本社副社長のパットと先日電話で話した時、彼女がこんなことを言いました。
“We’re trying to get back
in the groove.”
「グルーヴに戻ろうとしてるの。」
全社レベルでプロジェクトコントロール・チームの立ち上げを企画していたパットですが、相方のキャリーがニ月にスタートした新PMシステムのエラー対応に忙殺されているため本来業務に戻れず、当初の計画が滅茶苦茶になっている、そこであなたの助けが必要なのよ、という文脈でのこの発言。私はこの「グルーヴ」という言葉の意味を「なんとなく」のレベルでしか理解していなかったので、電話を切った後、同僚クリスティに解説をお願いしました。
「グルーヴっていうのは、レコードの溝って意味ね。昔、針が飛びまくって音楽が途切れることがあったでしょ。それが収まる所に収まって、ようやくスムーズに演奏し始めた、という時にback in the grooveとなるわけ。」
とクリスティー。随分アナログな喩えだけど、同世代の彼女とは前置き抜きで通じ合えます。
「だからIn the grooveだと、うまくいってる、良い気分って意味になるわね。Like
a well-oiled machine(きちんと油を差した機械みたいに)という表現もあるわ。」
なるほど。パットが言いたかったのは、こういうことですね。
“We’re trying to get back
in the groove.”
「元のリズムを取り戻そうとしてるの。」
この心境はよく理解できます。私のチームでも、最近は「大至急頼む」という依頼が大量に飛び込んできて、その日計画していた仕事が全く出来なくなる、という事態が重なっています。中でも財務部門からの依頼は、指示、いやむしろ命令というべきものが多く、大抵は「今すぐ他の仕事を全てストップし、最優先でこの書類を作成せよ」という語調。あんたらは何様なんだよ?と食って掛かりたい気持ちはやまやまですが、これが彼らの更に上のレベルから来ている指令であることに疑いは無く、黙って従うしかない。
「大至急○○プロジェクトのEAC更新をしてもらう必要がある。打合せがしたい。午前中30分だけ空けてくれ。」
「今日は既に午前も午後も一杯です。ダブルブッキングも多数ある。無理ですよ。」
「では、12時から12時半ということで。」
「…。」
こんな調子で過ぎて行った二週間。息継ぎ無しで50メートルプールを延々と往復しているような気分でした。そんな忙しさの真っ只中、木曜の午後五時でした。仕事に没頭する部下たちに別れを告げ、職場を後にする私。ビルの地階ロビーに下りると、続々と仲間が集まり始めます。マリア、リチャード、サラ、彼女のパートナーのトリシャ、そして日系アメリカ人のジャック…。「エドは現地集合よ」とマリア。そう、今夜は久しぶりのJapanese
Dinner Night(日本食の夕べ)なのです。最悪のタイミングだったけど、一カ月以上前に企画したイベントだし、みんなの都合もあることなので、急に延期出来なかったのです。今夜か明日の早朝出勤で遅れを取り戻すしかない…。
今回は初の試みとして、往復にFREDというサービスを利用することになりました。最大定員5名の電気自動車で、ダウンタウン内ならどこでも無料で連れて行ってくれるタクシーサービス。スマホにアプリをダウンロードし、今いる地点と行きたい場所をインプットすると、車のアイコンが地図上を動いて「あと7分です」などと知らせてくれます。間もなく、バンコク市街を走っていそうな窓の無い簡素な造りのミニヴァンが到着しました。女子たちを一台目で先に行かせ、リチャードとジャックと私は後発に乗り込みます。ドライバーは二十代後半と見られる白人青年。
何故こんなことが無料で出来るのかな、というジャックの疑問に、地元企業からの広告収入で賄えているらしい、と説明する私。乗客から見える位置に10インチくらいの液晶画面が設置されており、盛んにタウン情報を流しています。目の前の状差しには観光パンフレットが所狭しと並んでいる。なるほどそういうわけか、これは観光客に嬉しいサービスなんだね、とジャック。マーケットストリートを横切った辺りで、彼が言いました。
「ここら一帯は、かつてジャパンタウンだったんだよ。このコーナーは床屋だった。あの辺は居酒屋でね。で、あっちがチャイナタウン。」
「初めて聞きましたよ。全然知らなかったな。」
と、前を向いたまま感心する運転手。それ、いつ頃の話?と尋ねるリチャードに、ジャックが事も無げに答えます。
「第二次大戦前。」
若いドライバーは、きっと心中ずっこけていたでしょう。大戦前のサンディエゴを知る乗客なんて、そうそういないでしょうから。
数分後、5番街の高級寿司店Takaに到着。奥の大テーブルを陣取っていたエドと女性陣に合流します。今回の企画の目玉は、ジャックの米寿祝い。そう、我らが誇る古参社員のジャックは、先月88歳の誕生日を迎えたのです!今年エンジニア生活66年を迎えるんだ、と嬉しそうに笑う彼を囲み、パーティーがスタートします。
「バッテラって何?」
とメニューを睨んで尋ねるトリシャ。
「う~ん、バッテラね。何て説明すりゃいいのかな。箱にすし飯と魚を詰めてぎゅーっと押してね…。」
「ナメコって何?」
今度はマリア。
「2ドル追加するとミソスープに入れてもらえるって書いてあるわ。」
バッテラもナメコも、日本人の私ですら滅多に食さないメニュー。
「とにかく注文してみようよ。食べりゃ分かる。」
己の英語力の貧弱さを呪いつつ、逃げの一手の私。
バッテラやはまちのカマに四方八方から箸が伸び、これはウマい!と顔を見合わせる仲間たち。あらためて考えると、彼等の大半が十年以上の付き合いです。かつては同じオフィスで毎日顔を合わせていたのですが、ダウンタウンの高層ビルに移ってからは何か月も会わないこともしばしば。
「随分久しぶりね、この会。前回はいつだった?」
とマリア。
「一年半ぶりよ。ほんと、あっという間よね。」
とサラ。責められているわけではないと知りつつ、ごめんね、と謝る私。
「忙しさにかまけて、こういうお楽しみ企画を後回しにしてた。少なくとも四半期に一度くらいは集まりたいね。」
「じゃあ次回は秋ね。私、今度はまたあのお店に行きたいわ。ほら、皆でくっつきあって座るところ。」
と興奮を隠せないサラ。掘りごたつのことを言っているのですね。その時、「ナメコの方は…。」ウェイターが味噌汁を運んで来ました。あ、来た来た、ナメコだ!マリアが眼鏡を取り出し、サラは上体を乗り出します。茶色くぬめる物体をマリアが箸で摘み上げ、皆でためつすがめつ眺めます。まるで科学者の一団が、新発見とうたわれる検体の真偽を吟味するかのように。
その様子を眺めているうちに段々笑えて来て、私の中でしこっていた何かが溶け始めるのを感じました。今の仕事は楽しいし大好きだけど、僕は何か大事な事をなおざりにして来たんじゃないか。忙しいことが能力の証であるかのような錯覚に囚われ、自分のペースで人生を楽しむことを知らず知らずのうちに放棄して来た。他愛もない話で仲間たちと盛り上がる。たったそれだけのことで、幸せを味わえるっていうのに。
皆が敬遠していた軍艦巻きを口に放り込み、尊敬のどよめきを浴びるエド。ホタテを食べようかどうか悩むトリシャをけしかける私。デザートのシャーベットに火のついたロウソクを差してウェイターが運んで来て、ハッピーバースデイ!と目の前に置かれた瞬間、ふっと火を吹き消すジャック。え?もう消しちゃったの?とずっこける仲間たち。
そんな風に2時間が過ぎ、締めには黒胡麻のクレームブリュレを堪能して大満足の一同でした。
「古くからの仲間たちにこうして大事な誕生日を祝ってもらえるなんて、僕は本当に幸せ者だよ。日本では88歳が特別なマイルストーンだと教えてくれて、この会を企画してくれたシンスケには、特に感謝してる。有難う!」
立ち上がって私の右手を両手で強く握り締めるジャック。びっくりするほど長い握手でした。私は何だか胸が一杯になって、店を出る時みなに告げました。
「僕、歩いてオフィスに戻るよ。」
「え?今FRED呼んだわよ。あと5分で来るって。」
とマリア。
「うん、でも何だか歩きたい気分なんだ。じゃあね!」
もうすぐ夏を迎えるサンディエゴの午後七時半はまだ日が高く、建ち並ぶビルの一階を埋めるオープンバーやテラス式レストランの人混みが通りに滲み出して、街をアップビートのノイズで満たしています。笑顔でそぞろ歩くカップルやグループとすれ違いながら、静かに幸せを噛みしめていた私。仲間たちのお蔭で、久しぶりに元のリズムを取り戻せそうな気がしていたのです。そうだ、誰かの都合で急がされていてはいけない。自分の歩調で人生を楽しむんだ!
快いペースを保ち、オフィスを目指してひたすら歩きます。そのうち頭の中で、斉藤和義の名曲「歩いて帰ろう」をハミングしているのに気づきました。これ、ほんとにいい歌だなあ…。
帰宅後にあらためて歌詞を調べてみて、じわっと来ました。特に最後のところ。
急ぐ人にあやつられ 言いたい事は胸の中
寄り道なんかしてたら おいてかれるよ いつも
走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
僕は歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう
グルーブってのはもっとノイノリの状態のことを指すのかと思っていたヨ。若者向けのラジオ番組とかでよく「グルーブ」って言葉が使われているしね。ウチら世代が最初に耳にしたのはEW&Fの「let's Groove」のような気がするね。
返信削除最近日本のスーパーではナメコというと、図体のデカい「おっきいナメコ」とか「株ナメコ」がよく置いてある。こいつはヌルっとした感触だけでなく結構いいダシが出るんだな。https://www.oisix.com/ShouhinShousai.ss1-2335_1317.htm
美味そうだなあ〜。やっぱり和食はいいね。次の一時帰国が楽しみだ!
返信削除Gaslamp Quarterのたか寿司さん、美味しいですね。Convention Centerで仕事のたびに行きました。朝にサンタバーバラで採ったばかりというウニが結構でした。
返信削除そうですか、ご存じでしたか!このお店で美味しくないものを食べたことがありません。
削除ジャックさんは、戦中は強制収容所入りの世代ですね。
返信削除その通りです。彼は収容所経験者です。http://getreadyforpmp.blogspot.com/2012/06/internment-camp.html
削除戦前はここに日本人街があった・・・ってのは、確かに悲しい響きですね。88才ってことは大戦のときには中学生、言葉に歴史の重みを感じますね。
返信削除以前ネットで調べたら、カリフォルニアは旨いウニが採れるとのこと。北海道ではこの季節、ミョウバン加工していなウニ丼ってのが流行ってて、それはもう旨いのなんの。。。イイお値段ですけどね。
ミョウバン加工なるものが施されていること自体知りませんでした。そうか、お店で売ってるウニの臭いというのはミョウバンだったのか!勉強になりました。
削除Wow! You know what?
返信削除I was singing that song too!
When I was reading the part you decided to walk back to the office, the song jumped into my mind!
Yes, it’s a really good song.
It’s one of my most favorite Japanese songs. :)
And my recent favorite one is "Yattemiyou!" by Wanima.
I think you'll like it too.
Anyway, you’re REALLY talented in writing.
Your story is so descriptive that it always makes me feel like watching a movie or drama!
Oh, by the way, it was my first time to hear “FRED”.
Sounds like very convenient!
嬉しいコメント有難うございます!「やってみよう」も元気の出る良い歌ですね。こういう曲を聴く度に、「人生は上々だ!」とテンションが上がります。
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