2017年7月15日土曜日

Have you no sense of decency? 良識というものはないのかね?

二日前、15歳の息子と話していた時のこと。彼は先週、ナイキ社主催の夏休み水球教室に三日間参加しました。地元出身の元オリンピック選手から実践的テクニックを学べるという触れ込みに、10歳から18歳までの少年たちが約60名集合。最終日、コーチが選手たちを連れてメキシカン・ファストフード店Chipotleへ押しかけます。「俺のオゴリでひとり一本ずつブリトー注文していいぞ」と、意表を突いた大盤振る舞い。ガラス越しにトッピングなどを注文しつつレジへと進む方式のこの店、息子の前に並んでいた同い年くらいの少年が、

「コーチが払うんだよな。さっきそう言ったよな。」

とキョロキョロしてから、

「シュリンプとグァカモーレ(アボカド)を増量(Extra)して下さい。」

と店員に告げました。思わず眉をひそめる息子の冷たい視線を浴びながらも、「してやったり」と得意顔で列を進む少年。するとレジのおばさんが、

「あんたのコーチは、普通のブリトーを一本ずつ買ってやるって言ったのよ。追加分はあんたが払うんだからね。」

とぴしゃり。

「その子、すっかり青ざめちゃってさ。すんごく面白かった!」

どうして息子がこんな話をしたかというと、実は最近、彼なりにある教訓を学んでいたからなのです。

数週間前、ラグナビーチという海辺の観光地へ家族で二泊三日の小旅行をしました。この辺りのホテルは、一泊数百ドルと気絶しそうなレベルのインフレ状態なので、Airbnb(エアビーアンドビー)というウェブを活用した民宿サービスを初めて利用してみました。ラグナビーチから車で30分ほど北上し、レイクフォレストという小さな街の、60歳前後とみられる白人夫婦が暮らす閑静な戸建て住宅街の一軒家に宿泊。過去の利用者たちからの評価が五つ星と極めて高いわりに、値段がリーズナブルだったのが決め手になりました。予約後さっそく、奥さんのワンダからテキストメッセージが立て続けに入ります。

「息子さんは何歳?好きな飲み物は何?」
「到着30分くらい前に連絡してくれる?」
「質問があったら何でも言ってね。」

夜9時頃到着してみると、まるで離れて暮らしていた親戚の子達を出迎えるようにしてワンダが笑顔で招き入れ、家の中を案内してくれます。茶色のでかい犬が二匹、勢いよく飛び出して来て我々侵入者の匂いをひとしきり嗅ぎまくりましたが、その後それぞれの寝場所に戻ってへたり込み、動かなくなりました。ベッドルームのクローゼットにはミニ冷蔵庫があり、ペットボトルのジュースや水がぎっしり。棚には底の浅い器が置いてあり、袋入りのリッツ・チーズサンドや、光沢のあるブルーやゴールドの袋に包まれたGhirardelli(ギラデリ)のミニ板チョコなどが、整然と並んでいます。

「飲み物やスナックはComplementary(無料)よ。足りなくなったらいつでも言ってね。」

とワンダ。「他と較べて宿泊代が安い上にこれだけ余分な持ち出ししてたら割りが合わないだろうにね」と妻に懸念を打ち明けたのですが、聞けばこの先一年、予約でほぼ一杯だとのこと。顧客満足度を高めることで回転も上がり、結局トータルの収支が向上するということか、と納得する私でした。

最終日、大満足でワンダの家を後にする我々でしたが、ふと息子の手に何か握られているのに気づきました。確認してみると、ミニ板チョコ数枚。え?そんなに沢山もらって来ちゃったの?と驚愕する我々夫婦。

「だって僕、ギラデリ大好きなんだもん。」

「好きなのは知ってるよ。だけどいくら何でも品が無いでしょ。」

「だって無料じゃん。」

思わず顔を見合わせる妻と私。

確かに相手が無料と言ってるんだし、法的には何の問題もありません。部屋で食べるのと持って帰るのとでは何がどう違うのか?一枚だけもらって来た場合はどうか?何枚目から「品が無い」と言えるのか?冷静に考えれば、これは線引きが難しいテーマです。哲学的な論争に発展し兼ねない場面ですが、この時思わず私の口を突いて出たのが次の英語フレーズ。

“Have you no sense of decency?”
Decencyの意識は無いのか?」

これ、大抵のアメリカ人なら知っている有名なセリフです。1950年から始まった共産主義者掃討運動(いわゆる「赤狩り」)の狂乱に事実上の終止符を打ったフレーズで、アメリカ人の根っこにある古い価値観と強く響き合うようなのです。

1954年、赤狩りのリーダーだった当時45歳の上院議員マッカーシーが公聴会で陸軍を吊し上げようとします。ここに、74歳の敏腕弁護士ウェルチが立ち塞がります。軍組織に鋭くメスを入れると思いきや、マッカーシーの矛先はウェルチに向かいます。彼の事務所に所属する若い弁護士フィッシャーと共産主義者たちとの微妙な繋がりの証拠を掴み、厳しい追及を開始するマッカーシー。テレビで生中継される中、これ以上優秀な若者の将来を奪うような執拗な言いがかりは止めて欲しい、と要求するウェルチ。しかしここを先途と更に攻撃の手を強めるマッカーシー。遂にベテラン弁護士がキレます。

“Senator, may we not drop this? We know he belonged to the Lawyer's Guild ... Let us not assassinate this lad further, Senator; you've done enough.”
「もうやめませんか先生?彼が弁護士組合に所属していたことはお互い分かっているじゃないですか。これ以上彼をなぶり殺しにするのは止めましょう。もう充分でしょう先生。」

そして登場するのが、例のキメ台詞。

 “Have you no sense of decency, sir?”

Decencyというのは「品性、慎み、良識」などと訳される単語。Sense of decency となると、decency の感覚とか意識、という意味になりますね。そんなわけで、私の試訳はこれ。

“Have you no sense of decency, sir?”
「良識というものはお持ちじゃないのですか?」

ウェルチのセリフは国民の胸にズドンと突き刺さり、この日を境に赤狩り運動は収束に向かいます。マッカーシーは数々の狼藉の責を問われて評判を落とし、三年後、失意のうちに48年の生涯を終えます。

さて、板チョコを何枚もお持ち帰りした息子に対して私が放ったこのフレーズの意味を、言われた彼の方はもちろん理解していました。しかし反射的に猛然と自己弁護を始めたので、こう畳みかけます。

「パパが今ここで車にはねられたとしようよ。近所の人がわっと集まって来て、ワンダも飛び出して来る。その時、助け起こされたパパのポケットから板チョコがごっそり出て来たら、君、どう思う?」

「それは恥ずかしいね。」

「でしょ。」

この時の会話が心に残っていたのでしょう。どうせ人のオゴリなんだからとブリトーの中身を増量する行為をハシタナイと思うに至った、15歳の息子でした。

話変わって、昨日は久しぶりに同僚ディックとランチ。Localという、ビールで有名なレストランへ行きました。ここは料理も評判らしく、12時過ぎには入り口に席待ちの客がごった返していました。着席まで10分ほど待たされます。

「英文法の質問していい?」

注文もそこそこに切り出す私。こんなセリフ聞いたことあるでしょ?と。

“Have you no sense of decency?”
「良識と言うものは持ち合わせてないのかね?」

ここですかさず、

“No, I do not.”
「いや、無いね。」

とひとまずボケるディック。

「これって文法的に合ってるの?僕が学校で習った英語だとこうなるんだけど。」

“Don’t you have any sense of decency?”

敢えてHave youで疑問文を始めることで、何かニュアンスの違いみたいなものが生まれるのか?というのが私の疑問。

「古いイギリス英語だよ。今じゃ女王くらいしか使わないかもしれないけどね。Don’t you で始めた場合に較べて、多少厳しく感じるね。相手を責めるトーンが強まるんじゃないかな。」

なるほどね。

「じゃあさ、日常生活で使った場合、糾弾する感じになって当たりがキツ過ぎるかな?」

「親しい間柄だったら、冗談ぽく言えば大丈夫だよ。あ、あの人もしかして本気で責めてたのかな、と後からじわっと不安になるくらいの含みを残すから、効果もバッチリだし。」

続いて、このフレーズが多くのアメリカ人の記憶に長く残っている理由について、ディックがひとりしきり語りました。そもそもアメリカ人は他人の作ったルールに縛られるのが嫌い。俺たちは善悪の区別くらい言われずとも分かるし、法律なんか無くたってきちんと社会を作って行ける。勤勉で独立心が強いことを誇りに思う国民性があるのだ、と。ところが昨今、平気で嘘をついたり確たる証拠も無いのに他人に罪をなすり付けたり、という風潮を是認する傾向がある。大統領がそのトップを切って実例をばら撒いているのだから救いようが無い、と嘆くディック。どこかで揺り戻しが来て国民がDecencyを取り戻すことを切に願う、と。

文字数の多い難解な単語を各所に散りばめた、堂々たる名演説。ボイスメモに記録したいくらいだなあ、としみじみ感心しながら耳を傾ける私。そんな陶酔感のせいで、いつの間にか別の話題に変わっていたことに気付くのに、少し時間がかかりました。

「ある年のハロウィンの晩、友達一家に招かれて家を留守にするから、チョコやキャンディをボウルに入れて玄関先に置いておこうって言うんだな。」

仮装した近所の子供たちが、ドアをノックして「トリックオアトリート(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)」と唱え、これに応えてお菓子をあげる、というのがしきたりのハロウィン。留守にしてたら対応出来ないから、せめてみんながお菓子を持っていけるように外に置いておこう、という話ですね。

「そんなもん、最初に来た奴がひとりで全部かっさらって行っちゃうよって忠告したんだ。そしたら、そんなわけない、ちゃんと一人二、三個ずつ取って行くわよって言い張るんだ。で、そのまま外出して暫くして帰ってみたら、ボウルごと消えてた。ほらね、言わんこっちゃないって言ってやったんだ。」

「それっておばあちゃんか誰かの話?」

「いやいや、うちの嫁さんだよ。」

「え?そうなの?」

彼の奥さんは、今時珍しい性善説の権化なのだと言います。車を点検に出したら要修理パーツの長いリストを受け取り、プロがそう言ってくれてるんだから全部お願いしましょうよ、と真顔で提案して来るのだと。

「おいおい、俺たちには修理工場を栄えさせる義務なんか無いんだぞ。吹っ掛けられてるのが分からないのか?というと、あなたは人に対する疑いが強すぎる、と悲しそうに言うんだよ。」

翌年のハロウィンでは、「今年はちゃんとしたボウルに入れてみましょう。去年のは安物だったから。」とお気に入りの容器にチョコやキャンディを入れて玄関先に置くので、

「まさか一番気に入ってるやつじゃないよな。」

「そうよ。まさかあんな良いボウルを盗んでいく子供はいないわよ。」

言い争いになるのを嫌って口を閉ざし、そのまま家族で出かけます。帰ってみたら案の定、ボウルごと跡形も無く消失していました。

「嘘でしょ!」

と純粋に驚く奥さん。

「いやいや、それはすごいね。さすがにそこまで世間を信じるのはヤバいと思うよ。」

と私も唸ります。

「だろ。今度会ったらそう言ってやってくれよ。我が家では、俺がまるで変わり者の厭世家みたいに扱われてるんだから。」

この奥さん、去年も高級なボウルにチョコやキャンディを入れて出しておき、全く同じ目に遭ったのだそうです。すっかり呆れたディックが、何故こんなことを繰り返すのかと尋ねたところ、過去二年間はきっと運が悪かっただけと思った、とのこと。

自分が良識を持つのは大事だけど、世間にそれを期待するのは危険だね、というお話でした。


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