2012年7月30日月曜日

Voted off the island クビにされる

先日、我が社のスケジューラー軍団のトップを任されているボブが、シカゴからやってきました。彼がサンディエゴに滞在している間に、スケジューリングのテクニックを伝授願おうと一時間だけ割いてもらいました。現在私が手伝っているフロリダのプロジェクトを題材に、毎週のスケジュール・アップデイトをより緻密に行う方法を聞き出そう、という目論見。

"Do you know why Sue was voted off the island?"

開口一番、ボブがこう私に尋ねました。はあ?なんのこっっちゃ。直訳は、これ。

「どうしてスーが投票で島から追放されたのか知ってる?」

後日同僚ステヴに解説を求めたところ、彼の説明がこれ。「テレビの人気番組に、サバイバーってのがあったでしょ。賞金稼ぎの一般参加者が無人島で生き残りのために競い会うってのがテーマで。節目節目で参加者が投票して、どんどん仲間を追放していくんだな。このフレーズは、明らかにこの番組から来てるよね。」

私がプロジェクトに飛び入り参加するまで、ニューヨークのスーという女性社員がスケジューリングを担当していたという話は聞かされていました。
「それまでマイクロソフト・プロジェクトを使っていたけど、プリマベーラに切り替える決定をしたため、ヘビーユーザーの私に依頼することにしたんじゃないですかね。」
と考えを述べる私に、ボブが静かに答えます。
「いや、スーもプリマベーラをかなり使えるんだよ。」
絶句する私。
「じゃ、なんで私がわざわざ西海岸から呼ばれたんですかね。」
「だから、それが知りたいんだよ。」

私はその女性に会ったこともないし、話したこともありません。プロジェクトのメンバーも多くを語らなかったので、どうして彼女が私と交代させられたのかなんて分かるわけがありません。能力を買われてはるばるフロリダのチームに招かれたことを素直に喜んでいた私ですが、そのせいで「島から追放」された人がいたという可能性については、深く考えていませんでした。

「ひとつ言えるのは、プロジェクト・チームの誰ひとりとして、彼女のことを悪くは言ってなかったってことですね。」

と私。ボブの顔に、初めて安堵の色が浮かびました。

「良かった。スケジュラー・グループを統括する者として、それだけが心配だったんだ。」

ちなみにステヴによれば、この表現は「クール」というにはやや盛りを過ぎた感があるそうです。「サバイバー」シリーズが10年以上前にスタートしていている点を考慮すれば、今更このフレーズを使うのはやや気恥ずかしいのだと。

2012年7月24日火曜日

Sidebar オフレコの話

毎週月曜のランチタイムには、フロリダのプロジェクトのスケジュール会議があります。東海岸の午後3時からなので、カリフォルニアでは12時になるわけ。クライアントのポールとダグが電話会議をセットし、私がウェブ上で最新のスケジュールを見せながらPMのルーが解説する、という段取り。

完全無遅刻を信条とする私は、いつものようにきっかり一分前に電話をかけました。ところが主催者の二人は、私の名前を確認した後、なぜか急に沈黙してしまいます。少し遅れて参加したルーやトムが、
「あれ?誰もいないの?」
と焦って呼びかけたのですが、ポールもダグも応答しません(面白いので私も黙ってました)。

彼らは電話器をミュートにしていたに違いなく、暫くしてノイズとともに現れ、皆に詫びました。この時ポールが使った言い訳が、これ。

"We were having a sidebar."
「サイドバーをしてたんだ。」

これはちょくちょく耳にするフレーズなのですが、全く意味が分かりません。ブログ本文の脇で他の情報を掲載したエリアのことをサイドバーと呼びますが、それだとこの場合、とんちんかんです。それともお酒を飲むバーのことかな?う~ん、まさかね。小学校の校庭でよく見る「うんてい」は横木で出来た遊具だけど、ポールやダグが電話会議に遅れるほど夢中になって遊ぶとも思えない。

さっそく同僚リチャードに意味を尋ねました。
「それは裁判用語だね。ほら、裁判官が、検事と弁護士を呼び寄せて陪審員たちが聞き取れない程度の声で話すシーンがあるでしょ。あれのことだよ。」

へえ。そうなの。じゃあ皆に聞かれたくない話をひそひそしてたってことかな。きっとsidebar conversation の省略形だな。

「でもさ、バーって何なの?裁判官の席の横にバーなんか無かったよね。」
「裁判官たちのいるエリアと傍聴席の間を隔てる柵があるでしょ。あれのことだよ。それでバーの内側全体を、司法界と見なしてるんだ。ほら、Bar Exam (司法試験)って言葉があるでしょ。Bar を Pass するということは司法界で働く資格を得る、という意味になるんだよ。」

なるほどね。でも、「サイドバーをしてたんだ」という言い回しがやっぱり理解出来ない。で、弁護士の同僚ラリーのオフィスを訪ねます。

「う~ん、そうだね、サイドバーという物自体は存在しないよね。裁判が行われる場所の脇で話す、という意味だと思うな。実際、裁判官席の横だけじゃなく、手前で会話することもあるからね。大事なのは、証人や書記に聞こえないように気を遣って小声で話す点なんだ。特に、書記に聞かれると記録されちゃうからね。記録に残らないような話をしたい場合に使われる言葉だね。」

これで分かりました。私の和訳はこれ。

"We were having a sidebar."
「オフレコの話をしてたんだ。」

ちなみにリチャードによれば、サンディエゴのダウンタウンにサイドバーというバーがあるそうです。司法界とは何の関係も無さそうです。

2012年7月22日日曜日

Self Importance 自意識過剰

数週間前のこと。ロス支社勤務でPMのデイビッド、それにアシスタント・エンジニアのジェイソンと、電話で口論になりました。テーマは、クライアントに提出する月次レポートに載せるキャッシュフロー予測。

彼らは、「残りの予算を時間軸上に並べればいいじゃないか」と言うのです。これは、プロジェクトマネジメントに不慣れな人の犯しがちな、初歩的ミスです。私は「残った予算が残りの業務ボリュームを表しているわけではない。」と主張しました。タスクごとの最終予測コストがその予算を上回ったり下回ったりするのは至極当たり前で、合計が契約額内におさまっていれば問題ないのだと説明したのですが、全く聞き入れてもらえません。この議論は三日ほど続き、ついには「今週中にレポートを出さなければならない。君を納得させる(make you happy)ためにこれ以上時間は使えない。」とまで言われました。
「もしもあるタスクの予算を使い切ったらどうするんです?まだ仕事が残っていても、残りの業務量はゼロだと報告するんですか?」
「そうなったらそうなった時に考えればいいじゃないか。」
「・・・。」

ずっと昔、妻が東京の外資系企業に勤めていた時のこと。ある晩、恒常的な深夜残業から帰ってきた彼女が、遠くを見るような目でしみじみ言いました。
「ジョージ(当時の上司)がね、何事であれ、正しいと信じたら断固戦えって言うのよ。」
寝ぼけながら聞いていた私ですが、この言葉はぐさりと突き刺さりました。それこそがプロというものだ。自分はそれほど真剣に仕事に取り組んで来ただろうか?と改めて自問させられたのです。それ以来、納得いかない場面に出くわすと、この言葉を思い出しています。今回も、まさにそんな状況でした。

「今私が話した通りのデータを提出しようじゃないか。」
ごり押ししようとするデイビッドに、くじけず私が抵抗します。
「いい考えとはとても思えません。クライアントにとって意味のない情報を報告してどうするんです?」
電話の向こうで、遂に怒りを爆発させるデイビッド。
「俺が全責任を取るから、とにかく言った通りにしてくれ。」

PMの彼がそう言ってしまったらおしまいです。私もキレました。

"If you say so."
「あなたがそうおっしゃるなら。」

と私。

"I say so!"
「そうおっしゃってるんだよ!」

電話を切った後、ハラワタが煮えくり返っているのに気づきました。この怒りは帰宅してからも続きました。なんでこんなにムカついてるんだ?と不思議に思いながら。

その翌日、図書館から借りていたWayne Dyerという人のCD本を運転しながら聴いていた時、こんな言葉がスピーカーから飛び出しました。

"Self-importance is man's greatest enemy."
「セルフ・インポータンスは人間の最大の敵である。」

そしてこう続きます。
「それがあるせいで他人の言動に傷つきやすくなる。セルフ・インポータンスが原因で、人は人生の大半を、他人や雑事に腹を立てながら過ごすのだ。」

何かで頭を思い切りブン殴られたような衝撃を受けました。そうか、そうだったのか。だから怒りがおさまらなかったのか!単なるエンジニアのあんたらが、プロジェクトマネジメントの専門家としてトレーニングの講師までしているこの私のアドバイスにどうして耳を貸さないんだ?という不満が私の怒りの根っこにあったのです。

つまり私は、「クライアントに正しい情報を送るべきだ」という主張のもとに戦っていたのではなく、単に「プロをバカにしてんじゃねえぞ」とむかついていたのですね。このことに気づいてみると、自分の慢心がひどく恥ずかしくなりました。冷静になって、己のエゴを一旦脇に置いてみたところ、怒りを感じる必要など全くなかったことが分かったのです。

妻の上司が言った「正しいことのために戦う」のと、プライドを傷つけられてキレるのとは全然話が違います。今回の一件によって、長く忘れていた「謙虚さ」を取り戻すことが出来ました。

さて、この self-importance ですか、一見すると「自分を大切に思う心」というポジティブな意味にとれます。でも、self-esteem(自尊心)とは似て非なる概念なのです。辞書を引いてみたところ、「うぬぼれ」とか「尊大な心」などとあり、同僚シャノンとステヴによれば、big ego と同じだとのこと。つまり思い切りネガティブな単語であり、私の和訳は「自意識過剰」。持っていて得なことはなさそうです。

過剰な自意識を排除しつつ、自尊心を保つ。これが出来れば立派な大人ですね。まだまだ精進が必要です。

ところで、妻が上司から受けた「教え」ですが、ある日彼女に、あのメッセージが自分にとってどれほど衝撃的だったか、その後の仕事に対する姿勢にどんな影響を与えたかを話したことがありました。すると彼女、心底驚いたような顔でこう言いました。

「え?私ジョージにそんなこと言われたっけ?全然おぼえてない。」

え? ええ~っ?

2012年7月19日木曜日

I'm thinking aloud. まだ考え中なんだけど。

一ヶ月くらい前にオレンジ支社へ行った時、ボスのリックがふらっとやって来て言いました。

「ちょっと二人でブレーンストームしたいんだけど、いいかな?」

彼は上層部から、支社の品質管理の長を兼務してくれないかと打診されたと言うのです。担当だったベテラン社員が引退を臭わせて降りたので、その後釜に、というわけ。リックは現在、新技術を核にした事業拡大のために全米を飛び回っていて、果たしてこの人事が彼にとっても会社にとっても最良の選択なのか、疑わしいところ。リックに私の考えを伝えたところ、彼が慎重に言葉を選びながらこう答えました。

「どうも有り難う。僕もそう思う。でもそれだけじゃなくてね。いろいろ考えてたら、このポジションは君にぴったりじゃないかって思い始めたんだよ。」
「え?私ですか?」
「だって君はプロジェクトマネジメントの専門家だし、ここの連中は皆シンスケのことを信頼してるでしょ。地質学者の僕なんかより、ずっと適任だと思うんだよね。」

そしてこう付け足しました。

"I'm just thinking aloud."

これはよく耳にするフレーズです。「声に出して考えている」、つまりまだ考えがまとまっていない、「考え中だ」と言いたいわけですね。
「これはとてもシニアなポジションだし、履歴書的にも君のプラスになるでしょ。」

確かにそうかもしれないけど、私は今の仕事で十分忙しいので、新たな責務を負わされても皆を納得させられるような成果が出せるかどうか、怪しいところです。第一私はサンディエゴで仕事してるので、オレンジ支社のポジションが務まるかどうかも不安なところ。興味はあるけど懸念もありますと述べた後、はっきりした結論を出さないまま会話を終えました。

ところが今朝ほど、暫定支社長のクリスがそのボスのジョエルに送ったこんなメールが、リックから転送されて来たのです。
「このポジションはシンスケに任せたいと思うのですが、いかがでしょうか。スキル面でも文句ないし、実績もある。何より彼は、興味を示しているそうです。」

やられた!ひどいな、リック。「考え中」だって言ってたのに!

2012年7月14日土曜日

I’ll keep my eyes peeled. 気にしておくね。

ダウンタウン・サンディエゴ支社のドンであるテリーは、四十人近い社員を束ねるリーダー。もう立派な中年(私と同い年)ですが、言動がどこかコミカルでチャーミング。わりと簡単に赤面するし、皆でボーリングに行った時などは、ガターの連発で若い連中の笑いをしっかりとってました。子供時代はきっと「フランスキャラメル」の女の子みたいだったに違いない、と思わせるクルクルヘアー。あの子が年取るとこんな感じになるのかもなあ、と想像しながら彼女の顔を見ています。それと、これは彼女の癖だと思うんですが、集中して仕事の話をしてると、テリーは目をどんどん大きく見開いて行きます。五分ぐらい話を続けると、仕舞いには笑っちゃうほどの特大サイズになるのです。

さて先日、経理のジョスリンとテリー宛にメールを出しました。これから電子決裁書を送信しますよ、と予告したのです。これに対してテリーが、こう返して来ました。

“I’ll keep my eyes peeled.”

直訳すると、
「目をひんむいたままにしておくわね。」

これ、とてもよく聞く表現なのですが、「お目々パッチリ」のテリーが言うと、ちょっと笑えます。でも本当はどういう意味なのかな?と気になって英辞郎を調べたところ、
「用心を怠らない」
「にらみを利かす」
「目を皿のようにして探す」
となってます。

目を剥く(peel)んだから、素直に考えればそうなります。でも、たかだか電子決裁一本の話に、毎日何十本も処理している彼女がそれほどの真剣さを示すかな?と引っかかりました。さっそく同僚リチャードに尋ねます。
「いや、それほどの真剣さはないと思うな。」
「神経を集中するぞ、警戒を怠らないぞ、みたいな熱意は無いわけね。」
「ないない。I’ll keep my eyes open. くらいの話だよ。」
「何か文例はある?」

カスタム・カーが趣味な彼は、少し考えてからこう言いました。
「何年型の○○という車を探してるんだけど見たこと無い?って同好の士に聞かれたとするね。そしたら僕が、I’ll keep my eyes peeled. と答える。鋭意調査をします、と誓った訳じゃない。5段階で3くらいのコミットメントかな。それで僕が実際にブツを探し当てたりしたら、相手はかなり驚くだろうね。その程度の期待値だよ。」

やっぱりね。とするとテリーの発言には、こういう和訳がぴったりでしょう。

“I’ll keep my eyes peeled.”
「気にしておくわね。」

さて、その決裁ですが、テリーの承認を得た後、財務のシェリーが私の計算ミスを指摘したため、一からやり直しになりました。テリーのオフィスを訪ね、顛末を説明し謝罪した後、もう一度決裁が行くからね、と告げたところ、彼女がまたまたこう言いました。

I’ll keep my eyes peeled.

両目をパッチリ見開いて。

2012年7月7日土曜日

Fiasco 大失敗

渡米する前まで、月島の高層マンションに夫婦で住んでいました。旧東京タワーやレインボーブリッジがリビングルームから一望出来たので、東京湾大華火大会の日には、友達をたくさん集めてパーティーを開きました。

12年前、アメリカに来て最初に迎えた独立記念日、日が暮れてから妊婦の妻と近くの公園に出かけました。数カ所で打ち上げられる花火が鑑賞出来ると言うので期待していたら、ポンポンと乾いた音をたてながら、打ち上げ花火が15分ほど散発的に夜空を染めた後、静寂が訪れます。え?これでオシマイ?

そう、独立記念日ほどのビッグな祝日といえども、アメリカの花火は実に控え目。隅田川の花火大会と比べると、その規模は百分の一くらいでしょうか。ま、十年以上も住んでいるうちに、こんなものかな、と馴れて来ましたが。

さて、こないだの水曜日はその独立記念日。午前中は家族で近くのシネコンに出かけ、息子は Snow White and Huntsman を、妻と私は The Amazing Spider-Man を観ました。夕方5時を回ってからダウンタウンへ車を走らせ、職場の駐車場に停めて港まで歩きました。花火の開始予定時刻は9時ですが、早くも何万という観覧客が場所取りを始めています。あいにくの薄曇りで海風も冷たく、そのまま待っている気力は無かったので、とりあえず街に戻ってバーガーラウンジで晩飯。開始十分前に港へ戻りました。

9時を回った直後。突然目の前の海上から、閃光が太い束を作って天高く噴き上がります。そして爆音の連続。おお~っ!と思わず声が漏れます。偶然にもベストポジションに立ってたぞ!おびただしい数の花火が間を空けずにこれでもかと連発。今年は奮発したな~。出だしでこんなに飛ばしちゃって大丈夫か?と心配になりました。そして15秒後。音も光も途絶え、夜の闇が再び静まり返りました。港に詰めかけた何十万人という観客から、興奮のため息とやんやの歓声が飛びます。

ところが、それから5分待っても10分待っても、続きが始まりません。
「もう帰らない?」
と私。もう4時間もぶらついていたので、疲れて来たのです。帰ろっか、と妻子もあっさり同意し、家路につきます。

翌朝のニュースで、花火はあの後、結局再開しなかったということを知りました。コンピュータ制御に狂いが生じた、というのが原因らしい。15秒間で、用意していた花火を一つ残らず打ち上げてしまったのだと。そうだろうと思ったよ!あの勢いで20分もやってたら、きっと観客が興奮のあまり失神してたぞ。

さて、各紙の見出しを飾っていたのが、Fiasco (フィアスコ、と発音)という単語。

Company investigating San Diego fireworks fiasco
サンディエゴ花火大会のフィアスコを調査中

辞書を引くと、フィアスコは「大失敗」と訳されています。なんとなく滑稽さを滲ませる語感だけど、一体どんなニュアンスがあるんだろう?と疑問に思い、久しぶりに弁護士の同僚ラリーを訪ねました。

「特に滑稽さは無いと思うな。ひどい失敗のことを言うんだよ。」
とラリー。
「コンプリートフェイリャー (Complete Failure) とはどう違うんです?」
と私。完全な失敗、という意味ならこの熟語で用は足りるはずです。
「フィアスコという言葉には、結果だけでなく、プロセスのひどさを非難するような意味合いも含まれてると思うよ。プロジェクトで言えば、スケジュールは遅れる、予算を大幅に超過する、人は辞める、成果品のクオリティはひどい、てな具合に、終結に至る前の状況も全てひっくるめての大失敗を指すんだ。」
「ううむ、思い当たるプロジェクトがいくつかありますね。」
「そうだろうね。」
ラリーが笑います。

何十万人の観客を集めておいて15秒でショーを終わらせちゃった、というのは確かにひどい失敗かもしれないけど、この国であそこまで密度の濃い花火を観られた私は、すごく得した気分だったのでした。

同僚のマリアはあの晩、友達の家のパーティーに行ってたそうです。花火がスタートした、というので慌てて椅子をバルコニーに並べ始め、さあ鑑賞するぞ、と皆で腰を下ろした途端に終了したのだと。
「椅子に座って見上げたら、すごい量の煙が広がってたの。花火自体はほとんど見逃したわ。それから皆一列に座って、バカみたいにずっと空を見詰めてたのよ。」

この気の毒なマリアには、私がiPhone で撮ったビデオを見せてあげました。

2012年7月4日水曜日

Kick ass 強烈

南カリフォルニアのトレーニング・ツアーは無事終了しました。最後に訪問したサンタマリア支社には知り合いが一人もおらず、若干心細かったのですが、終了と同時に拍手が鳴り響き、

「今度はいつ来るの?」
と嬉しいリアクション。
「四半期に一回くらいを考えてるんだけど。」
と答えると、
「ええ~、二ヶ月に一回くらい来れないの?」
とこれまたスゴイ食いつきよう。

トレーニングは、私が一番燃える仕事。皆が知りたがっているポイントをチラツかせておきながら、すぐには答えを与えず、じっくりじらしながらクライマックスまで持っていく。また、即役立つテクニックを織り交ぜることで、「早く使ってみたくてたまらない」気持ちにさせる。そんな風にスライドを作るので、本番前の一ヶ月は猛烈な産みの苦しみを味わいます。しかし、こうしてお客さんに喜ばれているのを実感するたびに、どんどん病みつきになっていくのです。

さて、この日のトレーニングにはコロラドのデンバー支社に所属するステイシーも、ウェブを使って参加していました。翌日の朝、彼女がこんなメールをくれました。

Good morning rockstar.Your presentation kicked butt!
お早うロックスターさん。あなたのプレゼンはお尻をキックしたわね!

ん?なんだ?お尻をどうしたって?

さっそく同僚ステヴに質問です。

「その言い回しは珍しいね。本当は彼女、kicked ass って言いたかったんだと思うよ。」
「ふ~ん、そうなの。ass も buttもお尻のことだよね。プレゼンがお尻を蹴る、か。全然意味分かんないな。」
と私。
「尻を蹴るってことは、相手をやっつける、ってことなんだ。だから、シンスケのプレゼンは強烈だった、って褒めてるんだよ。」
とステヴ。う~む、ますますワカラナイ。

「僕のプレゼンが、一体どの尻を蹴るってわけ?僕自身は誰の尻も蹴ってないよ。」
「そうだね、尻の所有者を特定せよと言われれば、この場合はプレゼンの題材だね。」
ここで、途中から聞いていた同僚シャノンが参入します。
「難しい題材をやっつけて、分かりやすいプレゼンに仕上げたってことよ。それが転じて、あなたのプレゼンはすごかった、となるわけ。」

なるほどね。英辞郎は kick assを、「ガツンと来る」「強い」「迫力満点だ」「半端じゃない」などと訳してます。その昔、「夢で逢えたら」という深夜番組で、ダウンタウンの浜ちゃんが野沢直子のお尻を思い切り蹴ってたのを思い出しました。蹴られた野沢直子はたっぷり笑いをとった後、「おいしい。」とつぶやいて、更にどっとウケてたっけ。

「ところで、ステイシーはどうして Kick butt って書いたのかな。」
と私。
「Ass じゃいくらなんでも砕け過ぎてて、会社のメールに使うには抵抗があったんだろうね。おばあちゃんの前で使ったら叱られる種類の言葉だもん。」
とステヴ。

そうか、本当は「ケツ(ass)に蹴りを入れた」と言いたいところを、気を遣って「お尻(butt)を蹴った」と若干丁寧な表現に替えたわけか。

あとで同僚リチャードに確認したところ、
「いや、そんな風に言い換えたところで、どっちみち会社で使うには適切じゃない表現だよ。」
とのこと。ケツであろうとお尻であろうと、NGワードであることには変わりはないのですね。
「そんなこと書くなんて、その人よっぽど興奮してたんだと思うよ。」
とリチャード。

なるほど、ステイシーのメールは、ものすごい褒め言葉で埋められていたんだなあ、とあらためて嬉しくなりました。