2016年3月27日日曜日

和を以て貴しとなす

先日、若い同僚のジェイソンがアジア人の中年男性を連れてやって来ました。彼がPMを務めるプロジェクトに協力するためサンフランシスコ支社から出張して来たこの人、どうも日本人らしい、というのです。

今の会社で働き始めて13年以上経ちますが、社内に日本人がいるなどとは初耳です。握手の後、一言二言英語で会話し、恐る恐る、

「日本人ですか?」

と尋ね合う二人。昼休みには二人でバーガーラウンジへ行き、「どういう経緯で今の暮らしに落ち着いたか」を語り合いました。このR氏、上下水道部門の専門家で博士号まで持っています。勤め先が買収されるまでは、カナダやオーストラリアなど、世界のあちこちで活躍して来たそうです。で、二年ほど前サンフランシスコに落ち着いたのだと。勤務先が度重なる吸収・合併・買収によってマンモス企業へと成長を遂げた結果、全くランダムに日本から飛び込んで別々に働いていた二人の男が、こうしてサンディエゴで顔を合わせることになったのですね。

翌日ジェイソンがやって来て、R氏と話せたかと尋ねました。この時の彼の第一声が、これ。

“Yo, Bro!”
「よぉ、ブロ(兄弟)!」

ブロというのはブラザー(Brother)を縮めた言葉。30歳前後の若者が50過ぎの先輩社員にこうして親しみのこもった呼びかけが出来る米企業の職場環境は素晴らしいのですが、これを聞いて前日のR氏との対面について話さないわけにはいかなくなりました。

「あのさ、変に思うかもしれないけど、彼と会った時に最初に頭に浮かんだのは、どっちが年上だろうってことなんだよ。」

アメリカに長く住んでいるとは言え、ここは日本人同士。相手がだいぶ先輩であれば、やはり敬語を使うべきでしょう。向こうも私の年齢が読めなかったようで、お互い出身を聞いたり渡米した時期を尋ねたりして、しばらく探り合いのジャブをちょこちょこと挟みました。でも結局探りきれず、最終的には敬語を交えた中途半端な同輩語に落ち着いたのです。

「相手を敬い、和を保つ(maintain harmony)という文化が我々のコミュニケーションのベースにあるんだ。その際に、年齢や経験の差というのは重要な要素になるんだよ。」

理解に苦しむ様子のジェイソンを見て、先輩社員が若手を厳しく躾ける職場なんてものは、もっと腑に落ちないんだろうな、と想像して可笑しくなりました。日本で働いていた頃は、胸にズブリと突き刺さる苦言を沢山の先輩諸氏から頂きました。そのお蔭で少しは成長出来たと思うのですが、アメリカ企業に勤めてからそういう人間関係を築くチャンスは滅多にありません。

歯に衣着せぬ物言いで周りを困惑させる傾向のあるジェイソンは、相手が会社の重鎮であっても同輩であっても、構わず正論を立てて相手を論破しようとします。こないだも、苛立ちを露わにして私のところへやって来ました。上下水道部門では新しいプロジェクトを獲得する度に、ほぼ無条件で彼にお鉢が回って来るという件。既に十件近く担当しているのに、もうこれ以上は無理だ、とジェイソン。

この会話の数時間後、同僚リチャードがやって来て、ジェイソンが上の方と揉めている状況を話してくれました。会社がPM要件を厳しくしたお蔭で資格を剥奪された元PM達は居場所を失い、担当プロジェクトを残したまま大勢去って行きました。その結果、残されたPM達に負担が重くのしかかる事態があちこちで起こっていて、ジェイソンの担当プロジェクト数は倍に膨れ上がりました。彼の上司ジェフも一応PM有資格者ですが、複数のプロジェクトを監督する立場におり、今更PMにおさまる気は無い。「そんなこと知るか。俺だって大変なんだ。あんたがやればいいだろう。」と正面切って上司に盾突くジェイソンに、皆が手を焼いている、というリチャード。

PMが決まらないからプロジェクトのセットアップが出来なくて、仕事が始められない状態が続いてるんだ。提出物の締め切りが迫っているっていうのにさ。ジェイソンとジェフの我慢比べに、これ以上付き合ってられないよ。」

ランチタイムに食堂でジェイソンと会った際、彼に話を聞いてみました。

「うちの部門にPM資格者が少ないことは重々承知してるけど、こっちのキャパにも限界があるんだよ。それに、他人に責任を押し付けようとする連中は大抵コスト管理に無関心で、だらだら働いてそのまま全部俺のプロジェクトにチャージしてくる。予算オーバーの責任だけ俺がとるなんて、そんな役回りは御免だよ。」

私は思わずこう返しました。

「筋が通ってるし、全面的に賛成だけど、聞いてるこっちはハラハラして来るよ。僕も君と同じ年頃は、そうやって周りとしょっちゅうぶつかってた。正論かまして上司を黙らせるのは確かに痛快だけど、後で冷静に状況を見つめてみると、確実に味方が減ってるんだな。結果的に、仕事がますますやりにくくなるんだよ。長い目で見れば、そこをぐっと堪える方が得かもしれないよ。苦しい立場に置かれている上司をサポートすることで、自分にもプラスが返ってくる、ということだってあると思うんだ。今みたいに人とぶつかり続ければ、折角同情的だった立場の人だって離れていくかもしれない。そうやって孤立すれば、楽しく仕事を続けるのは難しくなるだろ。君のように優秀でやる気のある人が不必要に傷つくのは、見たくないんだ。」

一瞬、叱られた子供のように赤面してからさっと顔をこわばらせたジェイソン。しまった、日本的な価値観を持ち出して立ち入った忠告をしちゃったかも、と戸惑う私でしたが、口から出てしまった言葉は取り返せない。

翌朝、私の席にふらりとやってきたジェイソンが、笑顔でこう言いました。

“I took your advice and accepted the PM position.”
「忠告に従ってPMを引き受けたよ。」

これには意表を突かれました。「和を以て貴しとなす」の価値観が受け入れられることもあるんだなあ…。


2016年3月13日日曜日

NIMBY (Not In My Backyard) ニンビー

あるプロジェクトの財務状態をレビューをするためミニ会議に参加した際、この仕事を引っ張っている生物学部門の重鎮スコットに尋ねました。

「プロジェクト名の頭にあるPPMっていう三文字は、何の略?」

Pacific Pocket Mouse(パシフィック・ポケット・マウス)だよ。」

「え?何それ?」

財務管理のため毎日複数のプロジェクトをサポートする私は、仕事の細かな中身までいちいちチェックすることは滅多にありません。しかしこのプロジェクトは工期が長いため、まず基礎的な不確定要素を洗っておきたかったのです。

スコットとペアで働いている若手生物学者のジャクリンが解説してくれたところによると、これはカリフォルニアの海沿いで砂の中をねぐらとするネズミ。つい最近まで既に死に絶えたと思われて来た、連邦政府指定の絶滅危惧種です。スコットとジャクリンはこのネズミの棲息環境を保護するための仕事をしているのです。その場でiPhoneを使って画像を検索したところ、思わす「おお~っ」と声が出ました。

半分握った掌に納まるくらいのミニサイズ、シルクのような光沢を持つ毛皮、短い四肢にくびれの無い胴体、大きな黒い目。おいおいこれ、ヤバいくらい可愛いじゃん。

「極端に臆病だしストレスに弱い生き物でね。上手くワナをかけて捕獲したとしても、オリの中に数時間放置しただけで死んじゃうんだよ。」

「じゃ、下手に手を出せないね。どんな感じで捕まえるの?」

「俺はまだお目にかかってないから分からないよ。」

「え?そうなの?」

「私もよ。」

とジャクリン。なんと、二人は一度も実物を見たことが無い生き物の保護のために日夜働いているのです。絶滅危惧種が相手なんだから当然かもしれないけど、なんか想像を絶するなあ。帰宅して14歳の息子に写真を見せたところ。

「めちゃくちゃ可愛いじゃん!これ、ポケモンのキャラの元になってると思うよ。」

と大興奮でした。

さて、話は変わり、うちの新居。住宅部分の床面積は普通なのですが、裏庭のサイズはバレーボールコートほどあります。購入時は綺麗に刈られた芝生をぼんやり眺めて楽しんでいたのですが、みるみるうちに雑草に侵略され、気付いた時には腰高の茂みがあちこちに拡がるただの「空き地」に変貌していました。これはいかんと一念発起し、草刈鎌と芝刈り機で大手術。ようやくさっぱりしたので花壇を作り、キュウリとトマトとなすとネギ、それにイチゴの苗を植えました。すると間もなく、周辺にボコボコと新鮮な土塁が出現し始めました。モグラがいるのかな?といぶかり、生物学チームの同僚ジョナサンに尋ねたところ、

「それはGopher(ホリネズミ)だな。肉食のモグラと違って、ゴーファーは草食なんだ。家庭菜園の野菜を狙ってやってくるんだよ。うちは四年かけて大事に育てたアスパラガスを、いよいよ明日収穫しようと思ってた晩にごっそりやられた。ディズニーのアニメで見るみたいに、土の中にスポッ、スポッと引っ張り込んで行くんだよ。賢い奴らで、農作物の食べごろがちゃんと分かってるんだな。」

「え?それは困るなあ。どうすればいいの?」

「ネズミ捕りのワナをかけるんだよ。で、死体を奴らの巣穴に突っ込んでおくんだ。見せしめとしてね。これが一番有効な手段だ。」

さっそく帰宅して息子と一緒にYouTubeで「ゴーファーのワナ」を検索。巣穴から顔を出してキョロキョロと周囲を窺うゴーファーは、予想に反して愛くるしい姿。パシフィック・ポケット・マウスをちょっと大型化した格好です。結構可愛いじゃん、と息子に言おうとしたその時、穴の入り口に仕掛けてあった罠の金具に頭部をバチンと挟まれ、「キュー」と断末魔の叫びを上げた後、ぐったりしてしまいました。息子と二人、黙って顔を見合わせます。

翌日職場でジョナサンに会ったので、

「ネットで調べてみたらゴーファーがあんまり可愛いくて、ワナで殺すのは忍びなくなっちゃた。代わりに、超音波で嫌がらせて庭から追い出す装置を注文したよ。」

そんなものホントに効くのかね、と言いたげな表情のジョナサンに、冗談半分でこう詰め寄ります。

「あんな残酷な殺し方をして何とも思わないの?生物学チームは普段、野生生物を保護するために一生懸命働いてるでしょ。生きとし生けるものに対する大きな愛がそれを支えてるんだと思ってたんだけど…。」

するとジョナサンは、間髪入れずにこう返して来ました。

“Not in my backyard.”

そして忘れずに、略語も付け足します。

“NIMBY.”

NIMBY (Not In My Backyard)とは、「うちの裏庭以外で頼むよ」という意味。社会問題を議論する際などによく使われるフレーズです。街にショッピングセンターを誘致して欲しいけど我が家のすぐそばに来てもらっちゃ困る、などという発言に代表される、「総論賛成各論反対」の主張を表現するのに便利な単語。


そのまんま文字通り裏庭の話にこのフレーズを使うケースは滅多に無いので、ジョナサンと二人、まるで何か望外の大発見をしたみたいに興奮して暫く笑いました。

2016年3月4日金曜日

Don’t shoot the messenger. メッセンジャーを撃つな

今日のランチタイムには、同僚ディックとWaterfrontというパブに行きました。話題の中心は、月曜のランチタイムにあったウェブ会議です。これは最近南カリフォルニア地域のトップに就任したP氏の催したもので、ディックは都合で参加出来なかったのですが、既に大勢のPM達から感想を聞いているとのこと。

「皆の発言を総合すると、どうやらとんでもない内容だったみたいだね。」

とディック。最近テキサス州ヒューストンからロスに引っ越して来たというP氏は、空軍出身のコワモテ。30分ほど喋りまくったのですが、その間ジョークのひとつも笑い声もなく、一貫して「君達はダメだ。このひどい状況を改善しなければならない。」というメッセージを繰り返すばかり。

冒頭、「Imperatives」と題した4つの行動を説明するP氏。え?インパラティヴ?初めて聞く単語です。プレゼンを聞きながら辞書を引いたのですが、今一つ意味が呑み込めないまま会議(演説?)が終了しました。

「ビジネス・シーンじゃなかなかお目にかからない言葉だよ。」

とディック。

「課題とか行動目標ってこと?」

「いや、そんな生易しいものじゃないね。文章の四タイプっていうの、学校で習わなかった?」

列挙して説明するディック。

Declarative Sentences(平叙文)
Imperative Sentences(命令文)
Exclamatory Sentences(感嘆文)
Interrogative Sentences(疑問文)

「つまり、Imperativesってのは命令だよ。それも、ビックリマーク付きの強烈な奴ね。やれ!とか、やめろ!とかね。それにしても、会社のプレゼンにそんな言葉を使うかね。」

驚きを隠せない様子のディック。どうやらP氏は、ビジネス用プレゼンに我知らず軍隊用語を持ち込んだみたいです。

「僕がもっと驚いたのはね、」

と私。

「会社を去ったPMのプロジェクトを引き継いだ場合、30日以内に内容を精査し、重大な問題があったら上司に報告、それを基にRe-baseline(計画・目標の再設定を)せよ。これ以降に起きた問題は全て君たちの責任になる、そういう言い方をしたんだよ。既にオーバーワーク状態のPM達にいきなり誰かのプロジェクトを押し付けておいて、30日で全てを理解せよと要求するのは、かなり無理があると思うんだよね。」

ディックも大きく頷いて同意します。

30日のくだりで、彼は更にこう言ったんだ。」

“We’re not gonna shoot the messenger.”
「我々はメッセンジャーを撃たない。」

これは頻繁に使われるフレーズです。この場合のメッセンジャーとは、「悪いニュースを伝える人」という意味。つまり、プロジェクトを精査していて何か深刻な問題が見つかったとしても、隠さずに報告せよ、そのことで罰したりはしない、と言いたいのでしょう。このセリフ自体には問題無いのですが、私が気になったのはその使い方でした。

「プレゼン中、彼はこのフレーズを三回も使ったんだよ。そんなに何度も繰り返されたら、真意を勘繰りたくなるでしょ。それに、30日間の猶予を与えるという但し書きを加えた時点で、31日目からは容赦なく撃ちまくるぞ、という脅しにも聞こえるじゃない。」

「うん、皆も言ってたよ。あれはプレゼンじゃなくてお説教と脅迫だって。」

とディック。軍隊式の鉄拳統治をうちのような会社に適用しようなんて、随分思い切った話です。

「まあでも、会社のトップが彼みたいな人物をあのポジションに据えるには、それだけの理由があるはずだよね。これから恐怖政治が始まるのはほぼ確実だ。」

暗澹たる気分で昼食を頬張る、中年男二人。私の頭には、軍服姿のコマンダーPが銃を構え、整列したPM達を無表情で一人ずつ処刑していくイメージが浮かんでは消えて行きます。まるで同じ幻影を目にしていたように、

「手遅れになる前にさっさと転職して行く社員も少なくないだろうな。」

と苦笑いを浮かべるディック。

「あ、ちょっと待てよ。来週あたり、社員アンケート調査が始まるんじゃなかったっけ?」

と私。全社員に対する無記名の意識調査が毎年3月上旬に実施されることを、急に思い出したのです。さっと顔色が明るくなるディック。

「そうだ!皆でアンケートにボロクソ書けば、おっさんを辞めさせられるぞ!」

「彼はこの会社に来て日が浅いから、まさかそんな調査があるなんて知らないんだろうね。」

「うん、最悪のタイミングで俺たちを追い込んだことにまだ気が付いてないな、きっと。」

ほくそ笑む二人。一気に形勢逆転です。圧政に屈しそうになっていた群衆が銃を手に立ち上がり、独裁者を包囲して一斉に銃口を向ける図に変わったのでした。