2010年6月7日月曜日

アメリカで武者修行 第9話 電話を代わりなさい!

プロジェクト・チームの一員となって半月。ようやく安モーテル生活を脱し、メキシコ人の中年女性の家の二階を間借りし始めました。

金曜の午後、ボスのマイクが凄んだ口調で、
「おいシンスケ、一体どうなってるんだ?今すぐ土質調査をスタートさせろ!」
と怒鳴り込んで来ました。
「土質調査会社が契約書へのサインを渋っているんです。」
「だったらここへ呼びつけろ!」
さっそく先方の担当者バリーに電話し、契約について最終の詰めをするための会議をセットしました。彼らが削って欲しがっている条項を巡り、電話での押し問答が何日も続いていたため、この会議の提案は前向きに受け止められたようです。翌週で都合の良い日は一日しかないことが分かったので、マイクに、
「来週水曜の二十七日ですが、午後は空いてますか?」
と尋ねたところ、ちょっと怒ったような困ったような顔をした後、
「オーケー。」
と吐き捨てるように言いました。

会議当日の朝一番。契約書のコピーを出席者の人数分用意していたところへ、リンダがやって来ました。
「マイクがね、下請けさんに契約書へのサインを大至急させろって言ってるの。今日付けで双方サインをして午前中にファックスで契約書を取り交わし、本物のサインは来週すればいい。サインするつもりがないなら今日は来るなと彼等に言えって。」
これには慌てました。
「ちょっと待ってください。そりゃいくら何でもちょっと乱暴じゃないですか?彼等が簡単にサインするとは思いませんよ。午後の会議で細部を話し合い、納得した上でサインしてもらう段取りになってたんですから。」
「つべこべ言わずに今すぐ彼らに電話しなさい!」

電話をかけている私自身が納得していないのですから、受けた側が黙って了承するわけがありません。
「今日の午前中にサインしろですって?そっちじゃ一体何が起きてるんです?契約条項について話し合うための会議をセットしたばかりだっていうのに。これまでだって、契約対象外の仕事を見切り発車で随分やらされてるんですよ。我々としては、午後の会議で何とかその仕事を契約内容に盛り込んでもらおうと思って準備していたんです。予定通り、まず会って話をしましょうよ。」
普段物腰柔らかなバリーも、さすがに憤懣やるかたなしといった勢いです。受話器を握って振り返る私の目を見ながら、リンダが両手の親指を突き出し、
「プッシュ、ハード!」
と囁きかけてきます。何とか押し切ろうと頑張ったのですが一向に埒が明かず、痺れを切らしたリンダが、
「電話を代わりなさい!」
と私の手から受話器をもぎ取りました。
「リンダよ。私のデスクからスピーカーフォンを使って電話するわ。一旦切るわね。」
私は黙って彼女のオフィスへついていき、電話の近くに椅子を引き寄せて座りました。

「何度も言うようですが、保証と賠償に関する条項は削ってもらわなければサインなんかできませんよ。こんな不当な条項が許されると思いますか?」
とバリー。
「いい?私たちだって元請けとの間で同じ内容の契約を交わしているの。不利だということは分かっているけど、それでも仕事が欲しいからあえてリスクを取っているのよ。我々の契約書を読んでもらえば分かることだけど、あなた方との契約書に書かれているのとそっくり同じ表現が使われているわ。あなた方だけそのリスクから逃れる訳にはいかないの。それでも嫌だというなら、他の業者さんを探すしかないわね。」

これはリンダから毎日繰り返し教えられてきた理屈です。請負契約には発注者から元請け、元請けから下請け、そのまた下請けへと続く力関係の流れがあり、最上位にある契約書の書かれ方が全体の力関係を支配するというのです。下位の契約でその流れを変えるとリスクの分配に影響するため、よほどのことがない限り流れに沿うのが妥当なのだと。

そして一時間半に及ぶ激論の末、土質調査会社の面々が過去に我々JVから受けてきたひどい仕打ちの数々を延々と聞かされた後、たとえ今日会議をしても契約締結は到底無理だということで双方納得しました。その後、リンダがマイクにどう説明したかは分かりませんが、気がつくといつの間にか二人ともオフィスから消えていました。

昼食からひとり戻って仕事していると、ナンバー2のグレッグがかばんを肩に提げて私のキュービクルに顔を出しました。
「シンスケ、何やってんだ?早く帰れよ。もう君が最後だぞ。」
慌てて時計を見ると、まだ三時半です。立ち上がって周りを見渡すと、確かにオフィス全体が静まりかえっています。
「どういうことですか?まだ五時になってませんよ。」
彼は少しあっけに取られたような顔をして、それから笑い出しました。
「明日はサンクスギビング(感謝祭)だぜ。知らなかったのか?今日5時まで働く奴なんていないよ。」
「え?それじゃあ明日はお休みなんですか?」
「そうだよ。明日も明後日も休みだ。もしかして出勤するつもりだったのか?オフィスの鍵は締まってるぜ。」

アメリカ人にとって感謝祭の連休は、日本人にとっての年末年始と同じようなもの。家族が一年に一度集まる大事なイベントなのだということを、この時思い出しました。連休の前日は道路が帰省ラッシュの大渋滞になるそうで、マイクとリンダは遠くサクラメントに実家があるため、車が混まないうちに会社を去りたかったのだろう、というのがグレッグの説明でした。
「そうか、だから帰省の前に強引にでも土質調査開始日を決めてしまいたかったのか。」
「そういうことだろうな。」
と微笑むグレッグ。ようやくマイクやリンダの焦りが理解できました。ややこしい話を年越しさせたくない、という感覚は日本人である私にも分かります。

下宿先に帰ると、ちょうど大家のおばさんが大きな荷物を抱えて出かけるところでした。
「私、日曜の晩まで息子の家に泊まってるからね。ハッピー・サンクスギヴィング!」
そして私は、がらんとした屋敷にひとり取り残されたのでした。

翌朝、何か食べようと外出してみて異変に気付きました。店という店が、その大小にかかわらず全て閉まっているのです。さすがにマクドナルドくらいは開いているだろうと高をくくっていたところ、ファーストフード店も軒並み閉店。感謝祭の日の朝というのは、日本で言えば元旦みたいなものなのでしょう。昨日のうちに何か買い込んでおけばよかった、と悔やみましたが後の祭り。ぐぅぐぅ唸る腹をおさえ、観光地のラホヤまで行けば何かにありつけるだろう、と車を走らせました。この予想は大当たり。パンケーキのお店が営業中で、11時半頃ようやく朝食にありつけました。半分ほど平らげた時、携帯電話が鳴りました。ティルゾからでした。
「何も予定がなかったら、今晩5時頃うちに来ないか?」

私が家族と離れて暮らしていることを憶えていてくれたようで、彼と彼の奥さんのイーヴァ、それに腰の曲がった80歳くらいのイーヴァのお母さんとのディナーに迎えてくれたのでした。
「本来なら七面鳥を焼くところなんだが、うちじゃ皆あの鳥が苦手でね。ハムで代用してるんだ。君はハム好き?」
「大好き。」
ハニーベイクド・ハムという、蜂蜜でコーティングされた大きな肉の固まりを、少しずつスライスして皿に取り分けます。その美味しいことと言ったら!

日が暮れて少し冷えて来たので、ティルゾが暖炉に火を入れました。皆でお皿を持ってその前に腰を下ろします。オレンジ色の光が、ゆらゆらとそれぞれの顔を照らしながら陰影を作ります。イーヴァが私の家族のことや仕事について尋ねてくれたので、ひとつひとつ丁寧に答えました。そして思わず、
「実際のところ、言葉の壁が思った以上に厚く、もがいています。時々、こんな英語力でこの先やっていけるのかな、と不安になったりもしています。」
とこぼしました。その時、今まで言葉少なだったイーヴァのお母さんが口を開きました。
「イーヴァを連れてこの国に渡って来た時、私は英語の単語をひとつも知らなかったのよ。ひとつも、よ。」
彼女はドイツからの移民なのです。
「それでもこの子を大学まで出したわ。不安に思うのは当然だけど、泣き言を言っていては駄目。歯を食いしばって勉強を続けなさい。毎日ひとつでも多く単語を覚えるの。」
そして私の手に自分の手を優しく重ね、こう言いました。
「努力は必ず報われるわ。」

胸に染みる、感謝祭の夜でした。

2 件のコメント:

  1. 理不尽なことを、おかしな理屈をつけて部下にやらせようとする状況を時々経験します。理屈で返しても聞く耳を持たないので、日本人的には渋々ボスの言うとおりやる訳ですが、こういうとき米国人だったらどう対応するのでしょうか。
    ボスと部下で激しく口論し合ったりしているのを時々目にするし、納得できないことはしなさそうな米国人、そして我慢できない米国人、関係がギクシャクしたり物事が進まなかったりしそうな気がするのですが。
    実際の所どうなのでしょうか、シンスケさん。

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  2. 「それは私の職域外ですので」とか平気で言う若い社員もいますね。私の知る限り、激しい口論はたとえ上司と部下でもオッケーなのが米国流みたいです。Don't take it personally. とよく言われるのですが、要は「これは仕事の上の議論なのだから、エキサイト大いに結構。言っとくけど個人的な攻撃じゃないんだからな。」という「暗黙の了解」があるのだと思います。

    とはいえ、実際聞いてみると根に持つ人も結構いるようなので、捉え方にはやはり個人差があるのでしょうね。特に異国籍・異文化の人達が一緒に働いている場合、何を「暗黙の了解」とするのか疑問です。現時点での私の結論は、「日本流に振舞っていれば大怪我はしない」というところ。相手を敬い、よく話を聞いて相手の立場に立って考えてみる、というのは日本社会じゃ当たり前の作法ですが、長期的に見れば無遠慮な米国流よりはずっと建設的だと思います。一時的には「押し出しの弱い奴」と思われる危険こそありますが、そんなのは信用を失うリスクに較べたら無視出来る短所だと思います。

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