2022年7月17日日曜日

Midnight Express 深夜特急 その1

 


「グアテマラに追放された!」

「え?何言ってるの?ちゃんと説明して。」

「グアテマラに追放されたんだよ!」

6月13日月曜日の朝一番に電話で交わした、二十歳の息子との会話です。

 

最後の夏休みをどう過ごすかは、アメリカの大学生にとって大事なテーマ。履歴書に記載できる実務経験(インターンシップ)を積めれば、数カ月後にスタートする就職戦線での強力な武器になるからです。コロラドで生態学を学ぶ息子は担当教授達に掛け合い、彼らの人脈で良い仕事先を見つけてもらえないかを探りました。その結果、遠くミシガン大学の教授たちに繋いで頂き、彼らのチームの調査プロジェクトに助手として加えてもらうことになったのです。メキシコ最南端のタパチュラという土地で四週間調査した後、プエルトリコに飛んで更に四週間の追加研究をする、というエキゾチックなプログラム。友人達が学生課や親の口利きでインターン先をあてがわれる中、自力で、しかも他の大学のポジションを獲得したことの達成感に酔いしれる息子でしたが、この数週間後にあんな恐ろしい事態に陥ることなど、この時は知る由もありませんでした。

そもそもの失敗は、彼が幼い頃に作った米国パスポートが失効していたことでした。インターンシップの話が出始めた頃に私が気付き、直ちに新しい旅券を申請するよう言い聞かせていたにもかかわらず、何かと言い訳を見つけ後回しを続けた楽天家の息子。メキシコ行きが本決まりした後にようやく焦り始めたのですが、時既に遅し。別料金を払って超特急で作成してもらうオプションを選んだにもかかわらず、出発前には到底間に合わないことが分かりました。仕方ないので、日本のパスポートで日本人として旅立つことになったのです。

6月5日の夜明け前、サンディエゴの自宅から三十分ほど車を走らせ、メキシコとの国境にあるCBXCross Border Express)という施設の手前で彼をドロップ。入国手続きを済ませて徒歩で橋を渡ると、そこはもうティファナ国際空港。メキシコシティ経由でタパチュラまで約7時間。まずは市内のホテルで一泊(約20ドル)し、月曜の朝に迎えの車が来るのを待つ、という段取りでした。高地ジャングルの奥深くにミシガン大研究チームのコテージがあり、そこで寝泊まりしながら日々フィールド調査に出かける、というのです。我々夫婦はiPhoneFind Myというアプリで息子の居場所を時折確認していたのですが、月曜の午前中、予告通り彼のアイコンが姿を消しました。こんな時代になっても、世界には電波の届かない場所がまだあるんだねえ、と驚く我々夫婦。十年前は当たり前だったけど、外国に滞在する子供と暫く連絡が取れなくなったことで、若干落ち着かない気分になるのでした。

ところがそのわずか一週間後、クレジットカードの記録をチェックしていた妻が異変に気づきます。

「あの子、ホテルに360ドル払ったみたいよ。」

アプリで確認すると、息子の位置がはっきりと確認出来ます。電話をかけさせて事情を聞いたところ、金曜の夕方、山中を二時間歩き続けて一番近くのホテルに辿り着き、週末の三日間を過ごすことにした、とのこと。宿泊料の高額さを知り驚いたものの、あまりの疲労で引き返す気にはなれなかった。どうやらこのホテルはハネムーン客ターゲットのリゾートホテルらしく、シングル・ルームは無く、周りは若いカップルだらけ。

「なんでホテルに泊まることにしたんだよ?」

「とにかく、聞いていたのと全然条件が違うんだよ。週末もあそこに居続けるなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。」

助手として採用されたことは確かだが、自分のやりたい研究もさせてもらえると聞いていた。ところが現実は、大学院生(三十歳の女性)の研究テーマに沿って、一日中単純作業で拘束される。院生といってもこの人はフィールド調査初体験で、計画の立て方が甘く段取りも悪く、あれじゃどれだけデータをかき集めようが有意義な成果なんて絶対得られない、と息子。自分は大学でフィールド調査の基礎をしっかり叩き込まれたので、それが良く分かる。なのに彼女は、とにかく自分の言う通りに作業をしろ、の一点張り。とてもじゃないが、このままの条件ではバカバカしくて続けられない、と。

「それで、どうするの?」

教授たちは今週不在で、月曜まで現場に戻って来ない。週末のうちに、彼らにメールで現状の問題点と改善案を伝えておき、会った時にあらためて今後のプランについて相談するつもりだ、と息子。

自分が彼の立場だったら、これも運命と素直に現状を受け入れ、期限終了まで黙々と残りのお勤めを果たしていたことでしょう。しかし幼い頃から向こうっ気が強く、権威に怯むことも無いこの若者は、取り組もうと考えていた研究テーマを長文メールに書き綴り、教授たちに送信したのでした。後に息子から聞いたのですが、彼はインターンシップの準備期間中、「今回何を学ぶつもりか、どんな成果を出す予定か」を論文の形で大学側に提出させられていたのだそうです。なのに興味も関心も無い分野の調査助手を二ヶ月続けるというのは、あまりにも「話が違う」というのが彼の主張。

週末を終え、リゾートホテルから再び電波の届かない密林に戻って行った彼は、再びスマホの地図上から姿を消します。そして金曜の晩になり、我々夫婦にテキストで「交渉決裂」の旨を伝えて来ました。どうやらタパチュラ市街のホテルに移動した模様。

「明日の夜の便でサンディエゴに戻りたいんだけど、飛行機取ってくれる?」

君の提案する研究テーマは非常に興味深いが、こんな短期間ではとても成果は出せないよ、と諭すミシガン大の教授たち。とにかくうちの院生のサポートに徹して欲しい、と。自分の成長に繋がると思えない単純作業を今後何週間も続けるつもりは無い、と踵を返し、山を下りた息子。よくもまあそんな生意気が言えるもんだな、とあっけに取られる妻と私でした。しかも後で聞いたら、教授たちは大ベテランだとのこと。

「大学から出してもらった4千ドルのGrant(助成金)はどうなるんだよ?全額返済?」

「それは後で考える。とにかく家に帰る。」

ところが土曜の晩になり、やや焦りを帯びた声で息子が空港から電話してきたのです。

「飛行機に乗らせてくれないんだよ。メキシコに入国した記録が向こうのコンピュータに無いって言われてさ。」

ちょうどこの日の午後、アメリカのパスポートが我が家に配達されたのですが、果たしてこれが出発に間に合っていても今回の事件が避けられたかどうかは謎です。

「で、具体的にどうしろって言われてるの?」

「タリスマンっていう国境近くの街に行って、入国スタンプを押してもらえって。これからタクシー飛ばして往復すれば、もしかしたら離陸までに間に合うかもしれない。」

いや、そんな賭けに出るべきではない、今すぐ飛行機の便変更手続きをしてチェックイン済みのスーツケースを取り戻し、ホテルに泊まってしっかり休みなさい、と指示を送る我々夫婦。妻がネットでホリデー・インの予約をし、飛行機便を火曜日まで延ばします。

「有難う。週明けに朝一番でタクシー拾ってタリスマンに行ってくる。」

そして月曜の朝、彼からの電話で事態の急展開を知ったのです。

「グアテマラに追放された!」

国境の検問所を訪ねて事情を説明したところ、一体どうしてお前はこの国にいるんだ、密入国者じゃないのか、と警備隊員に連行され、グアテマラ側に追い出されたというのです。アメリカ側からメキシコ入りした人間を反対側のグアテマラに追放する行為は、どう考えても筋が通りません。しかしこれが、現実に起きてしまったのです。数十分で手続きを済ませホテルにとんぼ返りする腹積もりで出かけていた息子は、スーツケースもラップトップも着替えも部屋に置きっぱなし。携帯しているのはバックパック、財布、日本のパスポート、それにスマホのみです。さてどうする?飛行機便は翌日の晩。しかもホテルのチェックアウトは午後一時です。これから二十数時間のうちに、一旦追放措置を受けた国に戻ってホテルで荷物を回収し飛行機便に乗るなんて、到底不可能に思えます。

「まずはグアテマラの日本大使館に問い合わせなさい。それからメキシコの日本大使館、あと一応アメリカ大使館も。スマホの充電は絶対切らさないように。なるべく電波の届く場所にいなさい。」

こうして超多忙な月曜の朝、妻も私も仕事そっちのけで息子の救出作戦を開始したのでした。

(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿