ORGのマイクからの要求を満足させられる品質のシミュレーション作りが出来るかという質問に対し、KU社のマイクからの返答メールが、私とボスのマイク宛に届きました。
「できないことはありません。でも、そのためにはそちらで充分な設計データを揃えて頂き、内容を確認した上でないとお約束は出来ません。仮にできたとして、費用はこれくらいかかると思います。」
ボスのオフィスを訪ねたところ、案の定苛立ちをあらわにしていました。
「あの野郎、ふっかけやがって。たかだか住民説明用のシミュレーションに、こんな大金が払えるか。」
「どうします?値切りましょうか?」
「グレッグに当たってみろ。あいつならCGシミュレーションが出来るかもしれん。」
思わず振り向いて、ナンバー2のグレッグと顔を見合わせました。
「そのグレッグじゃない。製図チームのグレッグだ。」
製図チームのグレッグは、度の強い眼鏡をかけた長髪・長身の三十代。口髭が唇の両端から垂れ下がっていて、色褪せたGジャンを羽織った姿はまるで80年代のハッカー。
「ああ、そんなのはお安いご用だ。何なら空を飛びながら下を眺めてるような動画を作ってやってもいいぜ。」
軽いノリで答えます。
「有難う。でも今回のは静止画でいいんだ。解像度、高く出来るかな。」
「ああ、道路の座標は全部このコンピュータにおさまってるからな。朝飯前よ。」
その時、彼のキュービクルの壁越しに、張りのある声が聞こえました。
「ちょっと待った。俺の許可なくうちの人間に仕事を依頼されちゃ困るな。」
壁の上から顔を出したのは、製図チームのマネジャー、デイヴでした。彼はボリュームのある口髭と顎鬚の持ち主で、ギリシャ神話の絵本に出てくるゼウスのような風貌。
「ちょっと出ようか。グレッグも一緒に来い。」
三人連なって、非常口から裏庭に出ました。デイヴはパイプを取り出して火をつけ、ハッカーのグレッグはタバコをくゆらせます。説教が始まるかと首をすくめて待っていたら、二人で暢気な世間話を始めました。暫くして、デイヴが思い出したようにこちらを向きました。
「で、何の仕事だって?」
後で分かったのですが、この二人は大の愛煙家で、何かと理由をつけては外に出てニコチンを補給していたのです。あらためてデイヴに、仕事の内容を説明しました。
「で、グレッグに頼めますか?」
「ああ、もちろんだ。チャージナンバーを教えてやってくれ。」
「チャージナンバー?何ですか、それ?」
二人同時に私の顔を覗き込みました。
「チャージナンバーを知らんのか?冗談だろう?」
「いえ、知りません。」
「君は毎週タイム・シートに勤務時間を記録する時、どんな番号を書いてるんだ?」
「さあ、渡されたサンプルを使い回しているだけなので、憶えてません。」
「呆れたな。シェインに聞いてみろよ。」
シェインというのは、総務・経理担当。小柄な割に、大声で元気良くしゃべる中国人の中年女性です。
「シンスケは下請け契約業務を専門にやってるからひとつの番号しか使ってないけど、他の人は仕事によって番号を使いわけてるのよ。今日はこの区間の道路設計を2時間やって、残りの6時間は別の区間の道路を設計したっていう風に、毎日チャージするの。」
「その番号、どうやったら分かるの?」
「WBSをメールしてあげる。」
「ダブリュビーエス?何それ?」
「何の略だか忘れたけど、そこにチャージナンバーが全部載ってるのよ。」
キュービクルに戻ってコンピュータを見ると、WBSのファイルがシェインから届いていました。開くと、こう書いてあります。
Work Breakdown Structure (WBS)
「ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャー」か。かっこいい名前だな…。タイトルに続き、業務名とチャージナンバーが十数ページに渡ってリストされている。階層構造になっていて、道路設計という大きな括りの下には基本設計、詳細設計、などの小項目が並び、さらにそれぞれの下には区間名称が記載されている。なるほど、仕事の内容を整理して細かく分類したというわけか。
5分ほどかけて徹底的にリストを洗いましたが、住民説明用のシミュレーション作成業務に使えそうなチャージナンバーは見当たりません。シェインのキュービクルに戻って尋ねてみました。
「あたしに分かるわけないでしょ。アーロンに聞いてみた?」
アーロンというのは台湾出身で、年齢は三十前後。髪は七三、銀縁眼鏡。「秀才君」とあだ名をつけたくなるような外見です。遠くオークランドから週三日のペースで飛行機通勤していると聞きました。
「本当だ。見つからないね。」
と冷静なアーロン。彼は自分のコンピュータ・モニターをこちらに向け、WBSの各項目に金額が追加された予算一覧を見せてくれました。
「でしょ。こういう場合、チャージナンバーはどれを使ったらいいのかな?」
「いい質問だね。でも僕には答えられないよ。チャージナンバー毎に割り振られた予算の管理をするのが僕の仕事で、予定外のタスクをどう扱うかまでは分からない。」
「WBSにこの業務を加えることは出来る?」
「可能だけど、それなりの手続きが必要になるよ。それに、どのタスクから予算を振り分けるかが問題だ。マイクに聞いてみなよ。オーケー?」
「うん。そうするしかなさそうだね。」
マイクの返事なら、聞く前から分かっていました。
「そんなこと知るか!お前が調べろ!」
「もう一度言いますが、この業務はWBSに含まれていないんです。つまり予算がゼロなんですよ。」
「なんで入ってないんだ?」
「さあ、それは分かりませんが、契約書のScope of Work のパートから漏れていたことを考えると、WBSを作った人たちが見逃した可能性が高いと思います。予算を他から回す必要があります。どのタスクの予算を使ったら良いですか?」
「・・・。」
ナンバー2のグレッグが席を立ったのをちらりと見やり、マイクが私にこう言いました。
「道路設計の予算を回せないか?設計業務の一部と考えられなくもないしな。」
「そうでしょうか?グレッグが同意するとは思えませんが。」
「お前が聞いてみろ。」
「ええ?私がですか?」
マイクは橋梁と上下水道設計を、グレッグは道路設計全体を統括する立場にいます。オフィスに戻って来たグレッグをドアの前でつかまえて尋ねると、お前正気か?という顔で笑いました。
「それは道路設計のスコープに書いてある仕事じゃないだろう。」
「ええ。」
「じゃあ僕のチームの予算を使わせるわけにはいかないじゃないか。」
「はあ。」
「マイクと相談してみなよ。」
「はい。」
この会話は部屋の中のマイクの耳に届いていたようで、彼のそばへ行くと観念したようにこう吐き捨てました。
「プロジェクトマネジメント用のチャージナンバーを使え。」
つまり、自分用の予算を切り崩すしかないことを認めたわけです。結局、下請けを諦めて内部の人間を使ったところで、予算ゼロの仕事をするにはそれしか方法がなかったのでした。
その晩ケヴィンと夕食に出かけた際、彼にこの一件を話しました。
「このプロジェクト、大丈夫なのかな。契約書がひどい代物だというだけでも問題なのに、どうやらうちのチーム自体もガタガタしてる。春になったらミシガンから家族を呼び寄せるつもりなんだけど、このまま計画通り進めていいものかどうか悩むよ。」
「ああ、それはこっちも同じだよ。俺だって今度の夏に結婚式と新婚旅行を予定してるんだ。それまでは職を失うわけにいかないからな。」
この時は二人とも、自分達の行く手に途方も無く凶暴な荒波が待ち受けていることを、知る由もなかったのでした。
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ん。。。。。
返信削除・マネジメントの中枢にやはり中国系がいること。
→日本では先週今週と株主総会が山場を迎える。トピックスはもっぱら1億円超の役員報酬を誰が受け取っているか、ということと、企業によってダイバーシティ、すなわち短絡的だが経営陣や社内にどれくらい外国人がいたり、日本人が「グローバルに」活躍できるか、ということ。グローバル化と言っている時点で、すでにまったくグローバル化できていないことを意味する。
・WBSという概念
→今の僕にはワールドビジネスサテライト(テレビ東京の報道番組)にしか見えないが、合理的といえば、合理的。どこの誰の、誰が払う仕事か、ってことね。その細分化してある一覧みたいなものかな?
そんなもん、できているなら誰でも管理できる。その表にない時に、どう、スパッと判断するかが、上司マネージャーなんじゃないの?
WBSはプロジェクト・マネジメントの基本中の基本なんだけど、僕はこの時まで全く知らなかったんだよね。まずプロジェクト・マネジャーがWBS作りに関与していなかったことが、つまづきの第一歩だと思います。そしてWBSに漏れがあることに気付いていなかった、というのが第二のミス。そして第三は、その対処をいい加減に済ませた、ということ。今にして思うと、本当にとんでもないスタートでした。
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