2003年1月下旬。仕事量は日に日に増し、チームメンバーも50名近くまで膨張しました。私が赴任した当時はおそらく20人もいなかったでしょう。こうした状況で、リーダーシップの混乱は致命的です。会議でマイクとナンバー2のグレッグが公然と対決姿勢を見せることもあり、二人の指示が統一性を欠くことは日常茶飯事。何か新しい仕事が飛び込んで来るたびに「これはお前がやれ」と口頭やメールでマイクの指示が飛ぶものの、それが組織的な意思決定として浸透せず、会議中に「この仕事は誰がやるの?」と皆で顔を見合わせることもしばしば。
組織の膨張に伴い、オフィスのスペースも不足してきました。私は、ケヴィンとマイクと一部屋を分け合うことになり、グレッグはデイヴと同じ部屋に納まりました。私とマイクとのコミュニケーションはこれで大幅に改善されたと言いたいところですが、彼は毎日会議の連続で、オフィスにいる時間は一日約15分。溜まった決裁にサインしてもらい、その日あったことを簡単に報告するだけで精一杯。当然、仕事のスピードは鈍る一方です。
月曜の晩、オフィスを出て車のエンジンをかけたケヴィンが、開口一番こう言いました。
「マイクが噂を聞いたらしいんだ。近いうちにORGの誰かが更迭されるらしいぞ。」
「更迭?工事がなかなか始まらないから責任を取らされるのかな。」
「そうとしか考えられないな。だとすると下っ端で済む話じゃない。トップの誰かが切られる可能性が高いな。」
火曜日、私はミシェルと相談してマイクを会議室へ呼び出し、土質調査の進め方について進言することにしました。ミシェルが慎重に言葉を選んで説明します。
「許認可がクリアになっていないので、今掘れるのはこの一箇所だけです。わざわざ掘削機を現場へ搬入し、たったの一箇所しか掘らないのは非効率的です。まとめて数箇所掘れるタイミングが来るまで待った方が得策ではないでしょうか。」
マイクは鬼のような形相で彼女と私を代わる代わる睨みつけた後、吐き捨てるように言いました。
「いいか、二人ともよく聞け。もうそんな悠長なことを言っている場合じゃないんだ。政治的な圧力がかかってるんだよ。一箇所でもいいから大至急掘らせろ。とにかく仕事が捗っていることをアピールするんだ。」
水曜の朝、ORGのマイクが転勤するというニュースがオフィスを駆け巡りました。転勤というのはもちろん表向きの理由で、これが更迭であることは誰の目にも明らかです。その晩、我々JVとORGの主なメンバーがメキシコ料理店に集まり、盛大な送別会を開きました。マイクとグレッグが主役を挟んで座ります。品のない冗談を連発し、ヒステリックに笑いながら肩を叩き合う三人。居心地が悪くなるほど陽気な宴会でした。あれほど煮え湯を飲まされて来たボスのマイクが、仇と呼んでもいい男とどうしてあんなに仲良く飲めるのか、理解に苦しみました。
翌朝、そのマイクが私に言いました。
「今後、下請け関連の仕事はフィルと組んでくれ。悪く思わんでくれよ。お前じゃ勤まらんというわけじゃない。仕事量が膨らんでいることだし、お前にも相談役が必要だ。フィルは経験豊富だから、彼とよく相談して仕事を進めてくれ。」
その後、彼は全員に召集をかけ、緊急ミーティングを開きました。
「我々の直面している問題、それは毎日毎日金を垂れ流しているということだ。非効率な仕事を続けることはもう許されない。ここで組織の立て直しをしようじゃないか。」
そう言って彼は、ひとりひとりの名前と担当業務をあらためて確認しました。それからチームワークの必要性を熱く説きました。まるでフットボールのコーチがキックオフ直前にロッカールームで選手達を鼓舞するかのように。
会議終了後、フィルが私のところにやって来ました。彼は白髪の老人で、口ひげまで真っ白です。おそらく60代後半でしょう。しかし背筋はしっかり伸び、肩幅も広く、かつて激しいスポーツに明け暮れていたに違いないと思わせるエネルギーを感じます。素肌に白いシャツを纏い、胸元からは銀色の胸毛がのぞいています。彼はブルージンズの長い脚を折り曲げて片足をゴミ箱の上にどかっと置き、柔和な笑顔で自己紹介してくれました。彼はサンフランシスコから単身赴任しているのだとか。
「シンスーク。」
彼は私の名をそう呼びました。すぐに訂正しましたが、何度か言い直しても発音が変わらないので、そのままの呼び方で結構ですと言いました。
「今日から下請け業者の仕事全般を監督する役目を仰せつかった。よろしく頼むよ。お前さんの勤勉ぶりはマイクから聞いてる。二人で楽しくやって行こう。」
翌朝早くから、マイクは珍しく黙々と机の整理をしていました。大きな段ボール箱を持ち込み、書類を選り分けて乱暴に投げ込んでいます。そして不意にどこかへ出かけたまま、それっきり戻って来ませんでした。午後になり、リンダがそっと部屋に入って来て後ろ手にドアを閉め、囁くような声でケヴィンと私に話しかけました。
「PBがトップのポストに人を送りこんでくることになったわ。マイクを降格させるみたい。ETとPBの担当役員同士が旧知の仲で、二人で話して決めたらしいの。ETの役員はマイクをかばおうともしないのよ。人を増やしてくれと何度頼んでも知らん顔をして彼を苦しい立場に追い込んだ末にこの仕打ち。役員がよその会社の肩を持つなんて信じられる?」
リンダの声は、か細いながらも怒りに震えていました。
「新しいボスは来週の月曜に着任するんですって。ずっと前から話は決まってたってことよね。」
ケヴィンと私は暫くあっけにとられていましたが、
「それで、彼はどうするんですか?」
と私が聞くと、
「分からないわ。でも、このダンボールを見てよ。」
とマイクの机の足元で口を開けた二つの空き箱を指差しました。不要書類の処理をしているのだとばかり思っていたのに…。
「私はまだここで働きたいんだけど…。彼がサクラメントに戻ると言うならついて行くしかないわね。」
そこへ突然ドアが開き、マイクが戻って来たため会話は中断しました。そして二人は低い声で何事か話し合った後、さっさと早退してしまいました。私とケヴィンは暫く無言のまま顔を見合わせていました。予想もしなかった背後からの一突き。マイクは一体どうするのでしょうか?ケヴィンが顔を曇らせます。
「えらいことになったな。俺たちだって、マイクに雇われてる身だ。これは人ごとじゃないぞ。」
その時、ナンバー2のグレッグが部屋に入って来ました。いつもと変わらぬ涼しい笑顔です。
「シンスケ、うちの組織図持ってない?」
この人はマイクの身に起こっている事件を知っているんだよな、と思いながら答えます。
「ありますが、全く実態と違いますよ。一年くらい前のものだと思いますが。」
「ある物でいいんだ、何でも。この人にメールしてくれない?」
Eメールをプリントアウトしたものを渡されます。蛍光ペンで線が引かれたメールアドレスに組織図のファイルを送信してから、あらためてメール本文を読んでみました。
「JVの組織図、そしてCTBやORGも含めた包括的な組織図があれば有難い。そちらに到着する前に見ておきたいので。」
そこで、ORGから貰ったファイルも続けて転送。その3時間後、「組織図を送ってくれて有難う。」という返信が来ました。こんなタイミングで「組織図を見ておきたい」というのだから、新しいボスはこの人に間違いないでしょう。もう一度グレッグから渡されたメールを読み返してみると、文章の最後にこう書いてありました。
クレイグ@PB ニューヨークより。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
話には聞く米国のリストラ、怖いですねェ。Joint Ventureだと、個人の態度や能力だけでなく、政治的な力関係により大いに左右されていそうで、マイクは納得いかないでしょうね。
返信削除立つ鳥あとを濁さず
という言葉は米国にあるのでしょうか。
理由はどうあれ、切られる時は切られちゃうんですよね。日本みたいに「和の精神」とか「社員はみな家族」は通用しないですから。
返信削除立つ鳥あとを濁さず、あるにはあるようなのですが、なんかしっくりこない英訳ばかり。いいのを探してみます。