2016年12月31日土曜日

Move the needle 針を動かす

12月最終週。クリスマス前から周りの社員は休みがちで、オフィスは閑散としていました。木曜日も出勤率は一割にも満たず、朝から電話一本鳴りません。実に穏やか。早めに切り上げて帰り支度をしようかな、と思っていたお昼前、建設部門のベテランPM、キースから電話が入ります。彼の担当するテキサスのプロジェクトについてでした。

これは、我が社が二年前に買収した会社がその四年前にスタートしていた仕事。買収前にクライアントから一時休止の指示が出ていたため、凍結状態のまま新組織の在庫の一部に組み込まれ、暫く埃を被っていたのです。それが今年の夏、「2017年の1月に再始動して欲しい」との要請を受けたのですが、当時のメンバーが既に総員辞職していたので、上層部がキースにPMを任せた、というわけ。そのキースに財務分析を頼まれた私の答えが、

「こりゃとんでもない大出血プロジェクトだよ。」

一見順調そうでも、丹念に契約書を読み込んで注意深くコスト予測をすると、全く違う未来予想図が見えて来ることが多々あります。これもその好例でした。これにはキースも衝撃を受けたようで、自分がPMとして仕事を始める前に教えてくれて良かった、どうも有難う、と何度もお礼を言われました。

ところが、最悪の財務分析結果を知らされた上層部は、「こんな大赤字プロジェクトは到底受け入れられない。即刻契約を解除すべきだ。」とか「これはそもそもテキサス管轄のはずじゃないのか、今からでもあっちに所管を移すべきだ。」などと見苦しいまでの大騒ぎ。どうするんだ、再スタートの日が迫ってるぞ、誰が面倒見るんだ?俺んとこじゃないぞ、と責任のなすり合いが続きます。先週後半、いよいよあと3週間でキックオフ・ミーティング、というタイミングで、ちょうどキースがクリスマス休暇に入ってつかまらなかったため、私が上層部からの度々の質問に答えることになりました。

「僕が留守の間、君を矢面に立たせてしまって済まなかったね。」

と電話の向こうのキース。

「いえいえ、こういうの慣れてますから。」

「全く呆れるよ。結局、年の暮れになるまで誰も何もしないんだからな。今日の12時に、この件の最高責任者を交えた電話会議があるんだ。今日こそ決断が下されることを祈ってるよ。」

もしもこのままプロジェクトを続行するのであれば、キースは一家でテキサスへ引っ越すつもりなのです。14歳の娘さんは転校しなきゃいけなくなるし、これは会社にとってだけでなく、彼の家族にとっても非常に大きな転換点になるのです。

電話会議に出席するメンバーのこと、変更要求に対するクライアントの反応、赤字額を巡る各方面からのプレッシャーなどを語るキースが、セリフの合間にこんなフレーズを挿入したことを聞き逃さなかった私。

“We are moving the needle.”

直訳すればこうです。

「我々はニードル(針)を動かそうとしている。」

ん?何のこと?

彼がそのまま話を続けたので質問のチャンスを逃し、急いでノートに書き取ります。でも、このフレーズが気になってしまい、会話に身が入りません。針を動かすというのだから、きっと「慎重に」とか「注意して」という意味だろう、と予測したのですが、それだと微妙に文脈からずれてる気もします。頭の中には、「急速に衰弱して行く王様を救うため、外せば命に関わる極めて微妙なツボにハリを打ち込もうと構える宮廷鍼灸師」の姿が浮かんでいました。

午後になって、Tシャツ、ブルージーンズにビーチサンダル姿(完全に休日モード)で出勤していた同僚ディックに質問をぶつけてみました。

「いや、そういう針のことじゃないよ。」

彼によると、これは体重計などの計測器についている、数値を示すために振れる針を意味しているのだそうです。

「ビジネスでは、組織の財務に大きな影響を及ぼすような行動を起こす時に使う言い回しなんだ。要するに、経営状況を計測する機械の針が大きく振れるような何かをするってことだね。ポジティブにもネガティブにも。俺が担当してるような小粒プロジェクトだと、俺が何をしようと針はピクリとも動かないから、使うチャンス無さそうなフレーズだけど。」

と自嘲気味に笑うディック。なるほど、これで分かりました。キースが言いたかったのはこういうことですね。

“We are moving the needle.”
「この件はインパクトでかいんだ。」

考えてみると私は、担当業務の性格上、こんな風に「針が大きく振れる」情報を提供する立場に立つことが多いのです。他の誰も気付かないような病の種を見つけ出して分析し、真の病状を分かり易く表現する。聞かされる方は大抵、衝撃のあまり拒絶反応を起こしたり悲嘆に暮れたりするけれど、早く知るに越したことは無いのです。実際、早めに手を打つことで被害の拡大を食い止めたケースも多々あります。だからこそこの仕事はやりがいがあるのだけど、時々は誤診の可能性を考えて恐ろしくなります。もしも私の計算ミスで経営幹部を右往左往させたりしたらと想像すると、背筋が凍りつくのです。それこそ鍼灸師のように、細心の注意を払ってプロジェクトに向き合わないといけないな、と自分に言い聞かせた歳の瀬でした。


5 件のコメント:

  1. 「王様を救う宮廷鍼灸師」のくだりは三国志からのイメージかな。米国人でも鍼とか灸とかの概念はもっているものなのかね?
    オイラ的にはこの訳は「ヘタするとレッドゾーンに飛び込みますヨ」だと緊迫感があるんじゃないかと。。。。

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  2. 正解は「チャングムの誓い」です。観てないか…。
    レッドゾーンに飛び込む、というのはこのケースには当てはまるんだけど、ディックの解説によれば、ポジティブなインパクトの場合でも使うそうなので、なかなか訳が難しいんだよね。

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  3. ナルホド。見てないケド、チャングムには三国志の影響受けた場面は結構ありそうだね。

    キースとのやりとりのくだり。キミは見てないだろうが、昨年流行った「シン・ゴジラ」の中で、困難な任務をキッチリやり遂げた陸自幕僚長がその仕事に対して礼を言われたときに
     「礼にはおよびません、仕事ですから。」
    って答えたのが超カッコよかった。今回の話はちょっとそれっぽくて、中々羨ましいゾ
    http://topic-station.com/singodzilla-meigensyokuba/

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  4. シドニーから帰る飛行機で観たよ。日本映画としては、というか映画としてかなり斬新な切り口だったねえ。キャラクターが多すぎてひとりひとりの描写にかける時間が少なかったのが残念。TVドラマでやればいいのに、と思ったのは僕だけだろうか。

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  5. 霞が関に努めてる人たちが結構「シン・ゴジラ」を見ているらしいぞ、自虐的にあるあるネタを楽しんだり、これからは改革しなきゃイカんと奮い立ったりしているらしい。キミにも判ったんじゃないかな。

    奮い立ったはイイが「生きる」のオチみたいにならないで是非とも頑張って欲しいね。

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