2020年8月2日日曜日

Go haywire メチャクチャになる


火曜の午後のこと。同僚ディックがマイクロソフト・ティームズでテキストを送って来ました。自分がPMを務める新プロジェクトのキックオフ・ミーティングが来週あるんだが、クライアントが藪から棒にCost loaded schedule(コスト・ローデッド・スケジュール)を提出しろと言って来た。突然の依頼に一同大慌て。そもそも事前に提出したスケジュールだってチームの誰かの急ごしらえであり、大幅な手直しが必要だ。スケジューリングソフトをまともに使えるメンバーがいなので、まずはそのステップに不安がある。オリジナルのファイルが紛失してしまいPDFバージョンしか残っていないので、一からやり直さないといけない。たとえ無事複製出来たとしても、スケジュールに「コストを載せる」手順を知る者がいない。仕方なく自ら取り組もうとしたところ、ソフト(MSプロジェクト)自体がコンピューターから消えていた(我が社のITグループはコスト削減のため、ユーザーが一定期間以上使用していないソフトを警告抜きで消去していくのです)。八方塞がりのままクライアントとのミーティングが急速に近づいて来る…。助けを頼めないか?

「持ってる情報を送ってよ。詳しくは電話で聞くから。」

木曜の午後に電話会議をセット。さっそくミーティング前に、彼から送られた資料を元にコスト・ローデッド・スケジュールを作成しておきました。

「これこれ!素晴らしい、有難う。もう完成品が出来てるじゃないか。これで来週のミーティングは安心だ!」

コンピュータ画面に映し出されたコストプラン表に、歓喜の声を上げるディック。電話会議の後で私の作業がスタートするものと予想していたであろう彼には、思いがけないイリュージョンだったのでしょう。しかし種明かしをすれば、この手の仕事は私にとって珍しくもなんともなく、一時間もかけずに仕上げられる程度の初歩的なお題なのです。「一応これで飯食ってますんでね」と肩をすくめるレベル。ある個人にとっては極めて難解な問題でも、その道の専門家に頼めばあっという間に解決する。これは至極当然なお話なのですが、問題の渦中にいる者にとってはマジシャンに魔法を見せられるようなものなのだ、ということをあらためて感じたのでした。

ところで電話の冒頭で、彼がこんなフレーズを使ったことに気づいていました。

“Things went haywire.”
「物事がヘイワイヤーになっちゃった。」

この表現、実はたまたま前日に他の同僚の口から飛び出して、意味を調べておいたところでした。Haywireというのは丸めた干し草を縛っておく金属のワイヤーで、かつてはそこかしこに捨ててあるようなものだったそうです。工作物の補修などに再利用されがちだったにもかかわらず、簡単に絡み合ってほどけなくなってしまうため、”Go haywire”が「事態がこんがらがって収拾がつかなくなる」という意味になった、とのこと。

ディックが言いたかったのは、こういうことですね。

“Things went haywire.”
「メチャクチャになっちゃってね。」

サウスダコタの農村地帯から来た彼にとっては、干し草もそれを止める金具も珍しくないかもしれません。しかし都会育ちの私には、いまひとつイメージが湧かない言い回し。そもそも目にしたことが無いので何とも言えないけど、ワイヤーが絡みついたからってそんなに困るか?と首をかしげてしまうのですね。

さて話は変わり、我が家の裏庭にある約6メートル四方の農園に、一週間ほど前から異変が起き始めました。木片(マルチ)を被せた周囲のエリアも含め、体長五ミリにも満たない虫の大群が地表面を覆い始めたのです。近づいてみるとこの虫、蟻とは見た目の特徴が異なるものの、そのサイズや振る舞いは酷似しています。群れを成し、おまけに羽が生えている。一匹一匹はまるでランダムなブラウン運動を繰り返しているようにも見えますが、少し引いて見るとまるで魚群のように大きなうねりを形成している。その一帯に足を踏み入れると、まるでこちらの動きを見越していたかのように群れが同心円状に退却し、逃げ遅れた何匹かは私の靴に這い登ります。捕まえようと手を伸ばすと羽を使って飛び去り、その俊敏さには何か高い知能のようなものを感じて背筋がゾクリとします。

反射的に、数年前に入手した「アリの巣コロリ」を出して来て、特に交通量の多そうなスポットに設置してみました。一昼夜経過観察をしたのですが、罠にかかる気配が全く無い。敵が蟻では無いことがこれでほぼ決定したのですが、さてどうしたものか。よくよく考えれば、土の上で植物を育てているんだから虫が出るなんてことは自然な現象じゃないか、まあ騒ぎ立てることもあるまい、と暫く様子を見ることにしたのですが、彼らの集団規模はみるみる拡大して行き、農園を囲う低いフェンスを乗り越えてじわじわと住居に迫って来ました。遂にベッドルームのガラス窓を何十匹も這い回り始めたのです。あろうことか、隙間から一匹、また一匹と侵入を始めたではありませんか。虫嫌いの妻にとって、これ以上の恐怖体験は無く、何とかして!と悲鳴をあげます。

これはさすがに放置出来ないな、と液状石鹸を水で薄め、ビシャビシャと上から浴びせかけます。住居内への侵入を図っていた先鋒部隊を、とりあえず壊滅に追いやりました。夥しい数の死骸が銀色のアルミサッシの上で、盆にばら撒かれた黒胡麻のように拡がります。やれやれ、と一息ついたものの、振り返れば後続部隊がじわじわと陣形を整えています。かくなる上は、と数ヶ月前に害虫駆除をお願いしたペストコントロール会社のオスカーにお出まし頂いたところ、

「これは我々の専門分野じゃないですね。残念ながら何も出来ません。」

と申し訳無さそうに言うじゃありませんか。

彼らのライセンスは構造物に湧く害虫が対象で、庭に現れる「ランドスケープ・ペスト」と呼ばれる虫については手が出せないとのこと。なんと、害虫駆除業界にそんな線引が存在したとは…。さっそくネットでランドスケープ・ペストの駆除ライセンスを持つ近所の会社に問い合わせたところ、若い男性を派遣してくれました。

「いやあこんな虫、今まで一度もお目にかかったことが無いですねえ。」

首をひねる担当者。会社が駆除対象としている害虫リストに含まれていない以上、何も手出しが出来ないと言うのです。おいおい、ほんとかよ。害虫駆除業者がお手上げなんて…。

害虫でないというなら普通の虫だよな、それでは、と写真を撮り、同僚の昆虫博士エリックにテキストします。すると数時間後、サンディエゴ支社の生物学チームが誇る重鎮フレッドから電話が入りました。

「エリックから写真見せてもらったよ。彼も僕も、初めて見る種なんだ。残念ながら僕らには特定出来ないけど、是非これが何という虫か知りたい。今から言うアドレスに連絡して問い合わせてみてくれないか?」

なんと、我が社を代表する専門家二人でも断定出来ないような珍種の虫が、うちの裏庭で暴れまわっているようなのです。彼らが興味津々なのも頷けます。う~ん、でもね、僕はそれが何であるかを突き止めたいわけじゃなく、いなくなってくれりゃそれでいいんだよね。段々話がこじれて来ちゃったなあ…。

フレッドに教えてもらったアドレスは、サンディエゴ郡に住むガーデニング・マスター達が組織する非営利団体。あくまでもボランティア集団ですが、生物学の大家達が結集したグループみたいなのです。ここに質問を投げ込んで何が返ってくるか見てみよう、というのが彼のアイディア。

写真と状況説明をメールで送り、待つこと数時間。返って来たのは、こんな返事でした。

「これは恐らくLarder Beetlesに近い種ですね。添付リンクを見て下さい。」

ハイパーリンクをクリックすると、ミネソタ大学のサイトに飛びました。ところが、そこに掲載された写真はどう見てもコガネムシとかカメムシの一種。いやいや、これは絶対違うぞ。アリくらいのサイズだってちゃんと書いたのに…。なんだよ、期待して損したじゃないか。これでとうとう迷宮入りか…。

ここまでの顛末を18歳の息子に話したところ、彼が去年インターンシップを経験したサンディエゴ自然歴史博物館の昆虫部門のトップを務めるジムに聞いてみようか、と申し出ます。うん、それはいいね、是非頼むよ、と答えてから妻にここまでの経緯を伝えたところ、その予想外の展開に感心するかと思いきや、

「どーゆー人脈?」

と我々男子二人の持つネットワークの奥行きに驚嘆していたのでした。

「え?そこ?」

とウケながらも、確かに僕らの知り合いには凄い人たちがいっぱいいるんだなあ、と静かに感動していました。結果的に解決には至らなかったけど、いざとなれば頼れる専門家が自分の周りには沢山いるのだというのは、なかなか嬉しい気づきです。

実を言うとこんなドタバタの最中、この新種の虫の勢いが段々と衰えているのに気づいていました。二人目の害虫駆除業者が来た時も、大騒ぎしていた割には数が少なくて拍子抜けしていたみたい。あれ?何もしていないのにどうしたのかな?と訝っていたところ、息子がこう言ったのでした。

「ちょっと前だけど、でっかいトンボが四匹飛び回っているのを見たよ。」

両手の人差し指を立ててその大きさを示した彼ですが、それが本当だとすれば体長10センチを超えるサイズです。

「あの四匹が虫を退治してくれたんじゃないかな。」

トンボの他にもアブのような昆虫がブンブン飛び回っていたとのこと。そうか、きっとエコシステムがきちんと機能して、過剰に発生した種の繁殖に気づいた天敵種が現れて食べまくったのでしょう。う~ん素晴らしい。専門家達が大勢で首をひねっている間に、自然の方で勝手にバランスを取り戻してくれていた。

気づいた時には、すっかり元の静けさを取り戻していた我が家の裏庭。

我々の生きるこの世界は、カオスと秩序が入れ替わり立ち代わり現れ、その都度落ち着くところに落ち着いているんだなあ、という深い感動を噛み締めた週末でした。

4 件のコメント:

  1. 専門の仕事とはいえ見事な仕事ぶりだことで、ディック氏には「礼にはおよびません、仕事ですから」って言った?(笑

    世の中にはコーディネータと呼ばれる、人脈を糧として仕事をしている人たちがいるようだよね、コンシュルジュとか、映画のプロディーサーとかもそんな仕事だと聞いたような気がするね、もっと戦略的なのはフィクサーとか。
    単に聞いた先では解決しなくても、聞いた人がまた次の人を紹介してくれようとする、ってのは単に顔が広いというだけでは実現しなさそうだよね、この人のためにちょっと骨を折ってやってもイイかなと思わせるような日常の生活態度が、そういった実績を生むのだろうねぇ。

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    1. それそれ。面と向かってだったらそういうボケを試したいところだったんだよね(通じないとは思うけど)。今回気づいたのは、専門家というのは大抵、助けを求めれば一生懸命力になってくれようとするものだ、ということ。沢山知り合いがいても、ほとんどの人は彼らのポテンシャルを使う機会があまり無いし、遠慮が邪魔して使えてないんだよね。だからどんどんヘルプをお願いした方が、トータルで世界のためになると思うんだよね。

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  2. アメリカンなトンボってなんかビッグ・サイズなイメージだね。昔、長野で見たオニヤンマにはびっくりしたが、あんな感じなのか?
    今年はまたアフリカ方面でバッタの大発生があったみたいだけど、バッタだと手におえなくても、羽蟻くらいだったら食物連鎖でうまく処理されるのかもね。

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    1. 何であれ、異常発生しないことを祈ってます。トンボもバッタも日本のと同じくらいのサイズだと思う。長野で見たオニヤンマ、思い出した。あ~れはデカかったなあ。井上陽水の「少年時代」が頭の中で流れたぞ。

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