2011年9月5日月曜日

Articulate はっきり言葉で表現する

今年の6月、ドラマ「北の国から」全シリーズ(テレビドラマ時代も含めたもの)DVDセットを「大人買い」しました。なんと合計25枚!

夏休みに妻子が里帰りしている間、目に涙しながらチョコチョコ観続けていたのですが、最後の二枚を前にぴたりと止まってしまいました。まるでフルマラソンのゴール前5キロで、余力を残しながらリタイアしようかどうか迷っているような状態。

どうやら、倉本ワールドに食あたりしたというか、もうお腹一杯、という感覚なのですね。登場人物が、現代社会の許容範囲を遥かに超える「長い間」を置きながら、俯いて滑舌悪くボソボソ喋る。やたら昔の映像を引っ張り出して涙腺を攻撃する。「自然の厳しさ」と「貧乏暮らし」とがタッグを組んで、これでもかと攻めて来る。

幸運にも「毎日がパラダイス」なお気楽タウンに身を置いている立場で、こんなことを言うのは心苦しいのだけど、「そこまで暮らしが大変なら、どうしてその土地に固執するのか」が、私には理解出来ない。だって黒板五郎も純も雪子おばさんも、吹雪で死にかけてるんですよ!

吹雪と言えば、妻の実家があるミシガンを訪ねると、義父母やその隣人達は、長く寒い冬の大変さを指摘しながらも、土地に対する溢れんばかりの愛を語るのです。なんでぇ?逆に、カリフォルニアなんかに住んでて大丈夫か、頭がバカになりゃしないか、と心配する人までいる始末。寒い地方の出身者って、どうもカリフォルニアを見下す傾向があるみたいなんです。

さて先日、職場の同僚ディックと立ち話していた際、彼の実家がサウスダコタにあるという話題になりました。
「故郷に帰りたくなる時ってある?」
「ああ、あるよ。数年前、家を買うまでは、いずれはあっちに移ろうと思ってた。」
「サウスダコタって、冬寒いんでしょ。」
「そりゃ、とんでもなく寒いよ。冬だけじゃなく、気候の変動はすごく激しくて、厳しい土地だね。」
「聞いていい?ここまで快適な暮らしを捨ててまで戻りたくなる理由って、一体何なの?」

ディックがニヤリと笑って言いました。
「それはね、自然のエネルギーだよ。」
「エネルギー?」
「そう。俺はずっと、自分がどうして故郷を恋しく思うのか分からなかったんだ。それが最近、ようやくハッキリした。俺は、何日も街を機能停止させるほどの豪雪や、吹き荒れる風や、激しい雨や、でっかい雨雲や、そうした一切のものが懐かしいんだ。自然のエネルギーに触れていたいんだ。ここじゃ、一年中晴天だろ。快適過ぎて、エネルギーが感じられないんだよ。」

私はすっかり感心していました。なるほどね。それはとってもよく分かる。
「これまでモヤモヤしていた疑問が一気に晴れたよ。きっと、同じ気持ちの人って大勢いるんだろうね。」
「俺だってね、最近までずっと、はっきり言葉で表現出来なかったんだ。」
とディック。

この時彼が使った言い回しが、これ。

“It took me a long time to be able to articulate it.”

Articulate (アーティキュレイト)という動詞は、よく聞く割に、これまできちんと使えた試しがありませんでした。同じスペルで「アーティキュレト」と発音する形容詞は、

“He’s very articulate.”
「彼はとてもはきはきしてるね。」

って感じで良く使っていたのですが。今回ディックと話して、ようやく動詞としての使い方が理解出来ました。

さっそく翌日、カリフォルニア育ちの同僚リチャードと、この話をしました。
「その人、エンジニアじゃない?」
と、ロボット・ダンスみたいなジェスチャーでギクシャク行動する人の真似をするリチャード。
「いや、ディックはエンジニアじゃないよ。なんで?」
リチャードが笑って、
「それは教養ある人しか使わないような単語なんだよ。」
「へえ、そうなんだ。何か例文ある?」

彼の作ってくれた例文が、これ。

“Can you articulate our scope of work?”
「我々の仕事のスコープを明確に説明して頂けますか?」

リチャードにお礼を言って自分の部屋に戻った後、ふと彼の演じた物真似が蘇りました。エンジニアをそういう目で見てたのか、リチャード。

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