昨日の朝、カマリヨの支社長トムからメールが入りました。午後の電話会議に出席してくれないか、とのこと。中身をよく見ずに「参加(Accept)」ボタンを押したのですが、会議が始まってみると、これがサリーのプロジェクトのレビューだったのです。大きな損失を申告したのはサリーだけど、損失を発見して額を弾き出したのは私。きっと、どうやって計算したのか解説させられるんだろうな、と心の準備をしていました。ところが蓋を開けてみると、これは南カリフォルニア地域のドン、ジョエルによる「お裁きの場」だったのです。サリーの上司マイク、そして支社長のトムが、かわるがわる「どうしてこんなことになったのか」を話し始めます(何故か当のサリーは欠席)。
トムが、
「先週シンスケに来てもらって彼の分析を受けるまで、誰も損失に気付かなかったんです。我々は何十ものプロジェクトを抱えていて、個々に詳細な分析をする余裕が無いんですよ。」
と、苦しい弁明。
「プロジェクト・マネジメントのプログラムがあまりにも分かりにくい、ということも、発見出来なかった原因のひとつかもしれません。」
とマイク。この一言が、ジョエルの逆鱗に触れました。
「今頃になって何をとぼけたこと言ってるんだ?このプログラムが導入されてからもう二年も経ってるんだぞ。そんなのが言い訳になるか!ソフトウェアの使い方が分からなくて赤字が出ました、とこれから毎月泣き言を言い続ける気か?」
電話の向こうで、二人とも押し黙ります。やや間を置いて、ジョエルが声を和らげます。まるで取り調べ室で容疑者を落としにかかるベテラン刑事のように。
「まあ俺だって、このプログラムを使いこなせてる訳じゃない。俺がトムの立場にいたら、同じ失敗をやらかしたかもしれない。しかしな、今一番大事なのは…。」
“Mike is responsible for holding Sally accountable. Tom is responsible for holding Mike accountable. I am responsible for holding Tom accountable.”
「マイクはサリーをアカウンタブルにしておく責任がある。トムはマイクをアカウンタブルにしておく責任がある。俺はトムをアカウンタブルにしておく責任がある。」
似たフレーズを三回繰り返すあたり、まるで政治家の演説を聴いてるみたい。
Responsible もAccountable も、通常「責任を持つ」と訳されます。でも、「マイクはサリーに責任を持たせる責任がある」じゃ、何のことやら分かりません。違いは何でしょう?Responsibility(リスポンシビリティ)はその人の役割(例えば親とか上司)に付随する責任ですが、アカウンタブルやアカウンタビリティって一体なに?
日本でAccountability (アカウンタビリティ)の概念を導入した際、どこかの役人が「説明責任」という不可解な訳をつけたばっかりに、今日に至るまで「つかみどころの無い英単語」の地位を守り続けているような気がします。実はこれ、アメリカ人に質問してもなかなか満足の行く回答が得られない難問なのです。これまで実際、十人以上の同僚をこの質問で黙らせて来ました。
ジョエルの演説で分かるように、アカウンタブルというのは、仕事の「結果についての責めを負う」ということですね。サリーはプロジェクト・マネジャーなんだから、自分のプロジェクトの経営悪化や成果品のミスについては、彼女自身がきっちり責めを負わないといけない(これがアカウンタブル)。その上司であるマイクは、サリーがアカウンタブルであるよう指導・監督しなければならない(こっちはリスポンシブル)。渡辺千賀という人のブログでは、アカウンタブルを「落とし前をつける」責任と解釈していて、これはウマいな、と思いました。
ジョエルのセリフはこう和訳できると思うのですが、どうでしょう?
“Mike is responsible for holding Sally accountable.”
「マイクは、結果についての責めを負う自覚を持ち続けるようサリーを指導する責任がある。」
最後にジョエルが、ずっと傍聴人を続けていた私にこう言いました。
「シンスケ、この支社はまだまだ助けが必要だ。これから重点的にサポートしてくれ。」
緊張感がじわっと高まります。私は自分の出す財務分析の結果について、「アカウンタブル」なわけですから。
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