2010年9月28日火曜日

アメリカで武者修行 第25話 マイクが笑ってるぜ。

2003年8月中旬、月曜の朝のことでした。その日の運転当番だったケヴィンが私のアパートに迎えに来たのですが、いつになく固い表情。高速道路に入ってすぐ、
「後部座席にあるファイルを見てくれよ。」
と重たい声で言いました。助手席から身をねじってファイルを手に取ります。
「この週末、家でずっと仕事してたんだ。クラウディオからのプレッシャーがきつくてね。そいつは先週彼から渡されたファイルなんだ。三ページ目を開いてくれないか。」
ページをめくると、そこには組織全員の名前がリスト化されています。そしてなんと、そのうち数人の備考欄に、任期切れの時期が記してあるのです。ケヴィンの名前の横には、2003年9月という文字。マイクの予告通り、今月一杯でクビということです。ショックを受けつつも、反射的に私の目は自分の名前を探していました。そして、自分の任期切れが来年3月となっていることを確認しました。老フィルは「10月からパートタイム」となっていました。
「このファイル、先週半ばに渡されてたんだけど、忙しくてずっと見てなかったんだ。土曜日にようやくそのページに気付いて、自分があと二週間でクビだと知ったわけさ。最近大事な仕事をどんどん任されるから、この先も俺を使い続けようとしてるんだと思いこんでた。甘かった。」

ケヴィンの担当業務である用地選定はほぼ終了しており、あてにしていた有料区間道路設計の業務契約が破棄されたことで、足元の氷が急速に溶け始めていることを彼自身よく分かっていました。そんな折クラウディオは、成果物の提出スケジュール管理システムなど、マネジメントツールの作成をケヴィンに任せるようになりました。そして先週、より包括的なツール作りを促すため、自らのマル秘ファイルをまるごとケヴィンに渡したのだそうです。もちろん門外不出という条件で。
「でも、仮に解雇しようとしてるとしても、二週間前までには本人に告知しなきゃいけないって規則なんじゃないか?」
と私が言うと、
「今日がその二週間前なんだ。宣告を受けるとしたら今日の夕方かな。参った。こんな気分のままじゃ、一日働き通せるとは思えないよ。」

職場に到着し、会議室のドアを内側からロックして二人で対策を検討した結果、ここはやはりクラウディオの口からきちんと真意を聞くべきだろうという結論に達しました。いくらなんでも、それとなく解雇の日付を見せて告知代わりにしようなんて話はないだろう、と。そして午後遅く、ケヴィンが私のキュービクルにやってきて言いました。
「クラウディオと話してきた。今月一杯という話はなくなったよ。気が変わったんだって。いつまでかは言われなかったけど、ひとまず生き延びた。」
安堵で顔がほころんでいました。

有料区間道路設計の契約破棄通告を受けてからというもの、クラウディオはオフィスのドアを閉め切って仕事することが増えました。就任当時「いつでもドアは開けておく。自由に出入りしてくれ」と言っていた彼がドアを閉め始めたとあって、職場に緊張感が漂います。期待させるだけさせておいて我々を無残に捨てた元請けに対し、クラウディオは全面戦争をしかける覚悟を決めました。
「現在の設計業務で損を出しても次の仕事で挽回出来ると踏んでいたからこそ、これまで我々は元請けの横暴な要求にも度々応じて来たんだ。このまま引き下がれるか。」
彼は同時に現組織の財政を引き締めるべく、大胆な人減らしを開始しました。

ケヴィンの解雇騒ぎから一週間後、フィルが出勤早々私のキュービクルにやって来ました。
「お前さんには知らせておいた方がいいと思うので言っておくが、昨日解雇通知を受け取ったよ。今週一杯でおさらばだ。」
クラウディオのマル秘ファイルでは「十月からパートタイム」となっていたのに、いきなりの解雇です。
「明日から来なくていいと言われたが、進行中の仕事にケリをつけておきたいから、今週一杯に延ばしてもらったよ。」

翌日、彼を誘って近くのイタリアンレストランへランチに行きました。二人で食事をするのはこれが初めて。彼は今回のことについては何も触れず、今まで手がけてきたプロジェクトにまつわる愉快なエピソードをいくつも披露してくれました。建設中の橋の上に軽飛行機が真夜中に不時着し、パイロットが飛行機から降りて初めて足元の橋桁がすかすかの穴だらけなのに気づいて肝を冷やした話には、二人で大笑いしました。しかし、日米の労務慣習の違いに話が及んだ時は、急に顔をこわばらせてこう言いました。
「この国にはびこる悪しき慣習は、何か問題があるとすぐ他人のせいにして責任をとらせようとすることだ。」
彼がどの程度自分自身の解雇に関連付けてそんなことを言ったのかは分かりませんが、印象的なセリフでした。翌週、彼は十ヶ月働いたサンディエゴを後にして、奥さんや子供の住むサンフランシスコへ帰りました。
「手当たり次第、友達に電話をかけてみるよ。どこかに仕事はあるだろう。」
と、笑顔で固い握手を交わしつつ。

その翌週、ニューヨーク支社から派遣されていたトムとヨンが八ヶ月ぶりに元のオフィスへ戻り、後任はゼロ。続いて、都市施設担当のニキータの辞任が決まりました。ちょうど雇用契約更新時期が来ていた彼女は、クラウディオから現在よりはるかに低い報酬を提示されたそうです。これまでサービス残業も厭わず馬車馬のように働いて来たというのに、そのお返しがこれか、と憤りに身を震わせていたところ、以前解雇されシアトルで職を得たジムが、「都市施設の専門家を探してるんだが」と電話してきたそうです。これ以上ないタイミング。彼女は高給でシアトルへ引っ張られることになりました。

ある日のこと、Eメールでイラクから送られてきたと見られるマイクの写真が、掲示板に貼られていました。迷彩色の戦闘服に身を包み、右肩にはM16小銃。青く渇いた空の下、橋の真ん中に仁王立ちしてニッコリ笑っています。
「おい見ろよ、マイクが笑ってるぜ。」
通り過ぎる人たちが思わず立ち止まって見入ってしまうほど印象的な写真です。いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた彼が、灼熱の戦場で少年のように清々しい笑顔を見せているのですから。ケヴィンが感慨深げにこう言いました。
「命がかかっているとはいえ、この混乱した職場から抜け出して秩序に満ちた世界に身を投じたんだ。案外救われた気分でいるのかもしれないな。」

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