12月中旬のある朝、ボスのマイクがやってきて言いました。
「KU社のマイクに、住民説明に使う高架区間のシミュレーション画像づくりを頼んであるんだ。お前のところにファイルを送るよう言ってあるから、届き次第ORGのマイクに提出してくれ。」
このプロジェクトチームには「マイク」という名の人物が七名います。マイクがマイクに仕事を頼まれ、そのマイクが別のマイクに頼む。よく皆こんがらがらないな、と感心することしきり。
午後おそく、KU社のマイクから画像ファイルが届きました。「データ量が足りないのであまり画質は良くないのですが。」という断り書き付きで。そのままORGのマイクに転送したところ、激しい怒りのメールが返って来ました。
「こんな質の悪いシミュレーションが住民説明会で使えるか!」
悪いことに、ボスのマイクの名前もccに入っています。案の定、夕方になって外の会議から戻って来たボスが、顔を上気させて私のキュービクルに飛び込んで来ました。
「お前、中身も見ないで送ったのか?」
「はあ、すみません…。」
「あんなクソみたいな画像を送ってどうしようっていうんだ!お前が見てこれは駄目だと思ったら、質が悪いので今日は提出できませんと言うべきだろうが!」
「すみませんでした。」
そもそもどんなレベルの画像が要求されていたのか聞かされていないので、仮にファイルを開けたところで、提出物の良し悪しが私に判断出来るわけありません。しかしそんな言い訳が通用するはずもなく、黙って暫く頭を冷やしてから、あらためてボスのオフィスを訪ねました。マイクと部屋を分け合っているナンバー2のグレッグは、こちらを見向きもせずコンピュータに向かっています。
「すみません。どの程度の解像度が要求されているのか、教えていただけますか?」
とあらためて質問すると、
「そんなこと知るか。マイクを満足させられるレベルだ。」
と吐き捨てるボスのマイク。そんな曖昧な仕事の依頼があるのだろうか?と不審に思いましたが、その足でORGのマイクのオフィスを訪ねます。
「どういうクオリティのシミュレーションを要求されているのでしょうか?」
すると彼は椅子の背にもたれながら、
「それは、俺がOKと言えるレベルだ。」
と不敵な笑みを浮かべています。
「もう少し具体的に教えていただけませんか?下請けに指示しなきゃいけないので。」
と食い下がると、
「いいか、渓谷を渡る道路部分が完成後にどう見えるかを百人以上の出席者に見せなきゃならないんだ。おそらく横7フィート以上のパネルに貼り付けて展示することになる。それなのに、あんなぼやけた画像じゃ使い物にならんだろう。」
自分のキュービクルに戻ってから、KU社のマイクに宛ててメールを書き、要求に応えられるかどうかを打診しました。
その夜、電話帳ほどもあるぶ厚い契約書を丹念に読み返しました。ところが、シミュレーション作成業務に関する条項など、どこにも見当たりません。もしかしたらボスは、契約書に書かれていない業務を不当に要求されているのではないか、そしてそのことに気付いていないのではないか、という疑念が芽生え、それが段々と確信に変わっていきました。すぐにボスを止めなくちゃ!翌朝一番でマイクのオフィスを訪ねました。
「シミュレーション作成業務なんて、契約書のどこにも書いてありません。何故契約外の仕事をしなければならないのですか?」
マイクは苦虫を噛み潰したような表情で私の顔を数秒間見つめた後、
「ちゃんと契約書に書いてあるだろう。」
とぶっきらぼうに答えました。私は自信を持って続けました。
「何度も読み返しましたが、そんな条項はどこにもありません。これは明らかに、契約外業務です。」
すると彼は契約書をパラパラとめくり、無言のまま一箇所を指差してこちらへ差し出しました。
「設計JVは、ORGの実施する住民説明会をサポートするものとする。説明会用の図面などを用意するよう依頼された場合、これを提供するものとする。」
顔から血の気が引いていくのを感じました。信じられない思いで前後のページをめくり、
「なんでこんな場所に書いてあるんだろう?」
と呻きました。契約書は一般に二つの部分から成り、前半(Terms and Conditions)は契約そのものの取り扱いに関する内容、例えば支払い方法や損害賠償、そして設計変更の要求をした場合にどんなプロセスを経て許可されるか、などが書かれています。そして後半(Scope of Work)が、業務内容の詳細説明になっているのです。当然私は後半を探していたのですが、なんとこの条項は前半に、まるで土壇場で誰かが慌てて書き添えたような形で紛れ込んでいたのです。
「俺には分からんよ。書いてあるんだから仕方ないだろう。」
ボスに警告するつもりが、とんだ勇み足になってしまいました。それにしても納得が行かないのは、書かれていたページもさることながら、その表現がお粗末過ぎるということ。どんな品質の提出物が要求されるているのか、まるで読み取れない。「図面などを用意する」という言葉が、コンピュータ・グラフィックによるシミュレーション作成まで含むというのは拡大解釈が過ぎるのではないかと思ったけれど、あんな曖昧な文言を契約書に載せた時点で我々の負けです。してみると、ORGのマイクの「俺がOKと言えるレベル」というセリフは、まんざら嘘でもなかったのか…。
リンダのところへ行って一部始終を報告したところ、微かに笑みを浮かべてこう言いました。
「もう分かり始めてると思うけど、この契約書は弁護士が目を通してない、とんでもないガラクタよ。あちこちに意図的な変更が見られるの。3年以上前に書かれたものだし、今では当時の関係者が誰も残っていないから、質問をしたくても出来ないのよね。でもね、いかに質の悪い契約書であっても、一旦両者がサインしたらもう文句がつけられないの。私達に出来るのは、隅から隅までこの契約書を理解して、相手につけ入る隙を与えないってこと。あなたと私がその防波堤にならなくちゃいけないのよ。」
午前10時になり、ORGとの間で今月から毎月開催されることになった変更要求(Change Order)会議の第一回に出席しました。設計JVからはマイク、リンダ、ケヴィンと私が、そしてORGからはマイクの他計4名が会議机を挟んで席に着きます。あらかじめ提出してあった追加予算要求書に沿って、ボスのマイクが説明していきます。明るい笑顔と握手でスタートしたミーティングでしたが、進行とともに彼の横顔がじわじわと引きつって行くのがうかがえました。
「我々はあなた方の依頼に応えてこの設計を仕上げたんですよ。」
とボスのマイク。
「俺たちの誰が、何月何日、何時何分に依頼したって?」
とORGのマイク。
「要求書にも書きましたが、うちの製図スタッフのヴィクターが、おたくのジェフに先月頼まれたんですよ。」
「そうか。ジェフとは昨日話したんだが、憶えてないと言ってたぞ。ヴィクターは腕がいいと褒めてはいたけどな。」
「先週おさめた設計図は、明らかに契約外の業務です。頼まれなかったとしたら、どうしてヴィクターがわざわざそんな仕事をするんですか。」
「さあ、それは知らんなあ。あんたら設計チームのボランティア精神には頭が下がるよ。」
いつも強気なボスが、激しい苛立ちとそれを隠そうとする無理な笑いで顔を紅潮させ、何とか譲歩を引き出そうと耐えていました。しかし結局終始そんな調子で、十件以上あった追加予算要求は、とうとう1セントも引き出せぬままことごとく却下されたのでした。追加業務の依頼があったことを証明出来る文書は?契約外だと主張する根拠条項は?要求額の積算根拠は?と畳み掛ける質問に、最後は極度のフラストレーションで真っ赤になっていたボスのマイク。悄然と会議室を後にする我々に、ORGのマイクが勝ち誇ったような顔でこう言いました。
「あんたらの弱点は、契約書に精通している人間が一人もいないってことだ。俺達はみな何十回も読んで全条項を暗記してると言っても過言じゃない。毎月会議をやるのもいいが、時間の無駄にならないよう、しっかり勉強して来いよ。」
はらわたの煮えくり返る思いでキュービクルに戻りました。そもそもORGの都合の良いように仕組まれた契約書だという可能性もあり、既に「勝負あり」なのかもしれませんが、こうなったら可能な限り条文解釈を突き詰め、必ずや一矢報いてやろうとこの時心に誓いました。
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辛抱と機転の両方が必要なんですね、マネジメントには。
返信削除有利な立場を得ようと巧みに取引してくるORG社の狡猾さにどう立ち向かうか、次の展開を期待しております。
お楽しみに!
返信削除おくればせながら、いつもご愛読有難うございます!
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