2017年5月28日日曜日

Never in a million years! 有り得ないわね!

金曜の朝。会社へ向かう車の中で、副社長パットのことがふと頭に浮かんで来ました。「どうしてるかな?連絡取ってみようかな。でも、ついこないだ話したばかりだし…。」交差点の信号が青に変わったので、そのまま考えるのを止めてしまった私。仕事を開始して時計が9時を回った頃、そのパットからテキストメッセージが入ります。

「今日話せる?」

今に始まったことではなく、この人から連絡が来る時は大抵、その前に何らかの予感みたいなものが走ります。

「今朝ちょうど、どうしてるかなって思ってたところなんだよ!」

「あら、どうして電話くれなかったの?」

インターバルが短か過ぎるかなと気が引けたのだとしたら、そういう遠慮は一切無用よ、とパット。簡単な情報交換の後、彼女が本題に入ります。

「PM達が必要な情報をさっと取り出せるようアシストしたいの。そういう基本的なレポートを作ってウェブサイトに蓄積する作業の手伝いをお願い出来ないかな、と思ったのよ。」

「ちょうど僕も、そういうことをやらなきゃなって考えてたところなんだよ!」

二つ返事で引き受ける私。

それから、ロスのR氏と彼女が最近交わしたやり取りの話題になります。本社の方針に従おうという気が、彼には毛頭無い。自分の縄張りは自分の好きなように仕切らせてもらうぜ、という姿勢が見え見えだ、というのです。北米全体で歩調を合わせているというのに、南カリフォルニア地域だけが独自のやり方で仕事を進めている。

「でもさ、いずれは彼も譲歩せざるを得ないんじゃないのかな?仮にも本社が指示してることなんだから。」

あまり深く考えず答えたところ、彼女が大きなため息をつきます。

“Never in a million years!”
「百万年に一度の確率も無いわね!」

思わず吹き出す私。これは、「絶対起こらない、不可能だ」と言いたい時に使う表現です。共に働く期間なんてせいぜい十年足らず。そこへ「百万年」という極度に誇張された母数サイズをぶち込んで来たところがツボに入ってしまい、暫く笑い続ける私でした。

電話を切った後、彼女との間で頻繁に起こるシンクロ現象についてひとしきり考えました。人知の及ばない超自然的な力がこういう奇跡的な偶然を起こしているんじゃないか、とその度に興奮して来た私。ところがここ最近、確率・統計の本を読み漁っているせいで、そんなのちっとも奇跡なんかじゃないのだという説得に負けそうになっています。確率を語る時、我々は母数の見積もりを誤る傾向があり、「この広い宇宙でこんなことが起こるなんてまさに奇跡だよね。」と過剰に感動してしまうのだそうです。

一年半前に家探しをしていた際、妻の誕生日が含まれた番地の物件に行き当たり、「これって運命かも!」とはしゃいだ二人。結局今、その家に住んでいるのですが、最近になって妻がこんなことを言いました。

「実はこの番地、あちこちで結構見つかるのよ。よくある番号みたい。」

まるで、頼んでもいないのにマジックの種明かしをされたみたいな気分の私。

「データを正しく見るための数学的思考」という本には、こうした興醒めなお話が数々紹介されています。「全国では五つの和を当てるロトくじは何百とあり、何年も前からある。それをすべて考慮すれば、三日のあいだに二つの当選番号が同じになるという偶然は、まったく驚くようなことではない。」

数年前の一時帰国最終日、これから旅行に行くんだという旧友と都心でランチを共にし、また何年後かに会えるといいね、とお別れを言った十数時間後、ロサンゼルス空港を出たところでバッタリ再会。「もしかしたら二人はここでもう一度会う必然があるんじゃないか」と、不思議なドラマの始まりに胸を躍らせることもなく、苦笑いですれ違う中年オヤジ二人。

数学的思考を訓練していくと、きっとこうしたいわゆる「偶然の出来事」にクールな対応をするようになるのだと思います。数週間前にモンテカルロ法を教授してくれたリスクマネジメント・エキスパートのフィルが常に冷静沈着で無表情なのも、きっと数学者の視点で世界を眺めているからなんだな、と合点がいきました。彼のような男はきっと結婚に際しても、婚約者に「僕たち、運命の赤い糸で結ばれていたんだね」みたいな甘いセリフを吐くことは決して無いでしょう。

よくよく考えてみると、我々の日常会話の何割かは「奇跡的偶然」ネタです。15歳の息子も昨日、「三日前に夢で見たことがネットで話題になってた」と高揚して語っていました。こういう話題をいちいち「有意性の検定をしてみれば分かることだけど、それは奇跡でも何でもなくてね…。」などと冷静にあしらっていたら、かなりの確率で友達を失うことでしょう。気をつけなくちゃな、と数学的思考に対する警戒心を強める私でした。

さて、その日の昼休み。ランチルームで弁当を広げていたら、生物学者の同僚サラが隣に座ります。庭造りの話題から、我が家の家探しにまつわる「偶然」の話になりました。すると彼女が、こんなエピソードを披露してくれました。

結婚前、ひとり車でオープンハウスを巡って家探しをしていた彼女。飛びきりの物件が見つかったある晩、婚約者に見せようと息を弾ませ、コンピュータでグーグルマップのストリートビューを開きます。写真を拡大して行くうち、お目当ての物件の前に路上駐車しているのが自分の車であることに気付いて慄然としました。ということは、ちょうど彼女が住宅内部を見学している数分の間にグーグルマップの撮影車が通過し、更にそれから数時間のうちにストリートビューの写真が更新されたことになる…。

「彼と今住んでるのが、その家なの。」

ニッコリ笑うサラ。おお~っ!と思わずのけぞって純粋に驚嘆する私。

数学的思考を身に着けるには、まだまだ時間がかかりそうです。


2017年5月20日土曜日

Out of the frying pan into the fire ピンチを抜けたら大惨事

最近は家族で、TVドラマ “Better Call Saul”にハマっています。全米大ヒットドラマ Breaking Bad(ブレイキング・バッド)のスピンオフで、前作で脇役だった男が主役を張るというユニークな試み。しかしこれが、予想を遥かに裏切る面白さなのです。前作同様粒立ったキャラ設定、突飛ではあるものの不思議にリアルな筋立てで、ぐいぐい引き込まれます。この二作のどんなところが面白いと思うのかを息子に聞いてみたところ、

「嘘つくところ!」

という可愛いらしい返事が来ました。確かによく考えてみると、「ピンチを切り抜けようとついた嘘が更なるピンチを招き、嘘の上塗りを重ねて行く」パターンが多く、どんどん手が付けられなくなっていくトラブルの連鎖にハラハラさせられるのですね。二台目の携帯電話の存在が妻にバレてしまった、みたいな窮地に陥る度、「よくもまあそこまで巧妙な嘘を考えついたな!」と喝采を送りたくなるほど鮮やかな挽回をやってのける。しかしその嘘が更なるピンチを引き起こす。以下、その繰り返し。で、最終シーズンじゃ全てがバレて、てんやわんやの大騒ぎ。

さて火曜の午後は、同僚ディックとのミーティングがありました。盲腸破裂による長期休暇から復帰した時はまるで二十代の若者みたいに溌剌としていたのですが、どうも最近は多忙を極めているようで、エネルギー量の低下が傍目にも明らか。この打合せ自体、前週に予定していたものを彼が直前になって無理だと言い出し、延期したのです。本題に入る前に、近況を尋ねてみました。

「プロポーザルの締め切りが昨日の朝だったんだ。」

これだけ聞けば充分。大体事情は想像がつくからです。月曜締め切りというのは最悪のパターン。先週は忙しさのピークで、この週末もぶっ通しで働いていたということですね。

「昨日は朝一番でプロポーザルを提出してね。その後息つく暇もなく別件でクライアントとのミーティング。そこで、とんでもないことが起きたんだ。」

二年前に彼が提出した成果物を、クライアントはずっと放っておいた。修正が必要なら早めに言って下さい、と再三お願いしたにもかかわらず、ノーアクションのまま月日が流れます。それが突然昨日のミーティングで、何百ページもに及ぶ修正依頼書を手渡されます。そして、絶対明日までに完成させてくれと凄まれたというのです。

「あっちには何人もの担当者がずらりと並んでこっちを見つめててさ。何故か弁護士まで同席してるんだぜ。」

恐らく今夜は睡眠時間が取れないと思うが、ここはひとつ頑張って欲しい、と迫るクライアント側のPM。

「おいおい、絶体絶命じゃないか。」

クスクス笑って、ディックがこう言いました。

“Out of the frying pan into the fire.”
「やっとフライパンを飛び出したと思ったら炎の中さ。」

これは面白い表現だと思いました。何とか苦境を切り抜けたぞと安心していたら、更に厳しい試練が待ち受けていた、ということですね。後でネットを調べたら、「一難去ってまた一難」とか「小難を逃れ大難に陥る」という訳が出ていましたが、どちらもしっくり来ません。「炎の中」という事態の深刻さが表現出来ていないじゃないか…。

そこで私がでっちあげたことわざが、これ。

“Out of the frying pan into the fire.”
「ピンチを抜けたら大惨事」

「で、結局どうなったの?」

と私。ディックの顔が疲れているのは明らかだけど、一睡もしていない程とは思えません。

「断ったよ。」

「えっ?断ったの?一体どうやって?」

極端に理不尽な要求とは言え、相手はクライアントです。この手の依頼を断れば将来の仕事に響くかもと考えるのが筋でしょう。私なら反射的に、「何とかしましょう」というセリフが口をついて出ちゃうかも。

「日曜日は母の日だったのに、別件の締め切りがあったため週末ぶっ通しで働いた。この埋め合わせは必ず月曜の晩にすると妻に固く誓った。もしもこの約束を破ったら、結婚生活に重大な亀裂が入るだろう。それだけは避けなければならない。依頼の件は自分の能力の許す限り迅速に処理するが、今晩徹夜することだけはどうしても出来ないってね。」

これにはクライアントの誰一人として反論出来なかったのだそうです。
「なるほどね。お前の結婚がどうなろうと知ったことか、と言える人はさすがにいないだろうしね。僕もこないだ、ロブとの食事会に出席してくれとテリーに頼まれたんだけど、その日はちょうど妻の誕生日なんですと言ったら、無条件で辞退を受け入れてくれたよ。奥さんとの関係が最優先というのが、この国の一般常識なのかもね。」

日本で働いていた頃、第一子の出産に立ち会いたいから有給休暇を取らせて欲しいと申し出た同僚が、「お前が行って何の役に立つんだ。やめろやめろ。」と上司に怒鳴られる場面を目撃した記憶が蘇りました。

ディックが続けます。

「極めて個人的な言い訳だったけど、決して嘘じゃないんだ。これまでだってかなりの頻度で仕事を優先して来たからね。昨日のディナーを延期してたら本当にヤバかったよ。」

「その深刻さがクライアントにも伝わったんだね、きっと。」

ここでディックが再びニヤニヤし始めます。

「ギャレット覚えてる?ほら、二年前に東海岸へ転勤した若者がいただろ。」

ギャレットという彼の部下は、

「ニューハンプシャーの祖母の葬式に出なくちゃいけないので」
「ニューハンプシャーの祖父の葬式があるので」

と言って盛んに休みを取っていたそうで、暫くは笑って見逃してたんだけど、遂に

「お前んとこにはじいちゃんばあちゃんが何人いるんだよ!」

と突っ込んだのだそうです。嘘がバレているという自覚が全く無かったのか、あからさまに慌てるギャレット。これを見て、大笑いしたというディック。

早めにバレて良かったです。


2017年5月14日日曜日

Healthy Skepticism 健全な猜疑心

ある日の早朝。強烈な陽光を真正面から受けつつ、オフィスを目指して車を走らせていたサングラスの私。高速を降りてダウンタウンに入ったところで、赤信号につかまります。停車してぼんやりしていると、三歳くらいの女の子の手を引いたメキシコ系の女性が、左からゆっくりと横断歩道を渡って行きます。二人とも髪をきちんと束ね、黒っぽい上品な服を着て、まるでピアノの発表会にでも行くような「ハレ」感を漂わせている。おぼつかない足取りながら、母親の右手をしっかりつかみ、まっすぐ前を見て真剣な表情で向こう岸を目指す女の子の横顔を見送りながら、思わず微笑んでいた私。その時でした。女の子が不意にこちらを振り向き、小さな右手を挙げてバイバイのジェスチャーをしたのです。予想もしなかった展開。私も反射的に右手を挙げ、バイバイを返します。横断歩道を渡り終えた女の子が顔を上げて何か喋り、母親がこちらを振り返って微笑むのを視界の端におさめつつ、車を発進させます。

サングラスをかけた私は、どう贔屓目に見ても「怪しい東洋人」です。こんな不審人物にも心を許す少女の無防備さに感動し、ホンワカした気分で出勤したのでした。あの子がこの先、無闇に人を疑うような人間に成長しないといいけどなあ…。

さて、その日の朝一番は、副社長のパットと久しぶりに電話で情報交換。我が社のトップ約700名が一堂に会するリーダーシップイベントに出席するため、出張中だという彼女。

「チクるようで嫌なんだけど、一応耳に入れておいた方がいいと思ってね。」

と私。なるべく早く伝えたいことがあったのです。

火曜日、私がリードするプロジェクト・コントロール・チームの定例電話会議で、カマリヨ支社のジェシカが発言しました。

「デンバーからステファンという人が来て、うちのメンバーと個人面接して行ったの。プロジェクトコントロール・チームのスキル・セットを調べるって言われたんだけど、ハードコアな建設部門の業務経験に絞った質問ばかりなの。まるで、あんたのやってることはプロジェクトコントロールなんかじゃないって否定されてるみたいで気分が悪かったわ。」

これに呼応するように、サンタマリア支社のカレンが、

「うちにも先週来たわ。私は良い印象を受けたけど。だって彼、私達のキャリアパスを明確にするって言ってくれたのよ。先行きが見えない仕事だって半ば諦めてたのに、明るい未来を提示してくれたんだもの。すごく嬉しかったわ。」

これはそもそも、パットの号令で全米展開されている運動です。組織のあちこちで人知れず眠っているプロジェクトコントロールの人材を発掘し、ひとりひとりの強み・弱みを明らかにし、必要なトレーニングを提供。さらにはネットワーク化してコラボレーションを図ろう、というもの。

「ところがね、意外なことが起きたの。」

とカレン。

「ステファンがうちのオフィスに来た次の日、担当支社を行脚中だったL副社長を囲んでのディナーがあったのね。たまたまそばの席に座れたから、話題提供のつもりでこの件を話したのよ。そしたらみるみる顔が赤くなって、ものすごく怒り始めたの。俺に断りも無く、誰かが裏組織づくりを企んでいるのか!ってね。」

呆気にとられたカレンは懸命に釈明を試みたのですが、L氏の怒りはおさまらず、翌日サンタバーバラ支社を訪れた際にもこの「陰謀説」を持ち出して、けしからぬ暴挙だと憤懣をぶちまけたのだと。

「まあ何てこと!って言いたいところだけど、驚くには当たらないわ。」

とクールな反応のパット。

「この活動を始めた当初から、全米のエグゼクティブには根回しの大切さを何度も伝えてあるのよ。でも必ず誰かしらはコミュニケーションを怠って、こういう誤解の種を蒔くのよね。」

出張中にL副社長とバッタリ会うことがあったら、ちゃんと話しておくわね、情報有難う、とパット。それにしても、一社員の一言から咄嗟に悪だくみを疑って部下たちの面前で怒りを露わにするなんて、リーダーとしての品格を落とす態度よね、と溜息をつきます。側近に寝首を搔かれる可能性を日頃から憂えているからこその、この反応。普段はニコニコしてるけど実は疑心暗鬼なんだなあ、とちょっぴりL氏を可哀想に思った私でした。

「あ、そういえば、フィルって人から連絡あった?」

と話題を変えます。9月にダラスのトレーニングで知り合ったフィルは、原子力潜水艦の元乗組員にしてリスクマネジメントのプロ。先日私が全米対象のウェブトレーニングで紹介したエクセルのワークブックについてメールで意見をくれたのですが、それに返信する際、是非彼のアイディアを取り入れたい、とモンテカルロ・シミュレーションの指導を仰いだのです。

モンテカルロ法というのは、乱数を使って確率論的に数値計算を行う手法です。現在私の使っている計算モデルは、「プロジェクト・チーム全員の給料が年間3パーセント上がると仮定するとコストはこれくらい上昇するから、利益率の見込みは○○パーセント。」というシンプルな論法ですが、これを「給料の上昇率は人によって違う。ゼロパーセントの人もいれば10パーセントの人もいる。様々な可能性を考慮した場合、利益率の見込みはこれくらいの確率で○○パーセントになる。」と述べることで、より説得力を増すのですね。ダラスのトレーニング中、フィルがエクセル上でモンテカルロシミュレーションを回してリスクマネジメントをしていると聞き、今度あらためて聞かせてね、とお願いしたきりになっていたのです。

フィルが力説するのは、「大抵の人間は直観で動く。実際には大した可能性もインパクトも無い些末な心配事でも、過大に見積もって心を悩ませ、時間を無駄にする傾向がある。統計や確率の知識を使って本当に大事なことを見極められれば、冷静に、そして効率的にリスクに対処出来る。」ということ。モンテカルロシミュレーションはエクセルの標準ツールを使って回せるので、やろうと思えば誰にだって理性的なリスクマネジメントが出来るのだ、と。

一時間以上かけてフィルに手ほどきを受けた後、この手法の適用可能性の大きさに気付いて興奮を隠せない私。

「こんな便利なものを取り入れない手は無いよ。まずは僕のプロジェクトコントロール・チーム内で広めて、日常的に使うようにしてみるよ。」

「有難う。そう言ってもらって嬉しいよ。俺は過去数年、会社のキーパーソンと思われる人たちにさんざん売り込んで来たんだよ。みんな口では素晴らしいって言うんだけど、誰一人として実際に取り入れようとはしないんだ。俺にはその理由が全然分からない。」

そう言いながら、彼の声には抑揚がほとんど感じられません。リスクマネジメントを突き詰めるとこういう人間が出来上がっちゃうのかもな、と笑えて来るほど喜怒哀楽が欠如している。「嬉しいよ」というセリフも後半の不満も、ほぼ棒読みなのです。何かを売り込もうという人の口調がここまで冷静だったら、売れる商品も売れないぜ。

「これは難解過ぎる、とても手に負えそうもないぞ、って普通はビビるでしょ。単純に、どうプレゼンするかが勝負の分かれ目だと思うな。そうだ、パットって知ってる?プロジェクトコントロール担当の副社長なんだけど、話してみるといいよ。彼女が気に入って全社に広めれば、すごいことになる。今からワークブックに何か名前を付けといた方がいいな。フィルズ・フォーキャスト・ワークブックとかさ。」

はしゃぐ私に薄いリアクションを返した後、パットに連絡を取ってみるよ、とぶっきらぼうなフィル。本当に実行するかどうかは疑わしいな、と思いながら電話を切ります。

「ああ、一昨日電話があったわよ。モンテカルロ法の話をしてくれたわ。」

とパット。彼女の声に、フィルの売り込みが成功した様子は感じ取れません。

「彼、口下手だけど、すごく真剣で良い人でしょ。彼が薦める方法論を取り入れて、僕のチームで使ってみようと思うんだ。」

とフォローする私。ここでパットが、思い出したように言います。

「今後、プロジェクト・コントロールの分野に進むべきかどうか考えてるんだって。今のポジションにあまり将来性を感じてないみたいなの。」

「それは素晴らしいね。きっと強力なチームメンバーになるよ!」

とニュースを歓迎する私に、

「でもまだ迷ってるのよ、彼。だってまだプロジェクトコントロール・グループなんて、組織化を模索してる段階でしょ。誰かの一言であっけなく雲散霧消する可能性だってあるじゃない。」

と水を差すパット。

“I think it’s a healthy skepticism.”
「ヘルシー・スケプティシズムだと思うわ。」

Healthy skepticismとは、「健全な猜疑心」という意味ですね。確率・統計の知識を駆使し、常に冷徹な意思決定をするフィルの人となりを描写するのに、これほどぴったりした言葉は無いな、と感心しました。「プロジェクトコントロール」の意味も知らぬまま今の職に飛びついた私には、縁遠いフレーズです。よくよく考えてみれば、僕って結構感情的な人間だよな。L副社長のことを笑えないほど、他人の意図を疑って一喜一憂したりもするし。フィルみたいに、世の中をクールな目で見つめられるようにならなきゃ…。

昨日の夕方、一念発起してブックオフまで車を走らせ、確率・統計の本を買い漁りました。もう一度基礎から勉強し直し、ヘルシー・スケプティシズムを養おうと思います。


2017年5月6日土曜日

Clear as mud 泥のようにすっきり

月曜の朝、向かいの席からシャノンが、

「エクセルの質問していい?」

と身を乗り出します。

「喜んで!」

ぐるりと移動して横に座ると、彼女はモニター画面のワークシートを指さし、課題を説明し始めました。

都市計画部門のゲイリーが、朝一番でクライアントから依頼を受けた。夕方五時締め切りで、あるプロジェクトの財務情報を提供して欲しい、と。データを加工して要求通りのフォーマットに当てはめよ、というシンプルなお題なのだけど、過去に提出したレポートとの矛盾は絶対避けなければならない。ところがあいにく、担当PMのダグラスが休暇で留守中。このプロジェクトに日常的関与のないゲイリーは困り果て、普段ダグラスのサポートをしているシャノンならきっと何とかしてくれるだろう、とすがって来たのです。

歯医者の予約が入っているので午前中しか時間の無い彼女ですが、そんなゲイリーの期待に応えようとさっそく取り組み始めます。しかし、送られて来たエクセルファイルを開けてみてびっくり。過去に提出したレポート内のデータのほとんどは、誰かが手入力したもので、元データとのリンクや計算方法が一切不明なのです。これでは矛盾の有無を確認するための手がかりが無い。出し抜けに創作料理をレシピ抜きで差し出され、今から全く同じ材料を使って別のものを調理しなさい、はいスタート、とストップウォッチを押されたようなものです。

画面上のスプレッドシートをざっと眺めた後、これはもはやエクセルがどうこう言う以前の話だな、と悟った私。そして彼女に放ったのが、このセリフ。

“Clear as mud.”
「泥のようにすっきりだね。」

これは、前の週の電話会議中に仕入れた新イディオムです。数か月前に口火を切った、工期9年の巨大プロジェクト。PMのアンジェラ、そしてプロジェクト・ディレクターのティムとの定例会議中、二人が発したのがこのフレーズ。ごく最近終結を迎えたクライアントとの度重なる交渉の結果、契約額の分配方法が異常に複雑なものとなった。その経緯と概要を淡々と解説した後、ティムが静かにこう言ったのです。

“Clear as mud.”

するとアンジェラも、心からの同意を示す落ち着いた声で、

“Clear as mud.”

と繰り返します。そして、「シンスケのヘルプが必要だ」と私を持ち上げる二人。

へ?と思考が止まる私。「泥のようにクリア(すっきり)だ。」が何を意味するのかが、すぐに呑み込めなかったのです。どうして泥がクリアなの?

電話を切った後さっそくネットで調べたところ、これは「さっぱり分からない、ちんぷんかんぷん」という意味でした。泥という不透明な対象に「クリア(透き通っている)」という形容詞をぶつけることで分かりにくさを強調した、皮肉混じりの表現なのですね。

フレーズの意味を理解した途端、体内にアドレナリンが激しく噴き出すのを感じる私。よっしゃ任せろ!と。お題が難解であればあるほど、誰よりも速く鮮やかに解いてみせたくなる。周囲の者が膝を打ち、「なるほど!」と感嘆の声を漏らすほど美しく簡潔な解説を提供したい衝動に駆られるのですね。それはまるで、泥の中から砂金を掘り出す職人の性。

今回シャノンが与えられたお題も、まるで単色1000ピースのジグソーパズルのようで、一見して解決は不可能。

“Clear as mud!”
「泥のようにすっきりよ!」

私のセリフを繰り返す彼女。これはいくら何でも乱暴過ぎるわ、出来るわけ無いじゃない、と憤慨してもおかしくないレベルの理不尽さです。しかしふと見ると、シャノンの目はキラキラ輝いています。何が何でもこの難題を時間内に解いてみせる、という意気込みが全身に漲っているのです。それを見て思わず吹き出す私。

「まったく君って人は…。泥が深いほど燃えるんでしょ。」

と冷やかすと、ニッコリ笑うシャノン。

「その通り。これはどろどろよ。でもエクセルの計算式さえ上手く当てはめれば、解法は見つけ出せそうな気がするのよ。」

果たして彼女は昼までに分析を終え、見事にゲイリーの要請に応えて会社を出たのでした。

さて木曜の夕方、今度はシャノンの隣の席からカンチーが、

「エクセルの質問があるんだけど」

と懇願のまなざし。直ちに彼女の席に回ってワークシートをチェックします。タイトル行の各所に三層構造のセルがあり、別の列では三行が結合され単一セルになっている。表全体にフィルターをかけると、自動的に全ての列のトップ・セルが選ばれてしまう。最下行のタイトルセルにフィルターをかけるにはどうすれば良いのか?

一見シンプルなお題ですが、実際いじってみるとこれがなかなかの難物。彼女の隣にしゃがんで色々試したのですが、うまく行きません。

「5分ちょうだい。」

諦めて席へ戻り、ネットで検索を開始します。ところがここで、さっきから向かいの席で我々の会話を聞いていた新人のアンドリューが「ちょっと見せて」とやって来て、カンチーのコンピュータ上で試行錯誤を始めます。おいおい、彼女にヘルプを頼まれたのは君じゃないぞ。何を出しゃばってんだ?とちょっぴりイラつく私。しかし日頃チームメンバーの自由な発言や議論への参加を奨励している手前、ここで独占権を主張するのはさすがに大人げない。で、若者に負けじと作業を急ぐ私。するとなんと、今度はシャノンも興味をそそられたようで、「問題は何?」と横から首を突っ込んで来ます。げげっ。砂金の存在を嗅ぎつけた二人が、川にずかずか踏み込んで来たぞ…。

約束の5分が過ぎようとした時、アンドリューが遂に答えを見つけました。カンチーと二人でニコニコしています。彼の解答が、これ。

「タイトル行のセル結合を一旦すべて解除して、最下行のセルを使ってフィルターをかけた後、最初に結合していたセルだけ元に戻す。」

う~む、なんなんだその泥臭い手口は。君が乱入して掘り出したのは、断じて砂金なんかじゃないぞ。せいぜい銅か錫ってとこだ。こっちが見つけたかったのはそんなんじゃなく、光り輝く真にエレガントな解法なんだ!と胸中で舌打ちする私。でも、とりあえずカンチーが仕事を継続するために必要な答えは得られたので、作業を終了して皆で川を上がるしかない。

ちょっとの間、なんだか顔に泥を塗られたようですっきりしない私でしたが、暫くするうちにじわじわと嬉しさがこみ上げて来ます。

いいじゃん、うちのチーム。下剋上結構。自ら進んで泥に飛び込む、気合の入った猛者どもの集団が出来て来たぞ…。


2017年4月30日日曜日

Round Robin ラウンドロビン

“Do we want to go round robin?”
「ラウンドロビンで行く?」

木曜日。新PMツールのユーザーサポートに関する定例電話連絡会議の中盤、フロリダのシャロンが明るく呼びかけます。いやいや、自然でいいじゃん、やめとこうよラウンドロビン…。

金曜の午後、同僚ディックと久しぶりに長い会話をしました。お互い多忙で最近はほとんど顔を合わせない二人。溜まった話題をランダムに提供するうち、会議の話になりました。

「日本の会社の会議ってどんな感じだった?」

最近社内の会議で頻繁に起こることに、「限られたメンバーが話し続けて他の出席者を沈黙させてしまう」現象があります。最終的に、一番声の大きかった人の意見が通ってしまう。

「今はどうか知らないけど、僕が若かった頃に日本で参加した会議では、ベラベラ喋る人より物静かな人の方が大きな影響力を持ってる、っていうケースが多かったよ。出席者は、誰の意見が一番重みを持っているか最初から分かっていて、散々話し合った後、みんなでその人物の顔色を見るんだな。」

これにはディックがパッと顔を輝かせ、

「そうじゃないかと思ったよ!俺が育った中西部でも同じだった。学校教育や親からの躾の根っこに、じっくり考えて大事なことだけ簡潔に言え、という価値観があったんだな。カリフォルニアが特殊なのかな?」

地域性の有無はともかく、これは過去17年間のアメリカ生活で感じて来た違和感です。発言内容のクオリティより、どれだけ沢山喋るかが重要視される。ビジネススクール時代も、臆面もなく凡庸な発言をする何人かのクラスメート達に驚嘆させられていました。大学院側からは「発言数」がクラスへの貢献度として評価され、成績に加算されるという説明を受けており、それがゲームのルールなら仕方ないか、という諦めもありました。でも、プライドってもんは無いのか?くだらんことを言う奴だと蔑まれるのも厭わずポイント稼ぎだけのために挙手し続けるのは、格闘技の試合で返し技を食らわない程度の中途半端な技を繰り出し、「常に攻めている」印象を審判に与えることで判定勝ちに持ち込むような、浅ましい行為だと思うのです。ちょっとでもプライドがあるなら、思い切って決めに行けよ!と。

そんな「侍魂」みたいなこだわりのせいで、アメリカでの会議における発言のタイミングに迷い続けて来た私。しかし数年前になって、腹を決めました。もう周りのことは気にしない。言うべきことが見つかるまで、敢えて発言はしない。状況を見て、自分のタイミングで最適な技をかける。その結果、すかし技で豪快に負けたっていいじゃないか、と。

ところが先月、ロサンゼルスに一週間出張した際、新たな会議のルールが登場したのです。それが、「ラウンドロビン」。

「じゃ、ここからはラウンドロビンで行こうか。」

と、司会のジョージが提案します。会議室には、私以外の参加者四人が全員賛同。スピーカーフォンの向こうでも、十数人の出席者が同意します。皆が一体何に賛成したのかさっぱり分からない私。しかし一人一人が順に発言していくのを聞いているうち、そうか、ラウンドロビンというのは全員が発言機会を与えられるタイプのやり方なんだな、と合点がいきます。ラウンドというのは、回る、という意味だから。でも、なんでロビン?

ミーティング終了後、さっそくネットで調べたところ、やはり思った通りでした。テーブルを囲んで全出席者が一人ずつ順番に発言するイメージ。スポーツで言えば、総当たり戦方式。語源は諸説あるようですが、有力と思われるのがこれ。

「昔船乗りが待遇改善を訴えるために署名運動をした際、誰が発起人かを悟られぬよう、環状に名前を連ねた。フランス語のrond roubanがそういうタイプの嘆願書を意味していて、これが英語に訳される時にround robinに変化した。」

ジョージやシャロンはきっと、数人の常連さんのお喋りに圧倒されて他の出席者が黙ってしまうのを防ぐため、あえてこの方式を導入したのでしょう。意図はよく分かるんだけど、せっかく自分のタイミングで発言しようと心を決めたところだった私には、やれやれな話。

「私からは特にありません。」

とその場を凌いでからコーナーに引っ込んだ後、トホホな気分になりました。


2017年4月23日日曜日

Mental Support メンタル・サポート

土曜の夜明け頃、隣で寝ていた妻が突然上げた奇声で目が覚めました。何か怖い夢でも見ているのか?かねてから、悪夢にうなされて苦しみが長引くようだったら揺り起こして救済する協約になっているので、がばと跳ね起きて身構える私。ところが、次に彼女が発した音声があまりに意表を突いていたので、思わず首を傾げます。

「テーン、ナーイン、エイト、セヴン!…」

え?英語でカウントダウン?彼女の頭の中で、一体何が起こっているんだろう?

それからひとしきり激しく何か叫んだ後、むにゃむにゃ言って再び深く寝入ってしまいました。すごいなこの人、「ゲラウェイ」とか何とか、誰かを怒鳴りつけてたぞ。英語で夢見るんだ、うちの奥さんって…。

渡米して17年、夢も現もきっちり日本語メインの私。40年近くも日本で暮らしたのだから脳のOSが日本語仕様なのは当然なのかもしれませんが、これだけ毎日英語環境に身を置いてるんだから、そろそろ「何でも英語で考えるようになっちまって、困っちゃうぜ」くらいのかぶれようを見せても良さそうなものだと思うのです。アメリカ人相手に日本語で話している夢から醒めた時などは、さすがにがっくり来ます。「そこは英語だろ!」と自分に突っ込まずにはいられない。

しかしその一方で、脳の英和切り替えスイッチを完全にコントロール出来るようになる日は近く、今はその過渡期にあるのかもしれない、と思う自分もいます。実際、規則性は不明ながら、「何故だか今日は面白いほど英語ペラペラだぜぇ!」という日もあれば、「ダメだ、今日は完全にカタコトの日だ!」という時もあり、段々とではあるけれど「ペラペラの日」の割合が増えているような気がするこの頃。ひょっとしたら来年あたり、「あれ?気が付いたら長期間ずっとペラペラだぞ?」てなことになっているかもしれない…。

今思い出しても恐ろしいのですが、木曜はその「カタコトの日でした。11時半にスタートした、全米対象のウェブトレーニング。参加者の音声を予めミュートしてあったので、リアクションが全く分からない状態で講義を開始します。小会議室の大画面テレビの右隅に、ひとり、また一人と出席者名が加わり、総勢百数十名のリストが急速に仕上がって行くのを見つめながら、静寂の中でスピーカーフォン相手に話し始める私。ところが、次に喋るべき英文がさっぱり浮かばないのです。ぴったりした単語もなかなか見つからない!焦れば焦るほどどもり気味になり、脇汗が噴き出して来るのを感じます。やばい、久しぶりにド緊張しているぞ!

その時、部下のカンチーが背後のドアから静かに入って来て、テレビ画面の右横の席にそっと座りました。そして画面と私の両方に目を配りながら、ここぞという話のポイントで、いちいち深く頷き始めたのです。何かを言いあぐねて天を向こうとすると、穏やかな表情でこちらを見つめ、大丈夫ですよ、という目配せで私を落ち着かせる彼女。そんな風にして45分間のプレゼンが、無事終了したのでした。

「本当に有難う。君がいてくれたから、何とか乗り切れた。実はかなり緊張していてね、あのまま一人で続けてたらヤバかったよ。」
とお礼を言うと、彼女がニッコリ笑いました。

“Great. I came here for your mental support.”
「良かった。私はここに、メンタル・サポート(精神的サポート)をしに来たんですよ。」

その日の朝、今日は「カタコト英語の日」であることを悟った私は徐々に緊張して来て、彼女にそれを漏らしたのです。カンチーはそんな上司を応援しようと、わざと私の顔が見える位置に座ってくれたのですね。

17歳のころ、初めて大勢の前でプレゼンしたんです。」

海洋学を通じて青少年を育成する非営利団体の活動に参加していた彼女。渡米したばかりで英語もカタコトだったのに、連邦政府や大企業から来た招待客たちの前で研究発表をしなければなりませんでした。

「プレゼン中ずっと、私のメンター達が全員で最前列に座って、大きく頷いたり拍手したり、ガッツポーズを取ったりと、全力で応援してくれたんです。あの時の感謝の気持ちは、今でも忘れません。」

あの経験が無かったら今の自分は無い、と言い切るカンチー。情景が再び目の前に蘇ったのか、ぐっと言葉に詰まって涙ぐみます。愛情溢れる応援が、誰かの人生を変えることってあるんだなあ、と静かに感動を味わう私でした。この日彼女から受けたメンタル・サポートも、きっと忘れることはないでしょう。

さて、話変わってこの土日は、15歳の息子が所属する水球クラブが大会に出場するということで、家族三人オレンジカウンティへの一泊ドライブ旅行をしました。彼のチームは上級者が多く、息子は控え選手。こちらの優勢で試合が進んでいる時は短時間だけ交代要員を務めるのですが、接戦になるとなかなか出番がありません。それでも限られた時間で懸命にプレイする彼を見て、胸が熱くなる私でした。そもそも水嫌いの私には、何分間も足をつけずに泳ぎ続ける、というだけで既に想像を絶する偉業であり、その上でボールをパスしたりシュートしたり、というのはもうカミワザ。プールサイドで選手以上に熱くなって審判を猛烈に野次ったりしている親を見ると、

「子供たちがこんなに頑張っているだけで素晴らしいじゃないですか。勝っても負けても、皆で温かく褒めましょうよ。」

となだめたくなってしまいます。ところが私の横にいる妻は、どちらかというとそういう「興奮しがちな親」のグループに属しているようで、観戦中にしばしば大声で叫びます。高校時代バレーボールに打ち込んでいたこともあってか、スポーツとなると無性に燃えるみたい。土曜の最初のゲームでも、息子だけでなく他の選手たちの名も呼びながら、「行け!」とか「泳げ!」とか「シュート!」とか、まるでコーチのように指示していました。

最初の試合を白星で終えた後、二試合目が始まるまで近くのカフェで時間を潰そうと妻子を乗せて車を走らせているうちに、ハッと膝を打つ私。

「あ、分かったぞ!」

どうしたの?と尋ねる後部座席の息子。

「なんでママが夢でカウントダウンしてたのか、今分かったんだよ!」

水球のルールで、攻撃開始から30秒以内にシュートしないといけない、というのがあります。厳しいディフェンスに会い味方が攻めあぐねているうちに残り10秒を切ると、ベンチにいる者が、あるいはゴーリーが、時には応援席の保護者たちが、大声でカウントダウンをしてシュートを促すのです。妻が夢の中で息子の水球観戦をしていたと考えれば、その後色々英語で叫んでいたわけも説明が付きます。この話を二人に聞かせた後、息子に向かってこうまとめました。

「君のママは、寝ている時でさえ君たちを応援してるってことだよ。」

自分の寝言を全く覚えていないと言って、ケラケラ笑う妻。その時息子が、後ろから助手席へゆっくりと手を伸ばして妻の左肩に優しく触れ、落ち着いた声でこう言いました。

「ママ、有難う。」

15歳の少年の心に、妻のメンタル・サポートはしっかり届いたみたいです。


2017年4月15日土曜日

In the doghouse 犬小屋の中

木曜の晩9時前、外着に着替えて車の鍵を手に取り、ダイニングテーブルでパソコンに向かっていた妻に「行ってきます」と一声かけたところ、彼女が怪訝な顔でこちらを向きました。

「何言ってんの?二コラのお母さんが連れて帰って来てくれるってさっき話したじゃない。」

火曜と木曜の晩は、YMCAで水球の練習に励む息子を迎えに行くのが私の役割。この日も、いつも通りの行動を取っただけでした。

「え?そうだっけ?何にも憶えてないや。」

「一時間くらい前、自分から私に確認したんじゃない。」

う~ん、やっぱり全然思い出せない。

ここ最近、オフィスを離れても頭の中の自分はコンピュータ画面をにらんでキーボードを叩いる、という状態が続いてます。いよいよ来週木曜、全米の社員を対象としたウェブ・トレーニングを実施することが決定し、興奮状態でその準備に追われているのです。

「大丈夫?」

心配とも軽蔑とも取れる表情でじっとこちらを見る妻。彼女の様子からして、これは初めてのことじゃなさそうだぞ…。うわの空だった、というストレートな言い訳は失礼だし、本格的にボケ始めてるみたいだ、とふざけるのはもっとヤバい。

「あ、じゃあ今日は行かなくていいんだね!」

と軽いノリで切り抜ける私。

実はその日の午後、熟練PMのキースから聞いたある英語表現が気になっていました。ある部門の重鎮が突然クビになったのは、南カリフォルニア地域のトップに君臨するP氏に呼びつけられたのに断ったからだ、という噂話を教えてくれたキース。

「関係構築に長年費やして来た見込み客との初会合と重なっている。ようやく作った取っ掛かりを逃すわけにはいかない、と説明したのに、P氏はそれでも来いと強要したって言うんだな。結局クライアントを優先してP氏をフッた彼は、これであっけなくクビさ。」

P氏の絶対王政的統治については私も普段から感じていたところですが、具体的なエピソードを聞くのはこれが初めてです。あくまでも噂だけど、火のない所に煙は立たぬと言うからな…。

「まるで北朝鮮じゃないですか。」

「その通り。」

ドンピシャの形容を有難う、とばかりに微笑んで大きく頷くキース。彼はさらに、自分のプロジェクトをめぐるトップ会議について話してくれました(彼は招かれず、ある参加者から伝え聞いたそうです)。

ずっと冬眠状態だったプロジェクトを引き継いでみたら、受注の段階で既に赤字だった。それを正直に報告したら上司たちに猛攻撃を受けた。「即刻中止せよ」と迫る彼等に、契約関係にある仕事を放り出すわけにはいかない、と踏ん張るキース。私は彼と二人で打開策を検討し、大幅に収支見込を改善しました。しかしそれでも上司たちはうんと言わない。そんな状況で開かれた重役会議でした。損失見込み額をわざと大目に告げることで、P氏から「プロジェクト撤退」の聖断を引き出そうと画策していた様子のキースの上司たち。この時、沈黙を守っていた他のエグゼクティブが、

「何言ってんだ?キースが頑張って損失見込み額を大幅に下げただろう。君達だって何度もその説明を聞いてるじゃないか。」

と暴露したものだから、P氏は憤然としてキースの上司たちを叱りつけた、というのです。

この話を聞いて大いに溜飲を下げたであろうキースは、ニンマリ笑ってこう締め括りました。

“They are in the doghouse.”
「彼らは犬小屋の中だよ。」

ん?犬小屋?なんで?

その後すぐに話題が変わり、このフレーズの意味を聞くタイミングを逃した私。そこで翌日、同僚のポーラに尋ねてみました。「貴婦人」とニックネームを付けたくなるほどの気品を漂わせる彼女は、ホホホ、と笑ってこの質問を面白がります。

「一般には家庭内、特に夫婦間の揉め事に絡めて使われる表現だと思うわよ。」

奥さんに怒られた夫が「今夜は犬小屋で寝なさいよ」と告げられるところから来ているんじゃないか、とポーラ。あるウェブサイトでは、ピーターパンの物語中、子供たちをさらわれたのは自分の責任だ、と自戒の意味を込めて父親が犬小屋で寝る、というくだりからから来ている、と説明されていました。私の訳は、これ。

“They are in the doghouse.”
「彼らは反省中だよ。」

キースから聞いたエピソードをかいつまんで話したところ、

「確かにそういう文脈ならビジネスでも使えるわね。」

とポーラ。大事なのは、これが一時的な措置であり、いずれは家に戻る前提がある点。即刻クビなら、犬小屋も経由せず放り出されるわけですから。何か文例は無い?と聞くと、ポーラが楽しそうにちょっと宙を見つめてから言いました。

「夫が結婚記念日をすっかり忘れてたことがバレたの。彼は今、犬小屋の中(反省中)よ。」

記念日と言えば、我々夫婦は来月いよいよ結婚ニ十周年を迎えます。これをど忘れしたら、まず間違いなく犬小屋行きでしょう。いや、犬小屋で済むかな…。

ちょっとドキドキして来ました。


2017年4月9日日曜日

Build a better mouse trap より強力なネズミ捕りを発明する

火曜の朝、本社副社長のパットからテキストメッセージが入ります。「ちょっと話せない?」

彼女とは月一回程度、どちらからともなく連絡を取り合って近況報告を交わす間柄。でも今回はやけにインターバルが短いぞ。ついこないだ話したばっかりじゃんか。さっそく電話会議をセットします。

「前回の電話で、EACツールの話をしたでしょ。」

と切り出すパット。

EAC(Estimate at Completion)というのは、プロジェクトの最終予測値のことで、一般には最終予算額を指します。各プロジェクトから吸い上げられたEACが四半期毎の財務諸表に反映されるため、PM達は慎重に計算した数字をシステムに打ち込まなければなりません。算出ステップは次の通り。

1.現在に至るまでのコストを精査する。入力ミスなどがあれば直ちに修正する。
2.今後かかると予想されるコストを、論理的手法を用いて計算する。
3.1と2を合算。予算とのズレがあれば原因を究明し、軌道修正可能なら2に戻る。

単純なプロセスのようですが、実はこれが一般のPMにはかなりの難物なのです。会社の財務システムは扱いが容易でない上に、クライアント対応やチームとのコミュニケーションに多忙を極めるPMにとっては、データ分析や入力作業に時間をかけること自体に抵抗があるのですね。そんな、「データ処理のために雇われたんじゃねえぞ」と苛立つ彼等をサポートするのが、我々プロジェクト・コントロールの仕事。私がチームを拡大し続けている裏には、こういう事情があったのです。

2月に全米で使用開始した新PMツールの到来で、ユーザー達はこのEAC更新プロセスが劇的に改善されることを期待していました。これでようやく苦痛から解放されるぞ、と。しかし蓋を開けてみると、改善はおろかむしろ後退したようにさえ見えるインターフェイス。不満を爆発させるPM達に、

「そもそもEAC更新というのは、プロジェクト毎の様々な前提条件を組み込んだ上での試行錯誤を要求される作業なんです。ソフトウェアで一斉に自動化出来るような代物では無いんですよ。」

となだめる私。ツールに幻滅して毒づくよりも、この「試行錯誤」のステップをどこまで効率化出来るかを考えることが重要です。そこで登場するのが、私の作ったエクセルのワークブック。十年前に最初のバージョンを作ってから、会社のシステム変更に合わせて少しずつ改良を繰り返して来た、私の秘密兵器です。

PMツールからデータをダウンロードしてこのワークブックにぶちこみ、PMと一緒に複数の前提条件をひとつずつ変えながら最終コストを計算していく。シナリオが定まったらこれを最終版とし、数字をPMツールに打ち込み、エクセルファイルを添付して一丁上がり。

私のチームはこのワークブックを使って、南カリフォルニアを中心に何百人ものPM達をサポートして来ました。しかし最近になるまで、他の地域のPM達がどうしているかを考えたことがありませんでした。二週間前にパットが、全米のプロジェクト・コントロール担当者に私のワークブックをシェアして欲しい、と持ち掛けて来るまでは。

「あれから内部で色々検討したんだけど、会社としてトレーニングをするからには、上層部の了解を取っておかなきゃ、ということになったの。」

電話の向こうで話を進めながら、パットが私の反応を窺っているのが分かります。

「で、まずフランクに話してみたのね。」

フランクというのは、新PMツールを所管する上席副社長で、全米どころか世界の全支社を統括する重要人物です。思わず唸り声を上げる私に、やっぱりね、そのリアクションを待ってたわと言いたげな、小さい歓声を漏らすパット。

俄然、話が深刻になって来ました。

新ツールの登場で、EAC更新を含めたあらゆるPMプロセスが統合される。これはPM達の生産性を飛躍的に伸ばす革新的なツールなのだ、と標榜する立場にいるフランク。そこで「このツールは不十分で、シンスケの作ったエクセルファイルがその欠点を補いますよ。」と吹聴すれば、彼の顔に泥を塗ることになりかねません。

「安心して。EAC更新が簡単な作業じゃないことは、彼も重々承知しているの。何か補助的なツールが必要だという話はずっとして来たのよ。だからすごく興味を持ってるわ。」

ほっと息をつく私。

「ただね、今回あなたの作ったツールを本社発信のトレーニングで紹介することになれば、それなりの覚悟が必要になるの。」

何万人という社員に提供し、その評判が悪ければ、「本社はこんなガラクタを推薦したのか」という不満を煽りかねない。パットはおろかフランクの信用も地に堕ちるでしょう。

“It must be bulletproof.”
「ブレットプルーフである必要があるの。」

ブレットプルーフとは、防弾性能付きということ。つまり、多少手荒に扱っても誤作動を起こすことのない完璧なツールが要求される、というのです。そして、全米の重鎮たちに予め了解を取ってから紹介する運びになるだろう、その過程で誰かから痛烈に批判されてポシャる可能性は充分ある、と。メンツを潰されたとか、肩書も無い一社員の作ったファイルなんか信用出来るか、などという理不尽な理由で撃墜されることだってあるでしょう。

「どう思う?」

一瞬固まった後、こう答える私でした。

“Exciting but scary.”
「ワクワクするけどビビるね。」

もともと、「こんなんありますけど、ど~でっか?」くらいの軽いノリで彼女に紹介した自作ツールです。こういう展開になるとは夢にも思っていませんでした。緊張感のインクが、脳からじわじわと全身の毛細血管に広がって行くのを感じます。気が付くと、背筋がぴんと伸びていました。

「これを何万人もの社員が使うことで生産性が一気に向上する場面を想像したら、興奮せずにいられないよ。でも出来ることなら、あくまでひとつの解決策としてこのツールを提案する立場を貫きたいんだ。既に他の方法を使ってうまく行っている人に、僕のツールを押し付ける必要も無いでしょ。」

一旦上層部の手に渡ったら我々のコントロールが及ばなくなる可能性を示唆しながらも、私の基本スタンスに賛同するパット。そして彼女が、こんなことを言いました。

“If someone has already built a better mouse trap, that’s fine.”
「もしも誰かがより優れたネズミ捕りを作ってたのなら、それで結構じゃない。」

ん?ネズミ捕り?私のワークブックをネズミ捕りになぞらえているのか?さっきは「ブレットプルーフ」などというカッコイイ単語まで持ち出したくせに…。

電話を切った後、若い部下のアンドリューに、Build a better mouse trapというフレーズの意味知ってる?と尋ねてみました。

Reinventing the wheel(車輪の最発明)と同じじゃないっすか?」

Reinventing the wheelとは、既に完成形が出来ている製品を開発する、つまり無駄な作業をする、という意味。

「いや、そうかな。だとすると文脈と合わないな。」

私がたった今パットと交わした会話の内容をかいつまんで話したところ、彼がネットで検索を始め、さっと顔を赤らめました。

「あ、全然違いましたね。」

これは、Ralph Waldo Emersonという人の言葉が誤解含みの変容を遂げて広がった表現だそうで、全文はこれ。

“Build a better mouse trap, and the world will beat a path to your door.”
「より優れたネズミ捕りを発明すれば、人々がどっと押し寄せるだろう。」

ネズミ捕りというのはアメリカで最も頻繁に改良が加えられて来た製品だそうで、それだけ利用者数が多いということでもある。だから従来品より性能の良い装置を発明すれば、巨大マーケットが反応して大成功に繋がる、という話。つまりパットは、「このワークブックよりも強力なツールを既に誰かが作っていたとしたら、そっちを使えばいいじゃないか」という私のスタンスを、イディオムを使って表現してくれたのですね。

「シンスケのワークブックが、いずれ全社標準になるかもしれませんね。そしたら一躍有名人ですよ。」

と興奮の笑みを浮かべるアンドリュー。

プロジェクトの成功を陰で支え、PM達が笑顔になる。その喜びを糧にこれまで粛々と任務を遂行して来た私。ワークブックを全社にシェアすれば、より多くのPM達を幸せに出来るでしょう。そんな欲求に突き動かされてがむしゃらに進んだ結果、上層部の誰かの逆鱗に触れてバチンと潰される、そんな哀れなネズミになり果てる可能性は充分あります。でも、ここは行くしかないでしょう。

勝負です。