「やあ。ケヴィンから聞いたよ。うちのプロジェクトで働く気があるんだって?」
マイクは口をあまり大きく開かずに話すタイプのようで、声が明瞭に届きません。私は一言も聞き漏らすまいと携帯電話の音量を最大にし、耳にぴったりつけました。
「それはもう。」
「専門は土木?」
「ええ、土木工学科を出ました。」
「ケヴィンとはビジネススクールで一緒だったんだって?」
「ええ、そうです。」
「高速道路の設計プロジェクトなんだが、興味あるかな。」
「はい、大いに興味あります。一般道路の設計なら関わったことがあります。是非プロジェクトに参加させて下さい。」
「そうか…。じゃ、そのうち正式に連絡が行くから。」
ほとんど私から喋ることもなく、電話面接はあっけなく終わりました。脇の下にも、携帯電話を握っていた手のひらにも、びっしょりと汗をかいていたことにその時初めて気がつきました。階下のダイニングルームで待っていた妻のところへ行って椅子に腰を下ろし、大きく息をつきました。
「え?もう電話終わったの?随分短かったじゃない。」
「うん、何だか分からないけど、終わったよ。採用されたみたいだ。」
「ほんと?採用するって本当に言ってたの?お給料はいくらだって?」
「それがさぁ、そういう話まで行かなかったんだ。おかしいよね。書類を送るって言ってた。ちょっと待てよ、給料の話をしなかったということは、不採用なのかな?」
「給料交渉なしで採用されるなんてこと、あるかしら?」
「向こうでまた検討して、採用したいということになれば給料交渉に入る、ってことなのかもしれない。ちょっと待ってみよう。」
二週間後、ET社から薄っぺらい封筒が届きました。コントラクト・アドミニストレータという肩書と時給額、給料は二週間毎に支払われるということ、それに有給休暇の日数だけ書かれた契約書が入っています。仕事の終了予定日など、ポジションの安定性を推し量れるような情報は何一つ見当たりません。一方的に条件を提示されたというわけです。こちらの希望する勤務開始日を書きこんでサインし、返送すれば商談成立、不満なら交渉決裂、ということのようです。
「どうしたの?年収はいくらになるの?」
と妻。
「それがね、時給しか提示されてないんだ。」
「時給?何それ、バイトみたい。だけど、それをもとに年収が計算できるわけでしょ。」
「そういうことだよね。でも、有給休暇の分はどう考えればいいのかな?一年に五日あるみたいなんだけど、これ、差し引くのかな。」
急いで二つのパターンを計算し、食卓に集まっていた義理の両親と妻に結果を発表しました。一同無言です。
「で、どうするの?」
妻に促され、私は本心を話すことにしました。
「いくら何でもこの年収はひどいな。日本で十年前に貰ってたのと同じレベルだよ。正直、これじゃ何のために苦労してMBAを取ったのか分からない。飛びつきたくなるような話じゃないのは確かだよ。仕事の内容も契約関係みたいだし。契約なんて一番苦手な分野だもんな。」
みな無言です。
「でも、今この話を断ったり強気の給料交渉に出たりしたら、千載一遇のチャンスを逃すことになるかもしれない。この先どれだけ待てばこれより条件の良いオファーが飛び込んでくるかは分からないし、ひょっとしたら何年も来ないかもしれない。その間ずっとここで居候を続けさせて頂くというのはあまりにも申し訳ないし、第一、一家の主として情けない。まずはこの仕事について実績を積み、もっと条件の良い仕事が現れたらそちらへ移るということにしたいんだけど、どうかな。」
妻がしばらく考えてから口を開きました。
「そうね。確かにあてもなくこのまま仕事を待ち続けるよりもいいかもね。」
その時、ずっと沈黙を守っていた義父が口を開きました。
「その給料、そんなにひどいかね?」
アメリカで十数年も働いてきた彼がこの提示額に冷淡な評価を下すのは明らかだと思っていたので、その反応は意外でした。
「君はこの国で人を唸らせるような実績も強力な人脈もない。英語だってネイティブ並みに流暢だとは言えない。会社側の立場に立って考えてごらん。高い給料を払って君を雇う根拠がどこにあるのかな?友達からの推薦があったというだけで、他のMBAと同じ水準の給料を払うという結論にはならんだろう。それに、これはアメリカで初めて働く人の初任給としては悪くない額だと思うよ。」
自分の思い上がりにこのとき初めて気付き、恥じ入りました。確かに義父の言う通りです。これはまたとないチャンスなのかもしれません。すぐ契約書にサインして会社に送り返しました。そしてその二週間後、正式な採用通知が届いたのです。
就職関連のセミナーや雑誌などで、米国のMBA取得者の七割以上が知り合いのコネで仕事を得ているという話を頻繁に見聞きしましたが、私のケースがそれを裏付けることになりました。企業にしてみれば、時間をかけてどこの馬の骨か分からない輩の身上調査をするより、自社の社員が推薦する人間を雇った方がよほど効率的かつ経済的だということなのでしょう。とにもかくにも、苦しかった就職活動が終了したのです。手放しで喜びたいところですが、このポジションがいつまで維持出来るのか分からない以上、油断は出来ません。様子が分かるまで妻子をミシガンに残し、とりあえず単身赴任することに決めました。
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