2018年12月9日日曜日

My M.O. 私のエム・オー


金曜の昼前。数カ月ぶりに、プロジェクトコントロール部門北米本社副社長のパットと電話で話しました。格下だったロス支社のR氏が上層部への売り込みに成功し、あれよあれよという間に彼女のボスにおさまってしまった後、暫くくすぶっていたパット。どうしてるかなと気にはなっていたのですが、こちらも多忙を極めていたため近況を聞く機会を逸していたのでした。

「私はなんとかやってるわ。大きな達成感は無いけど、毎日一歩ずつ前進してる感じかな。」

北米トップの座をパットから奪い、軍隊的な「上意下達」方式でプロジェクトコントロール部門の全国組織化を目指したR氏。各地域支社に子会社のような部署を作り、それを自分の指揮下に置いて戦国絵図を塗り替えようとしていたのですね。彼の野望の「その後」をパットに尋ねたところ、いくつかの地域支社から猛反発を受け、計画は頓挫しているとのこと。

「そりゃそうでしょ!」

と思わず快哉を叫ぶ私。地域支社といえども、それぞれが一般企業と同じかそれを超える規模の組織です。突然よそ者が現れ「俺のやり方でやれば必ずうまく行く。俺に従え。」と凄んだって、そう簡単に耳を貸すわけがない。きっと前の会社で「俺流の成功方程式」を編み出し成果を上げて来たんだろうけど、これほど巨大な組織で試したことは無かったのでしょう。

「でもね、私が任されたカナダではちゃんと成果を上げてるのよ。」

最近カナダの各支社を何度も訪問し、プロジェクトコントロール部門の組織化を手伝っている、というパット。

「それぞれ皆すごく前向きで、素晴らしい人達なの。じっくり話して、彼等が一番いい形で貢献出来るような組織づくりを目指してるの。まずはそこで働くひとりひとりを大事にする、それがスタートだと私は信じてるのよ。」

この時パットが使ったフレーズが、これ。

“That’s my M.O.”
「それが私のエムオーよ。」

ん?今なんて言った?急いでノートに書き取り、会話を続けたのでした。

ランチタイムになり、同僚ディックと連れ立ってラウンジバーガーへ。落武者のように長髪を乱し、肩や胸に泥汚れのついたTシャツ姿のディック。現場から今戻ったばかりだと言います。四人掛けのテーブルで斜めに対面して座り、激ウマのバーガーを頬張りつつ尋ねます。

「どうなのその後?」

社内でも注目度の高いホテル・プロジェクトに関わり始めてから、どっぷりストレス漬けのディック。建設サイトに茂っている600本を超えるユーカリの木を伐採し土着種に植え替える作業にかかってるのだが、仕事のひとつひとつが極度に難しい。

「歩行者が多過ぎて完全な通行止めが出来ないエリアとか、路面電車の線路脇とかで作業しないといけないんだ。薄氷を踏むようだよ。住処を奪われたホームレス達が大挙して襲いかかって来たこともあったな。」

「ちょっと待った。なんでそもそもユーカリを切らなきゃいけないの?」

と疑問をぶつける私。

「ユーカリには色々と害があってね。一番厄介なのは火災が起きた時に延焼を助長することだな。樹皮の内側に油が含まれてて、外気の温度が上がって来ると幹の内部がどんどん膨張して行く。そして臨界点でドカンと爆発するんだよ。葉っぱにも油分があるから、簡単に引火して風に乗って飛び回り、どんどん火災を拡げて行くんだ。あと、根が弱くて地盤が緩むとすぐに倒れることも問題だな。豪雨の後とかに歩行者がよく怪我するんだよ。」

午後になり、植物学チームのジョナサンを訪ねました。

「エムオーって何か分かる?」

朝の電話会議でパットが使ったフレーズの意味を、博覧強記の彼なら知
ってるかな、と期待したのです。すると間髪入れず、

「モーダス・オペランディ(modus operandi)というラテン語の略だね。」

と答えが返って来ました。

「オペレーションのモード、つまり仕事のやり方や手順のことで、一般的には経験の蓄積で習慣化したような方法論を指すんだ。」

なるほど。「現地の社員一人一人とじっくり対話してからベストな問題解決方法を探っていくのが私のエムオーなの」とパットは話していました。彼女の言いたかったのは、こういうことですね。

“That’s my M.O.”
「それが私の仕事の流儀なの。」

ジョナサンの解説ですっきりした後、

「もうひとつ聞いていい?」

と私。

「開発エリアに生えてるユーカリの木を伐採するっていうプロジェクトの話を聞いたんだ。ユーカリの何が問題なのか、教えてくれる?」

専門家の彼から、ディックの話の裏を取っておこうと思ったのです。

「あれは元々オーストラリア原産の外来種なんだよ。」

とジョナサン。鉄道の枕木に適していること、降雨量の少ない乾燥地帯でも成長が速く、数年間で大木に育つこと。大地主だったスクリプスという人がオーストラリアを訪れた際、その優れた特性を学び、気に入ってサンディエゴに持ち込んで大量に植えたのが最初だろうとのこと。ところが間もなく自動車の時代が到来し、枕木の需要は無くなってしまった。地面に落ちた葉に含まれる化学物質が元で土壌が悪くなり、他の植物が育たないこと。

「材木として使おうと思っても、木目が螺旋状に入り組んじまって上手く製材出来ないんだよ。手斧で縦に割ろうとしても、全然歯が立たない。南半球の植物を北半球に持って来た結果、ねじれの力がかかっちゃったのかもしれないんだ。」

「え?ねじれ?なんでそんなことになるの?」

「本当のところは分かってないんだけど、コリオリの力じゃないかと言われてるんだ。」

おお、コリオリ!昔、理科で習ったぞ。確か、地球の自転がもたらす「みかけの力」だったな。南半球で素直に成長していた植物が、北半球で植えたら捻じ曲がってしまった。それも目に見えない力によって…。

そうだ、我々の生きる世界は人知を超える複雑さで調和しているのだ。一部を切り取って別の場所に当てはめようとしても、うまく行くとは限らない。サンディエゴ中に拡がる無数のユーカリの木は、傲慢な人間の浅知恵が末代までもたらした混乱を象徴しているのだ。

パットのエムオーを、あらためて心から応援する私でした。

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