2013年2月9日土曜日

必殺の陪審員逃れ

先日の夕方、同僚シャノンがやってきて私のデスクの脇の椅子にどすんと腰を下ろしました。

「この忙しいのに、金曜からJury Duty が始まるの!」

Jury Duty (ジューリー・デューティ)というのは、アメリカ国民の義務。たとえ仕事で超多忙でも、他人の裁判の陪審員を務めるために出頭しなければいけないのです。私も二年に一回くらいのペースで召喚状を受け取りますが、「アメリカ国民ではない」という理由でお断りしています(というか、私には権利が無い)。生粋のアメリカ人は、余程のことがない限りこの義務から逃れられません。
「罪状が酔っ払い運転か薬物中毒だったら、ほぼ間違いなく辞退出来るんだけど…。」

とシャノン。
「叔父のひとりが酔っ払い運転の前歴があるし、もうひとりの叔父が薬物中毒だから。」

つまり、身内に似た境遇の人がいたら判断にバイアスがかかる可能性があり、「不適格」として篩い落とされるだろう、というのです。
「僕は一度くらいやってみたいけどなあ。」

と私。
「シンスケは楽しんでやれそうよね。私すぐ感情的になっちゃうから、陪審員には向いてないと思うの。責任の重さを考えただけでプレッシャーになるし。」

「僕はさ、裁判映画の見過ぎかもしれないけど、ちょっとした憧れもあるんだよね。」
そこで私は名作映画の題名を挙げます。「12人の怒れる男」「アラバマ物語」などなど。

「冷静沈着に事の真相を考え抜き、皆をまとめて最良の結論へ導くっていうの、最高じゃん。」
「私、密室で初対面の人たちと議論するって状況を考えただけでもうイヤなのよね。」

「でもさ、弁護士の弁舌をナマで聞く機会もなかなか無いでしょ。」
「弁護士なんて、一人残らず嘘つきよ。」

「え?」
シャノンは弁護士事務所で何年も働いたことがあるそうで、そこにいた6人の弁護士が6人とも、とんでもない嘘つきだったというのです。

「誠実な人なんて一人もいないの。屁理屈を重ねて相手を言いくるめることしか考えてないのよ。弁護士なんて、誰も信用出来ないわ。」
何か非常に不愉快な記憶を呼び覚ましてしまったようで、シャノンが顔を歪めました。しかし次の瞬間、ぱっと表情を輝かせて叫びます。

「あ!その手があった!弁護士なんて皆嘘つきで信用出来ないって言いまくればいいのよ。」
にんまりと笑って、シャノンが何度も頷きながらこう締めくくりました。

「これで間違いなく逃れられるわ。」

ふうん、そこまでイヤなの…。こうなると、召喚された本人が嫌がっているのに「国民の義務だから」と陪審を無理強いするのが、本当に正しいことなのかどうか分からなくなります。不承不承務める陪審員に己の運命を握られる被告の立場を想像すると、ちょっとぞっとします。

4 件のコメント:

  1. そこまでイヤな人たちの集団に、あーだ、こーだとguilty not guiltyと判断されるのはたまったものではありませんな。
    つい、昨日友人と議論になったのだが、議論で相手を打ち負かすことを是として学ぶのはどうなんだろう。ましてそれがシャノンが言うように、うそつきで、真実でないのに力で打ち負かそうとしたら。怒れる男は秀逸だったけど、あんなこと(正義)はあるんだろうか。

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  2. 陪審員制度は性善説にのっとってると思う。他人の人生なんかどうなってもいいやって考える人が12人集まっていい加減な判断をすることなんか有り得ない、ってね。

    さらには、さんざん議論して結論を出す訓練をしてる国民だからこそ機能してるんじゃないかな。うちの子も学校でディベートをやらされてるようです。夕食の会話にどんどん切り込んで来るので、ちょっとうっとうしいです。

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  3. でも、あの映画(12人)では、「今日はball gameだったのに」とか、そのほかにもいかにも、「こんなことにつきあってられねーよ」的なせりふが多かったように記憶しています。正常な判断なんて、色眼鏡なしにできるんだろうか。

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  4. よく考えてみたら、喜んで陪審員を引き受ける人なんて普通じゃないよね。だって赤の他人の運命を左右するなんて気が重いし、下手すりゃ一週間以上拘束されるんだから。僕は参加出来ないとわかってるからこそ、お気楽に考えてるのかも。

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