2019年4月20日土曜日

Bang for the buck 費用対効果

17歳の息子が受験した大学のうち、8校から合格通知が届きました。五月一日の締め切りまでに進学先を絞り込んで手付金を払わないといけないのですが、どこに決めるかがなかなかの難題です。理由のひとつは、各大学がどんなところなのか、本人ですらよく分かっていないという事実。アメリカの「大学受験」はインターネット上の手続きに過ぎず、息子が実際キャンパスに足を踏み入れたことのある学校はたかだか二校です。日本だったら現地まで足を運んで大教室で試験を受けるのが一般的ですが、アメリカの大学にはその「入試」自体がありません(ほぼ書類審査のみ)。広い国土に点在する「自分に合いそうな大学」をネットで調べて願書を出したのはいいが、いざ受かってみると、四年間も暮らす場所だというのに何も知らないということにあらためて気付くのですね。ハラを決める前にちゃんと見ておこうということで、今月初旬から親子で大学見学ツアーをスタートしました。

当局側も心得たもので、この時期に合格者対象の特別イベントをセットしている大学がほとんど。熱のこもった説明会や豪勢な食事会、「イケてる」在校生一団によるパネル・ディスカッション、人気クラス体験受講などの手練手管で、合格者達の気持ちに最後の揺さぶりをかける戦略です。ほとんどは複数校に合格している状態でイベントに参加するので、学校側としてもこの追い込み時期にどれだけ魅力をアピール出来るかが勝負なのですね。

カレッジツアーの皮切りは、コロラドスプリングス。標高6千フィートの山あいにある私立のリベラルアーツ・カレッジC大へ。ここは「ブロック・プラン」と呼ばれるユニークなカリキュラムが特徴で、一年間を8つのブロックに分け、学生は一ブロック(三週間半)に一科目のみ履修します。終わったら試験を受け、数日間休んで次のブロックへ。この方法なら各分野をより深く掘り下げられるし、定期試験の準備勉強で大抵の学生が悩む「優先順位問題」が解消されるのですね。

二週目は、ミシガン州にある創立150年のクリスチャン系私立大H大。最寄りのスタバまで26マイル(フルマラソンの距離)という人家もまばらな牧草地帯に、荘厳なレンガ造りの校舎が立ち並んでいます。一学年370名前後、教授一名につき学生十名という贅沢な環境。北極の近さを思わせる冷たい強風にさらされながらのキャンパスツアー中、ずっと「ここでの四年間はきっと修行僧のような生活だろうな」と想像していました。しかしながら、息子が学問に集中するための環境としては申し分なし、ということで夫婦の意見は一致。歓迎昼食会では参加者全員が食前に両手を胸の前で組み、目を伏せて神に祈りを捧げます。非クリスチャンの私は何とも居心地が悪く、薄目を開けてこっそり周りを窺っていました。我々以外、全員白人。うちの息子が寛容な額の補助金を提示されているのは、珍しいアジア人ということもあってなんだろうな、と一人で納得していました。

H大ツアーの翌日はデトロイトからフィラデルフィアへ飛び、これまた空港から2時間ほど離れた片田舎にある私立大のB大へ。ここはC大やH大の倍くらいの規模で、今回息子が合格した学校の中で唯一、男子の水球チームがあります。大学自体も全米人気ランキングで一番上。しかしながら、学費の高さもトップです。前日のH大と較べてあまりにも規模が大きいため、妻と私は「人酔い」してしまいましたが、息子は「Animal Behaviorのクラスに参加したよ。めちゃめちゃ面白かった。」と気に入った様子。「実際にサルをニ十匹以上飼育してるんだって。いいなあ。」

第三週は、アリゾナにある州立大へ。ここにはHonors Collegeという成績優秀者だけを集めて手厚い教育環境を用意した学校があり、寮も食事もエリート専用、という豪華さ。カフェテリアはビュッフェ形式の食べ放題(ジェラート・コーナーまである)。敷地内には椰子の木に囲まれたリゾート風プールがあり、37度を超える青天の下、ビキニのスレンダーな女子学生たちが何人もビーチチェアに寝そべっていました。ツアーの中盤には白髪のでっぷり太った学長が現れ、落ち着いたトーンでこの学校の良さを語ります。優秀な若者たちに惜しみなく成長の機会を与える一方、上手にリラックスする方法も学ばせる。この十年間、全米のトップスクールと肩を並べる勢いで有能な卒業生を世に送り出しているのは、そのお蔭だと。

候補を絞り込むために決行したこのカレッジツアー、こうして8校中4校を見学してみて親子三人で気づいたのですが、知れば知る程迷いが深くなるのです。その最大の要因は、学費でしょう。今回訪問した4校の年間費用には、日本円にして三百万ほどの開きがあります。そして、息子が行きたい順と学費ランキングは概ね比例しているのですね、残念なことに。

アメリカの大学は、入学者の一人一人にそれぞれ異なる代金を提示します。同じ大学の同じ学部に受かった友達が年間一万ドルなのに対し、自分は五万ドルを要求された、なんてことが普通に起こります。大学側は、受験生やその両親の収入、家庭の資産額、本人の優秀さや特定スポーツ種目での将来性など、色々加味した上で個別に代金を弾き出すのです。お互い値踏みして折り合ったところでカップル誕生、というのは資本主義の理念に適っていますが、そのことが学生側の意思決定を難しくしているのは確かでしょう。

C大を訪問した際、ファイナンシャルエイド・オフィスとアポを取り、「もうちょっとまかりまへんか?」と息子と二人で直談判してみました。三十分の話合いの結果、初年度の費用を数千ドルだけディスカウントしてもらえたのですが、残りの三年間については何の保証もないとのこと。その際、大学生の娘が二人いるという担当者も同情してくれました。

「子供の学費を稼ごうと共働きしたら、増えた収入のほとんどを大学に持って行かれちゃうなんてひどい話よね。私も同じ立場だからよく分かるの。でもうちの大学の場合、決められた計算式を一律に当てはめてるだけだから、あまり融通が利かないのよ。」

そしてこう続けます。

“You may just want to simply go for a bigger bang for your buck.”
「シンプルに、バックに対してより大きいバンに決めるのがいいのかもね。」

このBang for the Buck(バックに対するバン)は、非常に良く聞くフレーズ。Buck というのはお金、Bangは爆発ですが、この場合「効果」と言い換えた方が意味が通るでしょう。語源については「軍隊でどの武器により多く投資するかを議論する際に使われた」など諸説あるようですが、要するに「費用対効果」のことですね。

“You may just want to simply go for a bigger bang for your buck.”
「シンプルに費用対効果の大きい大学に決めるのがいいのかもね。」

そうだね、と一旦納得して立ち去ったのですが、よくよく考えてみると、この件はそう簡単に片付く話じゃない。「費用対効果」の「費用」は分かるけど、「効果」はあくまで将来予測なわけです。どの学校でどんな教育を受けたら大成功だったなんて、数十年後に振り返ってみて初めて分かること。それに、そもそも何を「効果が大きい」と捉えるかだって本人の感じ方次第でしょう。万人が見て文句なしに「費用対効果のでかい大学」なんて、あるわけがない。

今のところ最安値を提示されているミシガンのH大ですが、「あそこに行けば立派な人間に生まれ変われると思う」と言いながらも、四年間の修行生活を想像して早くも苦悶する息子。にもかかわらずこの大学への期待が高いのは、数週間前にある男性と交わした会話がひっかかっているからでしょう。

今月第一週の日曜日、近くのレストランSeasons 52のテラスで、H大主催の「サンディエゴ地域合格者祝賀パーティー」があったのです。立食形式で、グラスを手に周りの人とフリーに語り合う、というスタイル。「フィラデルフィアからたまたま遊びに来ていた」という32歳の卒業生デュークも参加していて、うちの息子に猛烈なプッシュをかけて来ました。彼はH大卒業後、別大学の医学部(Medical School)に進み、今では一日十件ほど手術をこなす外科医だと言うのです。

「医者になれよ。毎日滅茶苦茶楽しいぜ。」

手術の種類ごとにBGMを変え、リズムに乗りながら踊るように施術しているとのこと。

「今じゃうちの看護師は全員、どの曲かけるべきか憶えてくれてるんだ。」

レッド・ツェッペリンなどのヘビーなナンバーが合う手術、クラシックなピアノがぴったりの手術など、それぞれリズムが違うのだと。

H大の良いところは、学費も生活費もとにかく安いってことだよ。金を使う機会が無いからな。辺鄙過ぎて遊びに出かける場所も無い。学食でビッグサイズのサンドイッチに6ドル払うくらいが贅沢の限界だ。金を使わず四年間がっつり勉強して、セーブした分を投資して医学部行けば、すぐに元が取れるよ。」

そして少し声を落とし、

「俺、この歳で年収75万ドル(約8千4百万円)だぜ。中小企業のCEOだってなかなかそんなに稼げないだろ。おまけに俺の住んでるところは税率がとんでもなく低い。でっかい家も簡単に買えたよ。それにさ、これはあまり知られてないことだけど、有給休暇が年間14週間もあるんだぜ。海外旅行し放題だ。」

そうそう、とスマホを取り出し、

「こないだオーストラリアでカイト・サーフィンやってみたんだ。最高だったぜ。」

と波乗り写真を探し始めます。そしてその途上、目のクリクリした金髪巻き毛の幼い少女の写真が出て来て、

「あ、これうちの娘。かわいいだろ。」

と暫し笑顔で見入ります。その時、他のグループと話をしていたハリウッド女優のようにゴージャスな金髪女性が振り返り、我々に合流します。これがデュークの奥さんだとのこと。

H大のキャンパスで知り合って、一学年下の子だったんだけど、そのまま付き合い始めたんだ。彼女は会計学専攻で、今やその道で大成功してる。」

美人の奥さんと愛くるしい娘、度肝を抜くような高収入と旅行三昧の生活。そんな男、現実に存在するのか…。二人の馴れ初めを尋ねたところ、

「デートする場所が無いから、ボロ車の助手席に彼女を乗せて、雪の積もった駐車場をぐるぐる回ってたんだ(これを「ドーナツする」と呼ぶそうです)。そしたらコントロールが効かなくなって、民家の敷地に飛び込んじゃってさあ。もう少しで家の壁に激突するところだった。」

「あれはほんと、ハラハラしたわよねえ!」

大笑いしつつ手に持ったワイングラスを持ち上げ、軽くぶつけて音を立てる二人。

「当時はスマホが無かったから、私のデジカメでツーショットのセルフィ撮ろうとしたら、カメラを落としちゃったこともあったわよね。」

と奥さん。

「サッカーの心得があった俺は、ここぞとばかりに足を伸ばしてふわっと受け止めようとしたんだ。そしたら完全にタイミングを間違えて、思いっきり蹴り飛ばしちゃったんだよ。デジカメはだいぶ遠くに落ちて、粉々に砕けちまった。」

「でも次のデートで車に乗ったら、後部座席に新しいデジカメの入った箱が置いてあったの。その上になんと、バラが一輪添えられてたのよ!私、すっかり感激しちゃって。」

そして奥さんが私に顔を近づけ、

「バラ一輪で、女のハートを鷲掴みよ!」

夫婦は再び見つめ合ってワイングラスを重ね、チーンと音を立てます。

「後で箱を開けたらデジカメは新品じゃなくてRefurbished(整備済み製品)だったけど、バラで帳消し。」

再び爆笑してグラスをチーン。デュークがここで、

「それもこれも、オヤジのクレジットカードで払ったもんだしな。」

とおどけます。ゲラゲラゲラ、再びグラスをチーン。

費用対効果という観点で言えば、デュークは明らかな成功例でしょう。数年間の修行の末に、貴族のような生活を手に入れたのですから。問題は、これがごくごく特殊なケースであることにどうやらうちの息子は気づいていない、ということ。

昨日の晩の食卓で、

「やっぱりH大に決めて、その後医学部に行こうかな。」

と遠くを見る息子に、

「何言ってんの?医学部にいくらかかるか知ってんの?」

と間髪いれず冷や水を浴びせる妻でした。