2015年6月27日土曜日

It takes a village 子供は社会に育てられる

水曜日の朝、私がPMを務める環境系プロジェクトの定例ミーティングがありました。技術面のリーダーをしているセシリアと財務系のサポートをしているシャノンが席に着き、他のメンバーの到着を待ちました。その時、セシリアが言いにくそうにこう切り出しました。

「テリーが来るまで待ちたかったんだけど、時間が無いから今言うわね。このプロジェクトのPMを私に変えろっていう指導が上層部から来てる話、聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ。」

と答える私。シャノンもそれについては事前に聞かされていたようで、何も言わずに私の顔を見つめています。

「シンスケがPMをやってくれてるお蔭で私達、安心して仕事に打ち込めてるのよ。ずっとうまくやってきたのに、何でいきなり横槍を入れられなきゃいけないのか、理解出来ないわ。ここまで順調に舵取りをして来てくれたシンスケを、侮辱するようなことだけはしたくないの。」

確かに、契約額30ミリオンドルを超えるプロジェクトを、これといったトラブル無しに四年間も進めて来られたことは、私の密かな自慢でした。いつ問題の種が現れても即座に察知できるような仕組みを、早い段階で作り込んでおいた成果です。私にとってこのプロジェクトは、それまで蓄積してきたPM技術の集大成でした。セシリアもそのことは十分に分かっていたので、この変更が彼女の本意ではないこと、これからも変わらずサポートを続けて欲しいこと、を繰り返し説明しました。

「実はね、その動きは一か月ほど前から始まってたんだよ。」

と私。

「このプロジェクトだけじゃなく、建築部門や交通部門の巨大プロジェクトのPMリストに僕の名前が複数上がっていることは、上層部がずっと問題視してたみたいなんだな。本来責任を取るべき人間が僕の陰に隠れているような印象を受けてるんだと思う。だから、プロジェクト・コントロールの存在はやはり黒子であるべきだ、という原則論に立ち戻って、僕を一段下に下げようという動きが始まってたんだ。」

「でも私、自分がPM になっても、このプロジェクトでシンスケがやってることをそのまま出来るとは思わないわ。」

「それは大丈夫。きっちり後ろからサポートするから。」

セシリアもシャノンも、もしかしたら私が傷ついているんじゃないか、あるいは怒っているんじゃないか、と探るような目でこちらを窺っています。そんな必要など全くないのだ、ということを分かってもらうため、私はこんな話をしました。

2011年の5月にこのプロジェクトを任された時は、まるで出産直後の分娩室に駆けつけた出張帰りの父親のような気分だった。」

「とうとう産まれちゃったわ、どうしよう!って、パニック状態だったわよね。」

と、笑いながら答えるセシリア。

「この子を何とかして立派な大人にしなきゃいけない、という使命感で一杯だった。でもね、だからといって、僕だけが子育てをしてるなんて思ったことは一度もないよ。何十人というチームメンバーがこの子のために、一生懸命働いて来たじゃない。僕の肩書なんて、本当にどうでもいいことだよ。一番大事なのは、この子が健やかに成長することなんだから。」

二児の母であるセシリアとシャノンの心に、このアナロジーは響いたようでした。二人はにっこり笑って顔を見合わせ、何度も頷きながらほぼ同時につぶやきました。

“It takes a village.”

これは、

“It takes a village to raise a child.”
「子供一人育てるには村全体の協力が必要だ。」

の短縮形です。語源をちょっと調べたところ、もともとアフリカで使われていた格言らしいのですが、これは古今東西で有効な考えだと思います。要するに、子供というのは親だけでなく、社会に育てられるものだ、という話。

このプロジェクトの成功は、メンバー全員の強力なチームワークにかかっている。

熱い気持ちを確認し合った朝でした。


2015年6月23日火曜日

パラダイスでパラサイト

過去十年以上、様々な分野のプロジェクトをサポートして来て分かったことですが、一般にハードコアなエンジニア集団は、生物学系の社員たちと仲良くしない傾向があります。環境問題が持ち上がれば建設事業がストップするわけで、部門間に利害の対立があることは確か。でもそれだけじゃなくて、建設業と較べて生物学系の仕事は「成果が分かりづらい」ため、理解が得にくいという点も大きいと思うのです。私も最近になるまで、生物学系の同僚達がやっていることの凄さを理解することが出来ずにいたのです。今は言えます。彼ら無しではエンジニアリングもクソも無い、と。

さて、先週の日曜から一週間、ミシガンの義父母と一緒に家族5人でドライブ旅行を楽しみました。行程の大部分は、アッパーペニンシュラ(UP)と呼ばれるカナダに近いエリア。見どころは、森と湖と滝。普段乾燥した土地で暮らす私達一家にとって、深緑の森を突き抜ける直線道路を何時間も車で進む旅というのは、実に爽快な体験です。

最初の目的地は、「パラダイス」という街。その名前からどんなに浮かれた場所かと思いきや、人家のほとんどないのんびりした片田舎。ところがモーテルに到着した我々を出迎えたのは、蚊の大群でした。東京で暮らしていた時にも蚊はいたけど、ここで我々を出迎えたのは、何万という数の大軍団。ゾンビ集団のど真ん中に丸腰で放り出されたような格好で、圧倒的劣勢。虫除けスプレー買って来るなんていうアイディアは誰も持ち合わせていなかったので、笑っちゃうくらいの猛攻撃を食らいました。特に義母は蚊に好まれる体質のようで、腕はもちろん両まぶたが腫れ上がる、という惨たらしい有様。

13歳の息子は、モーテルの室内にあったテニスラケットのような電気蚊取り器(バグザッパーと呼ばれる道具)を発見するや否や、これを振り回して果敢に部屋を飛び出し、切った張ったを一時間近く繰り広げましたが、息も絶え絶えになって戻って来て、「ダメだ、多すぎる。」、とうなだれます。ドアを開けた途端に十数匹飛び込んで来たので、今度は私が処刑人に就任。30分ほどかけて最後の一匹を感電死させ、ようやく皆で安眠することが出来ました。

翌朝は、Tahquamenon Fall(タクアメノン滝)を見学。しかし、やはりどこもかしこも蚊の大群。記念写真を撮ろうとカメラを構えた左手の甲に蚊が舞い降りたので、反射的に顎で潰します。

「パパ、すご~い!」

と喜ぶ息子。しかしあまりにも蚊がひどいので、早々に退散。皆でギフトショップに逃げ込んだところ、店員と見られる白人のおっさんが、扉の前でバグザッパーを振り回しています。

「なんでこんなに蚊が多いの?」

と尋ねたところ、

White-Nose Syndrome (ホワイトノーズ症候群)だよ。」

と答えます。え?何それ?と聞くと、

「蚊の天敵であるコウモリが、この病気のせいで絶滅寸前なんだよ。だから蚊が大量発生したってわけさ。」

「え?コウモリ?」

彼の指さした壁に、詳しい説明が貼ってありました。

「冬の間、身体を寄せ合うようにして洞窟で冬眠するコウモリの皮膚に、寒冷地を好むある種のFungus(ファンガス)が取り付く。これがコウモリを目覚めさせ、夏の間貯め込んでいた体脂肪を急速に燃焼させる。餌の捕れない真冬に活動させられたコウモリの群れは、凍死や餓死という形でほぼ全滅してしまう。感染したコウモリの鼻が白いため、これをホワイトノーズ症候群と呼ぶ。夏になり、天敵のいない蚊やその他の害虫が一斉に繁殖。農作物を荒らすなどの被害を人間にもたらしている。数年前ニューヨークで発生が確認された後、年々西へと広がっている。昨年ミシガンとウィスコンシンで、初の被害が確認された。」

Fungus(ファンガス)というのは菌類のことで、キノコ、カビ、酵母の総称です。細菌と違うのは、「外部の有機物を利用する」点。つまり、他の生き物から栄養を採って生きる、寄生生物(パラサイト)なのです。ごくごく微小なパラサイトがコウモリにとりついて全滅させ、これが蚊の異常発生を促していたのです。

全米の国立公園は対応に追われていますが、今のところ抜本的解決策は無いようです。とりあえずの対策は、

「観光客が菌を運ばないよう、まだ感染の確認されていないコウモリの住む洞窟を立ち入り禁止にする」

というもの。

キノコごときに生態系をかき乱され、右往左往する人間たち。滑稽なまでに無力です。地元のニュースでは、こんなことを言っていました。

「食品業界は、農作物を害虫被害から守るために大量の殺虫剤を散布しなければならず、これに数ビリオンドルのコストがかかるだろう。全米の生物学者たちが、解決策を模索中。」

実は数週間前、昆虫学専門の同僚エリックと、「アルゼンチンアリの駆除方法」についてひとしきり話し合ったことがありました。

アルゼンチンアリというのは行動スピードが速く獰猛で、他の種を攻撃し次々に絶滅させ、アリ界の世界地図を日々塗り替え続けています。生態系に及ぼしている影響は甚大で、カリフォルニアの砂漠に住むサバクツノトカゲも、絶滅の危機に瀕しているというのです。

「効果的な駆除方法は存在しないって話を聞いたんだけど、本当に何も無いの?」

と尋ねる私。

「いや、とっておきのがあるよ。」

と微笑むエリック。

Parasitic Fungus(他の生物に寄生する菌類)を使う方法が残ってるんだ。ある種の菌類は特定の生物に寄生し、自己の繁殖を助ける行動を取らせ、最終的には母体を死に追いやるんだよ。」

彼が送ってくれたYouTubeビデオのリンクを見て、背筋が寒くなりました。あるアリに寄生したキノコが、種子をばらまきやすくするために母体の脳に働きかけて木の枝を上へ上へと登らせる。最後は硬直したアリの頭を突き破ってニョキニョキと自分の身体を成長させて行くのです。キノコの分際で、他の個体の身体はもとより頭脳も乗っ取ることが出来るということが、驚愕でした。


「この方法を使えば、殺虫剤を使わずして生物の異常発生を食い止めることが出来ると思うんだ。大事なのは、どの生物のどの成長期にどんな菌類を寄生させるべきかを知ることだね。」

パラサイトを逆手にとって生態系のバランスを回復する、というアイディア。

生物学者の存在を、とても頼もしく思ったのでした。


2015年6月11日木曜日

ホットな男

12月に三支社を統合し、「オープンオフィス」なるコンセプトの新オフィスに移った際、上層部は
「仕切りを撤廃することにより、コミュニケーションの機会が増える」
という売り口上を高らかに謳いあげていました。

ところが蓋を開けてみると、誰もが四六時中コンピュータに向かって仕事に没頭しているので、意外にも会話が無い。私も隣のべスにおはようを言ったきり、夕方バイバイするまで一切話をしないことがあります。これはさすがにいかんだろうと思い、時々同僚に話しかけてみるようにしました。大抵は皆、夢から覚まされたようにこちらを向き、会話が終わるとまた無言で仕事に集中する。企業なんだから効率重視は当然なんだけど、なんだか味気無いよなあ、昔はもっと大らかだったのに、と溜息が出ます。

先日、総務のヴィッキーが受付カウンターに座っていたので、話しかけてみました。彼女は荷物や手紙の受け取りもするのですが、ちょっと前にUPS (United Parcel Service) の配達員と話してたことを思い出し、

「あのさ、UPSの男たちって一年中半ズボン履いてるでしょ。あれ、何でなのかな?」

この途方も無くどうでもいい質問に、彼女は大笑い。通りかかったディックを呼び止めました。

「ちょっと聞いてよ。シンスケが面白い質問して来るの。」

「シンスケはいつも面白い質問をするよ。」

とディック。

「そうねえ、ホットだから (because they’re hot) じゃない?」

と適当に答えるヴィッキーに、

「それはtemperature hot?それともsexy hot?

と聞き返す私。つまり暑いかカッコいいか、という話ですね。

「温度の方よ。常に大急ぎで荷物を運んでるから、体温が上がるのよね。」

あとで同僚リチャードから聞いたところによると、彼の友達にUPSの配達員がいて、効率が何よりの成績評価になるのだそうです。一秒でも配達時間を短縮するため、配達コースの設定やサインの受け取り方法などに、無駄を排除するありとあらゆる工夫がなされているのだと。だから、アスリートのように心拍数上がりっぱなしで、長ズボンなんか履いていられない、というのです。

「でもね、中に一人、自分のことを本当にホットだと思っている面倒くさい配達員がいるの。」

とヴィッキー。

「半ズボン姿がセクシーだと思い込んでるのよ。」

「え?半ズボンが?」

「配達中にお客さんの女性から、うちのプールに入って行かない?って誘われたりとか、合鍵渡されそうになったこととかあるんだって。一緒に楽しい午後を過ごさない?ってね。」

なんと!そんな妄想漫画みたいな話、実際にあるんだなあ。

「ここに荷物運び込むたびにそんな話していくのよ。本当にやめて欲しいのよね。」

この時彼女が使った表現が、これ。

“He’s full of himself.”

文字通り解釈すれば、「彼は自分のことで頭が一杯」ですが、要するにこういう意味ですね。

“He’s full of himself.”
「ものすごい自惚れ屋さんなのよ。」

「興味湧くなあ。どんなにセクシーなのか、ちょっと見てみたいなあ。」

正直、半ズボンの男などには全く興味が無いのですが、一応ノリでふざける私。

「今度来たらすぐに知らせるわね。」

とウィンクするヴィッキー。

席に戻って30分ほど過ぎた時、ヴィッキーからメールが入りました。

「シンスケ、荷物が届いてるわよ。」

お、さっそく暗号使って来たな。込み入った仕事の真っ最中なんだけど、ああいう会話をしちゃった手前、ここは調子合わせておかなきゃいかんだろうな、と駆けつけました。

「で、ヴィッキー、どこなの?」

声を落としてキョロキョロする私の顔をまじまじと見た彼女が、

「ここよ。」

と荷物を指さします。

「いや、そうじゃなくて、半ズボンの配達員は?」

きょとんとした表情になったヴィッキーが、アッハッハと笑います。

「すっかり忘れてた。でも、今日の配達員は私の話してた人じゃなかったの。ごめんなさいね。今度来たらちゃんと合図出すからね。」

う~む。今の自分、滅茶苦茶カッコ悪い。


2015年6月5日金曜日

Between you, me, and the lamp post ここだけの話

私がPMを務める建築部門のプロジェクトが、ヤバいことになっています。クライアントは連邦政府。プロジェクト開始時、元請けの建設会社が設計の基礎条件となる最新の水供給モデルを要求したのに、政府がなかなかこれを出して来ない。このままでは締切に間に合わなくなる、ということで、既存のモデルを基に仕事をスタート。元請けの要請を受け、我々コンサルティング・チームも走り始めます。で、設計が全て終了してから、

「おいおい、これじゃ消火設備が基準を満たしていないぞ。」

と、政府からお叱りを受けたのです。設計終盤になって受け取った水供給モデルを調べたところ、かなりの変更含みで更新されていたというのです。

「そもそも最初に基礎資料を出してくれなかったあんたらが悪い。」

「いや、見切り発車したオタクらが悪い。」

という醜い争いが、複数の弁護士事務所を交えて展開中。

そんなゴタゴタを、現場を担当しているベテランのボビーから電話で聞きました。私は財務面だけ管理していればいいんだけど、前線に立っている彼は、とことんうんざりした様子。

ボビーが続けます。

「訴訟に発展する可能性が高いからさ、メールも含めて、プロジェクト関連の文書は漏れなく弁護士の目を通さなきゃいけないんだ。」

「うわぁ、ひどいね。どうしてそこまで話がこじれちゃったのかな?」

ボビーが声を潜めるようにして、こう言いました。

“This is between you, me, and the lamp post.”
「俺と君と、それからランプポスト(街路灯)の間の話にして欲しいんだけど。」

それから彼は、専門用語を交えて細かく経緯を話し始めたのですが、これが全然頭に入って来ません。彼と私と街路灯が「三人で」深刻に話し合っている映像が浮かんでしまい、笑いをこらえるのに精一杯だったのです。これ、ボビーのジョークなのか?だとしたら彼もこっちの笑いを期待してたんだろうけど、話題がシリアスだし、声のトーンも変わってないから、笑って良いものかどうか判断がつかない…。

電話を切った後、同僚のべス、リチャード、それとディックに解説をお願いしました。

This is between you and me (ここだけの話だけど)というフレーズなら知ってるけど、いきなり街路灯が割り込んで来たもんだから、どう解釈すればいいのか分かんなくてさ。」

三人とも笑いながら、こう答えます。

「他言無用というポイントを強調するために、誰にも秘密を洩らしっこない街路灯を仲間に加えた言い回しなんだよ。」

「それ、ユーモラスな表現なの?」

「もちろんだよ。」

「じゃ、笑うとこだったんだ。」

「うん、笑うポイントだね。」


そんなわけで、ボビーのジョークをスルーしてしまったことを、遅ればせながら知ったのでした。