「今回のコースもヤバいよ、ほんと。」
電話の向こうで大学三年の終盤を迎えた息子が、しみじみとした口調でそう告げました。彼が今回履修しているのは、Entomology(昆虫学)。博物館や他大学での豊富な勤務経験を持つ教授が担当する講座で、あまりの面白さで集中力が途切れないと言うのです。
「一言も聞き逃したくないんだ。」
注意力のレベルに関してはとても褒められたものじゃないこの若者にそこまで言わせるからには、相当なクオリティの講義に違いありません。
「今日の授業ではさぁ…。」
サバイバルのために生物達が会得して来た擬態パターンの数々を、詳しく解説する息子。毒を持つ別種と外見を似せたハチ、警戒心を煽る風体の蛾に瓜二つな蝶。ある種の昆虫にその葉を食い荒らされてきた樹種は、進化の過程で様々な形状の葉をつけ天敵の目を欺くようになった、などなど。
「面白すぎてたまんないよ。二つ続けて大当たり。」
前回のコースでは、パンデミックや生態系の変化など、自然界のあらゆる現象を数理モデルを使って分析するという課題にどハマりした息子。この世界は密接に繋がっていて、どこかで起きた些細な変化が巡り巡って別の場所に、ひいては全体に影響を及ぼすという現象をコンピュータ・モニター上で視覚化するのですから、彼の興奮は理解出来ます。この時学んだことが今回のコースにも生きて来ているという息子。
「組織も経済も歴史も、みんな同じだよね。すべてのパーツが絶えず影響を与えたり受けたりしながら変化を続けてる。我々はついAが起きたからB、というリニアな考え方をしがちだけど、世界は大きな塊として動いてるんだもんね。」
と私。
「だよね。そういうの、Think
like a mountain って言うんだよ。」
と息子。
Think like a mountain(山のように考える)というのは、初めて聞く表現です。電話を終えてからネットで調べてみたところ、これはアルド・レオポルドという環境系の学者が「野生のうたがきこえる(A
Sand County Almanac)」という本の中で使ったフレーズで、ひとつひとつの事象を単体で捉えるのではなく、生態系全体を密接に連携したひとつのシステムとして考えなさい、という教え。私の意訳はこうなります。
Think like a mountain.
ひとつの大きな系として捉えなさい。
コロナウィルスやウクライナでの戦争は疑いもなく世界に多大な影響を及ぼしているけど、僕らひとりひとりの何気ない一言ですら、組織や社会を変える力がある。そういうマインドセットを持った途端、ネガティブではいられなくなります。
さて、今週水曜は久しぶりにダウンタウンのオフィスへ出勤。若手エンジニアのキャロリンが再会の喜びに顔をほころばせて近づいて来たので、会議室でひとしきり近況をシェアしあいました。
彼女の直属の上司だったドミニクが会社を去ったのは、およそ一年前。以来空席が埋まることなく、ドミニクの上司だったリチャードによる兼務が続いた。つい最近、別会社から引き抜かれたジェイソンの就任が決まり、ようやく一安心。
「どんな人なの?」
と私。
「地に足ついた、ごく普通の人よ。」
ごく普通の人、という言い回しが誤解を招く可能性を案じたのか、彼女が急いで付け加えます。
「彼が前の会社を辞めた後、部下だった四人が同時に転職して来たの。その事実だけとっても、彼がどれだけ信頼されてた分かるでしょ。なのに全然偉そうじゃないし、私に対してもすごくフレンドリーに接してくれるの。」
「そうか、そういう人がボスになって良かったね!」
と喜ぶ私。
「あ、そうだ。私、ちょっといいことしたの。」
とキャロリンが恥ずかしそうに打ち明けます。大ボスのリチャードと電話で話した時、ジェイソンの元部下四人の配属先が話題になったのだそうです。ひとりはサンディエゴ支社、ひとりはオレンジ支社、ひとりはサンノゼ支社、と居住地別に所属させ、それぞれ別のマネジャーの下に就けることにする、と。そこですかさずキャロリンが、こう口を挟みます。
“Richard, I have a crazy idea.”
「リチャード、私、クレイジーなアイディアがあるんだけど。」
ジェイソンという素晴らしい上司を失うくらいなら、と前の会社を思い切って飛び出した四人。きっと今、かなりの不安を抱えていると思う。元同僚たちからネガティブな言葉を浴びているかもしれない。そんな彼らが新天地で初対面のボスをあてがわれ、もしも反りが合わなかったらどうか。最初だけでもジェイソンの直属にしておけば、きっとみんな安心して頑張れるんじゃないか…。
「そしたらリチャードが、よく分かった、考えてみるって言ってくれたの。彼は部署全体を見渡していて、戦力の公平な分配に意識が集中してたのね。私のクレイジー・アイディアが聞き入れられるとは正直思ってなかったけど、次の日にジェイソンから電話があったの。彼はとても興奮していて、四人が自分の直属の部下になることが決まったって言うのよ。リチャードに進言してくれたんだってね、本当に有難う、四人とも物凄く喜んでいて、これで安心して力一杯働けるって言ってるって。」
ジェイソン自身、元部下たちを自分の下に就けられないか一度リチャードに打診したのだが、軽く却下され諦めていたのだそうです。転職早々ゴリ押し出来ないもんね、と私。
「君の一言で四人の人生、それにジェイソンの人生が変わったよね。そして彼らの家族の幸せにも貢献した。ひいては会社の業績にもポジティブに影響するだろう。凄い話だね。君があの時ちょっとでも怯んでクレイジー・アイディアを口に出すのを控えていたらと考えると、この世界のダイナミズムを感じずにいられないよ。」
照れくさそうに顔を赤らめるキャロリンを見ながら、”Think
like a mountain” というフレーズを心に浮かべる私でした。世界は緻密に連携している。僕らひとりひとりの言動が、世界を変えるパワーを孕んでいるのだ、と。
昔「複雑系」とかいう本が流行ったね。Think like a mountain ⇒オイラなら「”木を見て森を見ず”とならないように」と訳したいね
返信削除なるほど、いいね。「木ではなく森を見よ」てな感じかな。
削除リチャードがキャロリンのアイデアを取り入れたというのは素晴らしいお話ですね。一度は却下しても、再考してオーケーする柔軟性。アメリカ社会にあるそういう論理的かつダイナミックな所が大好きです :D
返信削除なるほど、確かにあらためて考えてみると、これって本当にアメリカ的なエピソードですね。話し合って納得すれば、たとえそれが組織のはるか下の層から上がって来たアイディアであっても受け入れる、と。そういう事例が多々あるからこそ、誰でも意見を出せるんですもんね。
削除アメリカ式の意思決定の良い面を示す逸話だね。
返信削除逆に日本式の悪い面を表しているのがこの記事だね。
https://drive.google.com/file/d/1eJ--GHoHp8dgvl971TR1Hl2LKPXS-tok/view?usp=drivesdk