少し体重を増やした上機嫌なロバート・デニーロ、といった風貌のエド。人柄の良さが、その笑顔から滲み出しています。彼のところで働くというのが具体的にどんな仕事をすることなのか、全く想像がつきません。しかしこちらは失職寸前の身、この際何だってやります。その意気込みを激しく伝えたところ、
「それは良かった。来週ゆっくり話せるかな。」
ちょうど一週間後の朝一番、彼のオフィスを訪ねることになりました。
エドが去った後、さっそくケヴィンに電話で報告します。彼はすっかり現場事務所から足を洗い、今ではサンディエゴ支社に自分の部屋を与えられて、バリバリ仕事しています。
「やったな。シンスケがエドに雇ってもらえば、俺達また同じオフィスで働けるぞ!」
電話の声が弾んでいます。
そのケヴィンから、エドとの面会の前日に電話がありました。
「さっきエドと話したよ。彼は君との面接で、プロジェクトマネジメントに関する知識を試すつもりらしいぜ。ちゃんと予習しておいた方がいいな。」
「えっ、面接?」
私はてっきり、自分が今までやって来た仕事のことなどを聞かれるのだと思っていました。「ゆっくり話そう」というのは、適性を見るための面接のことだったのです。冷静に考えれば当たり前の話です。危ない危ない。この期に及んで、自分は一体何をやってたんだ?折りも折り、PMP受験のためにと注文しておいたプロジェクトマネジメントの参考書が届いたので、その夜、超速読を開始。一晩かけて基礎知識を頭に詰め込み、エドとの面接に臨みました。
「オフィスビルを建てるとして、君はどうやってスケジュールを作る?」
「アーンド・バリューとは何?」
「クリティカル・パスとは何か説明してくれ。」
一夜漬けが功を奏し、すべての質問に何とか答えることが出来ました。ケヴィンからのインサイダー情報がなかったら、悲惨な結果に終わっていたことでしょう。またしても彼に、すんでのところで救われたのでした。
「君とはうまくやっていけそうだ。さっそくボスに話してみるよ。」
と、笑顔で立ち上がって握手を求めるエド。え?これってOKってこと?失業を免れたのかな?よく分からないまま、ひとまずその場を去りました。
一夜明けて木曜の朝、出勤早々リンダが私のところへやって来て、早口でこう告げました。
「マイクが月曜にイラクへ発つことになっちゃったの。これからサクラメントへ行って来るわ。彼が出発する前にやらなきゃいけないことが、山ほどあるから。」
そして、あっという間に姿を消したのでした。クレーム作成が佳境に入っていただけに、この行動は意外でした。イラクへ行くのはマイクなのに、なんでリンダまで仕事を抜けなきゃならないんだ?と。ところが、空港まで彼女を送ったティルゾから、翌月曜の朝、こんな話を聞き仰天。
「リンダとマイクは、土曜に結婚したんだよ。」
「え?ちょっと待って。どういうこと?」
そもそもマイクとリンダは夫婦でも何でもなく、最近別れたりくっついたりしてたのは、「恋人」という間柄でのことだったのです。去年の暮れにプロポーズを受けていたリンダは、マイクから水曜の夜、「月曜の出発が決まった」という電話を受けてようやく結婚を決意。翌朝大慌てで牧師の手配をし、航空券を電話注文。そしてティルゾの運転でサンディエゴ空港に向かう途中、ショッピングモールに寄ってティファニーの結婚指輪を一対購入したのだそうです。
「空港へ行くまでの限られた時間に、結婚指輪を選んで買っちゃったんだよ。30分くらいだったかな。大した決断力だよね。まあ僕も一応指輪選び、手伝ったけどさ。」
と笑うティルゾ。
結婚指輪を携えサクラメントに到着したリンダは、翌日の金曜にダウンタウンで花嫁衣裳を買い、土曜日にマイクとタホ湖まで走り牧師と落ち合って、湖畔で式を挙げたそうなのです。そして月曜の朝、イラクへ旅立つマイクを空港で見送った後、午後一番で職場に戻って来ました。
「おめでとうございます。」
と言いかけた私を遮り、
「さあ、クレームを仕上げるわよ!」
と真顔でハッパをかけてきた時には、やはりこの人はタダモノじゃないな、と感心しました。
そして遂に、70ページを超えるクレーム文書が完成しました。原契約額とほぼ同額、日本円にして数億の追加請求。これを元請け会社の役員全員に宛て、フェデックスで送りつけたのです。ティルゾとリンダとで、会議室にこもってフェデックスの箱にひとつひとつ書類の束を詰めながら、
「ジャンの奴、きっと怒り狂うだろうな。彼の顔は確実に潰れますね。」
と私が言うと、
「喜ぶのはまだ早いわ。これで終わりじゃないわよ。敵は必ず反撃してくるから、すぐに二の矢の準備を始めましょう。」
とリンダ。
ところがその翌日、衝撃的なニュースがオフィスを駆け巡りました。ジャンが更迭されたというのです。私達が文書をこっそり箱詰めしていたちょうどその頃、宣告が下っていたことになります。ティルゾの入手した内部情報によれば、平社員に降格され、どこか砂漠の真ん中にある事務所で資料整理の仕事をすることになったとか。リンダが静かに言いました。
「この手で引導を渡せなかったのは残念だけど、このクレーム文書は彼の刑期引き延ばしに、きっと貢献してくれるでしょう。」
さて翌週、エドに電話して様子をうかがいました。不安を抱えて一週間待った上でのこと。
「まだ結論は出てないけど、大丈夫だと思うよ。三月からここで働いてもらうつもりだ。ただ、こういうのは手続きが必要なんだ。結論はもうちょっと待ってくれないか?」
との返事。新しいポジションに人を雇う場合、一般広告を出して募集をかける決まりになっているというのです。その上で私を超える候補者が現れなければ、最終決定となるわけ。帰宅して妻に話すと、
「でも、外部から飛びきりの実力者が応募して来ちゃったらどうなるの?」
と心配そうです。
「その人とも面接してから決めるんだろうね。」
「じゃあ、失業する可能性はまだ残ってるってことね。」
「残念ながらそういうことだな。」
妻の不安は当然です。溺れる寸前に投げ込まれた一本のロープ。家族三人、立ち泳ぎしながらこれにつかまって、船上のエドがぐいと引っ張り上げてくれるのを、ただただ祈るだけの状況なのですから。
一方、我々が渾身のクレームレターを送りつけた一週間後、元請けのORGからようやく返事が届きました。差出人は、元請会社の重役です。
「何かの間違いでは?おっしゃっている意味が分かりません。どれもこれも、身に覚えのない話でございます。お宅の方で、もう一度よくお調べになってはいかがですか?」
と、恐ろしくすっとぼけた内容。
「よくもここまで誠意の無い手紙を公式に送って来れますね。この神経の太さには呆れますよ。」
と憤る私。しかしリンダは冷静です。
「こうやってしらばっくれるのは、すぐに反論出来ないっていう何よりの証拠よ。私達がクレーム文書を用意してることを察知して、すぐにトカゲの尻尾を切ったんでしょうね。そうして暫く知らぬ存ぜぬで通し、反撃材料を探すための時間稼ぎをしているのよ。さあ、クレームレター第二弾を仕上げましょう。次の一手でとどめを刺すの。仕事にかかるわよ。」
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