2010年8月21日土曜日

アメリカで武者修行 第21話 感情なんて関係ない。

話は少しさかのぼり、3月半ばのこと。設計JVの片割れであるPB社のシアトル支社から、プロジェクトマネジメントのスゴ腕が送り込まれてきました。この男ジムは、十秒話しただけでその切れ者ぶりが嫌でも相手に伝わってしまうタイプ。頭脳明晰、たちどころに問題の本質を見抜き、微塵の迷いも見せずに決断します。アメリカ人の中でも図抜けてゴール・オリエンテッド(目標達成志向)な人物。常に「我々が達成しなければならないのは何か」を皆に問いかけ、組織のふらつきを正すのです。しかも底抜けに明るく、ウィットに富んだジョークで始終まわりを爆笑させてくれます。彼が来てからというもの、組織全体に活気がみなぎり、停滞していた事案も少しずつ動き始めました。彼の役割は、設計業務のスケジュールを管理し、何か問題があればそれを解決すべく動く、といったものらしいです。

そのジムが、ある時私がまとめた資料をいたく気に入り、それからというもの、私によく仕事を頼むようになりました。そして5月の中旬、マイク、グレッグ、リンダ、ケヴィンと開いたチームミーティングの席上、
「元請けとの変更交渉の資料作成は、これからはシンスケに任せようじゃないか。」
と彼が強く主張した結果、マイクの口から曖昧なOKが出て、下請け担当の私が突然、設計業務全体を見渡す仕事の責任者になってしまいました。彼は会議後、興奮した面持ちで私のキュービクルへやって来て、この仕事は組織の命運を握っている、元請けにうんと言わせるには完璧なドキュメント作りが決め手になるんだ、と業務の重要性を説きました。
「今はリンダがこの仕事の責任者だけど、彼女は所詮弁護士だ。技術的な視点が抜け落ちている。だからこそ、エンジニアのシンスケが適任なんだ。」

私にとって、これは願ってもないチャンス。この仕事で実績を残せば次のステップが見えてくるからです。ところがこの会話を傍で聞いていた老フィルがやってきて、
「彼はわしに何の断りもなく君に業務命令を出したようだな。」
とおかんむり。確かに直接の上司であるフィルを通さず仕事を引き受けたのはまずかったなあと思いましたが、ジムは気にもかけません。
「他人の声なんか気にするな。今はシンスケがこの仕事の親分なんだ。」

フィルに気を遣いながらも私は少しずつ資料作りを開始し、段々と形が出来てきました。設計業務には、予定外に発生する仕事がつきもの。元請けの担当者が会議で気まぐれな指示を出し、作業開始から2週間後に前言撤回するなんてケースは日常茶飯事。これをすべてきちんと文書化し、誰がいつどこでどういう指示をしたか、また何故それが契約対象外なのか、また業務に見合った労務費請求の根拠はかくかくしかじか、そういう資料を作るのはかなり骨の折れる仕事。聞き込み調査をする刑事さながらです。

そしてどうにかこうにか方法論が固まってきたある日、マイクから電話がありました。
「ちょっと来てくれないか。」
彼のオフィスを訪ねたところ、マイクが席についたまま目で入室を促します。リンダとグレッグが無言で立っていました。リンダは少しうつむき加減で壁にもたれています。張り詰めた空気。マイクが沈黙を破りました。
「何がどうなっているのか、俺にはさっぱり分からん。変更管理の仕事はずっとリンダがリードしてきたんだ。ジムが何を言ったか俺は知らんが、シンスケはこれまで通りリンダの指示を受けて動いてくれ。」
これにはさすがに意表をつかれ、一瞬言葉を失いました。しかし反射的に「分かりました」と答えていました。さらにマイクはリンダの方を向き、
「今シンスケに手伝って欲しいことはないか?」
と尋ねました。
「何もないわ。私ひとりで仕切れるわよ。」
床の一点を凝視したまま、機械の音声のような冷たい調子で彼女が答えました。
「グレッグは?何か言うことはないか?」
「私は何も。」
とグレッグ。
「そういうわけだ。リンダの指示を待て。」
マイクはそう言って私を下がらせました。

自分のキュービクルに戻り、たった今何が起こったかのかを冷静に考えてみました。「ジムがシンスケを使って私の仕事を奪おうとしている」とリンダが激怒し、マイクがそれをなだめるために私を外した、そんなところでしょう。

数時間後、リンダが席を外すのを待っていたかのように、マイクがこっそり私のキュービクルへやって来ました。そして小声でこう言ったのでした。
「さっきは悪かったな。ほとぼりが冷めるまで、暫く様子を見てくれ。」

翌日私はジムのところへ行き、
「もう聞いたかもしれないけど、僕は干されたから。やっぱりリンダがこの仕事のリーダーだし、彼女は誰の助けも必要ないってさ。」
と伝えました。ジムは心底驚いたようで、椅子から勢いよく飛び上がり、
「彼女と話してくる。」
とスタスタ歩き始めました。私は慌てて彼を制し、
「ちょっと待って。今彼女と話しても無駄だと思うよ。領域を侵されたことで感情的になっているからね。」
と言いました。彼は、気は確かか?といった表情で、
「感情なんて関係ない。俺達は今ビジネスの話をしてるんだ。これが正しいやり方だということくらい、彼女にも分かるはずだ。」
と言いました。
「それでもまずはマイクと話した方がいいと思うけど。」
と私が言うと、
「分かった。それじゃあマイクと話してくる。」
と急ぎ足で去って行きました。数分後に戻ってきた彼は、
「マイクはシンスケを外したわけじゃないよ。ただリンダの怒りがおさまるで待てってさ。」
と私に告げました。

そして翌週、六月最初の金曜日。夕方になって帰り支度をしていた私のところへ、ケヴィンが来て言いました。
「聞いたか?ジムに解雇通知が出た。来週一杯でクビだってさ。」
まさか先週のことが原因で?といぶかりましたが、知る術もありません。
「今日の晩、ジムとビールを飲みに行く予定なんだ。その時詳しく事情を聞いてみるよ。」

翌週月曜の朝、ジムの解雇原因についてさっそくケヴィンに尋ねました。
「どうやら、サンディエゴに異動になった時の強気な報酬交渉が祟ったようだな。役員を怒らせたのが直接の原因だろうって彼は言ってたよ。」
クビになった当人が本当の解雇理由を分かっているかどうかは、怪しいところです。しかし彼のこれまでの言動からして、上司とぶつかることなどいくらでもあるでしょう。ジムのような男の人生には、こういう事件がつきものなんだろうなと思いました。
「彼、落ち込んだり荒れたりしてた?」
とケヴィンに尋ねると、
「それが全然なんだ。次の目標は、来週の月曜までに新しい会社で仕事を始めることだ、と息巻いてたよ。」
どこまでもゴール志向な男だよなあ、と二人で笑いました。

そんなわけで、我々は有能な人材を一人失い、彼の残した仕事を引き取ったケヴィンは大忙しになりました。私もそのあおりを食って残業続きの毎日に…。

ちなみに当のジムは、解雇の一週間後には次の会社で仕事を始めたそうです。

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