2022年8月20日土曜日

Midnight Express 深夜特急 その3


午後8時過ぎ、息子から短いテキストが入ります。乗り継ぎ地点のメキシコシティで無事搭乗ゲートに辿り着いた、という報せ。ここまで来ればもうあと一息です。夜11時、息子の分も含めて三冊のパスポートを手に、妻とともに愛車Rav4でサンディエゴの自宅を出発。交通量が少なく薄暗いハイウェイを南へ飛ばすこと三十分、国境が近づいて来ました。検問エリアの背景には、今にもティファナの市街地を呑み込みアメリカ側に押し寄せようとしている超巨大津波のような黒い丘陵が、東西に拡がっています。その北向き斜面を埋め尽くす何十万もの建物から眩く発する無数の灯りは、まるで昼夜を分かたず活動を続けるメキシカン達の圧倒的エネルギー量を世界に伝えようと試みる電光掲示板のよう。

私にとって、この日が人生初のメキシコ入りです。麻薬カルテルの抗争や一般旅行者の誘拐殺人事件などが度々ニュースで報じられているので、いよいよ国境超えという段になるとさすがに心拍数が上がります。ところが制服姿の係官達は、こちらに一瞥を加えることもなく立ち話に興じていて、拍子抜けするほどあっさりと進入出来たのでした。そしていきなり、数十年前にタイムスリップしたかのような感覚に襲われます。青白い街路灯に照らされた廃墟のようなビル、陥没が補修されぬままの舗装、深夜にもかかわらず目の眩むような照明の下で人だかりを作る屋台…。

スマホのナビゲーションアプリを頼りに、助手席の妻が空港への道案内を務めます。十分も経たぬうちにティファナ国際空港が近づいて来たのですが、敷地内へ続く細い導入路は家族を迎えに来たと推察される何百台もの自家用車が二列縦帯で塞いでしまっていて、何度も進入を諦め周回を余儀なくされました。意を決し、スピードを落として隙間を慎重に通り抜けることで、ようやくパーキングに辿り着いたのでした。四半世紀以上前にタイやフィリピンを訪れて以来、長らく経験していなかったハイレベルのカオス。脳がにわかには対応出来ず、軽い疲労を感じます。

「タクシー?タクシー?」

と客を呼び込む声がひっきりなしに聞こえる到着ゲートは、まるで真昼のような往来。幼い子供を含む家族連れが、忙しく行き来しています。もうすぐ午前一時だってのに、一体どうなってんだ?と妻と顔を見合わせる私。

「あ、着いたみたいよ。」

とスマホで息子の位置情報を確認する妻。Llegada(到着)という大看板の下で自動ドアが開き、スーツケースを引くTシャツ、マスク姿の彼が現れたのは、それから数十分後でした。顔を歪めながら、180センチ超えの青年の首に腕を巻きつけて抱き寄せる妻。私はといえば、さあこれからいよいよ最終関門だ、と緊張の高まりを感じていたのでした。アメリカに再入国する際にどんなことが起こるのか、全く予想がつかなかったのです。出来たてホヤホヤの米国パスポートを息子に手渡してゲートで見せるよう指示し、ナビゲーションに従って国境を目指します。

ところが、アプリの示す経路はまるで裏道ガイド。一般住宅街の細い凸凹道を進み、右折左折を繰り返した末、国境ゲートへ続く道路にようやく突き当たったのでした。ところがこの本道、既に何時間も渋滞していたと見え、数珠つなぎになった乗用車の列は僅か数センチの車間距離を保ちつつ、ジリジリと前へ進んでいるのです。脇道から合流を試みる我々の車は隊列に行く手を阻まれ、まるで開かずの踏切で立ち往生したような状態。加速発進と意地の悪い幅寄せを繰り返され、三十分以上も合流出来ずにいたのですが、腹を決め、あと一センチでサイドミラーがぶつかる、という極限まで根比べを続けた末、ようやく道を譲る車が一台現れたのでした。

「なんなんだこの民度の低さは!もう二度とメキシコには来ないぞ。」

と首を振る私に、後部座席から、

「僕も。」

と笑いながら同調する息子。

それから二時間、まるで虫の這うようなペースでじわじわと国境目指して進みます。途中、車道上でタコスやブリトーを売る屋台が現れます。早朝勤務のため深夜にアメリカへ向かう労働者達の腹ごしらえ需要に応えてのビジネスなのでしょうが、法律とか規制とか、そういう常識的な考えが頭から吹っ飛ぶような光景でした。

「メキシコで入手し、アメリカに持ち込もうとしているモノはありますか?」

国境検問所のブース。白人男性の係官が我々三人の顔を見ながらパスポートを確認した後、そう尋ねて来ました。「うちの息子を…。」と反応したらちょっと面白い場面でしたが、もちろん真面目な顔で「ありません。」と答えます。すっとバーが上がり、私の右足が静かにアクセルを踏みます。こうして午前三時過ぎ、ようやくアメリカ再入国を果たしたのでした。

帰宅してからも三日ほどは、「まだ頭が高速回転を続けてる」とPTSD状態だった息子ですが、その後ゆっくりと時間をかけて今回の顛末を聞くことになりました。

何故彼の入国記録がメキシコ側のデータベースに無かったかは、結局分からないということ。日本大使館の助けは有り難かったが、ただ救援を待ちながら何日もあの状態を続ける気にはなれなかったこと。コヨーテと国境の係官達が裏で繋がっていることはすぐに悟ったこと。がっつり賄賂を払ってメキシコへ再入国する選択肢は避けたかったが、彼らの持つ情報は欲しかった。一人だけ英語が喋れる三十代くらいのコヨーテがいて、この男(マノーロ)と近づく決意をした。タクシーで市街地へ連れて行かれ、まずはATMでキャッシュを引き出すよう言われたが、引き出し限度額に引っかかって下ろせなかったことは、今思えばラッキーだった。手持ちのメキシコ・ペソで彼にランチとビールを振る舞い、タパチュラのホテルに戻れば現金で米ドルがあることをほのめかした。高校を卒業してから今の仕事で身を立てていること、子供が三人いることなど身の上話を聞いて心を開かせる一方、滞在先のホテル名や今回の渡航の目的、サンディエゴの実家のことなど、こちらの素性が分かるような情報は一切明かさなかった。この間マノーロから、国境に関する様々な話を聞き出した。中でも、検問所のスタッフが翌日午後一時に全員交替するという情報は、その後の作戦の決め手となった。コヨーテとしての有料サービスを正式には受けず、食事や酒をおごる見返りに情報を頂く、という微妙な綱渡りを試みる数時間だった。

「キレられて乱暴される可能性は考えなかったの?」

と尋ねると、

「旅行者がコヨーテから危険な目に遭わされたという噂が拡がれば、彼らのビジネスが成り立たなくなるでしょ。百パーセント確信は無いけど、まず大丈夫だろうと思ったんだ。」

と息子。なるほど、冷静だな。

結局は親友ニコラの助力でメキシコに再入国することが出来たのだから、マノーロに金を払う正当な理由は無い。食事をおごって話を聞いておしまい、という関係で終わらせたかった。しかし火曜の午後国境に行くと、彼がそこで待ち構えていた。二国間を自由に行き来出来る通行証を持つマノーロは、メキシコ側まで息子について来るのでした。ホテルに戻ればアメリカドルがあると言ってあったため、何かしら理由をつけて金を要求して来る可能性が高い。このままホテルまで一緒に来られたら、まずいことになる…。

「さあ、再入国を祝って乾杯しようぜ。」

とマノーロがバーに誘うので、咄嗟に、

「現金が下ろせないかもう一度試してみるよ。ATMはどこかな。」

と言うと、あっちだと指差し、ビールを注文するマノーロ。その直後、彼は知り合いを見つけたようで、立ち話を始めたのだと。息子は指示された方向へゆっくりと歩きながらマノーロの視線をチェックし、こちらが見えていないと確信したところで、いきなり全力ダッシュ。建物と建物の間を駆け抜け、公道で客待ちをしていたタクシーに飛び乗り、「ホリデーインへ!」と隠し持っていた現金を運転手に手渡します。

「暫くしてマノーロからテキストや電話がじゃんじゃん届き始めて、どこにいるんだ?って聞いて来るんだよ。心臓バクバクしながら、ずっと無視し続けた。ホテルに着いた後、日本政府の保護下にあるって返信したら、それきり黙ったよ。」

妻と二人でアプリで彼の居場所を追っていた際、息子のアイコンが突然スピード上げて緑道を移動し始めたのは、マノーロから逃げていたからだったのですね。

「あのさ、様子を聞こうとこっちから何度も電話した時、全然答えなかったでしょ。あれはどういうわけ?」

「携帯の電池を温存するため、余計な機能はオフにしてたし、通話も止めてたんだよ。」

「コヨーテと接触していることを、どうして言わなかったの?」

「だって、言ったらきっとパニクってたでしょ。」

確かに、細かな背景抜きでそれだけ聞かされていたら、とても穏やかではいられなかったでしょう。

メキシコ再入国前夜、彼は安モーテルの椅子に座って目をつむり、想定されるありとあらゆる事態を検証し、作戦を立てたのだそうです。まるでチェスプレーヤーが、何百通りもある指し手を頭の中で分析するように。まずは安全。この部屋に不審者が侵入を試みたらすぐに分かるよう、ドアに簡易トラップを仕掛けた。次に体力。緊張で食事も喉を通らない状態だったが、何とか食べ物を押し込んだ。水分補給も切らさなかった。

頭を高速回転させてケース・スタディを繰り返したおかげで、極限状態を冷静に乗り切れたよ、と胸を張る息子。ほぼ自力でピンチを切り抜けたことで、大きな自信がついた様子です。

「あのさ、そもそもアメリカのパスポートを失効させてなかったらこんな事態にはならなかったんじゃないの?」

と冷静にたしなめる妻に対し、

「確かに。」

と、そこは素直にミスを認める息子でした。