2017年12月10日日曜日

PTO ピーティーオー

先週水曜の出勤直後。背中にゾクっと悪寒が走りました。あ、ヤバいぞこれは…。かなり深刻なヤツだ。暫くして再びゾクり、そしてまたゾクリ。う~む。大至急早退してベッドに潜り込むべきレベルの発熱予告じゃないか。しかし午後一番でホノルル支社の社員を対象にウェブを使ったトレーニングを予定しており、しかも既に二度のスケジュール変更を経ていたため、ここで更にドタキャンするのは気が引ける。「早く帰った方がいい」という部下のシャノンやカンチーの声を制し、何とか3時まで乗り切ってから早退しようと決めたのが運の尽きでした。

帰宅早々、強烈な頭痛と下痢がスタート。目の奥の疝痛があまりにも厳しく、三秒とまぶたを開けていられない状態がそれから5日間続きます。食欲はゼロ、テレビもスマホも見たくない。更にはわずかな音も臭いも神経に障るので、寝室の扉を閉めてもらって全てのブラインドを下ろし、妻のマッサージとポカリスウェットで何とか生き延びます。ようやくおかゆを食べられるようになっても症状はほとんど改善せず、夜中に何度も猛烈な頭痛で目が覚めます。枕の位置や高さも変えてみたのですが、一向に変化が見られません。これだけ長期間大人しく寝てるっていうのに、どうして頭が痛くなるんだよ!とさすがに自分の身体に対して腹が立ってきました。これはきっと頸椎が歪んでるか何かが原因で、物理的な治療が必要に違いない、と意を決した私は、妻に頼んでBody Craftの川尻先生に予約を取ってもらいました。

この先生は私の駆け込み寺的存在であり、事実上の主治医です。鍼灸やカイロ、フィジカルトレーニングも含めてトータルな肉体のケアをして下さる。特に「痛み」の対処に関しては絶対の信頼を置いていて、どんなに深刻な腰痛であれ胃痛であれ、クスリも使わず鮮やかに消し去ってしまうというマジックを無数に体験して来ました。

「おそらくウィルスに感染しまして、過去5日間ずっと寝てました。下痢は治まって来たんですが、夜中に何度も頭痛で目が覚めちゃいまして。頭痛薬は全く効果なし。きっと頸椎が歪んでいるんだと思うんです。長く寝てる間にずれちゃったんですかね。」

と、首をさすりつつ自己流の診断を披露する私。

「いや、頸椎じゃないですね。」

私の首や肩に触れようともせず、患者の勝手な自己診断をあっさり撥ねつける川尻先生。私を横にならせ、微弱電流を身体に流しつつ、両手の親指と人差し指の股当たりにハリを打ち込みます。一時間の治療後、痛みが驚異的に和らいだのを実感してから、そもそもの原因は何だったのか、という謎解きに入りました。

「ま、簡単に言えば、脳が悲鳴を上げたんですね。」

「へっ?」

働き詰めに働いて、大量の情報が脳に殺到し続けて来た。だいぶ以前から、「頼むからスローダウンしてくれよ」という内なるメッセージを何度も受け取っていたはずなのに、それを無視してエンジン全開で突っ走って来た。もうさすがに限界だ、と音を上げた脳が「システム強制終了」を断行した、というわけ。横になって寝ているのに頭痛がおさまらないのは、自律神経が失調して睡眠中に横隔膜を上下できなくなっているためで、肺呼吸を助けようと首や肩の筋肉が緊急出動し、その緊張が頭痛を引き起こしているのだ。

「人生の優先順位を真剣に見直す必要がありますね。まずはとにかくボ~っとして下さい。」

これが、川尻先生の結論でした。

ウィルスや枕の高さは無関係。私の生き方こそが問題なのだ。これはショックでした。仕事は趣味に等しく、ストレス・ゼロの毎日を過ごしてると公言して来たけど、要はそうやって自分を欺いていただけのこと。本当はずっと以前からメーターが振り切っていた。意識して脳のスイッチを「オフ」にすることで副交感神経の活動を促し、肉体自体の制御能力を取り戻さないとヤバいことになる。だから今は、とにかくボ~っとするべし。

う~ん、ボ~っとねえ。…でも一体どうやって?やり方が分からんぞ…。手っ取り早く考えられるのは、休みを取ること。これまで、部下たちが心配げに「PTO取ったらどうですか?」と忠告して来たことは、一度や二度じゃありません(PTOというのはPaid Time Off、つまり有給休暇のこと)。毎週加算されて行くばかりで一向に消化しないため、遂に会社規定の「頭打ち」レベルに達してしまいました。日数にして約40日間。これ以上はもう増えません。本当は増えるはずの休みをみすみす無駄にするのは悔しいから、毎週金曜にPTOを一日分申請し、一応お休みの態で「のんびり働く」ことにしたよ、と言うと、若手のアンドリューが “You’re crazy.”(頭おかしいよ)とやや気色ばんで毒づきました。これには一瞬ムカッとしましたが、冷静に考えれば上司を気遣う部下として、当然の発言でしょう。

更には、同僚達とのディナーにたまたま参加した妻と息子が、私がPTOをたんまり貯め込んでいる事実を初めて知らされ、以来ことあるごとに、

「ピーティーオー!ピーティーオー!」

とデモ隊のシュプレヒコールさらながらに二人で有給消化を訴えるようになったのですが、それでも態度を改めようとしなかった私。

Body Craftから帰宅後、ダイニングの窓際に椅子を移動し、庭をぼんやり見つめながら、今までの自分を振り返ってみました。そしてゆっくりと、「もしかしたら、これまでの働き方は異常だったのかもしれない」と慎重に自己批判を始めました。僕は本当の意味で、人生を楽しんでいると言えるだろうか?PTOも取らずに仕事に打ち込む。楽しい楽しいと自分に言い聞かせる。大至急頼む、と就業時間外に助けを求められれば余計に燃えてサービス残業に励む。挙句の果てに、肉体が悲鳴を上げて全面ストライキを決行する。こんな人間が、息子に対して、そして部下たちに対して、果たして良いロールモデルと言えるだろうか? いや、駄目だ。直ちに方針転換しなければならない。さっそく行動開始だ!

翌朝8時半頃、妻の運転で息子を高校まで送った後、ラホヤの海岸沿いにある崖際の遊歩道の途中で降ろしてもらいました。いい風を吸って景色を楽しみつつ散歩する、それが目的でした。ところが歩き始めて間もなく、大腿筋と背筋が著しく萎えていることを悟り、たちまち疲労感に襲われます。大型のベンチに腰掛け、上体をねじって背もたれに右腕を掛け、ふと水平線に目をやって息を呑みました。

数時間前から無風状態が続いていたのか、朝の海はまるで巨大な盥に張った水のように静まり返っています。遥か遠くに船影が一隻認められるのみで、白波ひとつ立っていない。私の正面には大きくてまん丸い昼の月が、まるで浮力を使って水から飛び出して来ましたと言いたげに、青空の底にペタリと貼りついている。月面に描かれた灰色ウサギの模様をじっと見つめているうちに、小ぶりな赤い花をつけた遊歩道沿いの灌木に集う小鳥たちのさえずりが、徐々にボリュームアップして来ました。

この瞬間、「ボ~っとする」のがどういうことなのか、生まれて初めて理解出来たような気がしました。何もせず、ただただ水平線を眺め続ける。これ以上にボ~っとした行為があるだろうか?海と空とを十分ほど見つめた後、立ち上がってゆっくりと崖沿いの道を降り始めました。暫くするとさっと視界が開け、お気に入りのCaroline’s Café(キャロラインズ・カフェ)へ到着。平日の朝だけあって客足は鈍く、がらんとした店の一番奥に陣取って、カフェオレを味わいつつ妻を待ちます。

凪いだ海をガラス越しに30分程見つめていると、妻が友人とのウォーキングを終えて現れました。

「ねえ、カフェオレとカフェラテと、カプチーノの違い、知ってた?」

カウンターのところに説明書きがあったのよ、と彼女。

カフェオレは普通のコーヒーに温めたミルクを加えたもの。
カフェラテは、エスプレッソに温めたミルクを加えたもの。
カプチーノは、エスプレッソに泡状のミルクを加えたもの。

へえ、そういう定義だったのか。そいつは知らなかったな。

「これカフェラテ。飲んでみて。」

彼女の差し出したカップからすすった飲み物は、目の覚めるような美味さ。私の注文したカフェオレとは、似ても似つかぬ深みです。

「本当だ。全然味が違う。僕もカフェラテにすれば良かったな。」

昔からコーヒー好きだった私は、かつて銀座や原宿、表参道などで、カフェを訪ね歩くのが趣味でした。それが今では、会社のキッチンで魔法瓶入りの無料コーヒーを日に五回ほどマグカップに注ぎ、何の感動も伴わずに胃へ流し込んでいる。この殺伐とした「気づき」に、何か目の覚めるような思いがしました。

ボクハ、ジンセイヲタノシンデナイ。

極上のカフェラテを飲み終えて二人キャロライン・カフェを出ると、その足で旅行代理店の「3D’s Travel」へ向かいます。過去数ケ月検討を続けて来たのですが、3月最終週から4月第一週にかけて家族で一時帰国することをいよいよ最終決定したのです。そしてサンディエゴ・成田間の航空券を購入。これで、晴れてPTO12日間分の使用が決定です。

木曜日、一週間ぶりに出勤した私は、部下たちに宣言しました。

「これからはスローダウンして、人生楽しむことにした。仕事の割り振りが前よりキツくなるかもしれないけど、みんな協力頼むぜ。」

シャノンもカンチーもアンドリューもテイラーも、「もちろん!どんどん振って下さい」と、皆でこれを歓迎してくれました。ちょっとじわっと来ました。

この週末には、Nespressoのエスプレッソマシーンをネットで注文しました。早朝、明けて行く空を見ながらカフェラテを手に本を読む。これが私の描く、新しいライフスタイルの一部です。

よ~し、お楽しみはこれからだ!


2 件のコメント:

  1. 一週お休みだったのはそういう事情だった訳ね。

    次回帰国がその時期ということは桜満開を狙っての帰国なんだろうね。桜の満開時期は年によって1週間以上のずれがあるので、事前に全国周遊の予定を決めるのは難しいと思うが、満喫してください。
    都内の桜鑑賞目的で「市中引き回しの刑」をご所望なら、バッチリ連れまわしてやるゾ

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  2. ご名答。「観光客に荒らされていない隠れた桜の名所」を狙いたいな。これからスケジュール作成して個別にガイドを依頼します。都内はヨロシク。

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