先日、お気に入りのポドキャスト “This
American Life” で、Allure of
the Mean Friend(意地悪な友達の魅力)というテーマのエピソードが放送されました。どこの中学や高校にもいる、「意地が悪いくせにやたらモテる女子生徒」の話で、その人気の理由を少し突っ込んで考えてみようじゃないか、という内容。
今はホームレスを対象にした医者として働いているジャッキー・コーエンという実在(と思われる)女性に、中学時代同級だったラジオ・パーソナリティのジョナサンがインタビューし、彼女がかつてやらかした数々の狼藉についてどう思っているのか聞いてみる、という趣向。
「君の親友のメアリーが、中二の時に僕に話しかけようとしたら、君が止めたらしいね。何て言ったか憶えてる?」
「憶えてるわよ。」
「あらためて、僕に面と向かって言ってみてよ。」
「もう聞いて知ってるんでしょ。だったら自分で言えば?」
「分かったよ。じゃあ言うよ。君はこう言ったらしいね。話しかけちゃ駄目、あの子汚らしいじゃない。そう言ったんでしょ。」
「ええ。」
「…。ま、当時は本当に汚らしかったのかもしれないけど。」
「そうよ、汚らしかったのよ。今も汚らしいけど。」
こんな風にジャッキーは、「思ったことを正直に言ってるだけ」だと己の正当性を主張します。媚びず、ひるまず、誰にも詫びない。美人で聡明でスタイルも良く、同性からも異性からも常に憧れの目で見られる。彼女のそばにいるとゾクゾクするほど楽しい反面、自分のちょっとした言動が彼女の審美眼に叶わないと、あっけなく仲間はずれにされてしまう。親友だったメアリーでさえ、常にピリピリと緊張しながらジャッキーの一番の友達という座を死守していたのだと言います。大多数の男たちは、ジャッキーの超然とした立ち居振る舞いに、「俺なんかきっと眼中に無いんだよな。彼女にとっては俺なんか、ゴミ屑同然なんだ。」と、いわれなき劣等感をかきたてられてしまう。
思春期や青年期には、知り合いにそういうタイプの女性が何人かいました。彼女たちの心無い一言や無言の一瞥などにひどく傷ついたり悩んだり、惨めな思いをさせられたりという経験が蘇って来て、ひとしきり「甘酸っぱい古傷の疼き」を愉しみました。
同じポドキャストのファンである同僚マリアにこの話をしたところ、「そのエピソードはまだ聞いてないから全部言わないで!」とくぎを刺した後、こんなことを言いました。
“Almost all girls have meanness. It’s part of our makeup.”
「女の子ならほとんど誰にでも意地悪なところがあるわよ。それは私たちの構成要素のひとつなの。」
そしてこう続けます。
「私も中学時代、意地悪で超人気者の同級生がいたわ。彼女のそばにいると、自分がすっごく駄目な存在に思えて、惨めな気分になったものよ。だからその頃の自分を思い出すのはとてもイヤ。うちの姪っ子も今中学生なんだけど、何故かそのタイプの同級生から意地悪を繰り返されていて、学校に行けなくなってるの。それを知ったうちの姉が、相手の親に詰め寄ってその子を呼び出し、姪っ子に詫びを入れさせたのよ。それがもとで事態が悪化しちゃって…。」
「うわあ、それはかえって話をこじれさせちゃったね、きっと。」
「そうなのよ。でね、心配して姪っ子本人と話したら、意外と冷静なのよ。あの子、こういうのには打つ手なんか無い、皆が大人になるまで待つしかないって言うのよね。」
「うわあ、醒めてるなあ。」
「でしょ!それで私も思ったのよ。確かにこれは、大人になる過程で避けて通れない段階なんだって。」
この時彼女が使ったのが、
“It’s a rite of passage.”
「ライト・オブ・パッセージよ。」
というフレーズ。Rite(ライト)とは、宗教的な意味合いを持つ行為、Passage(パッセージ)とは、「通過」という名詞ですね。日本語ではよく、「通過儀礼」と訳されますが、平たく言えば、「一人前の大人になるために避けられない通過点」。バヌアツの種族が、伸び縮みしないロープを使ったバンジージャンプを男の子達に課し、これが出来たら大人として認めるという「成人の儀式」をテレビ番組で見たことはありますが、我々現代人がそうした苦痛を伴う儀式への参加を強いられることはありません。ライト・オブ・パッセージって、他に何があるだろう?たまたま熟練PMのダグと会ったので、これを尋ねてみました。
「そうだなあ。今の社会にはバンジージャンプみたいな強制的で痛みを伴う儀式は無いもんね。」
と暫く考えてくれましたが、何も浮かばない様子。
「Circumcision(サーカムシジョン)はどうです?」
と私。これは日本語では「割礼」と呼ばれ、男の子が生まれてすぐ包皮切除手術をする慣わしです。衛生上とか宗教上とか色々理由はあるらしいですが、うちの息子がアメリカの病院で生まれた際、医者がやってきて、
「ちんちんの皮、どうします?切っときましょうか?」
と、まるで「もみあげ短くします?」と尋ねる床屋みたいな気楽さで聞いて来たので仰天した記憶があります。 アメリカの白人男性の多くは、今でもこれを常識的な行為と考えているようで、ダグの三人の息子たちも漏れなく生まれたてで包皮切除したそうです。「どっちみち邪魔になるんだから切っておいた方がいいでしょ」というのがダグの見解。
「あれ、痛いですよね、きっと。」
「うん、それは間違いないね。だいぶ泣いてたし。」
「で、サーカムシジョンはライト・オブ・パッセージなんですかね。」
「いや、違うと思うよ。」
「ですよね。」
そんなわけで、今のところ思いつくライト・オブ・パッセージは、「意地悪な女の子に心を傷つけられる経験」くらいです。
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