アメリカ西海岸の最南端に位置するサンディエゴは、アラスカからの海流に乗って吹いてくる冷たい潮風と、内陸の砂漠から押し寄せる乾いた熱気とが奇跡的なバランスでブレンドされ、年間を通じて不自然なまでに快適です。いわゆる「抜けるような青空、爽やかな涼風」が一年中続くのです。そのため、冷暖房設備の無い住宅も少なくありません。
年明けにニューヨーク支社から助っ人としてやって来た若手エンジニアのトムとヨンは、サーフィンをこよなく愛す男達です。二人で海岸近くにアパートを借り、毎日待ったなしの設計業務に追われつつも、早朝とアフター5には欠かさずサーフボードを抱えてビーチに走ります。ダウンタウンのパブで彼らの歓迎会を催した時、トムが顔をほころばせてこう言いました。
「この仕事の話を貰った時は、夢じゃないかと思ったよ。サーフィン天国のサンディエゴに行けるなんて、願っても無いチャンス。一も二も無く飛びついたよ。」
さて私は2月中旬、そんな温暖なサンディエゴを後にして、真冬の日本へと旅立ちました。ミシガンの妻子とロサンゼルス空港で合流しての一時帰国です。三ヶ月も父親の顔を見ていなかった一歳の息子は、もしかして忘れられてしまったのではというこちらの心配を知ってか知らずか、無邪気に抱っこをせがんだ後、そのまますやすやと眠ってしまいました。
東京滞在中は、懐かしい友達や元同僚たちと会い、好物の焼き鳥や魚を存分に味わいました。そして長期休暇で仕事に穴を開けるわけにはいかない私は、親戚宅に妻子を残し、わずか一週間でサンディエゴに舞い戻ったのです。
復帰した木曜日にリンダから最初に聞かされたニュースは、ボスのマイクが翌日から2週間いなくなるということでした。休暇かと思ったらそうではなく、リザーブとして軍に従事するとのこと。リザーブというのは、英和辞典では「予備役」と訳されていますが、そもそもそういう概念が日本にないので今ひとつピンと来ません。リンダに尋ねようとしたのですが、何かピリピリした空気を感じたので、ケヴィンに質問することにしました。
「聞いた?マイクがリザーブだって。」
「ああ、聞いたよ。」
「リザーブって何?国民の義務なの?」
「いや、義務じゃないな。本人の意思だよ。大人のボーイスカウトみたいなもんさ。軍隊生活が好きな人も中にはいるんだよ。」
というあっさりとした返事。彼も忙しそうだったため、あまり深く突っ込まずに会話が終わってしまいました。
そして何のアナウンスもないまま、マイクは翌日静かに姿を消しました。プロジェクトチームの誰ひとりとして、彼のことに触れません。知らないだけなのか、それともこれはよくあることなのか、はたまた機密事項なのか、私には見当が付きません。
その後、隣のキュービクルでリンダが誰かと小声で電話しているのが微かに聞こえて来たので、思わず耳をそばだてました。
「そうなの。空軍に所属して南米のどこかの基地に行くの。知らないわ。彼も知らされてないのよ。うん、ええ、そうよ。兵隊たちのテントを作る仕事だと言ってたわ。」
テントを作る仕事?これはきっと軍用語で仮設住宅のことなんだろうな、と勝手に解釈しました。
昼になり、トムとヨンを誘って近くのレストランへ行きました。マイク不在の話を持ち出したところ、彼等も初耳とのこと。
「リザーブって何のことか知ってる?」
と私。タイ出身のヨンは首を振ります。生粋のアメリカ人であるトムが、丁寧に解説してくれました。
大学へ行くのに奨学金を受けるケースはよくありますが、マイクは軍の奨学金を貰ったのだろうとのこと。これを受け取ると、以後毎年2週間以上は軍役につかなければならないのだそうです。とはいえ前線に立つことはまずないようで、兵站関連か事務が主な仕事らしい。しかも軍役のせいで今の仕事を失うことのないよう、法律でしっかり守られているそうです。
「でもこういう情勢だから、どうなるかは分からないよ。戦局が悪化すれば、前線へ送り込まれる可能性がゼロとは言えないから。」
昔の予備役志願者は実際に戦争が起こることなどあまり深刻に考えず登録する傾向があったようですが、ベトナム戦争以降はみな奨学金の申請には慎重になっているとのこと。しかし二の足を踏む若者達の背中を押すかのように、予備役登録による便益は魅力を増しており、大学へ行きたいけど金がない若者にとっては、喉から手が出るほど欲しい奨学金なのだそうです。
トムの説明がどれほど事実に即しているのか分かりませんが、本当だとすればマイクは若い頃、ある種のギャンブルを、しかも人生を賭けたギャンブルをしたということになるのでしょう。あるいはケヴィンの言う通り、単に「軍隊生活が好き」な人なのかもしれません。いずれにしても、戦後生まれの日本人である私にとって、会社の上司が軍役のために不在になるということは衝撃でした。
「こないだの土曜、サーフボードの手入れをしながら朝のニュースを見てたら、若い兵隊が自分の武器を一生懸命磨いてるんだよね。それを眺めながら、自分は何てラッキーなんだろうって思ったよ。」
とトム。
「こっちはサーフボード磨いてるのに、あっちは銃だからね。」
とヨン。思わず三人で笑いましたが、すぐに気まずくなって真顔に戻しました。
午後遅く、これまでマイクの背後で影のように存在感を消していたディレクターのクレイグが、突如スタッフ全員に向けて手紙を送りつけました。
「今後は毎月、全員を集めてミーティングをする。何が起きているのか、何をしなければならないのかを確認し、全員一丸となって仕事に取り組んで、しっかり成果を上げようじゃないか。」
何もマイクがいなくなったその日に配らなくても良さそうなもんだと思いましたが、要するにここでも小さな戦争が行われているのだと考えれば、納得のいく行動です。
「マイクが帰って来る頃には、勢力地図がすっかり変わっているかもな。」
とケヴィン。
「俺たちは少数勢力の一員だ。追い出されないように、きっちり仕事して能力をアピールし続けなきゃな。」
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