2020年8月16日日曜日

I’ve been around, you know. なめんなよ


お気に入り映画ベスト10を決めるとしたら五位以内には必ずランクインすると思う作品に、Scent of A Woman(邦題:セント・オブ・ウーマン/夢の香り)があります。一年に三回以上は観直していますが、毎回必ずクライマックスで涙腺ダムが決壊し、1,000キロカロリー以上は消費したんじゃないかと思うほど大量の涙を放流させられます。アル・パチーノ演ずる盲目の退役軍人フランクは人生に絶望していて、感謝祭の休みにニューヨークで贅の限りを尽くした末に自決しようと計画している。その付添人として雇ったバイトの高校生チャーリー(クリス・オドネル)は、田舎の貧しい家庭からやって来た実直な青年。高級売春婦を買い、超一流ホテルのレストランで食事をし、と想像を絶する放蕩ぶりに呆れながらもフランクに付き合っているうち、彼の企みを知ることになります。あろうことかこの青年は、自らの命も顧みずに老人を死の淵から救うのです。この後の展開は本当に毎度毎度唸らされるのだけど、今度は老フランクが若きチャーリーを大ピンチから助け出すのですね。それも、たった一本のスピーチで

先日ふとこのシーンを再生してみたのですが、やはり非の打ち所の無い大団円でした。全校生徒の前でチャーリーが校長のトラスク氏から退学を言い渡される場面で、フランクが「真のリーダーシップとは何か」という演説をぶつのです。後ろ暗いところのある校長はフランクを黙らせようとするのですが、ここで彼が声を荒げます。

“Who the hell do you think you’re talking to?”
「一体誰に口をきいてると思ってるんだ?」

そして微かに顎を上げ、背筋を伸ばしてこう続けるのです。

“I’ve been around, you know.”

字義通りに訳せば、

「あちこちで色んな経験を積んで来たんだぞ。」

となりますが、意訳すればこんなところでしょう。

「なめんなよ。」

厳しい軍人生活、そして視力を失い、「自分のような人間が生き続けて良い理由」を問い続ける後半生。苦しみながら人生と向き合ってきたフランクが、無闇に権威を振りかざす校長の戯言に耐えかねて発したセリフでした。こういうの、リアルな場面で使えたらさぞかし溜飲を下げるだろうなあ、と思う私。

さて、話変わって先月末の木曜の午後のこと。仕事中、一通のメールが届きます。スクロールしてみると、受取人の数はざっと百を超えています。上司のカレンや、その上司リックの名前も含まれている。タイトルはVoluntary Separation Planで、翌週月曜のお昼に催される電話会議に参加して下さい、とのこと。差出人は我が環境部門のトップ・エグゼクティブ。ん?何のことだ?Voluntary(自らの意思による)Separation(お別れ)のプラン?十秒ほど考えて、ようやく事態が飲み込めました。これは、「自主退社希望者募集」の御触れだったのです。とうとう来るべき物が来たか…。コロナの影響で4月から全社員給料一割削減を展開していたのを、今月になって元に戻したばかり。しかしその一方で、近いうちに抜本的な経営改善の一手が打たれるだろうという噂は流れていました。だからそれほど驚くに値しないニュースとは言えるでしょう。今から数週間内に希望を出せば通常より幾分か手厚い解雇手当が受けられますよ、という甘い文句で誘惑し、この機会を逃せば後日あらためてレイオフを言い渡された時に後悔するぞ、と脅すのがプランの主旨。

後で思い返してみると、この時の私は妙に落ち着いていました。アメリカで働き始めて約18年。とうとう自分も自主退社希望候補者リストに名を連ねるようなステージに辿り着いたのだという感慨を、薄っすら笑いながら味わっていたのです。そして、「切るなら切れや。すがり付くつもりは毛頭無いが、甘い誘いに乗る気も無いぜ。」と胸を張っていました。だって、どう考えたって今の私を辞めさせるのは得策じゃないのです。進行中の巨大プロジェクト数件の中枢にいるし、十数人の部下を育てている最中だし、しかもutilization(稼働率)だってかなり高い。辞めた方が良い理由はひとつも見当たらないのです。

「それは勝手に自分で思ってるだけでしょ。」

と、この説明を聞いた妻が心配げに眉をひそめました。

「そうだよ。もちろん上層部の誰かがお構いなしに切ってくる可能性はある。でもそんなこと心配し始めたらきりがないでしょ。」

と私。理不尽な解雇劇の犠牲にならないために、打つべき手はすべて打ってある。それでも理屈抜きで解雇して来るなら、「お前らホントにアホだなあ」と笑いながら辞めてやるよ、という覚悟はあるのです。

週が開けて月曜のランチタイム。いよいよ問題の電話会議に参加します。始まって数分して、どうやら自分が呼ばれたのは自主退社希望候補者としてではなく、「リストに載っている社員の上司として」であることが分かりました。今年2月に私のチームに加わった勤続30年のベテラン社員アリーシャが候補に挙がっていたのです。え?なんで?合点がいかない私は、早速翌日の早朝に彼女との電話会議をセットしました。

予想通り、がっつり落ち込んだトーンのアリーシャ。

「人事が言ってたように、これはあくまでも希望者を募集してるってだけの話だよ。君が確実にターゲットにされてるわけじゃない。いくつかの経営指標で篩にかけてみたら名前が残ったってだけのことだと思う。そのフィルターにしたってどれだけ意味があるか謎なんだ。今辞めることは無いよ。仕事は山ほどあるんだから。」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、今回はさすがに堪えたわ。あなたのチームに入る以前にも色々あったでしょ。辛い経験の数々を思い出して、もう潮時かな、と思ってるの。これは何かのお告げかもってね。」

昨夜、ご主人ともじっくり話し合ってみたとのこと。

「それに今ここで延命してもらったところで、数ヶ月後にあっさりレイオフされる可能性は否めないでしょ。」

これには私も、正直にならざるを得ませんでした。

「うん、それについちゃ何の保証も出来ない。でもさ、僕だってカレンだってリックだって全員そうなんだぜ。いつでも誰にでも首切りは起こり得るんだ。」

「そうね。でもやっぱりちょっと考えさせて。」

アリーシャは去年、プロジェクトコントロールから離れレコードマネジメント部門に配属されました。実はこの異動、コンサルティング・ファームで働く者にとっては危険な賭けだったのです。プロジェクトに参加しないため「稼働率ゼロ」の状況が続き、細かい事情を知らない上層部の人間は過去の統計数字だけ見て、彼女を「お荷物」と評価してしまう可能性が高くなります。今回まさに、そういう誤解が起こってしまったのですね。

さらに、年末プロジェクトコントロールに戻ったアリーシャは、散々もがいた末に大きなプロジェクト・チームにおさまります。ところがその僅か四ヶ月後、プロジェクトの経営状態が振るわないため、彼女の仕事を賃金の安いルーマニアのチームに任せることを上層部が決定。自分の仕事を奪うことになる地球の裏側の社員を、早朝や夜間を使って指導することになったアリーシャ。さぞかし悔しかったことでしょう。そんな不運な出来事が立て続けに起こったため、すっかり士気を失ってしまっていたのです。

そしてこの電話の二日後、彼女から正式に退社希望を知らされた私。こういうことは本人の意思を尊重するのが一番なんだと自分に言い聞かせつつ、何ともやりきれない気分でした。

金曜の朝、約十ヶ月ぶりに副社長のパットと近況報告のための電話会議をしました。当然、私からはアリーシャの一件を話すことになります。

「何ですって?」

といきり立つパット。

「そういうの、一番頭に来るのよね!」

慰留できなかった私を責めるわけではなく、官僚的で血の通わないメッセージを無差別に送ることで社員の士気を削ぐ愚かさに対して憤慨する彼女。

「社員を人間扱いしていない証拠でしょ。数字だけ見て、お前は役立たずだと決めつけてるわけだから。」

会社の図体が大きくなるに従い、上層部は効率的な意思決定のため細かい配慮を省くようになる。自分が番号札を首から掛けられた家畜のような存在であることに気づかされた社員は、組織への帰属意識を捨て去ることになる…。

「そもそも会社のトップは、プロジェクトマネジメント経験も無い財務畑の人間ばかりだからね。現場の苦労など分かるはずもない。」

と私。

「そうなの。勘定の得意な者ばかりが幅を利かせてるのは問題よ。どんなに優秀か知らないけど、アカウンティング・ファームから転職して来たばかりの若造が、物知り顔でプロジェクトマネジメントについて得々と語ったりするのよ。この私に、よ。」

プロジェクトコントロール畑を四十年近く歩んで来たパットにとっては、許されざる無礼。この時、やや間を置いて彼女が放ったのが、このフレーズでした。

“I’ve been around, you know.”
「なめんじゃないわよ。」

こちとら伊達や酔狂で長年この仕事やってんじゃねえんだ。見くびんなよ。いつかこういうドスの利いたセリフを、思い上がった秀才野郎に向かって叩きつけてやりたいものだと思う私でした。


3 件のコメント:

  1. アリーシャさんのような方、わきで見てるのつらいですよね。以前同通の仕事で、2007年に襲い掛かる不景気の波を受けて、某外食企業本社の人員があれよあれよという間に三分の一減りました。先週一緒に東京とのビデオ会議を仕切っていた人が、今週はいない・・・。こういう際には米企業は情け容赦なくバッサリ。ダイナミックなのは結構かもしれないけど、嗚呼無常。

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    1. アンルイスですね。街に霧が降る、と…。アリーシャは今朝、一斉メールで皆にサヨナラを言いました。私は送別の返信メールを書くのに、随分長い時間かかりました。

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  2. 先日、ずい分前に録画していた「セント・オブ・ウーマン」を観ました。正直に言うと第一の感想は「長いな・・・」って感じだったが、アル・パチーノ演技には唸らされたね。言うことがコロコロ変わるあの主人公に、オイラはついていけなかったのだが、キミの場合は軍人さんの父君で慣れてたのカナ?

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