2012年2月6日月曜日

Ashes to ashes 人は大地より出で大地へ還る

金曜の昼過ぎのこと。オフィスのパーキングに車を停めてビルの入り口に向かっていたら、白いワゴン車がのろのろと進入して来ました。白人のおばあさんが二人乗っていて、私に向かって何か呼びかけています。近づいてみると、運転手の方がしわくちゃになった紙切れを差し出し、
「この住所を探してるんだけど…。」
と、道に迷っている様子。
「午後一時の約束なのに、もう10分も遅れちゃってるのよ。」
ぬいぐるみのようにふさふさした毛の白い小型犬が、彼女の膝の上で後ろ足を突っ張らせ、私の手を舐めようと窓枠に前足をかけてしきりにジャンプしています。

「いや、この住所は知りませんね。本当にこれ、あってますか?」
と私が首を捻ると、
「あなた携帯電話持ってる?」
とおばあさんがぶっきら棒に尋ねます。
「ええ、持ってますが…。」
「この番号にかけてくれない?」
「は?」

通りすがりの者に対する頼み事としては、いささか度を越してるんじゃないか、と戸惑っていたら、それまで黙っていた助手席のおばあさんがこちらに身を乗り出して言いました。

“She’s picking up her husband’s ashes.”
「この人、ご主人のashes を引き取りに行くところなのよ。」

Ash は「灰」だから、きっと「遺灰」のことに違いない、と思いました。事態はにわかに緊張の度を増し、ここは力になってあげなきゃいかんだろうな、と腰からブラックベリーを取り出し、ダイヤルし始めました。
「ジェイソンっていう人を呼び出してよ。」
と、老未亡人。

五回ほどダイヤル音を聞いた後、男性の声が応えました。
「ジェイソンと話せますか?」
「俺がジェイソンだけど。」
「あのですね、今ですね…。」
と話し始めたところ、
「掛け直していいかな?今ちょっと駄目なんだ。」
と、男が遮ります。受話器を手で覆って誰かと話しているような、くぐもった音が続きます。
「ええ、構いませんよ。」
と電話を切り、メモ書きをもう一度見ながら三人で暫く話し合いました。そこへ電話が鳴ります。
「あ、きっとジェイソンですよ。」
とブラックベリーの画面を見ると、ボスのリックからです。
「すみませんリック。今、人から電話を待ってるところなんです。こっちからすぐ掛け直します。」
と言って切り、また暫く待ちます。しかし、一向にかかって来ません。痺れを切らした様子の二人が、
「もう行くわね。」
と車を走らせようとするので、
「電話はどうするんです?」
と慌てる私。未亡人は苛立ちを露にして、こう吐き捨てました。
「ジェイソンに言っといて。もっと分かりやすい案内を書きなさいって!」

後に残された私は自分のオフィスに戻り、椅子に腰掛けて、たった今起こったことの意味を解釈しようと努めました。そこへ、知らない番号から電話が入ります。
「ジェイソンだけど、あんた誰?」
つっけんどんな調子で尋ねる男。二人の婦人に道を聞かれたけど助けてあげられなかったこと、彼女たちは数分前に去ってしまったこと、などをかいつまんで説明しました。
「ああ畜生!携帯電話も持たずに来てたのかよ。何度かけても出ないんだもんなあ。」
と、怒りを募らせるジェイソン。
「一時の約束に絶対遅れないでくれって何度も言ったんだぜ。」

ただただ聞き役を務める私。彼が話し終わるのを待って、こう聞きました。
「ところで、あの住所は一体どこなんですか?」
「サンドイッチ屋の横だよ。」
これでやっと分かりました。あのご婦人方は、完全に逆方向へ進んでいたのです。まだぶつぶつと文句を垂れているジェイソンに、私がこう言いました。

“Is there anything I can do for you?”
「何か私に出来ることはありますか?」

電話の向こうが急に静かになり、彼が一生懸命考えている様子が伺えました。どう考えても、私に出来ることなんかあるわけがない。彼もようやくそこに気がついたようで、
「いや。ないね。ありがと。」
と呟きました。
「どういたしまして。」
と電話を切る私。

まったくもって、変な話だ…。

暫く余韻に浸った後、助手席の婦人の発言が気になり始めました。確か、 “Picking up her husband’s ashes.” って言ってたよな。なんでAsh (灰)が複数なんだ?そもそもアッシュって可算名詞だっけ?灰を一粒ふた粒って数える奴なんていないだろうに…。

さっそくネットで調べたところ、案の定、Ash(灰)はAshes と複数形になると、「遺灰」とか「廃墟」という意味になるとのこと。ポイントは、これが単数扱いになるってこと。

His ashes was removed.

で分かるように、単数用のBe動詞が適用されるのですね。

へ~え。でも、なんでだよ?

いくら考えても分からないので、同僚リチャードの部屋を訪ねます。
「それは知らないなあ。Ashes to ashes, dust to dust. ってフレーズがあるけど、そこから来てるんじゃないかな。」

これは、クリスチャンの葬式で使われる文句だそうです。生けるものはいつか死んで灰になる。これが土になり、再び生き物を生み出す。無理やり和訳(意訳)すれば、「人は大地より出でて大地へ還る」てなところでしょうか。

今日、同僚マリアのところへ行ってこの奇妙なエピソードを聞かせたところ、
「へえ、そうなの。あんなところに葬儀社があったなんて知らなかったわ。」
と驚きました。彼女が知ってるとはとても思えなかったけど、一応質問してみることにしました。
「ところでさ、どうして遺灰の時だけAshes と複数形になるのか知ってる?」

That’s a good question! (いい質問ね。)」

暫く宙を見つめた後、マリアがこう言いました。

「そのジェイソンって人に電話して聞いてみたら?」

2 件のコメント:

  1. しんすけさん
    毎回楽しく見てますよ!
    今回のエピソードはちょっと笑ってしまい、思わずコメントしちゃいました!

    仕事、がんばって下さいね!

    エビス

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  2. 有難うございます。このマリアの鮮やかな切り返しには、吹き出しちゃいました。彼女って、語源の説明には関心を示さないかわりに、こういう自由な発想が出来る人なんです。素敵だなあ…。

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