2017年7月8日土曜日

Unbeknownst アンビノウンスト

月曜日、私のサポートする巨大プロジェクトの定例電話会議でのこと。PMのアンジェラが、プロジェクト・ディレクターのティムに先週の報告を始めました。一週間の休暇を終えて復帰したばかりの彼は、彼女の話にうんうん、と聞き入ります。ロスのR氏が彼の右腕のSを唐突にデンバーから送り込んで来た、というくだりで、よく知らない単語を上の句にぶちこむアンジェラ。

“Unbeknownst to me,”
「アンビノウンスト・トゥー・ミー」

耳の記憶を頼りに急いでカタカナで書き取って後で調べたところ、これはUnknown(知られていない、知らされていない)の古い言い回しで、かなりかしこまった表現だとのこと。

“Unbeknownst to me, R sent S out for helping my project.”
「私のあずかり知らぬところでRがSを送り込んで、私のプロジェクトを手伝おうとなさったの。」

わざわざ古風なフレーズを使うことで、腹立ちを慇懃に表明した、というわけ。

これに対してティムは、R氏がそういう行動に出ることは想定済みだったよね、と答えます。去年この巨大プロジェクトを獲得したばかりの頃、彼が自分の部下をプロジェクトチームの一員に食い込ませようと圧力をかけて来たことに始まり、己の影響力を行使しようという動きはこれまでに何度かあった。アンジェラと二人でその申し出をやんわりとはぐらかし続けて来たが、「俺のお蔭でプロジェクトが回っている」という実績を作ろうと躍起になっているのは明らか。彼の助けは不要だと納得させるため、早い段階でリスクレジスターを作ったり、チェンジ・ログを作ったり、と先手を打って来たのは正解だったね、というティム。

向こう数年以内の引退を匂わせている彼は、押しも押されぬ環境部門の大ベテラン。数年前、彼が仕切るサンタバーバラのオフィスをトレーニングの講師として初めて訪ねた時、出迎えた彼が私の手を優しく握り締め、こんな言葉をくれました。

「君の評判は沢山の人から聞いている。誰もが君のことをベストだと言っている。こんな遠くまでわざわざ足を運んでくれて、感謝の言葉も無い。うちの連中が君から多くを学ぶことを心から望んでる。よろしく頼む。」

出会いからわずか十秒で彼を崇拝してしまったことは、言うまでもありません。そして今回のプロジェクトでマネジメント・チームの一角を任されて以来、彼から多くを学びました。打合せ中、彼の発言に「そこまでは考えもしなかったぜ!」と思わず息を呑む瞬間が、度々あったのです。彼の頭には「まだ見ぬ未来」のシナリオが、まるで一流の将棋指しのように何十手先まで詰まっているようで、普通なら「そんな先のこと分かりっこないよ」と片付けるところを、「今の状況だとこうなる可能性が高いから、この対策を講じておこう。来週またチェックして、必要なら方向修正をしよう。」と冷静に提案します。しかも、その予言が面白いように当たるのです。まるでサイキックの予知能力みたいですが、それこそが「経験」なのだと思います。

アメリカの会社には年功序列という概念が無く、政治力や交渉力や運みたいなもので地位が決まってしまう、というのが私の印象です。時に高齢社員を単なる年寄りみたいに扱い、長い経験で蓄積された知見の価値を軽視する傾向があるというのは、日本社会で育った私の偏見かもしれません。でも今回の経験を通して、組織はティムのような人こそ大事にしなきゃいけないぞ、とあらためて思ったのでした。

さて、「長老」とか「マスター」的なイメージのティムですが、気の利いた軽いジョークも時々飛び出します。

“We, the three musketeers can handle this.”
「僕たち三銃士なら何とか出来るさ。」

とか、電話会議に遅刻して来ていきなり、

“Well, what’s the verdict?”
「で、評決は出た?」

とか。そういうセリフをいちいち書き取っては悦に入る私。

今週の電話会議の終盤、契約書の表現について若干引っかかる点があるんだけど、とアンジェラが漏らしました。何が問題なのかはっきりとは分からないのだけど、超能力者のマスター・ティムなら解明出来るかもしれない。ヘルプをお願い出来ない?と。これに対して、彼がゆったりとこう答えます。

“Review the contract I will.”
「見直します契約書、私は。」

へ?今の何?と戸惑う私。すると間髪入れず、彼がこう付け加えました。

“That was my Yoda imitation.”
「ヨーダのまねでした。」


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