2010年12月31日金曜日

アメリカで武者修行 第32話 君をどんどん鍛えるからな。

四月の第二週。サンディエゴ支社での仕事を正式に開始しました。高速道路15号線沿い、オフィスパークの一角にある建物で、敷地の裏にはこじんまりとした牧場があり、数頭の馬がのんびりと草を食んでいます。レイオフの嵐を潜り抜け、先にここへ無事に流れ着いていた仲間達が、最後に漂着した私を温かく迎えてくれました。経理担当のシェイン、環境調査担当のティルゾ、そして我が戦友、ケヴィン。彼は既に窓付きの特大オフィスを与えられており、上下水道部門の若きエースという風格を漂わせています。

私はと言えば、プロジェクト・コントロール・エンジニアという立派な肩書きを貰いましたが、その実は「少々年を食った新米社員」。新卒のエンジニアと同じように、小ぶりなキュービクルにおさまって、新しいキャリアのスタートです。所属は、プロジェクトデリバリー部のプロジェクトコントロール課。同じ課の社員は全米のあちこちに散らばっていて、サンディエゴ支社にいるのは、私とボスのエドの他、エリカという女性社員です。
「よろしく。分からないことがあったら何でも言ってね。」
エドと同様、人柄の良さが滲み出す温かい笑顔。

彼女と少し話すうちに、どうして私がエドに拾われたのかが分かりました。数年前、大企業による不正会計操作事件が続々と発覚し世間を騒がせたことがありましたが、その反省から企業内の経営コントロール強化が法律で義務付けられたのです(サーベインズ・オックスリー法)。それで我が社もプロジェクト・コントロール課の増員が急務となり、私が雇われる運びになったのです。
「悪事を働いた人達が結果的に僕の苦境を救ってくれた、というわけだね。」
と私が笑うと、
「そうね。彼らに会うことがあったら、有難うって言わなきゃね。もっとも、当分は檻の中でしょうけど。」
とエリカ。

ボスのエドは、短い業務説明の後、
「七月に、二週間休みを取ってワイフとイタリアに行く予定なんだ。それまでに俺の代わりが務まるよう、君をどんどん鍛えるからな。」
と微笑みました。さっそく翌日から、大型プロジェクト20件を対象にした、二日連続の月次レビュー会議に同席しました。
「いずれは君にこの会議を仕切ってもらうからな。しっかり頼むぞ。」
とエド。

日本で働いていた頃も、これと似た会議はありました。しかし、電話会議という形態は初めてです。レビューを担当する重役達も、評価を受けるプロジェクトチームも、全米各地に散らばっています。一堂に会して実施するのは困難で、この形態を取らざるを得ないのです。今回は、仕切り役で副社長のアルがウィスコンシンからやってきて、エドと私、それにエリカと四人で会議室にこもり、ヒトデ形のスピーカーフォンを囲んで座りました。

指定時刻になると全米各地から続々と電話が入り、
「デビーよ。みんないる?」
「ミッキーだ。今日は寒いな。サンディエゴはどうだい?」
などと出席者を確認してから会議を始めます。参加者は常に十五人を超えます。エドがパソコン上に各プロジェクトの経営データを開いてスクリーンに投影し、アルや私はこれを見ながら会議を進めます。エリカは議事録係。出席者はネットミーティングという機能を使い、自分のパソコンでエドのパソコン画面を見ながら討論するのです。

プロジェクトマネジャー達は大抵一人で近況報告をし、それから重役達の質問に答えます。しかしそれは時に、詰問、尋問、拷問へとエスカレートし、答えに少しでも詰まろうものならたちまち袋叩きに会います。スケジュールの遅れ、クライアントとのいざこざ、品質管理など様々なテーマが話し合われるのですが、議論の焦点は詰まるところ、「どうやって金を回収するのか」。キャッシュフローが滞れば、自然とプロジェクトマネジャーに対するプレッシャーもきつくなって行きます。以前見た「フェイク」という映画で、アル・パチーノ演ずるマフィアの中堅幹部ソニーが、
「俺はラスティさんに毎月五万ドル納めなきゃならねえんだ。分かってんのか?これは遊びじゃねえんだぞ!」
とたるんだ手下どもをどやしつける場面がありましたが、本質的にはこれと何ら変わりません。命をとられることこそありませんが、いつクビになっても不思議はないのですから。かつての私の上司、マイクが毎月だんだんと怒りっぽくなっていったことを思い出し、今更ながら合点がいきました。

そんな緊迫した会議の連続ですが、もっとも緊張する瞬間が、それぞれのレビューの終了間際。アルが決まり文句のようにこう言うのです。
「さあ、誰か質問はないかな?ファイナンス・グループの諸君は?エドは?ない?それじゃあシンスケ、最後に何か質問は?」
質問なんてあるわけないじゃないですか!議論の中身は、99パーセント理解出来ないんですから。そもそも電話を通して聞く英語が分かりにくいのに加え、専門用語や略語がポンポン飛び出して、もうちんぷんかんぷん。必死に理解しようと努めても、為すすべも無く会話が猛スピードで頭の中を素通りして行きます。大変なのは、むしろ眠気との闘い。会議机の下で、太腿のあちこちをつねってこらえる私。二日間の会議が終了してスピーカーフォンのスイッチを切り、アルがエドと世間話を始めた時には、私は疲労困憊の態でした。

アルとエドの話題は、プロジェクトマネジメント講習会のことに移りました。我が社はこの年から、東海岸の各支社を皮切りにプロジェクトマネジャーのための集中トレーニングを開始したのです。エドは北米とカナダの諸都市を飛び回り、毎回教鞭をとっているのだとか。PMP(プロジェクト・マネジメント・プロフェッショナル)の資格取得に向けて受験勉強を進めていた私は、この話題に食いつきました。教科書と問題集で基礎的な知識はほぼ吸収し終えていたため、そろそろおさらいのための講習を受けたくなっていたのです。サンディエゴではいつトレーニングが開催されるのか聞き逃さないよう、耳をそばだてていました。その時アルが、エドにこう尋ねました。
「君も大変だろう。人が少ないからその度に出張しなきゃいけないものな。秋の西海岸シリーズには社外から講師を補充しようか?」
するとあろうことか、エドがこう答えたのです。
「いや、これから急いでシンスケを鍛えるから大丈夫ですよ。」
するとアルがこちらを向いて、
「そうか、じゃあ秋からの講習会はシンスケに助太刀してもらおうじゃないか。」
冗談とも本気とつかぬ、二人の笑顔。反射的に、右手の拳を上げてガッツポーズで応えてしまった私でした。

緊張感に満ちた、新しい職務のスタートになりました。

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