2003年7月中旬。ケヴィンは実家のあるオークランドで結婚式を挙げた後、新婚旅行に出かけるために二週間の休みを取りました。ほぼ同時に、私も週末を挟んで三日間だけ有給休暇を取り、東海岸へ飛びました。義理の両親と合流し、家族五人のドライブ旅行です。まずはヴァージニア州ノーフォークに飛び、義父母の知り合いで、海辺の豪邸に住む老夫婦の家に二泊させてもらいました。翌日はペンシルバニア州ランカスターという、アーミッシュで有名な街へ行きました。アーミッシュとは、質素な生活様式を貫くキリスト教徒。電気は一切利用せず、冷蔵庫はガス式、アイロンは圧縮空気式という徹底ぶり。もちろん自動車は使わず、馬車か自転車で移動します。時速80キロで車が突っ走る道路の脇を、トコトコと行き交う馬車を何度も目にしました。電気も電話も、もちろんインターネットもない生活なんて、今の自分には耐えられそうもないなあと思いました。デジカメの充電が切れて記念写真が撮れず、地団太踏んで悔しがっていた妻も、きっと私と同意見でしょう。そして最終日の日暮れ前、ニューヨークのワールド・トレード・センター跡地に到着しました。新しいビルの基礎工事が既に始まっていて、まるで巨大隕石が落ちた後のように、広大な面積の地面が深くえぐれていました。
さてその翌日、ニューアークの空港で義父母と別れ帰途につきました。ところが、飛行機に乗り込んだ途端雷雨が激しくなり、待機状態が長時間続きます。結局、飛び立ったのは三時間後の午後五時でした。中継地のクリーブランドでは、一日一本しか無いサンディエゴ行きが既に飛び立った後で、翌日の夕方まで便はないとのこと。しかたなくこの地で一泊することになりました。空港の公衆電話から職場に電話すると、老フィルが
「そりゃまた退屈なところで足止めを食ったもんだな。」
と愉快そうに笑いました。
「仕事の方は順調だよ。せっかく一日延びたんだ。夏休みを最後まで楽しんで来るんだな。」
一日遅れで帰宅し、翌朝は早起きしていつもより一時間早く職場に入りました。さっそく溜まったメールのチェックを開始。すると、何かただならぬ雰囲気のやりとりがいくつか混じっていることに気付きました。どうやら留守中に事件が起きたみたいだな、と覚り、ちょうど出勤してきたフィルに尋ねました。彼の口から飛び出したのは、我々JVにとって最悪のニュースでした。
「火曜の夕方、有料区間道路の設計契約が破棄されたんだよ。お前さんとの電話を切ったすぐ後だった。」
現在進めている無料区間の道路設計はあと半年で終わる見込みですが、有料道路の設計が始まればあと三年は食い繋げる予定でした。元請けのORGから毎日ギリギリと絞り上げられながらもこれまで我慢してきたのは、予算数十億の有料道路設計業務を目の前にちらつかされていたからなんです。正式なゴーサインを今か今かと待ちながら従順に働いて来て、ちょうど無料区間の設計が峠を越えたところだった我々に、ORGは契約書のTermination for Convenience (いかなる都合によっても中途で契約破棄できる)条項を適用し、あっさりと三行半を叩きつけたのです。有料区間の仕事が無いと分かれば、50名以上いる現在のチームは、どう考えても所帯が大き過ぎます。
「これからどうなっちゃうんですかね。」
とフィルに聞くと、
「さっぱり分からんよ。今日明日中に解雇ということはないだろうが、お前さんもわしも尻に火がついたことだけは確かだな。」
と答えました。
続いてリンダが現れたので話しに行くと、
「訴訟に向けて行動開始よ。このままおめおめと引き下がれないわ。」
と鼻息を荒くしています。
「あちらの都合でいつでも契約破棄できるという条項がある以上、勝ち目はないんじゃないですか?」
と聞くと、
「手はあるわ。それにこういうのはタイミングが大事なの。すぐにクレーム文書を作るわよ。今日中に証拠書類をまとめあげて、明日の朝一番でクラウディオとマイクに上げましょう。」
休み明けだというのに、結局夜11時まで残業する羽目になりました。
翌週の月曜、新婚旅行から帰ってきたケヴィンにとっても、契約破棄のニュースは衝撃でした。彼は結婚を機にサンディエゴで家を買おうとしていたのです。あわてて購入計画を中止し、アパートの月借りを検討することにしました。
「なんて週だ。結婚して帰ってきたら、いきなり職の危機とはな。」
さらに、三人の契約社員が私の留守中にひっそりと解雇されていたことも聞かされ、気持ちが沈みました。ウォーキング仲間のカルヴァンもそのうちの一人でした。都市施設担当のニキータがやってきて、怒りをぶちまけました。
「カルヴァンの話を聞いた?彼、契約破棄事件の日はお休みだったからニュースを知らなかったの。次の日出社してコンピュータを使おうとしたらログイン出来ないのよ。で、何かソフトウェアのトラブルだろうと思って午前中ずっと格闘してたのね。まわりの皆も原因をつきとめようと頑張ったわ。で、一旦諦めて皆と一緒にランチに行ったの。オフィスに戻ってみたら、自分が朝一番でクビになってたことを、上の誰かから知らされたってわけ。こんなひどい仕打ちが許される?」
同じく契約社員であるニキータにとっては、他人事とは思えない話のようです。私も、マネジメント層の冷酷さに腹の底が冷える思いがしました。さっそくカルヴァンの携帯電話に電話してみました。彼はいつもと変わらぬのんびりした声で言いました。
「俺は大丈夫だよ。心配ご無用。次の仕事探しを始めるだけの話さ。」
水曜の午後、ケヴィンが私のキュービクルに来て言いました。
「聞いたか?マイクが今週金曜からまた召集らしいよ。今度は三ヶ月だって。」
「え?なんで?戦争は終わったのに?」
「今度は国土再建の仕事だってさ。」
どうやらイラクに行って建設関係の仕事をするようですが、当の本人も正式配属になるまでは、詳しい目的地も任務も分からないようです。
「彼がいるうちに、今後の身の振り方を相談しなきゃいけないな。さっそくマイクと話してくるよ。」
そう言って彼のオフィスに入って行ったケヴィンは、十分ほどして私のところへ戻って来ました。すっかり打ちのめされた様子です。
「なんてこった。最悪の場合、今月一杯でクビだってさ。」
「何だって?あと三週間しかないじゃない。」
「ああ、まったく参るよ。俺の仕事がほぼ終わりに近づいていることは分かってたけど、現実に最終日を宣告されるのはキツいよ。」
それから少し笑って、
「シンスケはまだ大丈夫だと思うよ。契約の仕事は当分続くだろうからね。それでも念のため、マイクと話しておいた方がいいとは思うけど。」
さっそくマイクのオフィスを訪ねました。
「次の仕事探しを始めるのはいつ頃がいいでしょうか?」
と恐る恐る切り出すと、返ってきたのは「そりゃ今すぐだ。」という答え。
「クラウディオも俺も、お前の仕事振りには満足してる。訴訟の行方次第じゃ、あと一年くらい今のポジションを維持できる可能性もないわけじゃないが、絶対あるという保証も出来ん。仕事探しを早めに開始したって、損にはならんだろ。」
その晩、妻と話し合いました。
「それで、どうするの?何かあてはあるの?」
「残念ながら、現時点では何も無いんだ。僕を採用したボス自身がいなくなっちゃうし、頼みの綱であるケヴィン自身が解雇寸前なんだよ。もうこうなったら、なりふり構わず就職活動を始めるしかないね。」
次の週、ボスのマイクはイラクへ向けて旅立ちました。私もケヴィンも、仕事を続けながら職探しを開始。アメリカで働き始めて9ヶ月。こんな事態を迎えることになるとは、予想もしていなかったのでした。
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