2012年11月5日月曜日

アメリカ人とリスクマネジメント

先週の水曜日、元大ボスでウィスコンシンン在住のアルが、久しぶりにサンディエゴのオフィスにやってきました。ランチに誘われたので、元ボスのエド、そして私の後任のマリアとで、アラジンという中東系のレストランに行きました。アルはリスクマネジメント部門のシニア・ヴァイス・プレジデント(上席副社長、というところ?)。世界中に散らばる何万というプロジェクトの中から、リスクレベル・トップ40を選んで電話での月例レビューを指揮しています。それは大変な仕事ですね、と感心すると、

「いやあ、僕はただ聞いてるだけだよ。エドやクリスがみ~んなやってくれてるんだ。」
と謙遜するアル。
「他の国のプロジェクトマネジャー達ってどんな感じですか?レビューをうるさがったりしませんか?」と私。はるばるアメリカから何も知らねえ野郎どもが首を突っ込んで来やがって、という抵抗があっても不思議ではないのです。そんな場合はどうやって乗り切るのかな、と興味がありました。

「それがね、皆極めて真面目で紳士的なんだよ。香港も、アフリカも、ヨーロッパも、オーストラリアもね。PM達はきちんとレポートを仕上げて期限までに提出するね。」
「あ、そうなんですか?それは意外だなあ。」

と私。そこへマリアが割り込みます。
「ぶーぶー文句たれてんのは、全員アメリカ人よ。こんなレポートにしこしこデータを記入するために雇われたんじゃねえ、とか何とかね。私もさっきまでそういう輩の一人から電話で愚痴を聞かされてたのよ。」

「アメリカ人って、相手が誰だろうが恐れずに、何でも言いたいことを言うよね。」
と私。

「その通り。」
とアル。

日本で働いてた時、本社がレポートを出せと言っているのに公然と反抗する社員なんて見たことなかったので、アメリカ人の自由さに呆れつつも羨ましがったりしてた私です。しかしこの時まで、世界中でアメリカだけがそういうカルチャーなのかもしれないとは考えてもみませんでした。
食事が済んで、アルは最近読んだ本の話を始めました。アメリカ人の若い登山家が岩に挟まった右手を自分で切り落として生還した、という実話で、「127 Hours」という映画にもなりました。

「彼はさ、自分がいつどの山に登るかという情報を誰にも伝えずに出かけるんだよ。しかも、それが初めてじゃなく、毎回そういうやり方なんだな。そうして自分を追い込んで、ものすごく危ない目に逢っても何とか切り抜ける、というところに興奮を覚えるんだって。」
「その挙句に自分で自分の手を切断しなければならなかった、と。」
と私。

「そんなことがあった後でも、まだ登山を続けているそうだよ。」
とアル。

「学ばないわよねえ。」
とマリア。

「全く理解に苦しむよね。ま、ここにいる我々全員リスクマネジメントに携わっている人間だから、信じがたいのも当たり前だけどな。」
と、アル。

「その登山家、リスク・レジスター(リスクを管理するための表)なんか見向きもしないでしょうね。」
と私。

「絶対ないね。」
と、全員で意見が一致しました。

職場に帰ってからマリアのオフィスに行き、アルの気さくな人柄についてひとしきり話し合いました。
「大体さ、食事に行くのに行きも帰りもアルが運転したでしょ。あんなこと、日本では有りえないよ。」

と私。副社長から食事に誘われるだけでも緊張するのに、下っ端を乗せて運転してくれちゃうなんて…。
「え?どうして?」

と不思議がるマリア。今度はこちらが仰天しました。
「だって日本じゃ、車に乗る時、誰がどの席に座るかまで気を遣わなきゃならないんだよ。」

「え~?全然理解できない!」
ま、マリアには永遠に理解出来ないでしょう。よくよく考えると、権威に怯むことなく誰とでも対等に話が出来るこういうカルチャーがあるからこそ、無謀な登山家や文句たれのプロジェクトマネジャーの存在が許されるんだと思います。だからこそ、組織を挙げたリスクマネジメントの執行が必要になるんだなあ、と初めて実感したのでした。

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