2017年5月28日日曜日

Never in a million years! 有り得ないわね!

金曜の朝。会社へ向かう車の中で、副社長パットのことがふと頭に浮かんで来ました。「どうしてるかな?連絡取ってみようかな。でも、ついこないだ話したばかりだし…。」交差点の信号が青に変わったので、そのまま考えるのを止めてしまった私。仕事を開始して時計が9時を回った頃、そのパットからテキストメッセージが入ります。

「今日話せる?」

今に始まったことではなく、この人から連絡が来る時は大抵、その前に何らかの予感みたいなものが走ります。

「今朝ちょうど、どうしてるかなって思ってたところなんだよ!」

「あら、どうして電話くれなかったの?」

インターバルが短か過ぎるかなと気が引けたのだとしたら、そういう遠慮は一切無用よ、とパット。簡単な情報交換の後、彼女が本題に入ります。

「PM達が必要な情報をさっと取り出せるようアシストしたいの。そういう基本的なレポートを作ってウェブサイトに蓄積する作業の手伝いをお願い出来ないかな、と思ったのよ。」

「ちょうど僕も、そういうことをやらなきゃなって考えてたところなんだよ!」

二つ返事で引き受ける私。

それから、ロスのR氏と彼女が最近交わしたやり取りの話題になります。本社の方針に従おうという気が、彼には毛頭無い。自分の縄張りは自分の好きなように仕切らせてもらうぜ、という姿勢が見え見えだ、というのです。北米全体で歩調を合わせているというのに、南カリフォルニア地域だけが独自のやり方で仕事を進めている。

「でもさ、いずれは彼も譲歩せざるを得ないんじゃないのかな?仮にも本社が指示してることなんだから。」

あまり深く考えず答えたところ、彼女が大きなため息をつきます。

“Never in a million years!”
「百万年に一度の確率も無いわね!」

思わず吹き出す私。これは、「絶対起こらない、不可能だ」と言いたい時に使う表現です。共に働く期間なんてせいぜい十年足らず。そこへ「百万年」という極度に誇張された母数サイズをぶち込んで来たところがツボに入ってしまい、暫く笑い続ける私でした。

電話を切った後、彼女との間で頻繁に起こるシンクロ現象についてひとしきり考えました。人知の及ばない超自然的な力がこういう奇跡的な偶然を起こしているんじゃないか、とその度に興奮して来た私。ところがここ最近、確率・統計の本を読み漁っているせいで、そんなのちっとも奇跡なんかじゃないのだという説得に負けそうになっています。確率を語る時、我々は母数の見積もりを誤る傾向があり、「この広い宇宙でこんなことが起こるなんてまさに奇跡だよね。」と過剰に感動してしまうのだそうです。

一年半前に家探しをしていた際、妻の誕生日が含まれた番地の物件に行き当たり、「これって運命かも!」とはしゃいだ二人。結局今、その家に住んでいるのですが、最近になって妻がこんなことを言いました。

「実はこの番地、あちこちで結構見つかるのよ。よくある番号みたい。」

まるで、頼んでもいないのにマジックの種明かしをされたみたいな気分の私。

「データを正しく見るための数学的思考」という本には、こうした興醒めなお話が数々紹介されています。「全国では五つの和を当てるロトくじは何百とあり、何年も前からある。それをすべて考慮すれば、三日のあいだに二つの当選番号が同じになるという偶然は、まったく驚くようなことではない。」

数年前の一時帰国最終日、これから旅行に行くんだという旧友と都心でランチを共にし、また何年後かに会えるといいね、とお別れを言った十数時間後、ロサンゼルス空港を出たところでバッタリ再会。「もしかしたら二人はここでもう一度会う必然があるんじゃないか」と、不思議なドラマの始まりに胸を躍らせることもなく、苦笑いですれ違う中年オヤジ二人。

数学的思考を訓練していくと、きっとこうしたいわゆる「偶然の出来事」にクールな対応をするようになるのだと思います。数週間前にモンテカルロ法を教授してくれたリスクマネジメント・エキスパートのフィルが常に冷静沈着で無表情なのも、きっと数学者の視点で世界を眺めているからなんだな、と合点がいきました。彼のような男はきっと結婚に際しても、婚約者に「僕たち、運命の赤い糸で結ばれていたんだね」みたいな甘いセリフを吐くことは決して無いでしょう。

よくよく考えてみると、我々の日常会話の何割かは「奇跡的偶然」ネタです。15歳の息子も昨日、「三日前に夢で見たことがネットで話題になってた」と高揚して語っていました。こういう話題をいちいち「有意性の検定をしてみれば分かることだけど、それは奇跡でも何でもなくてね…。」などと冷静にあしらっていたら、かなりの確率で友達を失うことでしょう。気をつけなくちゃな、と数学的思考に対する警戒心を強める私でした。

さて、その日の昼休み。ランチルームで弁当を広げていたら、生物学者の同僚サラが隣に座ります。庭造りの話題から、我が家の家探しにまつわる「偶然」の話になりました。すると彼女が、こんなエピソードを披露してくれました。

結婚前、ひとり車でオープンハウスを巡って家探しをしていた彼女。飛びきりの物件が見つかったある晩、婚約者に見せようと息を弾ませ、コンピュータでグーグルマップのストリートビューを開きます。写真を拡大して行くうち、お目当ての物件の前に路上駐車しているのが自分の車であることに気付いて慄然としました。ということは、ちょうど彼女が住宅内部を見学している数分の間にグーグルマップの撮影車が通過し、更にそれから数時間のうちにストリートビューの写真が更新されたことになる…。

「彼と今住んでるのが、その家なの。」

ニッコリ笑うサラ。おお~っ!と思わずのけぞって純粋に驚嘆する私。

数学的思考を身に着けるには、まだまだ時間がかかりそうです。


4 件のコメント:

  1. キミがそんな事言うのは十年早いよ → 100年早いわ → 100万光年はえぇワ! 表現はだんだん盛られてくるよね。盛られすぎて最期は時間の単位じゃなくなってるケド(笑

    予知夢も確率論で説明できるのかなぁ・・・あの既視感はハンパじゃないんだけど。

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  2. そうだよねえ。予知夢の既視感ってのは、思わずその場に居合わせた人にそのことを話したくてたまらなくなるほどだもん。僕のよく見る夢に、出勤途上の電車やエレベーターの中で、自分がズボンをはき忘れていることに気付いてパニックになる、というものがあるんだが、予知夢で無いことを祈ります。

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  3. Cream rises to the topのいい訳は何かな?と探していて、こちらのステキなブログ発見。有り難いです。当方在米半世紀、その半分はシアトルで同通。リタイアして作家修行中。これからもよろしく。

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  4. コメントありがとうございます。同通って同時通訳ですか?すごいですねえ。そういう方に読んでもらえるなんて光栄です。リタイア後に作家生活なんて、最高ですね!

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