2018年12月4日火曜日

初心忘るべからず


17歳になったばかりの息子が、高校水球部のオフシーズンを利用してクラブチームに通い始めました。サンディエゴ市の南部で行われる平日三日の練習は、夜7時半から9時まで。往復ひとりで運転するよ、と言い切る免許取りたての彼に、何でそんなに甘く考えられるんだよ!首を振る我々両親。まずは高速道路で、スピード狂どもが荒れ狂うカーレースに20分ほど参戦しなきゃいけない。下道に出てからは、オレンジ色のナトリウム灯がぽつぽつと立ち並ぶ薄暗く狭い路駐だらけの道路を、おっかなびっくり進まないといけない。宵の口だというのに歩行者は皆無です。フードを被った男が暗がりから銃を持って飛び出して来たとしても不思議は無い舞台設定。超楽観主義者の私ですら暫く無口になるほど緊張するというのに、この若者と来たら、完全になめきっている。未来について気を揉んだり過去の失敗を悔やんだりということが出来ない性質で、どんな遺伝子変異がこんなモンスターを作ったのだろう、と首を傾げるしかありません。

「他の車がぶつかって来たらどうするんだよ?」

「ダッシュ・カム付けとけばいいじゃん。」

「はぁ?」

「そしたら記録が残るでしょ。」

事故に遭ったことなど勿論無いし、身近に体験者もいない。世の中を渡るにはネットで得た知識だけで事足りるという慢心がこんな発言を生むのでしょう。そこで私は、部下のカンチーに最近起きた災難を再現します。夜11時ごろ、サンディエゴの中でも犯罪率の高いエリアを彼氏の運転で走っていたら、一旦停止サインを無視して交差点に侵入して来た車が運転席側の後部ドアに激突。二台の車は交差点のど真ん中、Tの字で停止します。ようやくショックから立ち直ったカンチーが助手席から降り、衝突車の運転席側へ近づいたところ、男は突然車をバックさせ、猛スピードで逃げて行ったのです。

「ほら!だからダッシュ・カム付けとけばいいんだよ。」

と得意顔で割り込む息子。おいおい、最後まで聞けよ、と私。

「あろうことか、そんな治安の悪い深夜の交差点にカンチーを一人残し、彼氏が猛然と相手の車を追いかけ始めたんだ。恐怖に凍り付いた彼女は、携帯を取り出して警察に電話をかける。その間に彼氏が犯人を追い詰めるんだが、ナンバープレートを撮ったところで再び逃げられ、遂に見失った。戻って来てカンチーを拾い、警察に追加情報を伝えたんだが、そこからが大変だ。」

この一件で、二人の恋愛関係にヒビが入ったことはほぼ確実。車の修理をしようにも、加害者が捕まっていないので自分達の保険を使って支払うしかない。病院の診察料もこちらの持ち出し。警察に後日問い合わせしたところ、当て逃げは毎日何十件も届けがあり、人手が足りない上に他の凶悪事件と較べて優先順位が低いため、この事件に取り掛かるまでにどれくらい時間がかかるか予測もつかない、とのこと。

「要するに、泣き寝入りだよ。」

と私。

「教訓は、夜間に危険地帯を運転するなってこと。警察が頼りにならない以上、いくら事故映像を撮ったところで根本的な問題解決にはならないんだ。」

我々大人は実際に経験したり人から話を聞いたりして、リスクに関する知識を日々蓄積している。君の両親はそれぞれ30年以上の運転歴があり、経験量は君と桁違いなんだ。年寄りの言うことには耳を傾けといた方がいいぞ、と私。これでさすがに息子も納得するだろうと思いきや、

「でもさ、やっぱりダッシュ・カム付けといた方がいいと思うよ。」

とまだ頑張ります。

「じゃあ付けるよ。君の小遣いで買ってくれよ。」

「それはやだよ。」                                                                                                                          
結局、そんな低レベルのやり取りでこの会話を締めくくったのでした。

さて火曜の午後、数カ月ぶりにオレンジ郡まで運転しました。片道わずか二時間弱とはいえ、高速道路は危険で一杯。慎重に休憩時間を組み込んでドライブ計画を立てる私でした。今回の用事は、EMCというシーフードレストランでオレンジ支社の仲間達と会食。テーマパーク・デザインのプロジェクトを何件もかかえるPMジョニーが、襲い掛かる何十もの締め切りラッシュを切り抜けてくれた、総勢約30名のチームを労うために企画したイベントです。

早めに到着したジョニーと私は大テーブルのコーナー席を陣取り、その後パラパラと集まって来る仲間達を迎えました。ちょうど正面に座ったのが、テーマパーク設計歴35年の大ベテラン、ジェフ。世界中のアミューズメントパークを手掛けて来た彼は、気さくな笑顔で誰とでも楽しく話の出来るタイプの白人。前に会った時も、私の質問に全て気持ちよく答えてくれました。

「お客さんは夢の国にいるという設定なわけだから、興醒めするような物が目に入っちゃいけないでしょ。宇宙空間を旅するローラーコースターに乗った人が、星空の真ん中に非常口のサインを発見したら台無しだよね。でもだからといって、消防法を無視するわけにもいかない。こういう場合、どうデザイン処理するの?」

「お客さんの進行方向にサインが見えないようにすることは可能なんだ。わざわざ振り返ってみて初めて目に入る、っていう角度に設置するんだな。そして、非常の際には避難口まで誘導するランプが連続して点灯する、という仕掛けも組み込んでおくんだよ。」

ルールに従いつつファンタジーを守る。それこそがこの仕事の醍醐味なのでしょう。さて今回は、リスクについて色々尋ねてみることにしました。

「これまでに、ひどい失敗はあった?」

「そりゃ山ほどね。もちろんテーマパーク側にだって何十年もの積み重ねがあるから、大抵のリスクはデザインの中で回避してる。だけど、人間は時に予測のつかない行動をする生き物だからね。まさかと思うような事故も起きるんだ。」

水深40センチほどの狭い運河の上に張られた線路を、数珠繋ぎのトロッコが客を乗せてゆっくり進むアトラクション。閉園後のメンテナンス中、技術者が何を思ったか、線路の下に潜って点検を始めた。そのまま暫く水中を進んだ時、トロッコとトロッコの間隔が狭く隙間から顔を出せないことを悟る。行けども行けども浮上ポイントが見つからず、そのまま帰らぬ人となった。

「そんなことがあって、連結部分の間隔は少し広めに設計するようになったんだ。」

どんなに慎重でいても事故は起こり得る、という貴重な教訓。それからジェフは、アミューズメント・パーク開園中に起きた信じ難い事故の例をいくつも話してくれました(あまりに刺激が強いので割愛)。

「この道で活躍を続けるための、一番の鍵って何?」

と私が尋ねると、二秒ほど考えてからジェフが言いました。

「経験だね。」

経験が知恵を生み、知恵が仕事のクオリティを高める。

「だけど同時に、経験にあぐらをかいてもいけない。過去のプロジェクトで培ったノウハウはもちろん大事だけど、それだけでやっていけると思った瞬間に進化は止まるんだ。新たなリスクの出現を常に予期し、可能な限り事前に情報を収集しておく。そして、それでもまだ未知のエリアがあるはずだという謙虚な心構えを保つこと。」

どれほど容易に見えるプロジェクトでも、決して甘く考えてはいけないし、真摯な学びの姿勢を維持しなければリスクに対応出来ない。落とし穴は思わぬところにあるのだ、と。プロジェクトのロケーションが変われば、同じ仕事内容でも方法論が全く変わることだってある。たとえば東海岸で建築を学んだ人間は、木造建築を知らないんだよ、とジェフ。台風や雪と無縁だが地震の多いカリフォルニアでは、風通しが良く耐震性に長けた木造建築の知識が必須。しかし東海岸には需要が無いので、大学でも教えない。だからニューヨークの熟練建築家がロサンゼルスの仕事を請けて、いきなり大ピンチに陥ったりするんだよ、と。外国のプロジェクトに携わる時は特に、その国の風習や不文律などについてきっちり予習してから臨むというジェフ。

「たとえばさ、日本や韓国では年長者や組織で上に立つ者を敬うことが絶対だろ。」

日本のゼネコンで社長決裁に立ち会った際は、質問されるまでしっかり無言を続けた。相手に恥をかかせるチャンスを避け、とことん社長の体面を保つことに努めた、と。

「アブダビのホテル・プロジェクトを請けた時、事前にいくつかホテルを観に行ったんだ。吹き抜けのロビーがあってさ、そこを通る時、水滴が落ちて来るのに気が付いた。よく調べたら、客の吐いた息が冷たい天井に当たって結露を起こしてた。つまり、他人の唾が雨になってロビーに降り注いでたんだな。」

湿度の極めて高い土地での建築プロジェクトに携わった経験に乏しいデザイナーの仕事だな、とたちまち見抜いたジェフ。サウジアラビア、インド、中国、マレーシアなどでの実例をひとつひとつ挙げながら、新しい環境でプロジェクト・リスクを見通すことがいかに難しいかを語ってくれました。35年の職歴を持つ彼でさえ、毎日必ず新しい発見があるのだ、と。私もアメリカでプロジェクトマネジメントに関わって、早や16年。他の社員をトレーニングする立場も度々経験し、自信もついて来たところですが、ジェフの話を聞いて再び初心に帰ることが出来たのでした。経験年数など関係ない、常に新米の気持ちで物事に取り組まなければいけないぞ、と。

さて土曜日、息子に運転の練習をさせがてら、食材を買いに日系スーパーまで行きました。夕食用の商品とは別に小遣いで買ったブドウ味のグミを、会計が済むや否や開封してレジ横で口に放り込み始める息子。幼稚園児じゃないんだから少しは我慢しろよ、と私。もちろんそんな小言は受け流し、左手にグミの袋を握ったまま駐車場を進んで運転席に乗り込み、エンジンをかける運転初心者。そしてギアをバックに入れると、グミの袋をセンターのカップホルダーに立てかけ、右手で数粒つまんで口に放り込みながら、後方確認もそこそこに左手だけでハンドル操作を始めました。

「ちょっと待った!」

私の大声で、慌ててブレーキをかける息子。

「どういうつもりだ!運転をなめるのもいい加減にしろ!」

さすがにまずいと思ったのか、両手でハンドルを握り直して素直に謝る17歳。

帰宅してこれを告げたところ、予想通り激しくキレる妻でした。

「百年早いわ!」

ひょっとすると、「新米の意識」が一番薄いのが新米なのかもしれません。


4 件のコメント:

  1. うちの娘が運転しだした頃にガッと私の白髪が増えた覚えが・・・。それにしてもジェフさんのお話はディープですね。

    返信削除
    返信
    1. そうですか。私も数え切れないほど肝を冷やしました。白髪もそのせいなのかな…。「Dランドで実際に起きた悲惨な事故エピソード」の数々は強烈で、金輪際遊園地は行かないぞ、と心に決めました。

      削除
    2. 大きな事故は起こしませんでしたが、小さいのをチョコチョコ。その挙句、家族用のポリシーからオン出され、一人分だけハイリスク運転手用の保険を買うハメに。料金、高いですよ笑。

      削除
    3. あ、その手があったのか!お知恵、頂きました。

      削除