2003年10月。採用から一年が経過したということで、業績評価のための面接がありました。プレゼンテーション技術、リーダーシップ、コーディネーション能力などの評価項目が各十段階で採点され、最終的には四点満点の総合評価を頂きます。
さて、ジョージとの面接。
「私は君と働き始めて日が浅いので、評価はリンダに一任した。この書類に書き込んだのはすべて彼女だということを断っておく。一応目を通してからサインしてくれ。」
評価される側が自分の通信簿にサインするというのは、いかにもアメリカ的だな、とちょっと感心しました。一読したところ、彼女からの評価は概ね好意的。コミュニケーションの欄を見ると、さすがに会話能力についてはやや低めの評価でしたが、それ以外はほとんど高得点。一番高く評価されたのは、コーディネーション能力。日本での経験を活かせた、というところでしょうか。総合評価欄には、「契約業務全般において著しい成長を見せた」とあり、思わずニッコリ。厳しく指導しながらも、ちゃんと評価してくれていたんだと思うと、胸が熱くなりました。しかし最後に、“Recommended to be more assertive” (もっとassertive になることが望まれる)という一文が記されていました。書類にサインしてジョージに返しましたが、この “assertive” という言葉(日本語では「積極的に主張する」とか「断定的な」という意味)がその後も長い間、心に引っかかりました。
確かにこの仕事を始めた当初から、リンダには同じ意味のことを何度も言われて来ました。自分でもそうなれないことに苛立ちを感じてきましたが、初めは「英語がそれほど流暢じゃないのに、どうやってassertive になれって言うんだ」と自分で自分に言い訳していました。しかし段々と、言葉の問題よりもむしろ「物事をどの程度深く理解したら断定的になってもいいか」という自分の中のルールが少し厳しすぎるせいではないか、とも思い始めました。何かを100% 理解するまで待っていたら、いつまで経っても何も断定出来ないことになってしまいます。とは言え、中途半端な理解度で断定的な態度を取ればミスを犯す確率も高くなるわけで、私はこれまでそういうリスクを避け安全な道を歩んで来た結果、押しの強い印象を人に与え損なって来たのだろうなあと思いました。
しかしリンダだってやはり人間。間違いは犯します。彼女がものすごい剣幕でガンガン押して来た時、私が
「それは違うと思いますよ。」
と意見し始めると、大抵最後まで喋らせずに、
「私の話を聞きなさい、これが正しいのよ!」
と退けようとします。それでも辛抱強く説明していくと、ある時点で
「あらそうなの?それじゃあなたが正しいわね。」
とさらりと受け入れることがよくあるんです。そんなにあっさり切り替えられるんだったら、どうしてあれほど強く主張出来たんだ?と首を傾げてしまうことしきり。
ある日、元請けのORGで契約変更を担当しているトムとの会議に出席しました。その日の議題のひとつに、「ロックアンカー擁壁の導入に起因する地盤調査費用の増額」というものがあり、その書類一式を用意した私も臨戦態勢でリンダの横に座っていました。リンダの弁舌は立て板に水。
「標準タイプの擁壁を想定していたのにORGが変更した。そのために余分な地盤調査が必要になった。これはあなた達が払うべき費用よ。我々はこれ以上ただ働きしませんから。」
一方トムは、
「タイプがどうであれ、高速道路建設に必要な擁壁を設計するのはあんた達の仕事だ。設計に必要な地盤調査もあんた達が賄うべきだ。」
と十八番の屁理屈。リンダが顔を紅潮させ、
「ロックアンカー擁壁は、入札時には想定されていなかったのよ。契約書の地盤調査の項にも一切その記述がないじゃない。標準タイプの擁壁にかかるお金とロックアンカー擁壁にかかるお金との差分はあなた達が払うべきよ。」
と激しく応戦。そうして暫く鋭いジャブのやりとりが続き、双方のボクサーが息を整えるためコーナーへ下がった(椅子の背に身体を預けた)時、なんとリンダがこう言ったのです。
「ところでトム、無知を許して欲しいんだけど、ロックアンカー擁壁って何?」
これにはセコンドの私が激しくずっこけました。それを知らずにあそこまで強い態度に出られるのか、と畏敬の念すら覚えました。
彼女はちょっと前に、香港でR・リーという青年実業家の下で働いていた頃の話をしてくれました。この若き野心家の瞬間湯沸かし器的な短気は有名だったそうで、必要な情報が瞬時に出てこないとたちまち大爆発するそうです。部下はいつもビクビク、ピリピリ。ある時彼がリンダの目の前で、廊下を歩いていた部下を呼び止めて仕事の指示を始めました。そして、
「おいお前、メモ取らないのか?」
と言われた部下が、
「すみません、今ペンを持っていないので。」
と答えると、見る見る形相が変わっていき、
「ペンを持っていないだと?そんなこと知るか!今すぐ自分の手首を切ってその血でメモしやがれ!」
と怒鳴りつけたというのです。「すみません、ナイフも忘れました」などというユーモアが通用する相手ではなく、その部下はただただ縮み上がって説教されていたそうです。
「私は、そういう環境で長いこと働いてきたの。」
こんなエピソードを聞かされれば、リンダの仕事のスタイルには頷けるものがあります。まずは大雑把な情報をもとにとにかく走り始める。攻めの姿勢を保ちながら事案への理解を深め、間違いに気付けばしなやかに方向転換する。スピードの要求される仕事をこなすにはそういうスタイルが大事なんだなあと悟った次第(悟ることと実行することとの間には大きな隔たりがありますが)。そもそも私は、簡単に自説を翻せば己の信用やプライドが傷つくと考えてしまう方なので、仕事のスタイルを転換するにはまずその辺をクリアしなければいけません。
そんなリンダにある日、
「マイクは元気なんですか?」
と尋ねたところ、
「多分ね。」
という曖昧な返事が返って来ました。そういう質問にはもううんざりよ、という表情を感じ取って黙ったところ、
「私達別れるの。」
と言いました。ここのところ二人の間では諍いが絶えず、イラクからの長距離電話でもしょっちゅう大喧嘩しているそうです。
「プロジェクト終了間近になってこんなことになっちゃって、きまり悪いわね。」
彼女はマイクのところにあった自分の荷物をすべて引き払い、職場から二十分内陸に入った田舎に建つ一軒家の二階を間借りすることになりました。金曜の午後、ティルゾと私とで彼女の荷物の運搬を手伝い、引越しを済ませました。額の汗を拭きながら、リンダが遠くを見るような目でこう言いました。
「このプロジェクトが終わったら、中国へ行って仕事を見つけるつもりよ。」
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リンダってひとは・・。
返信削除その、ロックアンカー擁壁を知らずにぶっちぎれながら交渉したということだけども、そういうのはフツーのことなのかね?もしそうだとしたら、中国でもやっていけると思うよ。個人的にはどちらも勘弁だけど。
あまり自己主張が得意でない自分としては、仮に自分が何とかアンカーをリンダが知らないことを後で知ったら、二度とお話しないかも。(狭い野郎だ、おれも)
中国での成功をお祈りするばかりです。
彼女のこの極めて基礎的な質問に対し、交渉相手のトムは笑いも怒りもせず、丁寧に説明してあげたんだよね。これを見て、アメリカじゃこういうの当たり前なのかなあ、と思ったよ。
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