぐに倒れることも問題だな。豪雨の後とかに歩行者がよく怪我するんだよ。」

午後になり、植物学チームのジョナサンを訪ねました。

「エムオーって何か分かる?」

朝の電話会議でパットが使ったフレーズの意味を、博覧強記の彼なら知
ってるかな、と期待したのです。すると間髪入れず、

「モーダス・オペランディ(modus operandi)というラテン語の略だね。」

と答えが返って来ました。

「オペレーションのモード、つまり仕事のやり方や手順のことで、一般的には経験の蓄積で習慣化したような方法論を指すんだ。」

なるほど。「現地の社員一人一人とじっくり対話してからベストな問題解決方法を探っていくのが私のエムオーなの」とパットは話していました。彼女の言いたかったのは、こういうことですね。

“That’s my M.O.”
「それが私の仕事の流儀なの。」

ジョナサンの解説ですっきりした後、

「もうひとつ聞いていい?」

と私。

「開発エリアに生えてるユーカリの木を伐採するっていうプロジェクトの話を聞いたんだ。ユーカリの何が問題なのか、教えてくれる?」

専門家の彼から、ディックの話の裏を取っておこうと思ったのです。

「あれは元々オーストラリア原産の外来種なんだよ。」

とジョナサン。鉄道の枕木に適していること、降雨量の少ない乾燥地帯でも成長が速く、数年間で大木に育つこと。大地主だったスクリプスという人がオーストラリアを訪れた際、その優れた特性を学び、気に入ってサンディエゴに持ち込んで大量に植えたのが最初だろうとのこと。ところが間もなく自動車の時代が到来し、枕木の需要は無くなってしまった。地面に落ちた葉に含まれる化学物質が元で土壌が悪くなり、他の植物が育たないこと。

「材木として使おうと思っても、木目が螺旋状に入り組んじまって上手く製材出来ないんだよ。手斧で縦に割ろうとしても、全然歯が立たない。南半球の植物を北半球に持って来た結果、ねじれの力がかかっちゃったのかもしれないんだ。」

「え?ねじれ?なんでそんなことになるの?」

「本当のところは分かってないんだけど、コリオリの力じゃないかと言われてるんだ。」

おお、コリオリ!昔、理科で習ったぞ。確か、地球の自転がもたらす「みかけの力」だったな。南半球で素直に成長していた植物が、北半球で植えたら捻じ曲がってしまった。それも目に見えない力によって…。

そうだ、我々の生きる世界は人知を超える複雑さで調和しているのだ。一部を切り取って別の場所に当てはめようとしても、うまく行くとは限らない。サンディエゴ中に拡がる無数のユーカリの木は、傲慢な人間の浅知恵が末代までもたらした混乱を象徴しているのだ。

パットのエムオーを、あらためて心から応援する私でした。

2018年12月4日火曜日

初心忘るべからず


17歳になったばかりの息子が、高校水球部のオフシーズンを利用してクラブチームに通い始めました。サンディエゴ市の南部で行われる平日三日の練習は、夜7時半から9時まで。往復ひとりで運転するよ、と言い切る免許取りたての彼に、何でそんなに甘く考えられるんだよ!首を振る我々両親。まずは高速道路で、スピード狂どもが荒れ狂うカーレースに20分ほど参戦しなきゃいけない。下道に出てからは、オレンジ色のナトリウム灯がぽつぽつと立ち並ぶ薄暗く狭い路駐だらけの道路を、おっかなびっくり進まないといけない。宵の口だというのに歩行者は皆無です。フードを被った男が暗がりから銃を持って飛び出して来たとしても不思議は無い舞台設定。超楽観主義者の私ですら暫く無口になるほど緊張するというのに、この若者と来たら、完全になめきっている。未来について気を揉んだり過去の失敗を悔やんだりということが出来ない性質で、どんな遺伝子変異がこんなモンスターを作ったのだろう、と首を傾げるしかありません。

「他の車がぶつかって来たらどうするんだよ?」

「ダッシュ・カム付けとけばいいじゃん。」

「はぁ?」

「そしたら記録が残るでしょ。」

事故に遭ったことなど勿論無いし、身近に体験者もいない。世の中を渡るにはネットで得た知識だけで事足りるという慢心がこんな発言を生むのでしょう。そこで私は、部下のカンチーに最近起きた災難を再現します。夜11時ごろ、サンディエゴの中でも犯罪率の高いエリアを彼氏の運転で走っていたら、一旦停止サインを無視して交差点に侵入して来た車が運転席側の後部ドアに激突。二台の車は交差点のど真ん中、Tの字で停止します。ようやくショックから立ち直ったカンチーが助手席から降り、衝突車の運転席側へ近づいたところ、男は突然車をバックさせ、猛スピードで逃げて行ったのです。

「ほら!だからダッシュ・カム付けとけばいいんだよ。」

と得意顔で割り込む息子。おいおい、最後まで聞けよ、と私。

「あろうことか、そんな治安の悪い深夜の交差点にカンチーを一人残し、彼氏が猛然と相手の車を追いかけ始めたんだ。恐怖に凍り付いた彼女は、携帯を取り出して警察に電話をかける。その間に彼氏が犯人を追い詰めるんだが、ナンバープレートを撮ったところで再び逃げられ、遂に見失った。戻って来てカンチーを拾い、警察に追加情報を伝えたんだが、そこからが大変だ。」

この一件で、二人の恋愛関係にヒビが入ったことはほぼ確実。車の修理をしようにも、加害者が捕まっていないので自分達の保険を使って支払うしかない。病院の診察料もこちらの持ち出し。警察に後日問い合わせしたところ、当て逃げは毎日何十件も届けがあり、人手が足りない上に他の凶悪事件と較べて優先順位が低いため、この事件に取り掛かるまでにどれくらい時間がかかるか予測もつかない、とのこと。

「要するに、泣き寝入りだよ。」

と私。

「教訓は、夜間に危険地帯を運転するなってこと。警察が頼りにならない以上、いくら事故映像を撮ったところで根本的な問題解決にはならないんだ。」

我々大人は実際に経験したり人から話を聞いたりして、リスクに関する知識を日々蓄積している。君の両親はそれぞれ30年以上の運転歴があり、経験量は君と桁違いなんだ。年寄りの言うことには耳を傾けといた方がいいぞ、と私。これでさすがに息子も納得するだろうと思いきや、

「でもさ、やっぱりダッシュ・カム付けといた方がいいと思うよ。」

とまだ頑張ります。

「じゃあ付けるよ。君の小遣いで買ってくれよ。」

「それはやだよ。」                                                                                                                          
結局、そんな低レベルのやり取りでこの会話を締めくくったのでした。

さて火曜の午後、数カ月ぶりにオレンジ郡まで運転しました。片道わずか二時間弱とはいえ、高速道路は危険で一杯。慎重に休憩時間を組み込んでドライブ計画を立てる私でした。今回の用事は、EMCというシーフードレストランでオレンジ支社の仲間達と会食。テーマパーク・デザインのプロジェクトを何件もかかえるPMジョニーが、襲い掛かる何十もの締め切りラッシュを切り抜けてくれた、総勢約30名のチームを労うために企画したイベントです。

早めに到着したジョニーと私は大テーブルのコーナー席を陣取り、その後パラパラと集まって来る仲間達を迎えました。ちょうど正面に座ったのが、テーマパーク設計歴35年の大ベテラン、ジェフ。世界中のアミューズメントパークを手掛けて来た彼は、気さくな笑顔で誰とでも楽しく話の出来るタイプの白人。前に会った時も、私の質問に全て気持ちよく答えてくれました。

「お客さんは夢の国にいるという設定なわけだから、興醒めするような物が目に入っちゃいけないでしょ。宇宙空間を旅するローラーコースターに乗った人が、星空の真ん中に非常口のサインを発見したら台無しだよね。でもだからといって、消防法を無視するわけにもいかない。こういう場合、どうデザイン処理するの?」

「お客さんの進行方向にサインが見えないようにすることは可能なんだ。わざわざ振り返ってみて初めて目に入る、っていう角度に設置するんだな。そして、非常の際には避難口まで誘導するランプが連続して点灯する、という仕掛けも組み込んでおくんだよ。」

ルールに従いつつファンタジーを守る。それこそがこの仕事の醍醐味なのでしょう。さて今回は、リスクについて色々尋ねてみることにしました。

「これまでに、ひどい失敗はあった?」

「そりゃ山ほどね。もちろんテーマパーク側にだって何十年もの積み重ねがあるから、大抵のリスクはデザインの中で回避してる。だけど、人間は時に予測のつかない行動をする生き物だからね。まさかと思うような事故も起きるんだ。」

水深40センチほどの狭い運河の上に張られた線路を、数珠繋ぎのトロッコが客を乗せてゆっくり進むアトラクション。閉園後のメンテナンス中、技術者が何を思ったか、線路の下に潜って点検を始めた。そのまま暫く水中を進んだ時、トロッコとトロッコの間隔が狭く隙間から顔を出せないことを悟る。行けども行けども浮上ポイントが見つからず、そのまま帰らぬ人となった。

「そんなことがあって、連結部分の間隔は少し広めに設計するようになったんだ。」

どんなに慎重でいても事故は起こり得る、という貴重な教訓。それからジェフは、アミューズメント・パーク開園中に起きた信じ難い事故の例をいくつも話してくれました(あまりに刺激が強いので割愛)。

「この道で活躍を続けるための、一番の鍵って何?」

と私が尋ねると、二秒ほど考えてからジェフが言いました。

「経験だね。」

経験が知恵を生み、知恵が仕事のクオリティを高める。

「だけど同時に、経験にあぐらをかいてもいけない。過去のプロジェクトで培ったノウハウはもちろん大事だけど、それだけでやっていけると思った瞬間に進化は止まるんだ。新たなリスクの出現を常に予期し、可能な限り事前に情報を収集しておく。そして、それでもまだ未知のエリアがあるはずだという謙虚な心構えを保つこと。」

どれほど容易に見えるプロジェクトでも、決して甘く考えてはいけないし、真摯な学びの姿勢を維持しなければリスクに対応出来ない。落とし穴は思わぬところにあるのだ、と。プロジェクトのロケーションが変われば、同じ仕事内容でも方法論が全く変わることだってある。たとえば東海岸で建築を学んだ人間は、木造建築を知らないんだよ、とジェフ。台風や雪と無縁だが地震の多いカリフォルニアでは、風通しが良く耐震性に長けた木造建築の知識が必須。しかし東海岸には需要が無いので、大学でも教えない。だからニューヨークの熟練建築家がロサンゼルスの仕事を請けて、いきなり大ピンチに陥ったりするんだよ、と。外国のプロジェクトに携わる時は特に、その国の風習や不文律などについてきっちり予習してから臨むというジェフ。

「たとえばさ、日本や韓国では年長者や組織で上に立つ者を敬うことが絶対だろ。」

日本のゼネコンで社長決裁に立ち会った際は、質問されるまでしっかり無言を続けた。相手に恥をかかせるチャンスを避け、とことん社長の体面を保つことに努めた、と。

「アブダビのホテル・プロジェクトを請けた時、事前にいくつかホテルを観に行ったんだ。吹き抜けのロビーがあってさ、そこを通る時、水滴が落ちて来るのに気が付いた。よく調べたら、客の吐いた息が冷たい天井に当たって結露を起こしてた。つまり、他人の唾が雨になってロビーに降り注いでたんだな。」

湿度の極めて高い土地での建築プロジェクトに携わった経験に乏しいデザイナーの仕事だな、とたちまち見抜いたジェフ。サウジアラビア、インド、中国、マレーシアなどでの実例をひとつひとつ挙げながら、新しい環境でプロジェクト・リスクを見通すことがいかに難しいかを語ってくれました。35年の職歴を持つ彼でさえ、毎日必ず新しい発見があるのだ、と。私もアメリカでプロジェクトマネジメントに関わって、早や16年。他の社員をトレーニングする立場も度々経験し、自信もついて来たところですが、ジェフの話を聞いて再び初心に帰ることが出来たのでした。経験年数など関係ない、常に新米の気持ちで物事に取り組まなければいけないぞ、と。

さて土曜日、息子に運転の練習をさせがてら、食材を買いに日系スーパーまで行きました。夕食用の商品とは別に小遣いで買ったブドウ味のグミを、会計が済むや否や開封してレジ横で口に放り込み始める息子。幼稚園児じゃないんだから少しは我慢しろよ、と私。もちろんそんな小言は受け流し、左手にグミの袋を握ったまま駐車場を進んで運転席に乗り込み、エンジンをかける運転初心者。そしてギアをバックに入れると、グミの袋をセンターのカップホルダーに立てかけ、右手で数粒つまんで口に放り込みながら、後方確認もそこそこに左手だけでハンドル操作を始めました。

「ちょっと待った!」

私の大声で、慌ててブレーキをかける息子。

「どういうつもりだ!運転をなめるのもいい加減にしろ!」

さすがにまずいと思ったのか、両手でハンドルを握り直して素直に謝る17歳。

帰宅してこれを告げたところ、予想通り激しくキレる妻でした。

「百年早いわ!」

ひょっとすると、「新米の意識」が一番薄いのが新米なのかもしれません。


2018年11月25日日曜日

本音で生きる男


木曜日はサンクスギビング(感謝祭)の祝日でした。大ボス・テリーのホーム・パーティーに招かれ、近くに住む日本人の友人母娘と五人で参加。アメリカの感謝祭というのは日本の元旦に近い位置づけで、家族大集合してターキー料理を楽しむのが一般的です。事前に同僚達に予定を聞いたところ、「夫婦それぞれの両親の家へ隔年で行く」とか「兄弟持ち回りでホストを務める」というパターンが多く、心理的・肉体的・金銭的負担のためか、必ずしも心待ちにしているわけではない様子。たとえ親子や兄弟でも離れて暮らすうちに段々とカルチャーが変わって来るもので、折角集まっても大して話が弾まず、時にはくすぶっていた紛争に再び火がついて大荒れになることすらあるのだと。「楽しみだけどちょっぴり気が重い時もある行事」、というのが共通イメージのようです。

私が家族や親戚と遠く離れて暮らすことを知ったテリーは、哀れに思ってか誘ってくれるようになったのですが、去年参加した時には二十人以上の出席者ほぼ全員が彼女の血縁者で、さすがに居心地の悪さを感じました。しかしさすがはテリー、細かい気配りで、同じ年頃の子供がいるという夫婦の席に我々を案内し、会話を楽しませてくれたのでした。

今年は更に参加者が増え、総勢32名。午後三時半頃食事の準備が完了し、テリーの号令で五歳の子供から老人まで全員パティオに集合します。そして隣の人と手を取り合い、大きな輪を作りました。

「皆集まってくれて本当に有難う。これから順番に、自分の名前、それから他の出席者との関係を言ってくれる?全員の自己紹介が済んだら、お祈りをして食事開始ね。じゃ、お父さんから。」

一人、また一人とゲストのスピーチが続きます。

「○○です。テリーのいとこです。」

さて僕は何を言えばいいかな、と考え始めた時、ふと右の視界に気になる動きが映りました。おそらく三十代半ばでしょう、アメフトでもやってるんじゃないかと思わせる太い首にスポーツ刈りのイケメン白人男性が、天を仰ぎながら微かに首を振り、溜息をついたのです。そしてクスリともせず、手を繋いだ隣の女性に囁きます。

「あ~あ、始まっちゃったよ。こういうの、長くなるんだよな。料理が冷めちまうじゃねえか。」

和気あいあいのパーティーで、みんながちょっとずつ心に抱いているかもしれない冷めた本音を露わにしたこの男。俄然興味をそそられた私は、それから彼の発言に耳をそばだてるようになりました。

「もういいだろ。さっさと次行こうぜ。」

誰かの話が長引きそうな空気を察知する度に、本人にギリギリ届かない程度の微妙なボリュームで呟く男。彼の順番が来ると、

「クリスです。今日はターキーを捌くために呼ばれました。」

ぶっきら棒にそう唱えて黙り、隣の女性に目配せで発言を促します。

「ジュリーです。クリスのガールフレンドです。お招き有難うございます。」

それから三人ほど経て、私の番が来ました。

「シンスケです。テリーの部下で、彼女から30フィート離れた席で働いてます。」

クリスの気に障らぬよう、手短に切り上げてさっさと隣にバトンを渡します。

「トレースです。僕もテリーの下で働いてます。」

と軽くおどけるテリーのご主人。どっとウケる集団。

全員の自己紹介が終了し、最長老と見られる白髪の白人男性が落ち着いた声でお祈りを始めます。遠すぎて何を言っているのかほとんど聞き取れませんでしたが、神様に対する日々の感謝を連ねていることは分かりました。この感じ、去年初めて参加した時はちょっぴり抵抗ありました。僕らクリスチャンじゃないけどいいのかな。知らない人と手を繋いで輪になるってのもちょっとな、と。でも今年は二回目なので、落ち着いていました。皆にならって目をつむり、少し俯く私。右側では妻が何の躊躇も見せず、しっかりとうなだれている。ふと気になって右目の端でさっきの男性クリスをちらりと見ると、相変わらず憮然とした表情のまま、目もつむらず顎を上げています。そして食事開始の合図を聞くと、「やれやれ」と小声で溜息をつき動き始めました。

ゲストの長い列に並んでフォークを手に取り、キッチンカウンターに置かれた十種類以上の大皿料理(ターキー三種類、サラダ、キャロットゼリー等)を少しずつ載せて庭へ出ます。そしてパティオに据えられた大テーブルを囲んで腰かけると、そこにいた人々との会話が始まりました。私の正面に座ったテリーの娘テイラー、そしてその横にいた彼氏に、今の仕事の内容やバックグラウンドを聞き出します。テイラーは先月まで博物館で働いていたのですが、非営利組織のマネジメントに興味を持ち、修士課程に通い始めました。お母さんのテリー同様、相手の目をしっかり見つめ、情熱込めて語る彼女。一方彼氏は物静かで、テイラーの話に相槌を打ったりデザートを運んで来たりして、彼女を喜ばせます。

テイラーがオハイオの大学に行っていた頃の寒い冬の話を出したところ、左の方からジュリーの声が飛び込んで来て、生まれ故郷ウィスコンシンの尋常じゃない寒さのエピソードで対抗します。私の妻もミシガンでの大学院生時代の話を持ち出しますが、それを凌ぐ極寒ストーリ―をぶつけてくるジュリーの勢いに押され、そのうち黙ってしまいました。

陽が落ちて冷えて来たから、とテイラーが彼氏を従え屋内に入ってしまったため、気が付くと大テーブルは、お喋りトーナメントを勝ち抜いたジュリーの独壇場になっていました。その間彼女の隣で、無表情のままうつむきスマホをチェックしたり靴をいじったりしているクリス。この人、本当にターキーを切り捌くためだけに呼ばれたのかな、と勘繰ってしまうほどテンションが低いのですね。しかし本当はそうじゃないことを、私は知っていました。実はこのちょっと前にキッチンを通りがかったところ、ピカピカに光る長いナイフ数本を茶色い革で巻き取るように収納している現場に出くわしたので、すごいの持ってるんだね、と感心したところ、

「今日のために買ったんだ。使うのは初めてだよ。」

と微かに顔を赤らめたクリス。あ、この人単にシャイなのね、と悟った次第。それにしても、ニコニコ顔が通行手形のホーム・パーティーで露骨な仏頂面を貫き通す彼。こんな生き方も潔くていいな、とちょっぴり羨ましく思っていた私でした。一度そういうキャラを作ってしまえば、どこに行っても本音で過ごせるかもしれないじゃないか、と。

セールスの仕事をしているというジュリーは、自分をはるかに上回るハイテンションのボスに仕えているといいます。電話会議で参加者に画面を見せながら司会進行している時でも、用事があれば構わずがんがんメールして来るのだと。そしてジュリーが返信しないと、一分もしないうちにテキストが入り、それでも反応無しとなれば携帯に何度も電話して来る。

「彼女に悪気は無いのは知ってるの。でもそんな調子でせっつかれると、こっちも鬱憤が溜まるじゃない。」

そんなストレス発散のため、毎日欠かさずジムに通っているというジュリー。スマホのアプリで記録している自分の脈拍などのデータを我々に見せてくれました。

「え?158って高くない?」

「もともと私、すっごく心拍数が高いのよ。子供の頃から水泳やってるし。」

透き通るような青い目を見開き、あけすけに私生活を語り続けるジュリー。そのうちウィスコンシン出身者に特有のなまりの話、それから土地によって違う固有名詞の使い方や独特のスラングやイディオムに話題が移った時、妻が、

「シンスケはそういう話、大好きなのよ。」

とこちらを振り返ります。ジュリーはここでぐっと身を乗り出し、「いいのあるわよ!」と目を輝かせました。

「クリスって、時々私も知らないようなイディオムを使うの。」

ぴくっと反応して隣のクリスが顔を上げます。「たとえばね」、とジュリー。

“Six of one, half a dozen of the other.”
「六個と半ダース」

え?何それ?今何て言った?と聞き返す我々。ここでクリスがおもむろに説明を始めます。

「どっちのやり方で数えたって結果は同じだろ。二つの選択があって悩んでる人に、どっちに転んでも大して結果は変わらないよって言いたい時に使うんだ。」

我々と目も合わせず、いかにも詰まらなそうに吐き捨てるクリス。

「ほらあと、あれあったじゃん。犬のやつ。」

とジュリー。

“Sometimes you’re the dog, sometimes you’re the tree.”
「犬の時もあれば木の時もある。」

ん?そりゃまた聞きなれないフレーズだな。どういうこと?と我々。

「犬は木におしっこかけるでしょ。かける立場とかけられる立場、両方を味わうことがあるって意味よ。つまり、人生良い時もあれば悪い時もあるってね。」

ジュリーが解説します。ほお~っ、なるほどね。

「木じゃなくてHydrant(消火栓)と言う場合もあるけどな。」

と肩をすくめて自分の靴を見つめながら補足するクリス。ジュリーによれば、彼はこの種の「斜に構えた」イディオムの宝庫らしいのです。表面を繕ってスムーズな人間関係を築くための努力などとは無縁の生き方を貫く男。日常生活で飛び出す慣用句群も、自然と真理を突いたものになっていくのでしょう。

午後六時近くなり、帰り支度を始めるゲストがちらほら出て来ました。電車で彼女とオレンジ郡へ帰るというクリスは、腕時計に目をやった後すっくと立ち上がると、周りの折り畳み椅子をてきぱきと片付けたりゴミを拾ったりし始めました。暫く快調に喋り続けていたジュリーもそれにようやく気付いて立ち上がり、我々とお別れのハグを交わします。そんな風にして、今年の感謝祭は終わったのでした。

翌朝妻から、やぶからぼうに「またやったわね」と、厳しい顔でたしなめられた私。え?僕、何かやらかした?と記憶を巻き戻しますが、何も蘇りません。

「ジュリーとさよならした時、身体のこと言ったじゃない。」

あ、そうだ。我々とハグをしようと彼女が立ち上がった時、185センチくらいあることに気付いて、「うわ、こんなデカかったんだ。」と思わず口に出してしまったのです。しかも英語で。他人の身体的特徴についての発言を極度に嫌い、この手の失言が飛び出す度にきっちり叱ってくれる妻。おかげで段々と社会性が身について来ており、感謝に堪えない私ではありますが、どこかちょっぴり窮屈に思っているのですね。

本音で生きられたら楽だろうな、と…。

2018年11月18日日曜日

Crapshoot クラップシュート


今月の初め、17歳の誕生日を迎えた息子。先月末には高校の水球チームがシーズン最後の試合を終え、いよいよ大学受験に軸足を移すことになったのですが、第一志望校を訪問した際、ここの水球チームがかなりの強豪であることを知りました。練習を見学に行きコーチに自己紹介したところ、「うちで試合に出たいならオフシーズンもしっかり練習してスキルを上げておけ」と言われ、俄然燃える彼。しかし、だからと言って今後ずっとアスリート人生を歩もうかと目論むほどの素質も野望もありません。これまで鍛えて来た肉体をキープして、出来ればそこそこ上達もしたい、というくらいの覚悟。そこでこの冬から春にかけ、どのクラブチームに所属すべきかという選択を迫られることになりました。

候補に挙がっているのは二つのクラブ。クラブXは我が家から十分ほど車を走らせたところにあり、ビジネス街やショッピングモールに近い都会のプールで週三回夜間練習があります。全米でも名の知れた名門クラブで、Aチームは何度も全国優勝しています。息子の言うにはこのクラブじゃCチームに入れるかどうかも怪しいし、コーチ達もそういう選手に対しては、「雑魚に構っていられるか」とばかりの差別的態度なのだと。対してクラブYにはきめ細かい指導で知られる名コーチがいて、選手数は少なく層も薄いので、レギュラーとして試合に出してもらえる機会は多いだろうとのこと。ここでも週三回の夜間練習があるのですが、問題はプールの場所が家から遠く、街灯もまばらで極端に道が狭く、治安の悪そうなエリアにあること。数か月前に免許を取得したばかりの息子にひとりで往復させるには、ちとリスクが高いのですね。ここへ通うとすれば、男親の私が送迎を受け持つしかない。

今週は、一応どちらの練習にも参加して様子を見て来たらいいよ、と息子を乗せて送り迎えしました。ナイター設備に照らされた屋外プールで身体から湯気を立てつつ水しぶきを上げる少年たちを眺める私は、ダウンジャケット姿。すごいな君達。こんなことしてたらきっと風邪もひかなくなるだろう…。最近運動不足が続いていて、体調を崩す一歩手前で何とか踏ん張っている状態の私は、羨望と反省とを味わっていたのでした。

週末になってようやく、「やっぱりYに行くことにした」と結論を出した息子。これが吉と出るかどうかは謎です。二つの選択肢を同時に試すわけには行かないので、ある時点で決め打ちし、後は注意を怠らずに歩を進めるしかない。どこにリスクが潜んでいるかは、どんなに調べたところで全て事前に分かるわけではないのだから…。

少し遡って木曜の朝、部下のカンチーが困り顔で報告して来ました。彼女がセットアップをサポートしているプロジェクトについて、財務部門が「コンティンジェンシー(かもしれない予算)を削除しろ」と言って来たというのです。はあ?と私。

「リスク・レジスターをちゃんと見せたの?」

「はい、それでもゼロにしろって言い張るんです。」

「じゃあ何?このプロジェクトにはリスクが無いって財務の人間が決めつけてるわけ?」

「そういうことになりますね。ゼロにしなかったら利益率が低すぎて、プロジェクトのセットアップを承認出来ないって。今すぐプロジェクトをスタートさせたいPMは、彼等の指示に従おうって言うんですよ。」

「ええ~っ?みんなホント、頭どうかしてんじゃないの?」

時々こういう、呆れるほどアホな意思決定に立ち会うのですが、私たちプロジェクト・コントロール・チームは、クライアントであるPMの意思に従うしかない。

「何月何日に誰の指示でコンティンジェンシーを削除させられたか、システム上にしっかり記録しておきなよ。後から君が責められる、というリスクは排除しとかないとね。」

「あ、そうか、本当にそうですね。有難うございます。」

職業上、常に最悪のケースを頭に描いて行動するよう努めている私。収益率が悪過ぎるからリスクに目をつむれ、というのは無責任にも程がある。財務部門の人間は毎日金の事しか考えてないからそうなるんだよ、と腹立たしい思いで半日を過ごしたのでした。

さて話は変わって、今週は2019年のBenefit(福利厚生)プログラム申請の締め切りでした。一般医療保険、眼科保険、歯科保健、生命保険などに会社を通して加入するのですが、その支払いレートは毎年めまいがするほどの勢いで上がっています。今回も社員の持ち出し分が急激に増える格好になっていて、多少給料が上がったとしてもカバー出来ない程。木曜日の晩、妻と二人で細かく検討した結果、Deductible(ディダクタブル、自己負担額)の上限が非常に高いオプションを選択することにしました。病気やケガをしても、トータルの医療費がその額に到達するまで保険は一切カバーしない。そのかわり、毎月の保険料は比較的安い(それでも日本円にして何万円も払うのですが)というもの。もしもDeductibleをゼロにすれば、たとえ健康でいても保険会社に毎月二十万円以上も持って行かれることになる。それは何としても避けたい話です。

「よし決めた。僕ら一家は来年、怪我も病気もゼロで行くぞ!」

と高らかに宣言して申請作業を終えた私でした。

翌朝出勤して間もなく、ロングビーチ支社の同僚マークからテキストが入りました。

「保険の申し込み、どれにした?」

彼にもうちのと歳の近い一人息子がいて、家族構成が似ているのです。きっと私の選択を聞いて安心したかったのでしょう。

「ハイ・ディダクタブルのオプションにしたよ。他のは高くてとてもじゃないけど保険料を払えないからね。」

「俺もだよ。」

「来年は怪我も病気もしないぞって家族で決めるしかなかったんだ。」

「全く、オプションがひどすぎて選べないよな。」

そして彼が次に、こんなことを書いて来たのでした。

“It seems like a crapshoot.”
「まるでクラップシュートだよ。」

ん?クラップシュート?何だそりゃ。クラップというのは「くそ」だから、「くそみたいなシュート」かな?球技で使われる単語なら分かるけど、この文脈だと通じないぞ。急いでネットで調べたところ、crapsには「二個のサイコロの出目を競う」ゲームという意味もあり、crapshootは「サイコロ博打をすること」だと知りました。つまりマークの言いたかったのは、こうですね。

“It seems like a crapshoot.”
「まるで博打だよ。」

土曜の朝8時半、息子の部屋へ行ってみると、水球の練習で疲労をためたためか、完全な熟睡状態の彼。日本語補習校への登校時刻が迫っていたので、「おい、目を覚ませ!」と叩き起こします。うつろな目でこちらを見つつ、全く動く気配を見せない息子。掛け布団を捲ると、まるで競走馬のように逞しい上半身。こら、起きろ!とその腕をつかんで引っ張り上げようした瞬間、私の上体はぐいっと引き寄せられ、あっけなく彼の身体の上に倒されたのでした。うわ、いつの間にそこまで力をつけたんだ?と驚くと、嬉しそうな顔になった息子がベッドから飛び起き、キッチンで弁当作りをしていた妻のところへ報告に行きました。

「ねえママ、聞いて。今ね、パパが僕を起こそうとして腕を引っ張ったらね!」

その時になって私は、ようやく異変に気付き始めました。左の脇腹から尻にかけ、激痛が走ったのです。しまった。こ、腰をやってしまった…。病気も怪我もしないと宣言して金をケチった途端にこのありさま。財務部門のアホさを笑えないなあ、と自戒することしきりでした。

それにしても、息子を起こそうとして腰を痛めるリスクは想定外だったなあ…。この日は一日、ほぼ寝て過ごしたのでした。