「ま、かたい話はこれくらいにして、卒業後どうしてたのか聞かせてくれよ。」
とケヴィンがまたビールを口に運びました。私は退屈な仕事探しの日々について軽く触れた後、彼へのお礼をあらためて表明しました。
「君には本当に感謝してるよ。義理の両親の家で長々と居候を続けるのは、はっきり言って屈辱だった。窮地を救われたって感じだ。それにしてもビジネススクールに入った時、卒業後こんなことになるとは想像もしなかったよ。」
「こっちも同じだよ。この不況は誰にとっても打撃だ。俺も正直、この業界に戻りたくはなかったんだ。自分から辞めた会社に雇ってもらうくらいなら、どうして二年も費やして学校へ行ったのか、と悩んだよ。でも、永遠に無職のままでいるわけにもいかないからな。古巣で働きながら職探しを続ければいいじゃないかって、自分に言い聞かせたんだ。」
ケヴィンの顔を見ながら、彼との長い付き合いを思い返しました。
「憶えてるかな。僕らが最初に話をした日のことを。」
「最初に?」
「うん、統計学の授業が終わった時こっちに近づいて来て、いきなり、君は土木工学科出身だろうって言っただろう。」
「そうだったかな。」
「この男は何を言い出すんだろう、と思ったよ。学校のイントラネットで履歴書を閲覧出来るとはいえ、土木出身なんてことに興味を持つ人がいるなんて思わなかったからね。」
「で、俺がバイトしないか、と持ちかけた。」
そう、彼は大学内の土木工学科で三年生対象の補習授業のアルバイトをしていて、人手が足りないからと土木工学科出身者を探していたのです。
「あの時、誇張抜きで、大学院の勉強で手一杯だったんだよ。教授の英語は聞き取れないし、クラスメートとの議論にもついて行けないし、とにかく毎日もがき苦しんでた。とてもアルバイトする余裕なんてない、と断り続ける僕を、君は何と言って説得したか覚えてる?」
「さあ、なんて言ったっけ?」
「学生たちと話をする必要はない、ただ回答集を見ながら週に三時間くらい宿題の採点をするだけだってね。それで小遣い稼ぎが出来るんだ、こんなうまい話はないじゃないかってね。」
「そうだっけ?まあ、俺の言いそうなことだな。」
「蓋を開けてみると、回答集なんてなかった。正答は自分で考えなきゃいけなかった。週二十時間は費やすことになった。採点中にやってくる学生達の質問にも答えなければならなかった。いや、恨み言を言ってるんじゃないんだ。誤解しないでくれ。むしろ感謝してるんだ。正直、僅かばかりとは言えあの臨時収入は有り難かったし、勉強にもなった。」
「そりゃよかった。」
「しかし、だ。次の学期になって、今度は学生達に教える仕事をしてくれと言われた時は仰天した。日常会話がやっとという僕に、英語で人を教える仕事が出来るとどうして思うのか、不思議でしょうがなかった。それだけは絶対無理だ、と断り続ける僕をどうやって説得したか、憶えてるか?」
「なんて言ったっけ?」
「君ははるばるアメリカまでやって来てMBAを取ろうとしている。何のためだ?将来楽な仕事に就くためか?そうじゃないだろう、難しい仕事をやり遂げられるようになりたいんじゃないのか?なのに今、困難な挑戦から逃げようとしている。それでいいのか?そう言ったんだぜ。」
彼は無言で微笑んでいます。さすがにその発言は憶えているようでした。
「そこまで言われちゃ、男として退けないだろう。勢いで引き受けたものの、あのバイトは本当にきつかった。何を教えればいいのか前日の夜まで聞かせてもらえない、というんだからな。」
「うん、あのバイトはひどかった。それは認めるよ。補習授業だとはいえ、もう少しましなプログラムを組んで欲しかったよな。」
「で、最初の授業のテーマが、何と、ビジネス・イングリッシュだった。ビジネス文書をどう書けばいいのか学生たちに教えてくれってね。しかも、それを告げられたわずか十二時間後に、だ。ゴングと同時にアッパーカットを食らった気分だったよ。そんな授業なら自分が金払って出席したいよ、と本当に泣きたくなった。」
「それでも何とか乗り切った、そうだよな。」
「うん、たまたま買ってあったライティングの教科書から抜粋を作ってね。前の晩は眠れなかった。意外にも、生徒達は集中して聞いてたなあ。」
「そんなもんだよ。」
「正直、君を恨んだことは何度もあった。どうしてこんなことに引きずり込んだんだってね。」
「それでも無事に一学期間やり抜いた。」
「最後に彼らの論文発表を聞いて採点したよね。終了後、講堂の外に立ってたら、学生のひとりが駆け寄ってきたんだよ。彼女、僕の目を見て丁寧にお礼を言ってくれたんだ。あれには感動したな。このバイトやってて本当に良かったって、そう思った。」
ケヴィンとの付き合いはそれで終わりにはなりませんでした。補習授業のアルバイトから足を洗ってわずか半年後、今度は別のアルバイトを一緒にやろうと持ちかけて来たのです。当時オレンジ郡で話題となっていた路面電車導入計画を受け、地元の非営利団体がその経済効果予測プロジェクトを立ち上げることになり、安い労働力であるMBAの学生を使おうと、学生課にバイトの話を持ち込んで来たのです。これに飛びついたケヴィンが是非一緒にやろうと誘って来たというわけです。その二ヶ月前に息子が生まれたばかりだったし、卒業前の一学期は就職活動に専念しようと思っていた私は、今回ばかりはとても無理だと断りました。しかしまたしても、彼の粘りに屈服することになったのです。
「この経験は履歴書に書けるんだぞ。バイトではあるけど、アメリカで仕事をしましたと言えるようになる、またとない機会じゃないか。それに、この仕事を通じて地元での人脈を拡げられるかもしれない。それが就職に繋がるかもしれない。願ったり叶ったりだ。そうだ、君にプロジェクトマネジャーになってもらおう。そうすれば履歴書上も見栄えがいいだろう。」
そうして我々は卒業と同時にレポートを仕上げ、地元企業の人たちにプレゼンテーションをし、有終の美を飾りました。
「思い返すと、君から仕事を紹介されるのはこれが三回目になるんだね。不思議な縁だ。」
「そうだな。全くだ。」
「学生時代の思い出話はこれくらいにしよう。で?君とエリザベスはその後どうなった?」
「うん、この夏婚約したよ。」
「何だって?どうして早く言わないんだよ。僕の思い出話なんか途中で止めてくれれば良かったのに。それはおめでとう!良かったな。」
「有難う。仕事探しをしながらプロポーズする羽目になるとは思わなかったけど、とにかく婚約できた。」
「卒業後に東南アジアを二人で旅行するって言ってたけど、その時プロポーズしたわけ?」
「いや、ニューヨークのテロ事件があったばかりだろう。結局大袈裟なことはやめようって国内旅行に変更したんだ。この旅行でプロポーズを受けるってことは彼女の方でも薄々勘付いてたようだった。」
「どんなプロポーズをしたの?参考までに聞かせてもらえるかな。」
「うん、毎晩ムードのあるレストランで食事したのに、そこではほのめかしもしなかった。そのうち彼女、どんどん不機嫌になってきてね。ちょっと心配になったよ。最終日に山登りに行ったんだ。道中ずっと無言でね。で、山頂に到着した時、記念写真を撮ろうって言ったんだ。彼女がむっつりしたまま、カメラはどこにあるの、と聞くんで、君の上着のポケットに入れといたよ、と答えた。で、彼女がポケットを探る。取り出したのが指輪の箱だった。そういう仕掛けだ。」
「うわっ、それはすごい演出だな。ちょっと涙が出てきたぞ。で、彼女、どうした?」
「その場で泣き崩れたよ。」
「へえ、ケヴィンってそういうロマンチックな人だったんだ。」
妻が電話の向こうで感心しています。モーテルのベッドにあお向けに寝そべり、彼女に一日の報告をしました。
「うん、僕も正直言って驚いた。堅物のイメージが強かったからね。今まで知らなかった一面を見たね。さ、今日はもう寝るよ。初日から眠そうな顔してられないからね。」
「お休み。頑張ってね。」
「うん。早く君たちをこっちに呼べるよう頑張るよ。」
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すごいブログを始めたね。文章好きでないとなかなかこれだけの長文をどんどん上げていくのは大変。ムードのあるレストランと登山の組合せが意外や意外。ケビンやるねぇ。ぼくは新橋の立ち飲み屋かな。
返信削除ああ、思い出す、あの新橋の夜。魚料理の数々、絶品だったなあ。東京にはウマいものありすぎ!
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