2020年4月12日日曜日

Put it in perspective ちょっと引いて考えてみる


4月3日の朝。アメリカ地域のトップであるスティーブが、二万人を超える社員に向けてビデオ会議を催しました。エグゼクティブは二割、フルタイム社員は一割の減給でコロナ危機を乗り切ることにした、というのがそのメイン・メッセージ。デザイン・エンジニアリング・コンサルティングビジネスは在宅勤務でも遂行できる業務内容が多いため、こうした事態でもさして影響は受けないと思われがちですが、クライアントがプロジェクトの一時休止を決断するケースが出始めたため、このままでは大規模な人員整理を避けられない、ついては皆で痛みを分かち合うことにした、とのこと。

当然、社員一同ざわつきます。今でも何とかやり繰りして日々を乗り切っているというのに、これ以上給料削減されたらやって行けないじゃないか、と。富裕層ひしめく私立大学に無理して息子を入れてしまった我が家でも、向こう三年半の学費支払いに暗雲がたち込めます。かくなる上は、無駄な出費を抑えて緊縮財政を徹底するしかない、と冷蔵庫や食糧庫の中の物をかき集めて料理する毎日。

実は、こういう時こそライフスタイルの転換を図るチャンスだぞ、と三週間前から野菜作りプロジェクトに乗り出していた私。自宅で野菜を相当量収穫出来れば、少なくとも食費の削減は可能だし、第一健康的な趣味がゲット出来るじゃないか、と。さっそくレタスやキュウリの苗を買って来て庭に植えてみたのですが、ゴーファー(土ネズミ)に根こそぎ持っていかれたり、あっという間に枯れて跡形も無くなったり、となかなかうまく行きません。かくなる上は、と自宅の裏庭で本格的に農業を始めたアーサー君という知り合いの息子さんにメールを書いて指導を仰ぎました。

「一番重要なのは土作りなんだ。まずはガーデン全体にシートマルチングを施して雑草の繁殖を抑制し、健康な土壌を育てることから始めるといいよ。」

ううむ。なんか知らんがむちゃくちゃ面倒そうじゃないか。

「あと、とにかく好奇心を持って色々試しながら改良を加えて行く、という心構えで行くといいね。土に触れてみて、どれくらい湿っているか、植物の調子がいい時の土の具合はどんなものかを観察してみることだね。」

ありゃりゃ。思ったより息の長い学習が要求されるみたいだぞ。もうちょっと楽な道は無いもんかな。いつもの怠け心が頭をもたげ、YouTubeの「野菜栽培ハック」的なチャンネルをガンガン見始めました。そこで私の心を奪ったのが、「切り落とした人参の頭を使って再生栽培する方法」というもの。トップの周囲に三本の楊枝を刺し、水を注いだ小さなガラス瓶の上に浮かせるようにして設置(切断面を水に浸して根を生やさせるためですね)。ハイスピードカメラの映像で、緑の葉と茎がぐんぐん伸びて行く様子が流れます。おお、これならすぐに取り掛かれるじゃんか。さっそくやってみよう!意気込んで冷蔵庫から人参を取り出します。トップを切り落として水栽培セットを六本作製し、キッチンの出窓に並べました。するとびっくり、三日もしないうちに根と芽が現れ、一週間で緑の茎が一センチほど伸びたのです。こ~れは楽しい!

さて、話変わって木曜日のこと。新しいボスのカレンと、彼女のもうひとりの部下であるアリーナとの電話会議がありました。

「正直、今回のスティーブのアナウンスには意表を突かれたわ。」

とカレン。

「会社の冷血な意思決定を長年見続けて来た私としては、もう間違いなく大量解雇に打って出るだろうと踏んでたのよ。それがなんと、皆で一緒にピンチを乗り越えましょうなんて言い出すとは。ちょっと気味が悪くなったわ。」

「給料ゼロよりは9割の方がずっとましだものね。」

カレンの皮肉なコメントには付き合わず、安堵の声を漏らすアリーナ。

“Let’s put it in perspective.”

とカレンが続け、

「航空業界、ホテル業界、レストラン業界が経験してる痛みを考えたら、報酬の一割削減なんて、ラッキー過ぎるお話じゃない。」

と締めます。おお、今のフレーズしょっちゅう聞くし、意味も何となく分かるけど、そもそもPerspective(パースペクティブ)って何だっけ?それに何故、 a とかtheとかの冠詞が付かないんだ?そんな疑問が湧いたので、さっそくネットで調べてみました。

Perspective 透視画法、遠近図

つまり、二次元である紙の上に遠近法を使って三次元的に描かれた世界を示す名詞ですね。

“Paint in perspective.”
「遠近法で描く」

というように画法の話をしているので、冠詞が付かないのも頷けます。

“Let’s put it in perspective.”

を直訳すれば、

「遠近法で見てみましょう。」

となるわけですが、これは対象を三次元で、つまり広がりや奥行きも合わせて見てみよう、という話。全体像を捉えてみよう、広い視野で見てみよう、という訳が一般的みたいです。私の意訳はこれ。

“Let’s put it in perspective.”
「ちょっと引いて考えてみましょう。」

暫しの静寂の後、アリーナが静かな口調で語り始めました。

「私の家族は全員ロシアに住んでるの。四月一杯は外出禁止になったらしいんだけど、あっちはそもそも在宅勤務が出来るようなインフラが整っていないのね。事実上の集団失業よ。事態がいつどう改善するか全く見えない状態で、皆すごく苦しんでる。アメリカじゃ失業者や収入が激減した人達への現金給付が検討されてるって話を聞いて、あんたは恵まれてるねって言われたわ。ロシア政府にはそんなこと期待出来ないから。」

なるほど。国や地域によって対応もバラバラなんだな。そんな風に全体像を捉えてみたら、確かに我々はまだまだ恵まれた立場にいると言えるでしょう。これ、精神衛生上非常に大事な考え方だと思います。

さて、人参の成長を観察するのが朝の習慣になった私は、今朝も起床とともにキッチンへ。順調な生育ぶりを確認した後、ふとこの先はどうしたらいいのかな、と疑問が湧きました。さっそくスマホで検索。

「水栽培で育つのは葉っぱのみ。実は出来ません。人参を育てたければ種から植えましょう。水栽培は、子供のための教育プロジェクトなどに最適です。」

ガ~ン!

食糧自給という高みを目指していたはずの私はこの二週間、お子様用実験に夢中で取り組んでいたのか。面倒くさがって近道を進んだばっかりに…。数秒間ショックで立ちすくんでしまいましたが、そのうち段々笑えて来ました。いやいや、これも植物栽培を楽しむようになるための、大事な一歩じゃないか、決して無駄にはならんぞ。

ちょっと引いて考えることを習得したお蔭で、スピーディーな立ち直りが果たせたのでした。