2014年4月30日水曜日

Intern インターン

かつて妻の教える日本語クラスを履修していたアメリカ人の大学生カイルが、昨日の午後私のオフィスを訪ねて来ました。プロジェクト・コントロールの仕事に興味があり、インターンの口を探していると言うのです。

インターンというのは、無給あるいは薄給で働きながら実務経験を積むシステムで、要するに「見習い」とか「実習生」のこと。アメリカの就職は能力重視なので、学生のうちにどれだけスキルを身に着けておくかが勝負。在学中は学業に専念すべきじゃないかとも思うのですが、多くの企業はギリギリまでコストを切り詰めており、新人研修などに金を使う余裕は無い(そもそも数年ごとに社員がごっそり転職していく世の中なので、社員を鍛えたところで見返りは薄いのです)。いきおい、新卒といえども「即戦力」をアピールせざるを得なくなります。

ところで、そもそも何故これをIntern というのか。辞書には、

「設定された境界内に拘束すること」
「戦争の終結まで人や財産を拘束すること」

などという意味の動詞として説明されています。これが名詞だと、

「監督下で働く医学生や医大卒業生」
「実務経験を積むため、あるいは法的な資格要件を満たすために見習いとして働く者」

になります。要するに、「プロの指導監督下で働く見習い」ですね。収容所の監視塔から見張られている捕虜、というイメージと微妙にダブります。

ミーティングを終えてカイルを見送った後、コピールームで日系アメリカ人の同僚ジャック(84歳)とばったり会いました。「インターン」という単語が頭にこびりついていたためか、連想ゲームのようにInternment Camp (日系人収容所)のイメージが頭に浮かびます。収容所経験者のジャックに尋ねます。

Internment Camp Concentration Camp(強制収容所)の根本的な違いって何なんですか?」

するとジャックは少し考えて、

「ほぼ同じだけど、僕が入ってたインターンメント・キャンプはConcentration Camp とは呼べないな。ゲート横のタワーにマシンガンを持った兵士が立って見張ってたけど、裏にはフェンスが無かったからね。」

「え?フェンスが無かった?逃げようと思えば逃げられたってことですか?」

「そうだよ。親父はよく遠くの川まで出かけてたな。釣って来た魚をさばいてくれて、家族で食べた。収容所の飯はろくなもんじゃなかったから、僕らは親父の魚料理を楽しみにしてたんだ。」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。誰も逃げようとしなかったんですか?」

ジャックによれば、FBIは日系アメリカ人の詳細なリストを控えていて、誰かひとりでもいなくなればすぐに発覚した、とのこと。

「ただね、当時のフーバー長官は、日系人を大量に収容した話を聞いて、なんでそんな無駄なことをするんだ、と尋ねたらしい。」

「どうしてですか?」

「親日派の日系人はとっくの昔に全員拘束されてたから、国防の観点からは、残りの日系人を収容する意味なんてほとんどなかったんだよ。」

「拘束されてた?」

「真珠湾攻撃の日の夜までに、親日派日系人は一人残らず街から消えてたんだ。」

「え?消えてた?どういうことですか?」

「連れ去られたんだよ。うちの親父も腹を決めてお迎えを待ってたんだけど、しょっぴかれないまま夜が来た。後で分かったことだけど、親父の名前は親日派リストの上位に入ってなかったんだ。1930年代に商売で失敗して肩身が狭くなり、あらゆる日本人会から脱退してたんだな。それが幸いしたというわけさ。」

「でもどれだけ親日的かなんて、どうやって分かるんですかね。」

「開戦のずっと前から、親日分子の調べはついてたんだ。ま、僕に言わせれば、ほとんどの日系アメリカ人は親日だったけどね。実際、祖国が日中戦争に突入して物資が足りないと知った時、皆で金属性の物品をかき集めて日本へ送ったよ。子供たちはガムの包み紙を集めたりしてね。銀の部分からアルミニウムが取れるって聞かされてたのさ。それに、天皇誕生日には毎年祝賀会を開いて、万歳、万歳、って叫んでた。実際、ほとんどの人が祖国を大切に思ってたよ。」

戦後、釈放された日系アメリカ人は財産ゼロから再スタートしなければなりませんでした。ジャックのお父さんもトラックの運転手をして何とか生計を立てたそうです。

そこへ突然、同僚ストゥーが割り込んで来ました。

「俺の知り合いに、日本からの移民の息子がいてね。奴の親父がすごいんだ。」

さっきから我々の会話を聞いていたようです。

「戦前、一文無しでアメリカに渡って来た。低賃金で働きながら、マリナ・デル・レイの高圧鉄塔下にある使えない土地を二束三文で買い取って、果樹園を始めたんだな。これが大成功して大金を稼いだ。しかし、その絶頂期に開戦だ。財産を全て没収され、日系人収容所へ叩き込まれた。終戦後は、また一文無しからやり直しだ。で、何をしたかというと、またしても同じ土地を買い始めたんだ。何年もかかって自分の土地をすっかり買戻し、また果樹園をやった。それで再び大成功を収めたんだよ。戦争を挟んで、二度同じことをやったんだぜ。信じられるか?ところが、だ。日本人を大勢呼び寄せて働かせてたら、地元の労働組合が、仕事を全部日本人に独占させるなんてひどいって訴えたんだと。ほんと、アメリカ人ってのは情けないよなあ。」


インターンメント・キャンプに収容された多くの日系人たちは、極端に理不尽な待遇を受けながらも、戦後に見事な再起を果たしていたのですね。日本民族の勤勉さを象徴するこういうエピソードを聞くと、自分ももっと頑張らねば、と気合が入ります。

2014年4月27日日曜日

You have change? チェンジある?

NPRという公共ラジオ局に、This American Life という番組があります。先日、No Coincident, No Story 偶然の一致が無ければ物語ではない」というテーマの放送があり、これが妙にツボにはまってしまい、録音されたものをかれこれ10回以上繰り返し聴いています。

結婚しようと思っている彼女とその両親を実家に招いたら、飾ってあった亡き父の写真を見た彼女のお母さんが、「この人、名前何て言うの?」後から分かったのは、自分の父と彼女のお母さんは昔恋人同士で、結婚しかけたけど親に反対され、別れざるを得なかった、という事実。

デートに向かう途中、お店でお金を払おうと財布を開いたら、取り出した一ドル札にこれから会う女性の名前が書かれていた。あまりの偶然に興奮した男は、額縁を買ってこのお札を飾り、デート相手にプレゼント。ギョッとする彼女。その後、めでたくゴールインした二人。何年か経ち、彼女が告白。スーパーでレジ打ちの仕事をしていた若い頃、なかなか良縁に恵まれずイライラしていた。「お札に自分の名前を書いてみよう。将来これを手に現れた男が私の結婚相手になる。」と心に決めて実行したのだと。まさか実現するとは思いもしなかったので、彼がお札を額縁に入れて持ってきた時は動転のあまり声が出なかった。

ま、こんな実話がざくざく出て来るんですね。一番気に入ったのが、この話。

ライアンという男性が、ロサンゼルスの大学生だった頃の話。ある日キャンパスを歩いていたら、学生が何人か談笑している。話に参加してみると、そのうちの一人がこんなエピソードを語ります。

「シャワーを浴び始めて5分か10分した頃、チャリーンと音がした。見下ろすと、足元にコインがある。一体どこからお金が降って来たのか分からないんだ。」

周りの男たちがこれを聞いて、「一ドル札でも食ったのか?」「ケツがおつりを払ったんだろ。」とからかいます。笑って立ち去るライアン。その翌日、シャワーを浴びていたら、チャリーンと音がします。見下ろすと、床には25セント硬貨。咄嗟に、「あいつら、はめやがったな」、と思ったライアン。昨日の話は作り話で、自分に対するイタズラの前ふりだったに違いない、と踏んだのですね。でも一体どうやって仕込んだんだ?さっそく大学で、昨日の男をつかまえて尋ねます。笑い始めると思いきや、

“He was sincerely mystified.”
「正真正銘、不思議そうな顔をしてたんだ。」

結局、謎は解明出来ないまま帰宅。それから一か月ほど経ったある日、シャワー中にまたしても、チャリーン、チャリーン!今度は合計35セントも小銭が降ってきた!

これは実によく出来た話で、あまりにも意外なオチに大爆笑。しかし、番組はここで終わりません。同じ経験を持つ人がどれだけいるのか調べるため、スタッフが全米の大学を訪ね歩くのです。どこへ行っても「そんな話、聞いたこともない」という反応でしたが、ペンシルバニア大で、一人の女子大生が「同じ経験を頻繁にしている」と名乗り出ます。しかも、ついさっきルームメートから、「どうしてシャワールームの床に小銭が落ちてるの?」というテキストが送られて来た、というのです。学生仲間が大笑いする中、恥ずかしそうに体験談を語る女子大生。

さて、この「小銭」ですが、英語ではChange(チェンジ)。

"There was change between my feet."
「足元に小銭が落ちてた。」

という例で分かるように、これ、不可算名詞なんですね。たった一枚だろうが十枚あろうが、数えられない。冠詞のaもつかなければ、changes と複数形にもならない。う~む。な~んかこれ、のみこめないんですよね。これだけ長く英語学習を続けていても、やっぱり苦手なコンセプト。大抵の場合、名詞を単数か複数か明確に区別しようとしている言語なのに、どうして不可算名詞なんてものがあるんだろ?

地元のショッピングセンターの前に、時々ホームレスのおじさんが立っていて、通行人を呼び止め、

“You have change?” (チェンジある?)

と顔を覗き込んで来ます。

これを聞くたびに、おじさんに小銭を恵んであげるかどうか悩むのではなく、「あ、不可算名詞だ。」と思ってしまいます。


2014年4月19日土曜日

一流の朝食

デンバー最終日の早朝。支社の同僚ステイシーからの「一見の価値あり」というお勧めで、Browne Palace (茶色い宮殿?)という老舗ホテルまで散歩しました。街で一番古い建造物のひとつらしいというだけの予備知識を携えて。

到着してみると、どうということのない外観です。しかし一歩中に足を踏み入れて、お勧めの理由が分かりました。一言で表現すると、モダン・アンティーク。アトリウム(吹き抜け)を取り入れた建築は、その凡庸な外観から受ける印象を見事に裏切っています。階段の手すりなどは意匠を凝らしていて、大理石のステップは時代の重みを滲ませている。

一階の隅に、小さなレストランを発見しました。Ellington’sという店名。身なりの良い紳士たちが一人二人入っていくのを見送っていたら、案内人が「お名前は?」と一人一人に尋ねていることに気づきました。え?なんで?宿泊者限定のお店なのかな?若干気後れして一旦戻りかけたのですが、折角ここまで来たんだから、と思い直してエントランスへ。苗字を尋ねられたのでスペルも含めて丁寧に答える私。

「この先にあるマリオットに泊まっているんですが、友人に勧められて見学に来ました。ここに泊まっていなくても食事出来るんですか?」

「もちろんですよ。どうぞお入りください。」

ちょっと待てよ、こんなところで飯食ったらいくら請求されるか分かったもんじゃないぞ。どうしよう。

「じゃ、まず中だけ見て良いですか?」

「どうぞどうぞ。ゆっくりご覧になって下さい。」

歩みを進めると、急に視界が開けます。奥へ進むに従って、空間がぐるりとらせんを描いて拡がっている。まるでカラクリ屋敷みたい。おそらく二百人以上は着席出来るでしょう。内装は華美ではないものの、成熟した文化の香りを醸し出している。昨日の朝飯は近所のチープなベーグル屋だったんだ。出張中一回くらい、こういう高級朝食もアリだろう

「やっぱりここで食事して行きます。」

意を決してそう告げると、ニッコリ笑った案内人が、

「では、全体が眺められるお席にご案内致しましょう。」

と一番奥のテーブルまで誘導してくれました。着席して十秒も待たず、給仕係がやって来ます。

「アントンと申します。お飲み物はいかが致しましょう?」

コーヒーとオムレツを注文し終え、次々に入ってくる客をぼんやり眺めているうちに、段々と居心地が悪くなって来ました。どの客も、見るからに血統書付のエリート。私の2メートル左のテーブル席に、注文もせず長いこと一人で座っていた白人男性(30代後半?)がいました。ちょうど私に背を向けていたのでじろじろ観察した結果、きっとインベストメント・バンクの若きエグゼクティブだろうと鑑定しました。

私の前方10メートルほどには、男性5人、女性一人という構成のグループ。一人残らず、「若いうちから一般人には想像もつかないほどの大成功を続けてますよ」というオーラを発している。白人率100%。男性は白シャツ、レジメンタル・タイに濃い色のスーツ。デパートの紳士服売り場で買った吊るしのジャケットじゃないことは一目瞭然。ちょっと触らせてと言いたくなるほど上質そうな生地、しかも仕立て屋から届いたばかりと言われても不思議じゃないほど真新しい。言うまでもないことですが、靴も爪先から踵までピッカピカ。髪型も、毎朝美容院に行ってるんじゃないかと勘繰りたくなるくらい整っている。唯一の女性メンバーも、肩まで伸ばした栗色の髪が忘れがたいほど美しい光沢を放っていて、凛とした横顔からは、「美貌の秀才」という印象を受けます。

突然、ボタンダウンにチノパンという自分のカジュアルな出で立ちを顧みて恥じ入る私。床屋にも暫く行ってないから、もみあげのところがボッサボサ。うう、みすぼらしい

串に刺したフルーツが添えられたオムレツを賞味し終え、ウェイターのアントンを呼びました。「お勘定お願いします」と言うと、彼が「かしこまりました」と微笑んでから私の苗字を付け足します。え?なんで彼が僕の名前知ってるの?

「あの、カードを使いたいんです。宿泊客じゃないので。」

泊り客は請求書に自分の部屋番号を書いてサインするのが通例なので、外部客用の請求書が欲しかったのです。するとアントンが、

「かしこまりました。マリオットにお泊りなんですよね。」

と答えたのです。ええっ?そこまで知ってるの?驚くと同時に感心する私。案内係が、私に関する情報を予めちゃんとウェイターに伝えてたのですね。すげー。どこまで一流なんだ?!

ちなみに、オムレツとコーヒーの合計は30ドル弱(三千円ほど)。ほっとしてサインする私。

そうこうするうち、さっきまで一人で座っていた男性客の向いにセーター姿の白人男性が現れて着席しました。待たせたね、と爽やかに笑いながら。この人も、一般人との毛並みの違いは明らか。着ていたのはカシミアのセーターでしょう。男性二人は食事の注文を済ませると、投資ビジネスの話を盛んに始めました。やっぱりね、思った通りだ。我ながら鋭い観察眼だぜ、と自己満足の私。

そのうち、「一流な」彼らの会話は、プライベートな話題に移ります。聞くともなく聞いていたら、セーターの男性が急にこう言ったのです。

「今年の夏も、エベレストに登ろうと思ってるんだ。」

席を立ってつかつかと彼に近寄り、おでこをぴしゃっと叩いてこう突っ込みたくなりました。

「いい加減にしろ!」

支社に到着して、アルバカーキの仕事で一緒だったトッドと会ったのでこのホテルの話をしたところ、

「ああ、あそこは大統領の定宿なんだよ。」

というコメント。なるほどね。食事中ずっと感じていた激しい「場違い感」も、これで納得です。


2014年4月15日火曜日

Old dogs and new tricks 老犬に新芸

土曜日の午後3時20分。日本語補習校で中三クラスに数学を教えた後、妻が職員室前まで回していた車に飛び乗り、空港へGO! まるで銀行強盗チームみたいな連携プレー。5時出発便に無事乗り込みました。

ボランティア教師の仕事も、残すところあと一回。二回やってみて思ったのは、

「中三の数学教師って意外にキツイ!」

ということでした。相手は小学生みたいに素直じゃないし、高校生ほどは成熟していない。非常にビミョーな年齢層で、どう攻略すべきか良く分からんのです。おまけに、今回扱うのが「式と計算」。どう考えてもわくわくするほど面白いテーマじゃない。そこをどうやって興味深く組み立てるか?授業の前日には毎回ひどく悩みます。

さて、現地時間の夜8時半。予定通りコロラド州デンバーに到着し、空港近くのホテルに一泊。日曜の早朝、雪の降りしきるハイウェイを運転し、一路フォートコリンズへ。早めのチェックインが出来たので、ホテルの部屋に腰を落ち着け、トレーニングの準備を開始しました。ここ最近、通常業務と土曜日の授業準備に追われ、とうとう現地入りする日までスライドの製作に取り掛かれなかったのです。そんなわけで、やや焦りながらの一夜漬け。

今回のトレーニングは、

「プロジェクト予算の賢い積み上げ方」
「プロジェクト最終コストの適切な計算方法」

という二つのお題を、計90分で社員に学んでもらうのが目的。フォートコリンズ支社で月火の二回、デンバー支社で水木の二回、計4回同じ内容を教えるため、月曜に使うスライドを一本作ってしまえば後は楽なのです。夜中までかかりましたが、何とか完成!

月曜の朝8時、フォートコリンズ支社に到着すると、事前に何度かメールでやり取りしていた総務のロビン(長身の白人女性でした)が出迎えてくれました。この支社には知り合いが一人もおらず、出席者に関する予備知識ゼロ。ややドキドキしながらプロジェクターのセットアップを始めます。暫くしてぞろぞろと会議室に集まって来た20人ほどの社員たちを眺めると、なんと白人率100パーセント!アジア人の多い南カリフォルニアで講師をしている時はほとんど感じないことですが、久しぶりに「おいおい!アメリカ人の集団に英語で物を教えてるぞ!」という静かな興奮を覚えます。

終了後の休憩時間中、この支社で財務関連レポートの作成を担当しているベテラン社員のマーシャがやって来ました。

「大好評だったわ。もっと早くこのトレーニングを受けたかったってみんな言ってたよ。」

「有難う。それを聞いて安心したよ。しかしこんなに沢山のPM達をサポートするのは大変だろうね。」

「先月までは、エイミーと私と、もう一人いたのよ。でもこの不景気でレイオフの危機が迫っているのを感じて、彼女、自分から辞めちゃったの。それからはもう毎日二人でアップアップよ。」

「それは大忙しだねえ。」

「ここのPM達、今朝見て分かったと思うけど、ほとんどがベテランでしょ。だからね、」

ここでマーシャの口から、こんなフレーズが飛び出します。

“It’s like, old dogs and new tricks.”

直訳すると、

「老犬に新芸って感じよ。」

これは、Teaching new tricks to an old dog. (老犬に新しい芸を教え込む)というイディオムを少し変形させた格好。つまり、年寄りに新しいプロジェクトマネジメント・プログラムを教えようなんて、所詮無理な話だ、という意味ですね。

彼女には言わなかったけど、それでもこのベテランPM達は、皆「学ぼう」としてトレーニングに参加しているんです。土曜日の日本語補習校に来ている中学生たちは、その半分くらいが明らかに、「親に言われて仕方なく」出席している。そういう子たちに「多項式の展開」を教えるのと比べれば、これは遥かに楽な仕事だなあ、と実感したのでした。

ここで英語のイディオムを無理やり作るとすれば、

“Young dogs and algebra.”
「子犬に代数」

ってところでしょうか。ちょっとちがうか


2014年4月10日木曜日

マンツーマン指導

来週はコロラド州へ出張です。月火にフォートコリンズ支社、水木にデンバー支社でプロジェクトマネジメント・プログラムのトレーニングをして来る予定。フォートコリンズの総務担当者ロビンに「どういう段取りで進めましょうか?」とメールで尋ねられたので、

「まずは講義形式で一時間半話をし、その後マンツーマンでPM達に指導をする、という感じで行こうと思ってます。」

と答えました。その際私は、 こういう英語を書いたのです。

“I’m planning to have a 1.5-hour class-room training before opening up for one-to-one sessions.”

そう、one-to-one(ワンツーワン)です。

日本語で頻繁に用いられる「man-to-man(マンツーマン)」というフレーズが、バスケットボールなどのディフェンス方式を指す用語であり、今回のケースでは使えないことは分かっていました。さすがにアメリカ生活も14年。そういう初歩的ミスは犯さないぜ、とやや「ドヤ顔」の私。

しかし、私の書いたものを転送する形でロビンがPM達に一斉送信したメールを一読し、何か違和感を覚えます。もう一度よく読み返してみたところ、私の書いた “one-to-one” “one-on-one” に置き換えられていたのです。あれあれ?ワンツーワンはダメだったの?やや焦って、同僚リチャードの部屋を訪ねる私。

「う~ん、どっちも文法的には正しいんじゃない?」

とリチャード。

「僕はone-on-one しか使わないけどね。」

「おいおい、ちょっと待ってよ。One-to-one は正しいけど使わないってこと?それはなんで?どういう状況でなら使えるの?」

と食いつく私。

「いやいや、どういう状況で使っても大丈夫だと思うよ。間違いじゃないんだから。ただ僕は、one-to-one って言われたら、スロープの勾配が一対一の角度(つまり45度)って話だと思っちゃうけどね。」

と、土木設計のエキスパートらしい意見。いよいよ納得がいかない私は、さっそく職場内をあちこち聞いて回りました。みな一様に、根拠は不確かながら「one-on-one (ワノーワン)」を推します。もしかしたら、アメリカ英語に限った話かも?と疑念が生じた私は、カナダ出身の同僚ジェフを訪ねます。彼は日系アメリカ人のグレンと大部屋を分け合って使っているので、相方の仕事の邪魔にならないよう、少し声を抑えつつ質問。

「カナダではどうなの?one-to-oneって使う?」

「う~ん、地域によって違うのかもね。俺はone-on-one としか言わないな。」

「やっぱりそうなのか。じゃあさ、アイスホッケーやってる時、相手の選手と一対一でパックの奪い合いをする場面では、どっちのフレーズ使う?」

中年ながらも、毎週末アイスホッケー・チームでプレイしているジェフ。

one-on-one だね。」

「やっぱりそうか。じゃ、どういう時にone-to-one を使うの?」

「どういう時でも使えばいいんじゃないかな。俺は使わないけど。」

これは参りました。誰も違いを教えてくれないくせにone-to-oneにはダメ出しをする!欲求不満が頂点に達したその時、ジェフのオフィスメートであるグレンが、コンピュータ画面を見つめながら棒読みを始めました。

One-to-oneは、transfer communication (つまり伝達)の場合に使う。例えばemail で誰にもcc を入れない場合、それはone-to-one correspondence (一対一の通信)である。グーグルにはそう書いてあるね。」

な~るほど!不定詞 to が方向性を表現していることを考えれば、これは納得です。誰かから誰かへ情報が伝送される場合に、one-to-oneを使うんだ。ようやく半ばすっきりして、同僚リチャードを再訪します。私の解説を聞き終わった彼が、きちんとまとめてくれました。

one-to-one tutoring (個別指導)と書いていれば完全に正しかったってことだね。そうすれば、シンスケがPMTutor (指導)する、という風に方向性が明確になるでしょ。Meeting とかsession だとそれが無いから、one-on-oneの方が適してるんだね。」

ようやく完全に腑に落ちました。


こんな風に、ネイティブスピーカーでも余程突っ込んで聞かないと、説明出来ないことってあるんですね。

2014年4月6日日曜日

Keep your nose clean! 鼻をきれいにしておけ?

先週金曜日の晩、中一の息子が土曜日に通う日本語補習校の理事長から電話がかかってきました。さては愚息がまた何かトラブルを起こしたか、と謝罪の態勢を整えたところ、「実は折り入ってお願いがあります」、とのこと。

「中三の数学教師の採用が遅れているんです。良い先生が見つかるまで、新学期から三回ほど教えてくれませんか?」

え?何故それを私に?

狭い日本人社会なので、「理系」で「教えるのが好き」な社会人というフィルターにかけると、候補が限られてくるのでしょう。ま、日ごろから地域社会に貢献したいとは思っているので、これは快く引き受けることにしました。で、大急ぎで準備。昨日が初日でした。

中学三年生というのは大人でも子供でもない、微妙な年齢層。普段接する機会が無いので、これは新鮮でした。意外に素直そうな子ばかりで感動したのですが、授業態度に関しては「こんなんでいいの?」というレベル。中に一人、典型的な「お調子者」がいて、絶え間なく茶々を入れたり立ち歩いたりする。彼はクラスに活気を与えている反面、授業の流れを妨げてもいるのです。一介のボランティア教師が生徒指導にどれほど責任を持つべきなのか不明なので、とりあえず、

「おい、一番前に座れ。」

と座席移動を促しました。

“Oh, I’m in trouble!”

と英語でおどけながら席を移る少年。

思い起こせば、どのクラスにもこういう奴、必ずと言っていいほどいたよなあ。あと数年もすれば、ウソみたいに真面目な青年に成長してたりして。

話は変わって一昨日(金曜)の朝。隣のオフィスのストゥーと元ボスのエドが廊下で暫く世間話をしていたと思ったら、私の部屋にどやどやと入って来ました。デスクを挟んで来客用の椅子を二脚、やや向かい合わせ気味に並べてあるのですが、ここに二人がためらいもなく腰を下ろします。まるで、金曜の午前中などにシンスケが忙しいわけなんかないと決めつけているかのように。

ストゥーが、「せがれが去年、大学を出て働き始めたんだ」と楽しげに語ります。何でも彼は、別会社に就職してサンディエゴの大規模プロジェクト・チームに入り、プロジェクト・コントロールの仕事をしているというのです。

「奴は、プリマベーラでスケジュールもやってるんだ。」

「それはいいですね。プリマベーラが使える人は今、引っ張りだこですから。」

と私。

「だろ。これはニッチな分野だから、うまくすれば奴も、将来あんたたちに雇ってもらえる可能性だってある。」

と、笑うストゥー。次に彼の口から出たフレーズに、思考が止まります。

“I said to him, keep your nose clean!”

文字通り解釈すれば、

「鼻をきれいにしておけ、と言ってやったんだ。」

え?鼻を綺麗にする?なんでここでそういうセリフが出るの?

その時は調べる余裕がなかったので、夕方、残業していた同僚レベッカに尋ねました。

Stay out of trouble (トラブルを起こすな)って意味だと思うわよ。文脈にもよるけど。」

とレベッカ。

「でもさ、それと鼻とどう関係あるの?鼻をかんでおけってこと?ほら、鼻水たらしてるガキにそう指導することあるでしょ。」

「う~ん、そうかなあ。おかしなことに鼻を突っ込むな(日本語では「首を突っ込むな」)という意味で使ってると思うんだけど。」

後で調べたところ、両方の説が語源として伝わっているとのこと。つまりストゥーが言いたかったのは、将来に備えてちゃんとしておけ、おかしなトラブルを起こしちゃいかんぞ、ということですね。私の和訳はこれ。

“I said to him, keep your nose clean!”
「お行儀よくしておけよ、と言ってやったんだ。」

昨日の晩、息子と一緒にシャワーを浴びていた時、ふとこのことを思い出し、

「そうだ、Keep your nose clean. ってイディオム、知ってる?」

と尋ねてみました。

「知らな~い。」

と即答してくるりと振り返った彼が、シャワーを頭から浴びながら右手の人差指を深々と鼻の穴につっこみ、ホジホジしながらこう言いました。

「こういうこと?」(ほおゆうほと?と聞こえましたが。)

おお、そう来たか。なかなか機転の利いた切り返しじゃないか。ちょっと感心した