朝六時、自然に目覚めた私はスーツに着替えてモーテルを出ました。空はからりと晴れ上がり、11月だというのに通行人は半袖ばかり。南カリフォルニアにいるんだなあ、という実感が再び沸いてきます。朝食にありつくため、隣の敷地にあるマクドナルドまで歩きました。国境近くにあるためか、店員も客もほとんどがメキシコ人です。スペイン語で注文を聞かれましたが、英語の「エッグマフィン」と「コーヒー」は問題なく通じました。
そして午前七時、一時間早い初出勤。オフィスにはまだほとんど人影がありません。マイクのオフィスの隣がケヴィンの部屋で、当面はそこで彼の手伝いをしながら仕事を覚えることになりました。まだ私の机は支給されていないため、椅子に座ったり部屋の中を歩き回ったりして時間を潰しました。少し遅れて現れたケヴィンが笑いながら私の姿を眺めました。
「なんだ、スーツ着てきたのか。昨日言っておけばよかったな。すぐに分かると思うけど、このビルでスーツ姿なのはおそらくシンスケだけだぞ。ポロシャツでいいんだよ。ここは現場事務所なんだから。」
さっそく、会議室でケヴィンからプロジェクトについて解説してもらいました。彼はホワイトボードに青い太字ペンで図を描きながら、組織体制、それから仕事全体について語りました。
これはカリフォルニア最南端、メキシコ国境付近に整備が計画されているハイウェイ建設プロジェクトで、我々は設計を担当するジョイントベンチャー(JV)の一員として働きます。二十年ほど前、サンディエゴ郡最南部に大規模宅地開発と合わせて高速道路を建設しようという話が開発業者と行政との間で盛り上がったのがそもそもの始まりだそうで、連邦政府と州政府から資金が出ることになったものの、それだけでは追いつかず、ほとんどの区間を有料道路として運営し、35年間で資金を回収した後に州に引き渡す計画となりました。
契約形態はデサイン・ビルド(設計施工一体型)。この方式の特徴は、設計が半分も終わらない時点で工事をスタートさせてしまう点です。もちろん、途中で設計に変更が発生しても大きな手戻りにならないよう、慎重にではありますが。工事期間を短縮すればそれだけ儲けになるため、あえてリスクをとるという訳です。
「当然、そんなことは設計屋と工事屋とが絶妙なチームワークを演じなければ出来ない芸当だ。これからどうやってそのチームワークを演出していくのかが見ものと言いたいところだけど、短期間での俺の観察によると、かなり危ういな。」
「仲が良くないってこと?」
「毎週工事屋JV集団とのミーティングがあって、俺も数回参加しただけなんだけど、奴らは一方的に俺達の尻を叩くばかりで、チーム一丸となって進めようなんて気は毛頭ないようだ。ま、そのうちシンスケにも分かるよ。」
「開発事業者のCTBは、外国の投資会社が中心になって作った組織。この事業者から設計施工を一括して請け負った工事屋JVがORG。我々設計JVはORGの下請けということになる。JVはうちの会社ETと、PBという会社とで組んでる。ETは主に橋と上下水道、PBは道路の設計を担当している。今俺がボードに書いた全組織の人間が、この建物に集まって働いてるんだ。名札つけてるわけじゃないから見分けはつかないけどな。」
「こんな小さな建物に?」
「ああ、しかもまだオフィスの内装が全部済んでないから、皆限られたスペースを分け合って働いてるんだよ。」
次にケヴィンは、CTBとORG、そしてORGと設計JVの間に矢印を書き入れました。
「工事屋JVのORGは開発事業者のCTBから設計施工を一括で請負ってる。で、俺達設計JVもORGから設計業務を一括請負してるんだ。」
「一括請負ってどういうこと?」
「合意した額で仕事を終わらせろってことだよ。」
「そうじゃない契約方法もあるの?」
「ああ、成果品を作るにのかかった分だけ金を請求する方法もある。一括請負はリスクも高いけど、効率的に仕事をやれば儲けも大きくなる。」
「それで?僕の肩書きはコントラクト・アドミニストレーターって書いてあったけど、具体的には何をするのかな?」
「当面は下請け業者との契約業務だ。道路設計には測量や土質調査が必要なんだけど、うちのJV会社にはそのセクションがないんだよ。で、そういう仕事は下請けに出すんだ。」
「分かってると思うけど、アメリカで契約に関わった経験なんて全然ないんだ。助けてくれるよね。」
「もちろんだ。下請け契約書の例文が手元にあるから、それを使って一本目の発注を一緒にやろう。」
「で、君の担当は何なの?」
「正式には用地確定だな。高速道路の設計が進むにつれて、どこからどこまで用地が必要になるか分かってくるから、それを正式に決定して書類にするんだ。ただし、今はまだチームメンバーが揃ってなくて人手が足りないから、何でも屋ってとこだな。マイクに頼まれたら何だってやる。君も俺もマイクもET社の社員だけど、実はPBの社員もこのチームに沢山いるんだよ。JVの合意書によれば、損も儲けもPBと6対4の割合で山分けすることになってる。」
「僕達が6?」
「いや、俺達ETは4、PBが6だ。ま、俺達は少数派ってことだな。」
ケヴィンは組織図の下の方に「4:6」と書き足しました。
「少数派ってことが、どう仕事に影響するのかな。」
「いい質問だな。俺にもそれはまだよく分からない。そうだ、多数派の親分のグレッグに挨拶しておいた方がいいな。昨日シンスケがここに来た時には不在だったから。彼はマイクと同じ部屋で働いてるんだ。副マネジャーとしてね。」
「ようこそ。俺がグレッグだ。仲良くやろう。」
昨日はそこに彼の机があることに気がつきませんでした。ラテン系の顔立ち、つやのある黒髪。セールスマンのように爽やかな笑顔。意外に若い外見で驚きました。ケヴィンとともに部屋に戻ると、彼が声を低くして言いました。
「マイクとグレッグはあまりうまく行ってないみたいなんだ。この部屋にいると、話し声が筒抜けでね。二人の言い争いがしょっちゅう聞こえるんだよ。」
「少数派のトップがプロジェクト・マネジャーで、多数派のトップが副マネジャーってとこが複雑だよね。」
「ああ、バランスを取ろうとしてのことなんだろうが、こんなに不仲でこの先大丈夫なのかな、と思うよ。」
午後になってノートパソコンが支給されたので、ケヴィンの机の片隅を使って仕事することになりました。彼からもらった下請け契約書のサンプルをもとに、土質調査会社との契約書作成開始です。英語で契約書を作るのはもちろん、まともに読むのも初めてのことで、知らない単語満載です。電子辞書でひとつひとつ調べながら、何が書いてあるのかを理解しようと努めました。こんなにスローな仕事ぶりで大丈夫なのかな?そもそも何で僕をこのポジションに充てたのかな?と今更ながら不思議に思いながら。
そんな風にして、記念すべき一日目は過ぎて行ったのでした。
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