ラスベガスにいた同僚エリカが離婚し、傷心を抱えてダラスの実家に引っ越してから数ヶ月経ちました。先日久しぶりに出張でサンディエゴへやってきた彼女に、恐る恐る最近の暮らしぶりを尋ねてみました。
「あのね、実は私、来月結婚するの!」
「!?」
あまりに意外な展開に、言葉に詰まる私。
クレイジーな話でしょ、と笑いながら、地元でバツイチの男性と出会って意気投合したこと、びっくりするほど価値観が似通っていること、結婚式は家族だけでひっそり挙げるつもりであること、などを語ってくれました。
それは本当に良かったねえ、といつもより強めのハグで祝福する私。
その翌週、独身貴族(死語?)のリチャードとマリアと一緒にランチに行った際、エリカの再婚話になりました。
「とんでもないスピードで独身クラブを脱会しちゃったね、彼女。」
とマリア。
「うん、さすがにびっくりしたよ。」
と私。リチャードが笑いながらこう言います。
「なんかマリアがムカついてるみたいなんだよ。」
「ちょっとやめてよ。エリカが結婚することに腹を立ててるみたいに聞こえるでしょ。」
と弁明するマリア。わけを尋ねてみたところ、
「再婚を公表した途端、物の言い方が豹変したのよ。」
とのこと。
「たとえばさ、今評判のワインの話題を出すとするじゃない。そしたらね、 “We love that wine!”っていう反応なのよ。なんでもかんでも “We” で話を始めるようになったのね。これまでずっと “I” だったのに。まあ浮かれてる時期だからと思ってしばらくは大目に見てたんだけど、」
と言葉を切ってから、
“It’s become annoying.”
「うざくなってきたのよね。」
と渋い表情になるマリア。
マリアはエリカの再婚相手に会ったこともないし、ましてやその男のワインの好みなんかに興味は無い。そこへ「私達、あのワイン大好きなの」と来られたら、確かにイラっと来るかも。
それで思い出しました。
“How was your weekend?”
「週末どうだった?」
という月曜の朝の定番挨拶がありますが、この投げかけに対して所帯持ちの同僚はそのほとんどが、
“We went to ○○.”
「私達、○○へ行ったの。」
と答えます。私の質問文に使われている「Your」という単語が「あなたの」と「あなた達の」と単複両方の意味を持つことは認めるけど、自分の「家族」が週末をどう過ごしたかを迷いも無く語り始めるって、一体どういう心境なんだ?とずっと違和感を感じていました。考えてみれば日本語の場合、「動物園に行ってきたよ」などと一人称抜きで話すことが出来るので、その辺は曖昧なんですね。聞き手の側からは、一人ぼっちで出かけたのか家族で行ったのかを、勝手に推測するか、あるいはあらためて尋ねるしかない。いや、そもそも聞かれてもいないのに家族の存在を会話中にちらつかせること自体、ハシタナイと見る文化が日本にはあるかもしれません。
一人称を省かない言語だからこそ生まれる摩擦。日米の違いがこんなところに現れるんだなあ、と一人で頷いてたら、
「昨日もエリカと電話してたんだけど、あんまりWeを連発するから、とうとう言っちゃったのよ。」
とマリア。
“Stop saying We!.”
「ウィーって言うのやめてよ!」
うそ?!エリカに直接そう言ったの?と、同時にぶったまげるリチャードと私。アメリカ人のリチャードも驚くくらいだから、これは日米の違いというより、マリアの個性なのだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿